はてなキーワード: ビジネス書とは
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。
今すぐ書け。火種が燻ってる今のうちに早く書け。
タイトルは「上司が分かってくれないあなたへ」とかそんなん。ベタでいい。
間違っても「ビジネスリーダー」だの「ビジネスマインド」だの言い出すなよ。編集とは断固戦え。押通せ。
お前の味方であるおっさんは、(可愛いのに)自分に自信がなくて、(そこそこ程度に)頭が良くて、(自分よりも)格下なお前が好きなんだ。
「現代ビジネス論とは」みたいに大上段から振りかぶるな。空振りするから。
お前が書くべきなのは「(おっさん的に)若くて可愛い子が(おっさんから見て)何にも分かってないけど(おっさんのために)一生懸命書いた」ビジネス書だ。
とんちんかんでいい。ポンコツでいい。
それなら一番得意な分野だろ。
清純派なルックス、ちょいダサコンサバファッション、ポカリのCM的な清潔感、高学歴。
オタサーの姫ならぬオジサーの姫である北条かやが狙うべきはどう考えてもおっさん。
いいからはよ書け。
どんだけ明後日な内容でもおっさんは満更でもなく「なんにもわかってないなーこの子」って言うから。
そう言いたくて買うから。
こういう「べき論」で世の中の人を勝手に分類する人って何を期待してるのかよくわからない。
運転免許のときにだって「だろう」じゃなくて「かもしれない」の気持ちを持ちなさいとか言われるのに。
「べき」ってようするに「俺の思うように世の中(他人)がなってくれるべき」っていうすげえカッコ悪い他力本願的思想でしょ。
上司とかに「お前はこうするべき」とか言われてムッとしないのかね。
ビジネス書にも「べき論」で語る人は価値観の押し付けで物事を解決しようとする思考停止状態にあるって書いてあるよ。知ってる?
自分が「べき」で物事を考えるようになったり人に主張するようになったら、自分自身が思考することをやめているっていう危険に気がついた方がいいよ。
小学生以下の意見で恥ずかしいけど、思い切って増田に書いてみる。
働き始めてもうすぐ3年だけど、未だに仕事ってなんなのかよくわかってない。
仕事って、ものすっごくミクロに見ると、メールしたり、電話対応したり、見積もりをエクセルで作ったりするようなことなんだけど、これって自分に言わせると「作業」で。
じゃあ、「作業」を積み重ねると「仕事」になるのかというと、それも間違いで。
それじゃあ、作業と仕事の違いって何なのよ???という自分の問いにずっと答えを見出せないでいる。
自分は入社1年くらい、辞めた派遣さんから引き継いだ営業アシスタント業務みたいなことをやってた。その派遣さんはすごく優秀で、本来社員がやるべき雑用を一手に引き受けてて、普通の派遣さんの仕事の範疇をはみ出た仕事をしてたと思う。でも、それを正社員の自分がやらされているということが、ぶっちゃけとても理不尽に思えたし、「作業」を積み重ねたところで何にもならないとグレてしまった。だれかがやらなければならない仕事だし、新卒のくせに生意気言っているとも思うけど、当時はとてもつらかった。
その後いろいろあって仕事の内容は変わったけれど、未だに仕事をしてる、働いているっていう実感が持てない。ないわけじゃないんだが、他部署の人と連携して大きな案件こなしたときとか、そういう目に見える達成感があるときしか「仕事をした」って感じられない。
思うに、自分はなにか具体的な成果物がないと「仕事」って感じられないんじゃないだろうか?例えば、iPhoneアプリを作ったとか、本を出したとか、でっかい施設を作ったとか、そういうのはわかりやすい。でも、世の中には例えば、水道のインフラを整備してる人とか、法律を熟知してお金の運用をする人とかがいる。そういう人たちは目に見える何かを生み出してはいないかもしれないけど、「仕事」をしている。
そういう職に就くたちは、日々の作業と仕事のギャップをどう思ってるんだろう?どう思うも何も、当然のこととして受け入れているんだろう。それが自分には不思議なんだ。
そういうことをパートナーに話したら、
作業に分解できないものというのは、具体的にどう手を動かせばいいかわからないもの。
目標達成のためには、複数の作業の組み合わせの方法がありえる。
みたいな話をされて、ちょっと納得した。
例えば、(あんまりわかってないけど)ITのプロジェクトマネジメントとかは、個別の作業に分解できないから、色んな本が出ているし、みんなスキルを求めてるってこと?
・・・とここまで考えて、人生に必要ないと思って毛嫌いしていたビジネス書を真面目に読んでみたほうがいいんじゃないか、と思っている。
普通、こういうことを就職活動のうちに突き詰めて考えてから社会に出るのが普通なんだと思うけど、自分は色々遠回りしたせいで根本的な何かが抜けていると感じている。
ちまたで日本語なのに読めないと話題の某Web製作会社代表のあいさつを理解しようと努めてみたがやっぱり読めない。
ていうかそもそも大事なことは何も言ってないから読む必要もないんだが。
この代表さんはビジネス書やマーケティング書ななめ読みしすぎだろw
http://liginc.co.jp/company/message/
2000年初頭に起こった枠組みの変化により様々な溝が取り払われ、各社の中核事業の経済価値が同質化された結果、先の見えない不況が我々の眼前に覆いかぶさってきています。
LIGは自社の強みでもある競争のない未開拓市場での事業展開、
顧客にとっての障害を取り除くことによって利益を創出する事業に集中する事で、安定的な成長を続けています。
『ソーシャル・ネットワーキングの人気者』
我々の資産でもある、知識として蓄積されたSNSにおける情報マーケティング戦略は、継続することで世の中に多様な影響を与えられると信じています。
さらに社員ひとりひとりが複数のポジションをこなすことのできる選手として活躍する事により確立されたリスク分散の手法は、
他業種との提携を積極的に結ぶ事で効率化を図り、いずれ社会における標準規格となっていくと確信しています。
(そんな社員を便利に使うことや外注することをリスクヘッジマネージメントって言っていいんかいw)
現実に必要なものは、自由な発想、機敏さ、そして創造性だと考えています。
縮小される(クライアントのWeb)予算をどのような企画で獲得していくのか、
挑戦を続ける気持ちを持ち続けながら「計画を立てる」「実行する」「行動を評価する」「改善する」という流れで仕事をまわしていくこと、
常に主体性をもって物事を考えて仕事に公平な評価を付与していく。
それを多少なりとも頭が良いのだと思っていた事もあった。
自分は確かに言われた事は出来たけど、言われない事は何もできない人だった。
小学校の時、先生が地理のクイズの出し合いをしようと言ってきた。
と言われて、どうすれば良いのかわからず
「どうすればいいんですか?」
と聞いた時の先生の嫌な顔は今でも思い出す。なお無言で順番をすっ飛ばされた。
見聞きしたことがない事で「自分の頭で考える」という事ができない。
プログラムの本を読んでも、入門本は理解できるけど、本に書かれている以上の事ができない。
次のステップにと思って手にとった専門書は理解できない。入門書に書いてない事がいっぱいある。
よく、本を読んだら教養が身につくみたいに言われている。
今まで何冊も本を読んだ。小説やエッセイじゃなくて、ビジネス書も伝記も歴史書も色々読んだ。
読んだ本の内容は覚えていて、知識をひけらかす事はできても、
それを日常生活に活かす事はできない。
やればできる人が羨ましい
ふゆイチGuide 2014 - 2015 電子版 (集英社文庫) http://goo.gl/EEFWpV
ふゆイチGuide 2015 - 2016 電子版 紅白対抗文庫合戦 (集英社文庫) http://goo.gl/QzEC3C
集英社電子書籍ガイド 2014 - 2015 集英社文庫編 http://goo.gl/yimxBP
集英社電子書籍ガイド 2014 - 2015 文芸単行本編 http://goo.gl/TO4Pe8
集英社電子書籍ガイド 2014 - 2015 集英社新書編 http://goo.gl/flx0eP
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集英社電子書籍ガイド2015【姜尚中編】 http://goo.gl/2f4rQ8
講談社選書メチエ 解説目録 2015年4月現在 http://goo.gl/qiZmD8
講談社現代新書 解説目録 2015年2月現在 http://goo.gl/7AV0LU
講談社学術文庫 解説目録 2015年4月現在 http://goo.gl/kNSUim
講談社学術文庫 解説目録 2014年5月現在 http://goo.gl/I9ugL9
2014 講談社電子書籍Best 100 http://goo.gl/Wt1LAt
角川選書解説目録 2014 http://goo.gl/c2diqT
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2015 文藝春秋電子書籍ベスト100 http://goo.gl/tUdgkE
2014 文藝春秋電子書籍ベスト100 http://goo.gl/T7PDPB
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翔泳社の本 Vol.02 http://goo.gl/4Nz3q7
翔泳社の本 Vol.01 http://goo.gl/GUGqLn
オッサンになると涙もろくなる。
(多少だが)苦労していると、「この人は真実を語っているな」ということは大体分かるし。
ネットの世界では凄そうな人がいるんだけども、身近な凄い人は案外そういうのと無縁で生きている。
少なくとも、四六時中ネットのリアルタイムの話題にリソースを割くなんて馬鹿な真似はしない。
「ネットはいきなり頂点の人が可視化されるので自信を無くす」という話はよく聞くが、
自分の体験からすると頂点らしいネットの凄い人も身近な凄い人も能力的にはあまり変わらない気がする。
要は「本人がやりたいかどうか(いや、「やるかどうか」)」が問題なだけであって、煌びやかさに惑わされて
能力が無いと思っている人も続けていれば勝手に能力はつく。連戦連敗でも「何割かは勝ち」の場合もある。
それを次につなげれば、逆境であるほどレバレッジがかかって能力が上がる。
ある時、凄く出来る女性プログラマーがいて「どうやればそんなに出来るんですか?」と聞いたことがある。
答えは、「デスマーチをくぐっていけばこれくらいの実力はつく」だった。
だから、能力が無いと嘆く若者も(オッサンも、あるいは女性も)絶望する必要は無いと思った。
単に守りの姿勢、ポジションが安定したので、後は受け身で人生守りに入ろう、となった瞬間に思考が硬直化
するだけの話であって。
とまあ、増田で書いた所で寝言なのだが、「ネットの人がそれほど凄くもない」ということは、
例えば、はてブで上がってくる書籍関係の記事はほとんどフィクション系でノンフィクション系が少ない。
いつだかの村上春樹のネット相談で、「小説をバカにする夫が許せない」みたいな話題があったが、
実際は逆じゃないかな?と思う。「ビジネス書を読んでいる人は意識が高い」と揶揄されるのが
本当のところではないのか。
しかも下らないライフハック系の記事はホットエントリになったりして、Kindleのセールで買えよと思う訳だが、
そんなことを言っても聞き流されるのがオチだと言うことも分かる。
それはともかくとして、最初の話に戻ると、真実を語っている人に弱い。
今日、ようやく仕事に区切りがついたので、ダラダラとネットを見ていたが、久々に再読してフリーでもいい文章が
落ちているものだと思った。上に書いたワイ氏の駄文の何千倍も役に立つ文章が落ちている。
リンクを貼っても読まれないと思うので、抜粋しながら以下に転載したい。
「ハッカーと画家」のポール・グレアムの抜粋だ。ハッカー以外にも役に立つと思う。
転載元:
http://practical-scheme.net/trans/hs-j.html
<版権表示>
本和訳テキストの複製、変更、再配布は、この版権表示を残す限り、自由に行って結構です。
(「この版権表示」には上の文も含まれます。すなわち、再配布を禁止してはいけません)。
Copyright 2005 by Paul Graham
原文: http://www.paulgraham.com/hs.html
日本語訳:Shiro Kawai (shiro @ acm.org)
<版権表示終り>
(「知っておきたかったこと」より)
だから、卒業演説はこんなふうになるだろう。 「きみと同じ能力を持つ誰かができることなら、きみにもできる。
そして自分の能力を過小評価しちゃいけない。」 でも、よくあることだけれど、真実に近付こうとするほど
多くの言葉を費さなくちゃならなくなる。 かっこよく決まっている、でも正しくないスローガンを、 泥を
かき混ぜるみたいにいじってみたわけだが、 これじゃあまり良いスピーチにはならなさそうだ。 それに、
これじゃ何をすべきかってこともよくわからない。 「きみと同じ能力」って? 自分の能力って何だろう?
風上
この問題の解法は、反対側からやってみることだ。 ゴールを最初に決めてそこから逆算するんじゃなく、
より良さそうな状況に向けて少しづつ前に進んでゆくんだ。 成功した人の多くは実際にはそうやって成功したんだ。
卒業演説方式では、きみはまず20年後にどうなりたいかを決めて、 次にそこに至るには今何をすればいい、と考える。
ぼくが提案するのは逆に、将来のことは一切決めないでおいて、 今ある選択肢を見て、良さそうな選択肢がより
時間を無駄にしてない限り、実際に何をするかってことはあまり問題じゃない。 面白いと思えて、選択肢が
増えるものなら何でもいい。増えた選択肢のどれを 選ぶかなんて後で考えればいいんだ。
たとえば、君が大学の1年生で、数学と経済学のどっちを専攻しようかと 迷っているとする。この場合はね、
数学の方が選択肢がひろがるんだ。 数学からはほとんどどの分野へも進むことができる。数学を専攻していたら、
経済学の大学院へ進むのは簡単だろう。でも経済学を専攻して、 数学の大学院へ進むのは難しい。
グライダーを考えてみるといい。グライダーはエンジンを持っていないから、 風上に向かって進もうとすると
高度を大きく失うことになる。 着陸に適した地点よりずっと風下に行っちゃったら、打てる手はひどく
限られるものになるだろう。風上にいるべきなんだ。 だからぼくは「夢をあきらめるな」のかわりにこう言おう。
「風上をめざせ」。
でも、どうすればいい? 数学が経済学の風上だったとして、 高校生はそんなことを知っていなくちゃならないんだろうか。
もちろん知らないだろう。だから、風上を自分で見つけ出さなくちゃならない。 風上を知る方法のヒントを
いくつかあげよう。 賢い人々と、難しい問題を探すことだ。賢い人々は自分達で固まりがちだ。
そういう集団を見つけたら、たぶんそれに参加する価値はある。 但し、そういう集団を見つけることは簡単じゃない。
大学生になったばかりのときには、大学のどの学部もだいたい似たように見える。 教授たちはみんな
手の届かない知性の壇上にいて、凡人には理解不能な論文を 発表している。でもね、確かに難しい考えが
いっぱい詰まっているせいで 理解できないような論文もあるけれど、何か重要なことを言っているように
見せかけるためにわざとわかりにくく書いてある論文だっていっぱいあるんだ。 こんなふうに言うと中傷に
聞こえるかもしれないけれど、 これは実験的に確かめられている。有名な『ソーシャル・テクスト』事件だ。
ある物理学者が、人文科学者の論文には、 知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめにすぎないものが
しばしばあると考えた。 そこで彼はわざと知的に見えるだけの用語を連ねたでたらめ論文を書き、
一番良い防御は、常に難しい問題に取り組むようにすることだ。 小説を書くことは難しい。
小説を読むことは簡単だ。 難しいということは、不安を感じるということだ。 自分が作っているものが
上手くいかないかもしれないとか、 自分が勉強していることが理解出来ないんじゃないかという不安を
感じていないなら、それは難しくない問題だ。 ドキドキするスリルがなくちゃ。
ちょっと厳しすぎる見方じゃないかって思うかい。 不安を感じなくちゃダメだなんて。 そうだね。
でもこれはそんなに悪いことじゃない。 不安を乗り越えれば歓喜が待っている。 金メダルを
勝ち取った人の顔は幸福に満ちているだろう。 どうしてそんなに幸福なのかわかるかい。安心したからさ。
幸福になる方法がこれしかないと言っているんじゃないよ。 ただ、不安の中にも、
そんなに悪くないものがあるって言いたいんだ。
野望
「風上をめざせ」というのは、現実には「難しい問題に取り組め」という ことだった。そして、
君は今日からそれを始めることができる。 ぼくも、このことに高校にいる時に気付いていたらなと思うよ。
たいていの人は、自分がやってることを上手くできるようになりたいと 思う。いわゆる現実社会では、
この要求はとても強い力なんだ。 しかし高校では、上手くできたからっていいことはあまりない。
やらされていることが偽物だからだ。 ぼくが高校生だった時は、高校生であることが自分の
仕事なんだって思ってた。 だから、上手くやれるようになる必要があることっていうのは、
学校でいい成績をあげることだと思ってた。
その時のぼくに、高校生と大人の違いは何かと聞いたなら、 たぶん大人は生活のために
稼がなくちゃならない、と答えていただろう。 間違いだ。ほんとうの違いは、大人は
自分自身に責任を持つということだ。 生活費を稼ぐのはそのほんの小さな一部にすぎない。
もしもう一回高校をやりなおさせられるとしたら、ぼくは学校を 昼間の仕事のようにあしらうだろう。
学校でなまけるということじゃないよ。 昼間の仕事のようにやる、っていうのは、
それを下手にやるってことじゃない。 その意味は、それによって自分を規定されないようにするってことだ。
たとえば昼間の仕事としてウェイターをやっているミュージシャンは、 自分をウェイターだとは思わないだろう。
同じように、ぼくも、自分を高校生だとは思わないだろうね。 そして昼間の仕事が済めば、本当の仕事を始めるだろう。
高校時代を思い出して一番後悔することは何かって尋ねると、 たいていみんな同じ答えを返す。時間を大いに
無駄にしたってね。 君が、今こんなことをしてて将来後悔することになるだろうなと 思っているなら、
きっと後悔することになるよ。
これは仕方ないと言う人もいる。高校生はまだ何もきちんと出来ないからってね。 ぼくはそうは思わない。
高校生が退屈しているというのがその証拠だ。 8歳の子供は退屈しない。8歳の時には「ぶらつく」かわりに
「遊んで」いたはずだ。 やってることは同じなのにね。そして8歳の時、ぼくは退屈することがほとんど
無かった。裏庭と数人の友達がいれば、一日中遊んでいることができた。
今振り返ってみれば、中学高校でこれがつまらなくなった理由は、 ぼくが他の何かをする準備が出来たからだった。
友達とぶらついちゃだめだなんて言ってないよ。 誰ともつき合わなかったら、仕事しかしないむっつりした小さな
ロボットに なるしかない。友達と出かけるのは、チョコレートケーキみたいなもんだ。 時々食べるからおいしい。
毎食チョコレートケーキを食べていたら、 たとえどんなに好きだとしても、3食目には吐き気がしてくるだろう。
良い成績を取る以上に何かしなくちゃならないと聞いたら、 『課外活動』のことだと思うかもしれない。
でも君はもう、ほとんどの『課外活動』がどんなにばかげたものかを知っているよね。 チャリティの
寄付集めは称賛されるべきことかもしれないが、 それは難しいことじゃない。 何かを成し遂げるってこと
じゃないからだ。 何かを成し遂げるっていうのは、たとえば上手く文章を書けるようになるとか、
コンピュータをプログラムできるようになるとか、 工業化以前の社会の生活が実際どんなものだったかを知るとか、
モデルを使って人間の顔を書くことを学ぶとか、そういうことだ。 この手の活動は、大学入試願書に一行で
書けるようなものにはなかなかならない。
堕落
大学に入ることを人生の目標にするのは危険なことだ。 大学に入るために自分の能力を見せなくちゃならない
相手っていうのは、 概して鋭いセンスを欠いている。多くの大学では、 きみの合否を決めるのは教授じゃなくて
入学管理者で、 彼らは全然賢くない。知的社会の中では彼らは下士官だ。 きみがどれだけ賢いかなんて
彼らに分かりはしない。 私立の進学校が存在することが、その証明になっている。
入試に受かる見込みが上がらないのに多額の金を学校に払う親はほとんどいない。 私立の進学校は、入試に
受かるための学校であることを明示している。 でも立ち止まって考えてみたまえ。同じくらいの子供が、
ただ地域の公立高校だけに行くより私立の進学校に行った方が入試に受かりやすくなるってことは、
君達の多くは、今人生でやるべきことは大学入試に受かるように なることだと思っているだろうね。
でもそれは、自分の人生を空っぽの プロセス、それを堕落させるためだけで一つの業界が存在しているほどの
プロセスに押し込めていることになる。 シニカルになるのも無理ないよ。 君が感じている不快感は、
リアリティTVのプロデューサーや タバコ会社の重役が感じているものと同種のものだ。 君の場合は給料を
もらっているわけでもないのにね。
じゃあどうしようかね。 ひとつ、やっちゃいけないのは反抗だ。 ぼくは反抗した。それは間違いだった。
ぼくは、自分達の置かれた状況をはっきり認識していなかったけど、 なにか臭いものを感じていた。
だから全部投げ出したんだ。 世界がクソなら、どうなろうと知ったことか、ってね。
教師の一人が試験対策のアンチョコを使っているのを見つけた時に、 ぼくはこれでおあいこだと思った。
そんな授業でいい点数をもらって どんな意味があるっていうんだ。
今、振り返ってみれば、ぼくは馬鹿だったと思うよ。 これはまるで、サッカーで相手にファウルされて、
おまえ反則しただろ、 ルール違反だ!と怒ってグランドから立ち去るようなものだ。 反則はどうしたって
起きる。そうなった時に、冷静さを失わないことが重要だ。 ただゲームを続けるんだ。
きみをこんな状況に押し込めたのは、社会がきみに反則したからだ。 そう、きみが思っているように、
授業で習うほとんどのことはクソだ。 そう、きみが思っているように、大学入試は茶番だ。 でも、
反則の多くと同じように、悪意があってそうなったわけじゃない。 だから、ただゲームを続けるんだ。
反抗は服従と同じくらいばかげたことだ。 どちらにしてもきみは他人に言われたことに縛られている。
一番良いのは、直角の方向に足を踏み出すことだ。 言われたからただやる、でもなく、
言われたからやらない、でもない。 かわりに、学校を昼間の仕事にするんだ。昼間の仕事だと
考えれば 学校なんて楽勝だよ。3時には終わるんだし、なんなら自分のやりたいことを 内職しててもいい。
好奇心
じゃあ、本当の仕事は何になるんだろう。 きみがモーツァルトでない限り、やるべきことはまずそれを
探し出すことだ。 やりがいのあることって何だろう。すごい発想をする人達はどこにいるだろう。
そして一番重要なこと:自分は何に興味があるだろう。 「適性」という単語はちょっと誤解を招きやすい。
元から備わった性質のように思われるからね。 最も強い種類の適性とは、ある種の問題に対する
どん欲な興味だけれど、 そういう興味は後天的に獲得するものが多い。
この考えの変化したものは、現代の文化においては「熱意」という言葉で 呼ばれている。
最近、ウェイター募集の広告で「サービスに対する熱意」を 持った人を求めている、というのを見た。
本物の熱意は、ウェイターくらいじゃおさまらないものだ。 それに熱意という単語も良くない。
むしろそれは好奇心と呼ぶのがいい。
子供は好奇心旺盛だ。ただ、ぼくがここで言っている好奇心は 子供のとはちょっと違う。
子供の好奇心は広くて浅い。 ランダムに色々なことについて「どうして?」と尋ねる。
多くの人は、大人になるまでにこの好奇心が全部渇いてしまう。 これは仕方無いことだ。
だって何についても「なぜ?」と尋ねていたら 何もできないからね。でも野心を持つ大人では、
好奇心は全部渇いてしまうのではなく、狭く深くなってゆくんだ。 泥の庭が井戸になるんだ。
好奇心を持っていると、努力が遊びになる。 アインシュタインにとっては、相対性理論は試験のために
勉強しなくちゃならない 難しい式の詰まった本ではなかったはずだ。 それは解き明かしたい神秘に
見えていただろう。 だからたぶん、彼にとって相対性理論を見出すことは、 今の学生が授業で
それを学ぶことほど、努力とは感じられなかったんじゃないかな。
学校で植え付けられる幻想の一番危険なものは、 素晴らしいことを為すには自分に厳しくなければ
ならないというものだ。 多くの科目はあまりに退屈に教えられるから、 自律心が無いと全部に
出席することなんてできやしない。 大学に入ってすぐに、ぼくはヴィドゲンシュタインの言葉を読んで
びっくりした。彼は自律心が無くて、たかが一杯のコーヒーであろうと 欲しくなったら我慢することが
できなかったというんだ。
今、ぼくは素晴らしい仕事をした人を何人も知っているけれど、 みんな同じなんだ。自分を律すると
いうことをほとんどしない。 延ばせることはぐずぐず先に延ばすし、興味のないことをやらせようと
しても全くの無駄だ。そのうちの一人ときたら、自分の結婚式に 出席してくれた人へのお礼の手紙を
出してない。 結婚して4年経つのに。もう一人は、メールボックスに26000通のメールをため込んでる。
自律心が全くのゼロだったら困るよ。走りに行こうかなと思うくらいの 自律心は必要だ。ぼくも時々、
走るのが面倒だなあと思うけれど、 一度走り出せばあとは楽しめる。そして何日か走らないと具合が
悪くなる。 素晴らしい仕事をする人にとっても同じことなんだ。 仕事をしてないと具合が悪くなるし、
仕事を始めるだけの自律心は 持っている。ひとたび仕事を始めれば、興味の方に圧倒されて、
自律心は必要なくなるんだ。
シェークスピアは偉大な文学を産み出そうと歯を食いしばって 勤勉に努力したって思うかい。
そんなわけないさ。 きっと楽しんでいたはずだ。だから素晴らしい作品が書けたんだ。
いい仕事をしたいなら、必要なのは見込みのある問題に対する 大きな好奇心だ。アインシュタインに
とっての一番大事な瞬間は、 マクスウェルの方程式を眺めて、これはどうなっているんだろうと
自問したところにあった。
生産的な問題に照準を合わせるのには長い時間がかかる。 本当の問題は何なのかを見つけるだけで
何年もかかるかもしれないからね。 極端な例を言えば、たとえば数学だ。数学を嫌う人は多い。
でも学校で「数学」の名前でやらされていたことは、 実際に数学者がやっていることとはほど遠いんだ。
偉大な数学者のG. H. ハーディは、高校の時は数学が嫌いだったと 言っている。ただ他の生徒より
高い点数をとれたから選択しただけだったと。 後になって、彼は数学が面白いということに気づいた。
質問に正しく答えることのかわりに、自分で問題を見つけるようになってからね。
ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると 母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」
っていうんだとぼやいていた。 でもそれが、やるべきことなんだ。世界を面白くする問いを見つけ出すんだ。
素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。 ただこの世界の中の、
ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。
これは学問だけの話じゃない。
「車はどうして贅沢品じゃなきゃいけないんだ? 車が日用品になったらどうなるだろう?」
これがヘンリー・フォードの発した 偉大な問いだった。フランツ・ベッケンバウアーの問いはこうだった。
http://b.hatena.ne.jp/entry/270713387/comment/shields-pikes
TreeMemoでいいじゃん。抜群に使いやすくて20年前から愛用してる(これのおかげでロジカルシンキングが身について戦略コンサルに入れた)けど、バージョンアップが遅いのが問題。Macやクラウドに対応してもらいたい。
99文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270703910/comment/shields-pikes
池井戸潤の原作ドラマは、時代劇でいうところの水戸黄門だから、考証を議論するのがバカバカしいレベル。サラリーマンが共感するムカつくシーンと、ギャフンと言わせてスカッとするシーンを交互に繰り返してるだけ。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270698247/comment/shields-pikes
もはやSNSという括りじゃなく、Web上を流れる血液のような情報インフラとして、今のところ代わるものが無い稀有なサービスだし、大好きだから長続きしてほしいんだよなあ。APIへの取り組みは残念なので改善して欲しい。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270717993/comment/shields-pikes
ていうか、比較対象のFacebookは経営が神がかり的に巧すぎるんだよ。よく見た目から誤解されがちだが、ザッカーバーグはサービスを作ったりビジョンを生み出す天才じゃなくて、30年に1人レベルの経営戦略の超天才。
98文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270693007/comment/shields-pikes
ブコメで大人の趣味について語ろうかと思ったが、全体的にベタ過ぎるほど至極真っ当な意見の記事で、部分的には賛同しかねる点もあるがわざわざ指摘するほどでもなく、特にコメントがなかったのでクソリプしてみた。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270691881/comment/shields-pikes
早く母上を子育てから卒業させてあげて下さい……。『学校の頃に子どもに混じって鬼ごっこしてた母親がスポーツクラブでヨガにハマって「あなたも運動しなさい」とか煽っているのを見て「老いたなぁ」と僕は思った』
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270666327/comment/shields-pikes
古くは江戸時代の葛飾北斎「蛸と海女」、昭和のにっかつロマンポルノなど、巫女などと同様に古来より性的なコンテクストで消費されて来た職業なので、こういう視点には敏感だと思うし、あの絵で公認化は無理筋。
98文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270655432/comment/shields-pikes
よく分かってない温暖化のために、一兆円規模のガス排出権取引が行われるのって、どうなんだろね。みんなで気をつけるのはいいことだと思うんだけど、国家間の取引にするなら、もっとリサーチすべきだったのでは?
99文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270654898/comment/shields-pikes
炎上PVで小金を稼ぐために、こういうのを平気でネタにして書ける品性の下劣さが、本当に気持ち悪い。どんだけプライド安売りしてんの。それでも面白ければまだネタとして消化出来るけど、笑いのセンスも無いし……。
100文字
さすが社長というべきか、100文字枠を目いっぱい使って言いたいことを言う姿勢が明確。経営資源の有効活用ってやつだ。
しかも、群小のブコメにうずもれると分りにくいが、ブコメの内容をよく読むと経営者視点からの実に鋭い斬り込みを連発してないか?
継続して読んでいると、下手なビジネス書を読むよりも経営者センスが身につきそう。って言うかおいらも社長になれないかな?w
他の増田ブックマカー達とウフウフキャッキャつるんで遊ぶタイプではないが、キャラ立ってるし着目しないで見過ごしているともったいなさそうな一人である。
http://www.amazon.co.jp/dp/B013R6FGU2/ref=cm_sw_r_tw_dp_Eoz5vb0EER3WZ
なにも入っていない本です。
1月前にAmazonで「無」を販売している記事がそこかしこのまとめサイトで取り上げられていたので便乗。
ただあの商品は包装に凝っていてぼちぼち値段もするので、本当の意味で「無」ではない気が。
逆にデータなら完全な形で「無」=nullを提供できるのではないかと思いだしてみました。
KDPの審査に通るかびくびくだったのですが、「無」ゆえにフォーマットのチェックなどもかいくぐりなんとかセーフでした。
ただ実際は完全にnullにすると、ダウンロード後に本が開けないという事象が発生し、
ある種本当に無を誘発することになってしまったので一部工夫がしてあります。
今さらはさておき、正直個人が電子書籍を出せるようになったからといって、
市販の本に勝るクオリティの内容を個人が出せるとは到底思えません。
それ以外のkdpランキングに出てくるのはビジネス書まがいの情報商材が中心。
素人のオリジナル小説は吐き捨てるほどありますがほとんどがほんとに遺棄され、
そんな中ででた架空の歴史ノートシリーズは私の中で結構なインパクトでした。
http://www.amazon.co.jp/dp/B00CP7Y9IK/ref=cm_sw_r_tw_dp_jDz5vb1MN8WQF
こういった書籍こそが、個人出版の電子書籍のもちうる力を前面に出した作品だと思います。
そのスピード感、コスト感、オリジナリティで従来の商業ベースでは到底出会うことのない作品です。
kdpが始まって数年経ちます。
以来こういう電子初期だからこその面白い本がどんどん増えて欲しいと思っていたんですが、
なかなか増えない気がします。
どうしても「本」というコンテンツに縛られている本が多いと思います。
というわけで、
私の出している「無」は単なる便乗商品ですが、
これを見た人がもっと独創性のあるふざけた本を出してくれれば幸いです。
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ただあの商品は包装に凝っていてぼちぼち値段もするので、本当の意味で「無」ではない気が。
逆にデータなら完全な形で「無」=nullを提供できるのではないかと思いだしてみました。
KDPの審査に通るかびくびくだったのですが、「無」ゆえにフォーマットのチェックなどもかいくぐりなんとかセーフでした。
ただ実際は完全にnullにすると、ダウンロード後に本が開けないという事象が発生し、
ある種本当に無を誘発することになってしまったので一部工夫がしてあります。
今さらはさておき、正直個人が電子書籍を出せるようになったからといって、
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30歳男。IT業界。毎月100時間の残業が続き、死んだ魚のような眼をして通勤電車に揺られること1年弱。
でかい仕事がひと段落し、生活が落ち着いたところで燃え尽きたみたいに仕事への情熱が失せて無気力になった。
理由は2点。
一つ目は、IT業界にありがちだとは思うが、工程管理と進捗報告ばかりの日々に嫌気がさしたから。
ひたすら納期に追われて、上司の罵声に耐える日々だった。問題解決のための根本対策をじっくり考えるなんてことは一切できなかった。
上司にわかりやすく報告できる、パワポ職人、エクセル職人みたいな人が評価される環境がつらかった。
少しは環境に適用すべく、勉強しようと思って「プレゼン資料作成テクニック」みたいなビジネス書を買ってきたはいいが机の隅でほこりをかぶっている。
なんていうか、抽象的だけど、そういうものを学ぶことに対してわくわくみたいなものがなくて、ページをめくるのが億劫なのだ。
純粋にプログラムの実装で疑問があったから作成者に質問したら、「俺の仕事にケチをつけるのか」と激昂されたことがあった。
こちらとしては純粋に技術面での疑問を聞きたかっただけなのに。
部長からは、「そういう時は実装で苦労された点は何ですかみたいに工夫して聞け」とアドバイスをいただいた。
が、そういうのはなんか違うなと思った。
職場の大半の人は、気にも留めないみたいだが、ブラックボックスみたいなコードの塊を疑問なく使える人って逆に尊敬する。
俺はそういうのが全くダメで、どうしても作業の手が止まってしまうし、あとから問題を起こすこともしばしばだ。
ブラックボックスを問題なく扱えるのは一つの才能だと本気で思ってるが、他人に話してもいまいち共感されない。
要はあれだ。会社組織みたいなとこでの仕事向いてねーんだろうな。
話は飛躍するが、最近中国バブル崩壊とか話題になっているので、
「マジでおすすめのビジネス書15選|今すぐ買って全部読め!」
どんな本を読んでいるのか気になったので覗いてみた。
小説ばかりで、いわゆる自己啓発本やビジネス書のたぐいは好きではないということをことわっておく。
結論からいうと、通算300冊も読んだうえに今でも週に1~2冊も読んでいるような人ですら
ブログにアフィリエイトを貼り付けて小銭を稼がないといけないほど大金を稼げる能力を身につけてないんだな、と感じた。
このたぐいの人達で財を成したという結果を見聞きしたことがない。
そして、成し得てない人ほど読んだ本の数を披露し、その知識を分け与えようと奮闘する傾向にある。
私が小説を読む理由は単純に面白い話を読みたいからだ。それ以上でも、それ以下でもない。
向上心なんてものは持ちあわせておらず、ましてや小説を書こうとも思わない。
だが、ビジネス書や自己啓発本を読む人達の目的は違う。常に向上心を持っていて懐を潤そうと躍起になる。
もちろん、それが悪いなんてことは言わない。懐が潤えば欲しい物が買え、心も潤うからだ。
だが、このたぐいの人達は結果が伴わない。億万長者とはいわないまでも投資した本の値段や読んだ時間以上の結果すらない。
私はこつこつと貯金したお金で、いわゆる転売という隙間の中でそれなりに貯金を増やしていき
資産運用も手伝って、今では贅沢しなければ老後まで働かなくとも食べていける程度には財を成した。
しかし、私はいまだかつて一度も自己啓発本やビジネス書を読んだことがない。
だからこそタイトルに書いたように、このたぐに人達のブログを覗くたびに虚しくなる。
一泊5万以上する超高級ホテルの従業員の立ち居振る舞いとかを引き合いに出すのをやめてほしい。
どの業界でも超トップクラスの人たちがどうやっているかということは勉強になる部分もあるだろうし、
メンタルをポジティブに保つ言葉や心が奮い立つようなエピソードもたくさんある。
ちょっとした工夫などは日々の仕事の中で改善していくことにもつながるかもしれない。
けれど、超一流の人たちが超一流のパフォーマンスを発揮できたり、超一流のサービスを提供できたりするのは、
個々人の気の持ちようや個人的な仕事術だけでなく、自分たちの力を120%発揮できるよう環境が整えられていて、
ここ10年ぐらいビジネス書ぐらいしか本を読まずに暇さえあればネットやってるだけのヤベェ生活をしていたんだ。
そしたらヤベェぐらいに語彙力が無くなってる自分に気づいて本当にヤベェ。
どうヤベェかって言うとヤベェぐらい表現の幅がなくてヤベェ。
マジでヤベェ。
ここ数日の自分の発言を振り返るとヤベェ人工無能かってレベルのヤベさで同じような事しか言ってない。
自分の中に定型文の様な物が50通りぐらいあってその中の単語を組み替えてるだけなんだよ。
これはヤベェことだよマジで。
だって表現の幅が狭いってことは伝えられる事の幅が狭いってことだろ。
伝え方の幅が狭いと言った方が適切かな。
それがどうヤベェかっていうと……あー表現の幅が狭すぎて適切な言い方が出てこねぇ……こういう風にヤベェんだよ。
自分が相手に何か伝えたい事があっても100%は無理として90%は伝えたいのが60%や20%になっちまう。
そうなると残りの40%や80%の不純物の中から別のことが伝わっちまうんだよ。
これはヤベェよマジで。
どうすればこのヤベェ状況から抜けた出せるんだろうな。