はてなキーワード: 役者とは
A「O君がいなくなってから、心機一転コンビでやる初漫才なわけですけどもね」
B「そうですね、仲良くやっていきたいところですな」
B「あ~、仲良いですな」
A「いや、仲悪くない?」
B「仲良いでしょう。例えばアメコミの実写ね」
A「えぇ……例えば?」
B「皆さんご存知ですけどもね、アメコミキャラと一口に言っても権利はバラバラ」
A「スタジオ、役者、その他のスタッフがバラバラになるケースもありますね」
A「監督が途中で逃げたり、入れ替わったりしても出来上がりますね」
A「ダメダメじゃねえか! 中途半端に共通している箇所があるから余計に混乱するわ!」
B「バラバラでも完走する。感動のバトンリレーじゃないですか」
B「なにその比喩表現(苦笑)」
B「俺がジャガーノートだ!」
A「違うので割り込んでくるな!……で、ZEROに出てくる主人公の因縁の敵であるセイバー
A「いや、確かにそれもZEROあるけれども! せめてアメコミに絞ってボケてくれ!」
B「似たようなもんだろ」
A「今は『X-MEN ZERO』の話!……で、このセイバートゥース、一作目とZEROでは全くキャラ設定が違うんですよね」
A「でも時系列的に繋がっているわけですから、そこはキャラ統一しようよ」
B「ZEROに出てきたデッドプールとかも?」
A「デッドプールは出てきてないから」
B「え~……みなさん、これが“大人のやり方”です」
A「どうせ『フューチャー&パスト』で全部丸く収まるからいいんだよ」
B「『アベンジャーズ』の2作目に出てくるクイックシルバーが色んな意味で別人ですけどねー」
A「仲良くないといえばね。最近のだと2015年版の『ファンタスティック・フォー』」
B「アイエエエエ! スペースニンジャ!? スペースニンジャナンデ!?」
A「宇宙忍者ゴームズじゃねえから! 2015年版! 実写の」
B「ああ、そっちね。なんだっけ、リメイク?」
A「リブートね。映画業界ではありがちですけれど、難産な作品でしたよね」
A「で、出来たのが、世に出さなかった方がマシなんじゃないかというレベル」
A「えぇ? 本当に? トーチとか黒人なんですけど」
B「でた、人種差別」
B「シングとかはほぼ統一感あるよ」
A「丸裸じゃん」
A「宇宙忍者ゴームズじゃねえから! ドゥームのデザインとか酷いでしょうが」
B「まあ、仕方ないじゃん。リブートでも作ってお茶濁さないと、作る権利を他のスタジオに持っていかれるかも」
A「ちゃんと作れないなら、いっそ権利を明け渡して欲しいと思うけどね」
B「いや~、ファンタスティック・フォーが名作にされる危険性は少しでも下げないと」
A「なんでだよ! ていうかBの今の物言い。他の2作品の実写もよく思ってないだろ」
B「いや、そんなことないよ初期のファンタスティック・フォー映画は好きだよ」
A「ホントかよ」
B「ホントホント。アクションもいいけれど、家族4人の絆が素晴らしい」
A「それMr.インクレディブルだろ!」
「「どうも、失礼しました~」」
先日、渡辺宙明のコンサートを見てきたのだが、ヒドイ内容だった。
プレトークで関係している役者が昔を語ったり、演奏する曲にまつわることを話すまでは良い。
しかし、ファン代表みたいなかたちでアニメ監督(だれ?感が半端ない)が登壇してたけど、
せっかくのキカイダーやイナズマンの主役を務めた伴大介からうまく話を引き出している感もなく。
なんで登壇したの?という感が否めない。
正直、もうちょっとインタビュアー経験者を用意してくれと思った。
あと本編では以外と思われそうだが、演奏もこれまたヒドイものだった。
後にCD化するようなので興味があれば聴いてみるといいと思うが、
肝心のブラス隊(主にトランペット)がけっこうポカをやっている。
キメどころを外すのはさすがにいただけなかったな。
また、コンサートでは情報公開されたいた歌手で成田賢以外でもシークレットゲストとして
そうそうたるメンバー(水木一郎、MoJo、串田アキラ)が歌うことになったのだが、
そのうちMoJoは「とつぜん歌うことになったから私服だよ!」みたいなことを言っていたが、
それ以外の歌手は衣装を着ていたところを見ると仕込みなのは丸見え。サプライズ感ゼロ。
しっかり事前に渡されたパンフレットに歌う曲の歌詞カードをしっかり挟んであるし。
せっかくのオーケストラ編成なんだから、オリジナルの歌手に歌わせて
アレンジバージョンとして聴かせることに徹すればいいのにと思ったのは私だけだろうか。
特にCD化するんだったら、大合唱パートなんていらないと余計に思うんだけど。
あと参加していないが、聞いた話によるとコンサート後のパーティーもひどかったらしい。
一般観客として来ていたプロの演奏家が、登壇者の関係者としてあいさつしようとして断られたり(ツイッター情報)、
会費も5000円らしいが、受付態度もひどくどういう段取りかも説明しないヘボスタッフだったようだ。
また出てきた料理もたいしたレベルでもなく飲み重視で店員もいたがセルフと注文取りの間の対応だったようだ。
行く人はその辺の事情を飲んだうえで行くといいだろう。
それはおそらくAVの偉い製作者がおっさんばかりなためか、我々若者にはAVの世界観にリアリティが感じられないのだ。
リアリティと言ってももちろんAVは虚構の世界なので、いったい何を言ってるんだと思うだろうが、
例えば、体育の授業でブルマを履いていたり水泳の授業でワンピース型の水着を着ている女子など我々の時代にはもうほとんどいなかったし、それらに対して我々の感慨も非常に薄い。
今や体育は短パン、水着はセパレート式が主流なのだが、AV業界はそうじゃない。
そのため、中年世代が指揮をとって作り上げるAVの世界観に何とも言えない違和感がまとわりつく。
うまく言えないが、昔のエロ漫画を読んだ時にその絵柄の古さに対して覚える違和感に近いかもしれない。
(しかし、これは私がリアリティのあるシチュエーション系のAVを好むからであって、虚構だから何でもいいという人やむしろそこが好きだという人も当然いるということには留意しておく)
つまり、役者は若いが、製作者側の年代と視聴者側の若年層との間には、文化的なジェネレーションギャップが存在するのだ。
この問題を解決するには、我々世代がAV業界で主流になりAVの世界観にパラダイム・シフトが起きるのを待つしかない。
女優や男優の入れ替わりは早いが、制作側の入れ替わりは何年もかかるだろう。
今の若者がAV業界で主流となった時、はたしてどんなAVが作られるのか。
その時が来るまでには、まだ少しばかり時間がかかりそうだ。
2015年に視聴率で健闘したり評判良かったドラマでいえば天皇の料理番も下町ロケットも花崎舞も別にジャニタレ押しなんぞしてないし、
一部の、草彅や長瀬みたいな役者向きのジャニならドラマ出ても問題ないが、
亀梨や嵐の面々、山下みたいに演技が一向に成長しないオラオラ系のジャニタレは
本当に不快以外の何物でもない。
何が酷いって棒読みだし、身振り手振りが大雑把な上に何を伝えたいのか伝わってこない。
スペシャリストの草彅、フラジャイルの長瀬は如何にもこういうキャラなんだというのが伝わって来るけど
またか、と見切る。
ジャニタレに合わせたかのような場当たり的な設定や世界観はどうしても不快感が募ってしまう。
ビューティフルライフの時など女優の演技力のおかげで影に隠れてたけど
それとも演技指導をしようものなら、ウチの商品に何するのよって
メリーみたいなカスが出しゃばって彼らの演技やる機会を奪ってるのかもしれない。
あれでよく視聴率が維持できるなと思う事がある。
そのせいで最近のジャニタレが出てない良質のドラマが軒並み低視聴率なんだろう。
なるほど、ドラマの質が低下してると見られるのはジャニタレとそれを支える信者のせいだ。
ドラマを食い物にしないで頂きたい。
誤りのある行動や情報への指摘はとても大切なことだと思う。ただ、どうしても一巡しているというべきかループしている様な印象を抱いてしまう。多少異なれど毎回似たような指摘、誤り、そして過ち。定期ポスト的なコメントが並ぶと特に感じるのだ。あぁこれは以前別の誰かが同じ事を言っていたな、と。役者が違うだけで同じ演劇を繰り返し見ているよう。ブコメはその一角でありこの社会もまた似たようなことが繰り返される中、私たちは少しの変化を楽しむことで生活が潤うと感じているのだろうか。
大きな枠組の歯車の一部になったような、アカシックレコードに記された歴史をなぞるような、どうしようもない無為さを感じてしまうのだ。繰り返しレコードをなぞり少しずつ終焉への駒を進めることが全ての生物の本能であるのだろうか。私たちは残念ながらその終着駅にたどり着くことはできないのだけれど、もし結果を知ることができたら尚更虚無を感じ、人としての役割を終えてしまうのではないか。
この無意味な世界に価値を見出すためにはどうしたら良いのだろうか。全体ではなく自身に主観を持つことが大事なのだ。この世界を観測する自分が中心なのだ。そう思うことで全てが意味のあるものだと感じることができる。
探しに行こう。この繰り返しの中、歴の奴隷である私たちには新しい出会いが必要だ。それが別の誰かが体験した何かであったとしても、自身にとって新しく感じることであるならばこの退屈な人生も少し潤うことができるだろう。可能であれば慣習や枠組み、例えば流行などに因われることのない、主観に基づいた正直な巡り合わせが良い。虚無な繰り返しから少しでもそれることができるのだから。
- Hatena AnonymousDiary - それは匿名であるがゆえに私たちが真なる想いを吐露することができる特別な聖地である。日々、この聖地には『うんこ』、『Reddit.com』、そしてまた『うんこ』、と人々の正直な想いや欲望が渦巻いている。これもまた繰り返しのひとつではあるのだが、どうせ繰り返すのであれば嘘偽りのない情報に埋もれていたい。東証マザーズ上場を成し遂げたその重要な立役者として、これからも増田という聖地を介して、この虚無なアカシックレコードに傷をつけていきたい。
美容師や役者を目指してる専門学校生が知り合いに何人かいるけど、みんな例外なくサラリーマンやOLを見下している。
彼ら曰く、満員電車に乗っているサラリーマンは我が身可愛さに夢を諦めた負け犬で、つまらない仕事に時間を費やし、冷たいコンビニ弁当を食べる日々に甘んじている馬鹿なんだそうだ。
本当に謎なんだけど、なんで専門学校生は将来客になるだろう人間を簡単に馬鹿にできるんだろうか。「自分達は馬鹿が相手の職業を目指してます」って言ってるのと同じじゃん。そんな仕事が楽しいの?
楽しみでやるんならオリジナル脚本でもいいんじゃない? 演劇って言ったって幅広いわけで、仲間内の劇団でやるならインプロブ的なものだってありだろうし。
伝統的なプロセスで、しっかりした脚本にがっつり取り組みたいっていうなら、許可ぐらい取ろうよ。アマチュアなら上演料も1~2万円だし場合によっては上演料いらないって人もいるし。
イギリスやアメリカの普通の劇場でかけられるような脚本だと、そもそも上演演目として選ばれる前に何段階ものセレクションを経ているし、何年もかけてワークショップ等でリバイズされてようやく日の目を見る。日本だと劇団付きの作家が書く場合が多いからちょっと事情は違うかもしれないけど、完成度の高い脚本てのは単にスキルの高い人が書いたっていうだけでなく、その形になるまでの揉まれ方が違うわけで。その過程を尊重するなら、許可くらいどってことないでしょう。
(逆に、「素人の書いた脚本」でも、何十本かトライしてそっから候補を選び、何回かワークショップ(稽古場でのミニ公演的なもの)をやって役者と対話しながら練り上げてみたら、かなり完成度上がると思うよ。そこまでやって初めてありものの脚本との比較対象になり得るんであって、次の公演のために何か書かなくちゃ、で一発勝負で書いたものなんてデッサンとかスケッチのようなものでしょ。)
(追記:ああ、もしかしてブレヒト絡みのアレ? ああいいうのは個別に折り合いがつかなきゃ諦めるしか。ベケットもうるさかったよね。一方で寛容な人もいるし。そこは選んでゆくしかないでしょ。)
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
死んだ目とは、精神に何らかの異常をきたしたときになるとされているが、具体的にどんな目かは「大体のニュアンス」としか答えようがない。
眼力が弱くなっているだとか、覇気がないだとか、非科学的だが見れば分かる。らしい。
つまり見分けがつかないということは、君の見てきたサラリーマンは全て死んだ目をしているから見分けがつかないんじゃないかな。
まあ実際のところは、「目は口ほどにものを言う」というように、人の心情を表層的に語る上で便利だからというのが主な理由だろう。
私も「死んだ目をしている」とか、「人殺しの目をしている」とか言われて、思い当たる節がなくて困惑したことがあるね。
例えば、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の監督であるジョージ・ミラーは老人だ。
老人があそこまでエネルギッシュな映画を作ることを意外と感じもするし、ある意味で懐古的なアクションシーンや単純明快なプロットに納得もする。
また、「ハッピフィート」や「ベイブ/都会へ行く」と同じ監督だと知ると、より印象も変わってくるだろうな。
もちろん映画を楽しむ上で、監督や脚本、役者やその他スタッフなどを知っている必要はない。
だが、楽しみ方の一つとして、そういう側面もあるということは知っておくといい。
『What would you do?(あなたならどうする?)』というアメリカの番組がある。
これは差別の現場や困っている人を役者に演じさせ、それに出くわした一般市民が
例えば、高級ブティックで白人の店員(役者)が黒人の客(役者)に対して、
過剰に万引き客の可能性を警戒し、身体検査をしたり差別的な暴言を浴びせたりする。
それに対して、一般市民の客が抗議の声をあげるかどうかを隠しカメラで撮影するのだ。
抗議の声をあげた勇敢な客は、種明かしされるとともに、番組のMCから褒めたたえられる。
この番組を見て思い出したのは、乙武君のイタリアンレストランの件だ。
あのレストランの店主は明らかに障害者差別を行っており、乙武君は被害者の側だ。
それにも関わらず、私が見た限りでは、ネットでは乙武君を批判する声が多数派だった。
障害者差別をしてはならないという社会規範が、日本国民には共有されていないのだ。
なんで大物扱いされてるの?
べつに批判したいわけじゃなくて、単純に謎。特に時事ネタなんて、サラリーマンの飲み会で言っても痛々しいレベルだと思う。
人によって好みもあるだろうけど、太田光を面白いと言っている人を見たこともない。
ちなみにおれは、好みでいうと、35歳ぐらいまでの松本人志が好きでした。それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。
以下、追記。(2016/1/25 18:30時点)
ここで「いや面白いよ」と言っても個人の感覚の違いと言って終わりになるのでいいとして、売れた今でも若手に混じって新ネタの漫才やってちゃんと会場の笑いとってるのは本当に凄いと思う。
俺も面白くない派。一方で彼は努力家だとは思っている。元日のネタ番組で大晦日の紅白をいじる漫才が披露できるスキルは尋常ではない。
⇒たしかにね。
「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」 ここに面白いと言ってる人が現れたとして(もう何人も現れてるけど)この人の考えは変わるんだろうか
⇒変わるかも。「面白いと言っている人を見たこともない」が「ほとんど見たことない」や「見たことはある」に変わるだけだけど。
面白いと思う。でも、それ以上にしつこい時とウザい時が多すぎるとも思う。三振かホームランみたいな印象だから、ついつい期待しちゃう。(そして外れる)
⇒確かに、しつこい時とウザい時が多すぎるね。おれがダウンタウン好きだったのは、そういうマイナスがほとんどなくて、安定してたっていう点もあるかも。松本の「一人ごっつ」に、しつこくてウザい時間帯はほぼなかったと思うし。(こういう発言は、昔の2ちゃんとかだと、ナイナイファンや爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw)
別に爆笑問題を特別好きでも何でもないけど、自分が認めてないものが世間から評価されてる時にこんな風な思考になることにそろそろ名前がついて良いと思う。大物扱いとお前の好みは1ミリも関係ない。
⇒自分に理解できないものが流行ってたら「なんで?」って思うのは当たり前のことなので、べつに名前つけなくても良い気が。
既視感ある。太田ってテンプレ的にこういう意見沸くよね。面白いか?と必ずいうけど、実際はそこよりも政治的・文化的発言に相容れなくて反感持ってるんだろうなと感じる。
⇒俺は反感はべつにもってないけど、もってる人たしかにいるよね。
そう思った時期もあったけど、ラジオを聴いてガラッと印象が変わった。投稿を読み上げる太田光は、役者そのもの。自分に限って言えば、腹を抱えて笑うこともある。
太田さんというか爆笑問題が大好き。太田さんが時事や文学について語るのには「意見が違うなぁ」と思うけど、齢50を越えた二人が中学生みたいな喧嘩をするのがおかしくてたまらない。ラジオ聞けラジオ。
ラジオ聞けばわかるけど、あの人は他の誰かの筋書きを論評なり演出なりするのがうまいんであって、あの人自身がどう、ってのはあまりないんだよな/なんでみんなもっとウーチャカの狂気に気づくべき
⇒ラジオきけっていうコメントがたくさんあった。なるほどねー。ただ、昔ネットで、「伊集院光のラジオを聞くと彼が天才であると分かる」みたいな説を振りまいている集団がいて、聞いてみたら、そんなに面白くなかったという経験はある。
コネはあるよ
面白いとか面白くないとかではなく、アンタッチャブルなものに触ってくれるんじゃないかという期待感だけでそこに居る。
(まあコネというか、談志に非公式にではあっても後継指名されているのが無下には扱われない理由の1つではあると思う。あと奥さんの能力と)
マジレスするとビートたけしとパイプがあるからでしょ?同様にビビる大木も「抱き合わせ販売」状態ってどこかで見たぞ。カラクリはあるだろうにanonymousを叩くコメの意図がわからん。マウント取りたくて仕方ないのか?
⇒そうそう、信じるかどうかは別にして、こういうのが気になったの。べつに、太田がテレビに出てるのが嫌とかいうのは全くなくて、単純に、お笑いとしてのクオリティが低い(と俺には感じられる)のにそれなりの地位に付いている理由が知りたいなぁと思っただけ。
僕も爆笑問題は好きではないけど、こういうのはなんというかダサいな単に。/ 「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」と「爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw」が矛盾
⇒たしかに、「見たこともない」は言いすぎたな。しかしよく考えたら、昔「ダウンダウン信者」とネット上で抗争を繰り広げていたのは「めちゃイケ派」や「笑う犬派」だった記憶が蘇ってきたので、「爆笑問題ファン」をわざわざここに挙げるほどみてない気は依然としてする。
太田の面白さも理解しかねるが、「それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。」こっちの方が理解できない。
⇒賛成できるという意味での理解ではなく「世の中そんなこともあるだろ」っていう意味での理解です。
あの人は不思議な感じで、面白いと思った事がないんだけど「俺が見てないとこで面白い事言ってるんじゃないか」という謎の期待感というかハッタリがきいている。/テレビ・ラジオっ子には分かるまいw
⇒なんか分かる気がする。
⇒そういう上手いボケを連発してくれる期待感がないんだよなぁ。
なんか思ったよりブクマがついて微妙にホッテントリに上がってて、太田さんに申し訳なくおもっておりますが、意外に「いや、面白いから」みたいなコメントがたくさんあったので逆によかったということにしときましょう。
ファンタシースターオンライン2(以下PSO2)というオンラインゲームが公称400万IDもあるなら、そりゃ弱い奴も多いだろうというのが一般論だろうが、それだけでは無視できないほど異常と言えるほど弱いプレイヤーが多いのが筆者の実感だ。
普通なら荒らしだ寄生だエンジョイだ業者だビジフォン戦士だと片付けておしまいだが、最近は事情が違う。
緊急クエストですぐに倒れたり低火力だったり有効ではないテクニックを使うなどしているプレイヤーの装備品を見ると、寄生装備だというやつはブラックリストに入れれば簡単だ。しかし特に最近は一級品と呼べる装備であり、または育成レベル帯ならレベル帯以上の良い装備を持っているケースが最近多いように感じる。つまりスペックは十分ということだ。
にも関わらず悲惨なプレイをしているのは、ジャストアタックという基本すらまともにできないプレイヤースキルの低さにある。横目で見ていてもわかる程度に、属性違いのテクニックを使う。明後日の部位を攻撃する。PAすら使わず通常攻撃で殴り続けるなどなど。
ゲーム内での解説が不十分なことの弊害であるのはその通りだが、Wikiなり攻略動画なりが充実しているPSO2ならそうした外部サイトに頼れば良い。むしろ今のご時世でそういったものの存在を知らないとは言わせないし、ここで語ってる弱いプレイヤーとは荒らしなどを除いた最低限PSO2なんてゲームに興味を持ち緊急クエストなどに挑むやる気はあるプレイヤーだ。しかも強い装備を持っているならそれが強いとわかる程度の知識もあり、攻略情報という効率プレイの権化のような存在を見ないでいられようか。
ということはつまり、攻略情報を見てもそれを噛み砕けないのではないのか?と筆者は仮説を立てた。
さて今の世の中、ソシャゲだろうとなんだろうとコスパや効率の良さが求められるプレイが常識となっている。
ならばそれこそPSO2なんてそうした情報を取り入れて最大限効率良くやるだろう。経験値稼ぎからボスの倒し方まで、PSO2の各攻略情報は充実している。誰もがその情報通りにやるだろう。しかしそこにこそ強いプレイヤーと弱いプレイヤーの差が生じる原因があるのではないかと考えている。
つまりそれは、あまりにも今の新規プレイヤーは効率の良いプレイを求めすぎて機能不全に陥ってるのではないか?ということだ。
経験値稼ぎはできる。メセタ稼ぎもできる。強い装備がどれかもわかるし、特殊能力も解説サイト通りにやればできる。
ボスの破壊できる部位も、どうすれば怯むのかも、周回の仕方もサイトの情報通りやればいい。
前者はできても後者はそう頭で理解していても現実にはできないのが彼らなのだ。
例えばダークファルス・エルダー本体をどう倒すのか。多くのプレイヤーはその手順を簡単に思い浮かべるだろう。
しかしその手順を説明しろとここで言う弱いプレイヤーに言われて解説できるだろうか?できるだろう。
しかしそれでもここで言う弱いプレイヤーは教えた手順通りに事を運べないと私は思う。何故か?
その弱いプレイヤーに、教えた人なりの攻撃方法しか教えず、攻撃する時の装備や動きに合わせた対処法を教えてないからだ。
レベル30のブレイバーがいるとしよう。この弱いプレイヤーは壊すべき腕や弱点であるコアの知識は実は持っている。
しかしレベル30のブレイバーがエルダー戦で持つべき武器とPAを知らない。
もっと言えば取得するべきスキルも知らないし、三本の腕が突き出された時にどれを攻撃すればいいかもわからない。
ウィークバレットが貼られて目印になっていたとしても、それを知らない。
馬鹿にし過ぎだと思うだろうか?だが筆者が真面目に考えた上での仮説だ。
そんなもの現状装備できる最強の武器と適当な打撃能力付きユニットでも装備してみんなが攻撃してる腕を攻撃すればいい、と答えれば済むだろう。だが、ではこう問われたらどうするか?
悩むところだろう。懇切丁寧に指導するならば本人のクセに合わせたPAでの戦い方を組み、装備を考え、腕が伸びてきた時も馬鹿が下手なショックをやった時の対処法も教えてくれるだろう。けど普通に考えれば適当に装備できる装備品を紹介してやるのが精々で、戦い方もよくあるPAの使い方や敵の攻撃挙動を教えてやれば親切な方だ。
こんな、自分でwiki見て装備できる最強装備でスキルも必須と言われてるやつをとりあえず取得して、あとは攻略動画をトレスしとけばいいような、そんなことが出来なから弱いプレイヤーは弱いのだと、筆者は考える。
一定のパターンはあれど一応はランダムな動きで敵は攻撃してくる。攻略動画があったとしても、まったく同じ動きを取るとは誰も思わないだろう。そんなものその場その場に合わせて避けるなり攻撃すればいいだけなのだが、とにかく弱いプレイヤーはこれが苦手なのだろう。
そのロジックを考えるに、効率の良さを追求しすぎるあまり非効率的な動きを極端に恐れてるのではないではないだろうか?
あるいは投げやりになるでもいいし、思考停止するでもいい。とにかく完全なるシナリオ通りに戦いが運ばないと、途端に最も効率が良いプレイから外れてしまいそれは非効率的なコスパの悪いプレイの扱いと彼らの頭の中ではなってしまう。それで真っ白になった頭は次にやるべきことを見失い、結果として無残な戦い方となってしまう。そして崩れる。
プレイヤースキルの無さもお手本が無いからと言える。本来は十全な火力を発揮したり倒れないためにと自然と覚えていくその動きは経験を積むしかないが、効率の良いプレイを求める彼らには経験を詰むという物はない。何事もトレースするものであり、それは囲碁の定石のように決まりきったパターンで発動させるものであり、すなわち攻略動画の動きをそのままやればそのままダメージが出るという脳死プレイだ。
当然そんな上手くはいかない。上述したように敵のパターンが少しでも違えば崩れるし、また味方が定石から外れた(けど普通の攻撃パターン)行動を取ると攻撃して良いのか迷う。覚えているのはパターン通りのボタンの押し方であり行動そのものではない。しかも多くの場合、攻略動画をそのままトレースする記憶力などあるわけはないので、中途半端な再現となる。どのみちもっと細かいお手本がなければ火力は出せないのだと考えられる。
その上でさらにあるだろうと思うのが、上述したような持つべき装備の不明だ。
効率の良い動きとはつまり攻略情報通りの理想のパターンだ。その理想のパターンを再現するための装備の情報なんてものは、PSO2で恐らく存在しない。当たり前だ。その時点で最強の装備を持っていけばいい、という単純な答えで済むのだから。
ところがお手本通りのプレイにはそれではいけない。お手本通りの装備に特殊能力が無ければ効率的なプレイは再現できないからだ。
おまけにPSO2はやたらと死に武器が多くユニットもほとんど使い物にならない。ベテランがセカンドキャラを作る時には恐らくある程度の我慢をしておよそのレベルを目安に装備を交換していくスタイルでやっていくだろう。しかしそういった蓄積のない新規プレイヤーでかつ効率の良いマニュアルを求めるプレイヤーには、逐一更新していくべきなのかそうでないのかの考えも無いと考えられる。
そんな馬鹿な普通にゲームをやってれば見当がつくだろう、という常識は通用しないのだろう。考えても見てほしい、PSO2は基本無料ということもあってオンラインゲームがそもそも初めてという人も多く、それでいてWikiにはコンシューマとは比較にならないほどのアイテムが(無駄に)並んでいる。その上、下方修正も度々ある。隠し潜在や技量といった要素もある。クラフトもある。レベルXXまではこの装備で大丈夫と初心者がWikiのスペックだけを見て判断するには厳しすぎる。
ソシャゲはどうだあれもWiki必須だ慣れるだろそれで。というその考えは通用しない。ソシャゲの多くはカタログスペック通りのものを揃えて数字で殴りあうシンプルなものだ。フリック操作など色々あるがそれらは直感的で、またURやSSRなど課金すればプレイ時間30分だろうと簡単に最強になれる。
PSO2esについてはわかりやすい。装備品はクラスのみを条件とするので☆13でも初期から装備可能であり、本家が緊急ゲーなのに対しソロで回すのが基本だ。自分のプレイヤースキルの無さを実感する要素もなく、効率の良いプレイも本家のような複雑さで踏襲する必要はない。
今も薄々気づいてる人も少なくないだろうが、これはPSO2だけの問題ではない。
効率の良さを求めるあまり動けなくなる初心者が今後も各界隈で見られることになるだろう。ひょっとすればゲームに限らないかもしれない。
こうなったのは効率やコスパを賛美する情勢や古参による貶し、非常識な行動をするとすぐ叩かれる今が要因の一つだと考えるが、それは今の世の中に限らず形を変えて昔からあることだ。それを取り除くことは不可能であろう。
PSO2はアニメ効果もあって新規プレイヤーも増えていると公式は語っているが、彼らの多くも恐らく現代的な効率の良さを求めて、それを現実的なプレイとすり合わせられずに弱さを実感しないままレベルだけが上がっていくのだろう。そうではない中から普通のプレイヤーとされる人をふるい分ける仕組みなのだと言われればその通りだが、それが果たして良いのだろうか?
公式も(まったく続きが来ないが)プレイに関する講座を作るなど初心者対策を(ようやく)始めているが、筆者の仮説が正しければそれは遅い上に意味が無い。必要なのはプレイヤーという役者のための台本と着るべき衣装を示すことだ。
当然そんなものを公式で出せるわけがない。しかしプレイヤーレベルでやるには従来よりきめ細かい指南が必要で、可能ではあろうがあまりにも馬鹿馬鹿しすぎてやってられないだろう。
しかし馬鹿馬鹿しいと思うベテランが、今でもXH帯野良緊急は博打というようなことが拡大してほしくないと思うのならば、せめて装備品の指南は必要だろう。レベルXX/XXのFo/Teが装備する武器とユニット、それにセットするテクニックに取得するスキル。これがテーブル式に並んでいれば、恐らく今弱いプレイヤーの多くが装備するべき目安を適えるだろう。
いやちょっと待て最初に装備は一流って書いたよな?という点についてだが、彼らには上述したようにお手本が必要だとするならば、彼らが持ってる装備がお手本以上のものかもわからないということだ。ひとまず装備するべき基準を超えていると知れば安心して使えるし、そこから先のボスの倒し方などは、これはもう事細かに解説していくしか無い。
”この攻略動画より良い装備だったので早々と部位破壊してしまった時、次の部位を破壊しても良いのか?”
”YES”
↑こういう指南があるだけでもだいぶ違うのではないのだろうか?
これらは全部仮説に過ぎない。だが筆者が最初に考えていた
”どうして弱い奴らはWikiを見ないのか?いや効率だコスパだの世の中で見ないわけはない見てるはずだ”
という疑問から考えついたのがこの
”効率の良いプレイをしたいばかりにあれもこれもマニュアル化してしまってるのでは?
という仮説だ。
別に今の世代がマニュアル人間だなどとは言わない。だが効率の良さを何事にも追求する世情ではあると思う。
真面目に、今のPSO2の特にVH以下の緊急では指示厨と呼ばれてた白チャが必要なのかもしれない。間違った指示ならとんでもないことだが、少なくとも今の育成レベル帯の緊急クエはてんでバラバラの攻撃をするし火力は出ないしで、ならば多少間違ってても一点集中した方が火力が上がるというものだ。もっとも状況に合わせた臨機応変でまともな指示ができればの話なのだが。
また今度の動画コンテストでは解説部門があるらしいが、ベテラン向けの豆知識などはともかく初心者向けの解説には、ひとつお手本やマニュアルや型枠といった意識を持つと良いかもしれない。
はっきり言って筆者自身この仮説は馬鹿らしいしそんな弱い奴らは切り捨てろと思うが、一応はPSO2をプレイしている身として新参がすぐに離れて衰退していくにもあれなので、せめて彼らが強くなってやれ共有は地雷だの野良は期待できないだの言われないようになってほしいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160124075046
http://b.hatena.ne.jp/entry/rocketnews24.com/2015/11/19/666411/
ここに書いてあるけど、簡単にいうと役者の心理描写だったり演技と天候を合わせるとか、背景を合わせるとかそういうのな。
記事ではハリウッドのアヴェンジャーをけなしているが、それは今はどうでもいい。
主人公をヒロインが連れ出す場面では、主人公が日陰でヒロインが日向で太陽の光が当たっているか否かで表現していたり。その際、ちゃんと上手下手(かみてしもて)も考えられているし。
まあ、実写じゃそれは難しいってのは分かるんだが、難しいことをやってきた黒澤明も、それを見て映画作ってきたハリウッド監督も、
そして大多数の皆さんが否定的に見ているアニメもやってきたんだよね。アニオタでさえ忌避しがちなどうしようもないアニメでも割と当たり前に出来ているんだよね。
「SMAP会見で言わされているような中でアイドルさらしさをのこそうとした一面」があると考え、それを出してみる。もちろん、それは事務所などの思惑の可能性も否定出来ないけれども、あえて紹介してみる。また、そこから考えたことについて考える。
私は、この件に関しては詳しくは追ってはいないけれどね。
草薙剛:皆さんの言葉で気づいたこともたくさんありました。本当に感謝しています。
今回、ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて、今ぼくらはここに立てています。5人でここに集まれたことを安心しています
「木村くん」って言葉だよね。ものすごい苦しい状況であったとしても、やはり、「アイドル」として発言しているって言うことには変わりがないという感じ。かなり「公式な謝罪のはず」なので、「木村さん」と表現されるはずで、「木村くん」と表現する(セリフを言う)のは事務所的には問題にはならいけれども。もちろん、別の問題が大きいからそんなに事務所に不都合なセリフ以外は自体問題にされないだけともいえなくはない。もしかしたら、台本では違ったのかもしれないけれど、「SMAP」としての発言だったのだろうな。と思わせる一瞬だった。
花を売っているのは花屋っていう言い回しは昔からあって、「SMAPタブー」とかで知っていたのだと思う。これなら「前を見て進みたい」という言葉なら発信しても大丈夫というセリフを、役者経験などから導き出したんじゃないかと思う。「世界に一つだけの花」などの歌詞と自身がアイドルであることを自覚しての発言だったと考えている。((もちろん、そう思いたい。というのもあるというのは否定しない))
SMAPのタイムリープネタが受けるのって、「変えられない運命」的なものがあって、それに対して行動できるような人(たち)、行動してきた人たち、だからじゃないかとも思える。例えば、タイムリープネタ「運命を変えるために、何度も繰り返した」というフレーズは、練習や試練などの繰り返して変えてきた強さにも使えてカッコを入れると、「運命を変えるために、何度も(練習や試練を乗り越えるようなことを)繰り返し(いままでして)た」というところで、他のSFものよりもしっくり来るんじゃないかと思う。
少し話がそれてしまったのだけれども、この運命もどうやってか乗り越えようという考えのもと、行動して、ゴシップ紙に「裏切り」などと書かれたのだし、「前を見て」っていうのは、もしかしたら、事務所に対する反逆の一つだったのかもしれない。それは草薙が「ジャニーさんに謝る機会を木村くんが作ってくれて」といっているから。事務所的に問題なく、社会的に物議を醸し出す発言になり得るのは、理解していたのだろうと思う。経営者論が昭和時代と変わっているのは、わかっているはずだし、学ぶことはアイドル(役者)としてのの勉強と言えば、特に止められることもないだろうし。経営者とTVなどで話す機会も実際にあるだろうし。もちろん、経験で培ったところもあるだろう。この放送は修羅場であり、逆に言うとチャンスでもあるかもしれないのだし。起死回生をかけた可能性は、否定出来ない。
「前を見て」って状況の中で言わされているのか、それとも自分で考えた言葉なのだろうか。
事務所的には、日付を言うくらいは問題にならなくて、でも、「あえて言った」というところは、何を意味するんだろう。というのは分からない。希望的観測から「記録されるべき日」にする事を目指したんじゃないだろうかと。考えている。「今日は2016年1月18日」これを聞いた時、『パイレーツオブ・カリビアン』の「今日という日を忘れるな、キャプテン・ジャック・スパロウを捕り逃がした日だ」というのを思い出した。『パイレーツオブ・カリビアン』の作中ではエリザベスに彼にまつわる話のどれだけが真実なのか質問するのだけれども、けれども、真実などない。ような答えを返している。現在のSMAPの取り上げ方、「真実などない」は話(や物語)が一人歩きするということがわかっていてやったのかもしれない。とも思える。
真実がどうあろうとも、もしかしたら、あの放送で、昭和の怪物の一部分が一つ壊れたのかもしれない。というより、あらわになった。それにたいして、「前を向いて」私たちは何ができるのだろうか。ということを考えている。
あの放送は、ものすごい違和感があったのだけれども、錯綜はあって「散ってでも、一矢報いたい」ようなものは、あったはずだと思っている。