2024-10-18

ジョーカー2を見て、悪役を主人公にしたコンテンツ限界を見た

最後の場面は結論から言えば、以下のセリフジョーカーはハーレイを殺すべきだった。

「俺を弄んだ報いを受けろ」

      

しかし、結局ハーレイに殺されたのはジョーカーの方だ。(妄想世界で)

狂気ジョーカーから始まったものだが、彼の狂気受け身しかなかった。

から自分から伝染した狂気を受け入れることはできなかった。

ジョーカー狂気が伝染したのを見続ける傍観者であった、私は最終的に狂気を従える萌芽とみていたのが、ジョーカーは変わらなかった。

   

こういう悪役が主人公作品って改心する以外で絶対ハッピーエンドにならないよなとつくづく思う。

しかしたらと思ってみてみたけどまぁそうな感じかという感想

前作はそういう意味でもちろんよかった。まぁあれは悪役になるまでの作品だけど。

  

少し考えるとなんで悪役がハッピーエンドにならないかって、世論が許さないからなんだよな。

最後にハーレイを殺すにしても、殺す理由インセル的な発想だし、そのインセル肯定するメッセージになってしま可能だってあるから絶対許容できない。

前作がいいのはジョーカーがなぜ悪者になってしまうかの映画だったからだが、今回ハーレイを殺す合理的理由ジョーカーにならんとするものしかない。

ま、ハーレイ最後笑わせてもいいかもしれない。チープかもしれないが。

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