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はてなキーワード: 緩和ケアとは

2023-07-29

少子化の原因は予防接種

予防接種開始以来、小学校では予防接種由来の小児がんにより、卒業時には入学時の半分以下になるまで生徒が亡くなる事態が恒常化。

今や癌は高齢者より幼少期から予防接種や投薬をされてきた若者世代病気

とある地域の中核総合病院では新規膵臓がんと診断された人の9割、大腸がんと診断された人の6割が20代から40代若さと相まって進行が早く「腫瘍が大きくなる様子を腹部エコーで視認できる」ほどの進行スピード

緩和ケア病棟児童若者で溢れ高齢者など一人もいないのは今や「隠された常識である

免疫が高くがんが治ってしまいそうな患者には厚労省から出向した医師がアービタックスなどの抗がん剤(実際は癌性腹膜炎や癌性肺炎を誘発させる毒物)を投与し生存の芽をつむ。

なぜそんなことをするのか?

製薬、軍事金融のあらゆる産業を牛耳るスウェーデン富豪貴族であるヴァレンベリ家を頂点とするストックホルム貴族達は北欧系を頂点に考える白人至上主義者で「有色人種による先進国など認めない」と考えており、日本は無論中国韓国東南アジア新興国も敵視。

予防接種抗生物質擬態した先進国有色人種絶滅を狙っている。

日本医療制度トラップである

誰でもちょっとした体調不良で気軽に病院に行ける。病院に行く。熱があれば抗生物質

でもそれは本当に抗生物質か?

赤児に予防接種が行われる。

それは本当に予防接種か?

一方でモノカルチャー農業出稼ぎメイド従事する「分際を弁えた」有色人種には生存権を認めている。

そのため同じ有色人種国家でもアフリカ東南アジアの最貧困国には癌や小児がん日韓中と比べて少ない。

これが真相

少子化氷山の一角

防ぐためには「予防接種を打たない」、「抗生物質を使わない」、「肉、卵、魚、貝類乳製品を摂らない」を心がける必要がある。

千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県佐倉高等学校卒業代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた私は、在学中にストックホルム商科大学留学し、ローベン島離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの魂胆を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授から医局と学会追放

現在草の根活動中。

2023-07-28

anond:20230728201545

少子化の原因は予防接種

予防接種開始以来、小学校では予防接種由来の小児がんにより、卒業時には入学時の半分以下になるまで生徒が亡くなる事態が恒常化。

今や癌は高齢者より幼少期から予防接種や投薬をされてきた若者世代病気

とある地域の中核総合病院では新規膵臓がんと診断された人の9割、大腸がんと診断された人の6割が20代から40代若さと相まって進行が早く「腫瘍が大きくなる様子をエコーで視認できる」ほどの進行スピード

緩和ケア病棟児童若者で溢れ高齢者など一人もいないのは今や「隠された常識である

免疫が高くがんが治ってしまいそうな患者には厚労省から出向した医師がアービタックスなどの抗がん剤(実際は癌性腹膜炎や癌性肺炎を誘発させる毒物)を投与し生存の芽をつむ。

なぜそんなことをするのか?

製薬、軍事金融のあらゆる産業を牛耳るスウェーデン富豪貴族であるヴァレンベリ家を頂点とするストックホルム貴族達は北欧系を頂点に考える白人至上主義者で「有色人種による先進国など認めない」と考えており、日本は無論中国韓国東南アジア新興国も敵視。

予防接種による先進国有色人種絶滅を狙っている。

一方でモノカルチャー農業出稼ぎメイド従事する「分際を弁えた」有色人種には生存権を認めている。

そのため同じ有色人種国家でもアフリカ東南アジアの最貧困国には癌や小児がん日韓中と比べて少ない。

これが真相

少子化氷山の一角

防ぐためには「予防接種を打たない」、「抗生物質を使わない」、「肉、卵、魚、貝類乳製品を摂らない」を心がける必要がある。

酒々井町で生まれ育ち、千葉県佐倉高等学校卒業代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた私は、在学中にストックホルム商科大学留学し、ローベン島離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの魂胆を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授から医局と学会追放

現在草の根活動中。

anond:20230728122425

癌に寿命関係ない。

癌に寿命関係あるなら「小児がん」で子供バタバタ死にまくってる現実説明できない。

小学校では小児がんにより、卒業時には入学時の半分以下しか生徒が残っていないという事態が恒常化するも文科省厚労省内閣府隠蔽

都内とある大規模総合病院では新規膵臓がんと診断された人の9割、大腸がんと診断された人の6割が20代40代

ワクチン若さの相乗効果で「エコー腫瘍が大きくなる様子が視認できるほど」進行が早く、緩和ケア病棟若者だけで満床

2023-07-02

anond:20230702153950

息子夫婦に捨て身のコメントを繰り出す辺り増田父親にとって価値観アップデートなんて死ぬより怖いことだと思うぞ。

もう精神面は緩和ケアに入ってると思って変に変えようとせずお互いの家族にとってちょうどいい距離感を見つけろ。

しろ増田が親離れできないんじゃないかと思うわ。

2023-06-24

子ども育て終わったら死にたい

の子来年小学生だ。

子育てして趣味も続けて幸いにも家族みんな健康

アラフォー夫婦仲も良い。

アラサーくらいから「どんなふうに歳をとるか=どんなふうに死ぬか」考えることが増えた。

理由ひとつに、加齢とともに趣味にかけられる時間と体力がジワジワと減ってきたことがある。

仕方の無いことだとわかっているので、筋トレしたり工夫して時間を捻出したりの努力はしている。

だけどここからアラフィフアラ還……と時間が経過したとき自分にどれだけのものが残っているのかなァと考える。

たぶんいまより読める書籍の量は減るだろうし、病気だってする。

なるべく元気でモチベーションのあるうちに沢山遊びたい。

そしてできたらそういうデバフが盛り盛りになる前におおよその子育てをひと段落させたいな、なんて思う。

知力と体力のあるうちに子どもをとりあえず育て上げて、独り立ちさせたら邪魔にならないように暮らしたい。

邪魔になるようなら死にたい

実親が大病してまあまあ大変だったので(既に故人)、もし自分が似たような病気などになったとしたら緩和ケアだけして死にたい。適切な治療をして延命することに差し引きで価値が見いだせそうなら治療をするかもしれないけれど、胃瘻とか呼吸器とか生命維持装置とかやめてほしい。

子どもを育てているうちは健康に気をつけて長生きを目標にしつつハッピーに生きたい、けれど闇雲にただ生きたいわけじゃないっていう。

まあ調子の良い事を考えています

そういう人多いんじゃないかねいまの親世代……

2023-05-31

医学トリアージ

ウィキペディアを見ると国によって患者区別方法が異なる

 オランダ 即時対処の呼吸・循環器障害>6時間以内の治療(急性の問題)>経過観察(気道、呼吸、循環の問題がない)>(戦時か大量被害者発生の場合に限り)緩和ケアのみ

 ドイツ 即時治療>経過観察>治療しない軽傷>治療不可能重症>死亡者

 フランス かつては兵士が優先された(高身分者が優先だった説も)。様々な分け方がある。負傷後数分または数時間以内の死亡(被害のうち30%)を減らすことを目的とする。呼吸がない>意識がない>脈拍120以上>脈拍120未満

 日本 不明損害賠償額の他覚なる幼児若者が優先されがちである

年齢や性別を言ってくる医者は、理系というより弁護士文系)だな

 

2023-05-03

父親が死んだ日から宗教2世として思うこと

父が死んでちょうど一年になる。

この一年家族宗教について、父について考えざるを得なかった。

考え出すと、寝れなかったり不安定になることがあるので、節目に吐き出したい。

というのも、元首相の殺害や、菊池真理子氏の「神様」のいる家で育ちました~宗教2世私たち~ を読み、

私自身、宗教2世として記録と想いを書き残しておこうと思った次第である

創価学会と私】

私の母は、創価学会だ。10代の頃に友達勧誘されたらしい。

私は幼少期に早い段階で、「あれ、家の家族は周りと違う」と気づき

思春期には、親への反抗と同時に学会への不信感を募らせていった。

小学生の頃から月に何度か、知らない大人が集まる場所で連れていかれ勤行をしたり、

意味の分からないビデオを見せられたり。胸糞悪い記憶が残っている。

何も知らない友達から、お前んちの親が

選挙お願いします」

新聞取ってもらえませんか」

と言いに来る。

”お母さん恥ずかしいからやめて”

なんというか、今思えば無駄要求だったと思うが

田舎小学生にとって、周りの友達との関係が崩れていく事がどれだけしんどかったことか。

普通の家ではないということを、表に出さず、隠しつつ、とはいえ田舎だったので周知の事実だったと思うが。

幸い友人に恵まれ勉強も少しはできたので、いじめも無く、表向きは周りの子供と変わらない様に過ごせたと思う。

高校は少し離れた私立進学校入学できた。

同じ中学から進学した同級生親友になった子も、私の家族について良く知っていたが、一度も嫌な顔をせず私に付き合ってくれた。

なるべく親の世話にならず一人で生きていきたいという気持ち学会のせいで強くなり、

部活をせずバイトをフルでいれて(貧乏というのもあったが)、奨学金バイト代で授業料を支払っていた。

そしてここから成人して、就職、都会へ引っ越し、出来るだけ家族と離れることで、学会距離を取ることができた。

【父と家族

私の父は、生まれつき心臓の病を持っていた。学会とは関係無し。

物心ついた時から、薬を常に飲んでいる父の姿を覚えている。

田舎特有の気性の荒い、亭主関白父親であったが。

忘れもしない小学低学年、夜中に居間が少し騒がしく、トイレに起きた私は母に慰められながら号泣する父を見た。

バブル崩壊後の不況の中、持病持ちの父は会社から要らない人間扱いされたらしい。

そこから我が家は、どん底だったとのこと。父は病気のせいで再就職もままならない。

子供が4人(兄、姉、私、弟)。今思えば、生きて大人になっているだけで儲けもんではあるが、

母は強かった。

から晩まで、仕事を掛け持ちして皆を食べさせて、学会活動も、勤行も欠かさずやっていた。

朝は清掃のアルバイトで、私が朝起きて登校するまで家にいることは稀で、

母が夜にアルバイトしていた工場冷凍肉まんをチンして弟と食べて学校に行っていた。

昼間は保険営業をしていたらしいが、学校に行っている間なので詳しくは知らない。

たまに学校から帰って家にいるときは、内職や家事の合間に勤行をしていた覚えがある。

父は弱かった。

私が幼い頃は絶対的存在として、一家の主として君臨していた。

家族を養えなくなり、酒に溺れ徐々に精神的にも肉体的にも弱っていった。

私が思春期の時には、何度もぶつかり合った

「なぜ仕事をしない」

「酒をやめろ」

私は父が病気だと知っていてもなお、問い詰められずにいられなかった。

そのある夜に、父が紫色の顔で鼻血を垂れ流し、シャツを真っ赤にして救急車に運ばれた。

いつ死んでもおかしくない家族が目の前にいた。

兄は優秀だったが。

私とは別の私立高校特待生で通っていたが、すぐに不登校になり、ここから10年近く表に出なかった。

これは原因も私には分からない。ただ精神的に不安定人間だった。やはり家庭が関係するのだろうか。

そしてその間、私と弟は良く兄と仲違いした。

姉は男を追って遠くへ消えていた。家族の中で私と弟はこの兄が大嫌いだった。

そして私が都会に出た数年後、弟から兄が創価学会に入信したと聞いた。

私は信条自由だとその場は笑い飛ばしたが、笑い事ではなくなった。

帰省する度に、母親とはまた違うアプローチをしてくる兄。

「いつかお前にもわかる」

幸せとは何か」

私は本当に何度も実家に帰りたくなくなったが、それでも会いたいという父や母の為に顔だけ出していた。

死に体の父、宗教に偏りながらも必死子供を育てた母。

それだけで息子として顔を見せるくらいは何も苦痛ではなかったが。

【父の死】

そしてちょうど一年前、父が亡くなった。

数年前に心臓病とは別にガンを発症、末期になり3月から緩和ケアに入る。

コロナで面会が難しく、5月中旬になら会えるとのことで、連休をずらして規制予定だった矢先に。

そこで待っていたのは、葬式で揉める家族

結果的に兄の意向学会方式でやることで決定した。

墓も遠方の学会の墓に建てるそうだ。もう兄を止める者はいない、

最後に】

父は学会人間ではない。

私が見てきた限り、一度も勤行をしたこともない。

聖教新聞を読んでいるところを見たこともない。

精神的に弱かったかもしれない、身体も弱かった。

けれど父は、もっと言えば母も学会にのめりこんでいたが宗教というフィルターを通さず、

直接、私たち子供という存在を見てくれていた。

兄はそんな父をなぜそのような扱いにしたのだろう。

それが幸せだと思うからだろう。

からこの一年、私が考えているのは父に会えず、話せず。

本当に父が思っていることを聞けなかったことを後悔しているのかもしれない。

父よ、あなたは何を思ってましたか

私は宗教で苦しみました。

兄は宗教で救われました。

明日実家に帰ります

少し癇に障りますが、おそらくご本尊の近くにある

あなたの位牌に手を合わせられたらと思います

おそらく私は一生この問題と付き合わなければいけないとも思います

あなたがそうしたように。

【】

吐き出したいことをだっーと書いていったら、ある程度言いたいこと言えたっぽいのですっきりしました。

またもやもやしてたことも書いてるうちに整理できたかもしれません。

明日行きたくないなー

2023-04-11

ひとは独りではしぬこともできない

父と弟が父の癌治療するかしないかでモメ?てる

母は痴呆でほぼ空気、ていうか、成人病でカラダ壊して実家に戻った弟がそれから数年して両親の痴呆と末期癌に降りかかられて独りで奮闘している

ワイふくむ兄連中は地理的に遠すぎるためスルーてか世話は押し付けてお任せしとる

消化器系の癌切除をしたあと味覚がほぼ失くなり食事が摂れず体力が落ちた父にリンパ腺癌がみつかり再入院したが治療の苦しみに嫌気がさした本人が緩和ケアにしてくれと要望すると病院側は家族同意を得てくれとのこと

弟としては何年も面倒をみて世話(食事を作るのが生き甲斐のようだ)をして来ているので諦めきれないらしくまだ頑張ろうといい、父と平行線

からは弟を説得しろ電話がかかってくるし、弟にそう突き付けるのは彼の人生否定するようでしたくない

父はちゃん兄弟で話し合ってるのかと電話でツメてくる、医師から家族統一見解を持って来てくれないとどちらにも進められないと言われているそうな

お互いに地理的に離れて生活も離れてなん十年間、それって家族かねぇ…


ワイにはもう人情なんかない、義理しかない




身近なひとがしんでいくのってなんてめんどうなのか




人付き合いに疲れてる、仕事でも身内でも、なのにまだまだ愛想笑いを振りまいてつづけなくてはならんのか

2023-03-14

別のガンで母を亡くした増田見て、まさかうちのことじゃないかと思ったらステージⅢの診断から始まってて(=うちではない)、そんなによくあることなのか、と改めて

1か月の節目で何か書こうと思ってたけど新しい話題がなくて結局書いてないんだけど

うち(anond:20230214195255)の場合の経緯(というより気づいた異変)を書いてみる

2022年時期不明

体の痛みの話をよく聞くようになった(本人はぶつけて悪くしたと思っていた)

2022年10月末>

・定期健康診断肝臓に関する数値が基準値の3倍を超えていた(母本人は特に見せなくて、死後に結果の紙が出てきて知った)

11月

・代わりに買い物を頼まれた(普段使っていた路線バスに乗りたくない(ワンステップバスに当たると乗降が辛い)という趣旨で代わりを頼まれた)

・異様な便秘があり(おそらく健康診断の値について聞くのを兼ねて)、信頼していた内科受診する

→薬を貰う

→効かないので再受診

→別の病院検査を勧められる

CTを撮るも「造影剤を使って撮り直さないと分からない」という結果で、大病院に行くことを求められる

12月

地域の中で一番大きい病院検査に行く

検査結果が年末年始のため年明けになる

2023年1月

・年明け最初の診察日、 結果は乳がん転移肝がん治療を行った場合死亡する可能性が高いという告知

即日入院を求められるが、無理を言ってその日だけ帰宅(これが自宅で就寝した最後の日になった)し翌日に入院する

・第3週の某日、緩和ケア専門の病院へ転院する

この転院自体はおそらく母にとっていい出来事だったと思う(1日120分まで面会が許可されたほか、医師判断おやつの持ち込みが許され持って行ってあげた)

ご飯が転院前は普通ご飯だったのが、転院後はおかゆに変わって助かったという話を聞いた(完食して嬉しそうな日もあった)

2023年2月

・第1週の某日、午後9時ごろに病院から意識が亡くなっているという電話が来て直行する(自宅から30分)も、到着時には心肺停止

亡くなる日には変な兆候があり

・コップで水を飲むことができなくなり砕いた氷で水分補給していた

・異常なレベルで光に過敏になっていた(照明を常夜灯にし、カーテンを閉めてほしいと頼んできた)

・何かを話そうとするも、なんの話題かどうか思い出せなくなり結局話せなかった

(唯一、私の鼻水の音を聞いて風邪心配はしたので、死ぬ間際まで子どもを気遣う能力が残っていることに感心)

から考えれば謎の便秘高カルシウム血症の症状で、がんが骨に転移すると起きる症状に他ならなくて

「がんが骨を壊して、酷い便秘を起こす」なんていうのは全然思い当たらないしもうどうすりゃ気づけたんだよ、という気しかしない

anond:20230314144917

その緩和ケアががんだと充実しているんだよね(奏効しているかは別として)。

脳神経疾患だと保険診療としての緩和ケアは限られる。

あとはがんは本人は苦しいが自我を保持したまま逝ける。

認知症自我を失う恐怖を年単位で味わう。

罹患初期から就労不能、要介護になるから単位で失職し生活も苦しい。

うんこしっこまみれで人間性ガリガリ削られながら死を待つのは痛みと別の苦しさだよ。

まあどちらも文字通り死ぬ苦しみなのでどちらも苦しいし、人にもよるだろうがね。

anond:20230314125152

なぜ末期癌患者向けの緩和ケアという職種があるのかよく考えた方が良い

治療を断念せざるを得ない人が少しでも穏やかに過ごせるようにとある医療だが、裏を返せば何もしなければ苦しい最期になるってことだよ

anond:20230313233142

なんでそんなしんどそうなんだろ

ホスピスじゃないと緩和ケアってできないの?自宅じゃ

2023-02-24

漫画 フラジャイル 病理医岸京一郎の所見時系列を考える

アフタヌーン大人気連載中の医療漫画フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在新薬JS1編へと続いてくれています

そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。

時間表記はだいたい1話目を基準にしている。

時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。

お約束

フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。

そのため医事紛争(弁護士千石)編18巻~で矛盾がでている。

「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」

「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」

「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家編集もすっかり忘れて楽しくやってました」

長期連載にありがちなから立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。

連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。

謎いところ

まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。

特に困ったところが「日本病理学会総会~アミ株式総会」。かなりぐちゃった。

それに加えいつかは不明だがリアル専門医受験資格経験4年から3年に変わった影響もあるかも

たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。

宮崎試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし

あとは

・ 岸が壮望会に来た理由それから活躍

・ 壮望会の悪評と建て直し

稲垣緩和ケア周り

もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。

名前メモ

宮崎

森井

火箱

南波

細木

稲垣

中熊

手嶌

日野

戸倉

壮望会

慶桜



不明

岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)

17年ほど前

稲垣医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。

2011年以前 8月 35話からの比日野過去編 岸、慶桜・研修医時代

岸、臨床医時代感染症内科医

岸、研修医時代「君の指導医は俺だ」

岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。

25歳前後

将棋友道8「今月号」

恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」

原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTS中国特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)

不明~2年間

稲垣内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)

「その頃から先生とは同僚」(85話)

このケア科2年が転院回数に含まれるかは不明(27話)


稲垣、「ひとりで壮望会の緩和ケア科を立ち上げ」(85話)

(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))

不明 岸、慶桜助教授時代

手嶌と同僚に。助教授同士(33話)



13~10年前?

火箱兄、死亡「私が中学生の時兄は亡くなりました」(12話)

およそ13年前で火箱12

9年前?

森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校入学。(3話)

6年前?

森井、24歳?専門学校卒業(3年制?)

壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)

岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理先生ですよね?」(18話)

4、5年前?

物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)

岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。

3年前?

火箱、アミ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒はいればこの辺り?

新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)

不明

火箱、MRに。岸、森井とは1話から面識あり。

2年と5ヶ月ほど前4月

宮崎医大卒業?。出身大学病院で初期研修開始(80話)「初期研修出身大学病院

不明

手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカ留学して~研究職に転向した」(33話)

1年半ほど前

本郷最後彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)

5ヶ月前ほど4月

宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」

一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)

この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎発言矛盾する気がするんすよぉおおおおおお

1話スタート

9月23日-24日開始。院内描写24スタート。終了は25日。

24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日

宮崎、27歳?3年目?。専攻研修開始から半年

宮崎神経内科から病理に転科

2話

宮崎、転科後初日

宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。

てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…

専門医認定の条件が経験4年といわれる(後、3年に短縮)

3話

岸、森井に転職の話をする。

6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?

森井30歳?

5話

森井慰労会(4話直後?)

火箱登場、宮崎とは初対面。


宮崎病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)

5-6ヶ月経過ではない?

南波に新しい研修医。「宮崎の後に入った子」(9話)

4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?

根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」


新薬JS1 Ⅱ相試験に向け始動(10話)

JS1、竹田編開始(11話)

竹田、余命半年


竹田JS1 3クール終了(13話)

竹田10日後に死亡(14話)

実際何ヶ月生存たかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。


火箱、アミノ退社(14話)

(間瀬、アミノ退社)

(竹田余命)+数ヶ月経過?

「あれから数ヶ月」

JS1副作用の判明

火箱、ビフィズス入社

(14話終了)


「この前」コンサル窪田参加(15話)


セカンドオピニオン外来開局(15話)

高柴65歳?、定年半年前(15話)

高柴、退職。「定年まではまだ半年もあるのに」(18話)


高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)


慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボ技師長に抜擢」(58話)

(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬配列設計発見

半年以上経過 4月以降

17病理学校(21話)

布施登場、医大5年

5月時点で布施がまだ医大5年なので病理学校4月以降(25話)


布施半月間岸の元へ(25話)

8ヶ月後 5/19

笑美編。デジタル時計の日付が5/19。 (25話)

布施「君何年生?」「5年生です」(25話)

(稲垣、壮望会が3院目。前病理ありと前前なし(27話))

笑美編終了でおおむね6月(月末の演奏会)


宮崎、初術中迅速(31話)

(8巻巻末)

人物紹介 年齢

宮崎20台後半(大学多浪はなさそう)

不明

森井30歳(誕生日1111日)

位置不明 41話から半年ほど前

間瀬、医薬新聞社入社半年お世話になった」 (41話)

9ヶ月~1年半程度経過。 4月より前。6~夏まで?

森井31歳?

宮崎28歳?

手嶌登場「4月から京都細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)

「春から京都」(34話)

流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?


ハル編(35話~)


間瀬、ビフィズス入社(41話)

9ヶ月~1年10ヶ月程度以前経過。 6月~夏まで?or翌年4月前あたり

野球回。(44話)

入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?

火箱が野球テレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか

(11巻巻末)

火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。


宮崎20台 森井30台」(46話)

2年弱。9月前?

宮崎デビュー戦(48話)「病理専攻1年目です」

宮崎迅速11回、剖検5回(49話)


こまごまとした話。3日謹慎新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?


移植から半月後」(54話)

11ヶ月以前経過or1年7ヶ月以前経過? 9月前? or 4月前? or 4月以降?

日本病理学会総会12~14日(55話)

布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)

現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…

神経内科から病理転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?

前年秋期特別総会でも11月で9月をまたいでザッキー2年目…

しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html

4月越えなら

森井32歳?

宮崎29歳?

火箱27歳?


作山、リンチ

円、27歳?「2年前~25歳にしてラボ技師長に抜擢」(58話)

稲垣オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)

稲垣医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。


ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)

ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)


(株主6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)

新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。

「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)

ビフィズス買収2週間後ぐらい 3~5月

アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明

十王寺氏が来月退職するらしい」(65話)

数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)

(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎試験願書提出?(89話))

2年9ヶ月程度経過?3年目6月

総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。

そもそもオプジーボ同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査いくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。

総会間近、火箱懲戒解雇(68話)

JS1が」「治験フェーズⅡ」(68話)

十王退職記念公演。火箱が代読「明日から無職」(68話)

十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)

株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)


間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。

6月末?

慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)

2年10ヶ月程度経過 7月はじめ?

弁護士編(医事訴訟)

弁護士編は過去矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)

前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。

また、過去以外の話の時間正史として前の編から地続きと考えておく。

不明 (岸) 細木 千石 高校生時代

細木と千石高校同級生(72話)細木と岸は同期

1話から2ヶ月と数ヶ月前とさらに少し前

森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)

後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに

(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)

1話から2ヶ月と数ヶ月前

岸、壮望会に。(73話)

(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前矛盾)

1話から2ヶ月ほど前 弁護士現在から見て3年前

患者菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)

病理技師がほかに4人居る(73話)

岸、初カンファ荒らし「初カンファ荒らしの爪痕」(73話)

菊池状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)


「まあまあ前」の先月

森井、彼女に振られる(18巻末)

1話から5ヶ月前以内 「まあまあ前」

森井、技師を追い出しソロデビュー(18巻末)

宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。

不明(窪田参加前)

壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)

5月ごろ?

久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)

久坂部~米嶋の診療所に行った男と同一人物」(75話)

7月はじめ? 物語現在

「今月の予定組むんで」(71話)

森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)

米嶋の診療所訪問。米嶋はだし。(73話)春~夏?

「夏も近い」(74話)これジョーク

こまごま動いて弁護士編終了

2年10ヶ月程度経過 8月ぐらい 時系列考察破綻

布施、「医大6年生 MD-PhDコース2年目」(80話)

えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコース学部4-院3~4-学部2年で学士修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部卒業してなくて院生2年生。かな。

布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)

「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年病理専門医認定試験」(80話)

布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。

日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月仮定してるけどここが変かなぁ。

9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。

34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで

日本病理学会 Permalink | 記事への反応(1) | 11:12

2023-02-14

母を亡くして数週間たった

なにか増田に書こうと思ったけど、しばらくは混乱していたのでようやく書いてみるかな

葬式って超大変。両親が健在な人こそ読んで!その1|とむよーこ|noteを見た影響も兼ねて、思ったことを列挙する

経緯(軽くフェイク)

末期がん、発覚時余命1ヶ月で即日入院(がん自体治療不可能緩和ケア実施)、約4週間で死去

発覚しなかったのは定期健診で「がん疑いあり」と言われた時に精密検査をしなかったことと、進行して痛みが出たのを「ぶつけたせい」と思いこんだため

やった方がいいこと:とにかく記録する、あと動画

写真遺影のために必要だとは周知されてるし、習慣をつけてる人も結構いるんじゃないかと思う

だけど、静止画だとどんなふうに身振り手振りするかとか、どんな言葉遣いだったかとかを記録できない。音声付きの動画も、年1回適当でもいいから残すといいんじゃないかと後悔してる。

便利な言い訳(という言い方は変なんだけど)スマホを新しく買った時なんかに「試し撮り」なんて体にしておくと気兼ねなく撮れるのでいいんじゃないと、今更思っている

ちなみに、あってよかったのが「家電話の自動録音機能

意識して残すと畏まった物になりがちなので、無意識に残る会話はすごく貴重

(1000件とかで自動上書きされたりするので、余命宣告を受けた時点で一度パソコン等に録音データコピーするとより多く残せる)

あと、家族集まってファミレスとか行ったらレシートも取っておくと気持ちが安定するかもしれないので、おススメ(最後に一緒に食べたときレシート、もう二度と捨てられない)

やった方がいいこと:好きな物を知る

音楽と服は葬儀とき困るので大まかでも把握したい

やった方がいいこと:葬儀をどこでするか、というより宗教宗派確認する

両親とも仏教ではあったが、宗派が違うため無宗教葬という妥協をせざるをえなかった

心残りはある

やった方がいいこと:家を掃除する(祭壇を置くため)

家が綺麗な場合問題ないけど、祭壇を設置する場所がないと強制的掃除する羽目になる

祭壇の大きさは事前に知らされなかったけど、告別式当日の打ち合わせで大中小選べると聞いて中にした

(事前に大きさの選択があるか聞いておくといいと思う)

うちの場合祭壇だけでざっくり2m四方(幅2mは無いから1.5m×2mぐらい)だけど追加で人が座る空間必要になるので、余裕が必要

小を選んだ場合、祭壇自体は小さいけど花を飾ったりする場所が無くなるので別途設けるなら変わらない

(もし医療に対して不信がある場合)なるべく不信を解いておく

コロナワクチンHPVワクチン副反応を気にかけるタイプだった

他人の接種を妨害するようなことはしないが、「自分は打ちたくない」というタイプ

その手の不信感がマンモグラフィの「疑い」を軽視する一因になったと思う

役に立つかは人による:フィクションで死に触れておく

私の場合は幾分か影響した(プラスマイナスもある)ので挙げておく

ポケットモンスター サン&ムーン 「カプ・レヒレの霧の中で」

見た人は分かるんだけど、母を病気で失い、最後に伝えた言葉感謝ではなくお詫びだったことがずっと心に引っ掛かっているという描写がある

これをみて「最後に伝える気持ち感謝にしたい」と決心がついて、直接ではなかったけどメールで育ててくれたことへの感謝を綴った

そのメールを送っていなかったら後悔で潰れていた気がする

IDOLY PRIDE特にエピソードは問わない)

アイドル事故死を作品の中心に据えており、身近な人が急に死ぬという可能性を知るチャンスだった(にもかかわらず自分に似たことが起こるとは思わなかったという過ちがある

個人的には麻奈の楽屋を撮った映像を流す描写を思い返すたび、「真似して母の適当動画を撮ればよかった」という後悔が絶えない

備考&追記

なんか「親が死んだときアニメ見てられるか」という趣旨のご意見が来たんだけど

これは母が亡くなる時に見たわけじゃなくて、昔に見ていたのを思い出したって話だよ

掃除の話を追加。一番肝心なこと書き忘れてた

かい事実誤認修正

追記

医療不信があると手遅れになりやすいという旨を追加

死を題材にした作品を見ておきながら、行動に生かせなかった自分への批判を追加し、文を調整した

2022-11-06

anond:20221106231457

それは悲惨な死に方を知らないからそう思えるだけ。

全身が弱ってきて、寝たきり生活が始まると、床ずれといって、

布団と自分の体に挟まれた部分の皮膚が血行不良で腐り始めるんよ。

これが痛いのなんの。

これを防ぐには、真夜中でも数時間おきに体の上下を入替えてやる必要がある。

だけど、そんな手厚い介護が受けられるのは、相当な金持ちだけ。

寝たきりになって全身が腐り始めて弱ってくると、当然、食事もできなくなる。

そうなると、胃ろうといって、胃に穴をあけてチューブから栄養を摂るようになる。

美味しいモノが食べられなくなると、人生の楽しみはほぼなくなる。

最後は、全身の痛みがひどいので緩和ケアといって、モルヒネを投与されるようになる。

痛みは軽減するけど、徐々に思考力も失われてゆき心臓が動いているだけのオブジェと化す。

モルヒネが切れたらまた激痛地獄に戻るからモルヒネは止められない。

現代医療の世話になると、人間尊厳なんて簡単に奪われてしまうので、

入院することなく、ピンピンコロリのほうが理想な死に方だとみんな思うわけ。

2022-10-16

anond:20221016130220

死に確の病人への緩和ケアの為のものです

残念でした

何でも願望に基づいて自分の都合の良いようになるのが当然だと思ってるんだな

そういうのが既に精神病質者なんだよ

早く隔離病棟での生活をはじめるんだ

anond:20221016125756

精神病棟で治療するほうが健全です

残念でした

安楽死は死に確の病人の為の緩和ケアです

残念でした

2022-10-12

anond:20221012115714

安楽死ってもう死に確してるやつの緩和ケアが基本だぞ

お前みたいなメンヘラ死にたい願望を叶えるような安楽死は実現しないから、考えるだけムダや

2022-10-02

今年のお彼岸

先日、母が家族LINEグループから退会した。

思えば、ガラケーしか知らず、新しいモノは覚えられないからいやだといって拒んでいた母に無理やりスマホを持たせたのは1年前のことだった。

これから緩和ケア施設に入ると、もう恐らく家には戻ってこれないだろうし、いつも母が手入れをしていた庭の草花の写真でも

送ってやろうと思った。そして、自分や姉が働いている写真積極的に送るようにした。

しばらくすると慣れて、写真に返信するようになった。

既読になるだけでうれしかった。

しかし、年が明ける頃、送ったメッセージ写真既読になるのに何日もかかるようになっていた。

おはようと送ったLINE今日もまた既読にならず病室の母

いよいよ会話もできなくなっていた。

春になると、スマホの充電もできなくなって、メッセージ既読になることはなくなった。

ほどなく母は他界した。


母の葬儀を済ませてまもなく、

肺癌だった父が緊急入院し、そのまま家に戻ることな10日もたたずあっという間に息を引き取った。


わたしはというと、両親が相次いで亡くなる状況のなか、

他界したあとの葬儀やさまざまな事務手続き忙殺されていたこともあり、溜まっていた仕事も待ち構えていたりと、不思議と涙はでなかった。

司法書士に依頼し、不動産登記の書き換えのため必要戸籍調査が、案外と興味深いものだった。

両家の戸籍可能な限り、さかのぼるこの手続きは、忙しい現代人には無理だ。

だが送られてきた戸籍安政年間の祖先痕跡をみつけ、NHKファミリーヒストリーは、なるほど、こういうところに目を付けた番組なんだなとしみじみ思った。



そんなある日、後回しになっていた父と母のスマホ契約の解除に着手した。

亡母のスマホ最後着信履歴がふと目に留まった。母が亡くなって2週間ほどたった頃だ。

からだった。

その日は父が救急車搬送された日だった。何を思って亡き母の携帯電話を掛けたのか。

その瞬間の風景を思うと、こみあげてきてしまった。

スマホは解約した。




そして、母が他界して半年がたった。

半年もたつと月命日も、気が付かないまま通り過ぎていく、、、そんな感覚になっていく。

そのような忘却もまた自然なことだと受け止めている。


そんなおり、ふと去年、妹と作った母とのLINEグループで送った写真でもみようとしたところ、母が退会したとのメッセージが表示されていた。

解約してから半年近くもたつのに、退会のメッセージはつい先日の日付だった。

その日がまさに月命日だったので、何か因縁めいたものを感じて、思わずスクショをとった。

わたしの月命日を忘れてもいいけどね、じゃあね、バイバイ」と言っているような気がした。

何かが空間にゆっくりと遠ざかっていく、不思議感覚に襲われた。

今年は、そんなお彼岸だった。というより、お彼岸スピリチュアル感覚意識したのは初めてだ。

両親を亡くした今年は、人生ターニングポイントのような気がする。

2022-07-15

父を見送った

大好きな父が亡くなった

60歳代は早すぎる

今は何もかもが惜しい

ここ2ヶ月は毎日、父の様子を見るために家から電車を3回乗り継いで坂を登って実家に通っていた

在宅緩和ケアだったから、もう良くなることはなかった

容態が悪くなるにつれ、夜は泊まり込んで寝ずに父の様子を見ることもあった

話したかたことを話し、ベッドから起き上がりたい父の手を取り、トイレの付き添いをし、点滴をロックし、唯一口にできる水を何度も汲んで取り替えて渡した

ペットボトルから直で飲めていた水は、ストロー付きになり、コップになり、吸口になった

起き上がれなくなってからは排泄の手伝いをした

毎日帰り際に「また明日」と言って手を握ったら握り返してくれた

息を引き取る直前も手を強く握り返してくれた

通夜告別式葬儀初七日も全部終わって今は自分の家にいる

二ヶ月間放置した家の中を片付けなければ

毎日用事や様子を記録するためのメモ帳

衣替えをしようとして中途半端にたたまれている冬服

父と家族写真ラミネートするために買ったフィルムと、出しっぱなしの父のラミネーター

プリンタで出力したらインクにじみが出てしまった家族写真

いつ夜の番になってもいいように買った旅行用の携帯石鹸オールインワンジェルと常用薬を入れたケース

父が書いた様々なメモ

昔の話がしたくて引っ張り出した数冊の日記帳

ガジェット好きの父からもらったUSBケーブルタブレットポータブルスピーカー、大きなハードディスクポータブルフロッピードライブ

硬いところに当たって痛む体が少しでも楽になるように貸した柔らかめの枕

寝転んだままでも時間がわかるように貸したフック付きのアナログ時計

疲れ果てて帰ってきて捨てる体力すらなかった日の、空っぽジンジャーエールペットボトル

突然出てくる涙を拭くためのハンドタオル

実家に通うようになってからそのままのカレンダー

父が眠っている時の暇つぶしに作っていた小物の手芸道具

口が乾くから買ってきてほしいと頼まれものハッカが入っていて使えなかった口腔ジェル

湯灌の時に切ってもらった遺髪

喪服と黒カバン数珠と靴

まだまだある

片付けなければ、片付けなければと思うのに、今は片付けるどころか時間が経つのも惜しい

自分の体が代謝していくのが惜しい

父が生きていた時の体から、父が亡くなって以降の体になっていくのが惜しい

父が生きていた日々からどんどん遠ざかっていく

前を向いて進まなくてはとよく言うけど、時計が進んで父がいた時間から遠ざかっていくのが寂しい

父の情報がもう二度と更新されないことが悲しい

カレンダー7月にならない

辛い

2022-07-10

心肺停止という用語について

今回の事件において「心肺停止ならまだ助かる見込みがあるから、死亡を意味するものとは思わなかった」といったコメント散見された。医学用語でありながらも一般にも使われる用語なので、微妙ディスコミュニケーションが起こりがちではある。

心肺停止文字通り、心臓も呼吸も止まっている状態を指す。現場ではCPA(Cardiopulmonary arrest)を言われることのほうが多い。病棟で急変があると、「〇〇さんCPAです!」みたいな感じでみんな救命殺到する。さて、心肺停止状態にはCPR(CardioPulmonary Resuscitation)が施される。このCPRで心拍が再開する病態もあれば、再開しない病態もある。よくあるのは心室細動バタンと倒れた場合ただちにCPRを続けながらAEDによる電気ショックを与えれば、高確率救命できる。一方末期がんの患者さんが緩和ケアの末に心肺停止した場合そもそもCPRを行わないが、仮に行ったとしても心拍が再開する見込みは非常に低い。

さて、今回のケースでは、ニュース第一から割とすぐに(たしか1,2時間もたたずに)「心肺停止搬送」というニュースが飛び込んできたように思う。自分病院医局でそのニュースを同僚と見たのだが、そのニュースを見て同僚医師たちと「これはまず助からないですね…」と話した。なぜかというと、慌ただしい救命現場心肺停止した「確実に」断言することはとても難しいかである心肺停止の疑いが濃厚な段階で、あらゆる救命措置を行うし、確認する余裕はない。もちろんその場にいる医療者は誰もが心肺停止だろうと思ってCPRに従事するが、それを医学的に確定診断する余裕はない。その心肺停止ニュースに流すとなると、これはもうほぼ救命の見込みがない傷だと現場医師判断たからであろう、と。後の奈良医大の会見でも、頸部や胸部の銃創で大血管が大きく損傷した、とのことであった。大血管の損傷は、シンプルに大量出血して血圧低下するので、救命といってもできることは極端に少ない。大量輸血しながら出血箇所を塞ぐしかないが、通常破れた血管を塞ぐにはいったんその血管の血流を結紮して止めなくてはならない。しかし大血管を結紮すること自体が当然自殺行為である

まとめよう。一般医療現場で「心肺停止」と使われる場合は、患者さんの病態によっては、回復する可能性があるケースもそれなりに含まれる。しかしそれをニュースに流すとなると、ほぼ心肺停止から戻らないであろうという確信があって初めて報道される。しかもそれがまだ現場が極めて混沌しているであろう1,2時間後にニュースとなった。従って医師がみればまず救命できない傷であったのだろう。というのが当日のニュースに接して思った内容だった。

2022-02-01

anond:20220201221713

広義の医療ではあるが、治療ではないよ。

お前自身も「緩和ケア」て言っただろ。緩和するだけなんだよ。

急性期病院治療するところだから治療邪魔したいなら来ないでね、緩和ケア専門のホスピス行ってねって当然の話。

anond:20220201213453

緩和ケア外科は別だから

急性期病院緩和ケアやる余裕はないので、最初から終末期の

ホスピス行ってください。

anond:20220201191008

緩和ケアとかやりたがらなそう

「命を助ける」という自己実現のために医療に関わる自己カス野郎

医師免許とっただけで神にでもなったかの如く人の生き死にの決定権を握ったと思い込む

2022-01-17

不安しょうがない

未婚のまま30過ぎて職場実家から通いやすいのでそのまま子供部屋おばさんしてる。夜寝てるときの不意に訪れる孤独感とかなんかやばいよ。隣の部屋に母ちゃん父ちゃんもいるけど。

無駄に金使うより実家生活して金ためたほうがいいやろって感じで親も子供部屋おばさん状態には何も言わない。家リフォームするときは援助してよねくらいで。

貯金来年には500万くらいいきそう。堅実に生きてれば老後はなんとかなるのかもしれない。ただ得も言われぬ孤独感がしんどい

彼氏いたことはあるけどたぶん私はバイセクシュアルの中のレズビアン寄りでどうにも男性を好きになってもセックスかには、う〜んってなってしまうし、子ども産みたくないと言うとどの男性も「は?」みたいになってなんだかんだその話したあたりから距離ができて遠のいていく。

いやいや私の身体使うことなのに自分の好きにできると思っとんなよと思うけど男性まじで子ども産ませたいんだな…と思う。

レズビアン女の子マッチングできるアプリTinderセクマイ版みたいなの)使ってるけど田舎から母数も少なく、そこから仲良くなれそう、年齢が近そうな人は更に減る。

そして昨年癌になって抗がん剤たから髪も消え去って(最近ちょっと生えてきたけど)オフ会的なものにに行こうという気にもならない。早く生えてきてくれ髪…

ホルモン療法の薬の副作用更年期障害状態だし、だからなんか気分落ち込むのかな。まあ手術で乳がなくなって馬鹿みたいな巨乳は重たいしエロい目で見られて大変、貧乳は僻みが…みたいなレースから下りられたのは楽だ。

誰にもセクシャリティカミングアウトしてない。

友だちにもいまさら言いにくい。信頼してないわけじゃないけどただでさえ少ない友だちがカミングアウトさらに減って、地元面白おかしく噂流されておもちゃにされそうとか考えて余計にクローゼット化が進む。

家を出たら今ほど貯金もできないし地元の人もいないところに今更なんで行くんだろうと聞かれてどう答えるか考えるだけで泡吹きそう。

一生セクシャリティ隠してただの独身子供部屋おばさんと思われながらほそぼそ生活して消えていくのかな。いっそ癌も末期で父ちゃんと母ちゃんがいるうちに先に緩和ケアしながら死ねたほうが色々と楽だったろうな…。

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