はてなキーワード: 期外収縮とは
期外収縮というのがたびたび起こる。脈が飛んだり、続けざまにドドドってなったり。医者には「誰にでもあることだから気にしなくていい。もしどうしても気になるなら24時間心電図を付けてみることもできるけど」と言われた。その言い方の感じから、そこまでの検査はしなくていいんだろうな、と思った。でもやっぱり気になってしまう。
最初に脈が変だと思い始めたのは5年くらい前で、当時の職場でパワハラを受けて、理不尽さとか怒りで精神がおかしくなりそうな時だった。そのパワハラをしてきた人に話しかけられるとビクっとしてしまい、話しかけられる可能性のある状況だというだけで脈が早くなってしまう日々が続いた。その仕事は辞めたのでその環境からは逃れられたはずなんだけど、それ以来脈がおかしいと感じることは時々起こるようになった。怖い人と話すときに緊張するというだけでなくて、家でダラダラしているときだったり、夜寝ようとするときだったり、自分ではリラックスしていると思える時にも脈はおかしくなる。寝ようとしているときに数えてみたら、大体60回脈が打つ間に1回ぐらいリズムが崩れた。
今の職場にも苦手な人がいて、その人と関わると脈が早くなる。その人はすごく早口で頭の回転が早い人だ。私はゆっくり喋る方で頭も悪い。だから、その人の時間を無駄にしないように、なるべく相手に合わせて早口で喋るようにしている。できたらその人とは関わりたくないけど、仕事だからコミュニケーションを取る必要がある場面もあるので、なるべく短時間で済むように話す内容をあらかじめ頭の中で整理したりしているんだけど、話しかける瞬間とか呼びかけられる瞬間にすごく脈が上がってしまう。
多分体にはどこにも異常はないけど、ビビリなんだと思う。にしてももう少し楽に日々を生きられないものだろうか。
今の会社の人も、前の職場の苦手だった人にしても、私は嫌いというわけではない(パワハラの人は嫌いだったけど)。面白いことを言ってくれたり、親切にしてもらったこともたくさんある。仕事をしていても優秀だなあ、勉強になるなあと思うこともよくあるし、人としては尊敬しているのである。
仕事中はある程度の緊張感はあった方がいいんだろうけど、苦手な人と話そうすると声が震えたりかすれたりしてしまうし、書類でも持っていようものならその書類がプルプル震えてしまうので、なんていうかもっと深く突っ込んで確認しておきたいこととかがあっても、もうしんどくて、最低限のことが確認できたら会話を終わらせてしまう。そんな状況で仕事を進めると後になって最初に確認しておけばよかったみたいなことになったりもするし、相手にも無礼な雑な態度になってしまっているような気もする。
母の携帯を見てしまった。父にメールを打っている母が数字変換に手こずっていた。「代わりにやってあげようか?」と私が代わりに打ってあげた。その時に、携帯変換予測ワード?で、私の名前が出てきた。
年始に父と私+母は険悪になっていた。父の不誠実な態度に私がキレてしまったのだ。不誠実な態度とは、直ぐに契約を結んでしまう祖母狙いを付けて新聞の押し売りが来て、たまたま祖母が居ない時に母と私が怖い思いをしたのだけれど、後日またやってくる事を父に相談したら、酔っていたのだろう、謎の上から目線で「新聞屋と言うのは~」とか「怖がらなければいいんじゃない?」とか「新聞をとる意義とは」「ああいう人は、恐喝がナンボで」「営業はそんなもん」と、「後日やってくるので、お父さんが対応して欲しい」という訴えに全くかみ合わない会話をヘラヘラヘラヘラしながら上から目線で語ってきた。
それから、卒業式の時に私の同級生に色目を使い、「あーあ。ママと結婚してなかったらお父さんは〇〇さんと結婚できたのになー」という事、それから、その同級生と一緒に食事したりしてた事。同級生は、男性からのそういう誘いに慣れてるみたいで無傷(性的な事はされなかった。増田のパパがしてきた事は私にとっては全く持って許容範囲の出来事だったから安心しな。行動に出る輩も居るけど、変な事は特に無かった。と言われた。)
そして新聞屋が来ても父は「居留守」を使い、対応しなかった。そして、その怖い新聞屋さんは平日母が居る時にまた押しかけてきて対応するハメになった。あんなにヘラヘラ上から目線の1人語りを我慢して聞いてたのに、私たちの恐怖感を受け入れずただ優越感に1人語りしただけで。結局、何もしてくれなかった。
私は、心因性の疾患持ちで、療養中だ。薬を飲んでいるが、恐怖感や圧迫感があると期外収縮が起きてしまう。今はちょっと病院から自宅で静養を、と言われている。そんなこんなで、この新聞屋の事はかなり精神的…と言うか新聞屋の姿勢に怒りと恐怖で一杯になった。
私は、色々な怒りがこみあげてきた、父に怒鳴った。母もショックを受けたみたいで「やだ…。でも、パパが居ないと、食べていけないもん…。でも、パパ最悪だよ。」と言っていた。
その後、母は「増田が寝込んでるのは、パパにショックを受けてるからなんだからね!新聞の事とか!だから今飲んでる薬も、強めの薬になったんだからね!」と言った。でも具体的な怒りの内容は言わず、寝込んで2階で横になっていた私から聞いても母の言い方は一方的で(要は口下手)、父は「何だかよく解らないけれど、その程度で怒ってる。でもそんなに怒る事?」な感じに聞こえる様な、「つたない説明」だ。
そして父は「何?俺は増田に土下座でもすれば言い訳?」「ママはさ、増田の味方なの?俺は悪者扱い?」みたいな所まで私は把握した。
その後、母も私の体調を心配してか、そして母も「パパ、ママも嫌だよ。」と父と距離を置いていた。
でも、しばらくたって、何故か母は父と仲直り?というか元通りになっていた。きっと「パパが居ないと食べていけない」と言って事や娘と父の「ニュートラルな存在(中間役)」として母が居なければ、と思ったのかなと思った。それはそれでいいかな、と思ってた。父の事に対する怒りは私だけでいいやと思った。同級生の件は、母は「なんかショックだけど…」とは言ってたけれど、それ以上深く傷つく姿を見たくなかったし。それに、何もなかったと信じたかったし。
それまで、食卓では父は大人しくなって私も決して父と目を合わせなかった。でも最近は違う。父はいつも通り大きな声で食卓を楽しみテレビを見ながら母と談話をして。
そして、先ほど、携帯電話で母のメール変換予測ワードを見てしまった。
「増田に、」「乗せられた」
もしかしたら、考えすぎかもしれないし、メールの使い方が今一つ得意じゃない母のことだから、この変換予測ワードがそのままストレートに出てるのも私の悪口?とは別件かもしれない。と思いたい。母の携帯をこっそり見たい。でも恐い。
母がやけに私に肩入れするのも、表向きは私の味方で、実は私が父の悪口で母を無理やり仲間にした、みたいな感じで父にメールして「増田に、」「乗せられた」と書いたのかなと思った。
母は私の理解者だと思ってた。でも、水面下でコソコソ何かやってるのかな、と思うと母は役者だな、と思ったし、父の「のらりくらり」な態度や、恐い思いをした時に相談しても、大黒柱として私たちを守ってくれなかった事(居留守)、そんな父に母が「増田に、」「乗せられた」と私を悪者にしてたのが…複雑だった。
母が父に送ったメールを見てみたい。でも恐い。そもそも見ちゃいけない。私の思い過ごしかも知れない。両親が元通りの仲になったのは「時間が解決した」ってパターンなだけかもしれない。
でも、何故か私は母のメールを見たがっている。依存や、色々な心労がたたり心細くて母を独占したがってた中での上記の出来事だったから、私が母に対しての気持ちが異常なのかも知れない。
何か、乱文で何が言いたいのか、と言うと、「母に対しての割り切り方」や「携帯メールを思い切って見てしまってもいいかどうか」です。
客観的に見て、結果として心臓に悪い事が書かれていたり、病状が悪化する様なのであれば、やり過ごす努力をするけれど、正直いって、モヤモヤしてる。
私の低俗な悩みを、どこかにぶつけたくて書いてしまいました。乱文でごめんなさい。読みにくい所があるかもしれません。ここまで読んでくれて有難う御座います。
長年悩まされてきた不整脈が、ほぼ完治してきたので、自分なりの方法を書きます。
もし、不整脈に悩まされている方がいましたら、参考になれば幸いです。
■発症
のように、食い気味の拍や、本来は休符の場所に拍を入れる感じ。
今まで、ひどい風邪をひくとたまに不整脈が出ることがあったので今回もそれかな?と思ってたら、一週間続いたのでこれはよくないと思い病院へ。
■最初の通院
医者曰く、「よくある病気である。基本的には対症療法しかない。カテーテルアブレーションというのもあるが、そこまでの症状ではなく、普通に運動もできる。なんなら私も不整脈なんだよ」ということを言われた。
最後の言葉は、ちょっと医者としてどうなんだ?と思ったけど、結局これといった解決策もなく病院をあとにする。
■運動をしてみる
対策として、あえて運動をしてみた。
走ってて、最初は胸に違和感があったけど、ある程度激しく運動をすると胸のつかえが取れる感覚を覚えた。
その後しばらくは、不整脈が出なくなった。
なんだ、ただの運動不足か、と安心しきってたら数日後あっけなく再発。
また走ればいいやとしばらく放置したのち、再度ジムに行って激しく走ってみたものの、何と不整脈持続。
軽く焦り始める。
■二回目の通院
つまるところ、この手の不整脈は往々にして精神の問題から来るもの、とネットには書いてあった。
確かに、当時の自分は悩める子羊で、仕事の事や将来の事、家族の事など、今となれば「やりゃいいだろ」というような細かいことまで悩んでおり、
それが原因だという自覚があった。
なので次の一手としては心療内科に行ってカウンセリングを受けることにした。
これが解決すれば不整脈も治るかなと足繁く通った。
結果、悩みの一つである将来の事に関しては、転職をしてみようという決意に至り、活動をすることにした。
■サンリズムという薬
直接療法ではないが、症状を軽減してくれる。
仕事に集中できるためしばらくの間服用を続けた。
こんな状態の最中、転職活動を行った俺すごい、と一応自画自賛もしとこう。
加えて、こんな状態でも日々の通院や転職活動を容認してくださった前職の関係者の方に、ホントに御礼申し上げます。
■三回目の通院
転職を果たし、新たな地に移り住む。
さすがに三回目となると、こっちとしても説明も慣れたもの。
自分で「期外収縮」だと言うと、医者もあまり関心がないのか、たまたまその先生が専門外なのか、あまり親身になって聞いてくれなかった。
「あまり気にしないことですよ。運動もほどよくしたほうがいいです。悩みすぎないように」
という、俺でも言えそうな言葉をもらい、何となく釈然としないが薬をもらうためにしばらく通院。
■薬への耐性
薬も服用を続けると、体に耐性ができてしまって、なかなか効かなくなってきてしまった。
成分の密度が濃いワンランク上の薬をもらうこともできたけど、いたちごっこのようにまた効かなくなるだけなので、もう服用をやめた。
その頃には、多少の諦めもあった。
■不整脈が出る周期
説明がものすごく難しいけど、胸のあたりにドーンという深い重みが襲ってくるような感覚、一瞬の焦り、息が詰まる、のような体験をすると、翌日には不整脈の激しさが増す。
かといって、打つ手はなかった。もうカンセリングも受けたし、また受けても同じかなと。
ただ、解決策は徐々にわかり始めてた。
一般的に不整脈の原因の一つとして「自律神経失調症」があり、副交感神経の働きが弱いと不整脈が出やすくなるらしい。
そこで鍼をうってもらい、無理矢理にでもリラックス状態になってみたら何か改善されるんじゃないかと思い、試しに鍼灸院に行くことに。
結果、かなりリラックスはできた。
その他、温泉に行ったりマッサージを受けたりと副交感神経が優位になるようなことを行った。
しかし、完治はしなかった。
■光明
とはいえ、今までなかった「不整脈が出ない日」というのが、ちょっとずつ増えてきた。
何か、もう少しな気がしてきた。
家に居る時は不要な悩み事をしない、腕組みなどの交感神経が優位になるようなことをしない、
などを行った。
そういうクセってなかなか治らないけど、
「もうこれ以上不整脈が続くと、いくら心臓に問題の無い期外収縮とはいえ負担はかかってしまう」
と考えたら、ある種の防衛反応で悩みすぎる事もなくなってきた。
「だって死にたくないもん」と考える事で、細かい悩みは持たなくなってきたように思う。
■とどめの対策
それでも症状は出る。
あとちょっとなのになぁ、と歯がゆい気持ちになり、それが悪循環になり症状が悪化したり。
でも、自律神経の乱れが原因と決めつけて、いろいろ調べた結果、以下のことを試す。
マグネシウムの摂取は、体の神経系の異常を正常に戻す、という記事を発見し市販のサプリを購入し服用を始めた。
すると、服用後1ヶ月でほとんどと言っていいほど症状が出なくなった。
今も再発の不安は残るけど、このまま無くなる気がしている。
一袋300円弱。すごくリーズナブル。今まで高い薬を買ってたのがアホらしく思える。
■まとめ
という結論に至るにはちょっと自信ないです。
結果としてそうなったけど、精神的なものの兼ね合いだと思っています。
発症後すぐに投与しても変わらなかったのかもしれませんし。