はてなキーワード: 為政者とは
道徳というのは、為政者にろくでもない利用をされてきた歴史があるのでみんな忌避感を持っているよね
日本の一般的な先祖崇拝・土地信仰において、教典があればよかったなと思うのは、『生かされている』という考え方
都市化が進み自然から遠ざかった今、60歳〜100歳の人たちと触れ合う機会が少なかった、
政治的意図のない『生かされている』という考え方がしっかり浸透すれば、自分さえ良ければ良いの振る舞いは減ると思うんですけどね
でも、自然が周りになく都市化がすすんでるし、グローバル化が進んでるので、教典なしには無理だね
じゃあ今から作りまーすでも、碌なことにはならないでしょうね
大阪府警・元巡査長水内貴士被告 西川出身女性殺害事件は、上記記事の読み通りの報道です。前者に当たる「警察の不祥事」を「警察官の身勝手な犯行」として報道しています。
そしてこの報道を見て注目したいことは、「出会い悪」、「浮気悪」の常識を明治以降、長い時間をかけて敷設してきた支配者層の目論みを達成していると言ってよい事象です。
たかだか浮気することが、社会的制裁になり、家庭崩壊になることが当たり前であるという、洗脳を大衆に対して敷設した、世の中にしてしまったのです。(これは完成しきっていて現代では次の段階に入っています。後述)
それら敷設された常識の逸脱を恐れ、「殺人」をする人まで出てくる時代なのです。
皆が人類の生物としての根源を忘れ、一斉に支配者層にとって都合のよい思考を取ることで、皆で同じ方向を向いて自爆している状態です。
この事件が本当の事件かわかりませんが、支配者は、人民支配する為に、このような世の中を目論み、具現化されたような事件です。 これが自然発生的に起きたのなら、支配者層は安泰でしょう。
大衆を従順にさせ、自分の為に動かせる為の道具(メディア)なのです。
そもそも、「浮気=悪」という概念を持つことによって、いったい誰が得するのでしょう?
よく、テレビでは男性の浮気に困っている女性が出てきたり、「浮気=最低の男」という常識の敷設が盛んにされています。昨日もロンドンハーツでナンパに対して、ひたすら無視するのが普通で、下画像のような対応をしたら、最低の女のような番組編成がされていました。2015年09月29日(Tue)21時12分51秒
ナンパに対して、ガン無視して、ひたすら出会いを絶つのを「良し」として、相手に思いやりの気持ちを持って接し、相手を悪い人であると頭から決め付けずに、まずは受け入れる上記画像の芸人のような人を「悪」とする常識の敷設したいようですが、この方の方が前者より人間的であり、魅力がある人物であるのは言うまでもありません。
・<靖国神社>「みたままつり」で露店ダメ ナンパ横行で ~7月13~16日、靖国神社又はその周辺で見られたらまずいことが行われるのですか?
実はナンパ悪の概念は、「高槻市中学生殺害容疑者の山田浩二」でも出てきました。
・<高槻中1遺体遺棄事件>悲鳴や大声確認されず、言葉巧みに誘う ~容疑者を「内向的なロリコン」から「ナンパ師」と言う設定に変えるようです。
人間として魅力がある方を「悪」とする常識の敷設が盛んにされている「良心いじめ」のようなテレビ番組が、多々見受けられます。
つまり、報道のみならず、バラエティー番組も、常識の敷設をするために利用されているのです。
タレントや芸人は気付かずに、社会の空気を読み振舞うことによって利用されています。
しかし、そもそも「結婚 = 一夫一婦制」(以下、結婚)という制度があって初めて「浮気」という概念が出てくるわけですから、「結婚」とは何かを考えなくてはいけません。
「結婚」とは支配者が、大衆のみならず、手先(為政者など)を縛り付け、コントロールする制度に他なりません。
そしてその始まりは、明治31年、一夫一婦制が民法で制定されてからです。
つまり、一夫一婦制は、1898年から現在までたった、117年の歴史しかありません。
一夫一婦制とは、NWOの為、支配者層が大衆支配しやすいように決めたことにすぎません。それは聖書が巧みに大衆を支配する為に機能しているという事実が、明治より遥か前の時代から欧州で行われています。
・監視社会を敷設しようとしている支配者層の手先と、皆様へ ~我々の幸福と関係のない「常識の書き換え」を認識しなければいけない
「結婚」しようがしまいが、一緒にいる人はいるし、いない人はいないわけで、自由で良いはずです。
一昔前は、大衆を縛るために「結婚していないとおかしい」という世の中にされていましたが、今はその段階は終わりNWOの最終段階の「貧窮化」に入りましたので、今後は「結婚悪」が煽られ、同性愛(少子推進)、独身賛美(個人所得の減少)を重宝がる世の中にされるでしょう。
浮気の話に戻りますと、この手の話をすると、私が男であることから、「お前が浮気したいから正当化したいだけだろ」という人が必ずいますが、浮気に執着することで損をすることは男女関係ありません。
それを考慮した上で、話を分かりやすくするために、「浮気は、男がするもの」という常識に乗っかって、話を進めますと、
男性の浮気が女性を苦しめているのではなく「浮気=悪」という「概・念・が・」女性を苦しめていることに気付けないでしょうか?
「浮気=有無いわず悪」という概念とは、誰も得しない共倒れの概念です。
生まれた時から、「浮気=悪いこと」であるという常識の敷設がされているので、それはいけない事だと、みんながお・も・わ・さ・れ・て・い・る・だけです。
「虫=気持ち悪い」という「反射」と同じことです。
これも団結を恐れ、疑心暗鬼を作り出したい「支配者層都合の常識の書き換え」なのです。
この「浮気」と言う概念も、児童ポルノと同じくらい曖昧な概念であり、そこに執着することは、際限なく非建設的な行為であることに気付く人が増えれば、もっと自分の人生・時間を有意義に使えることでしょう。
他者にどうのこうの言う・思う時間を、自分のために使いましょう。
それが今年の夏に言った
「己の幸福追求(高次私欲)」ただそれだけでいいのです。
ということです。 ↓
・<2015年夏>さゆふらっとまうんど支援者の皆様へ 残暑見舞い申し上げます。 ~ 一般大衆傀儡の「勲章」より
そして、浮気と言う概念に執着することは、「他力本願」に他なりません。 ↓
あなたは神を目指すべきです。
これは、己の幸福追求と同じことです。
いいや、「戦争反対!」のやつらは、あれは戦争を"理解した"やつらなんだよ。
"戦争とは、悪しき為政者が民衆を騙してやる行為なので、全民衆が戦争に反対すれば為政者に戦争はできません"という理解が広まってるから。
だから、戦争反対で戦争が止まる、と信じてその通りにしている。それ以外の対処を戦争肯定で非合理と断じる。
"テロリストの背景や欲求に配慮したら、テロリズムは増える"という理解が広まっているので。
だからその通りにしようと言ってる。それ以外の対処をテロを利する非合理と断じる。
理解して対処することをマスコミで報道したり政治家が表明するべきか?
専門的独裁的にやるべきか、大衆的民主的にやるべきかが争点になっている。
お前の言うようなことは、どっちみちやる。
俺らがその内容を知るべきかどうかの話。
周囲の人間もいつ裏切るか分からない様な状態にずっといたらああなるのも無理ないのかなって感じる
ていうかああいう為政者を生み出してしまうロシアの体質そのものに問題があると思う
以前のプーチンって柔道やってる姿を見せたり雪の中をわざと進んだりとか、やたらと「男性的な強さ」「男らしさ」をアピールしまくってたけど
あれもロシア国民の中にある弱者男性に対する強烈な忌避感故の行動なんだろうなって思う
民主主義国家の弱者男性でさえ生きづらいのに、独裁国家の弱者男性なんてどんな目にあってるか想像に難くない
なんか最近世界的に起きてる問題は弱者男性の問題そのものの様に感じてきた
アメリカのジョーカーとかQアノンとか日本のネトウヨ界隈とかああいうのって社会から無視っていうか馬鹿にされてきた人達が、ネットを手に入れて集まった結果なのかなって思う
社会には負け組の方が多いんだから大手を振って外を歩ける人達だけじゃなくて、もっとああいう人達に対する支援が必要なんじゃないかな
誰からも無視とか馬鹿にされて放置されたら絶望して誰かを攻撃することで少しでも自我を保とうとするのは、当然褒められたことじゃないけどある程度仕方がない事だと思う
そんな彼らを更に馬鹿にするのは無理もないけど、そういう状態になるまで救いを与えなかった社会にも問題があると思う
ていうか今の弱者男性の悲惨な所って、弱者男性が社会や世間に対して抱いている不満を、為政者とかインフルエンサーに上手く利用されて彼らの権力維持や金儲けに利用されている所だよね
これが本当に最悪の構造だと思う
見せかけの愛国心とか虚栄心を与えられて鉄砲玉にされて搾取されて、ああいう連中のせいで今の弱者男性はただの被害者から加害者にされつつある
本当の幸せって絶対にあんなくだらない陰謀論とかデマを垂れ流すクソ共を擁護する先には無いでしょ
あれ続けてても社会の勝ち組の人達が結婚相手と子供連れてキャッキャウフフしてる姿とか、贅沢な暮らしして人生満喫してる姿には絶対にたどり着けないでしょ
今のネットにはそういう弱者男性を更に悲惨な状態まで引きずり込むノイズが多過ぎる、特にSNSとかまとめサイトはもう蠱毒でしょあれ
ああいうの見てる時間を仕事とか人や自分を傷つけないまともな趣味とか現実の人間関係作るとか支援してくれる所探すとか役所行くとか、現状から抜け出す方法に向けたほうが絶対に人生に良いことある
「助けてほしい」「教えて欲しい」「今とても困ってる」「話を聞いてくれないか」「人は助け合いだよね」「旅は人情世は情けというじゃないか、少し親切してほしいんだけどいいかな」
そう言われて愛想笑いで付き合ったら、
「若い女の子と話せて嬉しかった」「若い美人さんと話せて楽しかった」「こんな素敵な人とまたお話ししたい」「彼氏はいないの?自分も彼女いないよ」「彼氏を作ろうと思わないの?彼氏がいる方が楽しくない?」「いつからいないの?」「こう見えて良い男だからいつでも連絡して」「電話しても良い?番号聞いて良いかな」「今度は一緒にご飯に行こう、奢るよ(サイゼ)」「もし俺が素敵な奥さんと結婚したら遺産が残せるよ」「どんな服が好き?それ着ていこうかな」「こんな真面目で素敵なお嬢さんならどんな男も結婚したいだろうねえ」
などと結局言われたわけ。
やっぱりか。お前もか。
少しの人助けのつもりなのに、どんどんセクハラみたいなことも言われる
こんなに長々と話しかけられて何時間もずっと絡まれるのは、向こうがただ「女と話せて舞い上がって、もっと話したいし仲良くなりたい性欲を抑えきれなくなったから」なんだなってどんどん気分が悪くなる
こういうおじさんがどこにいてもやたら現れる
趣味や仕事に真剣になってても若い女だけが邪魔されて公共の場を使えなくなる
こんなことが何回もある
ボウリング1人で練習したくても知らないおじさんが話しかけてきていらないコーチングし始める。多分私の方があなたより上手いよ。もしコーチが欲しければ自分で雇ったり上手い人に頼んだりしてる。
今日はカフェで仕事がしたいなと思って外に出ても、知らない人に邪魔されて仕事にならない
誰も友達を誘わずにわざわざ1人でカフェに来てるのは、仕事に集中したいからなのに。1人でカフェに来て、話しかけられて集中できないことがあるなんてまさか思わないよね
困ってる人を時々助けるのは構わない。
でも男の人はこんな目に遭わないんだよね?
女の人だけが「何故か」困ってて助けを求める人に高頻度で遭遇して「何故か」いつも話しかけられる。
このおじさんはいくら口では男でも女でも話しかけちゃうと言ってても、結局、女の方が捕まる時間は長いし、女の方が話しかけられる頻度は多いし、ただ女と話したいだけで女を口説きたいだけじゃん、性欲で周りが見えなくて、他人の都合より自分の欲を優先させてる人じゃん
本当に困ってて本当に助けを必要としてるだけの人のためになら仕事の手を少し止める気はある
こんなこと繰り返されると、そういう人を助けられなくなるよね。
こういうことを言うとたまに「それだと男性は女性とは仲良くなれないじゃん」「男は2度と女に話しかけるなってこと?」「困ってる人を助けることもしない冷たい社会になる」「本当に困ってる男性がいたらあなたは見捨てることになるんですよ」
別に男の人がみんなそうだと思わないし、話しかけること全てが悪なのでもない。これが男性とのスタンダードな付き合い方だとは思わない。
でも「女性として生きてたら、男性とはそういう生き物なのだから、こういうことが起こるのは当たり前」だとも思わない。
とにかく1人でいる女におじさんは話しかけるな、男性に助けを求めない人を女性が助ける必要はない、というのも何か違う。
それはあくまで今の日本社会で女性が迷惑を被らない為にできるベターな対処療法であり、応急処置的手段であり、集団防衛であり、今はそういうやり方で気をつけるしかないこともあるけど、
それが最終形ではない、と思う。
例えばアメリカにいた時はとても楽だった。
エレベーターでもバスでも列でもどこでも知らない人から普通に話しかけられるけど、女だけじゃなく男にもおじいさんやおじさんにも話しかけてる。
本当に助けを求めてる人や世間話をしたいだけの人が男女問わず短時間話しかけてるのが殆ど。
性教育が充実してるからかセクハラされないし、マイクロな女性差別にもすぐに気づいてすぐに怒ってくれる。
仕事でも職業でも勉学でも差別に気づくと、どんなに小さな差別でも、まだ言語化できない些細なもやもやした気持ちでも、「何故モヤモヤするか、それは差別だからよ」と、すぐに大きく対応してリカバリ・改革してもらえる。
お気に入りの女生徒・女子職員にだけ距離を詰めたり変なサービスやえこひいきをしてくる上の人がいない(多分すぐ辞めさせられるんだと思う)。
差別的なことを言う男の人がいると、日本みたいにその場では丸く収めて、後で小声で文句言う人もいない。男性も女性もすぐその場で立ち上がって怒鳴って怒り始めてくれる。当たり前のことを当たり前にしてくれる。
「私は少しくらい差別されても嫌じゃないよ」「気にしすぎじゃない?ネタだしジョークなんだから流しなよ」「自分でネタにできるくらいにならないと」
などと、クソなbullshitを言ってくる人もいない。
リスペクトしてくれて、女性に対して無理に距離を詰めようとしない。
「君が友達でいたい時は、僕は最高の友達になるし、僕は君の意思を常に尊重する。仮に君に振られても僕の態度はずっと変わらない。恋愛として女性としての前に、君のことが人間として好きだし、僕たちは人間同士、何があっても友人同士として、素晴らしい関係を築けると考えている。僕は君をリスペクトする」
という考えがあることが伝わってくるし、そういうことをきちんと説明もしてもらえる。
ちゃんと言葉で気持ちや考えを言語化して正直に伝えようと努力してもらえる。だから「助けを求めてるふりしてるけど内心は女と話したいだけ」みたいなことをされない。
無理強いしたり、女を「女」「性対象」として見て、無理やり女と話して女に話しかけた数をカウントして自分に自信をつけようとしたりしてこない。失礼なことやセクハラをしてこない。
うっかり家に連れ込んでうっかり触ろうとされるようなことは絶対ないのだと、疑って生きなくていいのがとってもラク。まだまだアメリカ社会にも女性差別はあるけどね。
相手からの信頼や相手の意思を大切にしてくれていて、信用されるために、紳士的な男性たちが必ず女性の前では両手を挙げてくれる。
武器を持ってないし、君はすぐ逃げれるし、君を卑劣な手段で追い詰めたり、無理強いしたり、見えづらい方法でプレッシャーをかけて僕の望むような方向に誘導したりしない。僕はまず君の意思を尊重したいから。
こういう態度を常に心がけていてくれる。
もし君が僕を信じられないのだとしたら、それは君ではなく、安全を保証して見せれなかった僕が悪い。Noを言える女性が好きだし、それが1番大切なことだ。僕の顔色を伺ったり、僕の気を悪くさせることは考えずに、自分の気持ちを話してNoと言ってほしい。と言ってくれる。
アメリカでの生活は、生まれて初めて男性に対して必要以上に警戒しなくてよくなった素晴らしい生活だった。
差別的な声かけやキャットコールには女性も男性もみんなでNoと言うのが当たり前、Noと言われて逆ギレなんて有り得ないフェアな環境だから、
おじさんに話しかけられることの不快感はそんなない。ある種ナンパされても、不快なナンパをされないし、不快にはならない。
そんな世界が100年後や150年後に日本にも訪れてたら、普通に男性が女性に道端で話しかけても嫌な顔をされない日が達成されることもあるかもしれない。
逃げ回る野鳥が、手に止まる日が来るかもしれない。
人に近づかない野鳥が、人の肩で囀る日がくるかもしれない。
日本の女性差別はひどすぎて、正しく女性差別をしないことの意味を理解してる人はあんまりいない。
フェミニズムは、「女性だけは自分たちが差別に反対して声を上げるんだから他の差別にも声をあげる義務が他の人より特別大きくある」だとか、「差別を優しい猫撫で声で訴えること」「女性が積極的に男性に対等に話しかけること」だと勘違いしてる人までいる。
社会全体の教育と就業と昇任や司法や経済的評価における格差の是正、自尊心や人権や差別の性教育と、女性の身体的精神的な安全性を高めるための警察と福祉、
差別がないよと口では言っているのにお金は渡さなかったら、とんでもない裏切りだよね。
社会は、今はもう安全で素敵なところだと女性たちに信じてもらえるように、差別がない誠実な社会だと信用してもらえるように、もっと頑張らないといけない。
社会は、今はもうジェンダーロールはないよ、誰もそんな偏見を許さないよ、女性が従的な立場になることはないよと、アピールしないといけない。
全ての人は生まれながらにして対等で平等な人間だから女性と男性には、多少の生理機能の違いしかないよ、本当にそういう社会になったよと、間違いを沢山侵してきたけど、女性に許してもらえるように、女性に信用してもらえるように頑張らないといけない。
社会が女性に差別のない安全な世界であることを証明し続けるしかない。社会が女性に信用の貯金をどれだけ貯め続けて、信用をどれだけ獲得できるか。信用は失ったら簡単に戻らない。
そういうことなんだと思う。
少しずつ繰り返すしかないのかもしれない。
少しオタクっぽいような人と話すと、2chから生まれたようなレイシストやセクシスト文化が流行っててそれっぽい雰囲気がある。差別的なジョークやネタが普通にまかりとおっている。誰もそれにNoを言わない、どころかお前も笑えよ、ネタだろ冗談だろ、空気壊すなよと同調圧力をかけている。
ツイフェミとおそらく侮蔑的な蔑称で呼ばれる人たちがいて、オタクはなぜかその人たちを馬鹿にしているが、フェミニズムの話をすると彼らはあんまりフェミニズムに詳しくない人が多くて、ツイフェミと言う割には彼女たちが何を言っているかはよくわかってないぽい。
いわゆるひろゆきしぐさというか、「相手の言葉をいかに理解できるか、読解力に基づく、相手の意見をより深く理解する目的の話し合い」ではなく、「読解力がないこと、無能を武器化することで、無理やり相手に議論を諦めさせて勝手に勝ちを名乗る、相手の意見を理解することに目的がなく、議論ができないことを論破と呼ぶネットミーム」のメンタリティが伺える。
実際の性差別事件も多いし、ネットでそれに反論することすら許されないのだとしたら?
性教育や人権教育のあまりの乏しさに、そして性教育を執拗に潰してきた、それを絶対に行おうとしない為政者に、議論のできなさに、為政者を疑わない従順で大人しい国民が育ってることにがっかりする。
女性差別とは別に、障害者差別や、ルッキズムがあること、ソーシャルトレーニングが乏しいことで苦しむ精神障害当事者がたくさんいる。
社会には本当にたくさんの問題があるけどそれもそのうちの一つ。
パパ活してるタイプの女の人と話すと、真面目で昼職してる女に見えるからか、「私たちみたいな人はあなたみたいな女性からしたら、軽いと思われてるかもしれない、男にだらしなくて見下されてるかも」という気構えのようなものも時々感じる。
今の日本だと、「環境に適応するなら」それが1番正しい、正解だよねって思ってる。
若い女にだけ助けを求めてる人を助けて、暇なおじさんの無料キャバクラになっておじさんの性欲と自尊心の満足のために仕事の手を止めて時間を浪費することばかりだし、機会損失にお金払ってほしい気持ちになるのは正解だと思う。じゃないと搾取される。
男に対して差別的なのもそう、それは全然差別じゃない。元々の社会がフェアじゃなくて女性差別的だから、搾取されることから逃れるためになら最も賢い方法だと思う。
社会の傷は深いなあと思う。
私は、リアルでは憚られる不謹慎ネタをつい考えるのが癖となっており、そのたびに興奮して考えが止まらなくなる。
また、大きな事件が起きると、もっとひどくなれ、もっと起きろ、と思ってしまう。
本来こういった不謹慎ネタや事件には眉をひそめるべきであり、決して面白いと思ってはいけないものだ。
その気持ちがあり、外に出すにしても、なんJとかニュー速みたいなところで出すべきであってリアルで出してはいけないものだ。
が、私はそれを抑えられず同世代や近しい関係の人にはドン引きされ、目上の人から大目玉を食らったことが何度もある。
その詳細を書いていくが、どうしたらやめられるのだろうか。長文申し訳ないが、アドバイス求む。
もちろんそれらが行っていることは社会的に許されざることなのだが、だいたい彼らは面白いことをするから困る。
空中浮揚なんかできるわけないのにあぐらをかいてジャンプする。
特徴的なイントネーションのニュースキャスター(何言ってるかはわからないけど)。
やたらとハイテンションな歌の数々(コンギョ、金正日将軍の歌、金正日豚汁など)。
毎日のように効かなければ気が済まなくなり、スマホに入れて移動中ずっと聞いていた。
大学4年生のとき、助教がこういうのが大好きで、毎日やってもおとがめを受けるどころかそれで盛り上がれるほどだった。
(教授も笑って見逃してくれた)
しかし、大学院(他大学)で所属した研究室ではこういうのは許さない雰囲気のところだった。
少しでもこれらのネタを出すと後で呼び出されてお叱りを受けた。
実家でこれらのネタを出そうにも、母親はこういうのが嫌いでどうしようもなかった。
一応言っておくが、私はオウムや北朝鮮とは無関係であるし、そこに入りたくもないし生まれ変わっても絶対にそこで暮らしたくもない。
だってそんなところに入ったら肉体的にも精神的にも(言葉では形容できないほど)辛いからだ。
リアルの人やマスメディアはおろか、アングラ色の強いサイトですらほとんどなされない。
それどころか、そういった言説がなされると愛国心しか取り柄のない暇人日本人が押し寄せ潰されるのが常だ。
菊タブーという現実があるからこそ、皇室をおちょくりたくなる。
「ブルーギル天皇」「コピペ・裏口入学の悠仁」「あ、徳仁」「2分前に死んだ昭和天皇」「パコ様」「天皇認知症でぼけてんのう」などと。
さすがにこればかりはブラックユーモアに寛容な父親も怒らせてしまったが。
・♪うえをむ~いて あ~るこお~よ… あ、山にぶつかった
...etc
最近ニュースで報道される事件群。その中には面白いものがある。
こういう「面白い事件」が起きると、もっとエスカレートしろだとかもっと起これと思ってしまう。
私は小心者で犯罪には手を出せないが、だからこそ勇気ある方々には頑張ってもっとやってほしいと思う。
そう思った事件を列挙していく。
バイトテロをはじめとして、様々な施設に迷惑をかける様子が話題になっている。
Z世代がそれらに手を染める様子がよく見られることから、彼らは「Z戦士」と呼ばれている。
(年代ごとの正確な件数やSNSの影響についてはここでは論じない)
最近だと、金髪少年によるくら寿司醤油ペロペロ事件がとくに有名だろうか。
彼らがそういった行為に手を染めている様子を見ると、誰かにバレないかという感情が読み取れ、その緊張がたまらない。
そして行為に成功した時の笑顔を見ると、こちらもうれしくなる。
まず、「恒心教」とは、悪質な書き込みのせいで特定された少年及び彼が依頼した弁護士をおちょくる人々を指したネットミームである。
彼らは様々な行動をしており、その一部は犯罪行為を含む過激な行動に出る。
しかし、グーグルマップに実在しない施設を追加している様子には笑いをこらえられなかった。
「恒心教警視庁サティアン」「オウム真理教皇居支部道場」「オードリー春日トゥース」などを見ると誰もが吹き出すだろう。
おまけにある参議院議員がこのことを法務委員会でぶち上げた割には各省庁の担当者にはぐらかされる様子もまた見ものだ。
(おしいのは具体例の挙げ方だ。当時はるかに被害が集中していた松戸市の一軒家に言及すればより効果ある問題提起ができたはず)
警察もメンツをつぶされてご立腹だがやる気がないのか、軽犯罪で書類送検にしたらしいが。
まずおふざけと明らかにわかる予告文。
「~しますを」「~ナリ」「3時34分」「それはできるよね」「当職は弁護士だ」…などと。
また、明らかに嘘と分かる、というかそんなにあったらすぐに見つかるし搬入されるほど警備が手薄なのかといえるような爆弾の数。
そしてバカバカしいと感じながらも宝探しをする人たち。なぜか警察の爆弾処理班は呼ばれない。
インターネットユーザーもネタを理解しているのか、大喜利大会になっているのもまた一興。
(一部マジになって陰謀論を垂れ流す人もいないわけではないが)
一方で首相官邸にやられて警察が動いたり、西九州新幹線にやられて運休したりと一定の成果があるのも面白い。
(爆破時間だけが重要なのに、どうでもいい日付を関連付けて語呂合わせをしたアメリカ名門大卒のコメンテーターもいたっけ)
皇居は今までほとんどやられたことがないからね(見つかる限りでは2008年に1回のみ)。
こんなくだらないことに莫大な税金を使って会議や捜査するくらいならもっと国民の生活を支援しろよと言いたいが。
とはいえ、警察がブチギレて捜査一課を担当とし全面戦争に突入したのが非常に面白い。
上司のパワハラに耐えかねた派遣社員が勤務先に放火し数十億の被害や物流への影響(そこにある医薬品への被害など)が出た。
京王線内で放火して車内が大騒ぎに(小田急線はダサすぎる。京アニは計画側も致命傷を負ったのが問題)。
宗教の被害を受けていた勇者が、広告塔だった元総理大臣を自作の散弾銃(銘銃・安倍崩)で仇討ちを果たす。
どれも記憶に新しい。
こうなるまで苦しむ人を無視し続けた社会や為政者などの責任を鑑みると、そらそうよ、と思ってしまう。
わずかな犠牲はあれど、それで社会が大きく騒ぎ、よい方向へ変わるきっかけになっているのが面白く非常にうれしく感じる。
日本は諸外国と比べ感染者数を抑え込んでいますよ的なイメージがあったが、それが崩れていくのが趣がある。
(実際は保健所が検査数を抑えていたり、日本人お得意の同調圧力でどうにかしていたそうだが)
2021年の東京パンデミックオリンピックでも、メダル数だけでなく感染者数も新記録を更新したのもすばらしい。
ちなみに私は、電車内などでノーマスクを貫いているがこの3年間全く発症しておらず、PCR検査をしてもずっと陰性だった。
東京(願わくば東京駅・新宿駅とか山手線の内側)着弾したら大騒ぎになって面白いと思ってしまう。
ちなみに、大学4年生のときの助教は「大学の建物にミサイルが刺さっていたら面白い」と語っていた。
よくわからないのでWikipediaを見るしかないが、その様子が非常に勇敢だった。
警備が厳重な成田空港に武装して突入し、警察に健闘しながら機器類を破壊したのはお見事といってよいだろう。
・家のテレビリモコンが壊れた
・つながるかどうかテストしてみた
など、不要不急の110番通報が数多くあり、警察の業務が妨害されているのが面白い。
(3番目だと、岩倉市に似たような例があった。1,072回やったらしい)
普段から無能な警察なんだから(はるかぜちゃんを恫喝した神奈川県警とか)、遊んでもらった方が気晴らしにもなっていいだろう。
ここまで書くと、私も何かしてみたくなる。
犯罪行為はできないが、国や社会をおちょくれることをしてみたい。
そこで思いついたのは、天皇が死んだ日にカラオケをすることだ。
昭和天皇が死んだとき、国からの要請よりも国民が進んで自粛したそうだ。
平成天皇はそれを懸念して生前退位としたようだが、それでも自粛と自粛警察の出現は少なからずや起こるだろう。
何らかの事情で令和天皇が死んだらもっとすごいことになるだろう。
「なんてことだ、もう助からないゾ♡」
と答え、死んだら、
「生前退位したにしても、昭和天皇の時みたいに自粛でデレマス・シャニマスのライブが中止になりそうで嫌ですね」
と答えたい。
すでにセトリの一部も決めてある。
・なんどでも笑おう
・S(mil)ing!
・恋が咲く季節
・ステップ!
・ミツボシ☆☆★
・Happy Funny Lucky
・ありったけの輝きで
・ハナマルバッジ
・FELICE
(余談だが、作曲者が逮捕された件、悪いのは本人であり曲ではない。だからライブ演奏やストリーミングまで自粛しなくてもいいのに…)
・Let's get a chance
・ダブル・イフェクト
・HAPPY PARTY TRAIN
あとは、地下鉄サリン事件の日、黙祷中に霞ヶ関駅のホームで尊師マーチを歌って踊りたい。
たくさんの応援をいただきありがとうございます。返信は以下にまとめておきます。
人口:約970万人(2021)
②4人産んだら所得税0円
⑥子供3人以上で車購入補助
1.23(2011)→1.56(2020)
ハンガリー:新法 トランスジェンダーの権利を否定 : アムネスティ日本 AMNESTY https://www.amnesty.or.jp/news/2020/0602_8789.html @amnesty_or_jpより
ハンガリー、移民支援を罰則化する法案を可決 - BBCニュース
https://www.bbc.com/japanese/44558008.amp
・やっぱ金をばら撒けば少子化はある程度食い止められそう。でもハンガリーの人口推移を更に細かく見ると2016(1.53)→2020(1.56)の期間では殆ど増えておらず頭打ち感がある。正直ここまでやっても2.0以上を目指すのはかなり厳しそう。
わかる。
こいつは勝手に「単なる個人の感想を逸脱して表現の不適切性に結びつけられると俺が不快だからやめろ」と言ってるにすぎないし。
そもそも男性にとって共感的で有利な規制であれば科学的根拠など待たずにすぐに可決するだろう。
ダブスタと矛盾に満ちていてネットのオタクの謎の声明はたまに読んであげるけど聞くに値しないことがよくわかる
こいつの言い分のほとんどは、特に理由もなく自分はそう思うからにすぎないんだよな(しかも浅い)
公共空間は不特定多数が利用するからこそ、特定個人の主観に頼るのではなく、何がどのような悪影響を及ぼすかを客観的、実証〜〜空間のポリシーを設ける本来の手続きであるように思う。
前にも言ったが男性にとって共感的で有利な規制であれば科学的根拠など待たずにすぐに可決するだろう(バイアグラにしろ窃盗にしろ)科学的根拠による完璧な立証を伴う規制よりも、科学的根拠によらなかった立法を数えた方がずっと多いだろう。個人のお気持ちや不快感による表現規制を問題視するならまず名誉毀損や侮辱罪に科学的根拠がどの程度あるかを考えるところから始めるといい。結局「俺が共感できたか、俺の身に影響が降りかかったか」というこいつの感想と共感の問題でしかない。それに法は常に科学的根拠を要するとは考えていない。常に科学的根拠に依ることは科学の性質上それはそれで危険だとしているからだ。そもそも憲法上の表現の自由の趣旨とは民主主義に参加するための自由であり、為政者や権力者に対する批判や政治意見交換の場の確保などを本来想定している。つまり上記の全てはこいつの妄想と感想の話なのである。
彼は自分が世間知らずで頭が悪いということを理解する知性に欠けているのだ。
科学的な根拠や研究の蓄積とは、しかもこいつら素人が考えるようなものではない。仮に経験則で多くの人がおよそ真だと推測できたものだとしても100%認められる科学的根拠があると言うためには多くの時間と研究とお金を要する。つまりその考え方とは、犠牲を厭わず、救済を完全に放棄するものなのだ。
いやらしい言い方をしてしまうと彼の話は完全に"お気持ち"のみに依拠しての妄想的発言であり、また通常の成人が本来有しているべき常識や洞察や知識が欠落した故のものである。
彼がその後も長文で長々と持論を述べているが、その全てが上記のように根拠なく彼のお気持ちに忖度するように求め、彼の不快感に配慮することを求め、彼の中の独自的な正義感という感情を満たしてくれることを社会に一方的に求めるという、1から100までお気持ちベースの内容であり、恐ろしいことに彼はダブスタや矛盾や妄想という言葉の意味を理解できていないのである。
【梨泰院事故】この事故を「自己責任」で片づける日本人は、民主主義を本当の意味で理解しているのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9919573a1ede3a40bf26cebcdd9e6104b8a692f?page=1
何かが起こった時に、日本人が「大きいもの」ーー例えば、会社、自治体、国、政治の責任に思い至らないのは、基本的人権を擁する自由と民主主義の社会よりも、鎌倉時代から江戸時代に連なる封建主義社会の、つまり支配者にたいする臣下とか小作農の(つまり上下関係の)精神性です。臣下や小作農にあるのは権利ではなく、お上から求められる奉公と忠誠、そして押し付けられるままに支払う年貢のみ。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が描くのがまさにこの体制が確立した時代で、自分にたて突く御家人を次々排除する北条義時(小栗旬)を見ても、それがまったくもって民主主義でないことがわかります。義時が守っているのは、御家人(=国民)でなく、国体=つまり国の体制だからです。
本当にこの通りで、日本人はいまだに鎌倉時代レベルの精神性にとどまっている。
国社会が本当に民主主義的かどうかはさておき、少なくとも韓国人は「国民」が政治の「主体」であることーーつまり「民主主義」を理解しています。かたや日本では、政治や社会に対する誰かの怒りの声を、同じ国民が「自己責任だろ」とつぶしています。為政者にしたらこれほど都合のいい、チョロい国はありません。
為政者は両方(全部)やらないといけないんだよ