はてなキーワード: 役者とは
他称による賞賛としての「アイドル」ではなく、職業としての「アイドル」だ。
とはいっても、冷静に曲を聴くと「わりとちゃんといい曲だなあ」と思ったりする。
基本的に派手なショー的なものは好きなので、ライブも行ったら面白いのかもしれないと思う。
でも、好きじゃない。
何がこんなに嫌なんだろうなと思うんだが、
なんというか、思い出すのは、その昔バラエティでやってた「ポケビ」と「ブラビ」である。
バラエティ番組の中で、彼らはときにライバルとして競わされ、ときに意味の分からない像を手売りさせられ、
「これに負けたら解散」「これができなきゃCD出させない」と散々に追い詰められていた。
当時子どもだった私は追い詰められる千秋やビビアンを心から気の毒に思っていたし、番組のゆくえにハラハラした。
そういう幾重の困難を乗り越えて出された曲も覚えて何度も口ずさんだ。
けど、不意に気がついた。
こんなの全部うそっぱちだな、と。
くだらない試合だの課題だの、それができなければこの世の終わりみたいに演出されてるけど、
そんなの全部番組のさじ加減一つだ。
彼ら彼女らはすごく一生懸命がんばっている(ように描かれている)けど、
そのがんばりは、言ってみれば、誰かがつくった回し車を一生懸命回しているだけだ。
あれだけボロボロになって涙を流してがんばってるのに、その努力の方向は「私たちはこんなにたくさん回し車を回せました!」なのだ。
そんなの見ていられない、と思った。
歌いたいなら歌えばいいのに、なんでそれじゃだめなのだ。
(ASAYANが同じことをしてモー娘を売り出していたが、それは見てなかったのでよく知らない)
今となってはあそこまで露骨にリアリティショーめいた見せ方をするアイドルも少ないだろうが、
結局、今もアイドルというものの売り方はそう変わっていないんじゃないか、と思う。
彼らは、基本的に、その狭い枠のルールの中で競い、勝ち取り、メディアに露出する。
そしてファンたちもまた、そのルールと規範を共有し、事情通がそれを解説したりする。
彼らがいま売り出されてるのはこうこうこういう理由なんだよ。
そういう誰かがつくった、狭い世界の中の狭いルールで競うスポーツである。
あそこで華やかにライトを浴びているのは、その、せっまい世界のスポーツの勝者というだけだ。
彼らは歌唱力やダンスなど、本来の売り物については、非・アイドルに比べ多くを求められない。
というか、グループ内での優劣は苛烈なまでに強調されグロテスクなまでに書きたてられるのに、
グループの外の人間とは、比較されることもないし同じだけの技量を求められることもない。
あたりまえだ。彼らのスポーツはグループ内でしかルールを共有されていない。
仮におなじ「アイドル」と呼ばれていたって、他のグループならば違うスポーツをしているのだ。
どこかのドラマに出たって、舞台に出たって、彼らは過剰な期待はされない。
外の人間も、「アイドル」という枠組み以上の技能がないことはある程度当然として受け止めるからだ。
けれどもなんだか釈然としない。
彼らが「アイドル」というマイナースポーツに興じているのは勝手だし、その勝者としてたたえられるのも勝手だが、
マイナースポーツの一流選手だからといって、他のジャンルでまで彼らを尊重する理由があるだろうか。
ポケビやブラビの対決に一喜一憂していたころ、私は「ウリナリ」というマイナースポーツのルールを把握して、その枠組みの中にいた。
けれど、今のアイドルたちのルールにははまれない。なんだかばかばかしいからだ。
音楽もダンスもバラエティもドラマも好きだけど、そのどの分野もきちんと優劣を競い優れた結果を残してる人たちがいる。
内輪のマイナースポーツでいちばんになることに全力を注いできた人たちに、特別用はないのである。
かんけいないけど「タイミング」は未だにいい曲だな…と思うし
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>スポーツも嫌いなのか
正直あまり興味がないので詳しく知らない。
が、別に嫌いでもない。
スポーツは各種競技、ルール制定に関して公正であろうとしてる(と、信じてる)し、
スポーツのルールは別に選手たちを遮二無二「努力」させて、その過程を見世物にしようと言う意図で作られてないからだ。
サッカーのルールに準じて得点を得ようとする行為はべつに嫌いじゃないけど、
「これから試合まで、いちばん練習時間が長かったチームに、3点を追加する」みたいなハウスルールを作ったりしたら嫌いだと思う。
現実のアイドルの有様を踏まえたうえで成り立ってるエンタメだと理解してる。
なので好きではない。
てか、このエントリを書こうと思った動機は、知人に某アイドルソシャゲを猛プッシュされ
「嫌だ、どうしても嫌だ、アイドルってだけで正直やる気なくす。でもなんでこんなに嫌なんだ」
知っている。それにもいくつか段階があって、
「アイドル枠で客寄せに出てるだけかと思ったら意外と善戦してた」
「アイドルファン向けの舞台だけど、作品として作り込まれてた」
などあって、一、二段階目はやはり「過剰な期待はされていない」し「アイドルという枠を出た実力は求められていなかった」結果だと思ってる。
三段階目にあたる人が全くいないとは言わないけど、全体としては少数、例外だと思う。
あとベテランレベルでアイドルだったこと自体忘れ去られてる人か。
ただ、そもそも私は、活躍するアイドル出身の個人を否定する気はない。
だれか個人が嫌いなわけじゃなく、現代のアイドルというシステムが好きになれないのだ。
(余談だが、蜷川氏なんてのはまさに商業的理由からアイドル起用してた人なので、反論として出されるのに疑問がある。
起用理由に関してであって、舞台上での個人の努力を疑うものではないけれど)
>曲は残る
そう思う。あと10年して、アイドルのありようとかがどうでもよくなったら、
その時はじめて、曲としてフラットに聞けるんじゃないかと思う。
アイドル以外にも聞く曲はたくさんあるので、
女に多いと思っているので女とつけた。でも男も居るのかもしれない。
その役者があるときメジャー作品で人気キャラクターを演じた。一気に人気が広がった。喜ばしい。
新しいファンは大切だ。どこからファンになっても、きっといい。
それからツイッター上で騒ぐ人が増えた。いろんな意見が見ていて楽しい。みんな、本当にその人のことが好きになったんだなと思った。
大ファンと名乗る人たち、本当に素晴らしいと絶賛する人たち。
でも、そのなかで発言力がある人(フォロワーがもとから多いとか)が、その人の主演作を見ないのだ。新作も、過去作も見ないのだ。あれ、ファンじゃなかったの?
口だけなのだろうか。そのコミュニティに居たいだけなのだろうか。
「○○は見た」とか言う人も居たが、それはファンになる前に見たらしい。なんだそれ。
そういう人はわりと平気で「○○より○○のが素晴らしい。○○より○○が良かった」と発言することも多い気がした。
ファンを名乗っているのに、そんなこと言ったらファンが反感を買うのに。
そしてちょっと話題になるような新しい役者が出てくると、乗り換えるなしに同じように騒ぐのだ。
ああ、そういう人なんだな。そして、この人だけじゃ無い。この界隈はそういう人が多いんだなと思った。「役者専業」とは役がすべてなのだから、その作品が終われば、そういうものなのかもしれない。(もちろんその役者は、新しいファンを確実に獲得した。誇らしい。)
さらっとぬめっと横をかすられながら通られた感覚だ。洗いたい。気持ち悪い。
サブカルと呼ばれる役者のファンは、そういうミーハーなファン()たちと常に戦っていかなくてはならないのだろう(冷静に)。
もうファンと名乗ることをやめてほしいよ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
演技力は前提……といいたいところだが、これも一概にはいえない。
例えば「シュワちゃん」ことアーノルド・シュワルツェネッガー。
日本人的には吹き替えの方が馴染み深いし、外国の言葉なんてピンとこないかもしれないが、お世辞にも演技はうまいとはいえなかった。
彼は世界で活躍する役者だけれど、英語はそこまで達者じゃないんだ。
例えとして適切かは知らないが、日本語を喋る留学生を思い浮かべてくれれば大体合ってる。
終戦間近の軍需化学工場に学徒動員されていた若者たちの話である。
SEALDsの代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードをカバンにつけた人もちらほら。
けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画や小説やアニメや漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。
ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。
イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすいお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。
演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。
ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。
役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。
役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。
違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手の自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由。
だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。
そんな芸術があるということも初めて知った。
T―nsSOWLの高校生が役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。
最近ってか前からだけど、アニメキャラのイメージをそのまま声優に重ねるってμ's的な手法が当たり前になってからファンの質が落ちた気がする。
昔は小原乃梨子や中尾隆聖をバーバパパやバーバママと同一化なんてしなかったろうが。
役者の側も30過ぎてアニメキャラが着ているストリッパーみたいな高校の制服なんて着て舞台に上がらないで、きちんと表現者の一人として作品語ってほしいわ
自分にとって人生が変わったってくらいのキャラクターがいても、
それを演じた声優にとっては当たり役でもなんでもない、飯を食うためのつなぎのキャラで
自分ほど思い入れがないのかもしれない、とか思うと少し寂しい気持ちになったりする。
彼らは生活の為に演じてるだけに過ぎなくて、自分の思い入れと決して一致するわけじゃないってわかってても
逆に売れてない声優だと、名前の役あるだけで、印象深いキャラクターだったりするので
自分の思い入れと一致することが多いので、そんな仕事してたっけ? みたいなことがないことが多い感じ。
役者でも似たようなことがいえるけれど。
この映画、予告時点ではコメディをにおわせているのだが、実際はとても真面目な映画だった。
確かに阿部サダヲ主演と銘打っただけあってコメディ感も強いのだが、笑うよりも泣きが強いかもしれない。
ただしコメディと騙されて見たとしても、きっと満足感を得られるだろう。良いもん観たわ~、という気にさせてくれる。
群像劇なので、気になるキャストが居たなら是非見に行けばいい。
キャスティングから、キャストの演技まで、本当に素晴らしい。ベテラン勢~今、映画界を背負ってる人たちまで。何故彼らがキャスティングされ続けてきたかよく分かる。メイン役者はほとんどが中村監督の過去代表作に出ているし、本当にいいものを作りたいと監督が願った結果だろう。
(抱腹絶倒コメディ風の予告にするなら、イケメン♂パラダイス時代劇風に予告を作っても良かったのではないか?サダヲか?サダヲが問題だったのか?このサダヲはイケメンだぞー!)
海外映画祭で上映される際についたのが「9人の侍(適当訳)」的なものだったので、そんな感じだと思って見たほうが予想は裏切られないだろう。(侍は1人しか出ない)
監督は現代劇の人なので、むしろ時代劇ファンの方からすると物足りない部分もあるのかもしれないが、時代劇を見ない人にはとてもとっつきやすくなっている。
新たな時代劇の形、と言えるのだろう。(ただし『ちかえもん』のようなのは期待しないでくれ)
冒頭からくすくすと笑いが聞こえる劇場。しかし上映終了後は、客席で立てずにすすり泣く人たちの姿が見えた。とにかく、そんな映画だ。
なんとなく想像できるだろうが、舛添こそ見るべきだ。
決して立派とは言えず、私利私欲だってあるような実在の人物たちが、自分たちを律しようと立ち上がり、今の東北を作ったという実話。
間違いなく、今年の映画賞を取るんだろうな。
するのってセーフなのかアウトなのか気になった。
同人女達が役者と遭遇して騒ぎ、この絵描いたんですってファンアートを見せ、
ツイ垢上で出演者遭遇情報をイラスト交えてレポートってのが微妙に見えた。
垢のプロフ見たら裏垢ありますってID書いてたから多分同人かじってる人達なのかな。
そういえば、先月の超会議にドラマ出演者が登壇するからお仲間連れて見に行ったそうだが、
市販菓子のパッケージデザインをドラマのファンアートに差し替えたヤツをツレに配り、
こんなの作った!とツイッターで報告し、100人以上のドラマファン(非同人ヲタも含む)がRTしていた。
「幕は上がる」はファンにはたまらないのであろうけど、傑作と呼べるものではない。事実評論家の間でも反応は鈍かったし興行も振るわなかった。
なのに傑作扱いしてるやつはファンを隠す気すらなくて本当に…もうね。
わるきゃーないけど誰もが唸るのが傑作で、これは凡作なんだよね。
あとその時の妙な鑑賞者の熱心度と様子がそっくりなのが「ちはやふる」ね。
これも原作読んでたら何が良いの?って感じだよ。画は綺麗だ。あの監督だもの。(それってカメラマンの腕じゃないのか)でもあの監督って本当に平凡作しか作れない。(そもそも綺麗にとる必要あるのか?この映画って少女漫画原作なんだから三木スイーツ監督を見習うべきでは)
原作から悪改変もしてる。キャスティングの時点で文句ありだが、それを活かせてもないキャラ変更(進撃並み)。脚本だってなんでこうしたの?という感じ。原作と照らし合わせて改変理由を問い詰めてみたいわ。理由が無い。全体的に説明不足。こんなのを傑作と呼ぶ人の神経とはいかに…。
原作の超前半部分だけで二部作って、しかもコケてんのに続編って、その金の匂いだけで鳥肌ものだけど…。
>ハートフルでハートウォーミングなのがいいんでしょ?みんな頑張ってるのが見たいんでしょ?もたいまさこがいいんでしょ?
>たぶん例に挙がった監督って、だいたい現状を肯定する話だったり、ゆるかったり、なんか切ないねみたいな日本人特有のワビサビを感じさせるのばっかでしょ。役者とか舞台は違うけど結局同じテーマしか扱ってない。まあ安心して観れるんだろうけど、完全マンネリで、テレビの2時間ドラマででもやってたらいい。
よしじゃあいっちょ、監督、代表作にあがってる「残穢」と「アヒルと鴨のコインロッカー」と「そこのみにて光輝く」「きみはいい子」でも見てこようぜ!
いや日本映画つまらんよ。だって見なくてもオチわかるし。ハートフルでハートウォーミングなのがいいんでしょ?みんな頑張ってるのが見たいんでしょ?もたいまさこがいいんでしょ?
たぶん例に挙がった監督って、だいたい現状を肯定する話だったり、ゆるかったり、なんか切ないねみたいな日本人特有のワビサビを感じさせるのばっかでしょ。役者とか舞台は違うけど結局同じテーマしか扱ってない。まあ安心して観れるんだろうけど、完全マンネリで、テレビの2時間ドラマででもやってたらいい。
あくまで俺目線の意見だけど、もっと意外性があっていいと思う。日本にどれだけの脚本家がそれだけ練った話を作れるだろうか。あと社会風刺とか絶対しないよね。何かを訴えかけるようなことは苦手な民族性からなんだろうけど。警察は正義。だから、ジョークもさぶい。ブラックジョークって最高に面白いと思うんだけど、そういうのない。テレビと違う映画の魅力って、公共の場では自重すべききわどい表現を前面に押し出せることだと常々考えているんだが、女子供年寄り向けの映画ってほんとくそつまらんと思う。
日本映画全部嫌いなわけじゃなくて、過去作だけど好きな監督・作品は、
・大森立嗣「ゲルマニウムの夜」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」
・吉田大八「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」「桐島、部活辞めるってよ」
いわゆる日本のサブカルを支える"俺ら"視点の作風がいいと思う。
なんか突っ込みどころ満載な、独特の空気があっていろいろ面白い。
俺が観た園子温は「紀子の食卓」「冷たい熱帯魚」とかだいぶ変態に傾倒していて、観客置いてけぼりでただぶっとんでりゃいいの?ってのがいまいちな印象。
塚本晋也の「鉄男 The Bullet Man」はようわからんかったが、「野火」がすごいらしいので見てみたい。
どのエンターテイメントも対象層には十分楽しめるようになってると思うんだよね
大多数VS大多数で比較すると比べようもないけど言葉として否定しやすいしにくいがあるんじゃないかと
俺も映画は好きな方なのでわりと見てると思う
ハリウッドと日本映画中心だけども中国ヨーロッパあたりのもみる
日本の映画は舞台劇っぽいところが海外映画を楽しみにしている人間からするとつまらない印象をうける
映画なのにそのわかりやすいリアクションなのとか人物中心に据えすぎなカットとか
外国の映画は風景や状況でセリフを減らしたりそうとは見えない自然な行動が
環境と反比例して異常さを見せるとかいう視聴者に連想をさせるようなところ
舞台上で主役が取り仕切らないと話が進まないという絵だとちょっと映画としては物足りない
登場人物はみんななんらかの被害者で状況や環境が主役として撮ると
画角というか外国映画にでてくる日本の風景は日本じゃないみたいとか
そういうところで趣味趣向が分かれてる気がする
人間ドラマとか舞台劇でも十分楽しめる内容のものは邦画でも威力を発揮するとおもうし
SFとか特撮みたいなのは海外の視点でないとちょっと楽しめないかな
そういう意味で新しい変態仮面は合成技術的には物足りなそうだけど
構図的には楽しめそうだなと思うんだ
舞台「刀剣乱舞」を観に行った。結論から言うと自分のせいで後半半分しか見られなかった。
12時開演なのに14時開演と勘違いし、1時間ほど見逃してしまった。会場に貼ってあるポスターの公演日程をぼーっと眺めている時に気付いた。頭が真っ白になって慌てて受付に行ったら、途中から通してくれた。
自分の勘違いでいろんな人に迷惑をかけてしまった。一緒に観に来た妹にはどんなに謝っても足りない。また、途中入場にあたって対応してくれたスタッフの人にも手間をかけさせてしまったし、何より演出の邪魔をしてしまったことと他の観劇者の邪魔をしてしまったことが申し訳ない。せっかく劇の世界に没頭していたのに、私が入ったことで一瞬でも気が逸れてしまった人がいるかもしれない。絶対いると思う。
やむを得ない事情があっての途中入場ならまだしも、自分の勝手な思い違いのせいで大勢の人に迷惑をかけてしまった。舞台上からも途中入場した人が見えるのか、と考えるといたたまれなくて情けない。同じ作品でもその場限りの、一期一会の劇になるのが舞台の醍醐味だと思う。それをほんの少しでも壊してしまったのが悔しい。自分が馬鹿すぎて泣けてくる。
今回の失敗が起こった要因は以下の3点だと思う。
1、スケジュール管理の怠り
…前日妹に公演時間を聞かれた時、チケットを確認もせず「14時からだよ」と答えていた。また、スケジュール帳を見返したら「14時」と一度書いた上から「12時」に修正されていた。4の字の上から無理やり2を書いていた。
2、雑な計画
…東京に出れば、電車もバスも5分刻みで来るから来たものに乗れば着くだろう。多分1時間前開場だからそれくらいに着けばいいだろう。荷物はどこかに預けられれば預ければいいだろう。全てをそんな風に雑に考えていた。
…今月は様々な舞台・イベントが立て込んでいて、特に忙しい時だった。その分他の予定と時間がごっちゃになり、勘違いが起こったのではないか。
言い訳がましく並べたが、一番思うのは「舞台に対する関心が低くなっていたのでは」ということだ。そんな事はないと言いたいが、「そんなに好きならどうして時間を勘違いするなど馬鹿なミスをやったのか」と言われると返す言葉がない。「そこまで好きじゃないから間違えたんじゃないの?」と言われても、私には反論する資格がないと思う。
いろんな予定が重なって、関心が分散していたことも否めない。あっちもこっちも考えているうちに、ひとつのイベントをちゃんと確認するのを怠っていたのではないか。
どうにか反論できるなら、「関心が低かった」のではなく「不誠実だった」という方が近いと言いたい。公演をとても楽しみにしていて、ちゃんと気を配っていたつもりだったのは本当だ。しかし気持ちだけでは意味がない。実際の行動を客観的に誠実・不誠実の観点から見たら、私は確実に不誠実だ。
言い訳を重ねて見苦しいと思うが、できない人も自分ではちゃんとやっているつもりなのだ。ただし「やってるつもり」の基準が他の人より低いのだと思う。だから気持ちだけで言えば、できる人と同じくらいできない人も人事を尽くしている。気持ちに見合う行動が何なのかを分かっていないから、不誠実になってしまうのだと思う
今回の失態を繰り返さないためには、
◯予定を立てる時でなく、確認する時もチケット等を見て行う。同伴者がいる場合は、一緒に見て確認する。
◯自分のことを信用しすぎない。特に自分の記憶力は信用しない。必ず調べて確認する。
ということを大事にしたい。
しかしこれらができる人なら、そもそもこんな間違いはしないはずだ。これができないから間違える。20数年生きててこんな基本的なことができない人間なのだから、おそらく私は数年後また同じようなミスをする気がする。今はこれほど悔しく思っていることでも、数年経ったらまた油断しそうだ。妙にプライドが高くてめんどくさがりだから、自分を疑うということをすぐに怠るだろう。なので忘れないように、ここに書き記しておくことにする。思っているだけよりは文字に起こした方が自分の馬鹿さと向き合えるだろう。
今回の失態で痛感したのは「注意してくれる人のありがたみ」だった。先に「できない人はできる人と気持ちは同じだが行動の基準が低い」と述べたが、これを治すには行動の基準そのものを是正しないとならない。しかし大人になると、ああしろこうしろと注意してくれる人がいなくなる。そのため自分の行動が正しくなくても、気付くことができなくなる。
私の場合は実家暮らしなので、まだ母が叱ってくれる。今回の件も説明したら大爆笑したのち具体的な改善点やこれから注意すべきことを教えてくれた。上記の反省点も母の言葉を倣った。ちゃんと叱って、教えてくれる人がいるというのはありがたいことだと思った。慰められたり笑い飛ばしてもらったりするのも良いが、注意をくれる相手を大事にしなければという当たり前のことに改めて気が付いた。綺麗事や道徳心ではなく、本当に身に沁みる。
最後に、わざわざ舞台「刀剣乱舞」の名前を出したのはこの舞台が最高の舞台だったからだ。私に感想を言う資格もないと思うが、途中からでもすぐ飲み込まれるほどの迫力と展開、役者さん達の演技や役作りの完成度に圧倒される。素晴らしい舞台だったからこそ、自分たちの思い出に水を差したことも会場の空気を少しでも乱してしまったことが腹立たしい。私ごときの途中入場に影響されるほど脆弱な作品では決してないのだが、それでもほんの少しだけでも穴を開けてしまったのは事実だと思う。自意識過剰かもしれないが、本当に悲しくて悔しい。
会場に着いたのは17時半頃。マルイ2階入口からエスカレーターで9階まで上がり、階段で11階まで登りました。
階段で登っている時は驚くほど静かでシンとしていて、本当に公演があるのか?と不安になってしまうほどでしたが、11階に着いた途端ざわざわとにぎやかな声が。
会場手前では入場を待っている人や、椅子に腰掛けてのんびり待っている人でいっぱいです。
奥に進むとトレーディング商品を購入した人達が交換をするスペースがあり、ごった返していました。
そこを通り抜けると物販フロア。ここではチケットを持っていなくても買えます。
まずは事前に買ったトレーディングブロマイドセットを引き換え。
次に物販コーナーに並びました。と言ってもまったく混んでおらず、すぐに会計へ。
在庫は売り切れなし。素晴らしいです。
パンフと個人ブロマイドをいくつか買い、持ってきたバッグにしまって開場を待ちました。
トレーディングブロマイドは何が来ても大事にしようと思っていたので交換はしませんでした。
18時になり入場開始。
ですが、18時30分までは椅子には行けず狭めなロビーで待つので、30分まで外で待機していた方が良さそうです。
今日の席は2階席3列目通路寄りです。シアター1010の2階席は初めてでした。
シアター1010の公式サイトをよく見ると分かりますが、転落防止の柵があります。
ここはなぜか上手とセンターブロックの間、センターブロックと下手の間の柵だけ高く延長されています。
2階席で通路寄りになるとこれがもれなく視界に入ります。
公演が始まるとまっっったく気になりませんでしたが。むしろ脳が柵だけ透過処理をしてくれました。
19時、公演開始です。
冒頭は本能寺炎上から。明智光秀と森蘭丸の対峙から始まります。
二人のやりとりを眺めるように宗三左文字が登場。
声にびっくり。ゲームで聞く声によく似ています。役者さんすごい。
オープニングはまさかの刀剣男士そろい踏みによる生歌でした。うわーかっこいい!!
あ、これはにやける…!と頬の内側を噛んでぷるぷる震えてしまいました。
声が!びっくりするほど声優さんに似ています。声帯コピーの技を持っています。確実に。
所作が美しく、優雅。役どころは山姥切国広のサポート兼保護者のような相方と言った感じ。
序盤で「だいに、第二部隊が…」と台詞を噛んだ三日月でしたが、初日ならではの緊張感ですね。お茶を飲み、酒を飲み、茶菓子を食べ、マイペースな三日月ですが、戦うシーンは流石の一言。とにかく麗しい。ひらひらと狩衣を捌き階段を飛び乗り、立ち回ります。
・山姥切国広
これで綺麗なんて言うななんて言う方が無理。美しい。
ボロ布を常に頭からすっぽり被ったままですが美しい。
殺陣も見事。鞘を盾のように使う戦い方に技を感じました。
初期刀で当初は近侍であったものの、過失から近侍を降りている経歴持ち。審神者からまた近侍の命を受け苦しみながら奮闘する役です。ゲームをよく勉強してこられたのか、話し方が声優さんにいました。
・宗三左文字
これまた麗しい!!佇まいが可憐で優雅。けれども殺陣は迫力満点。
2階席からでもたまに見える素足ががっしりといているのが分かります。
本能寺で悩み、苦しみながらも不動行光を支える役。
・江雪左文字
戦いは嫌いですと言いつつ敵をなぎ倒す姿は鬼神。
小夜を案じ、左文字長兄としての優しさを見せる江雪。
終始取り乱すことなく常に落ち着いた動作が印象的でしたが、仮に真剣必殺されたらみんな泣くしかないと思いました。
・小夜左文字
スーパーアクションスター小夜ちゃん。短刀を操り、足技を繰り出し、バク転します。
一番身のこなしが素早いです。観ていて楽しい小夜ちゃん。
・薬研藤四郎
宗三の相方的な立ち位置。へし切り長谷部に対し「その名前、俺は嫌いじゃないぜ」と言ったり、不動行光を気にかけたりとコミュ力高し。
・へし切長谷部
一番面白い人。馬当番をこなします。近侍に再任命された山姥切国広にジェラシーします。
紅白戦では燭台切光忠と対戦。大柄な光忠に対し、斬り合いを軽やかにこなします。
信長を守るために光秀を討とうとする不動を、背後から斬りかかろうとする姿が印象的でした。
・不動行光
本作のキーパーソン。演技の一つ一つが迫真に溢れていて素晴らしかったです。
再開した蘭丸を抱えあげてくるくる回転する不動くんは本当に本当に嬉しそう。
序盤はよたよたしていた不動くんが、終盤で強く成長した姿に感動。
・一期一振
物腰穏やかな話し方に加え、凛とした殺陣。立っても座ってもサマになる一期。
台詞はさほど多くないのですが、無言の演技が出来る方だとお見受けしました。
殺陣はダイナミックで鮮やか。ラスト、傘を持って挨拶をする仕草が紳士然としていて素敵でした。
・鯰尾藤四郎
唯一の脇差だから年少組に入るのかと思いきや、小夜と一緒にいる時は保護者らしく振る舞う鯰尾。
脇差と足を使い素早い身のこなしで演じる殺陣が印象的。背後から忍び寄る鶴丸に振り向かないシーンはアドリブかな?はきはきとした物言いがゲーム版とよく似ています。馬糞は投げません。5月7日が役者さんのお誕生日とのことだそうで行きたかったなあ。兄弟だからか一期と一緒に戦うシーンが多いです。
・燭台切光忠
食べ物担当。毎公演、彼が提供する食べ物は違うそうです。その場面は毎回アドリブですね。
殺陣はダイナミックそのもの。にもかかわらず格好良さを忘れない戦い方が燭台切らしいです。鶴丸とよく一緒にいます。仲がぎくしゃくしそうな本丸を見て二人で紅白戦を提案するなど年長刀としての役割を認識しているようです。
・鶴丸国永
重くなりがちな本丸の賑やか担当。落ち込む山姥切の肩を叩いて慰めたり、不動の甘酒を欲しがったり、細かい演技が光ります。
戦闘は、太刀を肩にかけて飄々とこなすかと思えば豹変して雄々しく闘います。
敵に放つ掛け声が一番荒々しく、男らしさを感じました。
◼︎個人的に印象的なシーン
迫真の演技は圧倒的。死んでいるはずなのに生きようとし、まだ尚信長を守る姿は
・光秀全般
光秀でないと刀剣乱舞としての本能寺の変を掘り下げられないからですね。
蘭丸と二人で登場したカーテンコールは一際拍手が大きかったです。
・三日月と山姥切
織田刀が織りなす本能寺のテーマと並行して進んでいたテーマだと思います。
三日月が月を見て「おぬしも月を照らす陽の光となれ」と山姥切に投げかけるシーン。
それで山姥切は近侍の決意を固めます。その後窮地に陥った三日月の助けに入り山姥切は
「月(=三日月宗近)を照らす陽の光となる!」と宣言します。三日月は「ずいぶんすすけた陽の光だな」と応えるわけですが、熱い。少年漫画のようです。
これ以前の場面の紅白戦で一騎打ちになった時もしつこく追いかけてくる三日月に山姥切が「このクソジジイ!」と叫んで立ち向かうシーンも熱いです。
ラストで三日月が自らの破壊を匂わせる台詞がありましたが、あれは現実にならないとほしいと思います。
刀ステの山姥切国広は仮に三日月が折れたら二度と立ち直れない気がします。
◼︎全体の感想
2.5次元は初めての鑑賞ですが、エンターテインメントに優れていて素晴らしい出来栄えでした。
初日は友人が当選してくれて入れました。6日に自力当選したのでもう一度観劇できます。
今回は二つのメインテーマを重点的に観たので、次回は別視点から楽しみたいと思います。また思うところがあったら感想を書きます。
母の携帯を見てしまった。父にメールを打っている母が数字変換に手こずっていた。「代わりにやってあげようか?」と私が代わりに打ってあげた。その時に、携帯変換予測ワード?で、私の名前が出てきた。
年始に父と私+母は険悪になっていた。父の不誠実な態度に私がキレてしまったのだ。不誠実な態度とは、直ぐに契約を結んでしまう祖母狙いを付けて新聞の押し売りが来て、たまたま祖母が居ない時に母と私が怖い思いをしたのだけれど、後日またやってくる事を父に相談したら、酔っていたのだろう、謎の上から目線で「新聞屋と言うのは~」とか「怖がらなければいいんじゃない?」とか「新聞をとる意義とは」「ああいう人は、恐喝がナンボで」「営業はそんなもん」と、「後日やってくるので、お父さんが対応して欲しい」という訴えに全くかみ合わない会話をヘラヘラヘラヘラしながら上から目線で語ってきた。
それから、卒業式の時に私の同級生に色目を使い、「あーあ。ママと結婚してなかったらお父さんは〇〇さんと結婚できたのになー」という事、それから、その同級生と一緒に食事したりしてた事。同級生は、男性からのそういう誘いに慣れてるみたいで無傷(性的な事はされなかった。増田のパパがしてきた事は私にとっては全く持って許容範囲の出来事だったから安心しな。行動に出る輩も居るけど、変な事は特に無かった。と言われた。)
そして新聞屋が来ても父は「居留守」を使い、対応しなかった。そして、その怖い新聞屋さんは平日母が居る時にまた押しかけてきて対応するハメになった。あんなにヘラヘラ上から目線の1人語りを我慢して聞いてたのに、私たちの恐怖感を受け入れずただ優越感に1人語りしただけで。結局、何もしてくれなかった。
私は、心因性の疾患持ちで、療養中だ。薬を飲んでいるが、恐怖感や圧迫感があると期外収縮が起きてしまう。今はちょっと病院から自宅で静養を、と言われている。そんなこんなで、この新聞屋の事はかなり精神的…と言うか新聞屋の姿勢に怒りと恐怖で一杯になった。
私は、色々な怒りがこみあげてきた、父に怒鳴った。母もショックを受けたみたいで「やだ…。でも、パパが居ないと、食べていけないもん…。でも、パパ最悪だよ。」と言っていた。
その後、母は「増田が寝込んでるのは、パパにショックを受けてるからなんだからね!新聞の事とか!だから今飲んでる薬も、強めの薬になったんだからね!」と言った。でも具体的な怒りの内容は言わず、寝込んで2階で横になっていた私から聞いても母の言い方は一方的で(要は口下手)、父は「何だかよく解らないけれど、その程度で怒ってる。でもそんなに怒る事?」な感じに聞こえる様な、「つたない説明」だ。
そして父は「何?俺は増田に土下座でもすれば言い訳?」「ママはさ、増田の味方なの?俺は悪者扱い?」みたいな所まで私は把握した。
その後、母も私の体調を心配してか、そして母も「パパ、ママも嫌だよ。」と父と距離を置いていた。
でも、しばらくたって、何故か母は父と仲直り?というか元通りになっていた。きっと「パパが居ないと食べていけない」と言って事や娘と父の「ニュートラルな存在(中間役)」として母が居なければ、と思ったのかなと思った。それはそれでいいかな、と思ってた。父の事に対する怒りは私だけでいいやと思った。同級生の件は、母は「なんかショックだけど…」とは言ってたけれど、それ以上深く傷つく姿を見たくなかったし。それに、何もなかったと信じたかったし。
それまで、食卓では父は大人しくなって私も決して父と目を合わせなかった。でも最近は違う。父はいつも通り大きな声で食卓を楽しみテレビを見ながら母と談話をして。
そして、先ほど、携帯電話で母のメール変換予測ワードを見てしまった。
「増田に、」「乗せられた」
もしかしたら、考えすぎかもしれないし、メールの使い方が今一つ得意じゃない母のことだから、この変換予測ワードがそのままストレートに出てるのも私の悪口?とは別件かもしれない。と思いたい。母の携帯をこっそり見たい。でも恐い。
母がやけに私に肩入れするのも、表向きは私の味方で、実は私が父の悪口で母を無理やり仲間にした、みたいな感じで父にメールして「増田に、」「乗せられた」と書いたのかなと思った。
母は私の理解者だと思ってた。でも、水面下でコソコソ何かやってるのかな、と思うと母は役者だな、と思ったし、父の「のらりくらり」な態度や、恐い思いをした時に相談しても、大黒柱として私たちを守ってくれなかった事(居留守)、そんな父に母が「増田に、」「乗せられた」と私を悪者にしてたのが…複雑だった。
母が父に送ったメールを見てみたい。でも恐い。そもそも見ちゃいけない。私の思い過ごしかも知れない。両親が元通りの仲になったのは「時間が解決した」ってパターンなだけかもしれない。
でも、何故か私は母のメールを見たがっている。依存や、色々な心労がたたり心細くて母を独占したがってた中での上記の出来事だったから、私が母に対しての気持ちが異常なのかも知れない。
何か、乱文で何が言いたいのか、と言うと、「母に対しての割り切り方」や「携帯メールを思い切って見てしまってもいいかどうか」です。
客観的に見て、結果として心臓に悪い事が書かれていたり、病状が悪化する様なのであれば、やり過ごす努力をするけれど、正直いって、モヤモヤしてる。
私の低俗な悩みを、どこかにぶつけたくて書いてしまいました。乱文でごめんなさい。読みにくい所があるかもしれません。ここまで読んでくれて有難う御座います。
※ネタバレになる部分もあるのでご注意ください。念のため。
ネット含め各所で評判良いってみたし、なんなら増田やらはてブでも悪くなかったっての見たから見に行ったのにさー…まんまと騙されたよね
個人的に良いかも?と引っかかった部分はキャストそれぞれがどこか絶妙に合っている部分があったくらい
机くんは外見似てないけどなんかアニメの声に若干寄せてるような声出すなぁとか、かなちゃんのげっ歯類感…地味めな造形とかヒョロくんも見た目かなりそっくりで良かった
各役者個人的好みは別として(好みとしては全体的に嫌いな顔が多かった)イメージはそんなにズレてなかったと思う
演技については、別に誰かが飛び抜けて良いとかは感じなかったけど特別ひどくもなかった…
もしくは、そんな事気にしていられないくらい他の部分がひどすぎて気にならなかった
ストーリー構成について、多少の改変なり詰めるのは良いにしても全体的に唐突・ご都合なのが多かった
結果に至るまでの理由や過程・動機などが存在しなかったり弱かったり共感できない物ばかり
机くんが部に真面目に参加するようになった理由とかラストで机くんが戦意を取り戻す過程とかさー…
全員で肩ポンポン叩いて行ってなんか回復してるって意味わからんけど?
始終ちょろすぎにもほどがあるんじゃ…?
どっちがどれだけ距離と時間転移したのか分からんけど、別地方同士だよね?
距離移動したとか近いならその描写ないと不自然(眠すぎて見落としたか?
あとこれは好みもあるかも知れないけど、ここで千早を差し置いて再開とかありがたみ?下がるし白ける
それより前に家電で通じてるんだから必要性もなし(大会で太一と決戦とかの重要度高いイベントあったわけでもないし)
ラストの演出ももう下の句へのヒキが見えてるんだからダラダラ会話して通話相手変わって~とかやってないで、
一言「もうかるたやらん」ってのでヒキにすれば良いのにクドクドクドクド…無駄だし衝撃度下がるしで酷い演出
構成と演出・脚本については他にもキリがないくらいにヘボが多かったし
大事な所軽々とすっとばし、どうでもいいシーンや会話を長々やるおかげで中盤クソ眠くなったし…ホントひどいなと
ただひどいのは上の構成やら何やらだけじゃすまない
音もひどい ただただ爆音出せばいいってもんじゃないだろ!?って感じで何から何までバシンバシンうるさい
最初は映画館でみてるからか?とも思ったけどこれも中盤の合宿中の試合あたり具体的にはそのあと太一と肉まんが会話する当たりでやっぱおかしいなと確信
鎮まり帰ったロビーで神妙な?感じで会話してるのに足音やら椅子に座る音がドスンバスンドン! なに?巨人なの?
SE・BGのチョイスもひどかった、千早が試合後寝る所で「しんでるー!?」のギャグ(?)ここも音量が無駄にでかいし
台詞にかぶりすぎててギャグであろう「しんでるー!?」の台詞が埋もれてるしうるさいしうるさいしうるさい
何?撮影に玩具(ドローン)でも手に入れて遊びたくなったのかな?!
無意味に中途半端な俯瞰の図ばかり(特に学校)でキャラに寄れない(感情移入し辛い)し、迫力もない
かるたの床面からの絵以外で煽り図だったのって序盤のスカートみえるかみえないかー!?あたりくらいじゃなの?
で、肝心の競技かるた…これもひどい
横顔のアップ・手元アップ・札が跳んでる絵のワンパターン構図ばかり
加えてかるたに対する解説などもおざなり 競技かるたの題材が完全に死んでる
原作でかるただから~というだけで、別に野球だってサッカーだって、なんなら団体競技じゃなくたってなりたつような構成と絵作りだった
(原作では途中団体戦はチーム競技だ!みたいな描写があるがこの映画だとその辺も雑だった)
大体、設定的にもそうだけど画面に「お静かに」の札上げてる図写した直後に台詞叫んでるキャラとかなんなの?
あとスローの挟み所もよく分からん もっと他に挟む所あるだろと思った 尺伸ばしの手段じゃないんだぞ
ああ 更に前述の音響のせいもあって素振りのバシンバシンが本当にうるさい そういうものだとしたって限度があるでしょ…。
これ見て本気で面白いとか悪くなかったとか原作を再現とか言ってるの大丈夫か?と心配に…というかこっちが目眩する
それとも原作とアニメのお陰で映画では途中すっとばされてる文脈も脳内補完増幅されまくってるって事なの?
何より感動!泣きました!とか一番分からん
眠気こらえて滲む涙はあっても、事象の因果・過程がすっ飛ばされすぎて感動の涙の余地1ミリもない…
素晴らしい原作、ついでアニメにもなってるのになんでこんなひどいことになってるのかワケガワカラナイヨ
とにかく雑!色々なところの描写が雑!これできっと下の句では大なり小なり恋愛方面にも振るんでしょ!?
こんな雑な作りので恋愛やられても一ミリも共感できないんじゃないかなー―ーーー!?
下の句は見に行きません というか存在を早々に忘れるでしょう
ぶっ飛んだひどさなら逆に怖いものみたさで行くのもありかなーと思える分、昨日今日始まったテラフォが前後編だった方が良かったんじゃないかな!?
あっちもあっちで原作素晴らしいのに早々にクソミソ言われてましたね。
いっちょ前に「映画、観なくなったなあ」なんて思って何で観なくなったのかなーって考えてみたけど、
よく考えたら元々そんなに観る方じゃなかった。
映画館では年1、2本観るか観ないかくらい。ほぼ付き合いで行く感じ。
数年前に意識して自分で映画館に通ってみた年でも5本くらいだったかな。
あまり行かないのは映画館の音がでかいとか、画面でかいとか、眩しいとか、あと人がギチギチに詰まってる感じとかの、
臨場感とか迫力みたいなメリットとされる要素がそのまま苦手要素になってるから。
デートで映画見たあと買い物とか食事とかホント勘弁、今すぐ帰って寝させてくれって思う。
そのせいか映画≒金曜ロードショー(日曜洋画劇場)みたいな認識がどうにも根強い。
レンタルビデオで映画借りてきて家で流すのにハマった時期もあったけど、4本1000円とかで借りても、
途中で停めると話を忘れたり混乱したりするので、2時間くらいx4本分の時間と体力を1週間以内に確保するのがしんどいとかですぐやらなくなった。
邦画(に限らずドラマとかもだけど)に関してはさらに、役者のセリフを聞き取るのが下手で、
えっ今なんでこの人キメ顔で「寿司じゃん!(好きだ!)」って言ったの!?ってなことが頻発するので、
観終わっても話のディティールが不明とかが多くてかなり苦手意識が強い。
いいシーンで後ろで音楽流しながら喋るのホントやめてくれって思う。何言ってるかマジでわかんなくなる。
子供の頃「室井さん聞こえるか 仲間が撃たれた 同時でメンマに千葉眺めるんだ!」って青島さんが怒ってると思って大混乱したりした思い出。
そういう意味では最近の漫画原作ブームは、原作にある程度忠実だと自分にはとても優しい映画になる。
最初から知ってたり、セリフ回しを予習できるから、話を見失わずに映像や演技をちゃんと観て素人なりに「おおー」とか思っていられるっていう。
ちなみに洋画なら字幕があるし、さらに最近のレンタルDVDなら日本語音声x日本語字幕とかも選べるので個人的にはとても観やすい。
μ'sから世代交代する予定のラブライブ!サンシャイン!!のユニット、AqoursのPVを眺めつつ思ったこと。
ハッキリ言って、ラブライブ!の中の人に求められるのは無理難題だらけ。
アニメ企画である以上、まずプロ役者であることが大前提。その上で歌って踊れて、そして平均以上のルックスを備えている若い女性であること。
更にユニットでの活動が根幹にあるので仲間としての人間性も大事だし、各種イベントやラジオやニコ生での顔見世もこなせる愛嬌がないとダメ。
正直、これらを要件を満たすスーパーウーマンが9人も揃うなんてあり得ないと思っていたけど、ラブライブ!がμ'sで終わらなかったということは、そういう芸達者な人ないし、今後の可能性を十二分に期待できる人を発掘したってことなんだろうな。
まあでも、特に女性声優は供給過多と言われているし、それだけ成り手がいる今だからこそ選抜できたのかも。
あとは、それだけの選りすぐりに見合う待遇があれば問題なしと。
「この人は『△△』(その文章で解説してるのとは別の映画)に出てましたね」と言うことがあってそのたびに「知らねえよ」と思う。
淀川長治の時代ならいざしらず、今は「この俳優さん、他にどんな作品に出てるのか気になるな」ってんならググれば wikipedia なり IMdb なり allcinema なりで一発でわかる。なのになんで貴重な紙面を費やしてまで「この役者はこんな作品にも出ています」情報を出したがるのだろう。
似たような役柄をやってたとかならまだわかるけど、たまに役者の名前のあとでカッコつきで(『△△』の◯◯!)とビックリマークだけつけてるやつに至っては wikipedia 時代以前から何をしたいのかわからない。
評論や解説もテクノロジーの進化に合わせてアップデートしていただきたいものである。
あ、あと「知らねえよ」度でいえば文芸本のレビューで「この作品読んでこんな作品を思い出しました」とつらつら作品名ならべるやつ。
読んだ後につく解説ならまだしも、紹介目的のレビューでそんなんやられたところで「おまえが連想した作品も読んでないし……」ってなる。