はてなキーワード: オペラとは
http://anond.hatelabo.jp/20140516113017
原子核分野のとある古典的な方面では人の引退とともに技術も失われていっている。
ブラックボックス化したコード(フォートランで書かれている)とか「〇〇さんが生きていればこれを計算できたのにね」
みたいな場面を何度か見てきた。
他の分野もきっと似たようなものなのだろう。原子力工学とか冶金とかは絶滅危惧種なんだっけ?
次世代に引き継がれなければ失われていく。
そして一度失われたものを取り戻すのは難しい。
日本が金にならない能を保護するのも金のないイタリアがオペラを保護するのも同じ理由だろう。
各国が科学技術にそれなりにお金をつぎ込んでいるがそれでも次世代に伝えられるものは一部だ。
各分野は専門化し、細分化し、それに伴い必要な専門家の数は増えていく。一方、継承できる次世代の人数は増えない。
人気のなくなったところからひっそりと消えていく。これは悲しいけどしょうがないね。
単体で見てると「あー、なんとなくあるある感あるかも……」と思える男子高校生の日常だけど、ガチの日常会話系と比べてしまうと「あ、別ジャンルか」ってなる。
それで、良くも悪くも男子高校生の日常、はあくまでオタクアニメ文法に則った物語なんだな、と改めて思ったわけだが、自分的には、ロペみたいなガチの日常会話系と比べるまでは、そういう自覚が薄かった。
この「自覚」を薄めていたのは、自分がアニメ文法にどっぷりだったからで、でもよく考えると、このアニメ文法は、かなり現実離れした所に、リアリティを設置している。
棒読み駄目演技とアニメ世界で呼ばれる演技は、しかし振り返ってみればとてもリアリティはある喋りだと最近思う。
日本人が、普通言わないような台詞を言おうとしたら、そりゃあぁなるだろ、というかなんというか。
アニメ文法が設置するリアリティは、もはや現実から乖離してる。アニメの文法という、現実世界から見るとぶっとんだ、独特の世界におけるリアリティを、ファンは追い求めている。
定時退社が当たり前、ダンスを習っているのよ~とか、連休には旅行に行くのが当然だと思っていたりとか、そういうホワイト企業。
バイトも派遣も差別されない。急に有給を取っても怒られない。理由も聞かれない。みんな楽しく働いているように見えた。
飲み会でも無理に飲まされないし誰もタバコを吸わないし店の人にも絡まない。
定年近いおじさんも、若い人も、みんな大卒だった。みんな優しかった。
わたしも当たり前のように、同世代の社員から「うちらが大学の頃ってさ~」と話を振られたが、わたしは高卒だ。
どうでもいいけど両親はどちらもヤンキー上がりバブル世代の中卒で、高校に行きさえすれば仕事に困らないと思っていたような人だ。
だからわたしも当たり前のように高卒。アラサーで独身で低所得よ。年収200万もないよ。
わたしもね、高校は出席日数ギリギリで卒業したバカだよ。学校なんてかったりーよーとか言ってさ。
社会に出て、すぐに気がついた。あーわたしはバカなんだってね。
同級生はみんな大学に行った世代なのに、学校が嫌いとか勉強が嫌いとか、もっと言えば家にお金がないから大学に行くなんて選択肢ははじめからなかった。
高卒がほとんどの職場なんて、お金もないからみんなギスギスしているし無駄な根性論みたいなのをかざしてくるし優秀であっても年が下なら立場は上にいけないし、人より努力すると生意気だとか言われて妬まれる。
バカばっかり。もちろんわたしもそのバカだ。
知ってしまったら、自分たちの世界はなんて余裕のないクズばっかりなんだと思った。
海外旅行どころか家族旅行も行ったことがないしそれどころか映画館にも行ったことがなかった。
そんな生活をしていたのに「今度の休み、オペラ見に行かない?」とか「ミュージカル行かない?」とか「一緒にヨガ習おうよ~」とかそういう会話がこの世に存在するってことを知ってしまった。
とある女性社員の家にお邪魔したら、品のよさそうなだんなさんが「お友達? じゃあ今日はぼくが洗い物をしておくね」なんて普通に言いやがった。
家にいるのに一人称がぼく!? そんな人間見たことがない!!! 奥様劇場の世界か!?
うちの母は「二十歳すぎて童貞なんて病気だよね~~www」とか言うし、娘であるわたしに向かって父との性生活の愚痴をこぼすような人なのに。
アニメを見ている大人は犯罪者だと思っているし政治家はみんな悪いことをしていると思っているし若者は自己主張が激しいから仕事がないと思っている。
だからあんなホワイトな大人がいる世界が信じられなかった!!!
でも低学歴でクソブラックがお似合いのわたしにはまぶしすぎて、そういうコミュニティに染まりきれなくてつらかった。
こんなアホでも手取り16万もらえる事務なんていいほうなのだが、ホワイトさんたちから見たらカス給料なので「うちの会社受けなよ~去年も40代の新入社員がいたから30代なんて全然大丈夫よ~」なんて言ってくれるわけ。
受かるわけないじゃん! わたしすっごいバカなのに!
わたしが高卒の上にバカである可能性を考えないホワイトさんたちには劣等感しかない。つらい。ホワイトさんは天上人か。
バカでヘビースモーカーばっかりの職場のほうが、猫をかぶらないで済むので疲れなかった。
この前、中卒の友人が妊娠して結婚した。旦那は税金を滞納していて役所から車を差し押さえられるような人だ。
つまり、預ける側に金が無い。
このブコメみて思ったんだけどね
シッターの選び方、利用の流れ
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140318110208
有益情報ですが「2500/h*9時間(日中価格)=22500円」でチビリそうになった。地縁、血縁の無いor乏しいところで子育てする恐怖。ママ友付き合いで1泊くらいしのいでる人も居るがまあまあ図太くないと頼めないよね。
って書いてあるんだけどね、いや判るのよ。高いって感覚。
でもさ、アメリカの学生アルバイトが日中やるのだって、時給$10よ。
あっちは大抵の州で12歳以下の子供が1人で3時間以上留守番してると警察沙汰(虐待扱い)だし。
つまりね、ポピュラーだからある程度質が担保されてるっつっても学生アルバイトレベルでも9時間預けりゃ$90で、9000円よ。
高いのは判る。
判るんだが、正直10歳のガキの面倒見るんで時給1000円だってキツイのに、2歳で1000円で見ろってのはブラックだろ。
すると、やっぱりどうやっても最低倍は見て時給で2000円はかかるって。
8時間越えりゃ多少色ツケて2万円は見ておきたいって。
だからさ、アメリカみたいに、夫婦の時間を大切にしたいから映画観に行く時にはベビーシッター雇うわって、そういう感覚じゃないと。
共働き夫婦が、シングルマザーの家庭が、使える制度じゃそもそも無いと思うんだよ。
保育士の話題もおんなじでさ。
保育園の質が低い、保育士のなり手がいない、ブラックだ過重労働だって言うのは、金が無いからじゃないか。
やっぱりどうやっても、1歳児2歳児を見てさ、時給1000円はありえないって。
プロが施設丸抱えでみてもやっぱり2000円は最低いるって。週40時間なら8万で、一月平均30万以上は払うべきだって。
そりゃそうだろうと、思って欲しいんだよ。
するとさ、例えば国の「最低」基準で、1,2歳児6人に対して保育士1人ってなってる。0歳児なら3人に保育士1人。
そういう計算でいけばさ、慈愛の心を持った篤志家が家賃光熱費設備費用完全無料で提供したって、
9時~17時でみるなら、8時間週5日で月だいたい160時間。保育士1人で、32万だよ。
つまり、2歳児預けるなら1人5万4千円はかかる。0歳児なら10万7千円。
1人でみる人数が増えれば増えただけ値段は下がっていくけど、そのぶん目は届かなくなっていく。
だから、保育士は国の最低基準の倍はいるだろう。ちゃんとみるなら。
当然保育士2人なら月64万だから、2歳児預けて月10万8千円、0歳児なら月21万4千円。
んで、あたりまえだけど、保育園って別に完全無料じゃないから、そのぶん施設費だのなんだのが載ってくる。
だから、「収入が高いと保育料も高くなる」というのは、実は的外れで、
「収入が安いと、政府が補助してくれてる」というのが、実際のところなんだと思う。
保育園でやってる保育士の給与を高くするなら、預けるほうが金を払うしか方法がないわけであって。
だからまず、ベビーシッターってのは、働く側の時給から換算すれば、
映画やオペラと同じ、夫婦の時間を大切にする時の嗜好品であって、常用するにはどうやっても向かない。
そして、保育園ってのは、もはや小学校とかと同じで、政府が運営すべきじゃないのかな。
保育園に預けたい人は、金が無い。だから共働きで働きたい。預けると金がかかって預けられないじゃ、堂々巡りだよ。
保育園に預けたい人が低額で預けられる、保育士も十分にお給料が貰える、なら、
国民全員で保育料を負担しますだから存分に働いて下さい、にして欲しい。
仕事柄、華やかな女性が多い社内でも嫁はかなり地味、というか素朴なタイプだった。
海外旅行が好き!宝塚やオペラ大好き!とかいう金遣いの荒い女性が多い中、「料理が趣味で家で過ごすのが好き」
と恥ずかしそうに言う彼女はひときわ清楚でかわいらしく思えた。
茶髪巻き髪でブランドバッグを見せびらかす女性が大半の中、黒髪ショートで清楚な服装をしているところも素敵だと思った。
堅実な女性が好きな俺はすぐに惚れて、一年程付き合った後結婚を申し込んだ。
金遣いの荒さはすぐには分からなかった。何度か一人暮らしの家に上がったことがあるが、
家具や食器がすっきりと整頓されていて、どちらかというと質素な印象だった。
出された料理はやたらと美味かったので、この子の料理の腕がいいんだな。としか思っていなかったのだが、
結婚してわかった。
彼女は家具や食器、食材、道具など、家で使うものにやたらと金をかける。
「買うんだったら本当に良いものを!」とすぐ口にして、
オーガニックの石鹸や洗剤、真っ白無地でもブランド品なタオル、高い鍋とか、高い包丁とか、おろし金とか、その他いろいろ。
彼女の服は、実はブランドのものが多く、彼女お気に入りのヒールのない靴やシンプルなバッグは何万もすることがわかり、
生まれつき綺麗だと思っていた黒髪にも、月に一万五千円のカット+トリートメント代をかけている事が判明した。
そんな事言う俺は、とにかく何でも節約するタイプ。食品でも家具でも何でも、一円でも安くすませたい派だ。
安いのが一番、品質が伴っていれば最高。という考え。粗悪品は別だが、どんなものも日本製ならそれなりに良いと思っている。
地味清楚系だと思っていた嫁に、騙された気分でいる。
大学を卒業したあたりから、自由にできる金が増え、反面人間関係が希薄になったことで、人を誘う手間を惜しんでひとりで映画をみることが多くなっていたのですが、この2年ぐらいは劇場で映画を観るときには人を誘うように心がけています。何もかも嫌になった日、授業や仕事をさぼってひとりで観にいき心を奪われた映画もとても大切だけれど、誰かと観る映画にも、昔の友人に電話をしてみるぐらいの手間をかけるだけの価値はあると思うのです。中学高校の頃、休みのたびに少ない小遣いを握りしめて映画館に向かったのは、鑑賞後に喫茶店やマクドナルドで、映画の話や映画とは全然関係ない話をするのが楽しかったから。両親に連れていってもらった『ジュラシックパーク』も細かい内容はほとんど覚えてないけれど、普段態度は大きいが実は気が小さい父が真っ暗な劇場でひときわ大きな声をあげて驚いたことは鮮明に覚えている。
第5位 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語
第4位 地獄でなぜ悪い
第2位 パシフィックリム
第1位 キャビン
2013年の鑑賞本数は約80本(劇場20本、レンタル60本 含旧作)内、人と観た映画は1/3程度。
単純に面白かった映画の年間ベストとは別モノとお考えください。
友人A(男)と一緒に鑑賞。2日目初回。Aは既に初日初回に観ており、この日が2回目。
会場前の行列に並んでいる間、ほむらちゃん派のおれに対し「えらいことになるから、覚悟しときな」と言いながら遠い目をしていた。鑑賞後、劇場が明るくなり茫然としているおれにAは「・・・な?」とドヤ顔。劇場を後にする人の目がことごとく死んだ魚のように濁っていたのが印象的。
友人B(女)と一緒に鑑賞。
映画の冒頭「全力歯ぎしりレッツゴー♪」と少女が唄うCMが流れるところで「あんた、こういうの好きやろ」と喋りかけてきた。どうやら既に映画が始まっているとは思っていなかった様子。確かに好きです。鑑賞後は「劇場にあんたによく似た男がいっぱい居たな」と言われる。確かにいました。映画自体にはそこそこ満足した様子。
奥さんと一緒に鑑賞。初日初回。
最近は「ラブコメ以外は観たくない」と言いながら韓流ドラマばかり観るマシーンと化してしまった奥さんを無理やり連れ出して鑑賞。「超おもしろかった」とのこと。久しぶりに、映画を観たあと興奮していた。「主人公の生い立ちや過去を振り返るようなシーンが挿入されないのが潔くていい」と、普段楽しそうにみているソープオペラを全否定するような発言を繰り返す姿をみて「もしかしたら今後は、付き合いはじめた頃みたいにサスペンスやホラーも一緒に観にいってくれるかも?」と淡い希望を抱き、後日ためしに白石晃士『カルト』を自宅で一緒に観たが、こちらはお気に召さなかった。
同級生(女)と鑑賞。学生時代はいつもツンと澄ました表情を崩さず、どこか近寄りがたい雰囲気だった同級生(当時クラス委員長)(美人)(三つ編み)と、同窓会で再会 → ホラー映画話で盛り上がる → 一緒に観に行く? という夢のようなシチュエーション。
映画の終盤の大虐殺シーンで横顔をのぞき見ると、向こうも気がつき、目が合って、満面の笑顔にスクリーンの光が当たり、長いまつ毛がキラキラと輝き、その瞬間全ての景色はスローモーション、おれは高校生のころ夢中になって読んだ『グミチョコレートパイン』のことを思い出しながら「あ、これ走馬灯でみるな」と思いました。鑑賞後は「●●●●は出演する映画を選ぶべきではないのか」という話等で盛り上がる。真面目に生きていればいいことがある。
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今年は、誰と映画を観に行こう??
お友だちに誘われて、前日まで行く予定にしていなかったのに急遽行くことになった。
こちらオリコンチャートにのるような音楽には全く詳しくない宝塚オタク。音楽番組は紅白を家族が観ていたら観る程度。Perfumeはもちろん知っている。好きな曲もある。だから、物は試しにと行ってみた。
ちなみにコンサートなるものに行くのは高校生の時親に連れられて以来という、まぁ、なんていうか、私の人生から縁遠いものだ。
「どんな服でいったらいい?」「動きやすい服でいいよ」
そうか、コンサートとは動くのか。普段は宝塚しかみない私はその時点で新鮮だった。私たちはお芝居の間中背もたれから背を浮かすことすら禁止されている。後ろの人もちゃんと楽しく観劇するための当然のマナーである。
何を持っていけばよく分からないからとりあえず、普段宝塚を観劇するために持っている倍率10倍のオペラグラスを持っていく。
京セラドームでたった倍率10倍がどこまでの効果を発揮するとか、私は知らない。そもそも京セラドームの広さを私は知らない。
貰ったチケットには@塁と書かれていてそれに驚く。塁!そうだ!!ここは野球場だったのだ!!!という新鮮な驚き。
上手下手ではないらしい。一つ賢くなった。
そして席に着く。なんとか手持ちの10倍オペラが有効に使えそうな距離だった。近い。と思った。ちなみに宝塚なら劇場からはみ出てる程度の距離感ではある。それでも、なんだか近かった。
コンサートの前にチョコラBBのCMが画面に流れそれに手拍子で応える観客。私はこんなに熱いCM鑑賞を初めて見た。私も手拍子しておく。
コンサートの内容についてはどこまで話していいか全くわからないし、曲名も知らないままのものが多かったので割愛。
3人しかいないのにお衣装チェンジとかどうするんだろう、宝塚みたいに着替えている間に違う人が場を埋めてくれるとかできないよな、とか真剣に悩んでいたけど、すごくうまいことなってた。凄い!!っていうかなんでも宝塚基準で考えるのやめよう自分。それ、狭い世界の話だから。
良く知らないけれど、それでもその場の空気に適当に乗ることにためらいがない私はずっと手拍子したり手を振ったりキャーって言ってみたりして、凄く楽しかった。同じアホなら踊らにゃ損損。
楽しかった!!かしゆかもあーちゃんものっちもみんな可愛かった!!本当にお人形さんが動いている。
この会場の大きさに対しあーちゃんもかしゆかものっちもとにかく小さいなと思った。別に本人が無力とかそういうことじゃない。本当なら一人5メートルくらい必要だと思う。それでも足りないかもしれない。
3人だけの力じゃなくて、映像や音響の力もあっただろうけど、たった3人でこのおっきな会場を埋めて、満たしていたPerfumeは本当に凄い。
大きなスクリーンでは踊る3人の表情が観れる。それでも、表情も確認できない、オペラをつかってなおバービー人形のようにしか見えない3人を観ている時間が長かった。必死に踊っている3人はとても近くて、遠かった。
凄いなって思った。
そして、何よりこの3人はとてもファンのことを思ってくれてるなと凄く感じた。
宝塚の舞台でもジェンヌさんはよく「ファンが大事」と言ってくれる。でも、ファンとして信じきれない時がある。
だけど、3人のコンサートは、私が本当のファンではないちょっと離れた距離から観てたからかもしれないけれど「こんな大きなドームをたった3人で埋めてしまえるほど凄い子たちにとっても、ファン一人一人は大事な存在なんだな」と本当に随所から伝わってきた。
もうちょっと、自分の大好きな宝塚のジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉を「はいはい、社交辞令ですね」とか思わずに受け止めようってちょっと反省した。
ライブ、凄く楽しかったのです。言いたいことはいっぱいあって、連れて行ってくれた友人にもありがとうって凄く言いたいし、他にも書きたいことはたくさんあるけれどどこまで書いていいのか分からないからこんな適当な感想になってしまった。でも、面白かったことを誰かに伝えたいからここに書いておきます。
こんなにも反響があると思っていなくて少し驚いています。読んでくださってありがとう。そしてPerfume愛されてるなぁ!!!
一応言い訳なんだけど、ジェンヌさんたちの「ファンが大事」という言葉が本心でないとは思ってないよ。みなさん、心底言ってくれていることは本当は知っていて。
ただ、中にいすぎて外からその姿がどう見えてるかわからなくて、(すでにのめりこんでいるというのに)のめりこむのも怖くて「はいはい、社交辞令ですね」と受け流してしまうのだと思う。もちろん、Perfumeの3人とタカラジェンヌではファンとの距離とか思いの返し方は全く違うので比べるだけ無駄なのかもしれないけど。
タカラジェンヌだっていろんな人がいて、いろんな返し方をしてくれているし。
でも、そういう物事をベタに受け止められなくなっている自分に気付かされたライブでもあったのです。もうちょっと、ベタに受け取った方がいいなという反省。
宝塚も独特だけどとても面白い世界なので興味を持ったらお近くのヅカヲタまで声をかけてみて下さい。すごい勢いで宝塚の世界に案内してくれると思います(笑)
そんなバッシングをした人たちに紹介したい映画がある。 プライドである。
http://www.youtube.com/watch?v=83vTdrqDPZY
金持ちのお嬢様と貧乏から這い上がった女がオペラ歌手になるために蹴落としあう少女漫画原作の映画。
今をときめく満島ひかりも出ているんだけど、主役のステファニーが本当に酷い!
ステファニーは当時事務所からプッシュを受けていたようで、Mステとかにも出演したことがある。
http://www.youtube.com/watch?v=ji6f7MIKN-k
常に棒読みの演技でカメラに映っているだけで「ドスン」という効果音が聞こえそうな悪い意味での存在感がある。
だけどこの映画凄い面白いのだ。 ステファニーの演技のひどさが映画のバランスにばっちりハマっていているんだ。
映画にはバランスというものがあるしその為にうますぎる役者が必要でない時もある。
酷いけどそれがハマっている、もしくは逆に良い。そういうことがあるからなるべくやさしい目で見てほしい。
きちんとした手順を踏んで出した結果で、再現性が取れるなら科学のテーブルに載るよ。
朝は快晴。暑さで起床。日差しが辛い。
・ROUTE 17 Rock 'n' Roll Orchestra
池畑潤二率いるバンドに、ゲストとしてトータス松本・甲本ヒロト・大江慎也(ルースターズのボーカル)がゲストとして登場。
グリーンステージ一発目としてお祭りの始まりを飾るに相応しい、愉快なロックンロールバンド。
甲本ヒロトがYMCAを歌っていた時に物販列に並んでいたのが非常に悔やまれる。
社長はいつも通りガウンを羽織ってらっしゃって非常に暑そうだ。
バンド内で社長の役割は「アジテーター」となっているが、実際はサックスのエフェクターをいじってダブ風にしたりパーカッションをしたりとちゃんと他の仕事もしていた。
クラブ・ジャズバンドであるため、どうしても後に見たJazzanovaと比較してしまうのだが、Jazzanovaの方に軍配が上がるかな。人数で負けてるし。
だからといってカッコ悪いというわけでなく、むしろこの二つはクラブ・ジャズ頂上決戦くらいな感じなので、最高に踊れた。
トランペットの人がソロの後に酸素吸入器使ってて、管楽器って大変だと思ったよ。
・怒髪天
普通のロックンロール。ただでさえ暑いのにめちゃくちゃ暑苦しかった。
別に嫌いとかそういうわけじゃなくて、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」列に並んでた時に聞いたので、暑いのが辛かったってだけ。
ちなみに、「ゴミ分別に参加してタオルをもらおうキャンペーン」に関しては、タオル目的に参加するとフジロックごみ問題について考えざるを得なくなるという良企画だった。
みんな、リサイクル食器は食べかすが残らないよう綺麗に食べよう。
モッシュピットでは若者ではなく、いわゆるエアジャム世代のオッサンたちが大騒ぎ。
今でしょ!と思い人生初ダイブに挑戦するも、うまく支えてもらえずしょっぱい感じで前から退場。
今回二番目に楽しみにしてたバンド。
ついにJacking the Ballを生で聞ける時が来たか!灼熱のオレンジコートに涼しい風が吹き抜ける!と期待が高まるが…
CD音源の方がよかった。てかライブなのに露骨に既成音源使いすぎなんだよ…これ以上何も言うまい。
折角二列目で聞いてたけど途中で後ろに下がってしまった。
Twitter見てたら「オッサン感動して泣いてしまったよ」みたいな人が複数いたが、これで感動はさすがにハードル低すぎorノスタルジー効果でしかない。
2月に来日公演を見逃したマイブラ、ついにお目にかかれました。
Twitterで小野島大さんが指摘していたが、最初は音が小さく迫力不足だった。なんだマイブラこんなものかと。
音量は徐々に上がっていき、最後の曲くらいになるときちんと轟音と呼べるレベルになったので、ノイズの波に包まれる感覚はちゃんと味わえた。
しかし音量は上がったとはいえ、全体的は音の解像度が低く、音のレイヤーが緻密に重ねられているCD音源に比べるとかなりお粗末なサウンド。
ケヴィン・シールズの後ろには10台ほどのアンプが並び、ギターも一曲一曲取り替えていたが、努力虚しくといったところか。
Only Shallowのイントロとかライブだとどうなるのか楽しみだったのにな。
最後の曲で「うおーノイズの雨だ!」とか思ってたら本当に雨が降り始めて、「これはマイブラの演出か!?ハンパねぇ!!」とか感動していたのだが、その後雨は笑えないレベルに。
後ろの方で見るハメになったが、後ろの人達の目的はCharaではなくテントの屋根。
静かな曲の時も、隣の外国人が大声で会話をしており勘弁してくれという感じだった。
しかし「やさしい気持ち」は一応聞けたのでよかった。
Charaの声は生で聴くと尋常じゃなくハスキーであり、s/n比が大変なことになっていた。
もはやノイズボーカルといっていいレベルであり、非常階段のシャウト担当の人を思い出す。
「やさしい気持ち」サビでは絞りだすような歌い方がさらにノイズ成分を増していて、音程とかいう世界をもはや超越していた。。。
これは是非ライブで聴くべき。前で聞けなかったのが悔やまれる。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=EoUSERsC8VI
先日見た初音ミクオペラTHE ENDと同じ舞台構造で、背景のスクリーンと前面にある半透明スクリーンの間にDJブースがあるという構造。
このVJがすごすぎて、ちゃんとみんな音楽聞いてなかったんじゃないの?と思うレベル。
印象的だったのは、インテリジェントなサウンドと裏腹に、フライング・ロータス本人がかなり頭悪そう(いい意味で)でハイテンションなアジテーターだったことw
無駄に「オキナワー!キョウトー!インザマザファカ!」とか叫んでた。
・Char
迷うことなく1日目のベストアクト。
ライブはなんとノープラン。Charが友人ギタリスト及びフジロックで出会ったギタリストを順番に招いてひたすらジャムセッションしていくというもの(なんと二時間半も!!)。
ギターを少しでもかじったことがある人なら感動せざるを得ないライブだった。
Charはそれぞれのゲストとギターで会話。必要な言葉は「キーはDで!」というセリフのみ。
ギターでの会話にはきちんとシンタックスがあり、方言もあった。
奥田民生のソロの後にCharが「おっ、ギターも広島弁だねぇ」と言ったのが印象的。
フジロック当日に初めて会ったEddie Roberts(The New Masteroundsのギタリスト)はファンクギタリストであり、Charはブルースギタリスト。
ジャンルの違いは方言の違いのようなものであり、お互い歩み寄り会話を成立させていく様には全てのギター小僧が感動したことだろう。
Char本人に関して言えば、立ち居振る舞い、声、ギター、何をとっても最高にかっこいい不良中年だった。
ライブ中にタバコは吸うわ、ビール缶を蹴って客席に飛ばすわ、そんでもって58歳にもなってビールを口から友人に噴きかけるやつなんてCharくらいのものだ。
そして、Charはゲストたちだけではなく観客との掛け合いも忘れない。
「そろそろ声出しとく?」とライブ中何回もコールアンドレスポンスをはさみ、雨でずぶぬれになった観客たちの体を温めてくれた。
最後はWarの「Cisco Kid」の替え歌で、全てのギタリスト総出で「Fuji Rock Kid」を演奏。
我々観客はサビで「Fuji Rock Kid was a friend mine」と大合唱。
裏でやってた(どちらかと言えばCharが裏だが)ナイン・インチ・ネイルズも少し気になったが、Charを選んで本当によかったと思えるライブだった。
佐藤タイジと奥田民生はハードロック、鈴木賢司はエレキシタール、Eddie Robertsはファンク、CHABOとCharはブルースという、もう本当に異種格闘技戦だったわけで。
Char×Eddie Robertsなんてもう二度と見られないだろう。
ピラミッドガーデンという辺境の地でしかも深夜ということもあり、夕方のCharaとは対照的にセレクトされた客層。
どれくらい辺境かというと、メインステージがある方向と反対方面にテントサイトから徒歩20分というレベルなのだが、この場所は勝井さんたっての希望らしい。
まずは勝井祐二×U-zhaanの即興演奏。先ほどのCharとはシンタックスこそ異なれど、これまた達人同士による会話が繰り広げられる。
多分彼らは無限に会話を続けられるだろう。こうした即興演奏を見ると、もはや曲という概念がよくわからなくなってくる。
青葉市子はポンチョにサングラス、箒を振り回しながら登場し、その場にいた全員を困惑させる不思議ちゃんぶり。
青葉市子は弾き語りの音源とライブを聞いたことがあったが(翌日にも見た)、そこにエレキバイオリンとタブラが加わるとさらに素晴らしい曲に仕上がっていた。
最後はその日が命日であったrei harakamiとU-zhaanが共作した「川越ランデブー」を勝井祐二、U-zhaan、青葉市子の三人で演奏。
大げさな言い方だが、即興演奏の達人たちはもはや死者とも会話していた。
といってもシリアスな感じではなく、曲はむしろU-zhaan特有なシニカルなユーモアあふれるものだった。
後からYouTubeで原曲を聞いたが、歌の部分は青葉市子が歌う方が可愛げがあっていいと思う。
しかし、斎藤牛蒡店は自らのやばさに気づいてないあたり、U-zhaanよりもさらにやばい。
参考動画:https://www.youtube.com/watch?v=NICEXdZ2s3o
勝井さんの演奏を見るのはこれで4回目だが、毎度毎度違った印象だ。
若林亜紀「理事長のやってる仕事というのが、海外視察と称して毎月海外旅行」
阿川佐和子「毎月?!」
阿川「どこ行くんです?」
若林「ええと、パリとか好きですね、オペラとか美術館関係とか好きなんですね」
若林「はい。ただ、真の日程はそうなんですが、表の日程表には現地関係者と打ち合わせとか書いてあって」
阿川「一人で?!」
若林「そうなんです。ヨーロッパ往復のファーストクラスの飛行機代というのは250万かかるんですね。それとスイートルーム毎日泊まってたらそれぐらいになります」
大竹まこと「すっごい無駄だね、ほんとはその法人は、何をやるのが仕事なの?」
若林「お金は雇用保険からもらってます。雇用保険の一部を持ってきて、失業者を増やさない研究をすることによって財政に貢献するという」
若林「いえ、やっちゃいけないんです」
大竹まこと「え、ちょっとまって、やっちゃいけないってどういうことですか?」
若林「私、ただの大学でて普通の事務の仕事しかできないんですけど、事務職募集ということで入っていったら、いきなり研究員という辞令を渡されました」
若林「“え?何かの間違いじゃないですか?私事務職ですよね?”と言ったら
“いや、この研究所には研究員が60人いることにして国からお金をもらってるんだけれども、10人くらいしかいないから、君たちにニセ研究員になってもらう”」
若林「そうなんです。“仕事は一般事務だから全然気にしなくていいから。”と言われました」
若林「厚生労働省から出向している総務部長、もうすごく偉そうで金メガネかけて」
大竹まこと「 つ ぶ せ ッ !! 」
若林「・・・スーツを着た人が言うので、ああそんなものかな、とにかく結果を・・・」
◆ ◆ ◆
「仕分け対象独法デタラメ 「労働機構」論文1本6000万円」(日刊ゲンダイ 04月19日10時00分)
http://news.biglobe.ne.jp/politics/351/gen_100419_3514249739.html
>予算のムダを洗い出す「事業仕分け」第2弾で仕分け人を務める与党議員が15日、対象となる54独立行政法人の視察を始めた。
>厚労省所管の「労働政策研究・研修機構」が募集して発表している論文が、1本あたり6000万円以上もかかっていたのだ。
若林亜紀「理事長のやってる仕事というのが、海外視察と称して毎月海外旅行」
阿川佐和子「毎月?!」
阿川「どこ行くんです?」
若林「ええと、パリとか好きですね、オペラとか美術館関係とか好きなんですね」
若林「はい。ただ、真の日程はそうなんですが、表の日程表には現地関係者と打ち合わせとか書いてあって」
阿川「一人で?!」
若林「そうなんです。ヨーロッパ往復のファーストクラスの飛行機代というのは250万かかるんですね。それとスイートルーム毎日泊まってたらそれぐらいになります」
大竹まこと「すっごい無駄だね、ほんとはその法人は、何をやるのが仕事なの?」
若林「お金は雇用保険からもらってます。雇用保険の一部を持ってきて、失業者を増やさない研究をすることによって財政に貢献するという」
若林「いえ、やっちゃいけないんです」
大竹まこと「え、ちょっとまって、やっちゃいけないってどういうことですか?」
若林「私、ただの大学でて普通の事務の仕事しかできないんですけど、事務職募集ということで入っていったら、いきなり研究員という辞令を渡されました」
若林「“え?何かの間違いじゃないですか?私事務職ですよね?”と言ったら
“いや、この研究所には研究員が60人いることにして国からお金をもらってるんだけれども、10人くらいしかいないから、君たちにニセ研究員になってもらう”」
若林「そうなんです。“仕事は一般事務だから全然気にしなくていいから。”と言われました」
若林「厚生労働省から出向している総務部長、もうすごく偉そうで金メガネかけて」
大竹まこと「 つ ぶ せ ッ !! 」
若林亜紀「理事長のやってる仕事というのが、海外視察と称して毎月海外旅行」
阿川佐和子「毎月?!」
阿川「どこ行くんです?」
若林「ええと、パリとか好きですね、オペラとか美術館関係とか好きなんですね」
若林「はい。ただ、真の日程はそうなんですが、表の日程表には現地関係者と打ち合わせとか書いてあって」
阿川「一人で?!」
若林「そうなんです。ヨーロッパ往復のファーストクラスの飛行機代というのは250万かかるんですね。それとスイートルーム毎日泊まってたらそれぐらいになります」
大竹まこと「すっごい無駄だね、ほんとはその法人は、何をやるのが仕事なの?」
若林「お金は雇用保険からもらってます。雇用保険の一部を持ってきて、失業者を増やさない研究をすることによって財政に貢献するという」
若林「いえ、やっちゃいけないんです」
大竹まこと「え、ちょっとまって、やっちゃいけないってどういうことですか?」
若林「私、ただの大学でて普通の事務の仕事しかできないんですけど、事務職募集ということで入っていったら、いきなり研究員という辞令を渡されました」
若林「“え?何かの間違いじゃないですか?私事務職ですよね?”と言ったら
“いや、この研究所には研究員が60人いることにして国からお金をもらってるんだけれども、10人くらいしかいないから、君たちにニセ研究員になってもらう”」
若林「そうなんです。“仕事は一般事務だから全然気にしなくていいから。”と言われました」
若林「厚生労働省から出向している総務部長、もうすごく偉そうで金メガネかけて」
大竹まこと「 つ ぶ せ ッ !! 」
放送開始月日 | 番組名 | 放送局 | 放送曜日 / 時間帯 | 備考 |
---|---|---|---|---|
04/01 | 聖闘士星矢Ω | テレビ朝日 | 日 / 06:30 | - |
04/01 | 宇宙兄弟 | 日本テレビ | 日 / 07:00 | 4クール |
04/03 | ズモモとヌペペ | NHK-Eテレ | 火 / 18:20 | 「大!天才てれびくん」内アニメ |
04/04 | 黒魔女さんが通る!! | NHK-Eテレ | 水 / 18:20 | 「大!天才てれびくん」内アニメ |
04/05 | しろくまカフェ | テレビ東京 | 木 / 17:30 | 4クール |
04/07 | ジュエルペット きら☆デコッ! | テレビ東京 | 土 / 09:30 | 4クール |
04/07 | プリティーリズム ディアマイフューチャー | テレビ東京 | 土 / 10:00 | 4クール |
10/2 | 新世界より | テレビ朝日 | 火 / 27:10 | 全25話 |
10/4 | 銀魂 | テレビ東京 | 木 / 18:00 | - |
10/5 | ジョジョの奇妙な冒険 | TOKYO MX | 金 / 24:30 | 全26話 |
10/5 | 絶園のテンペスト | TBS | 金 / 26:25 | 全24話 |
10/6 | バクマン。3 | NHK-Eテレ | 土 / 17:30 | 全25話 |
10/6 | リトルバスターズ! | TOKYO MX | 土 / 22:30 | 全26話 |
10/7 | おしりかじり虫 | NHK-BSプレミアム | 日 / 07:55 | - |
10/7 | クロスファイト ビーダマンeS | テレビ東京 | 日 / 08:45 | - |
10/7 | マギ | TBS | 日 / 17:00 | - |
10/7 | 遊☆戯☆王ゼアルII | テレビ東京系 | 日 / 17:30 | - |
10/7 | イクシオン サーガ DT | テレビ東京 | 日 / 25:05 | 全25話 |
10/8 | アイカツ! | テレビ東京系 | 月 / 19:30 | - |
10/8 | さくら荘のペットな彼女 | TOKYO MX | 月 / 24:30 | 全24話 |
10/27 | PHYCHO-PASS | BSフジ | 土 / 26:00 | 全22話 |
10/27 | ROBOTICS; NOTES | BSフジ | 土 / 26:30 | 全22話 |
放送開始月日 | 番組名 | 放送局 | 放送曜日 / 時間帯 | 公式サイト | 他放送局、備考 |
---|---|---|---|---|---|
12/21 | 僕の妹は「大阪おかん」 | BS朝日 | 金 / 25:55 | ■ | 全12話 |
1/7 | LINE OFFLINE ~サラリーマン~ | テレビ東京 | 月・火・水 / 25:30 | ■ | - |
1/7 | THE UNLIMITED 兵部京介 | テレビ東京 | 月 / 25:35 | ■ | テレビ大阪 / テレビ愛知 / テレビせとうち / TVQ九州放送 / テレビ北海道 |
1/9 | GJ部 | 日本テレビ | 水 / 25:29 | ■ | - |
あまり距離がなかったりすると
他のお客さんに気を使ってしまったり
話しやすい席の確保
できれば横並びの座り方だと親密感が増す。
2.お互いに緊張しているので、
初めは大げさにわらってみるとか
共通の趣味となるような話題をさがしつつ
共通の話題があったなら、そこを掘り下げて
いくことができる。
深呼吸をする・表情がかたくならないように
リラックスすること。
4.あらかじめデート
出来ていると心に余裕ができて柔軟に対処できる
ので、あまり行き当たりばったり
対処することが少なくするようにする。
6.話している相手のプロフィール関連の
ことは漏れがないように相手をいったん受け入れる
相手の会話に集中して、同じことを聞き直したり
しないようにする
この程度にしか思われていないと
その時点で気持ちが離れてしまう。
8.嘘でもいいので(心の中では全く違う意見・
考えでも)はじめは相手の話に合わせる
とにかく、はじめは否定をしない。
特に相槌 うなずきを会話に嫌味にならない
感じ適度な間隔で入れる。
9.コミュニケーションの原点は相手を知ること
相手を知ろうと努力していれば、
自然と糸口が見つかるはず。
逆に相手を知ろうとする気持ちが相手に伝わり
良好な関係が組み立てていける。
聞くことは良好な人間関係を築く上で出発点
10.会社でもそうですが、
当たり前ですが意外と相手の名前で呼べていないことが
多いので、気をつけたいです。
その他.
文化 ゴルフ オペラ ワインなど自分の得意なジャンルを持つ。
ただ、人に押し付けない。
当たって砕けろという気持ちで
表情が硬くなったりするので、いい意味で開き直る。
以前、大阪市が公開した文楽問題に関するメール交信記録を読んで一文を記したが、
文楽の問題に関して、Twitterを見ていていくつか誤解があるようなので、書いてみたい。
産経の記事によれば、
橋下市政 揺れる文楽 補助金凍結…地方公演厳しく+(2/2ページ) - MSN産経ニュース
同協会の収入は興行収入が8割、補助金が2割を占め、その内訳は国が8千万円、市が5200万円、府が2070万円(23年度)。
記事中「同協会」とは文楽協会のこと。今すぐ見当たらなかったが、たしか本公演に影響が出る額ではなかったように記憶する。少なくとも文楽の存廃に関わる額ではない。
公開されたメール記録から。池末浩規参与の3月24日付メール。
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html
③-1.技芸員のマネジメント機能のうち、「都市魅力向上に資する伝統芸能に関する若手技能者の育成支援事業」に対する事業補助を行う。これは当 初金額を××円(試案:2,000万円)とするが、××年度(試案:平成27年度)以降の分については、前年に(府)市の文化・芸術に関する補助についての委員会(名称未定)により決定する。
③-3.経過措置として、✕年間(試案:平成24年度に限って)は、✕✕万円(試案:3,200万円…現状の5,200万円と上記2,000万円 との差額)を新たな公演の試み、協会の機能向上の試みに対して事業補助する。この補助の使途および成果については、事後に報告するものとする。
ただし、同じく池末参与の6月5日付メール中、橋下市長とのやりとり部分。(→は池末参与の返事)
文楽についてはその構造 も、担当者以外は理解していないところもあります。
文楽を守る役割は結局国に あるということがはっきりとしてきました。
→結局文楽の振興については国しかコントロールできない形にしておきながら、大阪府市も金入れろという図式ですね。
そうなると若手育成も国では?
→本来はそういうことになります。
また若手育成について、国 と地方の役割はどうなのでしょうか?
→原則国主体でやるべきという考え方がベースになると思われますが、国が新たなスキームに乗ってくるまでの短期間(3年以内を想定)人材育成につい ては大阪も奨励金を出す考え方もあるかもしれません。
市長とその周辺の意図としては、「文化財保護」よりも「振興(観光資源としての活用)」なのでこういう書きぶりになる。しかし、文楽においても、もちろん「家業」となっている場合もあるが、原則的には歌舞伎と違い、あくまでも実力主義だという側面が全く閑却されている。
文楽は伝統に胡坐をかいている、敷居が高いなどという意見を散見したが、事実は文楽も新作を試み、様々なチャレンジをしてきた。たとえば、子供向けに作曲された新作があげられる。
文楽の入門編として最も手軽だと思われるのは、国立文楽劇場で毎年夏の公演で演じられる演目だ。夏休みのため子供の観客を対象としたものが必ず演目にあがる。今年は「西遊記」がかかっている。
そこで近年演じられてきた演目を振り返ると、「舌切雀」「雪狐々姿湖(ゆきはこんこんすがたのみずうみ)」「瓜子姫とあまんじゃく」「東海道中膝栗毛」「金太郎の大ぐも退治」「鼠のそうし」「大江山の鬼退治」。。。などなどがあげられる。ただし、必ずしも中身が充実している演目ばかりとは言えない。
こういった子供向けの演目だけでなく、大人向けの演目も様々な試みが繰り返されてきた。
例えば歌舞伎演目のコピーがある。そのなかで、「勧進帳」はもっとも有名な演目の一つだろう。
またあまり知られていないかもしれないが、近松門左衛門の「曽根崎心中」は歌舞伎の影響で戦後に復活した演目だ。その事情は次のサイトにコンパクトにまとめられている。
その人形浄瑠璃にとって難題だらけの「曽根崎心中」の復活上演を、まず試みたのが本家の人形浄瑠璃ではなく、歌舞伎であった。
昭和28年(1953)8月、近松門左衛門生誕300年を記念して宇野信夫が「曽根崎心中」を新しい歌舞伎に脚色し、の新橋演舞場の舞台にかけたのである。徳兵衛を上方歌舞伎の第1人者の2代中村鴈治郎、お初を長男の2代扇雀(のちの3代鴈治郎)というコンビで演じたところ、大評判をとって扇雀ブームまで起こった。
この反響の大きさに驚いたのが、本家の文楽座である。人形劇としての「曽根崎心中」復活上演に意欲を燃やし、現代向きにという松竹の大谷竹次郎会長の意向を入れて、西亭(にしてい)こと三味線弾きの初代野澤松之輔が脚色・作曲を担当、鷲谷樗風(わしたにちょふう)の演出で、昭和30年(1955)四ツ橋文楽座1月公演の舞台にかけたのである。
よく復曲といわれるが、昔通りの演奏曲復元は不可能で、新しい作曲と割り切った方が誤解が少ない。語りを8代竹本綱大夫、三味線を10代竹澤弥七のコンビ、主人公・徳兵衛役の人形は序列7番目だった吉田玉男が遣った。
これらのものは本公演でもしばしばかけられる演目だけれども、より実験的な演目としては、蝶々夫人、ハムレット、テンペスト(「天変斯止嵐后晴」)など。また、市長が再三ふれている三谷幸喜の新作に代表されるようなそれも、しばしば作られる。聖書の福音書物語を文楽で、といった試みまである。
つまり、文楽に携わる人たちは、新しい観客開拓への意欲はあり、チャレンジ精神も問題意識もある人たちなのであって、この点は文楽を知らない人たちによく認識しておいてもらいたいと切に願う。
したがって、ちゃんとした台本さえあれば、たとえば百合文楽でもけいおん!文楽でもなんでもできるはずだ。文楽人形は、女子高生でもイエス・キリストでも、なんにでもなれるのである。
しばしば、歌舞伎や落語と並行して文楽を論じられているのを目にする。しかし、文楽は他の古典芸能と全く違う側面があるので、「伝統芸能」「大衆芸能」という大雑把なくくりで論じられるとやや面食らう。
まず、文楽は音曲として非常に格の高いものだったという歴史的な事情である。これは歌舞伎の竹本葵大夫さんが軽く書いている。
人形芝居で創りだした演目も歌舞伎に流出して、歌舞伎で大当たりを取る。それがために、人形芝居は経営に打撃を受ける。これは対策を講じなければいけない。そんなこんなで、人形芝居の組合で「歌舞伎に出演した太夫・三味線は除名処分にする。歌舞伎の太夫・三味線とは同席しない」などと取り決めます。「われわれは宮中のお召しがあると参内して芸をお目にかける。そして掾号も受領することさえある。歌舞伎などの河原者とは身分が違う」と息巻いたかどうかは知りませんが、これくらいのことは充分おっしゃられたでしょう。
今でこそ、私など文楽の9綱大夫師にご指導いただいたり、ほかにも三味線の方が文楽の方のご指導をいただいたりしておりますが、昔でしたら考えにくい現象でしょう。
もちろん実力の裏付けがあってこそで、
ただいまでも「文楽座出演」と銘打って歌舞伎の演目に文楽座の皆様が演奏で出演なさると、たいがい新聞劇評は「○大夫、△△以下、文楽座の演奏に量感がある…」というようなことが書かれます。ところが、同じ曲を私ども竹本が演奏いたしますと、あまり賛辞を頂戴することがございません。
ということになる。
葵太夫さんも触れておられるが、そもそも人形浄瑠璃は皇室と関係の深いもので、その一つの表れが掾号だろう。名人上手は皇族から掾号を受領することがあり、豊竹山城少掾、人形遣いの吉田難波掾を最後に掾号受領するものはいないが、しかしながら皇室との関係はあったわけで、昭和38年に松竹が興行権を手放し文楽協会が成立したとき、松竹がこれを「献納」と言っているのは故なきことではないのだ。
繰り返すが、このような人形浄瑠璃における格の高さは、実力の裏付けがなければ意味を持たないし、まして現代において補助金の投入を正当化するものには必ずしもならない。
しかし、他の芸能と一括りで論ずることができないという側面の若干は感じてもらえるのではないか。
また、義太夫節の特性について若干ふれておきたい。
義太夫節の構造そのものは簡単で、決まったメロディーのパターンを詞章に合わせて組み合わせて行くだけだ、という説明でいいと思う。したがって、このパターンの組み合わせは無限に広がる。
ところがそう簡単にいかないのは、文楽の古典の場合、演目に合わせて様式が成立しており、義太夫節ではこの様式を「風(ふう)」という。かねて様々な論者により、風を語り分け伝承するのが最大の難物だとされてきた。というのも、非常に微妙・繊細なものだからだ。
以前書いたように、私は国立文楽劇場に通って図書閲覧室にもよくお邪魔をするような人間だったが、さすがに義太夫節を語るところまではやらなかった。だから断定はできないけれども、この様式の問題は最後は幼少時の音楽環境の問題になると思う。と考えたくなるくらいに、微妙な代物であって、これだけ洋楽が氾濫して耳が慣れてしまっている現代日本で、こういうものを継承することが可能かどうか、はなはだ疑問だと言わざるを得ない。
やや話がずれたかもしれないが、たしかに落語や歌舞伎などのように、時代に合わせて姿かたちを変えることで人形浄瑠璃においても生き延びることだけなら可能かもしれない。しかし、文楽の場合、繊細な中身が変わってしまってはもはや文楽ではなく、ただの人形芝居、「文楽のようなもの」が残るだけだろうと強く危惧するものだ。
この点が、私の文楽の将来に対する悲観や「古格を維持している限りは、文楽は補助されるべきだ」と考える所以でもある。
大阪市長やその周辺が模索しているように、観客動員を増やそうとする努力、そのための宣伝や統括的なプロデュース・マネジメントが必要だろうというのは、私もかねがねそう思っていた。まんざらではないと思う。
ただし、それには一定の限界があるだろうとも思う。要因はいくつでもあげられる。
音楽環境がもうまったく変わってしまっている。古典に対する教育がほとんど日本ではなされないのだから理解できなくて当たり前。そもそも、松竹ですら経営が難しくて50年前に放り出したものを今の時代に観客が増えるわけがない。ちゃんと語れる人がもういなくなりそうだ等々。
一定の限界を認めなければ、たとえば市長がいろいろ言っているように古典であっても演出をもっと現代的にしなければならなくなるだろうし、本も変えなければならない。本来、国立劇場国立文楽劇場での公演は一作品全部を舞台にかける「通し」を主として行われるべきだが、観客動員を上げたいのであれば歌舞伎のように「見取り」だけでプログラムを構成し、有名な売れそうな場面だけ舞台にかけておけばよい。しかし、それで本当にいいのか。
つまり、観客動員をどうしても上げたいのであれば、中身にも伝承にも確実に影響が出てくるだろうと思われるのだ。これで本当に「古格」が維持できるんだろうか。
私は、文楽だけでなく、歌舞伎も好きだし(そもそも文楽に触れるきっかけは歌舞伎で知っている演目は文楽ならどうなのかという興味だった)、西洋古典音楽も大好きな人間だ。そうやって比較をすることで両方を消化するのが、誇張して言えばあるいは日本人だけの楽しみだとすら思っている。
そこで西洋音楽と比較した場合、文楽に匹敵するものはワーグナーの楽劇ぐらいしかないのではないかな、と感じている。長大さや感動の深さの点で比肩する物は相当に限られてくると思う。
それだけの値打ちがあるんだということ、それだけの値打ちがあるものに対して、日本のものなのに、その日本人の大多数が興味関心全くゼロだということは、まず言っておきたい。
その上で、しばしば「補助金なしでやっていけない芸能芸術は滅び去るべきだ」という意見が見られる。非常にもっともな意見で、公によって支えられている文化事業は常にこういう問いを問われるべきだと私も思う。
ただ、一方で、ヨーロッパのオペラにしろオーケストラにしろ、「補助金なしでやっていけない」わけだが、「だから滅び去るべきだ」とは言われない。ここは必ずしも論理としてリンクするものではない、ということも、またもっともなのだ。
文楽に匹敵するのはワーグナーくらいしかないのではないかと書いたけれども、ワーグナーには過去の歴史から政治的な問題が色々あり、また採算が取れないからといってドイツ人がワーグナーを「過去のもの」として捨て去るだろうか。欧州においてすら西洋古典音楽のファンはそれほど多くないはずだが、さらにそのなかのごく一部のワグネリアンしかたいした興味関心をもたないからワーグナーの上演は無駄だと批判されるだろうか。そういうことは今のところまずあり得ないと思う。なぜなら、ワーグナーはドイツの宝だからだ。文楽よりはるかにカネがかかるにもかかわらず。
大阪の先人たちは、文楽という芸能に対して文字通り心血を注いできた。一時期を除いて基本的には客が入らない芸能だったので、名人上手ですら「明日のご飯がない」という貧乏話は普通にある。奥さんが小料理屋を営んでいてそれで食わしてもらったりしている。それでもなお、大阪の偉大な先人たちはこの芸能に打ちこみ、奇跡的に現代に伝えてきた。
彼らはお金はなかったかもしれない。貧乏だったかもしれない。その代わりに得られたのは、感動を与える喜びであったり、誇りだった。掾号の問題はまさしくそれで、名誉だけが彼らの糧だったと言っても言い過ぎではない。ワーグナーにも匹敵する芸能であるからこそ、それだけ打ち込む価値があったのだ。
ただ、現代社会では、残念ながらこの芸術の価値に見合うだけの犠牲を技芸員たちに求めるのは、無理になって来ている。(それでも彼らは贅沢な生活をしているわけでは決してない)
現代の大阪人はそういう偉大な先人の子孫だ、そういう偉大な芸術を生んだ共同体の中にすむ一員なんだという矜持、その矜持が文楽に金を払わせるのであって、他に理由は見あたらない。
そして、、、私はこれが最も大事な点だと思うけれども、、、大阪人に持ってもらいたいこの矜持に対して、文楽に携わる人たちはお返しをしなければならない。
それは、新しい観客を獲得する挑戦を一方で続けながらも、文楽の本格を維持すること、継承すること、古格を守ることではないか。それが、文楽座に課せられたミッションであって、それが出来なくなった時、文楽は文楽でなくなり、公金を投入する理由もなくなるだろう。
もちろん、大阪市長やその周辺の人々が考えるように、観客動員を上げて観光資源として活用されるように生き延びる方向もある。しかし、それはもはや「文楽」ではない。
もし「文楽のようなもの」という形でしか生き延びられないのであれば、偉大な先人の名誉のために、大阪人の矜持のために、近い将来、しかるべきタイミングで文楽の死を宣告してもらいたい、最低でも名前だけは変えてもらいたい、無形文化財や世界遺産の認定も返上してもらいたい。私がこのように希望する気持ちやその理由も、これまでつらつらと書いてきたことから感じ取ってもらえるのではないか。
そして同様のことは、なぜ国が補助金を文楽に対して投入するかという理由づけにもなるように思う。大衆に受け入れられない芸能は補助金を打ち切ればいい、この財政難の折から文化事業に投ずる財源はないとよく言われるが、ことはそう単純ではない。
予算全体から見れば、補助金として文楽に投入される額は巨額とは全く言えない。しかも大阪の場合は、対象を悪玉・敵に仕立て上げて財政削減しても、すぐに無駄なプロジェクトに走るのでせっかくの財政削減が全く無意味なことになっている。大阪市長は文楽に対して様々な批判を繰り広げているが、予算と比較した場合にあまりにも不釣り合いな煽りであると言わざるを得ない。
日本の偉大な芸術、しかもまだかろうじて本格が維持されている繊細な芸術に対して矜持を持って維持するに、大阪はもとより、日本の市民社会全体「も」維持しなくて他に誰が維持するというのだろうか。
(追記)
これまで書いてきたように、私自身は文楽の将来にはかなり悲観的であるし、芸の質についても相当程度批判的だ。したがってTwitter を見ていて古典芸能ファンによる「日本の伝統芸能なんだから維持されるのが当たり前」や「とにかく文楽は素晴らしい」に類する議論を見ると鼻白む思いをする。自分の楽しみのために税金の投入を是認しろというのであれば、それはまさに橋下市長の批判通りなのではないかと思う。
したがって、古典芸能ファンの言動にもいささかついていけないものを感じる時があると、これは明記しておきたい。
また、もし何かご意見などあれば、Twitterの私のアカウントに何か書いていただきたいというのは、前回の増田に書いたとおりだ。https://twitter.com/SignorTaki
そういうのがないのは不幸だったのかも。
昔なら同時代の事件を脚本にするってことで話題性があったんだろうけど、今やテレビもネットもあるからわざわざ文楽にしようという人はいないだろうね…
まあでもテレビだと難しいし、文楽なんかで批判的に取り上げてみると面白いかもしれないね。
プロデューサー氏がAKBの秘密を文楽にした、とかなら話題になろうけど。
巷では橋下市長は文楽の良さもわからんのか、という話にはなっているのかな?
(そんなこと言っても予算削られたら終わりなんだけど)
だいたい歌舞伎にしろ文楽にしろオペラにしろ、話が面白くて見に行く人は何割くらいなんだろう。
みんなストーリーわかって見に行ってんだろうに。
つまらんところは寝てりゃ良い。