今日クレーム対応をしていたことを思い出し、あとコロナ直前の出来事もあってぐるぐる考えてたら行き着いたことについて。
日本人のマナーや心構えは「恥」に立脚した文化のように思える。
美しく手順に従った所作などは外向きと言うよりも内向き、自らを律する(いわゆる「道」の類に多い)決め事がほとんどである。つまりは掟破りが「自分にとって恥ずかしいこと」ということだ。
まあ、そういう習性のクラスタがいる。一方で自ら恥をかくという感覚が搭載されておらず「恥はかかされるもの」という習性のクラスタがいる。日本のとくに都市圏ではこの2つのクラスタが住処を分けられずに混ざってしまう。そのうち「かかされる」クラスタがかなり厄介である。
上に述べたクレームもそうだが、かかされるクラスタの行動動機で考えうるうちの2つの例がある。「相手に恥をかかせれば自分に利益がある」と「恥をかかされた仕返しで相手により恥をかかせる」というものだ。
近頃では「クレームはよくよく聞けば『特別に便宜をはかれ』という主張に収束する」という考えがインターネットを通して共有されているが、そのよくよく聞かされている部分は「いかにあなたが恥ずかしい行動をしていたか」を手を変え品を変え説得、もとい洗脳しようとしているに過ぎない。商売としてどうなんだ、人間としておかしくないかなどという言葉は結局「恥ずかしいだろ?」ということを糖衣コーティングしただけだ。対外的には反省を促す言葉に見えて、ただ誠意をもとめている(その「誠意」の意味も歪んで認識している)。
しかしどうして、わざわざ恥をかかせにくるか。まあ、単にかかされるクラスタは喧嘩の文化圏に生息しているから、といえばそうなのだが、もうひとつある。
「恥をかいたことを反省するらしい」というのは学習できたらしい。
相手は恥をかいたとすれば改めて自分を律し自らを罰する、その隙につけ込めるという「得」は覚えられてしまったのだ。
流石に21世期に入って新世代は「恥ベース」と「規律ベース」を分けて考えるものだが、ひと昔前の、それこそ団塊ジュニアくらいまではまだ恥と規律が混ざり合っていた。だからそこに気づいた(気づいてなくてもうっかり使いこなせた)人や利用することを考えた国にああだこうだ言われてきたんだろう。
いまは過渡期だ。確かに恥をかかされて怒ること、かかされたから便宜をはかれ!というのは通じるかもしれない。あと、誠意を見せないならと行政に介入を求めたり、地域住民に知らせて回るのも構わない。なんなら追い出しだって通じる。おそらくは現代が失ったえた・ひにんの矛先がたまたまそこに向いているだけ、という言われ方もするかもね。
言われてみると、よくあるみっともないオッサンをビシーッと論破してやって周囲は拍手喝采みたいな創作体験談って 「かかされる」クラスタの思想・文化なんだなって
正論論破は一瞬決まりに従ってるように見えてるけど、よく考えたら正論はルール運用で使うものだった。論破は正論使おうが恥ずかしさの話になるわ。腑に落ちた。ありがとう
日本のサービスが内容の割に対価が安いのは 日本人が善人でおもてなし精神あふれる国民だから ではなく単に衰退して後進国になってあらゆる物価が低下しているから
今日なろうトレンドと音圧競争の話 anond:20201118173734 が出てきて、昨日書いたの anond:20201118001244 思い出してほえ〜となったので書く というかその作法研究所が評判悪いのが見に行かなく...