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はてなキーワード: 緩和ケアとは

2022-01-17

不安しょうがない

未婚のまま30過ぎて職場実家から通いやすいのでそのまま子供部屋おばさんしてる。夜寝てるときの不意に訪れる孤独感とかなんかやばいよ。隣の部屋に母ちゃん父ちゃんもいるけど。

無駄に金使うより実家生活して金ためたほうがいいやろって感じで親も子供部屋おばさん状態には何も言わない。家リフォームするときは援助してよねくらいで。

貯金来年には500万くらいいきそう。堅実に生きてれば老後はなんとかなるのかもしれない。ただ得も言われぬ孤独感がしんどい

彼氏いたことはあるけどたぶん私はバイセクシュアルの中のレズビアン寄りでどうにも男性を好きになってもセックスかには、う〜んってなってしまうし、子ども産みたくないと言うとどの男性も「は?」みたいになってなんだかんだその話したあたりから距離ができて遠のいていく。

いやいや私の身体使うことなのに自分の好きにできると思っとんなよと思うけど男性まじで子ども産ませたいんだな…と思う。

レズビアン女の子マッチングできるアプリTinderセクマイ版みたいなの)使ってるけど田舎から母数も少なく、そこから仲良くなれそう、年齢が近そうな人は更に減る。

そして昨年癌になって抗がん剤たから髪も消え去って(最近ちょっと生えてきたけど)オフ会的なものにに行こうという気にもならない。早く生えてきてくれ髪…

ホルモン療法の薬の副作用更年期障害状態だし、だからなんか気分落ち込むのかな。まあ手術で乳がなくなって馬鹿みたいな巨乳は重たいしエロい目で見られて大変、貧乳は僻みが…みたいなレースから下りられたのは楽だ。

誰にもセクシャリティカミングアウトしてない。

友だちにもいまさら言いにくい。信頼してないわけじゃないけどただでさえ少ない友だちがカミングアウトさらに減って、地元面白おかしく噂流されておもちゃにされそうとか考えて余計にクローゼット化が進む。

家を出たら今ほど貯金もできないし地元の人もいないところに今更なんで行くんだろうと聞かれてどう答えるか考えるだけで泡吹きそう。

一生セクシャリティ隠してただの独身子供部屋おばさんと思われながらほそぼそ生活して消えていくのかな。いっそ癌も末期で父ちゃんと母ちゃんがいるうちに先に緩和ケアしながら死ねたほうが色々と楽だったろうな…。

2021-10-15

anond:20211015172855

ニート女性が子を儲けることも個人尊厳範囲だが、代わりに、受精卵の染色体検査女児選択するなどの配慮必要なのではないだろうか。

技術的には可能なので産婦人科学会倫理面でも承認する形で。

ある種の母親から遺伝子継承した男児が味わうであろう出生後〜特に成人後〜の苦痛に満ちた生に事前緩和ケアを。

2021-09-14

anond:20210914164726

医療大麻緩和ケア的に解禁してほしいんだがな

大麻をやってるやつというか、今イリーガルものを臆さずにやってるやつってのはだいたいこういうやつらだよね

2021-09-01

2年前に母が亡くなっていてよかったのかもしれない

タイトル通り、2年前に母は48歳の若さでこの世を去った。ガンだった。

定期健診でぼんやりとした影が見つかったからと精密検査をして、でも開いたらもうどうしようもない状態だったみたいで投薬治療もしたけれどだめだった。

末期のころはもう呼吸もうまくできなくて、苦しそうにしていたのを覚えている。

やっぱりもっと長生きしてほしかったけれど、変わらない運命なら2年前に亡くなっていてよかったんじゃないか最近思うようになった。

母は余命宣告から半年は頑張ってくれたので家族旅行食事にもいけたし、お見舞いだって好きなとき好きな人数で行くことができた。

病室で最後を看取ることも、手を握ってあげることも、お葬式をあげてあげることも出来た。

親族家族で集まって死を悲しむことも許された。

親しい人の死をまじまじと突き付けられるのはとても辛くて逃げたくなったし、涙だってまらなかったけど

何回まばたきしても変わらない、動かなくなった母を受け入れるための時間は(火葬までの限りがあるとはいえ)きちんとあった。

もし母が病気になったのが今だったら上に書いたようなことはほとんど許されないだろう。

緩和ケアなんかも十分受けられないだろうし。

過去に戻れたとして母の寿命を2年延ばしてあげるよと言われても今なら答えはNoになると思う。

ももう一度お母さんが作ったごはん食べたいなあ。

2021-07-25

anond:20210725213656

緩和ケアってむちゃくちゃな激痛を和らげるためにモルヒネ使用が許されるようなやつのことじゃん

どっちが偉いとか言うような状態じゃないだろ

緩和ケア病棟プレステばかりやってる老人のことを「こんな風にはなりたくない」とか腐した人がいたので、

本人はどれほど高尚な趣味を持ってるのかな?とTwitterアカウントを見に行ったら、ロリコン向けのイラストを描いてた。

ずいぶんと高尚な趣味ですこと。

2021-05-30

母が亡くなった

初めて匿名日記を書く

まず、家族構成はこのようになっている。

母、父、僕、妹

母は去年の春にガンが見つかったときにはすでに末期だったらしい。

らしい、というのは、僕は実家から新幹線で3時間距離に住んでいる。

母の闘病を手伝えたのは最後の一ヶ月だけだった。

母のガンがみつかってからは、父と妹が母に付き添ってくれていた。

(妹は僕とくらべれば実家の近くに住んでいる)

母はとにかく明るく前向きで真っ直ぐな人だったため、闘病も最後最後、一切の治療ができなくなった時まで緩和ケアという選択はしなかった。

昨今の新型感染症の影響で、最後家族旅行に行くことができなかったのが悔やまれる。

(これに関しては抗がん剤治療で一気に体力がなくなってしまったため。行くなら抗がん剤治療を始める前のほうがよいのだろうな、というのが反省である

感染症の影響もあり、母の病気が見つかってからは、去年の夏と、最後の一ヶ月の二度しか会うことができなかった。

今年の春になって、母の容態がさらに悪くなったと連絡を受け、しばらく仕事を休んで実家に戻った。

母はガンが全身の骨に転移しており、顔の形が変わってしまっていた。

去年の夏から半年でここまで悪くなるのか、と悔しい気持ちでいっぱいになった。

この時、母はまともに食事がとれなくなっていた。

僕は気づかなかったが(どのくらいの食事量が正常が知らなかったため)、その異変を父が感じ取ってくれて、母を入院手続きするところまで実家で手伝いをした。

感染症の影響で、面会謝絶であったため、僕にできることは何も無くなった。

そして、母の容態も最後状態になり、母は退院して実家に戻ってくることになった。

退院後、母は9日間、家で過ごして、そして亡くなった。

最初の4日ほどはまだずいぶん元気で(完全なる寝たきりではあったが)、実家いたころの楽しみであったミステリドラマipadでのゲームなどを楽しんでいた。

最後の3日は、毎朝計測していた血圧がちょうど10ずつ下がり、最後の日は聴診器では血圧を測れなくなったため、脈拍を指で確認しながら血圧を測ってもらっていた。

母が息を引き取った時、僕は母の右手を、妹が母の左手をさすっていた。

当時の僕は、母が亡くなる日が今日だとは思っておらず、また連日の看護でまともに眠れていなかったため、正常な判断力もなかったように思う。

母が呼吸をしなくなったことを、看護師さんを家の外でまっていた父に伝え、妹と、ちょうど来ていた妹の子供達とみんなで母に別れを伝えた。

妹の夫(僕からみたら義弟)もありがたいことに駆けつけてくれた。

看護師さんが来て、担当のお医者さんを呼んでくれ、お医者さんがやってきて、死亡診断書を書いていただいた。

そしてまた来てくれた看護師さんが母の体を綺麗に拭いてくれた。

今回の経験で、最後を看取るための医療にかかわる方々には、ただただ尊敬の念を抱いたことを覚えている。

葬儀社に連絡し、母の体をドライアイス冷房で保たせるようにした。

葬儀は母が大好きだった花をいっぱい飾り付けしてくれるように手配した。

母が亡くなってから3日ほどは、僕はずっと泣いていたように思う。

3日目に、学生の頃の友達最後の別れをしてくれるように集まってもらい、20年ぶりに心の底からくだらなくて楽しい話をしたことで、僕の悲しみはだいぶ和らいだように思う。

母は葬儀の都合で一週間ほど家で過ごしたため、ご近所さんが相次いで挨拶にきてくれた。

通夜葬儀は母の兄弟の子どもたち(僕からみたら従兄弟にあたる)が、母の兄弟代理としてきてくれた。

母と父の若いからの友人(僕も子供のころに大変お世話になった)も来てくれた。

中年になった僕をみてすこしだけ不思議そうであった。

母を棺にいれてもらい、花で満たし、そして火葬場へ向かい荼毘に付してもらった。

最近火葬場は、骨を拾いやすいように火葬場の人が丁寧に並べてくれるんだなぁという発見もあった。

母が亡くなったことの届け出を大量にこなし、遺産整理金額は小さいがやることが細かくたくさんあった)をして、僕は自分生活に戻った。

もうすぐ四十九日と納骨だ。

2020-12-21

新コロは高齢化対策最後の切り札

コロナはただの風邪!とか政府GoTo政策だとかに憤慨していたのだけど、よく考えてみると数少ない成長戦略なのかなあと思うようになった。

というのもCOVID19では死亡者の96%が60歳以上で、未成年者にはそもそもほとんど症状が出ないからだ。確かに若い人でも重症化することはあるだろうし、後遺症心配もある。だけど、こんなに選択的に高齢者を退場させることになってしまイベントはそうそう無いのでは?とも思う。

今の日本の、そしてひょっとしたら世界全体の、最大の社会問題少子高齢化である日本が貧しいのは資源生産性問題もあるけれど何を言ってもやはり高齢者にかかる社会保障医療費である寿命長いし。皆保険が強いし。この足かせさえなくなれば、子供教育資源を割り振れるし、研究開発にも投資できる。高齢者を切り捨てられれば楽だけど、誰もそのような対策がとれない。

老人を見殺しにするだなんて考えるだけでおぞましい。自分のおばあちゃんが死んでもいいなんて思う人は少ない。だれもがいつかは高齢者になる。そして現状、高齢者人口も多いし投票率も高いか与党の票田である高齢者をないがしろにした政策をとって次の選挙で勝てる見込みは無い。だから保育士を削ってでも、非正規雇用を増やしてでも、科学者研究費を削減してでも、高齢者社会保障を手厚するしかない。そんなのは将来につながらないということは誰だってわかっているのに、変えられない。

そこでの新コロ。

仕方ない、誰かのせいでもない、私たちは最大限のやれることをやったんだ、というエクスキューズを与えてくれる。積極的感染させようなんて積極的な悪意は要らない。普通に観光して飲食すれば短期的に町は潤うし、感染リスクを受け入れてでも経済を回してほしいと思っている人がいる。そう思ってくれている人の多くは高齢だ。

医療スタッフ疲弊しているだろうし目の前の高齢者を助けたいのだろうけど、できないことはできないのだからあきらめる選択肢を選ばさせてほしい。患者本人に解熱鎮痛咳止めと酸素ボンベだけ渡して自主的緩和ケアでよいのでは。

フィンランドのノーガード戦術は失敗だということで修正するらしい。アメリカブラジルなども必死感染者数を減らそうとしている。この考えは結構だけど、前提としてとんでもない数の死者が出ていることに注目したい。そして死者の90%以上が高齢者なんだ。ワクチンが届き始めて平時が戻ってきたとき、かの国は経済的に強くなって復活できる。

われわれは後期高齢者生存させるために資金を使い果たして経済的に困窮する。

若者リスクを取れないことで経済成長が止まっている、という批判がある。であるのならまさに今、リスクをとる選択をしたっていいんじゃないか?

2020-12-14

anond:20201214094153

他の人が代弁してくれたけど。スウェーデン高齢者で疾患持ちだと、マスクなしで介護するという記事を読んだのだわ。そして、感染されるがままにして、コロナへの治療はしない。その後は、モルヒネ緩和ケアに移行だそうだ。

2020-11-11

一日一生

先日、嫁さんの友人のお見舞いに出かけた。

癌で緩和ケア病棟にいるそうで、意識はないとの事だった。

半年程前までは近況を電話で話をしていたそうな。

その当時から塩梅は良くない様で、昨年末から急に容態が悪くなったらしい。

その友人も嫁さんも色々と気を使ってのことだとは思ったのだが、会うことも無く日々に忙殺され時間が過ぎて行った。

不運なことに、日々に忙殺されるのはいとも容易い。

ひょんな話からその状況を聞き、『友達なら会いに行った方が良い』と進言をして家族ともども出向いた。

病に伏す友の姿を見ると、遅かろうが早かろうが『元気なときに会っていれば』と悔やむ。時として良くないイメージが先行して会う事すらも躊躇してしまいがちだ。

そういった感情は避けては通れないのかもしれない。

何よりもそういう経験が俺にはあったので流される日常忙殺され、遅きに転じてしまう事を避けるべきだと考えた。

こちらは乳飲み子を抱えているため、病室に入ったのは嫁さんだけだった。

友人と嫁さんが何を交わしたかまでは知る由は無い。

一日一生。

一日を一生と思い、出来るだけ後悔が無いように。

出迎えてくれたご主人と小さな子供二人に掛ける気の利いた言葉を見つけ出すことが出来なかった。

俺にはまた忙しい日常が始まるのだ。

2020-11-06

肺癌になった緩和ケア医の話を読んで

自分は違うけどちょっと似たような状況ではあるのでかなり感情移入して読んでしまった

といっても、家族がいない独身から考えようによっては気楽だ

さっさと人生を終わらせたい気もするが、痛いのは嫌だ

なんでプログラミングとか他人とか馬鹿げたもの時間をかけてしまったんだろうと思うようになった

もっと自己満足時間を使うべきだった

そういう意味では失敗したとも思うが、人生すべて消去法で選んできた自分に後悔はあまりない

代ゼミ金ピカ先生気持ちが良く分かる

2020-10-31

友人の容体が悪くなった。それでも俺は何もできない。

がんで闘病中の友人の容体が悪くなった。

退院を繰り返しながら投薬治療を数年やっていて、ようやく効果が出てきたという報告を受けた矢先だった。

効果が出ているんなら良くなってくるんだろうと思っていたら、奥さんから突然呼吸困難に陥って緊急搬送され危ない状態だと聞かされた。

先日、山を越えて緩和ケア病棟にいるらしい。

気心の知れた友人にもかかわらず「大丈夫なん?」みたいなメールしか打てなかった。

返答はまだ無い。

このコロナ禍で病院は面会にも入れない。

マジで中国死ね

2020-10-11

anond:20201011124520

というか大人になっても死ぬしな

もっと生得的な個性に目が向けられていい気がする。気合いとか考え方の問題じゃ無い

ぶっちゃけ死にたくならないヤツは犯罪巻き込まれ病気緩和ケア無意味状態以外で死にたくならないし

先進国の余裕なら死にたくなっちゃう人のフォローくらい出来るやろ

2020-09-28

anond:20200928084237

病気が原因の場合は、緩和ケアが失敗している、機能内科疾患による精神障害とか起こり得るから

その場合はご実家の親・兄弟姉妹祖父母とかは関係ない話になると思う

 

犯罪病気が原因じゃない場合は、ご実家の親・兄弟姉妹祖父母がどうかしているのだと思う

すべての道は毒親に通ず・・・

2020-08-31

anond:20200831151707

進行したALSでも国会議員はやれるのだからもっと緩和ケア可能病気ならそりゃできるだろう

友人が亡くなってるかもしれない

タイトルの通りだ。

友人が亡くなってるかもしれない。

この事に気がついたのは数時間前で、自分はそれを某ソシャゲ内のたまたま見たフレンド一覧のログイン時間から気がついた。

正確には友人がこの所ログインしていない事に気がつき、何かあったのだと思った。

友人のゲームコメントには一言入院中」とだけ書かれていた。


友人は2年程前に病を患ったが、闘病の後快復しており、

去年の年末はまだ完全に治ったわけではなかったがゲームイベントに一緒に赴きだらだらと遊んだしかもその後自分が体調を崩して寝込んだ。


年明けには海の向こうで何やら新型のアレが流行だしたと言う所だったが、まだそこまででもなかってので普通に開催されたバンドライブマスクをつけながら一緒に観た。

ただ直前再発したかもということはツイッター上で報告したのを確認しており、無理はするなよ的なやり取りをした覚えがある。

当日もあまり具合は良くなさそうだったが、ライブの直前まで某コラボカフェいたとか話を聞いた。

この時友人が死ぬ。なんて思うわけもなく、ずっとこのまま適当関係は続くものだと思っていた。


友人は高校同級生だ。

たまたま名簿順の前後で、クラスで唯一オタク化が進んでいたオタク同士だったので2人で話す事が多かった。ただそんなに趣味が合ったというわけではなかったので深い話などする事もなく、アニメ漫画の好きなキャラの話とか他愛もないことを話していただけだった気がする。

唯一、年明けに見に行ったバンドけがたまたま本当に2人だけの共通項で、そこから一緒に出かける関係になったんだったかな確か。


友人との関係はそんな感じで薄っぺらくて、主にメールと友人のHPmixiツイッターって感じで細々と場所を変えながらたまにやり取りを交わして続いていた。家がそこそこ近かったのもあって高校で離れてからもたまに家の近所で会ったりして。

でもお互い相手の家に入った事はない。いつも私の家の前で立ち話をしていた。私は友人の家は知らない。山を一つ超えたらあるぐらいしか知らない。打ち込んでて本当に友人だったのかな…と思う。


お互い割と口数が少ないのもあって、本当に腹を割って話したという事がないのだ。

自分は本当にコミュ障なのだが友人はコスプレをやってたりした事もあって知り合いが多そうだった。

でも近所で同級生でというと自然自分になるのかなといった感じで、利用…というと語弊があるかもしれないが丁度いい埋め合わせ相手として見ていたのかなと感じる事もなくはなかった。

自分は前述の通りコミュ障でオンにもオフにも全く知り合いがいないので、自分を気にかけてくれるありがたい存在だと思ってるので気にしていないし、寧ろ自分でいいのかなと良く思ったものだ。


長々と語ってしまったが、最初に戻る。


とりあえずツイッターで友人の安否を確認しようと思った。

友人は割とツイッターを見ている方なのだがTLにはいなかった。

慌てて前にやり取りしたDM画面から友人のトップ画面に飛んだ。

固定にはお知らせとして一月前の状況が書かれていた。

病状は悪化し、もう余命いくばくもない事、これから緩和ケアになるという事。

ツイッターアカウントは消そうと思うが消せるかわからない事などが綴られていた。

友人の呟きを辿ると入院時の呟きがずっと続いていて2週間前に止まっていた。


自分ツイ廃ではあるが、友人と繋がっている方は今は殆ど見ずに別のアカウントで下らない事を垂れ流している。

友人の報告にも何も返せず、最後の呟きにも何も言えず、ただ友人は普通に生きているのだろうと信じ切って普通に生活していたのが本当に悔しくて情けなくてどうしようもなく愚かだなと思って、ただどこにも吐き出す所がなくてここに吐き出しにきた。

凄い薄っぺら関係だったけとそれでもやっばり自分にとって数少ない大事な人だった。

もうリプも貰えないし迷惑もかけられないし会えないとか信じたくないな。

ライブイベントもいつ行く?とか話す事も頑張ってチケット取る事ないんだな。

友人は自分なんかよりも辛い環境で耐えて、真面目に生きてきたのにな。どうしてだろ。


ただの書き殴りなのでここまで読む人いないと思うけど読んでくれてたらお疲れ様でした。ドラマチックな展開とかなくてすいません。

亡くなってるかもしれない、というのは単に呟きが止まってるだけかもしれないのかが、上記の通り関係希薄なので訃報がここまで届かないのもあってわからいからです。

たまにあるツイッターの遺族からの報告も多分望み薄です。

どうにか住所調べて親御さんに話聞きに行ってもいいんだけどそれも難しそうなんですよね…だからつの日か風の便りが届くのを待つしかできない。


生きていてくれたらいいんだけどなぁ。

2020-07-29

anond:20200729173821

子宮がん検診:痛くても数分

子宮がん:のたうちまわるような生理痛ショーツからバドバと溢れ出し床がまるで殺人現場と化す勢いの大量出血自分は何を生み出しているんだと思うような血の塊がボトボト救急搬送されて癌宣告、子宮卵巣周辺組織の摘出で排尿障害、手術創部の癒着、腸閉塞の併発、癌の全身転移脱毛吐き気に苦しむ抗癌剤治療、手術ができないレベルになったら緩和ケア、ただ寝ているだけでかさむ医療費医療費を捻出する家族から送られる早く◯ねばいいのにという視線

2020-07-26

終末期がんの緩和ケア安楽死とどう違うのか

 外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。

 そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。

 はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族医師は、医療不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?

 などと昔のことを今回の騒動で思いだしたのだった。終末期医療明日はどっちだ。

終末期がんの緩和ケア安楽死とどう違うのか

 外科でできる手術は終え、転移があるので抗がん剤治療を長く続けたが、結果進行を止める術はすでになくなり、抗がん剤を入れたところで副作用がつらいだけ、という状況に至った場合抗がん剤をやめ痛みの緩和を主眼に置き、残された人生の質を向上させ静かに死んでいく選択肢を、現在すでに選ぶことが可能になっている。

 そういった経緯で基本的にはできることがなくなり、自宅で介護の後に親を看取った。がんになったことがないので全身を襲う痛みの辛さは分からないが、痛みを緩和する医療麻薬入りの貼薬では効かなくなり、その場合座薬を使うが、これを入れるのも相当に痛がる。意識も(麻薬いれてるんだから当然だが)あやふやな感じになり、これでQOLマジで上がってんのかよとも思うが、家にいること、家族が側にいることはやはり大きく違うようだ。最終的には大きく喀血し、多臓器不全で亡くなった。

 はたしてこれは安楽死とは違うのだろうか? 抗がん剤を入れ続ければ、おそらくあと数カ月の延命可能だったろう。その分の命を奪う行為であることは違いないはずだ。その選択をした本人や家族医師は、医療不作為による殺人、あるいは嘱託殺人には当たらないのだろうか?

 などと昔のことを今回の騒動で思いだしたのだった。終末期医療明日はどっちだ。

2020-07-24

スイスで安楽死の権利を得た日本人が思うこと - SWI swissinfo.ch

「本当なら生まれ育った日本死にたい。穏やかに死ぬためになぜ遠く離れたスイスまで行かなければならないのか」。終末期なら緩和ケアという選択肢があるが、自分のような患者にはそれがない。生死に関わる病気ではないがQOL生活の質)が著しく悪いー。

死ぬ権利の話日本でも進んでくれないかなあ。

2020-07-05

2日後に猫を見送った

anond:20200607214557

2日後の早朝、猫は旅立った。

5時に起きた時にはもう息をしていなかった。

猫の手足は冷たく固まっていたけれど、そっと抱きしめた細い細い身体は温かかった。

夫と二人で猫にがんばったね、お疲れさま、ありがとうと言って泣いた。

前日は猫と一緒に過ごした。

シッコをしたらペットシーツを替えて身体を拭き、数時間おきに寝返りをさせてマッサージをした。

鼻が詰まったらコットンで拭いたり、赤ちゃん用の鼻吸い器で鼻水を取った。

ごはんを食べる量が減り始めてから昔のように鼻を垂らす事が増え、薬を飲ませてもなかなか治らなかった。

猫の目は薄く開いたまま、静かにベッドに横になってゆっくり大きく呼吸をしていた。

顔をこちらに向けたり起き上がろうとしたりと意識はあった。

口をクチャクチャ動かしたらスポイトで数滴水を飲ませた。頭を支える私の腕に小さな手を乗せて満足そうな顔をして、時々ポロっと緑色の目から涙をこぼした。健気で強くて優しい猫だった。

猫に話し掛けてたくさん名前を呼んで撫でた。

夜になり、夫が猫の隣で寝ると言った。

猫の生活スペースの囲いを外し、敷き詰めていたペットシーツも全て片付けた。

19年前、猫を拾ったのは夫だ。鼻水を垂らして所々ハゲボロボロの子猫が近寄って来たのをそのまま連れて帰ったらしい。

夫は猫を飼った事はなかったけれど、猫に一目惚れだったそうだ。私が来たのは15年前だ。猫を保護して大事に育ててくれた夫には感謝しかない。

夫の膝の上や隣が猫の定位置で、いつも夫の隣で寝ていた。

猫のベッドの隣に布団を敷き、夫は猫の小さな手を握って寝た。夫の隣で寝る事が出来て猫も安心したのだろう。

私達が悲しむから、死に目は見せたくなかったのかもしれない。最期まで優しい猫だった。

亡くなった猫に手を合わせ、身体を拭いて毛がふわふわになるようにブラッシングした。

そっとベッドに寝かせた猫は穏やかに眠っているようだった。薄く開いた目もキレイに澄んでいた。今にも起きてこちらを向きそうなのに。

夫は猫に突っ伏して泣いていた。

猫が体調を崩してから、老猫介護や看取りのブログペット葬儀の事を少しずつ調べていた。

近くのペット葬儀をしているお寺に個別立会の予約をした。

棺は大きめのダンボール箱を買った。

猫は狭い所と箱が嫌いな猫らしくない猫だから、大きめで底の浅いものにした。

棺の底にペットシーツを敷いてベッドごと猫を寝かせ、ピンク色のタオルをそっと掛けた。

寒がりなのにごめんね、と言ってタオルを巻いた保冷剤を多めに入れ、断熱シートを被せた。顔を見たらどうしてもたくさん撫でて声を掛けたくなってしまう。

線香と棺に入れる花を買い、祭壇に飾る写真も用意した。

供養写真は何枚でも良いと言われたので、昔大判プリントした写真をメインにした。7歳くらいの健康的でモコモコのかわいい姿。

他にも何枚かPCスマホから探してコンビニプリントした。

スマホに変えてから写真が圧倒的に少なかった。いつでも撮れると思ってほとんど撮っていなかった。

猫の大好物の猫草も買った。ごはんだよと呼んでも来ないのに、草買って来たよーと言うと飛んで来る子だ。

6年前にごはんに見向きもしなかった時も、猫草を買って来たら大喜びでムシャムシャ食べていた。

猫草とちゅーるとお花の他に、思い出の物をいくつか棺に入れた。

夕方にお寺へ行く前も、葬儀の合間にも二人で何度も棺を覗いては猫の名前を呼んで撫でた。

亡くなったら触れないかもと思っていたけれど、とにかく愛しくて名残惜しくて、かわいい猫に触れたくなってしまう。

猫の毛の手触りを忘れたくなくて、たくさん撫でた。頬の下の毛が特に柔らかくてふわふわで大好きだった。

お坊さんは棺で眠る猫と写真を交互に見て、キレイ身体ですね、珍しい模様だと言っていた。

お経の後、小さなケースに遺髪を納め最期のお別れをした。

猫を見送り火葬が終わるまでお寺の休憩所で夫と過ごした。猫の思い出を話して時々二人で泣き、これからの事も話した。

の子は私達の大切な子で、たくさんの幸せと思い出をもらった。

火葬は辛いけれど、待っている間に次第に気持ちが穏やかになっていくから不思議だ。

よく晴れた日で、夕方でも少し蒸し暑いくらいだった。

猫と夫が出会ったのはたくさん狛犬が奉られている神社駐車場だった。

猫はなぜか大きな犬が好きで、ゴールデンレトリーバーラブラドールテレビに映るとうれしそうにじっと見ていた。

病院でも猫には無反応なのに、大きな犬が来るとキャリーの隙間から覗いて楽しんでいた。

性格も犬みたいな所があった。

猫はひょっとしたら狛犬神様の子で、神様の所に帰ったのかもしれない。

神様の所なら安心だ。甘え上手のとてもかわいい子だから、きっとみんなに好かれて幸せに過ごせるだろう。

二人でお骨を全て拾い、花柄の骨壺に納めた。お骨はとても立派だった。

腕の細い骨がしっかり残っていて、担当の人がこんなにキレイに残っているのは初めて見ましたと言っていた。

4月までは流し台に飛び乗れた、足腰の丈夫な猫だった。

白い布で包んだ骨壺を抱えひっそりと静かになった家へ帰った。

初七日を過ぎてから、小さなおりんと骨壺カバーを買った。

お寺から名前と命日や忌日の入った供養表も届いた。オプション遺影を入れてもらい、とてもかわいい供養表になった。近くに良いお寺があって良かった。

仏壇ガラス扉付きラックDIYキットをホームセンターで買って色を塗った。

四寸の骨壺カバーがぴったり納まる高さで、位牌と供養表、遺影の他に遺髪ケースとお守りの鈴や首輪毛玉を飾った。

気に入っているけど、手を合わせるといつも泣いてしまう。

毎朝仏壇ごはんと水をお供えしてお線香を焚き、二人で手を合わせる事が新しい習慣になった。

夫は必ず猫におはようと声を掛けている。

私は流し台と洗面所水飲み場の水を相変わらず毎日替えている。

お世話になった病院挨拶に行き、後日お悔やみのお花を頂いた。もう病院へ通う事もないのだろう。

猫のいない生活はとても静かだ。

そろそろ猫が起きる頃かなとふと思っても鈴の音や小さな足音は聞こえてこない。

特に実感するのは帰宅直後。ニャーニャーと急かして抱きついて来るあの子はいない。

いっぱい撫でて、かわいいねと言って名前を呼んで抱っこしたい。会えるものなら会いたい。同じ模様の猫はどこを探したって出会えない。

猫と一緒に過ごしていた毎日が当たり前ではなくなってしまった。

5月の初め頃、夜に突然猫がニャーニャー鳴いて居間で寝ている夫を起こそうとした事があった。

ニャーと呼び掛けながら片手で夫の肩を何度も掻いている。春頃から甘えた声で鳴く事が減って来ていたので、珍しいなと思った。

爆睡している夫にあきらめると、今度は私のお腹に乗ってニャーニャー言いながら片手で顎の下を撫でて来た。

猫がいつも私にする撫でろの催促で、爪を立てずに小さな手でチョイチョイと頬や顎の下を撫でる。肉球と毛が両方楽しめるとても幸せ感触

うれしくて猫をたくさん撫でた。

猫は満足するとまた夫の所へ行き、一生懸命起こしていたがやっぱり夫は起きなかった。

猫は思い出を作りたかったのかもしれない。

お別れが近い事をもっとから知っていて、少しずつ準備をしていたのだろう。

私達が気づくのが遅くて猫に辛い思いをさせてしまったのが本当に申し訳なくて、あの時こうしていたら今も一緒に居たのかなと何度も思う。1日でも元気に長生きして欲しかった。

小さい頃から家に猫がいるのが当たり前だったけれど、猫の死と直接向き合ったのはこれが初めてだった。

実家最初に来た猫とは仲が良くていつも一緒に寝ていた。ちょっと素っ気なくて「ニャ」と短く鳴く猫だった。

その猫は腫瘍が原因で13歳で亡くなった。最期は怖くて何も出来なかった事をずっと後悔している。

積極的治療緩和ケアもしなかった親を恨んだ。自分がもし世話をしたら親に何か言われるのが嫌で。とても幼稚だった。

動けなくなった猫が弱々しい声で何度も「ニャーー」と長く鳴いていたのが今でも耳に残っている。

その実家猫への思いもあって、最期まで悔いのないように看たかった。

猫がいない生活をするのは一人暮らしの時以来だ。その時も猫を保護して実家に連れて行った。

猫は欠かせない大事存在だ。見たいし触りたい。毎日一緒に過ごし、寝顔を眺めたい。

でもこの先、猫と一緒に暮らす事はないのかも。

いつか縁があったらとは思うけど、たくさんの幸せを猫からもらうほど別れが辛くなる。

今はネットニュース保護されて幸せに暮らす猫達の記事を読んで、猫ちゃんよかったねと癒されながら毎日過ごしている。

開封ごはんや猫砂やペットシーツをもう少ししたらどこかへ寄付しようと思う。

前の投稿ブクマブコメありがとうございました。猫は強く生きました。

みなさんの猫達が幸せ長生きできますように。

2020-04-28

手詰まりになりたがる人たち

たまにいるんだよ。何か困ってることがある。

で、どういうわけか目の前にある80%くらいで解決する手段じゃなくて20%くらいの手段ばかり選んでひたすら耐えたがる人。

本人たちはその20%こそが確実な手段だと思い込んでる。

そしてひたすら20%の手段を手を替え品を替え選び続けてまたあった80%のものすら選べないくらいに事態悪化する、そして激しく後悔する。

例えば何か病気になる。

医者に行くのが1番確実だ。けどそういう人たちはやれ自然療法だ、なんとかマッサージだ、スピリチュアルだとそういうのばかり選びたがって重症化する。

スティーブジョブスもそうだったようだ。手術すれば助かる幸運ミスミ放棄して死んでしまった。

なんでなんだ?

もう助からいから死を受け入れて緩和ケアをしてQOLを確保したい、とかではない。わざわざ借金まみれになってがんじがらめになる感じにわざわざなりに行きたがる(けど自分は最善の努力をしてると思い込んで誰のアドバイスも聞き入れない)人の頭の中身が知りたい

2020-03-14

anond:20200314222625

というか治らない状態なら緩和ケアあきらめる)ってモードに移行しないのけ?

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