はてなキーワード: 都市圏とは
政府向けシステムに関わったことがある身からすると、政府向けシステムの話をするときに前提として知っておいてほしいことは、住基ネット最高裁判決に「現行法上,本人確認情報の提供が認められている行政事務において取り扱われる個人情報を一元的に管理することができる機関又は主体は存在しない」という骨子があること。これによって政府向けシステムは個人情報を一元的に管理できず、個人情報は各自治体で分散管理しかできない。この文面でググれば政府がどれだけこの骨子を気にしているかは分かると思う。
今回の話は「国民マスターテーブルを持たずに認証するにはどうすべきか」という政府向けシステムで常に挙がる課題で、良いアイデアがある人は政府に提案しにいってほしい。個人情報保護法の目的外利用に違反しない上で。
これをできるのは自治体のみで防衛省はできない。防衛省は国民の住所氏名を知らないのではがきを送れない。防衛省に限らず、どの省庁も国民の住所氏名を一元的には知らないので、政府はできない。
かなり難しい。上の骨子により防衛省が個人情報を一元的に管理することができないので、最高裁判決とは条件が異なることを主張しないといけない。たとえば「都市圏だけなので一元ではない」とか。それに国民や野党が納得するかどうか。これがひろみちゅの言う「政治的にそう言えないというのはあり得るが、乗り越えなければならない」課題。
これで良いなら予約システムなんていらないけど、密を作って高齢者に何日も前から徹夜で並ばせるのが今のシステムより良いと思う?
政府が使える一元的な情報はマイナンバーしかない。マイナンバーカードを読み取れる人だけが利用できる予約システムなら認証できるけど、自治体のネット予約さえ高齢者には使えないと叩かれているのに「マイナンバーカードとリーダーが必要です」なんて要件で作れるわけがない。そもそも「短期間に多くの人に接種させる」という目的にもそぐわない。
各自治体の予約システムがAPIを持って防衛省が接種券番号の有効性をAPIで確認できれば認証できるけど、首都圏だけで200以上ある自治体がばらばらに調達しているすべての予約システムに高負荷でも落ちないAPIを共通仕様で緊急で作らせれる必要がある。けど、そんな体力があるならば自治体の予約システム自体が落ちないようにすれば良いわけで、大規模接種自体が不要かもしれない。
個人情報を一元的に管理することができる機関を立法すればできる。けど、そんなものは「たった1年」じゃ作れない。マイナンバーと住基ネットに何年掛かったと思っている?「パンデミックという緊急事態なので防衛省が高齢者の個人情報を一元的に管理することができる」世界は「戦争という緊急事態なので防衛省が20代30代男性の個人情報を一元的に管理することができる」世界につながっていることを理解した上で、国民はこの法案に賛成できるのか? できるなら、良くも悪くも政府向けシステムの将来は大きく変わる。
結局、「国民に行政サービスを直接提供するのは自治体で、そのための個人情報を持っているのも自治体。政府は自治体を支援する」というデザインですべてが作られている日本において、菅の「政府主導でのワクチン接種」というアイデアの実現がそもそも無理ゲー。出生届や転入届を出すのは各自治体、運転免許の番号を発行しているのは各都道府県公安委員会。政府は国民の個人情報が一元的に入った共通データベースをどこにも持っていないから管理できない。従来通り、政府は自治体の支援に特化するべきだった。
中国みたいな管理国家に日本はならないという選択を国民がした時点で、この予約システムでの認証の実装の難易度は相当高い。ウイルスとの戦いに強い国は戦争にも強い国で、「人間にせよウイルスにせよ、敵との戦いに勝つために国民は政府にどれだけ一元管理されてもよいか」の総意を国民が取らないといけないので、マイナンバーや住基ネットの実績を考えると1年くらいの準備期間じゃ、みんなが期待している認証をこのシステムでは実現できない。
チェックデジットがないことで誰かの誤入力で自分の予約ができない確率が上がっているのは残念。ただ、発券しているのは各自治体なのでチェックデジットをつけられるのも各自治体なので、開発会社も防衛省もやれることはない。誰なら事前に自治体に統一仕様で作らせられたかというと厚労省だけど、接種券の仕様が決まったあとに大規模接種の話が出てきたので事後諸葛亮。こんなこともあろうかとチェックデジットの指摘が事前にできる勘が良い人がいたなら、たぶん落ちない予約システムの作り方の指摘も事前にできただろうから、大規模接種自体が不要だったかもしれない。
現状でもreCAPTCHAでBot対策されている。reCAPTCHAを越えて大量予約するやつは悪意があるので逮捕で良いでしょ。
できた。でも、接種券番号のバリデーションができない時点で大した意味はない。入力フォームの電話番号にSMS送って電話番号全体の有効性を確認することはあっても、市外局番の存在有無だけをバリデーションするなんてことしないでしょ。入力された市外局番と市外局番マスターを引きあててバリデーションをしている者だけが石を投げられる。
防衛省は生年月日の正しい情報を持っていないので、この数字に大した意味はない。たぶん予約キャンセル用のパスワード相当、当日の誤入力を見つけるためのヒントくらいの意味しかない。「パスワードを設定してください」でも良かったんだけど、高齢者には難易度が高いと思って生年月日にしたんだろう。秘密の質問みたいなもの。あなたの母親の旧姓が本当に正しいかどうかにシステム側は興味がないのと同じくらい、この生年月日が正しいかどうかに大規模接種予約システムは興味がない。
いまだに具体例が出てこないので、多分ガセ
異なる市町村番号+同じ接種券番号+異なる生年月日でログインできないことで接種券番号だけがユニークと主張しているけど、ログインできない理由はそれだけじゃない。たとえば2-123,5678がすでに登録されていることをこの人は知らない状況で、この人は1-123,1234でログインできるけど、2-123,7890はログインできない。システムとしておかしくない。
よくあるコメントに返信。
法律は素人のシステム屋なので、この指摘は正しいのかもしれない。一方で「個人情報とは個人を一意に識別できる情報のことを指すもの」というコメントもある。私には判断できないけど、仮に個人情報ではないとすると、
かなり難しい。上の骨子により防衛省が個人情報を一元的に管理することができないので、最高裁判決とは条件が異なることを主張しないといけない。たとえば「接種券番号は個人情報ではない」とか「都市圏だけなので一元ではない」とか。それに国民や野党が納得するかどうか。これがひろみちゅの言う「政治的に(『接種券番号と生年月日は個人情報ではないので一元管理します』とは)言えないというのはあり得るが、乗り越えなければならない」課題。
が正しいのかもしれない。住基ネット最高裁判決によって政府向けシステムに認証機能をつけることは想像以上に難しいという趣旨は変わらないけど、悪いのは菅じゃなくて「個人情報ではない」で突っ張れなかった防衛省なのかもね。いずれにせよ「認証すらまともに作れない技術力」から「接種券番号は個人情報なのか」に議論が高まってくれれば書いた甲斐があった。
VRSってのは各自治体の接種会場で使われているバーコードがなくてOCRが必要なことで有名なシステム。OCRは置いておいて、VRSは一元管理していない。 https://cio.go.jp/sites/default/files/uploads/documents/vrs_overview_210506.pdf の6ページ目に書いてある。
>市区町村ごとに区切られて保存されており、個人の記録は、接種券を発行した市区町村が確認できます
国民の接種率が重要指標なんだからDBは1個にしたほうが便利なのに、「あえて」区切って保存している。また、個人の記録は各市区町村しか確認できい、つまり串刺しで全国民の個人記録を見られる人はいないと書いてある。そんなわけでVRSは「政府は一元管理していません」に気を使っていることが分かる事例。
都会人はムカつくけど俺自身が都会に出たいわけではないんだよな
大学で三大都市圏に出たけど、都市圏のメリットを自分で活用したことはあんまりなかった
中心街に出かけたところで、別にやりたいことも買いたいものもない デカいモールに入ってみてもずっと心が凪いでいる状態
植物園が好きで、都会の方が植物園の数は多いんだけど、そもそも休日にひとりで出かける元気がないのでほとんど行かなかった 結局3回くらいしか行ってない
彼女とのデートの行き先が多いのはよかったけども、たぶん地元にいたらいたで車でいろいろ出かけてたろうし、同じところに何回か行くのもそれはそれで悪くなさそう つか家デートがなんやかんやで一番いい気もするし、となると安い家賃ででかい部屋を借りられる田舎の方がよさそう
ライブとかイベントの類にはそもそも興味がない コンテンツにあんまハマらないし、ハマったとしてもそういうイベントでテンション上げるタチでもない なんか気恥ずかしくなってしまう
好きなバンドはいるけど、日本で全然知られてないっぽい南米のバンドなので、ライブに行くには国外旅行の必要が出てくる
外食はあんまり好きじゃなくて、ひとりで外食することはほとんどない 彼女となにか食いに行くのは好きだけど、ひとりとなるとめんどくささの方が勝つ チェーン店くらいしか行く気にならない
自炊は好きで、その買い出しの場となるスーパーマーケットも好きだ スーパーマーケットがたくさんあって、いろいろヘンなものも手に入りやすいっていうのは都会のメリットかな
でもまあ、ホントにそのくらいだな
「スーパーがいっぱいある」くらいのことにしか都会の良さを感じたことない 実は
大学生活に自由を感じたのは純粋に一人暮らしだったからだろう 多分地元でも一人暮らしなら自由だった
たしかに交通網は発達してるんだけど、ガチで外出んしな ホンマに出ん 夏休みとか40日間家とスーパーの往復生活だったし
なので実は都会人は別に羨ましくはないんだよな 自分で都会に住みたいとも思わない まあムカデとかゲジゲジが出ることがあるのは田舎のツライ点だが……
でもそれはそれとして都会、つうか東京人は憎い
俺はもう引きこもりマインドセットになってるのでそんなに不便を感じず暮らしていけるんだけども、俺が東京に生まれていたらもうちょい違う性格だったんじゃないか?という疑念は拭えない
そもそも小学校のとき同学年のやつ10人もいなかったし、その数少ないクラスメイトはほぼ全員ヤンキーみたいな感じだった ほぼ全員万引きとかやってた
東京のでけえ小学校に通ってたら、俺は幼少期にしっかり友達を作れてコミュ障にはならなかったんじゃないかと思う 幼馴染みたいな概念が成立してたんじゃないかと思う 俺は昔からの馴染みの友達と久しぶりに会って飲みに行くみたいなことがやりたいのかもしれないが、現実の昔の馴染みは全員超怖い 普通にカツアゲとかされそう
自分が外に出なくなったのは学習性無力感ってやつなんじゃないかという思いもある
外出たって山しかない環境で18年くらい暮らしたらそりゃ外に出てもしゃあないわという気持ちにもなる 比喩とかじゃなくてホントに家から出て2キロくらいは歩かないとコンビニすらなかったからな…… まあ2キロ歩けばコンビニがあったというのはまだしも恵まれてたんだろうけど!
学校帰りに友達とどっかに寄れるような環境が欲しかった 俺、中学までお小遣いゼロだったけど別に困らなかったんだよな 金を使える場所がそもそもないから
今となってはもう仕方ないし、俺はこういう人間だと思うしかないんだろうけど、シティボーイの俺はどんな奴になってたのかなと思うとやっぱりフツフツと憎しみが湧いてくる
俺は山で育ったけど旧帝大に行けたわけで、東京で育ってたら東大に行けてたりしたんじゃないのか
勉強なんて嫌だ!最悪!みたいなこと言ってる奴らに囲まれて暮らしたせいで学習意欲が削られたという側面もありそう エリート校とは言わずとも、普通に勉強好きな奴もいるようなところで幼少期を過ごしてればもう少し頑張れる人間になってたかもしれない
まあ全部「かもしれない」だし、不毛ではあるんだけども
https://toyokeizai.net/articles/-/208345?page=2
高齢化の進む先進国はどこでもそうじゃないか、と思われるかもしれませんが、そもそも健康保険というものが何のために存在するか(=国民による相互扶助)を考えると、税金をこれだけ投入しないと成り立たないというのはどこかオカシイと考える人が出てきても不思議ではありませんし、
実際高齢者への年金や医療提供を多少減らしてでも、大学や若者世代に公的資金を投入すべきという考え方はありうると思います。
(https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/20180526/1527308271)
また、例外的にアメリカでは医療への公的資金投入は非常に少ないです。オバマケアはそこをなんとかしようという政策と自分は理解していましたが。。。。
前提として、医療機関は患者が自分のところで対処できなくなると、より高次の医療機関へ搬送するという仕組みになっています。
この、「高次の医療機関」とは、専門医や設備がそろっていて、的確で集中的な治療ができる大病院、日本の場合、多くは公立の病院になります。
そして、公立病院は規模が大きく提供できる医療も高度ですが、絶対数が少ないのです。
つまり、新型コロナウィルス感染で重症になってしまうと、そもそもあてにできる病院は限られている、というのが正しい理解でしょう。
そして、その限られた「高度な医療機関」は、当然他の重病者(今すぐ治療しないと命にかかわる患者)も使いたいのです。
この部分の病院がヤバい、というのが、現状の都市圏における医療崩壊に対する正確な認識なのではと思います。
軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院のコロナ診療が崩壊している首都圏で重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。
元増田のこの記述は正確に現状をとらえているのではと思います。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72890
もともと厚生労働省(&財務省)は、1.に記した通り赤字の医療体制を、なんとか変えたいと思っています。
これが「地域医療構想」と呼ばれる改革プランで、小さい病院をつぶして集約したり、慢性期の病床を減らしましょう、というものです。
ただ、このターゲットになっているのは公立病院です。(民間病院には、国や都道府県は指示できない)
上記した通り公立病院こそがコロナ治療の要になっている現状に対して逆行しています。
厚生労働省(&財務省)は、今後、公立病院を中心とした病床削減の政策は見直さざるを得ないでしょう。
この記事では保健所の弱体化にも触れており、まさに日本のやってきた医療政策が今回のコロナ禍で完全に裏目に出ていることが示されています。
この記事では、どのような属性の病院で削減されているのかまでは記述はありませんが、上記したような「高度な医療を提供できる公立病院」の病床が削減されていることは想像に難くないでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/83dcfd661ebcd0b9b4fdbaa73401c41c9d818808
民間病院に対する指揮命令を、国や都道府県から行うことはできません。というか、できるという根拠となる法律がない、というのが正しい理解でしょうか。
(緊急事態宣言があれば、指揮命令ができる、という特措法の解釈もありえますし、実際小池知事をはじめとした各知事の行動はそれも目的の一つだったのでは?と思います。
しかし、夏場に感染者が少ない段階でそのあたりを準備していなかったのは知事側も国側も同じで、Gotoなんぞにうつつを抜かしていた、という誹りは避けられないのではとおもいます)
また、医師法にて、1・2類感染症(今回のコロナウィルス感染症)は、受け入れを拒否できるとされています。
当然、コロナ患者を受け入れれば経営が悪化するし、スタッフが院内感染するかもしれませんし、受け入れたくないというのが多くの病院経営者の本音でしょうね。
そんなのひどすぎる! とおっしゃる方、永寿総合病院で院内感染が発生したとき、何をしている!と思いませんでしたか? コロナ患者を受け入れた病院の看護士のボーナスが0になったのを見て、あんまりだ!と思いませんでしたか?
当然、病院経営側もそんな事態を避けたいと思っています。だから、受け入れない。合理的判断だと思います。
もちろん、善意からとか、医療者としての義務感から、受け入れを行っている病院も多いでしょう。
ただし、それらの病院では効果的・効率的な治療はできません。なぜなら、2.に書いた通り、各病院でそのような患者を診ることができる医師の絶対数が少なく、設備も限られているからです。よって、最終的には高度医療機関へ搬送せざるを得ません。
軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院のコロナ診療が崩壊している首都圏で重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。
医療崩壊しそうだから医療提供体制をいまからどうこうするなんて(日本政府には)無理無理の無理なので、みなさん行動変容をよろしくお願いします。
じゃないと本当にアメリカみたいになるよ。
藤井風って岡山のどこ出身なんだろうと思ったら、都市圏じゃなくてそこそこ中途半端な田舎のあたりなのね。ベッドタウンといえばベッドタウンだけどかなりのどかな感じで、電車が1時間3, 4本。山陽本線沿線だから良いほうだけど。
地方の公立高校の音楽科ってお世辞にも風向きよくないと思うけど、こういう人もまれに出てきてくれることだし無くなってしまったら悲しいよなあ。
だいたいそういう人って普通科通ってても頭角現すし、公立の芸術系高校の授業がどのくらいあてになるのか、みたいな話も聞いてるけど、それでもさ。
そういう学校の存在自体が土地に及ぼしてる影響みたいなものって、絶対あると思うんだけど。どうやったら可視化できるんだろうな。
最初にイギリスが封じ込めにしくじって「全員感染すれば免疫が出来て解決」って言い出して西側はそうなった訳だけど
感染率がどんどん上がってる地域でも群免疫に達したところなんか無くて、再感染だか再燃だか知らんけどただただ死者が増えてね? やっぱり中共がやったように少なくとも都市圏単位でのロックダウンで経済全面停止する以外に解決策無い気がする
ぼんやりと「風邪ウィルスが凶悪化して中国人の間で増殖してるってことは、リーマンショック級の経済崩壊は確実だし、或いは世界大戦クラスの大惨事だなぁ」と思ってたけど、日本ローカルな話をすれば自民党が吹っ飛ぶくらいの津波のような大被害がこれからゆっくり来るんじゃねーかなって気がしてきたわ
今日クレーム対応をしていたことを思い出し、あとコロナ直前の出来事もあってぐるぐる考えてたら行き着いたことについて。
日本人のマナーや心構えは「恥」に立脚した文化のように思える。
美しく手順に従った所作などは外向きと言うよりも内向き、自らを律する(いわゆる「道」の類に多い)決め事がほとんどである。つまりは掟破りが「自分にとって恥ずかしいこと」ということだ。
まあ、そういう習性のクラスタがいる。一方で自ら恥をかくという感覚が搭載されておらず「恥はかかされるもの」という習性のクラスタがいる。日本のとくに都市圏ではこの2つのクラスタが住処を分けられずに混ざってしまう。そのうち「かかされる」クラスタがかなり厄介である。
上に述べたクレームもそうだが、かかされるクラスタの行動動機で考えうるうちの2つの例がある。「相手に恥をかかせれば自分に利益がある」と「恥をかかされた仕返しで相手により恥をかかせる」というものだ。
近頃では「クレームはよくよく聞けば『特別に便宜をはかれ』という主張に収束する」という考えがインターネットを通して共有されているが、そのよくよく聞かされている部分は「いかにあなたが恥ずかしい行動をしていたか」を手を変え品を変え説得、もとい洗脳しようとしているに過ぎない。商売としてどうなんだ、人間としておかしくないかなどという言葉は結局「恥ずかしいだろ?」ということを糖衣コーティングしただけだ。対外的には反省を促す言葉に見えて、ただ誠意をもとめている(その「誠意」の意味も歪んで認識している)。
しかしどうして、わざわざ恥をかかせにくるか。まあ、単にかかされるクラスタは喧嘩の文化圏に生息しているから、といえばそうなのだが、もうひとつある。
「恥をかいたことを反省するらしい」というのは学習できたらしい。
相手は恥をかいたとすれば改めて自分を律し自らを罰する、その隙につけ込めるという「得」は覚えられてしまったのだ。
流石に21世期に入って新世代は「恥ベース」と「規律ベース」を分けて考えるものだが、ひと昔前の、それこそ団塊ジュニアくらいまではまだ恥と規律が混ざり合っていた。だからそこに気づいた(気づいてなくてもうっかり使いこなせた)人や利用することを考えた国にああだこうだ言われてきたんだろう。
いまは過渡期だ。確かに恥をかかされて怒ること、かかされたから便宜をはかれ!というのは通じるかもしれない。あと、誠意を見せないならと行政に介入を求めたり、地域住民に知らせて回るのも構わない。なんなら追い出しだって通じる。おそらくは現代が失ったえた・ひにんの矛先がたまたまそこに向いているだけ、という言われ方もするかもね。
27歳⇒Good。30歳未満なら大丈夫だ。
専門卒⇒人によってはマイナスだが、大事なのは現職と収入だ。自信を持て。
中の下顔⇒服装と肌ケア、髪型、眉毛ケアでカバーできるから自信持て。街行くカップル見てみろ。グロメンなら知らん。
年収400万弱くらい⇒20代後半でその年収、良い方なので自身持って!しかも九州住みなら尚の事。
プログラマー⇒将来性抜群
博多在住⇒東京圏>大阪圏>名古屋>福岡>その他地方。これが日本の都市圏の現実で、ぶっちゃけ4大都市以外は終わってる。そう考えると十分戦える範囲だ大丈夫。
モバイルPASMOの件で「人口が偏ってるからSuicaとPASMOだけで日本全国の交通系ICカードシェアの8割以上占めてるのは仕方ない」みたいな反応があったけどその認識は完全に間違いだよ
全国の都道府県別人口(平成29年度) https://www.stat.go.jp/naruhodo/c1data/02_01_stt.html
SuicaおよびPASMOのICカード発行して利用する都道府県を大雑把に「東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県」の1都6県として
首都圏の人口比率は日本の全人口に対して、約34%の人達がSuicaおよびPASMOの利用圏内に住んでいるわけだ。
これが何を示すかというと「交通系ICカードがどれだけ便利だろうが、交通系ICカードを利用するメリットが大きいのは首都圏とその他のごく一部の都市圏だけ」という事。
Suicaが便利な都市部に住んでたら分からないのは仕方ないけど、日常的に電車使うからSuicaに金をチャージすれば利便性が上がるんであって
日常で大して利用しないSuicaに金をチャージするメリットが薄いんだよね。
そもそも首都圏ですらSuica非対応の店がスーパーなんかを中心にまだかなりあるわけで、
それが地方となればSuica導入がどれだけ商売人にとって壁が高いかなんて少し考えりゃすぐにわかるはず。
ただまぁ、COVID-19みたいな感染力の高いウィルスの蔓延が交通系ICカード普及途中で発生してたらと思うと怖いね。
今更SuicaやPASMOが廃止なんてならないだろうけど、5年前とかだったら結構大きな普及阻害要因になってた可能性はある。
そしてこれから先、地方の交通系ICカードはもしかしたら運用コストに見合う利用率を維持できないかもわからんね。
元々車がメインの交通手段だった地域は見ず知らずの他人と空間を共有する公共交通機関より車を選ぶ傾向が高まるだろう。
人口も利用者も減っていく田舎で首都圏の要求仕様で作られた交通系ICカードの運用がどこまで維持できるのか、維持できなくなったらどうなるのか?
興味深いね。
この前ツイッターで
「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と
つぶやいていた御仁がいた
言いたいことはわからんでもない。
でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。
全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチで勉強して進学する訳でもない。
それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。
勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶・駅弁March(最近はSmartなんだっけ?)・日東駒専~なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識が存在する。
そりゃ、義務教育・高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である。
でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性が強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。
紙切れ一枚に夢託す
実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単に判別できるものではない。
そんなの、みんなわかりきっている。
わかりきってるし、学歴信仰・偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。
でも、実際の所はどうだろう?有名企業の就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。
場合によっては、就職後の研修まで大学のランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である。
学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。
人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。
これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。
(優秀で高学歴な増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)
そして学歴がコンプレックスを非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである。
増田のような過ごした田舎の公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。
就職やその後、たかがテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。
もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。
働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。
が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。
特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。
結婚や育児、職場で責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。
なんだかんだで家庭環境や出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである。
文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したことは記憶に新しいだろう。
だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校や進学校の多い都市圏で暮らすか否か
都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。
その試験を突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。
そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格を目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。
無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイックに学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。
だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である。
そして、何よりデリケートな問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。
「ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、
境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。
IQと学力の相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように
勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。
増田はスポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。
スポーツが苦手なのは、子供の頃からのコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。
勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に
そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である。
加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難な話題である。
電車・バスは1時間に1本は当たり前。タピオカって何?みたいな田舎の大学に通ってます。
今年は就職活動の学年で僕は地元に戻ろうと考えていました。田舎から都会への就職は難しい。だからこそ何年も前から計画を立てて少しずつ就活を行なってました。
そんな時に突如やってきたコロナ。
毎日流れるコロナのニュース。東京は感染者200人超え。都会は怖い。都会に行くのはやめよう。
先日、僕の住んでる田舎でもコロナ患者が出ました。年代、性別、住所(市町村)が公開され行動履歴も公開。濃厚接触者を募っていました。
するとたちまち、田舎中に患者の個人情報が広まりました。名前、職業、県外への移動歴、現在の入院先、患者の家族構成…。
「都会に行くからだ」「こんな時に移動するなんてバカの極みだ」「高齢者の多い田舎にコロナを持ち込むなんてテロだ」など、もっと酷い言葉が患者に投げかけられました。
他人事じゃありませんでした。
もし僕がコロナになったらどうしよう。
コロナ患者と濃厚接触者になっただけでも晒されてしまうのではないか。
そう思うと胃がキリキリしました。
アルバイト先では、みんな目の色変えて「まさか…〇〇(僕の地元)に帰省してないよね?」「この時期に〇〇に行くなんてバカだ」など言ってきます。
僕は田舎に住んでもう数年も経つのに、地元が都会ってだけで都会差別が当然のようにあります。僕はコロナ感染拡大して以来一度も地元に戻ってません。それでも、地元が都会ってだけで白い目で一度見てくるんです。
その度に「戻ってないですよ。僕はずっとこっちに住んでますから」と毎度弁明するのも疲れました。
コロナはどこにでも潜んでいるという恐怖の中毎日の実習は辛いです。
感染した学生に対する「医学生としての自覚が足りない」「感染制御を率先して行うべき医学生が拡散した、謝罪しろ」など数多くの非難。
他の大学生の感染者は学部まで公表されないのに医学部だけ名指しされます。
病院の先生は僕に対して「就活だからといって東京にこの時期行くのはやめてほしい」「学生がコロナを持ち込んだらたまったもんじゃない」と言ってきます。
僕だってこんな感染リスクもあって世間からバッシングされるようなリスクを背負って臨床実習するのは辛いです。そして何より医療者である先生たちからそのような発言をされたのが悲しかったです。
僕は地元に戻るっていう長年の計画を諦めるべきなのでしょうか。都落ちした出来の悪い医学生は大人しく地域医療に貢献しとけって事でしょうか。
田舎でも差別され、都会に逃げたくてもコロナで行けず。じゃあ一体僕はどこに行けばいいのでしょうか。
もうちょっとの辛抱だから、必ずなんとかなるって色んな人に言われました。
もうちょっとってどれくらいですか?
僕はもう限界です。
ちょくちょくツイッターやらなんやらのインターネット空間の場で、日本の学校教育(特に公立小中学校)が個性を認めない!学力が正当に評価されない!みたいな話が流れてくる。
まあ実際、そういう個性認めないというか認められにくいというのは場所によってはけっこうあるだろうし全体的には事実なんだろう。
ここで同時に話としてついてくるのは、「日本の教育は底辺(あえてこういう表現をする)に合わせてるせいだ」とか「頭のいい子をそいつらと別に頭のいい子の都合のいいように指導しろ」とか「底辺は底辺だけ集めて指導して学力がある子は学力はある子だけで指導すればよい!」みたいなのとかである。大体は「個性を伸ばす指導をしろ!」みたいな感じでまとめられている。
自分にとってはこれがクソほど不快で大っ嫌いだ。吐き気がする。何が個性を伸ばせだ。気持ち悪い。
他にも、趣旨はさっきのやつと違うが、「暗記をするような教え方が悪い!」みたいな話もついてくる。これもクソほど大っ嫌いな話だ。
まあ、これらの言ってることは確かに理屈は通ってるし正しいかもしれんが、自分はこれらがクソほどに不快で気持ち悪い話ということは終始述べておきたい。
底辺の妬みって言われたらそれまでだが。
まず第一に、この手の話を言ってる奴らなんて勉強できない底辺の実態なんて一切知らないってこと。
基本的にインターネット空間でこの手の話をしているのって高校がいいとこ(ここでは偏差値55以上の高校)で大学も国公立!みたいな志望を持ってる/持ってたような奴らである。(もちろん、例外もある。だけど、この手の話をしている奴らって基本的にそういう「奴ら」なのだ。大学にいた/いることが前提のような「奴ら」なのである)
そういう奴らは基本的につまずくことはあれど、なんとかできる奴であって、底辺みたいに「なんとかならない」奴とは似ても似つかぬものであること、そして、インターネット空間でそういうことを言えるほどの知識、教養がある。
現実でも、インターネットでも、そのなんとかなる空間で集まっている人間が個性を伸ばす教育しろって言ってるのが実に滑稽で腹立つ。
こんな文章を読んでる奴は九九ができない大学生とか聞いたことあるかと思うが、この話のように本当に底辺は「なんとかならない」というのをわかっていない。
そして、これが大事な話だが、たとえ天才秀才でもこの底辺に「なりえる」こと。
これはつまり、今まで天才秀才でいた子が底辺になったとき、その子を見捨てることと同義なのだ。だって、そいつの周りには残った天才秀才しかいないし、底辺は実質そいつだけなのだから。
こんな馬鹿話、「ありえない」と思うだろう。実際、自分もそうだろうと「思っていた」。だって、自分が「そうなった」のだから。
自分語りになるが、自分は地方の高校の名門進学校に通っていた。成績は悪いか良いかと言われたら悪いと思っているけど、それでもテストで高得点をとることはあったし、とある科目でクラス一位をとることもあった(別にイキっているわけでもなんでもない)。
そこまではよかったのだが、高二の冬ごろから精神疾患を患い、授業にもでれず、勉強もできない底辺に成り下がった。本当の本当に勉強ができないのである、読んでも書いても聞いても理解できない、本当に地獄だった。あいにく、自分は教諭のサポート(注意しておきたいが、このサポートは「卒業」に関してのサポートである、決して授業理解のサポートではない)があって卒業はできたのだが、それがなかったら、高校を退学していただろうし、誇張表現抜きで最悪この世にはいないだろう。このように、底辺へのサポートがなければ、今の自分は存在しない。
「それはお前の話だし、そもそも、その底辺でもサポートできるような進学校行けていいじゃないか、何が悪いんだ」や「名門進学校行っている時点で底辺とは言わないぞ」みたいな反論があると思う。
自分が言いたいのは、「底辺を知らない」のことの問題であって、自分個人の問題ではない。確かに自分は名門進学校に通っていてサポートを受けたが、そこで、実際に勉強が一切できないという「なんとかならない」状態になったのである。底辺は「卒業」はできるが「勉強はできない」「理解はできない」。これが、底辺が「なんとかならない」ということである。それを理解してほしい。九九ができない大学生が典型的な「それ」である。
これを知らないで底辺を別に指導できるかって言われたら無理だろう。自分でもどうすればいい?と思う。経験していてもわからないのである。
そして、底辺に落ちた場合、拾ってくれるような人がいたらいいが、拾ってくれないとどうするんだ?底辺が一人増えたところで変わらんとか言われそうだが、いきなり一人増えると増えないとでは大きな差がある。「勉強はできない」「理解はできない」を治せばいいのかもしれんが、なんで「勉強はできない」「理解はできない」のか、理解したことあるのか?理由は精神疾患だけとは限らないのに。
まあ、こんな自分語りと藁人形論法はこれまでにして、次の話に移るか。
次の話は、田舎(ここでは、周りには田んぼしかなく、交通網もバスが少ししかないような地域のことを指す)に住んでる天才秀才をどのように底辺と分離するかだ。
ここで注意しておきたいのは、自分は田舎を侮辱する気は一切ない。両親、親戚が田舎出身なのもあり、侮辱するようなことは自分としては許せないし看過できない。ここで述べられている事項は田舎で本当にあることなのである。
まず、ご存知の通り田舎では人が少ない。そのため、子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい。
で、基本的にそのような学校は「公立」である。都市圏に存在するような「中高一貫」という概念なんて存在しない。正直言って地方でもその概念が存在しない場合もある。
そして、田舎で一番の問題となるのが、周りに「進学校」というものも存在しないのである。
周りに「進学校」がないと、どうなるかわかるだろう。長い道を使って遠方の「進学校」に行く必要があるか近くで下宿する必要がある。
先ほどあった自分語りのように、自分は高校の名門進学校に通っていた。そこでも、田舎から片道一時間かけて通っている人はいた。
けれども、その人の通ってた小中学校はどのくらい「進学校」にいったのか?
もしかしたら、その小中学校は頭いい人が多く「進学校」に行っている人も多いかもしれない。
けれども、田舎は「子どもも少なく学校も本当に少ないし小さい」。
もし、そこで底辺と天才秀才を分けて指導しようとする、するとどうなると思う?
田舎の学校という人が少ない場所で、底辺と天才秀才を分けれるような人数いると思うか?
それに、もし天才秀才がいたとして、そいつを指導するための知識提供者が周りにいないだろう。たとえインターネットや本で情報を得ようとしても、地方や都市圏と比べて情報の取得量は格段に少ない。
底辺と分離しようとしたら、答えとしてたどり着くのは、田舎から「出ること」である。
田舎から「出ること」、それはつまり、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」ということの意味そのものを指している。
そして、田舎には天才秀才というものは消えていく。人も消えていく。残るのはなんだろうか。廃墟か?
結局のところ、これの最終的に行き着く先は階層の再生産なんだろう。
底辺が残ることで底辺が同じ場所で一生を過ごし、そしてそこで新たな底辺を生み出す。逆に天才秀才は場所を移動して、その場所で新たな天才秀才を産み出す。同じ人間で同じ人権を持っているはずなのにこんな差が生まれる。
かなり暴力的な表現だが、親の文化資本と学力や成功の関係を見ると必然的にそう考えざるを得ない。
個性を伸ばす指導を行うためには田舎を捨てる必要がある。だって、田舎では底辺と天才秀才の「分離ができない」だもん。
自分は地方でも周りに進学校があるような割といいところに住んでたし、言うのもあれなんだが、中流階級(安定した場所に住んでたことと割と安定した収入を持った父親がいたのでそういう分類にした)であったので、本当はこのような田舎問題を語る資格はないかもしれない。
けれども、「個性を伸ばせ!」と言っている奴らは田舎問題のことは無視してスマートフォンやパソコンの画面を光回線が繋がった家や整備されたアスファルトの上または電車の中で見ながらこういうことを言っているのである。腹立たしい。
最後に、「暗記をするような教え方が悪い!」の言及だけして終わりにするか。
これね、一個目で言ったように底辺は「勉強ができない」「理解ができない」。たとえ、方法やその原理を教えたとしてもそれらができないせいでまともにその方法を使えない、いわば、馬の耳に念仏、猫に小判のような状態になっているんですよ。
だから、その底辺に有効な手段としては暗記が一番で、暗記がなければ底辺はまともに覚えることすらもままならない。
もちろん、一個ずつ丁寧に教えれば理解するかもしれんが、それにいくら時間かける必要がある?誰がやるの?そして底辺全員にできるの?これらの問題を全て解決できますかと言われたら無理でしょう。