2024-08-30

教養があっても損するパターン

同僚や親戚と教養方向性が違う

たとえば台東区に限っても、浅草大衆演劇落語好きな人から国立西洋美術館好きな人まで、方向性はだいぶ異なる。教養方向性が周囲と異なってると話が通じなくて孤立する。

異文化圏と交流する機会のない組織に所属してる

外国に限らず、違う地方の人と交流する場合はその地方文化に知っておくことが役に立つ場合がある。

しかしそうでもないなら、有限な時間教養を身につけることに当てるのは、単なる「暇人私的趣味」とのことになる。

教養が、人格成熟に直結すると勘違いしてる場合

文系大学院を出た人が、他人の作った作品に火をつけたり、貶すのが目立つように、教養を身につけたとしても、ロバが馬に変身する訳ではない。

まり「私はこういう論文を書いた」が、他人を黙らせても良い権威になると勘違いしてる人間は、むしろ教育投資に見合った知性品性を身につけられたなかった人」と小馬鹿にされ、本人は「無教養差別主義者に迫害される私」との勘違いから逃げられなくなる。

みんなの意見は?

  • anond:20240830114951

  • 教養を損得で考えるのは世俗的すぎるのではないだろうか 教養とはどちらかというと宗教的なもの 自分の子どもの名前をピカチュウにするか秀吉にするかみたいなもんだが、優劣をつけ...

記事への反応(ブックマークコメント)

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