はてなキーワード: ペーパーテストとは
この記事に対するブコメ、Xコメで一部思うところがあったので書きます。
https://togetter.com/li/2212652
あまりに同じ単語が繰り返されるので、基本的に「発達障害の人」のことを繊細さんと書きます
多くの会社は最大限優しく接しています。問題は、人の優しさは有限であるということです。
また、後述の理由により繊細さんは異常に被害者意識が激しく、あまりにも多い地雷を踏み抜かずに長期的に接することが困難です。
以下を読めばその理由の一部を理解することが出来るかと思います。
TASのように最適解な行動を取り続けたとしても、繊細さん健常者のように働かせるのは不可能に近いと考えます。
繊細さんは仕事の速度が遅く、ミスの数は人よりも遥かに多く、そして自分のミスを認めることが難しいからです。
冒頭の方も4月入社なのにも関わらず異動を繰り返しているようなので、よほどの色眼鏡で見ない限りは上司より本人に問題があるのではと察することが出来るかと思います。
自分の過去の職場では、繊細さんに仕事を渡すときは他の人の10倍の期間を見積もろう、と会議して決めたことがあります。
これは嫌味でもなんでもなく、期限が迫っていると急かすと爆発し、仕事を引き上げようとすると爆発し、ミスの指摘をすると爆発するからです。
繊細さんには自由にのびのびと仕事をしていただき、成果物をこちらで全チェックしてこちらでミスを修正して完了しなければなりません。
このように、対策を打っていないわけではないのですが、長期的にはお互いに限界が来て繊細さんが爆発してしまいます。
仰るとおり、繊細さんもミスを指摘して直してもらうことを2往復ほどすれば正しい成果物を作ることが出来ます。2往復できればの話ですが。
問題は、指摘して完成、を何度か繰り返しているうちに繊細さんが上司を通さずに成果物を客に渡してしまったりすることです。
上司に成果物を渡してしまうとミスを指摘され、ミスをしたという事実にそう何度も耐えることが出来ないからです。
それでお客さんからのクレームが来て、その客の担当から外そうとして無事に大爆発したことがあります。ミスして担当を外されたという事実を認めることが出来ないからです。
繊細さんに合う仕事はありません。
上記の通り、繊細さんはミスが常軌を逸して多く、デスクワークを1人で完遂することが出来ません。
じゃあPC以外の作業をやればいいじゃん、と思うかも知れませんが、繊細さんは手先が不器用な確率がとても高いです。
古新聞を纏めるよう指示したら、30分経っても戻ってこず、見に行ったらひと束たりとも結べていなかったことがありました。取り上げたらもちろん爆発しました。
シュレッダー係は…と言いたいところですが、例の人が重要な書類を破棄してダブルチェック必須になったことを見るに難しいでしょうね。
人を不快にするような言動、行動が多い一方で自分がされた(と思いこんだ)何かについて非常に攻撃的です。
障害がどうとかでなく、そういった気質の方と長期的に良好な関係を築くのは難しく、今のところ実現できた人を知りません。
参考までに、以下は自分の体験したことのある繊細さんの行動の一例です。(複数人のものが交じっています)
・ 客先に犬が居て吠えられたことを理由にオフィスを飛び出し帰ってこない
・ 同期に後ろから声をかけられたとの苦情を上司を4時間拘束して直談判し続ける
・ 同期が年下のくせにタメ口で気に食わないと上司を拘束して以下略(同期が年下なのは自分が留年したせい)
・ 太鼓の達人でもやってるのかと言わんばかりの爆音でキーを叩き続け、苦情を言われると職場の全員に自分の正当性を大声で主張して回る
・ 仕事中に黙れない。定期的に「ええええっ!」「あらあらあらあらあら!」等の奇声を上げる。(本人的には多分「どうしたの?」って言って欲しいっぽいです。)
・ 仕事を頼むと「なんでですか?」と聞かれ、納得の行く理由を説明しないと仕事を引き受けてもらえない
不思議なことに、繊細さんはみんな型にはめたかのように同じような行動を取ります。例の女性も上記と似たようなことをしていますね。
どなたも最初のうちはこれらを受け流すことが出来ますが、1ヶ月、2ヶ月と続くうちに限界を迎え、繊細さんと衝突してしまいます。まあ、どちらかというと向こうから突撃しに来るのですが。
多くのホワイトカラーの職場において繊細さんとマッチする仕事はありません。なので限界人材しか採れないブラック企業を除けば健常者を雇ったはずが間違って雇ってしまっています。
一般的な履歴書には病歴を書く欄がありますが、ADHDについては書かなくて良いのか診断を受けなければ無敵なのかわかりませんが書かれておらず、見た目では判断が付かないのでどうしても見抜けずに通してしまうことが起きてしまいます。これについては我々の努力が足りず、申し訳ないです。※
もっとも、ADHDを書く必要があったとしてもミスマッチを防ぐのは難しいかと思います。自分の知っている繊細さんは例外なく持病や既往症を履歴書に書かずに面接を突破してきたからです。
繊細さんを適切に見抜くことの出来るペーパーテストの開発等、技術の進歩が待ち望まれます。
※一応、自分が面接に立ち会えた採用では(今のところ)発達障害のケがあるのを察知して弾けているかと思います。
「職場に繊細さんがやってきた」問題は経験の有無で意見が180度変わるものかと思います。
このあたりの態度をとることの大本はどこかで繋がっている。
同じ言葉が文脈によって褒め言葉にも悪口にもなるということが理解できない。
ひとつの言葉を「武器」に出来ると思うと、その言葉だけをひたすら繰り返す。
その言葉を「武器」だと認識すると、悪い意味で言われていないときでも少しの躊躇いもなく怒る。
例えば、「ユニーク」という言葉を悪口だと何かのきっかけで思い込む。
そうすると、どんなに良い場面で使われても「急にディスられた」と認識する。
気に入らないことや気に入らない相手がいると、場面にそぐわなくても「ユニークだ」「ユニークだ」と連呼して憂さを晴らす。
その意味が他人に伝わらなくても、自分の言葉が間違っているからだとは考えない。
「この言葉を通して伝えたい俺の思いを何故理解しない」とさらに繰り返すだけである。
驚くべきことにこの行動パターンの抑制に後天的な「教育」はあまり役に立っていない。
国立理系の大学を卒業したかなりの受験エリートでこういう人間を、自分はたくさん知っている。
・小さな子供を「若い」と言うことが許せず、「ガキ」と言わなければいけないと固執する。
・「ブス専」を自称したがり、「別に言うほど(その相手が)ブスじゃない」という否定を何故かとても嫌がる。
・「哀れ」という言葉を否定的な意味でのみ使い、どんなに弱い生き物も普通に可哀想がるという発想ができない。
などなど。
ただ言葉を間違えて覚えていると言うのとは違う。
「うる覚え」を「うろ覚え」と訂正されて、「ああ間違った」と思うような改善がそこには存在しない。
「この言葉はこのもの(大抵は不快な何か)に結びつけられていなければならない」という強硬な執着のようなものが存在するのである。
「論理的に議論が出来るかどうか」を見るのに、この思い込みの有無は最低基準でないかと思う。
繰り返すように、経験上これは単なるペーパーテストの成績ではなかなかわからない。
ペーパーテストには全く支障がないどころか、ある意味で向いているような反射神経の結果だからである。
父が死んだ。葬式もした。
喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。
父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである。
父は1940年代生まれの日本人男性である。出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎町である。
6番目の息子である。工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。
(おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライである。いじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)
工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学系メーカーに就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。
職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学の化学科に進学した。
学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である。
趣味は登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生でもっともイケイケだった時代かもしれない)
そこで一学年年上にあたる女性と出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人で笑顔が気さくだった。
怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。
話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。
1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎の大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。
父は卒業後化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社の腰かけ事務職」をして寿退社。初任給で洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。
二人は親へ挨拶をすませ神前式で結婚式をあげた。新婚旅行(国内)ではパンタロンにネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。
1970年代。m市の社宅に二人暮らしで妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行も出産も一応カラーだ)
夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。
(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)
二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このときは増田も母実家に連れていかれた。
このころ叔父が浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父はマンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田に学研の漫画の植物百科を買ってくれた。
三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)
というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許か論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。
というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。
だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。
(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人の男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコも容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)
そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、
そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスがアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。
とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。
まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。
そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計し現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。
(このへんで、のこり全部の西にいる親類から「東京の叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博やディズニーランド、成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)
お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。
そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親と喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、
母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。
子供が「いやもう自分は大人だから口出しをするな、するなら人生の最後まで口出しする覚悟をしろ。恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、
父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。
その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。
子供を教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである。教育となったら教育だけをするのだ。
「もういいから子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。
しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。
庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。
父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。
(ほかにもファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らし」イメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。
今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。
学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)
母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。
ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。
父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。
幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。
郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス(建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。
手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。
そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。
ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。
母にとっては子供は庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。
母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。
Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。
母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。
「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、
それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当な理由がつけられ、反省書となった。
反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。
まるで自首後の犯人に動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。
この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。
あるときなど増田が呼び出されて母と東京のカフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである。
どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。
増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。
ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときょときょとしながら口をはさむ隙を探す。
やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。
カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときにニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである。
増田は遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである。
理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。
後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしはケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!
父は平謝りするしかなかったらしい。
でもその場で諭そうにも耳も悪い。
「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。
もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである。
補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。
それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。
子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。
でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田ら子供たちに直接説得も試みた。
ところが増田も子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯(業務用)に電話をかけることがつづいたのである。
運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。
このことは増田に子供の送迎がいらなくなりガラケーとアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときにブロックは解除した)が
半ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟や増田の伴侶に「増田ちゃんがわたしをブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。
父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。
父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。
酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。
母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである。
ほかにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。
なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。
途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院や介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。
父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。
母親の認識は古くて「介護=認知症=施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、
父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。
まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在はチバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。
母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田にドライに告げたので増田は市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。
実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。
父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。
頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。
ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人で介護をうけることにして解決となった。
他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。
ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。
コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、
ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。
母はユーチューブをおぼえた。
コロナワクチンはふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である。
増田の残りの二人の兄弟も子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。
そうして2*年の闘病、*年の介護認定と酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。
母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田は葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。
父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式の相談のあとにも爆発した。
かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快な事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、
母はいますぐ資金をすべて自分の口座に動かそうというのである。
それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。
今すぐにでもATMにいってお金をおろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたから葬式費用ではない。)
なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単だからのぞんでいたんでしょう。
https://www.toben.or.jp/message/pdf/230518arktokyo.pdf
ここで言う「A社」とは株式会社DSC、「B社」とは「株式会社Dキャリアコンサル」、「同一人物」とは児嶋勝なる人物のことです。
https://diamond.jp/articles/-/250777
3年前の東京ミネルヴァ法律事務所の破産で裏にいたのと同じ会社、同じ人物。
首都圏にいると気づきませんが、地方のラジオや新聞は今でもいわゆる「過払い金」の広告で溢れています。
その広告を手掛けているのが上記のA社=株式会社DSCを代表とする広告代理店群。
サムライうんちゃんらとかね。名前は入れ替わりつつ、常に数社そういう会社がある。
上記の「児嶋勝」氏もそうです。
経営基盤が弱い弁護士事務所に取り入る(食い詰めた弁護士を取り込んで事務所を作らせるパターンもある)。
相談会の広告費は回収した過払い金報酬から払えばいい、と甘いことを言う。
相談会の日程、会場(公民館とかが多い)、相談者の予約設定までやってあげる。
弁護士は、回収した過払い金から弁護士報酬を徴収し、そこからさらにツケになっていた広告費用を支払う。
もし支払えれば、ですが。
そのツケが貯まりに貯まって数10億に達して破産を申し立てたのが東京ミネルヴァ。
破産申立てにすら行き着けずクラッシュしたのがアーク東京です。
A法律事務所はいわゆる「過払い」の代名詞のような事務所です。
A法律事務所は2000年代後半のいわゆる「過払いバブル」の渦中に登場し、瞬く間に47都道府県に支店を置くほどの規模に成長しました。
その急成長は代表弁護士(一時期テレビによく出ていた)の手腕によるものだったんでしょうか?
それは甚だ疑問です。
実はA事務所も中核に武富士OBの人物がいて、実質的に事務所の経営を仕切っていました。
過払い金回収の顧客は、要はかつて消費者金融から借り入れていた人です。
どこの誰が、いつ、どれくらい消費者金融から借り入れを行っていたか。
株式会社は2010年9月に会社更生法の適用を申請し、事実上倒産しています。
それ以前から武富士の経営は苦しく、従業員多数が外部に流出していました。
武富士の元従業員が退社に際し顧客名簿を持ち出し、過払い金回収ビジネスに活用した。
弁護士業界を潤したいわゆる「過払いバブル」の真相は実はそれだった可能性が高い。
武富士の倒産については、「計画倒産だったのでは?」という根強い疑問があります。
弁護士業界では、武富士といえば「過払い金の支払いの気前がいい」ことで有名でした。
過払い金を請求するとホイホイ認め支払ってくれる相手方が武富士でした。
会社の負債総額を膨らませて倒産を急ぎ、創業者一族はとっとと資産を持って逃げる。
武富士創業者一族の計画にまんまと司法が利用されたのかもしれません。
もっとも弁護士は儲かったので、ウィンウィンでいいのかもしれません。
武富士倒産当時、過払い金の影響で次に潰れる消費者金融大手はどこだ、と言われていました。
ところが結局、その後は大手はどこも潰れていません。
プロミスにせよ何にせよ、大手銀行の傘下に入りピンピンしています。
結局、消費者金融は儲かるんです。
昔のように年利40%とかは取れなくても、年利20%でも十分ビジネスとして美味しい。
だから、過払い金という負債を物ともせずどこも今も消費者金融業にまい進しているんです。
過払い金に手を出したのはA法律事務所や東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
当時、驚くほど多くの弁護士が過払いビジネスに参入していました。
過払いビジネスには、
そうは思えません。
弁護士はペーパーテストを頑張った秀才がつく専門職であり、事務作業は概して得意ではありません。
それらの事務作業をやってあげたのは、実は上記DSCを始めとする武富士OBだったんじゃないのか。
弁護士業界の過払いバブルとは、実は武富士OBに利用されただけじゃないのか。
そう疑っても不合理とは思いません。
もちろん、過払いバブルで潤った弁護士と、上記の東京ミネルヴァやアーク東京には大きな違いがあります。
でもそこに質的な差があるとは思えません。
まだ過払いが美味しい時期に参入し、うまく立ち回り、さっさと撤退した前者。
旨味が薄れた時期に今さら参入し、儲けることもできず、あげくに大事故を起こした後者。
その違いは、要は上手くやったか否かだけです。
過払い回収業務への規制はどんどん厳しくなっていましたから、むしろ前者の方がヤンチャしていた可能性すらあります。
というか、実際そうだったはずです。
冒頭のA社こと株式会社DSCと取引があった弁護士は、東京ミネルヴァやアーク東京だけではありません。
もっとたくさんの弁護士と取引をして、渋谷にキレイなオフィスを構え、キレイなお姉さんを多数雇っていました。
9浪早稲田卒を売りにしているインフルエンサーが東大大学院の受験を公表した。
なぜなら大学院入試とは何であるのか、まったく理解していないから。
東大教授の知り合いがいなくても東大理3に合格できるし、三菱商事の役員と知り合いでなくとも三菱商事には入れる。
筆記試験はいちおうある。でも、それはあくまで研究を進めるのに最低限必要な基礎学力を見るための試験である。
大学院入試では基礎学力を測る筆記試験を通ったら、面接や論文審査になる。
そこでは大学院でどのような研究をしたいか研究計画書を出して、それをもとに面接を受けるわけだが、この面接の合否は面接を受ける前から決まっているのである。
特に人文系の大学院の場合、指導教員を師匠とした師弟関係のなかで研究を進めることになる。
マンツーマンで指導を受けることも多く、私大文系の学部教育に比べて圧倒的に濃密な人間関係になる。
だから、大学教員としてもどのような人間か分からない人を院生として取りたくない。
またいくら院生の人間性が素晴らしくても、院生の研究したいことを自分が指導できるかどうかは別問題である。
だから、普通は大学院入試の前に指導をお願いする先生のところに相談に行って、「●●という研究をしたいが、指導をお願いできますか」と聞く。
場合によっては「その研究内容なら、うちの大学じゃなくて××大学の●●先生がいいですよ」と言われることもある。
まあともかく大学院入試とは一見さんお断りの世界であり、大学の先生と面識のない人が受験しても、筆記は通っても面接で落ちる。
で、東大文系大学院に外部から行くのが難しいのはこの点にある。
大学院入試を突破するには、東大教授に顔と名前を覚えてもらわないといけない。
しかし現役東大生ならともかく普通の大学生や社会人には東大教授のツテなんてないし、会おうにもメールの送り先も分からない。
だから、普通は卒論をお願いしている自分の大学の指導教員に相談して、紹介してもらったりする。
そういうツテさえもない場合は、学会に行って、懇親会などで指導をお願いする先生に話し掛ける等の努力が必要だ。
で、見込みあるなと向こうに思われるためには、こちらもしっかりと先行研究とか論文とか本とか読んで、勉強しておかないといけない。
必要なのは、学力をつけることではなく、コネをつくることです。
なんか結婚しない理由にお金っていわれてるだろ!とかおばあちゃんが子供で来ちゃえばなんとでもなるっていうのに対して時代が違うんだ!みたいなのがバズってたけど割と真面目にどうとでもなるよ
で、色々無料化したりしてもまぁ正直な話少子化が解決出来ないことは他国の事例を見ればいくらでもわかるよね。
それはね、もうお金持ってる側からすれば学費無料になったらさらに投資に回すなり子供の塾なんかの教育にお金使えるんだよね
そうすると、さらに格差が広がるんだけど無料になるって本当にいいことなのか考えるべきだよ
日本の奨学金の利息なんてへの突っ張りにもならん利率で平等でいいと思うんだよね
日本はペーパーテストで大学入れて上に行けるチャンスがまだあるんだよね
大学無償化して数を減らし塾などに教育コストをかけて下がペーパーテストで成り上がるのを阻止できちゃうんだね
んでもって、何故少子化しているのか?って言えば少母化って言われていて子供を産む女性の数が減ってるんだよね
過去にはお見合いで結婚していた分が自由恋愛ばかりになって結婚しない/出来ない人が増えたんだね
なので、全体における出生率は下がってるんだけど婚姻したカップルが産む子供の数は微減と微増繰り返してたりする
なので、無償化云々じゃなくってやるべきなのはお見合いに変わるマッチングをどうするのか?なんだけど
日本では昔から、一部の研究所などを除き1)は使われない。むしろ文系印刷はデメリットになる。
2)は世間で言われる学歴フィルター。本当は「出身大学の入学時偏差値を基準とした足切り」かな。
オレが謎に思うのは、2)は世間から非難されるのに、3)は受け入れられていることだ。
2)への非難の理由は様々だが「俺様を排除するな」という利己的、感情的なモノを除くと、「18才時点のペーパーテストで仕事の能力は測れない」がメインだろう。
だがそれを言うなら3)もひどい。22才時点であるのが2)より有利な点だが、機械的な情報処理能力に偏っている弱点がある。
国立上位校の入試問題は結構文章力や表現力も必要とされるので、18才時点のこれらの問題解答スキルの方が、22才時点のSPIより将来の仕事能力と相関関係があると考えるのは自然だ。
別に自分たちは行事やイベントが無くなった・小規模化したことに対しては「残念」だとは思ってるケド、自分は自分たちが経験したことだけしか知らないから比較できないから分からない。
だから自分のことを「可哀想」だとは微塵も思ってない。学校生活思い出しても普通に楽しかったし。
でも、教師とか親とか近所の人とかテレビで話してる教育評論家とか政治家とか、大勢の大人から「青春の時間を奪われて〜」とか「可哀想だね」「残念だね」とかめちゃくちゃめちゃくちゃめちゃくちゃ言われ続けて、これを武器に甘い対応してもらえることを学習してしまったんよ。
仮に自分たちがやらかしても「負担を強いられていたからしょうがない」「やっと羽をのばせるようになったのよね」って謎フォローしてくれる大人の出現と、謎フォローに「それもそっか」って納得してくれる大人が出現したことで、「なんだか意味わかんないけど言い訳として使えるじゃん!」ってなっちゃったんだよな。
奪われたって自覚も感覚もなんにも無いけど、ニュースで「若者代表」みたいな人もインタビューで答えているし、実際に周りもよしよししてくれるから、自分も倣って被害者ヅラしよ〜〜〜ってる人はけっこういます。
すみません、こんな金魚の糞みたいなやつに追記とかしてしまって。長いです。まじで興味ある人向け。
○大学生活
コロナに関係ないかもしれんけど、突然いなくなる学生がいるのもマジです。インターンとか実習中に突然飛んだ先輩の噂を色んな所で聞きます。
規制全盛期は全部オンライン授業になったから、ペーパーテストも無くなってレポート課題だけになったんよ。学部によるかもしれんけど。
たまにテストがある講義もあるけどオンラインで好きな時間に受けられるし、答え確認し放題。先生側も多分わかってて問題は全部簡単でしたね。
そうなると、ほとんどがテスト勉強しなくなる。授業だって友達と遊びながらカフェでパソコン開いてできるし、録画を公開するタイプの「オンデマンド授業」ってやつは好きな時間に受けられるから毎日が全休みたいな気分で最高でした。そしてオンデマンド授業は倍速再生とかできるのだ。
だから、ギリギリまで予定をいれて、課題の締め切り当日に倍速再生しながら慌ててレポート書いて滑り込みで提出する人が大多数だったイメージ。
そんな感じで「オンライン授業、自由度高いし楽だし好きだなー」って思ってたけど、対面授業が本格的に始まった今は、毎週の課題がその場で書けばいいコメントペーパーとかが増えたおかげでめちゃくちゃ楽になった。
でも自分含めみんなしっかりレポート取り組んでないから、先生いわく「書き方よくわかってない・お気持ち表明ばかり・形式もバラバラ」らしい。
だから今でも少し真面目に文献探して、提出前に2回くらい読み直したレポートを出しただけで相対評価で「秀」とか「優」をもらえる。
寝坊して間に合わない時も「喉に違和感あるから家から受けます」とか言えばオンライン参加させてくれるからめっちゃ楽。
○恋愛
今は規制もゆるゆるになってサークルも授業も自由になったからコロナ前と多分変わんないと思う。食事のときに異性の前でマスク外すのがちょっと恥ずい人がいるかもねん。
自分は高校が共学じゃなかったからよく知らんけど、大学の同期で高校の同級生とそのまま付き合ってるやつはパッと思いつくだけで5人はいるから普通に恋愛してたと思います。
高校では感染対策とか言いつつもやっぱり授業とかお昼ご飯以外(先生の目が少ないとき)は集まってはしゃぐ場面はあったし、クラスLINEで通話したりzoomでわいわいしてたから楽しかったです!
なぜか校則も緩くなったし。
ニュースでは「青春を奪われた」若者さんが悲壮感を漂わせてるから、自分の高校だけ特別に楽しいのかと思ってたんだけど、大学入ったらみんなも私と同じ感じで楽しんでたからびっくりしたよ。
でも、「辛かったでしょ」とか「我慢たくさんしたんでしょ?」とか「遊べないまま卒業したんでしょう?」とか心配されたときに悲壮感を漂わせると優しくなる(特に教師)ので、みんなでウェーブに乗じることも多いです。
AERAの「発達障害を職場の戦力にする」特集に対する批判への反論として、
高学歴に発達障害が多いし裁判官は司法修習時代の成績で法務省にスカウトされてなると司法・行政の発達障害者率ってめちゃくちゃ高いんじゃないかと思うという
…という反論があったが
今時の裁判官に求められるのは何の引っ掛かりもなくエリートコースを歩んだ若くて高学歴な陽キャだけ、それと陽キャになるには容姿がよくて自信がある事が前提条件だから
顔も良くなきゃ駄目
一般的なイメージに反して根暗なガリ勉は裁判官への任官からは排除される
大昔は違ったのかもしれないけれど、今は発達障害者は裁判官には採用されないよ
他の公務員だって同じだよ、今時は住民との対応をそつなくこなせなくちゃならないから、
仮にペーパーテストの成績がどんなに良くても顔が良くて陽キャでパリピじゃないと採用されない
発達障害者は基本的に裁判官にもその他の公務員にもなれないし、仮になれるとしたらASDとは併存していないADHD単体で多動型とか積極奇異型の人だけだと思う
求職者の能力を知りたいなら資格の有無や今までの仕事でやってきた業務内容を聞くし
それだけじゃ信用ならないならペーパーテストをする
人柄が知りたいならプライベートに関わらない部分の雑談でもするわ
応募してきている時点でやる気があるなんて当然の前提だから、逆質問で志望度を図ったりなんてしない
定着して欲しいなら給与や福利厚生を上げたり労働時間を減らしたりする
……って思うけどねえ
『面接の最後の「そちらから質問はありますか?」という問いで、即不採用となる5つのNG回答』
https://president.jp/articles/-/63517
この面接時の逆質問というクソな文化、ほんっとーーーーーーーーーーにやめて欲しいわ。
面接で聞きたい事なんて給与や福利厚生しかないに決まってるじゃん。
業務内容や人間関係もそりゃ勿論大事だけど、そんなの入ってからでないと分からないから聞いても無駄だし。
こっちが本当に知りたい事に対する質問を予め封じておいて、そちらから質問はありますか?も何もないだろうがよ
そもそも本気で入る気があるからわざわざ手間暇かけて履歴書書いて面接に臨んでるんだよ
「ここで「特にありません」で済ませると、興味や意欲が低いという印象を持たれてしまう可能性があります。」って何だよそれ