はてなキーワード: マイナスイメージとは
40歳近いおばさんがおばさんとして発言したものに、自称でも30代でおばさんはやめてほしい、なんてコメントがついていた。
それを読んで、40手前でおばさんを自認する人間として、ちょっと言いたいことをまとめたくてこの増田を書いている。
私は若くはない女性という意味合いで自分はおばさんだと思っている。そして、若くはないということにも思うところは何もない。むしろ、若くはないと思えることをいいことだと思っている。自分の老いを素直に受け入れられることは好ましいことだと思うからだ。
30代はまだ若いと思う人もいるかもしれない。40代50代の人がそう言うのなら理解する。
だが、当の30代、特に後半の30代の人間が自分はまだ若いと思うのはどうなのだろう?
確かに平均寿命も昔と比べたら伸びて、30代はまだ若いのかもしれない。けれども、30代も後半になれば各種教育機関を卒業し働き始めてから10年は経っていると思う。そうしたら、それなりに自負ができたりしないだろうか?そうしたものを持っているのが年を重ねた人間の良いところではないのか。私はそう思うから、今、40を手前にしての自分をそれなりに年を重ねたと思うことに戸惑いはない。
しかし、おばさんという言葉には例えばずうずうしいとかいったような、マイナスのイメージも付きまとうことがある。私がまだ子供だった頃、そうした『おばさん』を『オバタリアン』などと呼んで揶揄する風潮があった。そうしたイメージでおばさんと呼ばれるのが嫌だという話はあるだろう。
だが、やはりそれにも異を唱えたい。
おばさんという言葉に悪い意味合いが付いたままでいいのかと思うのだ。普通の人が普通におばさんを名乗ることで、おばさんという言葉についた悪い意味合いを書き換えることはきっとできると思っている。
おばさんという言葉が敵なのではなく、おばさんに勝手にマイナスイメージを付ける人が敵なのだ。
そして、もう一つ気になったコメントとして、40代の女性は普通に抱けるというコメントがあった。
それについては、おばさんという言葉を根本的に誤解しているなとしか思わなかった。
おばさんという言葉に女性としての魅力をなくした人間という意味合いを感じているからこそ、そのような感想を言ってしまうのだ思うのだけれど、これはもうなんというか、アレだ。普段から女性を抱ける抱けないで判断することがどんなに失礼なことなのかわかっていない。こちらとしても失礼ではあるが、お前はただの雄か?その前に人間じゃないのか?と思わずにはいられない。
そして、冒頭に述べた人がもしおばさんは女性としての魅力がない人間という意味合いでおばさんという言葉を嫌だと思っているのなら、やはりそれにも、おばさんという言葉に性的な意味合いを付けない使い方をしようと言いたい。
つまり、ここまでの話をまとめると、おばさんという言葉は単に若くない女性を表すだけの言葉として使ってほしいし使われるようになってほしいという主張になる。
おばさんという言葉が嫌なら美魔女を名乗れば納得なのか?そんなわけはないでしょう。美魔女なんて雄の視点にとらわれた言葉で、女性が自分を語るのにこれほど不適切な言葉もない。
何にでも反対するためにプラカードを掲げたりデモ行進する方が目的になってる人達と考え方が非常に似ている
デモ活動があれば、当然何かに反対するために参加している人達がいるわけだが、
プロ市民のようなプロ左翼も、反対に位置するプロ右翼も、社会問題がなくなってほしくないと思っている
日頃の鬱憤を晴らすために喚き散らすことを正当化できる言い訳がなくなってしまうからである
これは酒鬼薔薇とも非常に似ている
校門の前に切断した首を置いたのは操作撹乱のためだと彼は供述しているが、
私はそれは嘘であるか、もしくは彼本人が自分の本音に無自覚なように思っている
論理的に考えてそんなはずはなく、だからといって彼が論理的思考ができない、
知恵遅れとかそういうタイプではないことは誰しも分かるはずである
彼が切断した首を校門前に置いたのは、過剰な承認欲求を抑えられない、
そういった幼稚さが彼の中に並行して存在しているのではないかと考える
彼の、存在が透明なことに耐えられない、といった主張は決して事件後の話だけではなく、
俺を見ろ!という過剰な承認欲求、
俺に屈服しろ!逆らうとこうだ!という支配欲求のようなものが発露した結果に思う
どれだけ法律を犯したことができるか、みたいな度胸試しが横行するのもそうである
彼等のコミュニティ内での順列を争うため、
そして、彼等のコミュニティ外でも自分の存在感を認めさせるため、
誰かの心に残らないぐらいなら、悪印象でもいいから残りたい、
同じことを「てんちむ」という女性がYouTubeで語ってるのを観たとき、
こういった見捨てられ不安のようなものは、幼少期に形成されたのか、
少なくとも両親、もしくは片親にそういう思考の傾向がやはりあり、
そういう環境下で育ったことが一番大きく影響しているのは否めないと思われる
話を最初に戻すと、
ヤンキーにとって校則は寧ろ自分の存在を証明するために必要不可欠な存在であり、
校則がなければ、寧ろ彼等は学校に完全に来なくなるとさえ思っている
わざわざときどき学校に来る、もしくは学校に来ている知人と接触しては、
小林よしのりが漫画の中で、自分の高校時代に分かったこととして、
ヤンキーは学校の教師側の人間だと描いていたが、個人的経験からも非常に同感である
学校の校則を変えたい、もっと自由な校則にしたいと息巻いていたが、
そして、小林氏がヤンキーに、おまえらも校則が変わった方がいいと思うだろ?
と問いかけると、ヤンキー達は明確に反対し、小林市に制裁を加えるようになるのである
中国の暴力団である三合会の人員を政府が投入したことにも似ている
本来、三合会のような、いわゆる暴力団と呼ばれるべき反社会的組織、
しかし、香港デモでは政府は一変し、三合会に賄賂を渡して民主化デモに投入し、
理由として、表向きは中国政府はデモ活動の鎮圧に非人道的な暴力行為を行えないというのがある
よって、自分達の代行をしてくれる者達として三合会のような暴力団員を投入したのである
本来、もちろん今でもだが、中国は犯罪行為に非常に厳しいところがある
例えばインターネットカジノの業者のような人達も厳しく取り締まられたため、
要は、国に見えないところでいい思いをしている反社会活動は許せない、ということである
反社会的な人達が結託することが非常に都合が良いことが意外と多いように思われる
教師とヤンキーが意外と仲が良い、卒業してからも学校に出入りするなど関係を保っているヤンキーも多い
しかし、ヤンキーに暴力をふるわれ怪我をした、場合によっては障害を負った、
レイプ未遂の被害を受けた等、実害があった生徒たちにとっては溜まったものではない
教師もどことなく、生徒を屈服させる、服従させることに自分の存在意義を見出している人がいる
そういった教師にとっても、ヤンキーはいわゆる「手の掛かった」生徒ということで、
そういった教師にとっても、校則が緩くなり、学校が自由になり、普通の生徒が自由になることが許せないのだろう
なぜなら、教師という職業自体が自由ではなく、その不満が蓄積する職業だからである
家庭などで鬱屈し反社会的な行動に走るヤンキーというか不良少年少女と、
職場等で鬱屈し、自分達が不幸なのに生徒が幸せになるのは許せない、という鬱屈した教師たちが、
互いに共感を抱き、傷を舐めあい、普通の生徒たちに刃を向けるのは不思議なことではない
寧ろ、自然な流れだとさえ私は思っている
ちなみに、これは校則だけでなく、普通の法律でも同じように思う
マリファナを規制しすぎれば、マリファナのルートや使用者が地下に潜ってしまい、警察の管理下から外れてしまう
マリファナのような軽い話ではなく、反社会的な組織や犯罪者であっても同じであり、
法律を厳しくしすぎると、公安や国家が市民を却って管理できなくなってしまうことがある
適度な締め付けが重要であることはマキャベリズムにさえ書いてある
普段から恐怖政治や粛清を繰り返すと、市民は逆に粛清になれてしまう
公開処刑が当たり前のような状況にするよりは、
ときどき、不意打ちのように、見せしめにズバッと公開処刑をするべきである
そうすることで市民に恐怖をときどき植え付けることが、国家へ反逆する意欲を失わせる
普段から頻繁に恐怖を植え付けられると、却って市民はキレるように反逆に転じる
なんだかんだ政府は国家は、市民が反逆し、暴動し、コントロールできなくなることを恐れている
いつも怒っている、怒鳴る人は怖くない
これはよく言われる「オタクが差別されるのはオタク自身の態度が非常識で顰蹙買ってるからだ!」みたいな話ではなく、階級闘争の戦略の話
そもそも温泉むすめが批判されているのは「公共機関後援のもと」「未成年の」「女性を性的に描写・女性に対する性加害を矮小化した」点だ
LOFTや宇崎ちゃん、禁書房の炎上も基本的には「公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで」「女性を性的に描写」が問題になっている
例えばまんだらけ店内やTSUTAYAの暖簾の向こう側で、LO誌内でどんなに女体がご開帳されていようが基本的には炎上しない
それはまんだらけ店内やTSUTAYAの暖簾の向こう側、LOは公共機関に殆ど絡みがない(企業間で取引はあるだろうが、公共機関が全面バックアップはしていない)し、男女偏りなく集まる公共スペースでもなんでもないからだ。フェミ側はそう認識しているからだ
そのため「公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで」なされた時点で、「女性を性的に描写」がイラストだろうが実写だろうが、批判の対象となっている
しかし、アンチフェミオタクはこの批判を「萌え絵・オタクを批判している!」と曲解し、そうした言説を広げている
なぜこうしたミスリードが行われるのか?それは、アンチフェミオタクは、オタクの権利を向上させる階級闘争を行っているからだ
かつてオタクが差別され、そのオタクが好むものとしていわゆる萌え絵も差別的に捉えられる時代があった
こうした時代を経て、男性向け美少女コンテンツを好むオタクの一部は「萌え文化を『みんなが認める』ことこそがオタク階級闘争のゴールである」と考えるようになった
(男性向け美少女=オタク文化の全てではないが、彼らは萌えがオタク文化の象徴であると考えている)
(そのため、彼らはオタク階級闘争を行いながらも、電車オタクに対しては差別的態度を隠さない)
(階級闘争が始まったのは、某議員の票集めの活動や、従前から存在するネット上での女性差別の影響もあるだろう(だからこそ、彼らは萌えをオタク文化の象徴としている))
具体的には、「全ての萌え文化を公共機関絡みor男女偏りなく集まる公共スペースで展示することが、オタク権獲得の象徴である」という考えだ
「全ての萌え文化」とは、CCさくらから関谷あさみまで、CERO AからCERO Zまでレーティングの如何を超越した「全ての萌え文化」である
こうした階級闘争に臨むオタクからすれば、当然温泉むすめの批判者は「萌え文化を排除するオタク差別主義者」に映るだろう
批判者が「趣味はスカートめくり」「夜這いにワクワク」設定が削除されて満足する(=萌えキャラデザ自体は変わらない)レベルでも、階級闘争オタクにとっては「全ての萌え文化の公認を妨害したオタク差別主義者」になる
そして種々の炎上案件を経て、階級闘争オタクはフェミ全体を「萌え・オタク差別主義者」と認識するようになる
実際は2次だろうが3次だろうが関係なくフェミは批判しているのだが、オタクにそんなことは関係ない。そこまで見てないし
禁書房の炎上はアンチフェミオタクが階級闘争に臨んでいることを如実に示した例だ
禁書房は「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える」状態をフェミに批判されていた
しかしフェミ=オタク差別主義者の信念を持つアンチフェミオタクは、フェミによる批判を「オタク批判」と認識し、そうした言説を拡散した
実際は禁書房の品揃えの中心は往年のアダルトビデオであって、決して萌え文化と親和性が高いとは言い難い
それどころか、往年のアダルトビデオは出演強要が横行しており、ハッキリ言えば反社的な業界である
まんだらけは非常にオタク的ではあるが、階級闘争オタクの考える「オタク文化=萌え文化」的側面は、取扱商材の一部分にしか過ぎない
つまり、禁書房それ自体は「萌え文化の象徴」とは言い難いのである
しかしアンチフェミオタクは、禁書房を批判するフェミを「オタク批判をしている」と判断した
ここに、アンチフェミ(表現の自由戦士)オタクがフェミを敵対階級と認定し、階級闘争を行なっている一端が見えるだろう
アンチフェミ(表現の自由戦士)オタクは最早「萌え絵を擁護している」訳ではなく、「フェミと闘っている」のだ
しかし、「フェミとの階級闘争」を一義としてしまうと、「オタク階級闘争のゴール」からは遠ざかってしまうという矛盾が生じる
階級闘争のゴールから遠ざかるとは、つまり「萌え・オタク文化=全て差別的なものだとする誤解が広まる」ということである
アンチフェミオタクは闘争する中で、例えば禁書房の件では、「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」を「オタク的である」と認定し、そうした言説を拡散してしまった
(「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」への批判を「オタク批判」だとすると、「男女偏りなく集まる公共スペースで」「レイプの娯楽化(AV)が見える状態」は「オタク的である」と捉えることができる)
温泉むすめの件でも、「公共機関後援のもと」「未成年の」「女性を性的に描写・女性に対する性加害を矮小化する」を「萌え文化・オタク的である」とする主張を流布してしまった
そう、アンチフェミは(敵対階級認定した)フェミの論点を無視した階級闘争を行うことで、こうした「差別的で、不適切である」案件を「萌え文化・オタク的である」とする「オタクマイナスイメージ戦略」を行なってしまっているのである
フェミの反応も様々で、萌え文化を愛好するフェミや理解をもつフェミは「フェミは萌え絵批判をしている訳ではない」とご丁寧に反論している一方、萌え文化に興味がなかったりむしろ嫌いなフェミは「萌え=女性差別的だ」とアンチフェミの立てた論調に乗っかってきている
オタクマイナスイメージ戦略の影響がフェミ内で止まればオタクにとっては大した問題はないが、現実はそうもいかない
直近の某共産党員の「萌えは性的客体化が入ってる」という発言も、アンチフェミによるオタクマイナスイメージ戦略による影響があるだろう
でじこのような「萌えだけど性的客体化されていない」キャラがいる時点で、萌え=性的客体化とはならないからだ
AVショップの炎上に「オタク差別だ!」と声をあげるオタクを目にする→ポルノ(3次元含む)=オタクというイメージが付く→階級闘争オタクは、萌え=オタク文化の象徴という前提で活動している→ポルノ=萌え、萌え=ポルノという誤解が生まれる
このように、アンチフェミオタクは階級闘争に熱中するあまりに、かえって萌え絵・オタク差別を広げてしまっていることにいい加減気付いた方が良いと思う
営業部隊が綺麗なオフィスで日本の大企業を模したヌルい仕事をしている方(サステナビリティとかエコとかロハスとかやってる方)か、
受託の(日本の定義での)システムインテグレータ(前に変な女子社員が不満ぶちまけたかで炎上した)の二つなので、
知らんけど
そもそも、MSNは日本側の人間がネトウヨ系や下品なスポーツ新聞系のニュースが好みだっただけだと思うから、
MSNのニュース内容が人道的にも酷いとか、そういう文句は米国側に言わないと駄目だと思う
マイクロソフトは現地の文化を重視するので、日本のマイクロソフトは日本企業の文化なので、
事なかれになったり、日本の企業の良い点、悪い点を踏襲していて、良くも悪くも外資ではないので
知らんけど
アレを読むぐらいならGoogle Newsの日本語のほうがまだマシだし、
自分はGoogle Newsの日本語の内容(日本のメディアのニュース集めただけ)も酷いのであまり読まないけど、
ローカルニュースだけは近所の情報(イベントとか店が潰れて新しい店ができるとか)が集まるのでチェックしてる
自分はMSNを埋め尽くす芸能人のゴシップなんかより、近所においしいパン屋ができたみたいな情報を重視するので…
MSNのニュースの表示とかEdgeがリセットされる度に最初に非表示にする
そもそもタブを開く度にニュースが表示されるような機能がウザいし必要ないわけだが、
結局、あまり読んでる人がいないので惰性で続けてる、野放しになってる感が否めない
ついでに言うなら、Bingの精度も酷いのにEdgeが検索エンジンをBingに変更したがるのも不愉快
ただ、Bingマップに関してはGoogle Mapsよりライセンスが緩かったので、
GIS関連で重宝していたときは昔あったけど、最近はどうなのか知らんけど…
営利の企業が管理していてOpenStreetMapよりは出来が良くライセンスの緩い地図サービスがあると助かる
よく知らんけど
ついでについでに言うなら、Visual Studio 2022は好印象で使ってはいるし、
近年のGitHub買収に賛否両論あるが、私は賛成派だし、WSLに関しても今の所は好印象に思っている
Macには20年近く付き合ってほとほと呆れたので、MacよりはWindowsを選ぶし、
WindowsよりはUbuntuやDebianを選ぶかもしれないけど、
そんなにWin32を嫌いになれないというか、何十年も見てれば慣れたというか、美人は3日で飽きるというか
あと、C#やTypeScriptは大好きです
というわけで、Microsoftという会社は好きだけど、マイクロソフトには???と思うことが多いので、
おわり
■「フォロワー数が〇万ないと本は出せない」と言う側からの本音
Twitter漫画家が出版社に呼び出されて「フォロワー数がウン万いないと本は出せない」と言われる話、最近多すぎない? - Togetter
あのさあ・・・いい加減この手の話についてアスペみたいな反応するのやめてほしい。
なんでこの手の話でいつも編集者側が一方的に悪者にされてるんだろうか。
言っちゃなんですが、この手のもめごとは十中八九、問題があるのはマンガ家さん側ですよ。
ちょっと頭使って考えてみたらわかることでしょ。
こんなん「社内稟議通すための材料が少しでも必要です」(当落ギリギリラインです)って言ってるだけだよ。
要するに「評価が微妙」ってことだよ。こんなん社会人で稟議とろうとしたことある人なら言われなくてもわかるでしょ。togetterのコメント欄は社会人経験ない無職ばっかかよ。
なので、もし今後同じことを言われたマンガ家さんいたらズバリ「つまり、今のママではちょっと厳しいってことでしょうか」って聞いてみろよ。そしたら正直に説明するよ。
もうちょっと賢い人なら、「フォロワー数が少ないかもしれないけど、こんな感じで支持されてるのでこういうターゲットに売れると思います」ってのを提案してみてくれてもいい。
もちろん、考えるのがめんどくさい、それは全部編集の仕事だろっていうならいいけど、他力本願なら結果が出なくても文句言うなと。
んで、あとは何だ? 「取引が決まりそうになったら」呼べばいいだけだ。「つばつけた」みたいな感覚で呼び出されてたまるか、か。
これみて「偉そう」とか「編集は暇なのか」と思う人はもう悪いこと言わないから同人でやれ。
あのさあ、たいていの場合、呼びつける場合交通費も払うし、飲食代も払ってるでしょ。うちはそうしてるよ。
んで、しかもその話をするために1時間とか2時間とかをその人のためにとらなきゃいけないんだよ。こっち側からしてもコストを払ってるわけよ。
なんでそこまでして手間暇かけてその人と会ってるかというと3つ理由がある。
1つめは「まだ信用してないから」
2つめは「人柄を見たいから」
マンガ家志望してくるやつが、どれだけ常識がない連中ばかりか知ってるか?
マンガ描く以外にいろいろやり取りとかあるわけだけれど、絵はうまくても基本的なやり取りがこなせない人間めちゃくちゃ多いんだぞ。
読み切りに掲載するだけならともかく、これから連載をお願いしたいって時にどれだけのリスクがあるかわかってなさ過ぎだろ。
出来る限り連載前にリスクを減らしたいのは当然だろ。新入社員の採用面接よりはるかにハードル高いんだぞ。
なのに、編集に対してはそういう当たり前のことが想像できないのはなぜなのか逆に聞いてみたいわ。
呼び出されることや、フォロワー数の話をされて不満に思ったという人は他にもいるでしょうよ。
でも、ちゃんとした社会人経験ある人とか最低限のコミュ力ある人は、打ち合わせの中でそういう不満を解消しようとするんです。
こっちだって、文面だけで伝えたらコミュニケーションの行き違いがあって不満を感じるかもしれないと思ってるからきっちり時間を取って、納得してもらえるように話をしようとしてる。
こちらだってそんなに時間余裕があるわけじゃないから、最初の1回目がとくに大事なわけよ。
そのチャンスの時にちゃんと話して、疑問点とか不安な点とかを事前に考えてぶつけてほしいわけよ。
そこで黙りこくってちゃんと不満点を伝えようとせずに、打ち合わせが終わった後にTwitterフォロワー向けに対してそういうことを書く人はいったいどこを向いて仕事をしようとしてたのかと逆にお伺いしたいですね。
「出版社と一緒に仕事をする」という意識が絶望的に欠けてるだろ。
お前はどういう心持ちでその打ち合わせに来たんだよって言いたいですよ。
こういうのが話題になるとすぐに「編集者の名前出せよ」って言ってる人いるけどさ。
鈴木倫さん。ぜひ具体的に出してほしい。 そしたら、編集者や出版社側だって反論できるから。
そして、いざ出版社が反論した場合、よくよく打ち合わせの事実を確かめてみたら、作者側に問題があるケースの方が多いです。
弊社では何度かネットでこういう告発系のツイートがバズって、当事者に確かめてみたら「これは作者が悪いな」という結論になっています。
鈴木倫さんがどっちのケースかは知りません。
この人は実業之日本社(リイド社)から何冊か本を出されているし、当然編集者ともやり取りがあったでしょう。
ただ、たいていの場合この手の話をする人が編集者の名前を出さないのは「名前さえ出さなければ面倒くさいやりとりを避けてバズれるから」って安易に考えているからだと思ってます。
なんとなくこれがウケるからとか、みんなやってるからという雰囲気に流されて深く考えずにやってしまってる。
編集者とのやりとりにちょっと困難があったらすぐに癇癪を起してこういうことを書いてしまう。
そういう人は普通にリスク要因だし、こちら側からお断りしたいです。
ただ、私は知らないけれど、Web系の部署やWebコミック専業の会社が最近ものすごく増えていて
そういう会社は作者のこと全然大事だと思ってないらしいからそういう話かもしれませんね。
向こうはコミックスの売り上げじゃなくて、広告表示およびアプリ向け配信でPVさえ取れればいいので作品の出来にはあんまり興味がないところもありますからね。
そういう人から声をかけられたのであれば私の知ってるところとは違うので、わかりませんね。
本当にやましいことがないのであれば、鈴木倫さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門であるかを公表していただきたい。
コメント欄に同業者さんらしき人がいてより具体的な事書いてくれてます。当然のことが書かれており、これらの内容すら想像できない人が文句書いてるんだろうなと思ってますね。
最初から(連載も単行本化も)しないことが決まっているのに呼びつけるのはリアルあたおかやんけ。
最初の打ち合わせ時に
・作業スピードはどうか
・締め切りを守れそうか
ただ今回相手が女性でしょ。女性の場合、自宅は困るとかあるし男性でもたいてい近くの喫茶店とかファミレスで打ち合わせになる。
その場合もお勘定は編集持ちが原則。クリエイターさんと割り勘とか奢らされたなんて、それなりの事情がないとないハズ。
ただ交通費は事前に要調整では。レシートやsuicaの履歴出力が必要となるかもしれないので。
呼ばれたクリエイターさんもストレートに「交通費出ますか? 企画はどの程度まで進んでいるお話ですか?」と尋ね
編集者も「これから企画書作る段階で、何もお約束できません。直接お会いして、クリエイターさんがどんな方か企画書に反映したいです」(今回の件はこのレベルと思ってる)
とお互い正直にコミュニケーションできる打ち合わせが一件でも増えたらいいんじゃね?
おそらくなんですが、そもそも連載が通るまでの流れそのものが全く理解されてない気がしますね。
本当にやましいことがないのであれば、元増田さんにはぜひ具体的にどの出版社のどの部門所属であるかを公表して、批判も来るだろうが編集者や出版社側の立場で反論して欲しい
ちゃんと文章読んでほしいんだけど、こちらがわから言えるわけ無いでしょ。
一方的に誹謗中傷されてるのに応対する形でしか言うことが許されないから困ってるんですよ。
具体例について述べることができるのは相手側から批判されたときだけで、それ以外で個別の作者さんに名前出せないのは当たり前。
そして名前を出せなければ嘘つきだの何だのと難癖つけて叩いてくるのもわかってますからね。
はてなブックマークの皆さんは他人について口出すときに自分の立場に置き換えて考える癖がまったくないと聞いてますが本当だったんですね。脊髄反射で売り言葉に買い言葉を書いてるだけ。もうちょっと頭を使ってほしいです
俺もこれには賛成だけど、正直今の立民だとマイナスイメージにしかならない気がする。
氷河期世代「お前たちの円高放置とかあれやこれやのせいでまともな働き口がなく、途方に暮れている。後輩はアベノミクスのおかげで正社員になることができ、先月結婚した。現状では自分は結婚できないし、悔しいし悲しい。」
立民議員「それは誤解で、民主党政権の頃は景気は良かったし、アベノミクスのせいで…」
氷河期世代「なんだ?こうなったのは俺の自己責任ってことか?お前らも自己責任って言うのか?」
立民議員「いえ、そう言うわけでは…ただ」
氷河期世代「"ただ"、なんだ、俺の人生がこうなったのは俺が無能だからって言いたいのか?」
オーディエンス「立民はやっぱ変わってないなぁ」
反対意見の奴がブスで何かを喚き散らします→イケメン美少女に描かれた主人公がスパッと論破!みたいな漫画、もう相当前から定期的に見かけるけどよく廃れないよねこのネタ?画法。
ブス(無能)な奴を美形(優秀)な奴が余裕で出し抜く!ってのは何となくなろうにも通じるところがある気がするし、こういう一連の流れが好きな層が一定数いるってことなんだろうか。
別に小ネタでやってる分には好みじゃないからブロックするけど勝手にどうぞって感じなんだけど、偶に政治とか権利争いとかの主張でこの描き方で漫画描いてる奴いるから怖くなるんだよな。
自分と同じ意見の人は美形で素晴らしくて反対意見の相手はブスでバカです!って言ってるのに気づいてないのか、それともそういう主張を普通にして大衆から好感が持たれて自分の意見に共感してもらえると思ってるのか。どっちにしろ怖いし多数の人間が返ってマイナスイメージ持つだろうから、誰か止めてあげた方がいいんじゃないかなと思うなどした
はてな村にお住まいの野党支持者・与党支持者の皆さん、こんにちは。今秋の衆院選と政権交代に向けて、いかがお過ごしでしょうか。おそらく衆院選で一票を投じるまでは、とくに何もしていない方々が大半だと思います。もちろん投票所へ足を運んで一票を投じれば、それで十分に有権者の務めを果たしているとは思います。
以下に長々と記すことは、仕事や育児にお忙しい皆さんには負担となるものです。私も仕事と育児に追われて日々忙しいのですが、ちょっと現状を放置するとまずいなと危機感があり、筆をとった次第です。
長くなるので3行にまとめると、こんな感じです。
さて、今月に入ってから毎日のように、はてな匿名ダイアリー(以下 増田)には、野党に批判的な投稿が続いています。
菅政権下では野党候補の勝利が続いていたことを考えると、この増田の傾向というのは必ずしも世論と連動している訳ではなく、一部の熱心な与党支持者による活動であると考えられます。「一部」と書くと、立憲の支持率のほうが一部だろ、などと瞬時にコメントする輩も現れるのですが、いったん無視しますね。
たとえば2017年頃には野党叩きの記事の量産依頼が、クラウドソーシングに載っていたと報道されたのは記憶に新しいところです。
https://buzzap.jp/news/20170922-anti-opposition-party-blog-movie-crowdworks/
今回の増田大量投下が、同様の組織的犯行かどうかは分かりません。一部の熱心な与党支持者が忙しい仕事の合間を縫って懸命に記事を書いているなら、ご苦労様と思いますし、あるいは今回もクラウドソーシング等による仕事なのであれば、やはりご苦労様ですと労いたい気持ちも少しはあります。決して公言できない仕事には誰もお疲れ様・ご苦労様と言ってくれないだろうからね。
しかし気をつけなければいけないのは、一見して無意味にも見える増田大量投下が、長期的には大きな影響力を持ってしまう可能性があることです。莫迦の一つ覚えのように安倍晋三が繰り返した「悪夢の民主党政権」が、サブリミナル効果のように人々の意識に刷り込まれ、震災や原発事故のマイナスイメージとも重なって、たしかに悪夢だったなと広く信じ込まれています。民主党政権の具体的な政策を一つ一つ検証したうえで批判するよりも、ひたすら「悪夢の民主党政権」と繰り返すことが効果的に働いています。
テレビで坂上忍なんかが「野党はだらしない」と連呼していたのも同様です。本来、与党・野党は固定的なものではなく、政権交代によっていつでも入れ替わるものですが、それを「野党はだらしない」「野党は政権を担えない」「野党は永久に野党」のように印象付けることで、政権交代なんて論外だと人々に刷り込むことに成功しています。
このような勢力に対抗して野党が支持を伸ばし、政権交代するには、どうすればいいか。
何の答えにもなっていないのですが、まずは政権交代することが必要です。野党を与党に、与党を野党に入れ替える。そうすれば自民党支持者たちが連呼していた「野党はだらしない」が封じられます。野党はだらしないから野党は無視していいとは言えなくなる。いつでも政権交代によって与野党が入れ替わることを前提に、建設的な議論が始められます。もしも野党の自民党が議論を拒否すれば、今後こそ「野党が国会をサボっている」のブーメランからは逃れられないでしょう。
そして今回の選挙で政権交代するために、たとえば、ひたすら念仏のように政権交代を唱えるのでもいい。ツイッターでも増田でも、政権交代が実現したらどんな社会になると思うか、どんな社会を実現したいかを大量に投下する。精緻なロジックを考えるよりも、まずは自分の願望を下手でもいいから文章にしてみる。2行や3行の短い文章でもいい。数が集まることで、政権交代の実現を願ってい大勢の人々の存在にようやく世間が気付く。言い換えれば、おとなしくしていると現状維持を望む人々の大きな声にかき消されてしまう。どんなに面倒でも声をあげなければならない。どんなに忙しくても、どんなに時間がなくても行動しなければならない。
文章を書く時間が本当にまったくとれない人は、ツイッターでいいねを押したり、増田をブクマして応援コメントをつけるのでもいい。少しでも注目されるように、自分のできることから始めてほしい。この記事に対しても応援コメントをお待ちしていますよ。
たとえ罵倒コメントが100個ついても、応援コメントが20個くらいあれば、なんとか心のバランスは取れるものです。かれこれ14年も増田を書き続けてきた私が言うのだから間違いない。いや、個人差はあると思うんで、もちろん応援コメントの比率が高いに越したことはない。
長くなったので3行にまとめますね。最初に書いたのと同じです。
衆院選は、与党支持者と野党支持者の戦いではありません。私は野党支持だけれど、与党を支持する友人は多くいるし、こんなことで対立するつもりはない。
しかし現在の与党による政治は、あまりにも野党支持者を切り捨てている。政権交代が実現したときには、自民党支持者が切り捨てられることは絶対にないと断言できます。なぜなら東日本大震災のとき、自民党の谷垣禎一へ副総理として入閣を要請したのは、当時の民主党です。あるいはコロナ禍の現在、臨時国会での議論を呼びかけているのが立憲民主党です。常に建設的な議論を呼びかけている民主党・立憲民主党と、それを拒否している自民党という構図があります。
高市氏“サナエノミクス”で立候補・・・総裁選動き加速(2021年9月8日)
https://www.youtube.com/watch?v=8uB3fzmS1YI
日本人として当然ではありません。憲法20条に「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」とあります。
参拝する方が問題です。
中国・韓国はもちろん、ネトウヨが大好きな台湾、シンガポールやロシアからも過去に強い非難があり、
また、アメリカやEU、フランスからも「余計なことすんな」と批判がありました。
このようにたくさんの国々を巻き込んだ国際問題となり、他国からの日本への風当たりが強くなります。
靖国神社にはA級戦犯が祀られており、参拝は戦争責任がある者を肯定することと捉えられてもおかしくありません。
それを日本の内閣を代表する総理大臣が行うことは、宗教行事の範疇とは言えないと考えるのが普通でしょう。
また、過去に国際問題となっている事実からも、挙げられた行事と同等のものであると考えるのはおかしいでしょう。
あくまで総理大臣としての参拝ではないというスタンスを(参拝後ではありますが)取りました。
批判はあれど憲法20条によって保証されているため、一定の線引きをしたと言えます。
これを公人として正式に参拝すればどうなるか、ぜひ想像してもらいたいです。
ドイツと違って戦争の反省がないと国際社会から嘆かれることがあることも一緒に考えていただきたい。
未だに靖国参拝で騒いでるのが残念
私も非常に残念です。恐らく違う意味でしょうけど。
A級戦犯が祀られたのは1978年からであり、合祀されていることを理由に諸外国は遺憾を表明しているわけです。
戦没者と戦犯を区別して供養できる仕組みが必要であると強く思っています。
人間であり、政治家です。そして総理大臣になったら、参拝すると表明しているわけです。
事実上、日本国民を代表する(本来は内閣の代表)人間である以上は、
他国を意識した立ち回りをしなければ日本国民の利益になりません。
総理大臣を直接投票できない法制度である以上、こういった事には声を上げていきたいです。
靖国神社の参拝反対者って何なんだろうね?
少なくとも日本の将来を考えている人でしょう。
大日本帝国バンザイ!という思想や、中韓にマイナスイメージを持つのも勝手です。
ただ、今の日本の地位を貶め、ひいては今この国に住んでいるたくさんの人々に
不利益が生じる可能性が高い本問題に対してはしっかりとした認識を持ってほしい。
恐らく(ネトウヨによると反日メディアの朝日系列である)テレビ朝日アナウンサーが質問したことによるコメントですね。
参拝して悪い理由の例を挙げると、他国の国民感情を害するからです。
例えば、日本が進めているインバウンド政策はどうなるでしょうか?
2019年の訪日外国人のほとんどは中国・韓国・台湾で、東アジアからが70%以上を占めます。
軍や国の暴走、つまりは戦犯により多くの方が望まずして戦地に赴きました。
これらを同列に扱うからよくないんじゃないですかね。
なんでなんですかねえ?
調べてみた(出典:Google「日本 ラップ 流行らない なぜ」)のですが、理由とされている言説はいくつかに大別できるように思いました。しかし、その全てに反論ができるような気がしたのでやってみます。揉めるためではなく、「本当の理由」を考えてみたくてこれを書きました。よろしくお願いします。
まずラップは不良の音楽じゃねえよ(RHYMESTERをきけ)と言いたいところだが「悪そうな奴らは大体友達」なイメージがあるのも確かである。その上で問いたいのだが、不良がやる音楽とか不良が聴く音楽ってそんなにマイナスイメージか?
最近の話をしても湘南乃風のレゲエとかEXILEファミリーのEDMとかは「不良音楽」として受け入れられてるわけでしょ? さらに言えばおそらく「不良音楽」に魅力を感じる歴史自体は戦後のビートルズからずっとあって、10年20年前に何かバンドののライブに行って「周りは怖い人ばっかりだったけど楽しかった」って経験を自分自身がした人も少なくないはず。
「不良の音楽」であることと「良くない音楽」を混同してしまうほど、日本の人が未熟な聞き手だとは思わないのですが。
これはね、正直ちょっとあると思う。特に英語は、音的に日本語で言うところの「さらさらと」あるいは「ちょろっと」内容を伝えることが得意だと思う。よく言われるのは子音と母音が一対一対応だということ。日本語だと「わたしはこれをかく」が「I write this. アぃらぃディs」で済むとかそういう話。どちらがラップに向いているかは一見したところでは明らかである。あとは日本語で韻を踏むとダジャレになりがちという話もここに含めていいかな。
個人的には(そして多くの日本語ラップファンは)「いやラップという表現は言語の差でどうにかなるような脆弱なものじゃないし?」とか「いや仮に向いてないとしても30年以上日本語ラッパーはそこと四苦八苦してきたし? 大きく分けて英語に日本語を寄せる方法と日本語をそのまま生かす方法があるし?」とか「日本語だとマシンガンみたいになるって批判されるけど、むしろ本場ではラップがマシンガンみたいって褒められたからLil Uziって名乗ってる超有名ラッパーがいるぐらいだし?」とか言いたいのだが、読者には響かないであろう。結局言われてしまうのである。「流行ってないってことは向いてないんでしょ?」と。
そう言われると我々は強く出られないのだ。間違いなく話はそう簡単ではないのだが「確かに完全に英語みたいに日本語でラップしちゃうと何言ってるか分からなくなっちゃうし、日本語を生かしてラップした結果が英語と違うと言われればそれはそうだし……」とオタク特有の早口で弱気になってしまう。
なので別のアプローチを試みたい。「『向いてない』にもかかわらずヒットしてる国があるのに日本ではなぜ?」
Korean Rap & Hip-Hop Music Playlist 2021
https://youtube.com/playlist?list=PLlYKDqBVDxX1PnKKWlElxDP47kBzzX35S
イメージ通りパとかチョとかが多くて日本語以上にラップに「向いてなさそう」である。はっきり言って、英語を非ダサさの頂点(実はそんなこと無いのだが)とした場合、日本語よりダサい気さえする。
なのに、韓国のチャートトップ(各自確認してください)には、ラップがひしめいている。なんで?
ステラーカイギュウをご存知だろうか。ステラーカイギュウ(以下ステ牛)は、絶滅動物の一種だ。
一説によると、「優しすぎて絶滅した」と言われている。ステ牛には傷ついた仲間を助けにいく習性があり、人間に捕まって傷ついた仲間がいると、近くに敵がいようとも助けに行ってしまう。そのため、1匹ボコしておけばまさに入れ食い状態で捕獲でき、絶滅してしまったというわけだ。
最近、女子高生拉致殺人事件があった。非常に痛ましい事件である。
(被害者様のご冥福を深く祈念すると共に,ご家族並びに関係者様におかれましてはどうか御自愛いただけますように。)
その事件において、Twitterでは加害者が「オタク」であることを印象付ける記事が出回った。「バ美肉」(=バーチャル美少女受肉、インターネット上で美少女の2D・3Dイメージに声をあて活動すること。美少女、美女、美青年などイラストによって「美」に当てはまる言葉は変わる。)や「アニメ好き」というワードが並ぶ記事タイトルを見て、数年前の「オタク迫害」の雰囲気を思い出した人もいたのではないだろうか。
Twitterにおいて度々話題になる「オタク迫害」は確かに存在した、と私は考えている。オタクは犯罪者予備軍のように扱われてきた。そのイメージを払拭したのは先人オタク達の努力の結晶であり、先人一般人たちの歩み寄りの結果である。その歴史を繰り返さないために、現代のオタクたちは日々「オタク」という言葉に過敏に反応し、マイナスイメージがつくことを防ぐ努力をしている。良い話だ。
ステ牛も、それ単体で見れば“良い話“なのである。自分の身を挺して傷ついた仲間を助けに行く……アニメだったらクライマックスだ。間違いなく涙腺が溶ける。しかし、現実は非常だ。傷ついた仲間のステ牛を助けに行った先には、武器を持ってニヤニヤ立っている人間がいるし、「オタク」という言葉のイメージを守らねば!と思い記事を見に行った先には、記事の閲覧数をニヤニヤ眺める執筆者がいるのだ。誠にクソッタレで、よくできた仕組みである。
強く、筋が通った気持ちは美徳だ。何かを守らねばとする姿勢は尊重されるべきである。しかし、世の中にはその気持ちを食い物にする仕組みも存在する。その仕組みがある場所には「オタクは犯罪者だ」と書かれているとは限らない。「オタクは礼儀正しい」と書かれていることもある。誰だって褒められるのは嬉しい。だからこそ、つい期待して足を運んでしまう。だが、そこで待っているのはニヤニヤ眺める“釣り人“である。その釣り人は言うかもしれない、『ようこそ、バーボンハウスへ。』と。
仲間を助けに行ったステ牛はボコられて死んだ。では、私たちは?
インターネットでは、全てを疑うべきだ。全てのニュース記事には書き手の意思があり、全てのニュース番組にも作り手の意思がある。伝えたいものに無意識のうちに誘導されているのだ。一旦感情を落ち着けて、見たものを疑い背景を想像することこそが、身を守る堅実な手段だと言える。
そして、この増田を書いている私にも意思がある。ひょっとすると私は、「インターネットは信じてはいけないものだ」と読者の無意識に刷り込みたいマスコミ関係の者かもしれない。はたまた、夏休みで暇している大学生かもしれないし、明日が久々の休みという社会人20年目かもしれない。ステラーカイギュウかもしれない。