はてなキーワード: マイナスイメージとは
この説明により、概ねイマジナリー妻は納得したようであったが、まだ不満げであった。
私は少し考えた後、自分の行動に配慮が足りないことを認識し、以下の通り説明して詫びた。
・レディーファーストをフェミニズム扱いするのは間違いでは?
・正直燃えるものがなくなれば消えると思うよあとは焼け跡が残りだけで
・ガンダムの世界はパイロットも指導者もあまり性差ないよね
ガンダムはどの作品も火を付けられそうだから目を付けられたらヤバい
「フラウ・ボウ、ガンダムの操縦は君には無理だよ…」「悔しいけど、僕は男なんだな…」とか炎上目的のフェミニストが火を付けたらそれだけでしばらく燃えそう
・オーフェンで出てきたフェミニストは「男も女も関係なくこかして踏みつける」みたいな扱いだったが優しくするのがフェミなのか区別なく殴るのがフェミなのか
社会学者やフェミニストが積極的に殴りかかっているのって反撃してこなさそうな弱い男だけで
・性差廃絶主義者のまじゅつしいいよねまじゅつしって言いづらいから迫害するね…
フェミニズム・フェミニストという言葉が今これだけ浸透して広まってるのに
その対になるマスキュリズム・マスキュリストって言葉が全く広がってない事の非対称性が恐ろしい
男性差別許さないって主張する男はアンチフェミとかミソジニー男とか弱者男性とか女性差別主義者とかマイナスイメージがある言葉ばかり付けられるからな
・女版ゴーストバスターズの何が酷いかって身体だけは最高な金髪バカ男を出してるところそれ性別逆にしたらめちゃくちゃキレますよね?
腐女子兼フェミニストを公言してる人間の意見とか見てみると凄く分かりやすいよ
つい先日も仮面ライダーの主人公を女性にしろってまた因縁付けられてたじゃない
それで売れなかったらどうすんだよって反論に
女性主役のライダーや戦隊が「売れないから」ダメだと言うなら じゃあそれを売れるようにするのが製作側の仕事では?と思うんですよね 女が主人公なんてライダーじゃない、認めない!なんて 次の世代の子供たちに言ってほしくないじゃないですか
・それフェミニストでもなんでもない相手にしちゃいけないただのカスだよ
・女性ライダーが売れる売れない以前にまず仮面ライダーは男児のものであるということを無視している男だからって理由でまだ子供の男児を敵視するのは端的に言って狂ってるよ
少年漫画は少年の物って言ったら「女性読者は黙殺されてきた」とか平気で言う人達に「仮面ライダーは男児の物」って言って聞くとは思えない
・男は男とケアしろって言うくせに男同士の連帯をホモソーシャルって呼んでめちゃくちゃ忌み嫌うじゃんね
女は女同士でケアしてレズビアンになってください男を求めてないならBLは読まないでください
先日念願だった車を手に入れた。
これまでずっとレンタカーやカーシェアばかりだったけど、カーシェアは使いたい時に使えず、ものすごく汚い車ばかりになったので、このご時世もあり避けるようになった。
引越し先に駐車場もついていたので、えいや、と買ってしまった。
幼い頃から車が好きだったのだが、都心に住んでいることもあって、車を維持するだけの余裕もなかった。
やはり車はいいな、と思うのだけども、同時に車離れが進む理由も本当によくわかった。
安全運転をしていても、煽られたり自転車が急に横から飛び出してきたり、スマホ見たまま道路を渡るような人が多くて、ドキドキする。
もちろん運転する人がきちんと注意をする必要があるが、10年前と違ってスマホを見ている人が急に飛び出してきたり、某イーツの自転車が猛スピードで突進してくる。
でも責任は車にある。
車が好きで所持していて、SNSを活発に使っている層は、車のカスタム率が異様に高い。
気になる車を検索してこのような画像ばかり最初に出て来たら、マイナスイメージでしかない。
上記に付随して、マイルドヤンキーな人が愛車を手にしていることが多いせいか、マーケティングが全体的に怖い。
ステレオタイプなCM、異様な高級感を演出する広告(特に国産車)ばかり。
普通に運転してても何かと煽られるし(一般道でも煽ってくる)、因縁をつけてくる人も多い。
先日、コイン洗車場(お金を入れて高圧スプレーで車を洗うことができる)で車を洗っていると、「小石が飛んで傷がついた」と因縁をつけられた。
全く身に覚えがないが、面倒なことになってもあれなので、とにかく謝って終わらせた。
終わってもなかなか退かない人たちもいるし、「自分の車をきれいにする、手入れをする場」なのに、全体的に雰囲気が良くない。
海外はどうかわからないが、日本は「車を持っているとかっこいい」から「車を持っている人はなんかかっこよくない、ヤンキーっぽい」というイメージになってしまったのが痛い。
小山田圭吾自身がそれに対して何の釈明も無いし、コーネリアス自体がそこまでメジャーな空気感無いから放っておかれてただけでしょ
知る人ぞ知る、コーネリアス、みたいな
でも東京五輪を通して世界に見せつけるものとしてそういうどでかいマイナスイメージに対して何の説明もないのは無理でしょ
「90年代のサブカル雑誌特有の強がりでした〜小山田ダッサ〜!事前調査もできねえし説明もできねえ五輪ダッサ〜!」にしても
「いや、マジでボッコボコにやってたんで反省とかしてねぇし、俺はこの五輪の仕事断るつもりっすよ」にしても
ちゃんと言わなきゃ、障害者いじめてそのあと呑気に音楽活動してるアーティストの印象で止まるよ
活動で俺の印象を変えていくぜ!と意気込んでるようなアーティストさん相手に悪いけどね
少なくとも採用したJOCは説明しなきゃ、音楽監督のFPMの田中知之も一緒になって。
裏方とかじゃなくさ、監督なんでしょ?なんで採用してる人間のことも説明できないの?
「説明する気ありませんよ。だって、アレはデマですよ。あの当時の雑誌のノリでやっただけで小山田の同期にあんな名前の同級生居ませんよ」とかとんでもない言い訳して黙らせられるだろうにしないんだもの
なんつーかアホがアホを誘ってアホのお祭りしてるだけじゃん
いやまぁ混迷極める五輪のお祭りのオチがコレならコレで「コーネリアス聞く度に思い出すこのイジメの話の真相が聞けるようで良かったわ〜」ってなるんだけどさ
>増田の知り合いには音楽業界で飯食ってる人も何名か居るし、彼らが「またイベント中止になった」と悲鳴を上げる姿を見るのはそろそろ打ち止めになって欲しい。
と最後にあるが、フジロックは開催されてほしいと思いながら、ロッキンには憎しみが籠ってるかのように終始そのスタンスで言及しているのもどうなのか。
プロ野球Jリーグの開催スタイルがさも完璧かのように書かれてるが、試合後に競技場を出て5分もすればコンビニスーパー飲食店パチンコ店に電車の駅と
誘惑が揃う立地で行われ観客も瞬時にそこに交わる環境などには触れず。
ロッキンだと終演後にステージから数十分歩いてもまだ周りは森で地元民に出会うこともない。
ヒプマイを見ようと思ったけど無理過ぎたので1話切りして「体操ザムライ」というのを見る。
これは見れそう。
リアルのスポーツ(競技)に全く興味は無いが、アニメで見ると面白い。
なんでリアルは見る気にならんのだろう。スポーツのニュースを見るのすら鬱陶しい。
運動なんて一人でその辺とぼとぼ走ったり家で自重筋トレしたりチャリ漕いだり踏み台昇降上り下りしたりで十分だ。
競う必要性を全く感じないし、人に教わったりするのも嫌
(大抵教えるの下手だから巧く出来なくて、その運動に対してマイナスイメージが付いてしまう。というか「出来ない」ことが人生に於ける瑕疵となる)
体育なんてもんは「生涯体を柔軟に動かし続ける習慣を付けさせる(それも自分が出来る範囲で。強制的に1.5km走らせるとか無し!)」でいいと思うんだわ。
球技?遊びとしてならやってもいいわ。水泳?溺れない程度に好きな泳法で適当にやってくれ。100mとか泳がすな。ましてやタイムとか測るなクソが。
鉄棒?床運動?跳び箱?平均台?馬鹿じゃねーか。怪我したらどうしてくれるんだ。そんな運動が必要な場面がねえよ。バランス感覚ってんなら体幹でも鍛えた方がマシ。
兎に角そんなもんを無理強いするんじゃあねえよ。
やりたい奴だけやればいい。そしてこちらはその競い合いを見ることはない。
否。いまだにバカなどと言っているのは意識のアップデートを忘れたお年寄りだけだろう。
もう、バカバカと言って喜んでいられるような時代は終わったのだ。
「いい意味でバカ」のようにマイナスイメージからプラスイメージに転じたというのでもない。
未だにバカなんて言ってはしゃいでいるのは、よほど感覚の鈍いものだけだろう。
しかし感覚が鈍いにしてもバカが時代遅れだと薄々感づいてはいるはず、だのになぜ?
バカ以外になにも持たないから、この期に及んでなおバカに縋るざるを得ないのかもしれない。
恐らく、人々がバカという言葉に引きづられる無意味さに気づいたためだろう。
昔の牧歌的な人々は、バカという言葉が魔力を秘めていると思っていた。
世の中が悪くなるのはバカのせいだし、バカを取り除けば世の中が良くなるとも思っていた。
バカと宣告され、バカと承認されることは、バカにされたものの社会的な死をも意味した。
そしてバカと言う側も反撃されればタダでは済まないという緊張感を持っていた。
だが、そうした万能感が時代遅れであることは敢えて言うまでもない。
人様にバカなどと言う時代遅れな人間がいるなと思ってそれで終わりではないか?
もうバカを休ませてやれ。
KKOとまではいきませんが、とっくに成人しているのにいまだ交際歴ゼロの人間ですから、恋愛弱者としては上等かと思います。
自分で言うのもなんですが、顔の造形の悪さには自信があります。
性格の悪さにも同様に自信がありますが、性格が悪いゆえに仕事をする上で取り繕える程度には困っていませんし
それも自称でしかないので、実態がどうなのか、それで生活が本当に上手くいってるのかはご想像におまかせします。
弱者男性に随分と憎しみを向けられていたようですが、真摯に文章を読ませていただきました。
読んでいるうちに、以下の2点が頭に浮かびました。
・「理解のある彼くん」をあげつらって批判していたのは弱者男性だけに限った話ではない
・そもそも「理解のある彼くん」持ちは非難されても仕方のないことをしでかしている
今回は「望むところだ」ということで、後者を重視して書いてみます。
あくまで、「理解のある彼くん」持ちとハンデを持つ女性は完全に同一では無いという見解であり、
以下はハンデを持つ女性全てを批判しているものではありません。
これから記載している内容に反論がありましたら遠慮なくご指摘ください。
「理解のある彼くん」は、何も最初から障害や病気のハンデを持つ女性を攻撃するために産み出された単語では有りません。
それは障害や病気のハンデを持ちながらもそれらに向き合いながら生きている、ということを綴った女性達のエッセイから概念が発見されました。
ネットで複数の作者の漫画の「理解のある彼くん」が登場するページを1枚にした風刺画像を見たことがあるでしょうか?
まるで判を押したように展開が同じなのです。
エッセイということは実体験でしょうから、細かいところは省いたりフェイクを挟んでいる可能性があるとは言えど大筋はノンフィクションでしょう。
「なんだかみんな展開が似たりよったりだぞ??」と気づかれだしました。
この指摘については、何も弱者男性だけから発信されたわけではありません。
女性作家から、カウンター的にエッセイ漫画で指摘されているものでもあります。
この指摘で耳が痛かったならば、弱者男性だけを敵視するのは誤りであると言えるでしょう。
あなたがたが敵に回す範囲、軽蔑すべき範囲は本来もっと広いはずです。
それをすることができない、いや認知しようとしないのは何故でしょうね。
全ての女性が「理解のある彼くん」を得られるとは思っていませんし、
「理解のある彼くん」を得ることが誰であっても簡単だとも思っていません。
すぐキレる、情緒不安定になり周囲に当たり散らす、それらが病気や障害によるもので苦しんでいる――――――。
いかにハンデを抱えて生活することが大変か、という点で綴られていましたが、
「自分」が大変である、という視点のみで描かれていることが多いという感想を持ちました。
綴られているケースのうち、同情すべきものももちろんありましたが、
いくつか幼稚過ぎて理解できない行動も含め、都合よく正当化されているように見えました。
(それだけ的確な判断力を持ち合わせられないぐらいに根深い病気である、というのを私が理解できなかったのかもしれません)
しかしながら、作者は過去のことを反芻しエッセイに仕立ててるうちに、再考して思うところがなかったのかなと考えています。
ウソを書けということでなく、ぼかすなり内省の補足をするなりあるはずです。
上記は私個人の感想ではありますが、エッセイ漫画を通して「女性はハンデ持ちでもイージー」というネット上の共通見解が得られたのは、
私と同じような感想を持った人が多かったのでしょう、と勝手に推察しております。
「理解のある彼くんがいるから」ではなく、「理解のある彼くんだって出来る上に、そもそもこんな認識で生きているから」と思っているのです。
「私が弱者男性故に対象が女性というだけで色眼鏡で見ている」、そう思われるかもしれませんが、
他で消化器系を長く患われている女性作家さんのエッセイではその苦労や辛さに深く同情し、何一つ批判的な感想を抱きませんでしたし、
精神を患われている女性作家さんでも「理解のある彼くん」に疑念を持っていた方のものは
特に前後でも病気を理由にした問題行動の正当化を感じる部分もありませんでしたので、
やっぱり「理解のある彼くん」の登場があるエッセイの作家さん達だけが悪目立ちしているように見えました。
本来、努力し、助け合い、思いやりを持ちつつも懸命に生きるハンデを持った女性たちという
決して揶揄や物笑いの種にすべき存在ではないものについて、これだけマイナスイメージを持たれてしまったのは、ここにあります。
ここでは「理解のある彼くん」に絞って女性の話をしていますが、
もちろん「甘ったれた男性」がいることも否定しませんし、弱者男性の中にそういった部類の人間がいることも承知しております。
ハンデを持った女性のリアルを理解する上で、当事者の知り合いがいるという人もなかなか少ないでしょうし、
そもそも当事者はむやみやたらに打ち明けることは無いでしょう。
自分の病気のことを顔を合わせる周囲の人間にベラベラ喋ることがありますか?
そんな「リアル」で認知されることが少ない状態では、ネットの発信力が強い現代において、
エッセイの「悪い意味で最もキャッチーな部分」によって認識を悪い方向に塗り替えられてしまった、というのが今の状況かと思います。
それでも、結果的に「女性はハンデ持ちでもイージー」という結論で
十把一絡げにして非難の対象になってしまった「まともにハンデと向き合っている女性」への誤った非難があったことは否定しません。
何故止めなかったのか、何故助けてあげなかったのか。何故咎めなかったのか。
でもそれは「過去に助けてくれなかったから、同じように助けなかった」ではないです。
そもそも、「弱者男性を助けなかった理由」でなく「〇〇を助けなかった理由」というべきでしょうか。
ですから、「弱者男性は精神障害者女性をサンドバッグにしてきた」という結論で
いや、今ニートなんだけど。
営業が好きだ。客の欲しいものやして欲しいことを読み取って、適切な商品を提案する。客は欲しいもの手に入る、こっちは喜んで貰えて金が貰える。万々歳。
↑これがしたいのに、世間の「営業」のイメージってゴミすぎる。押し売り、飛び込み、マイナスイメージだらけ。今までの「営業」って奴らがそういうやらかしをし続けてんだから仕方ないが。
そんなもん要らねーって人に話術という名の丸め込みで売り付けるより、こういうのが欲しいんだけどある?って人とコミュニケーション取って一番合ってるものを渡したい。
ついこの間話題になった冷やし同人誌の件を最初に耳にしたとき、「ああ別にこの炎上を受けても当のVtuber2人の人気は変わらないだろうな…」と思った。
僕自身も今回炎上した人達ではないがVtuberグループが好きでよく見ている。(特にここでは生放送中心の)Vtuberの活動内容はゲーム実況や歌、雑談が主でその他の企画もそれらの延長にある。じゃあ何が楽しくて見てるのかというとそのキャラクター自身の考えや振る舞い、そして所属するグループ内での関係性。配信内容は同じでもそういった人間的というか内から出てくるものが結構グループごとだったりVtuberごとに違ってそこに魅力があると思ってる。だからこそファンはゲームの上手さ、歌の上手さ、じゃなくて彼ら彼女らの人間性に対してファンになる。Vtuberファンに全肯定民と呼ばれる推しをどんな場合でも褒めるファンが多いのはこういった性質をよく表しているように思う。
そして、毎日の配信はそのチャンネル主であるVtuber自身の倫理観や信条を基準に行われるし、ファンもそれに魅力を感じている。
今回多くの人の逆鱗に触れた「冷やし同人誌」もそういった彼ら彼女らの価値観の範囲で行ったものであり、今まで応援してきたファンにとっても当のVtuber本人にとっても「いつものこと」なのだ。実際に冷やし同人誌を行った時点で配信で流れるコメントからはいつものように楽しそうな様子がうかがえる。
つまり、聞く人によっては嫌悪感を持つかもしれない事柄を含む内容であるかもしれないが、それを良しとする価値観や人間性で獲得した人気であるため、そのことで炎上しても既存のファンにとって推しのマイナスイメージには繋がらない。
こうした認識の差はVtuberファンとそうでない人の間で大きな溝を作っている一つの原因でもあると思っている。Vtuberは別にアイドルでもないし正しい行いを求められる存在ではない(という認識でやっている)ので人によっては過激な発言や行動をすることがある。そもそも彼ら彼女らは完全に企業の元で配信活動をしているわけではない。多くのVtuberの生放送では自分のことを個人事業主であるという発言があることから、アイドルのように所属事務所から活動内容や行動を制限されているのではなく、割と個人の範囲で自由に行っている。一方であまりVtuberに関心がない人には事務所があってそのもとで活動している配信者というのは一定の倫理観があると思い、度々タイムラインに流れてくるVtuberの炎上を見かける度にああなんだこいつらは?と彼ら本人とそれを律するはずである企業全てを含んだ”Vtuber”に対する悪いイメージを蓄えているように思える。
実際Vtuber自体はいち配信者に過ぎないのでその発言をいちいち受け取って腹を立てていてもしょうがないのだが、ここまでVtuberと炎上がセットで語られることが多いのは単純に無視するには影響力が大きすぎるからだと考える。
Vtuberの特性上、数十~百人が同じグループに属しているため一人の炎上もそのグループの炎上としてさらに大きく捉えられることがある。ひいては”Vtuberの炎上”としても大きく解釈されていると思っていて本人やファン達が考えているよりもずっと多くの人の耳に届きやすい構造だなというのはしばしば感じる。
Vtuberとそのファンである僕達は内輪ノリでは済まない規模になっていることを客観的に捉えて自覚する必要があるし、あまり興味のない人達はまたインターネットで口がでかいやつが何か言ってる...くらいの認識で済ますのが精神衛生上良いように思う。
創作上のキャラクターの好きな属性としてのマザコンとか母性とかインナーチャイルドとかアダルトチルドレンみたいなそう言ったものについて考えてるんだけどマザコンは大きく分けて2種類あると思っている。
母親の愛情を過剰に受け取って育ったり母親を意識的/無意識にも神格化しすべての女性の基準が母親な人間。二言目には「うちママはこうだったけどな」とか言うタイプ。
わかりやすく既存のキャラクターで言うとドラえもんのスネ夫がそれである。
もう一つは『母親の愛情を充分に受け取れなかった為大人になっても母親の愛を求めているタイプ』
死別とかネグレクトにより本来子供のうちに得られるはずだった母の愛を得ずに大人になってしまい、いつまでも母の愛情を求めてしまう人間。
既存のキャラクターを使って例を挙げると、その中でも母の愛を配偶者とか恋人に求めるタイプがガンダムのシャア、母親本人に求め続けるタイプがブレンパワードのジョナサンだと思う。2作とも富野由悠季ですまなない。
私はこの後者の母親の愛情を充分受け取れなかったタイプのマザコンキャラクターが好きだ。女性キャラクターだとエヴァのアスカも好きだ。
普通子供は親から与えられる愛情を受けて育ち、成長とともにそれを受け取らなくなる。そしてそれを今度は恋人や配偶者に貰ったり、自分が愛を与える側になったりして大人になってゆく。
しかしこのマザコンは年齢だけを重ねて見た目は大人になったけれど中身はいつまで経ってもママの愛を求める子供だ。
現にシャアは(ロリコンも発症している為)年下の少女ララァを母になってくれるかもしれなかった存在として死に至るまで彼女の幻影を求め続けたし、自身に父親を求めたクェスのことは受け入れられなかった。30も半ばをすぎていてこれだ(見た目は頼り甲斐のある大人の男性のシャアの中身がアムロにも引かれるくらい子供を拗らせているというギャップが好きだ)
ジョナサンのほうはもっと悲惨だ。彼は幼少期に多忙な母親と過ごす時間を充分に得られなかった為大人になってもいつまでも母を求めている。ジョナサンの有名なセリフ「クリスマスプレゼントだろ!」にそれは凝縮されているが、大人になって自ら母親と離別してからもずっと子供の頃のクリスマスの悲しい思い出をひきずっている(彼の方は母親にも問題がありそれを指摘されたことで母親までも発狂してしまうのだが)
そんな悲しきマザコンたちが私は好きなのだが、この愛情を与えられた者、与えられなかった者、正反対の2者がどちらも「マザコン」という雑で大きなくくりで呼ばれるのが少し悲しい。かと言って別の呼称も思い浮かばない。
マザコンというとマイナスイメージが強い印象があるが、この悲しき愛を得られなかった大人たちは創作上のキャラクターとしてはとても魅力的だと思う。
見知らぬ人とゲームのマルチプレイをするうえで注意したいことを
・音量バランス
基本。声が小さすぎると聞き取りづらいが、だからといって音量を上げ過ぎるとマイク次第では環境音も爆音で相手に聞こえるので要注意
たまに声が小さいのに環境音だけデカい人が居るが、聞かされる側としては一番どうしようもないパターン
・挨拶
・会話のキャッチボール
意外とコレが出来ない人は多い
「どうしますか?」と質問を投げかけてるのに、一切返事をしないコミュ障の中のコミュ障がたまに居るが、何らかのトラブルが発生してるのかと心配されるので注意しよう
それと多少のイライラは胸の内に秘めておき、できるだけ表面には出さないようにしよう。多少騒がしいぐらい(やられたー!等)は極端じゃなければ、好意的に受け止めてもらえやすい
しかし味方にイライラしてるわけじゃないからセーフ理論でたまにキレ散らかす人が居るが、それを聞いてる周りのメンバーは既に不愉快甚だしいのでそういった発言はやめよう
過度な自虐も周りのメンバーを困らせるだけなのでやめておこう。自分だけの世界に引きこもっていいのはシングルプレイの時だけだ
他のメンバーには通用しない身内ネタや、身内だけの要件(明日どこ行く?等)は身内しか居ない時にやろう
他のメンバーが介入できるようなネタはまだしも、あからさまな身内ネタは極力避けよう
・会話に参加する
一人で参加する時は会話に食い気味に参加していこう。興味がなくても相手の発言から更に話を広げてみよう
どうせ失敗したところで、顔も知らない相手の失敗なんて1時間もしたら忘れるので、失敗しても特にデメリットはない
話を振らない限りは静かにしてるプレイヤーが結構な割合で存在するが、話を振る側もプロではないので話が盛り上がる相手としか話をしない
「さっきから静かですけど大丈夫ですか?息してます?」なんて弄ってもらえるのは、よく喋る人間が静かな時だけであって、一切喋らない人間はネットだろうと空気に変わりはない
・基本は敬語で話そう
たまに一言目からキレッキレのタメ口で話す人間も居ないことはないが、大体マイナスイメージを持たれるので注意しよう
だろ?
プロの営業であったなら、「あっ、ステマとか言ってる人がいるんですか?違います」で終わりにして、「じゃあどうやって話題を伸ばしたかの手法なんですけど~~まずはアプリで広告を~~~」でいいじゃん。
単なるファンなら、「ふーんそうなんだ。私イベント走るのに忙しいからまたね」で終わりでしょ。
ないですね。
ステマと言われた上でマイナスイメージが付いてるのは実際にクオリティが低かったものだけです。
「評判の割には、こことこことここが駄目だったわ。そんで、話題のこことこことここも大したことなかった。ステマかな?」
ってパターンですね。
「いやここはこう良かったよ。証拠はこれです」
でしょ?
「ボクチンがこれ買ったのはボクチンの意思と情報収集の結果だもん!ステマに騙されてないもん!情弱じゃないもん!!!」
って感じですかね。
気にしすぎですね。
というかこれについても、なんで自分がそうしたのかを淡々と説明すれば良くて、ステマかどうかなんてどうでもいいです。
他人の目を気にしすぎでしょう……情報に弱いのかは知りませんが頭とメンタルはボロボロだと思います。
書いてる内容に嘘や恣意的が過ぎる情報の取捨選択が無ければいいだけだと思います。
って言いたいなら、読んだ人が信用できると思える内容を積み上げていけばいいだけです。
あーだこーだ言われるのは単に自分の書いてる内容が日頃から党派性のようなものの強さが匂い立ってるからじゃないでしょうか?
色眼鏡を外して客観的に情強を整理するモードと、自分の感情をそのまま絞り出すモードを使い分け、どっちで今書かれているかを他人からも分かるようにすればいいと思います。
それが文章力って奴ですよ。
文章力鍛えて、役目でしょ。
自分の好きな作品を嫌いな人達の界隈に火の手が上がるのを見たいだけだったという。
他人の家に火の手が上がることを楽しむ人はそこまで多くなくとも、嫌いな人間が痛い目を見るのは大好きな人は非常に多いですからね。
まして相手は一度付け火を企んでいるのですから、反撃という大義名分で燃え盛る松明を相手の庭に投げ込めるわけです(実際は、同じ穴の狢でしかないことに気づくことまではもう期待しません。諦めます)。
実際どうなんでしょうね?
ステマ扱いなんて単なるどうでもいい噂なのになんで気にするんでしょうね。
二点。
・「個人V界隈の問題じゃない」→それもそう。元々偏見があったからこういう書き方をしてしまった。あくまでこの配信者自体の問題なんだけど、「これだから個人勢は」って思っちゃったんだよね。君の好きなものを汚してごめん。元の文章は変えずに残しておきます。
・ゲームについて補足
プレイ時間5~15分想定らしいので、配信で使うなら全部やってもいいんじゃない? って長さではあると思ってる。
ここまで
読みづらい文章で申し訳ない。最初の稿より、はてな記法などを追加し、文章以外の部分を修正している。
ここまで
Vtuber(あえて個人勢、と限定させていただく)とその囲い、こわい。
企業のVtuberなら、ある程度コンプラとかそういったことが管理されている、と、思うので。多分。詳しくないんだけど。
なるほど。
何故そもそも”配信者を馬鹿にしている”って発想になるのかが分からないし、文面から自分の立場が上であると言いたいのが漂ってくる。”有名なゲームは別”ってところもまた……。
フリーゲームはフリーゲームなのだし、制作者に全ての権利があると思うのだが、一体どういうことなのだろう。
これは流石にフォロワー減るのでは? と思うような発言だが、この発言に対するVtuberのフォロワーの発言は、以下。
これはなんとなく言いたいことも分かる。プレイスタイルは人それぞれだ。というか、それが嫌なら配信しなければ良いだけの話だと思うのだが、まあ一旦置いておく。とりあえずなんか燃えているらしい。
今のままでは状況がよくわからないため、一旦状況を整理することにした。
※追加した規約についての言及はなく、TRUEENDを強制する発言はない。あくまで、同じような配信がないようにするための措置である。
※補足 ティラノコレクション公開作品らしく、タグが少ない。当作品はいわゆる百合作品。
長くなったが、以上の通り。マシュマロなど、時系列が一部ごちゃついている部分があると思うがご容赦願いたい。
いや怖くない? 怖いよ。
確かに作者側も、ちょっと熱くなってコメントしている部分はある。出直せとか(もう少し丁寧に書いていたものの)。
せっかくなので最後のライブ配信を少し視聴したのだが、「TRUEまでやれ」の部分にめちゃくちゃ言及していた。
いやいやいやいや、”配信時はTRUEまでやれという規約はないし、DMを送った際もそのような内容は記載していない”って言っている……と思うのだが見間違いか? とまで思った。見間違いじゃなかった。
作者側としては、謝罪後のこのVtuberの態度について怒っているように見える。
が、Vtuber側は信者も含めて「TRUEまで配信すること」という文言を取り上げて叩いているのである。
コレは痛いところを突かれたから論点をすり替えているのか、大真面目にそこについて作者が言及していると思って叩いているのかどちらなのか本当に分からないのだが、まあとにかく怖い。マジで怖い。真面目だったら話が通じなさすぎて怖い。
大分長くなったし話も横道に逸れそうなのでまとめに入るのだが、ゲーム製作ではないにしろ、私も制作者の端くれとして、
他人の制作物に敬意を払わずに借りておいて「使ってやっている」なんて態度に出るような人間にはなりたくないし、関わりたくない。
一般人が下手にフォロワーという名前の権力を手にしてしまうと、有名人になった気分になってしまって高飛車になるのかな、と思う。