ステラーカイギュウをご存知だろうか。ステラーカイギュウ(以下ステ牛)は、絶滅動物の一種だ。
一説によると、「優しすぎて絶滅した」と言われている。ステ牛には傷ついた仲間を助けにいく習性があり、人間に捕まって傷ついた仲間がいると、近くに敵がいようとも助けに行ってしまう。そのため、1匹ボコしておけばまさに入れ食い状態で捕獲でき、絶滅してしまったというわけだ。
最近、女子高生拉致殺人事件があった。非常に痛ましい事件である。
(被害者様のご冥福を深く祈念すると共に,ご家族並びに関係者様におかれましてはどうか御自愛いただけますように。)
その事件において、Twitterでは加害者が「オタク」であることを印象付ける記事が出回った。「バ美肉」(=バーチャル美少女受肉、インターネット上で美少女の2D・3Dイメージに声をあて活動すること。美少女、美女、美青年などイラストによって「美」に当てはまる言葉は変わる。)や「アニメ好き」というワードが並ぶ記事タイトルを見て、数年前の「オタク迫害」の雰囲気を思い出した人もいたのではないだろうか。
Twitterにおいて度々話題になる「オタク迫害」は確かに存在した、と私は考えている。オタクは犯罪者予備軍のように扱われてきた。そのイメージを払拭したのは先人オタク達の努力の結晶であり、先人一般人たちの歩み寄りの結果である。その歴史を繰り返さないために、現代のオタクたちは日々「オタク」という言葉に過敏に反応し、マイナスイメージがつくことを防ぐ努力をしている。良い話だ。
ステ牛も、それ単体で見れば“良い話“なのである。自分の身を挺して傷ついた仲間を助けに行く……アニメだったらクライマックスだ。間違いなく涙腺が溶ける。しかし、現実は非常だ。傷ついた仲間のステ牛を助けに行った先には、武器を持ってニヤニヤ立っている人間がいるし、「オタク」という言葉のイメージを守らねば!と思い記事を見に行った先には、記事の閲覧数をニヤニヤ眺める執筆者がいるのだ。誠にクソッタレで、よくできた仕組みである。
強く、筋が通った気持ちは美徳だ。何かを守らねばとする姿勢は尊重されるべきである。しかし、世の中にはその気持ちを食い物にする仕組みも存在する。その仕組みがある場所には「オタクは犯罪者だ」と書かれているとは限らない。「オタクは礼儀正しい」と書かれていることもある。誰だって褒められるのは嬉しい。だからこそ、つい期待して足を運んでしまう。だが、そこで待っているのはニヤニヤ眺める“釣り人“である。その釣り人は言うかもしれない、『ようこそ、バーボンハウスへ。』と。
仲間を助けに行ったステ牛はボコられて死んだ。では、私たちは?
インターネットでは、全てを疑うべきだ。全てのニュース記事には書き手の意思があり、全てのニュース番組にも作り手の意思がある。伝えたいものに無意識のうちに誘導されているのだ。一旦感情を落ち着けて、見たものを疑い背景を想像することこそが、身を守る堅実な手段だと言える。
そして、この増田を書いている私にも意思がある。ひょっとすると私は、「インターネットは信じてはいけないものだ」と読者の無意識に刷り込みたいマスコミ関係の者かもしれない。はたまた、夏休みで暇している大学生かもしれないし、明日が久々の休みという社会人20年目かもしれない。ステラーカイギュウかもしれない。