はてなキーワード: ビジネス書とは
ここ10年ぐらいビジネス書ぐらいしか本を読まずに暇さえあればネットやってるだけのヤベェ生活をしていたんだ。
そしたらヤベェぐらいに語彙力が無くなってる自分に気づいて本当にヤベェ。
どうヤベェかって言うとヤベェぐらい表現の幅がなくてヤベェ。
マジでヤベェ。
ここ数日の自分の発言を振り返るとヤベェ人工無能かってレベルのヤベさで同じような事しか言ってない。
自分の中に定型文の様な物が50通りぐらいあってその中の単語を組み替えてるだけなんだよ。
これはヤベェことだよマジで。
だって表現の幅が狭いってことは伝えられる事の幅が狭いってことだろ。
伝え方の幅が狭いと言った方が適切かな。
それがどうヤベェかっていうと……あー表現の幅が狭すぎて適切な言い方が出てこねぇ……こういう風にヤベェんだよ。
自分が相手に何か伝えたい事があっても100%は無理として90%は伝えたいのが60%や20%になっちまう。
そうなると残りの40%や80%の不純物の中から別のことが伝わっちまうんだよ。
これはヤベェよマジで。
どうすればこのヤベェ状況から抜けた出せるんだろうな。
最近、職場の同期でも後輩にも、いわゆる「意識高い系」が増えてきた印象があります。
彼ら意識高い系は、距離をとって見ている分には楽しいのですが、少し仕事で関わるとクソのように使えず、
その割に「高尚な」ことばかりほざくので、最近ではイライラすることも増えてきました。
ですので、自分のため、そして同じような目にあっている皆様に、
意識高い系に対する理解を深め、彼らを見た時に感じるモヤモヤ感の払拭と、彼らの取り扱い方法の理解を目的とし、私見を申し上げたいと思います。
■意識高い系とは
エベレストのように高い理想と、マリアナ海溝のように低い実力を持った人がかかる、
■意識高い系の特徴
意識高い系と聞くと、何人かパッと頭に浮かびませんか。
彼らを観察していると、面白い程高い確率で似通った性質を示します。
個人的な経験からですが、大きく下記のような特徴があるので、照らし合わせてみてください。
1 理想は高いが実力が無い
公私共に、彼らは何の成果も生み出しません。生み出しても、一般人のそれより遥かに低いです。
逆に、成果を生み出している人は「意識高い系」ではなく「意識が高い」人ですので、今回の話の対象にはなりません。
「意識高い系」は、口だけは素晴らしいことを言います。多くは社交的でフレンドリーで饒舌なので、一見して凄そうな人に見えます。
ところが、実際に仕事で接すると、あるいは私用で軽いイベントの運営でもすると、実行力が全くなく、途端に尻尾を現します。
受け答えがイマイチ(言いたいことだけ言う)、成果物の品質が低い、納期に間に合わない、集合時間に遅れる、ドタキャンを多発する、等、
最初は、初対面の好印象もあり「ん?」と違和感を覚えるだけなのですが、それが恒常的なものだとしたら、意識高い系確定です。
2 実力が無いことに気付いていない
意識高い系はビジネス書や起業家が書いた本が大好きで、それらに惜しみなく投資(と思っていることを)します。
そしてビジネス書を多読する人が高確率でそうなるように、本を読んだだけで仕事ができるようになった気になり、自己認識と実際の実力に大きな乖離が発生します。
そのため多くの「意識高い系」は、頻繁に「最近調子がイマイチだなー」みたいなことを言いますが、
何のことはなく、本人が気付いていないだけでそれが単に彼らの実力なんです。
彼らを見ていると、「じつりょく」というものが、ドラクエの「ちから」のように、自身の中にパラメータとして存在し、
本を読んだりセミナーに行くと、その「じつりょく」が ◯ポイントあがった!みたいな認識があるようなのですが、
現実の世界ではその人が出した具体的な結果でしか評価をできないし、評価もされません。
彼らはそこに気がつかず、延々と平積みのビジネス書について「〜読了!」と呟いたり、
セミナーに頻繁に参加して、「アウトプットが大事だからブログにまとめました」といって単なる議事録を書いていたりするのです。
3 SNS
よく指摘されていますが、マグロが時速80kmで泳がないと呼吸ができないように、彼らは毎日高頻度でFacebookやTwitterのようなSNSをチェックしないと、死にます。
さらに、FBの「いいね!」は、彼らに取っては元気玉の元気であり、「もっとオラに、オラに元気を!!」という勢いで「いいね!」を欲します。
個人的に、親指を数mm動かすだけの評価をいくら集めても何の価値にもならない気がするのですが、
「この記事を読んで参考になったら、「いいね!」を押してくださいね」と言わないと、多分人質に取られている娘が何かされちゃうんでしょう。
ちなみに、LINEとかでも無意識に「いいね!」と言ったりするんで、要チェックです。
市場というのはよくできているもので、今まで接して来た色々な会社の人達を見ても、その人の労働価値と密接にリンクしています(大企業のおじさん達は年功序列ポイントの下駄付きですが)。
そのため、実力がなく、それに気付かず適切な努力をせず、大口を叩いているだけの「意識高い系」は、転職等で不思議な程年収を下げて行きます。
多くは今流行りのスタートアップ系やNPO系に行きますが、「やりがい」を餌に買いた叩かれているケースが多く、
転職後の業務実態は、単なるサイト運営や社内事務スタッフ等、やはり金額に見合った仕事しかしていない印象です。
5頭が良いと本気で思っている
彼らは、少し会話すると気付くのですが、本で読んだ内容や、偉い人の発言を、そのまま自分の意見として堂々と発言します。
その場その場で話の内容に沿って考えている訳では決してなく、議論のテーマに沿った中で、最も有用と思われる過去に仕入れた情報を反射的に発言しているだけなのです。
ですので、たまに「あ、あの本のここに書いてあった内容だ」とこちらが気付く場合さえあり、聞いている方が恥ずかしくなることさえあります。
また、現状の社会的、組織的な不満点を指摘し、「日本のココがダメ」「IT化したら省力化できるのに」みたいなことを頻繁に言うのですが、
どうやら彼らの中での「ゼロベース思考」なり「問題発見能力」という能力として評価できる発言のようです。(「ママーあの人また大企業の悪口言ってるー」「しっ!見ちゃダメ」)
また、最終形態に近づくに連れて、何故か名前をカタカナで表記することが増えてきます。(深い思索に耽る余り、非効率な漢字という表現方法を忘れてしまったのかもしれません)
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と、元々の構想の約半分まで書いたのですが、思ったより長くなってしまったので、一回切ります。
気が向いたらまた後半書きます。
・料理
・育児
・食べ物屋紹介
・英語教材紹介
・はてな村論
この手のネタってホッテントリしやすいから毎日のようにはてぶで見かけるけど、エントリ作るために手垢のついた話を繰り返す人や、誰でも知りえる話に終始しているエントリが多くてコモディティ化してる。書いてるほうもわかっててやってるんだろうけど、そういったエントリが増えたせいで面白いものまで埋もれてしまうのがいまのはてぶ。
タイトル見て「よくあるネタだけど、新しい要素があるかも。」と思ってクリックすると、「いつものヤツ」でガッカリすることが多い。ひどいと差別化をはかるために炎上要素を一つまみ追加してたりして。
「楽天流」
http://books.rakuten.co.jp/ranking/weekly/001006/#!/1/
9/30(火) 1位
10/1(水) 1位
10/2(木) 1位
10/3(金) 1位
10/5(日) 1位
ここまでバラけるのはどういう層の人たちが買ってるのかな。
ビジネス書だから平日売れるっていうなら分かるけど、日曜は売れて、月曜は下がってる。
広告とか告知でも普通は緩やかに下がっていくもんやと思うけど。
楽天ランキングってどういう仕組で順位付けされるんだろ。誰か教えて。
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追記
>んで今は1位だね。 単に品切れ起こしたんじゃね?
予約商品なのに品切れ?
土曜のごく早朝に品切れ→日曜日に入荷→月曜日のごく早朝に品切れ→火曜日に入荷・24位まで回復
ってこと?
600位代ってことは完全に品切れではなく恐らく10冊未満程度は売れてるはず。
汎用スキルをズラズラ挙げるのって、業界絞らないで就職活動してる学生みたいだなと思って。
エクセルVBAも英語もビジネス書の知識も、必要になる職場はあるんだろうけど、全部が重要視される職場ってなると、想像つかない。
まーエクセルでVBAいじれないような恥ずかしい奴は困るから、最低でもそこらへんはできないとな。
もちろんそれ以外の部分は当然にこなせる上でね。
あと、英語。英語いらねーとかそれ以上に日本語がーとか言ってるバカはほっといて英語。マジで英語。
TOEICなんて価値がないとほざくゴミよりTOEIC900の方がビジネス上では強力。
教養といってビジネス書をあげるとはてブではすぐに嘲笑が巻き起こるが、無視してビジネス書読んどけ。
マナーなんかも重要。最近「了解は相手に失礼」という話題にブコメやら記事やらで反論してる奴がいるが、
失礼だと受け取られる可能性が僅かなりにでもあるなら、当然使うべきではない。
キャリアの目的が給料の多寡なのであればその通り。維持はできる。場合によっては増やすこともできる(仕事のレベルは下がると思うけど)。
維持で満足できるならそれも幸福であるが、現実にはそれは難しいと思うよ。それまで勝ち抜いて高給取りになったような人には特にね。
だから維持できたとしても、旦那側も、やはり「無意味」と思えなければ幸福にはなれないと思うよ。
そして、「無意味」と思えるようになったとしても、今度は無意味と思うキャリアを死ぬまで続けなければならない苦しみが待っている。
(途中で力尽きてよーわからんビジネス書とか書く人になったり、レストラン経営したりしだすのはそのため)
どちらもやはり辛い。子供こそが幸福であり、それ以外はその幸福のために存在するもの、と思えなければ辛い。
そういう価値観に転向した人たちが子供の独立を経て何にたどりつくのかは、俺もまだそこまでの歳じゃないのでよくわからないけど。
電力云々については触れなかったが、「以前旅先で反原発の人とイベント共催したこともある」みたいなこと言っていて、何となく「あれもしかしてこの人、近づいちゃあかんタイプの人?」と思った。
その後、facebookで友達申請されたのでフォローしてしばらく観察していたら、案の定政治批判とか、ビジネス書の良さげな文句のコピペとか、「アンタもそういう人だったのか」と言う感じの投稿が並ぶ。やっぱり「近づいちゃあかんタイプの人」だったのか。
ひとくくりにはしたくないけど反原発云々いう人って、やっぱりこういう人ばっかりなのか。
たぶんそうではない人もいるんだろうけど、なんかいつでも上から目線で、物事の上っ面しか見てない人が目立つ。見ているとこっちが心を病みそうになる。ああいう態度はfacebookだけなんだろうか。
そんな人とはとっとと距離を置いた方がいいんだろうけど、あまりにそういう人が多いコミュニティに飛び込んでしまったようで、どうしたものかなあと。
お前、仕事しなかったら昼飯食わないの?
仕事してもしなくても昼飯食うんだから、それは会社が金を出す筋合いでは無いわな。
ビジネス書は…うーん。
自営業だと自分の勉強のために買う本は経費扱いにできるんだから、サラリーマンでもそうすべきだよね。
ちなみに給与所得控除というものがあって、サラリーマンの場合は給与の一定割合には税金がかからない。
4月から新卒で働き始めたわけだけど、昼食代がばかにならない。
あと友人とか見てると日本の会社のあり方に疑問、鬱憤がかなりあるので吐き出す。
サラリーマンの平均の昼食代が500円だというけれど、少なく見積もっても500×20日で一万円。
会社で働く力をつけるために食べるのに自腹を切る意味が分からない。
昼食代を浮かすために朝早く起きて弁当作るのにも労力かかるしやってられない。
最近東京のベンチャーじゃグリコのオフィスデヤサイとかいうサービスが利用されるのを知った。
サービス内容の中で会社が社員のために金を出してくれるコースもあった。
こちとら必死に働いて会社の利益のために、社長や役員の利益のために働いてんだ。
先輩にビジネス書とか読めとか言われたけど、ビジネス書をサラリーマンが自分で買って仕事の効率を自分で良くしようというのも意味が分からない。
ただでさえ低い賃金で人生の中で二度と来ない1日の大半を「社長の会社」のために使ってんだ。
仕事で自己実現なんてできるわけないことは知ってる。自分のためじゃない。社会のためじゃない。
経営者以外は全員「社長(他人)の夢(資産を増やす)をかなえるため」に働いてるわけ。
今までなんでこういう声が出てこなかったのかわからない。
自分で給料から金だして新品のビジネス書を買って仕事ができる人間を目指す意味も分からない。
仕事の効率化は考えてもいい。社員同士のモチベーションを上げる努力をしてやってもいい。
でも金払ってほしい。そういうこと全部に。
社員同士のコミュニケーションのために先輩後輩を飲みに行かせたいなら、会社が経費を持ってほしい。
むしろランチタイムを3時間くらいとって一緒にご飯行く制度作ればいい。
社員を8時間以上働かせないと利益がでないような会社経営者は無能だと思ってる。
ベンチャー企業とか特に。新卒社員が入社早々睡眠不足になる会社って労働システムがおかしい。
友人は深夜まで働かされて、早朝出勤して、休日出勤して、その状態を肯定してる。見ててつらいわ。
一人が8時間以下働いて利益でるシステム作れるまで社長が一人で残業すればいい。
一日8時間、昼食代、交通費、勉強代すべて会社持ち、残業なし、あっても2時間以内。残業代はきっちりでる。
働きたいやつは働けばいい、毎日日付超えて仕事して、金稼いで、社畜になって、いろんな仕事に頭使って。
仕事以外にやりたいことがないやつはそれをやればいい。
だけど労働者がいることも忘れないでほしい。労働者でいる権利だってあるはずだ。
なのに皆やたら「疑似ビジネスマン(経営者)」になろうとする。
サラリーマンなのに、滑稽だなぁと思う。
会社は好きだ。会社の人も好きだ。仕事内容もまぁ好き。だけどそれに人生を捧げるつもりはない。
やりたいことも読みたい本も、見たい映画も聴きたい音楽も行ってみたい国も、会いたい人も、たくさんいる。たくさんある。
一人一日8時間、誰がどの仕事をしても利益が出る、そんなシステムを研究してほしい。
替えの聞く仕事でいいんだよ。そしたら社員は人柄で選ばれるから。
仕事できなくたって、できる仕事をこなせるようなシステムがあればそれでいい。
社員のすることじゃない。
とりあえず社長、お昼ご飯代下さい。牛丼、うどん、そば、パンは飽きました。
http://anond.hatelabo.jp/20140423222458
朝飯はいいや。朝は自分の好きな時間に好きなもの食べようと思えば食べれるしね。
http://anond.hatelabo.jp/20140423230744
食べなくてもいける。
働いてなければ空腹で動けなくてもいいけど、働いていたらそれはまずい。
昼食も含めた拘束時間なんだから会社が持つべきだと思うんだけどな。
給与の一定の割合に税金がかからないから、必要なものを給料から払えってことなんだ。
だったら純粋に労働に対しての賃金はかなり低くなるってことか…。
そもそも経営者は高級寿司食べようが高いスーツ買おうが経費で落ちるんだから、それを働いている社員にも適応してほしい。
500円、せめて半額の250円でいい。ビジネス書ももう3割でいいよ。
社員のためってのは、そのまま会社のためになると思うんだけどなー。
今の社会は社員自らの「会社のため」、ってのが一方通行な気がするんだよ。
http://anond.hatelabo.jp/20140423230939
はてな最高だな!
良い会社だと思うわ。
でも今の会社好きなんだ。
●ラノベしか読まない?他の小説は読む?それは何故?どこに魅力を感じている?
もともとは児童文学から大人版ルパンや明智小五郎、ホームズを読むようになりミステリ・新本格・SFへ。そこからコバルト文庫~ラノベまで。
ラノベで好きなのは「ホライゾン」とか「され竜」「Dクラ」。別格で「ゼロ使」。
●ラノベファンはラノベを一般娯楽小説(定義付けのために一般と称しているだけ)と同じだと思っている?
違うものでしょう。
●ラノベで、パロディ要素が殆どを占めるようなものはどう思っている?
おもしろければいい。
●ラノベは何故ジャンル分けされない?ライトノベルという呼称は既に不要ではないか?
ラノベも単なるジャンルの1つで、元増田が思っているような特別なものではない。
ジャンルと言うのは読む側が選ぶための指標として存在している(こういう内容が読みたいと思った時に選ぶ指標)のだから
SFがサイエンスフィクションならファンタジーから青春チックなもの、宇宙の興亡を扱ったハードなものまで含むのと同様、
ラノベがイラストを楽しめる気軽な内容であることを意味してるだけなのでは。
https://twitter.com/tm2501/status/442408904987639808
安全でうまい飯なら消費者はどこ産だって構わず食べると思うんです。一度は佐村河内守の音楽をありがたがったり、ゴーストが演出したビジネス書をありがたがった人!楽しませてもらったんでしょ?いいじゃない!
https://twitter.com/tm2501/status/442410005568819200
ゴーストライター騒動に関して思うのは、「騙された」じゃなくて「自分の感性で面白いかどうかの議論で総括したら?」ってこと。大体仕事に関わってからネタばらしするブラックジャックによろしくの作者さんも加担したのだから追求するとしたらそれは自己批判だよね…本気でアレはどうかと思ってる 。よく考えて欲しい。初めてに近い執筆で百ページ以上の本を書くのは大変です。普通できません。支離滅裂になったり、日本語がおかしくなったり、挫折したり…手直しする方が折れたり…そんな真実でも読みたいですか?そもそも特に訓練してない人は30ページぐらいまとまった構成で書くのも無理!「前に小説家志望者は大作志向を捨てて短中編を書こう」という話を創作クラスタの人とまとめたことがあるけど、アレと一緒。ブログの数千文字で支離滅裂になる人だって世の中にはゴロゴロいるのになんで芸能人だけ達筆さ?内心、ホリエモンのゴーストライターの話で盛り上がってる世の中を見て、僕はほくそ笑んでます。「ざまーみろ!お前達が文章の技術や書物をバカにしてきたからそんなことも見破れんのだ!見破れなかっただけならまだしもうろたえるのだ!」と思ってる。一応、長文書くのって手間暇かかりますので。伊東四朗が演技について駆け出しだった頃に「演技がヘタに見える役者さんが自分ぐらい、普通に見える人がプロ、うまく見える人はその業界の神様だ」みたいなことを言われたことがあるらしいけど、これ書物でも同じ。2000文字まとまったもの書いて読み返してみ?自分が下手だと感じるはずだから。創作論、書物論をああだこうだ言うのは見苦しくて好きじゃないし、正直言って書ける人同士の間では当たり前の「野暮」でしかない失敗談なのよ。思春期とか反抗期みたいな通過儀礼。でも、知らない人は簡単に騙される。自分自身が普段ポジショントークと消費者トークの二枚舌を使い分けてる自覚さえない。昨夜、ブログに書いたことにも重なるけど、自分がよく考えないでいらないと決めつけたものを既得権益だとか誰にでもできる簡単な仕事だと思わない方がいいよ。思うのは自由だけど、わざわざ言う必要ないよ。少なくともそれをしている人は傷つくか、無知さを見抜いてげんなりしそうなので。本当に評論や批評としてかっちりとした文章を書くのは難しいし骨なんです。紙媒体で買ってもらうような作品を書く時にはそれを丁寧にできないといけないので、骨が折れます。(苦労を知らない人は文体や語彙力が技術であることも知らぬ)お金を儲けたでも、人気を得たでもそういう人に対して嫉妬するのはいい加減辞めたら?そういう人と関わりを持って働いて「彼と同じ努力強いられた。あの会社の社長はブラックだ」とか言う言い分はまだわかるけど、人気があるからうらやましい。でもあの技術は評価されない…は愚痴であり嫉妬。無意味
はい、それでは青二才が自分で書いた同人誌の評価を見てみましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20121120220837
http://anond.hatelabo.jp/20121120224627
それに対する本人の言い訳を見てみましょう。
http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/11/16/000506
青二才にこそ本を出す前に文章を読んでくれる友人が必要だった。
しかしそういうものが必要だった青二才にはその時何もなかった。
それでも青二才はあきらめず裸一貫で挑戦した。
そんな青二才を誰が笑えようか。
誰にも笑わせはしない。
本人以外には。
https://twitter.com/tm2501/status/442319653126168576
紙媒体で買ってもらうような作品を書く時にはそれを丁寧にできないといけない
http://anond.hatelabo.jp/20121120224627
うん、いいこと言うじゃない。でさ、想像してみようよ。
文章系の同人誌を買う客が仮に「自由にすればいい」を手に取ったとしよう。
あらすじはない。登場人物紹介はない。あとがきもない。手書きポップもない。
売り子に聞いてもあらすじがわからない。表紙も手抜き。
買うと思う?普通に考えて。商売に詳しいんでしょ?
公立の中学→私立高校→私立大学→今の職場 と進んできた自分。
ふてくされておおっぴらに言えないような不良生活をした。
とうとう退学処分の一歩手前まで行ったが、先生のお情けで許して貰えた。
少しだけ特技のあった自分は、地元の私立高校に推薦で入学した。
無勉で受かったといっていい。そして、大学も同じように推薦で入学。
知識ははっきりいって中学生以下のレベルだ。一般動詞とbe動詞すら危うい。
「こんな成績見たことないよwww」と教授にネタにされて恥ずかしかったのを覚えている。
親に無理を言って東京の私大に入れてもらった事もあり、就活については一生懸命やった。
一応名前の知れている大学に入ることができたため、書類選考ではまず落とされない。
「一般常識」については、こんなバカでも問題集を一冊やるだけでスイスイ通った。
集団面接やグループディスカッションも難なく通過することができた。
遊んでいた時代に身につけた、盛り上げ方やハッタリの利かせ方が効いた。
真面目君やいい子ちゃんが多すぎるのだ。
コツさえ掴めば内定は有り余るほど手に入れることができた。
「ああ、真面目にやらずとも、一流の会社に入ることはできるのだな」
と世の中の不条理さに複雑な気持ちになった。
しかし。会社で働いて三年が経とうとしている今、息が詰まるような感覚に襲われている。
優秀な奴らが周りに多すぎるのだ。休みの日や帰宅後の時間をスキルアップに費やしてます、なんて奴ばかり。
飲みに行くと、平気でビジネス書の受け売りのような内容のことを喋る同僚。会社から独立したいとかなんとか言っている。
お前ら何のために金を稼いでんだよ。遊びたくはないのか。叫びだしたくなる。
あいつらは俺の遊んでいる話を聞くと(うわっ、)というような目で見てくる。
一方で地元の友人達は中卒にして働き始め、まだ30歳にもなっていないのに二児の子持ちなどザラにいる。
昔は遊んでいたものの、落ち着いて丸くなったような雰囲気の家庭を見ると羨ましくて死にそうになる。
就職してから知り合う人々は、計算高そうな雰囲気を持つ奴らばかりだ。
おそらく自分自身、そういう雰囲気を醸し出しているのだろう。似た物同士がくっつき合う。運命だ。
自分を見つめ直したときに、こんなありふれたものが自分の望んでいるものだったなんておどろきもののき・・・
どうやったら楽しくできるのか、と考えたときに、
ビジネス書によくあるようなクリエイティブシンキングをプライベートに活かすというのを考えてみた。
ただ単にわくわくすることを行いたいだけだ。
スカイダイビングや、パラグライダーなどエキサイティングなスポーツはたくさんあるが、
人生に役に立たないことが必要なのもわかるけど、スポーツを目標なく行う気にはなれない。
なぜなら長期的に自分の人生において有益かわからないから。いやおそらくほぼないだろうと決め込んでいる。
それなら語学であるとか、統計、プログラミングなど他でも使える(らしき)ことに時間を充てた方が有益ではないかと思う。
生きるため。「したいから」の割合は非常に少なく、「しないと生きてゆけないだろうから」。
じゃあ、将来のために今を我慢する。
今コツコツとやって、そこそこの生活を手に入れるのか。
今好きなことをたくさんやって、「金がなくてもなんとかなるね」とその日暮らしのようにやっていくのか。
どっちかなんて無理だ。
二兎追うもの一兎をも得ず。
しかし、そのための準備、覚悟ができているかと言われたら全くできていない。
僕は考えていない。
だから、今身の回りにあるものすべてを、おもちゃをばらまくように自分の手の届く範囲に広げて、
拾い上げ、精査して、取捨選択という決断をしなくてはならないのだ。
働き始めて1年と少し、その取捨選択の時間は十分にとれたとは言えない。
やりたいことなんてたくさんあった。でも考えようとしているときにするっとそれはどこかに消えてしまっていた。
そんなことしている場合じゃないと、目の前のことがあるとやっきになって。
もう受け入れてしまっているのかもしれない。
この働き方と、この生き方で。
でもやっぱりそうでありたいなんて思っていないと、たまに考える。
このままこの会社で数年働いて、適当に転職を繰り返し、誰かと結婚して、
でもきっと違う。こうやって考えがぐるぐる回っているから今の状態を容認してるのかも。
多くの20代や30代の人なんてそういったジャパニーズドリームがもう実現難しいって気づいてるだろう。
気づいてるけど、その代替案を考えるのではなくて、情報を噛み砕くのに躍起になっている人が多いイメージだ。
(起業家・スタートアップとかも何かピンとこない動きではある)
情報を得るのに、解釈するのにばかり時間をかけて、行き先が決まらない。
どんな時代でも言われてたことだと思うけど、
やっぱり今は価値観が大きく変わろうとしている転換期なんだ。
「産みの苦しみ」じゃないけど、「価値観転換後」になるまでたくさんのステージが残っている。
変わるのは悪いこととは限らない。
でも自分が怖いのは、時代の潮流と、自分の身近な環境に時間を食われて、
そのとき自分がしたいと思ったことができなくなっていた、なんてことに気づくことだ。
そして、それを容認し続けて生きることが怖い。
まだ先があると考えて・・・
その先延ばしに対して、自分はどれだけのリソースを割いていたのか、改めて考えたい。
自分は焦りすぎてる節があるかもしれない。
それでも、今を受け入れすぎて、自分を壊すこと(もしくは自分のスタイルを野球場のグラウンドのように均してしまうこと)はこれ以上したくない。
人に優しくしすぎるのは嫌だし、広い世界について考えられないのも嫌だ。
そういうもんだからって多くの人に言われても、
感情的に納得ができない。こういうところがとても青い。
‐ 2020年12月、トーキョー ‐
より便利により早くより安価に物が動き人が動くことが可能になったものの、
今はすっかり人々の生活に定着したタブレット端末によりAamazonのサイトで
いわば職人道具と化していた)
パートナーとは恵比寿か代官山に食事に行こうかとも提案したが、
お気に入りのイタリアンレストラン「アリエッティア」がなくなったこともあり
家でテレビでも見ながら食事をして過ごそうということになっていた。
24日のクリスマスイブは贔屓にしているコメディアンのバラエティ番組が放送されるので
外に食事をするより家でのんびりするほうが私は気に入っている。
40歳になっても動画サイトで二次元のヒロインとクリスマスを過ごす、
という内容のタグを漁る習慣は抜けないでいる。
クリスマスのシーズンに聴く音楽は大抵iTuneストアで購入する。
ビートルズの【ラスト・クリスマス】、ジョンレノンの【イマジン】
ドリームズカムトゥルーの【WINTER SONG】、山下達郎の【クリスマス・イブ】は
毎年欠かさず聴くようにしている。
今年はそのプレイリストに流行りのアイドルソングか今季で一番お気に入りの
アニメソングを入れようかと思っている。
大学時代からの熱心な趣味(と言って差し支えないだろう)であるアニメ鑑賞は
この歳になっていても続いている。むしろその病的な情熱はより強くなったと言っていい。
1週間地上波の番組を全て録画することができるHDDレコーダ**(ソニー製)には
パートナーが呆れるのも無理はない。
週末はたいてい道場に行くか図書館に行くことを日課にしている。
気が向けば隣町のラーメン屋までドライブに行ったり、都心まで足を伸ばして
外出するのが億劫な場合はネットワークゲーム(すでに7年もやっている)
に興じて一日を過ごすこともある。
本は主に日本文学やミステリー、SF、技術書、ビジネス書、自己啓発書などを中心に
読んでいる。東野圭吾が未だに現役なのには驚きを禁じ得ない。
自分で創作した小説まがいのものをWEBにアップすることもたまにあるが本格的な長編を
完成させたことは一度もない。いつかしっかりとした長編SF小説を買いてみたいがそれは
まだずっと先のことのようだ。その夢が叶うのはあるいは老後かもしれない。
ライブなどもたまにいく。
ロックフェスの数もだいぶ少なくなってきたが
それでもライジングサンフェス、ロックインジャパンフェス、サマーソニック、
フジロック・フェスティバルなどの主要なフェスには根強い音楽ファンが毎年何万人も
参加している。初音ミクなどのVOCALOIDのDJもだいぶ定着してきたようで
アニメ色がより強くなったのは2000年代では考えられないことだ。
相変わらず邦楽ロックが中心にミュージックステーションとかに出演するようなアーティストを
好んで聴いている。ジャズやクラシックにも挑戦したいと思っているが
若いころに比べるとだいぶ腹も出てきたのでなるべく運動はしようと考えている。
年に1度はするようにしている。
なんでも手を出してすぐに飽きる癖はなかなか抜けないようだ。
月に一度は料理をする。
(ちなみにオニオンフライを下品にならない程度に散らすのが美味しさのコツだ)
酒は相変わらずビールを中心に飲んでいるが
バーボン、日本酒、焼酎、ウィスキー、ワインなども好んで飲むようになった。
たまに燻製を作ったりすることもある。
行きつけのバーも随分増えてきた。
新宿のゴールデン街や池袋のショットバー、中野の立ち飲み屋などに
行くのが週末のささやかな楽しみだ。
焼き鳥屋や蕎麦屋で晩酌するのが好きだが家庭的なイタリアンレストランだったり
本格的なソーセージを食べさせてくれるドイツ料理、泡盛が飲める沖縄料理、
銀座では映画を見たり、老舗のスイーツを買いにいったりするのが好きだ。
みんなそれなりに年をとり良くも悪くも変化していった。
インターネットの高速通信網は日本中に貼り巡り(それは私に生物の毛細血管を連想させる)、
かつて”スマホ”と呼ばれるものを肉体に移植するのが普通になったが、
脳の情報をデジタル情報に置き換えて肉体を必要としなくなる時代が到来するのはまだ先のようだ。
人類がテクノロジィに踊らされているという状況はいつの時代も変わることはない。
願わくばテクノロジィが戦争の為でなく人類の平和のために使われることを
ひどく薄いインスタントコーヒーとともに。