はてなキーワード: 失言とは
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
オタクだったり女性だったりと、対象を順繰りに変えながら差別の問題が湧き上がるなか、知識人や政治家やらご意見番やらですら誤認識や失言してしまっているのをみると自分のような無学な人間はこの問題について語るにはあまりにも難しすぎるんだろうなと感じ始めている。
こういう社会一般における問題について考えると自分の非力さや遣る瀬無さに苛まれてやっぱり嬉しい気分ではなくい。
こんなときは小説映画ゲーム音楽などなど文学やフィクションの力をを信じたくなる。
そしてなんとなく予感がしていることがある。
社会の問題に踏み込んだ作品はやっぱり評価されるし、素晴らしいことだと思うが、それは本当に世の中を変えられているんだろうか。
実は無力なのではないか。
差別を扱った映画は毎年のように公開されていてとても良い出来で、きちんと評価されているものも多い。ズートピアもグレイテストショーマンも、シェイプオブウォーターも。全部の映画を見たわけじゃないけど、それでもこれだけあげられるってことはまだあると思う。
どれもマイノリティーをテーマにしていて差別の問題とか触れていたし、観た人も多いはず、でも現実として差別を取り巻く状況は何年も前から改善されているかがあまりしない。
自分たちが差別に対して理解した気になっているのはこういう映画をみている2時間だけなのではないだろうか。そしてそれは、もしかして偽善ということになってはいないだろうか。
そうなのか、そうでないのか本当にわからない。Twitterで堂々となにか意見を言えるほど自分に自信がないので匿名じゃないという勇気もない。
なぜ許してると思うのか
この失言についてはしっかり釈明すべきだと思うよ
本人の周りのしかるべき人が対応するのが望ましい、ネット民なんて所詮部外者よ
批判だけを行う
誰かを支持するということをしない
いや、批判するなと言ってるんじゃない
でも、そのあとには○○に変われ、が続くべきなんだよ
こういうとはてさは「安部じゃなかったら誰でもいいんだ、とりあえずやめさせることが重要なんだ」という
で、例えば石破が代わりに首相になって緊縮財政&消費税増税コンボを決めたらやっぱり批判するだろう
そして石破を支持した人をくさすのだ
石破を支持した人がいるなんて信じられない、日本人にはお似合いの首相だな、などと言うのである
なぜならはてさは石破を支持したわけではないから
誰でもいいは選挙の白紙投票と同じで全権委任なんだけど、はてさはそう思っていないのだ
誰でもいいをたんなる責任逃れとして使っているのだ
明確に後継に○○をっていうと○○が不祥事起こしたとき、自分の期待する政策を取らなかったときに支持したお前のせいだぞ、と言われる、というか今はてさが安倍or自民支持者、元支持者にそう言っている
自分にブーメランが帰ってこないように次期首相に○○をなんてことは絶対に言わないのだ
言ってせいぜい絶対に首相を輩出することがない共産党を支持しているというとこどまりだ
普段から自分たちは何かにつけ責任をとれと声高に批判するが、批判される対象となることは積極的に避けている
常に自分たちは批判されることのないポジションでただただマウントを取っているだけなのだ
岸田、石破、小泉、自民党でなくたっていい、枝野、野田、志位、誰だっていい
そしてその理由も書くべきだ
経済政策でもいい、国防政策でもいい、文書管理の施策だとか表現の自由だとかなんだっていい
どんどんやればいい
安倍以外なら誰でもいいというのであれば稲田が首相になってもそれを支持するのか
誰でもいいというのはそういうことだ
お前たちの批判するネトウヨだって政治的ポジションを明確にしている
翻ってお前たちはてさは反自民、反安倍に自分たちを位置づけひたすら批判だけをしている
自分を絶対に批判されない安置において批判だけをするはてさは卑劣漢だ
そしてその政治家が功績を立てたら自慢すればいい
飲む前と飲み続けた現在ではどう違うか質問すると良くなっていると言う。
それは効いている、薬が合っていて、あなたがちゃんと病院に行き、服薬してきたから良くなってきたのだろうと自分が言うと、でも不安だと言う。
不安なら先生に話したか、質問したかと聞くと、ごにょごにょ呟く。
先生に聞くのが一番だけど、聞きづらいならまず自分でも調べたりしてみたのかと言うと思いもよらないことだったらしい。それが自分には思いもよらないことだった。
思わず、10年以上薬を飲んでぜんぜん知ろうと思わなかったの?と言ってしまった。
失言だったなと思う。
その時点で学校卒業から10年近く、読書は自己啓発書ばかり、ゲームは携帯の女性向けアイドルゲームを好み、未経験のアルバイトは徒歩圏のお洒落な店が良いと言い、ネット検索も恐がるくらいの人(ここまで、偏見にまみれてるとは思うよ…)に、自分で精神科の薬について調べろ(調べろとは言ってないがそのようにとっただろう)はあまりに大変な事だったかもしれない。でも短大を卒業するくらいだから調べる位…と思う自分がいる。
でも思い返すと病気になる前、子供の頃でも自分からしたら戸惑う位気弱だった。
昨日はブックマークありがとうございます。
私も、可能ならストリートファイター4の素晴らしさを力説したかったのですが、なんか特定されそうなのと
それやっても仕方ないなと思って、自分の視点の意見を書くことに終始してしまいました。
私の望みは
●その大会が1回でも多く開催される事。
●それらの大会を観る人が増える事。
●プロになるのはゲーマーではなく主催や実況、解説を優先してほしい。
・理由:スポンサーがつくとしても、大会の質を左右するのは選手よりも主催の方が上だと思うから。
・理由2:選手は1ジャンルの1タイトルの猛者である事がほとんどですが、主催は複数ジャンル複数タイトルもカバーできるから。
以上です。
高額賞金とか付加価値って、先にそれをつけたら人気が後からくっついてくるものなんですかね?
逆じゃないです?
人気があるから広告をうつ価値が出て、スポンサーがつくのではないでしょうか。
今の日本国内の観戦者規模が高額賞金を出すのに十分だとはとても思えません。
これからなので、皆様、是非、大会に足を運んだり、大会の生放送を観戦してください。
natu3kan ポケモンはプレイ人口多いからプロスポーツ化できそうな気はする。広い場所って借りるのクソ高いから、広告だしたら宣伝効果高いとか入場料とかで採算でる見込みがないと税金対策でしか大会できないのはありそう。
私は本家のRPGのポケモンの強豪やプロについては詳しくないですが、それでも毎年ポケモンジャパンチャンピオンシップは欠かさず観戦しています。
ポケモンジャパンチャンピオンシップは、今年は6月に開催される国内最強のポケモントレーナーを決める大会で
・ポッ拳DX
そして、優勝者には、毎年アメリカのカリフォルニア州で開催されるポケモンワールドチャンピオンシップスの旅費宿泊費を株式会社ポケモンが完全負担する招待選手の栄誉が与えられます。
ポケモンワールドチャンピオンシップスの優勝者には奨学金名目の賞金も支払われますし、正に、ポケモンマスターを決める為の世紀の決戦なので、注目すべきです。
periodict 結局どうなってほしいのか、主張が不明瞭。国内eスポーツの不振を賞金がないせいにする門外漢を叩きたかっただけ?でも数十億円賞金出たらガラッと変わるんじゃないかなー
大会増えて、参加できる人が増えて、観る人も増えてほしい。
もし、スポンサーがついてお金が入ってくるなら、その費用は運営の為に使ってほしいという事です。
実際に参加しないとわからない事ととして、会場って人がとても密集するので空気が悪くなったりするので
可能な限り空調がちゃんとした所やスペースに余裕がある所を借りてほしかったりします。
お金は、そういう事に使ってほしい。
summoned ハクとかどうでもいいけど高額賞金タイトルには専業が上位独占的なのもあるよね。格ゲーは別にeスポーツの代表ではないでしょ?LoLとかで競技に専念して世界に通用するようになりたいって言う選手を見たことあるけど
そして、格闘ゲームが世界的にマイナーである事も理解はしています。
ただ、国内に限った話なら。あなたが好きなジャンル、好きなゲームタイトルは何ですか?
それの大会を観戦するのが好きな人があなたのコミュニティにたくさんいますか?
そのコミュニティの輪を広げたり、観戦する事、プレイする事は楽しいっていう情熱を、是非、広げていってください。
私の視点から言える事だと「競技に専念できる一握りの人だけしか壇上に立てないようなタイトル」は面白みが無いと思っています。
だから、参加するのが楽しくて仕方ありません。
高額賞金をスポンサーにつけさせる為にも、あなたはあなたが好きなゲームの魅力をその魅力に気付いていない人達に届けてください。
がんばって!
あと、支援がある選手を倒し続ければ支援の声がかかったり、自分から呼びかける事や「この選手に支援がないのはおかしい」とコミュニティに思わせる事で支援を得られる事もあります。
実際、吉本興業のオーバーウォッチ日本人プロチームの主戦場は海外リーグです。
ゲーム大会って基本オフ会文化の延長線上なので選手が機材提供したりするんですよ。
プレイヤーが運営に元気でいてほしいのは、次も大会を開いてほしいからです。
ゲームに限らず人と触れ合う趣味がある人なら誰もが同意していただけるかと思います。
場を作る人、維持する人。大事です。
だから、JeSUという組織が機能する事で新たな大会が開催されたり、より広いジャンルが注目されてくれたら嬉しいと思っています。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
愛海「風情! 風情じゃないですか! 春雨は濡れてまいるのが風情じゃないですか!」
詩織「知らないわよ…… なにそれ…… どうでもいいけど…… 一応説明すると…… 今日ここに来るときに駅でたまたまあったのね……」
愛海「それで駅を出た途端に、雨がポツポツ降ってきたからって、詩織さんがコンビニで傘を買おうとしたんですよ!」
詩織「……買うでしょ」
詩織「二人でも…… バカみたいよ…… あと同じ言葉繰り返しすぎ……」
愛海「そんなことないもん! 春雨じゃ濡れてまいろうだもん!」
詩織「しつこいわねえ…… 何度目よそのフレーズ…… ……あなた。時々…… 本当に時々…… 乙女よね」
詩織「日菜子ちゃんなら…… 意気揚々と付き合ってくれそうね……」
詩織「あら…… なにか確執がありそうね…… 一度くっついて別れた……?」
愛海「くっついてもないし! 別れてもないし! 確執もないよ!」
詩織「ふーん……」
愛海「詩織さんってあたしを女の子とくっつけようと画策してないです?」
詩織「……えー」
学習センターに来る子供の大抵がどちらかに当てはまり、障害を持っている。
いじめが起きた場合、双方の子供達を隔離し支援センターで訓練をさせるべき。
理性が働きにくい。
コミュニケーション能力が高い子が多い。
放置子率高い。
いじめ被害者以外の子や大人にも嫌がらせをし気を引こうとする、気を引けるなら尽くすことも。
容姿の良い人を嫌う傾向に有り、ただダーゲットにするとは限らない。
多動のADHD率が高い。
注意されると逆上する。
知能はそれぞれ。
仲良くなると奴隷になる。
親が若いことが多い。
感情の起伏が激しい。
コミュニケーション能力が極端に低く失言が多いが本人は気がつかない。
本人や親が認識しているほど成績が良く無い。
容姿はそれぞれだが、身なりがボロボロ等汚い子が多いまたは不潔。
誰とも話さないが周囲の人の方からかまって欲しいという態度をとる。
注意すると鬱になる。
無表情。
増田さんは
「素」の自分を受け入れてほしい?
「無理してでも皆にあわせる自分」の居場所があったらそうしたい?
そうだね、楽しく過ごしたいからね。ハラハラするような言動や性格は良いけど喧嘩してしまえないようなデリケートな人はしんどいかも。
「気心の知れた仲」になるまでの期間ってどれくらいなんでしょう。案外その人たちも、時間かかってない?
繋がれるところだけで、あくまでもゆるく、なら。
あるいは、増田さんの気質を分かってくれて、気持ちを汲んでくれる人がいれば。親兄弟以外で。
それか増田さんに尽くすタイプの人かな。でもそういう人増田さんは好きじゃないでしょう。
何も言わないでも同じノリで遊べる人たちってのは、わかるもの。
言われた人とケンカになりそうだったり、その方が黙っちゃったりしても、
増田さんに悪気がない場合、気付かず、周囲がハラハラなんてことがあったりしたら、
気付いた人がめちゃくちゃしんどいんだよ。フォロー入れたり、話の流れを変えたり。
「どんなに増田さんの内面が良くても」お声はかかりにくくなるかも。
それか、金銭感覚や食べ物の好み。それもすり合わせが出来てると良いんだけど。
増田さんに悪意がなくてその人たちを好きなら、きっと伝わるので、
そうなったら「失言」あっても「あー悪気はなくてこういう事いうやつなんだよな」と理解して貰えれば
一緒に遊べるんじゃないかな?
逆に、問題があった時あっさり「ひどいこと言ってる!」とかいってワハハと流してくれるような人ならいいのかなー。
仲良くなりたい人、一人にじっくり話してみたら?あちこち声かけたら、なんだ、自分じゃないんだ必要とされているのは!ってなるよ。
増田さんが魅力に感じて遊びたい人たちなら、
増田さんがその人たちにあわせるべく少しは努力すべき。自分はピュアでそういうの(他人への気配り)充分じゃないです!失言多目です!」なら
誰だってそういって許してほしいの。
きっと上手くいくよ。
好きな役者や声優やアーティストはいるけれど、あくまでも演技や作品が好きなので、とにかく見続けることが出来ればそれでいい。
コンスタントに出演作重ねてくれて、ニッチ需要に応え続ける形でもいいから、とにかくなるべく引退しないで長く業界に留まってもらえれば一番だと思っている。
だから犯罪やらかしただとか焦土になるレベルの炎上失言かましたとかならまだしも、結婚したって話で騒動になるのがいまいちよく分からない。結婚に踏み切ってそれを世間に発表したってことは、家族を養える程度にはやっていける見通しが立ったのだろうかと理解してしまうので、むしろ自分としてはわりと安心するけど(なので離婚のニュースを耳にすると地味に辛い)。
……みたいな話をしたら、「増田は本気で誰かを推したことがないからそういうことが言えるんじゃない?私はショック受ける気持ちも分かるけどなあ」と知人にばっさり切られてしまった。
言われてみると本気で生身の人間に入れ込んだって経験は確かに無いような気がする。演技や作品は好きだけどそこどまりというか、演者自身にまで興味を持つことって無いんだよなあ。そこを飛び越えるぐらいまで惹かれるのが、本気で入れ込む、本気で推すってことなんだろうか。
アベノミクスは、大規模すぎる金融緩和という第一の矢以外は、全く当たっていない、というか第二、第三の矢を放つこと自体を、言い出しっぺの総理自身が、全く忘れているかのようである。
景気は良くなっているように見える、経済指標のいくつかは向上している。法人税の税率を下げて企業の経済活動保護を行っているし、あれだけ札を刷っていれば当たり前のことでしかない。問題は、刷った金がどこに流れていくかである。
人口の多くを占める給与所得者の手取りは減少している。増税・社会保障費負担増しているからだ。消費税も増税するつもりでいたらしい。人口の大半を占める給与所得者の手取りは減っているし足元景気は両手を上げて喜べるほどの変化とは言いにくい。大規模金融緩和を行うための方便の一つである年金運用もそれほど改善したという話はきかないどころか、年金受給年齢を引き上げるという報道もあるように、むしろ大して良くはなってないのではないだろうかと思っている。
更に、重商主義政策は続き、いわゆる「働き方改革」に着手している。人口の多くを占める給与所得者の手取り収入が下がっている上に、この先は人手不足が深刻で更に労働環境の悪化、主に労働時間の増加と時間当たり報酬の低下、というかたちで私たち給与所得者に対して、厄災として降りかかってくるだろう。人口減少に伴う労働者人口の減少は、もう10年以上前から話題になるべき場所では小さい話題にはなっていたが、これは企業の利益率低下を招く。一番のコストである人件費が上がる可能性が高いからだ。そして労働者保護の視点がゼロの現政権が考えている「働き方改革」の骨子を見る限りでは、企業にとって人件費を抑えるためにはとても有効な、労働者の権利を最小化(というか労働基準法を守る気がない監視や罰則の導入をする気がない)するものを、推し進めそうになっていた。
推し進めそうになっていた、と過去形で〆ることができたのは、ひとえに森友問題、加計問題(これはまだ疑惑段階ではあるが、森友がこれだけ真っ黒なら…とは思わざるを得ない。状況証拠は森友より分かりやすく真っ黒なので)のおかげである。
加計問題は一見問題がない良い話のように見える。官僚の管理主義を排除し雇用や若者の流出などの問題を抱える地方へ希望を与える、ように見える。が、露骨な「オトモダチへの利益誘導」にも見える。加計スキームの怖いところは「オトモダチでないとアベノミクスで買う人がいなくなるほど刷った金が還流できない」という「構造」を邪推できてしまうようなものでもあるからである。いくつかの報道で本丸扱いされているのはこれが理由だ。どれだけ札を刷ろうが、幼稚園児に北朝鮮のようなマスゲームを仕込んで首相夫人を褒めそやさせたり、首相と幼馴染の生まれた時からオカネモチでないと、本質的な意味でアベノミクスで恩恵を得ることはできないのでは…と思えてくる。
もちろん、投資家のうちに旨いことやった人々もいるだろうし一部の「勝ち組社員」の中には多少ベアがあったりボーナスでうはーとなったりしている人はいるだろうが、働き方改革がこのまま推進されてしまうと、せっかく給与が雀の涙ほど増えたところで、労働時間や負担がどんどん増えるだけ、という暗い未来が更に想像しやすくなる。金を回してもらうには安倍のケツを舐めるしかない、という社会になるということ。
増田が自民党のことが嫌いになれないというのは、どちらかと言うと安倍様のケツを舐める側に近いところから仕事を得ているからだろう。ただ、世界はその他大勢の「そうじゃない人」も支えているし、増田だって所詮はただの給与所得者でしかなく、上が「おらもっとケツ舐めてこい」という体制になったり、将軍様の気まぐれで余禄が還流されなくなったりしたら、同じことを言ってられるかという風が吹けば飛ぶような立場でしかない。
社会を、より大きな社会リスクや変化を減らせるように運営していくためには、こういう形はあまり良くない。人が動かす社会は不安定さを招きやすいからだ。繰り返すが増田だって「今たまたま」悪くない場所にいるだけでしかないし、安倍将軍のゴキゲンが変われば簡単に変わる、人知的な政治の怖さはこれである。私は法治国家の方が好ましいと考える。
更に元増田の不思議なところは、自民党と安倍政権をごっちゃにしているということだ。もちろん議会民主制なので政権与党≒キャビネットではあるのだが、実際には党内にも色んな意見があって調整したり話し合いをすることで、議論や法案はより良いものになるはずである。民主主義ってそういうことでもあったりするが、安倍政権は公務員人事権の運用も独裁的(森友問題はおそらくこれが原因で起こっている)だし、内閣人事もこちらの顔が羞恥で赤くなるほど露骨な「ケツ舐めてくれる人優先」で能力を見た適材配所には全くなっていない。言えばきりがないほど、麻生がかつて漢字読めなかったことを揶揄されきっかけで退陣したのがばかばかしくなるだろうなと思うぐらいには失言や方言や失策のオンパレードである。稲田さんが典型。
これは私見だが、おそらく安倍麻生を筆頭にした「彼ら」は、そして増田も「公」の概念を理解していないのではないだろうか。安倍、麻生両氏については「公=オレ」ぐらいに思っていそうである。違うよ。「公」はその社会に属している全員が共有する「場」であって、民主主義国家においては「法律」を作ってその場所をみんなで守る、と言うようなものである。常々首相はアホヅラで「朕は国家なり」って言うと似合うだろうなーと思っているのだが、それは帝国主義的だしもっと言えば独裁である。江戸時代か、いや明治天皇にでもなったつもりでいるのか(実際の明治天皇はそういうタイプの性格ではなかったようだが)もしれない。
厄介なのはご本人たちに「公=オレ」いう間違いを自覚する気がないことと、公=オレと思いこめる源泉が「親から受け継いだ多大な財産」をバックボーンにしているという残念さである。せめてワタミ程度に「自力で手に入れたもの」であれば…もしくは官僚上がりの政治家のように一応は人並み以上に勉強を積み重ねた人であれば、とも思うが。ワタミはワタミでああいうひん曲がり方をしているし官僚上がりだと官僚との慣れ合いが酷くなる可能性もあるし困ったもんだ。まぁ安倍政権は官僚上がりの閣僚が少ないので後者の心配は不要である、つーか逆に偏差値で言うと43くらいだなーと思うのでもう少し官僚上がりの閣僚増やしたらいいのに笑。
今そういう独裁的な国家体制でこれ以上続けていても、国際競争力や世界でのプレゼンスを維持できるとは全く思わない。現に安倍政権はほんっとーに外交がド下手だ。ちょっと面白いぐらい下手。北朝鮮に振り回されまくってるし、猫の目が変わるようなトランプ政権の情報を米国から流してもらえてないことすらしばしばだ。あれだけしっぽ振ってんのにどんだけ舐められてんだよ笑と思う。
更にいえば、誰も買うものがいなくなるほど刷っている札は、この後どうするんだという問題である。トリクルダウンは今のところ起きていない、あとは日銀がいつ紐を引き絞るのかということであるが、これ、誰がどのタイミングでやっても世の中全部が大怪我はする。すでにそのぐらい刷りすぎてる。なのに多くの給与所得者たちの手に渡る金は少ない。首相もいつだかの会見で「給料あげたれよ企業よー」というコメントを出したがその後に政権が進めたのが「底に穴があいている働き方改革」なので、まーガス抜きでしかなかったのかなーと愚考する。
インフレも起きつつある。もちろん良いことではあるが、それに比して給与の上がり率が追いついていない。この先に待っている可能性はスタグフレーションである。すでに可処分所得の低い世帯からじわじわと個々の家計においてスタグフレーション的な現象が起こっている。若年層や子育て世帯に余裕がないなど、で、結果的に少子化も止まらない。
もしくは、紐ちょっと引き絞っただけで一気にまたデフレに逆戻りか。どちらにしても札を庶民に還流させるための方策であるはずの第二、第三の矢がまったく飛んでこないのだから当然である。ここで所得増税とか消費増税するあたり、安倍ちゃん結局良く分かってなかったんじゃね?感がすごい。2012年に第一次安倍内閣が発足してアベノミクスアベノミクス煩く言うようになった時から、「基本歓迎するけど、いつ紐締めるんだろうね、つーか第二第三の矢って具体策ゼロだけど大丈夫なのかね…」という声はあった。結局あれから5年経っても第二第三の矢はまだ実体が見えてこない。
これについて、麻生氏側の非はさんざんいろんな指摘があり、それはその通りであると思う。
だが、忘れて欲しくない。
2/14の国会において長妻昭氏(立憲民主)は、「(佐川氏は)自分は逃げ回って、国民は確定申告に来い(と言う)。道理が通るか」と発言しているが、この「道理が通るか」という発言、またそれに続いた発言は、確定申告の会場をアベ批判に巻き込むリスクをさらに高めた火に油を注ぐ発言であったと言わざるを得ない。
批判の矛先はあくまで国会でやりあっていただき、一般市民の生活と、日々真面目に働いて頂いている役人の皆様にいらぬ迷惑をかけてほしくない。
妙な左系の活動家を抑制し、大衆のための真っ当な見識のもと、誠実な政治を行っていただければ、立憲民主支持も自ずと増えるはずなので、場外乱闘に頼らず頑張ってほしい。
枝野氏の発言は論の進め方等大変すばらしく、紳士的に見えた。長妻氏や他の野党の方は見習ってはどうか?その先に支持はあると思うが。