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というのも、増田は
理論経済学的には、最低賃金を設定することで、死荷重(最低賃金以下での雇用機会の損失による非効率)が発生し、労働市場の効率が悪くなり、社会全体の効用が下がる、という予測が導き出される
と書いているけれどもこれは正しくなく、経済学の理論の上ではまさにあまりに低い最低賃金(あるいは最低賃金がない)でもあまりに高い最低賃金でも、どちらも社会厚生を悪化させるという予測が導き出され、これが実際上にも問題になってくるから。どうして理論の上であまりに低い最低賃金が問題になってくるかといえば、雇用者と労働者では交渉力に違いがあるため、労働市場は完全競争市場ではないので価格規制的な最低賃金が雇用を増やすケースがあるためだ。興味のある人は「最低賃金 買手独占」で検索してみると色々と解説が見つかるだろう。
では、最低賃金は低すぎても高すぎてもだめな、いわゆる程度問題という時に、たとえば現在の日本で全国一律1500円というのはどのような具合と想定できるかであるが、これは高すぎ(つまり社会厚生を悪化させる)な可能性が高い。
そう考えられる理由は3点。一つは、平均的な人にとっては別に高すぎる最低賃金ではなくても、これまで就労による技能獲得の機会に恵まれなかった人たちなど特定の層にとっては高すぎる最低賃金となり得て、その人たちに皺寄せが行ってしまう可能性があること。もともと恵まれない層に苦痛が集中することは社会厚生を著しく悪化させることである。これは可能性だけではなく、これまでレベルの最低賃金引き上げでも実際に観察されており、ここからさらに1500円まで引き上げればさらに悪化すると予測される。
二つ目は、各都道府県別に時給の分布を見ていくと、1500円というのは時給の中央値を超えてくることもあるくらい非常に大きな数字であるということ。最低賃金が雇用を大きくは傷めない、高すぎない数字は時給分布の中央値の約6割くらいだとされているので、これはやはり雇用に悪影響を与えて社会厚生を悪化させる可能性が高いであろう。
三つ目は、1500円というのは海外で出されている数字を持ってきている面が強いものだけども、日本と海外では労働生産性に大きな隔たりがあるのに同じ数字を求めれば、当然日本にとっては高すぎになってしまう可能性が高いこと。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO72122240R20C21A5KE8000/
ここで日本の時間当たり労働生産性(就業1時間当たり付加価値)は米国の約6割の水準である。
https://www.jpc-net.jp/research/detail/005009.html
最低賃金に関係してくる層の賃金分布の形状にも日米で違いがあるとはいえ、大まかに言って米国での最低賃金15ドルは日本でいえば全国一律950円程度のものである。1500円はあまりにアグレッシブ過ぎる数字であり、社会厚生を悪化させる可能性が高いであろう。
以上、最低賃金というのは程度問題なので、上げるのがいい下げるのがいいという議論には具体的な数字がないと意味に乏しくなること、そしてたとえば1500円というものを考えると社会厚生を悪化させる可能性が高い、という話でした。たかが1500円でもこうなるのだから、最低賃金に頼らない貧困対策が必要ということですね。
同じく会社経営だけど、元増田とはだいぶ意見が違うので簡単に書いてみる。
①最低賃金をめぐる経済学的な議論には、色々な立場がある。理論経済学的には、最低賃金を設定することで、死荷重(最低賃金以下での雇用機会の損失による非効率)が発生し、労働市場の効率が悪くなり、社会全体の効用が下がる、という予測が導き出されるけど、統計上はこの死荷重による負のインパクトははっきり観測されていない。最低賃金の存在が労働市場を歪めているという実証的な研究結果はない。
②最低賃金という制度の重要なポイントは「地域内では一律に設定される」という平等性にある。つまり、輸出中心の産業(海外の労働力コストと直接競争する産業)を除いたドメスティックな業種では、自社もその競合業種も、労働力の調達コストにおいてみんな同条件の上方シフトを被る。これは、各企業がこれまでと同じ収益性と雇用を維持し、同じ水準のサービスを提供しようとした場合、そのコスト上昇をすべて販売価格に転嫁しても競争力を失う可能性は低い、ということでもある。労働コストの上昇分を販売価格に転嫁しない企業があるとすれば、「企業の収益性を下げてでもシェアを取る」という選択をしたからで、これは人件費に限らず部材調達やその他諸経費の値上げなど、原材料費や外部経費のすべてに妥当する話だ。最低賃金に固有の問題ではないし、いずれは市場の機能によって均衡する。
→これは短期的には正しい。人員1人あたりに期待される労働生産性が上がり、その水準に満たない人は雇用できなくなる。一方で、長期的には正しくない。最低賃金が上昇すると、社会全体での労働財の単位価値が上がり、それによって「時給1500円の仕事」の水準が相対的に下がるからだ。
→労基法を遵守している企業なら、上のやつは不利益変更だからそもそもできない。普通の正規雇用社員の給与体系では、生産性の高い(職位が上、業績が良い)人材の給与が下がって、生産性の低い人材の給与が上がるような人件費の調整はできない。
元増田は、最低賃金アップを「生産性の高い/低い労働者間のバランスを変える問題」としてとらえているようだけど、認識がズレていると思う。ぶっちゃけ、単位労働の価格が上がることによって労働者間のバランスはほとんど変わらない。労働コストが上昇したときに企業が取り組むのは「労働集約的なタスクを、技術集約/資本集約的なタスクに振り替える」ことだ。労働コストが上がると、いままで人間がやってた仕事の中に、設備投資して機械化したりロボット化したりICT化して人を減らすほうが低コストになる仕事が増える。しかもその仕事は、必ずしもブルーカラー労働というわけではない。リンダ・グラットン『LIFE SHIFT』では、各業界の市場成長や機械化の可能性をもとに予測すると、これからの時代に雇用数が減っていく職種は①機械操作/肉体労働、②製造、③事務/管理部門、④セールス、⑤管理職の5職種で、伸びるのは①介護、②警備、③専門職、④技術職、⑤食品/清掃の5職種とされている。
→上で書いた通り、最低賃金アップは「生産性の高い/低い労働者のあいだの力関係を変える問題」ではない。最低賃金が変えるのは「人的労働と機械化のあいだの力関係」で、その影響はスキルの高低や学歴や職歴には関係なく、その職種の主なタスクの定型性が高い(機械化と相性がよい)かどうかによって決まる。だから、セールスだって管理職だって失業する。
→労働コストが上がると、労働者にはそれ相応の労働生産性を獲得してもらわないといけなくなるので、人材教育の重要性が高まる。社会変化によってスキルの陳腐化が加速しても、やっぱり人材教育の重要性は高まる。だから文科省も産業界もやたらとリカレント教育と言い始めている。そもそも未経験者を職業訓練しなければ、既存社員はどんどん高齢化して離脱していく。いまは経験年数の長いハイスキル人材の流動性もすごく高まっていて(顧問名鑑などの高度人材紹介業がそういった人材を活用している)、そういった人材を今の雇用条件で繋ぎ止めることは難しくなっていく。だから企業経営者として、将来的に職業訓練機会を減らしていくイメージが全く湧かない。逆にどれだけきちんと教育できるかを常に意識している。
→失業保険は一時的な問題だからここでは措いておこう。生活保護については、最低賃金の改定は、生活保護の支給条件である「最低生活費以下の収入」に対して正のインパクトも負のインパクトも及ぼす。たとえば最低賃金を500円にした場合、月20日フルタイムで働くパートタイマーの月収は8万円となり、現在の首都圏の最低生活費(約12万円)を下回る。最低賃金を下げることで、いまコンビニやスーパーや工場などで最低賃金で働いている非正規労働者が、みんな生活保護の潜在的対象になってしまう。逆に最低賃金がアップすることで、この最低生活費以上の収入を得て生活保護を脱することができる人々も出てくるだろう。
最後に陰謀論的な読み解きをしているけど、その前にこういう個別の論点をきっちり検証していったほうがいいよ。それが経営者の仕事。間違った前提で間違った舵取りをして、従業員を不幸な目に遭わせてはいけない。