はてなキーワード: クラブ活動とは
「うちの学校にはLGBTはいない」と先生が言った記事のブコメを読んでヒヤヒヤした話
https://anond.hatelabo.jp/20190501110405
ワークショップでは定番となっているカミングアウトスターズというのがあるのだが、時間があればぜひやってみてほしい。GWだし時間はあるはずだ。
この「カミングアウトスターズ」について、ネットに日本語版が見つからなかったので、勝手に和訳してみた。
読み進めるだけで辛い気持ちになるので、元気のない増田は今日は読むのをやめようか。
作:Jeff Pierce (University of Southern California )
概要:LGBTの方が、カミングアウトをしようとしたときに直面する困難を理解するためのワークショップアクティビティ。参加者は学生を想定。
必要なもの:筆記用具、青色・紫色・赤色・オレンジ色の紙を星(★)形に切り抜いたものを人数分。星の頂点にメモ書きができるサイズの紙の大きさで用意。
手順:4色の星形の色紙から、参加者に1枚を自由に選んでもらう。その後、インストラクターが、下記を読み進める。
手元にあるこの星が、自分の周りの世界であると想像してみましょう。星の中心に自分がいて、星の5つの頂点それぞれが、自分にとって大切な人や、物事を表しています。さぁ、星の真ん中に、自分の名前を書いてください。これが、あなた自身の星になります。そして、頂点の一つを選んでください。あなたととても親しい友人を一人選んでください。あなたにとって大切な友人です。一番の親友でも、そうでなくても結構です。その友人の名前を先ほど選んだ頂点に書きましょう。
次に、あなたはどんなコミュニテイに所属しているでしょうか。近所づきあいのコミュニティかもしれませんし、クラブ活動かもしれません。友達グループでも結構です。あなたが所属するグループの名前を一つ、選んでください。そして、友人の名前を書いた星の頂点から、時計回りで隣に書いてください。
そして、あなたの家族・親類について思いをはせましょう。いつも相談に乗ってくれる家族、悲しいときに元気づけてくる家族はいますか?両親、叔父や叔母、誰でも結構です。あなたの人生に、大きな影響を与えてくれた人を一人選び、星の頂点のさらに隣に書いてください。
あなたが将来なりたい職業について考えてみてください。総理大臣でも、医者でも、何でもかまいません。あなたの目指すキャリアを、星の頂点に続けて書いてください。
5つめ、最後の頂点です。あなたの夢や希望は何ですか?億万長者になることですか?それとも、幸せな家庭を築くことですか?あなたの夢や希望から、いくつかを選んで、星の頂点に書いてください。
皆さん書き終わりましたか。そうしたら、立ち上がって、1つの大きな円を作るように集まってください。
これから、皆さんは一切言葉を発することができません。さぁ、自分がゲイや、レズビアンであると想像してみましょう。今、皆さんは、自分が同性愛者であることを、自分の周りに伝えようとしています。これをカミングアウトと言います。
あなたは、自分が同性愛者であると、親しい友人たちに伝えるのが一番簡単だと考えました。なぜなら、いままでずっとそばにいてくれたのが彼ら、彼女らであって、まず最初に知って欲しいと思ったからです。
・もしあなたの星が青色だったら、友人は、何の問題も無く受け入れてくれます。しばらく前から、あなたが同性愛者ではないかと思っていた、正直に話してくれてありがとうと言ってくれました。友人は、あなたをそのまま受け入れ、今までと全く変わらずに接してくれました。
・もしあなたの星がオレンジ色か、紫色だったら、友人は、すこし困惑してしまいます。彼、彼女は、あなたが長い間ずっと黙っていたことに対して、不満も滲ませます。けれども、あなたは、時間が解決してくれると信じています。そのうちきっと、友人は、あなたがゲイ・レズビアンであることは、あなた自身の一部であることを理解してくれるようになるはずです。なので、友人の名前を書いてある星の頂点を折って、後ろにたたんでください。
・もしあなたの星が赤色だったら、あなたは友人の怒りや反感と向き合うことになります。いままで側にいてくれた友人も、ゲイやレズビアンであることは間違っている、そんな人とは友人ではいられないと言って、離れていってしまいます。赤色の星のあなたは、残念ですが、友人の名前をかいた星の頂点をちぎって、床に捨ててください。
一部の不幸な方を除いて、皆さんの多くは、素晴らしい友人たちに恵まれました。なので、家族の誰かに伝えてもきっと大丈夫だろうと、あなたは考えました。それではまず、自分に一番近しい家族に伝えることにしましょう。
・もしあなたの星が紫色だったら、家族との会話は思い通りには進みません。彼、彼女は、何が起こっているのか分からないかのごとく、たくさんの質問をしてきます。ですが、しばらく議論を重ねたことで、気が楽になったようです。家族の名前を書いてある星の頂点を折って、後ろにたたんでおいてください。時間がたてば、彼、彼女はきっと、ゲイ・レズビアンの人たちを受け入れ、サポートする立場、アリーとなってくれることでしょう。
・もしあなたの星が青色だったら、その家族はあなたのことを受け入れてくれます。彼、彼女は、あなたの決断を喜び称え、これからもずっと、あなたのことを支えると約束してくれます。
・もしあなたの星がオレンジ色か、赤色だったら、その家族は、自分がゲイ・レズビアンと親類関係にあるということを認めようとしません。あなた方の一部(訳注:赤色の星の参加者)の親友がそうだったように、彼、彼女はあなたを嫌悪します。あなた方の中には、家を追い出されてしまう人もいれば、家族の縁を切られてしまう人もいます。事実、ホームレスの若者のうち、最大42%は、自身がゲイやレズビアンであると自認しています。(訳注:http://www.nationalhomeless.org/factsheets/lgbtq.html) あなたもその一人となってしまったのです。オレンジ色、赤色の星のあなたは、家族の名前をかいた星の頂点をちぎって、床に捨ててください。
友人たちや家族にカミングアウトした今、状況が変わり始めます。あなたの所属するコミュニティのメンバーたちも、あなたの性的指向について気づき始めます。
・もしあなたの星が紫色、青色だったら、あなたの性的指向はコミュニティに受け入れられます。コミュニティは、あなたを今までと同じように受け入れ、コミュニティの多様性が増えたことを皆で喜び合います。
・もしあなたの星がオレンジ色だったら、コミュニティの反応はまだらです。あなたを受け入れるメンバーもいれば、どう受け止めればいいのか分からないメンバーもいます。ですが、あなたはコミュニティに所属し続け、時間とともに、かつて同様にみんなと接することができるようになります。オレンジ色の星のあなたは、コミュニティの名前を書いてある星の頂点を折って、後ろにたたんでおいてください。
・もしあなたの星が赤色だったら、コミュニティはあなたのカミングアウトに対し、憎しみをもって反応します。彼ら、彼女らは、あなたのような人間はこのコミュニティにいるべきではないと言い放ちます。今まであなたを助けてくれてきた人たちも、もうあなたと話すことも、あなたの存在を認めることもありません。赤色の星のあなたは、星からコミュニティの名前をかいた星の頂点をちぎって、床に捨ててください。
さて、あなたの職場においても、あなたの性的指向に関する噂がささやかれ始めたことに、あなたも気付きます。今までのあなたは、噂が立つやいなや、必ず立ち向かってきましたが、それが良いことなのか、逆効果なのか、分からなくなってきました。いずれにせよ、あなたには選択肢はありません。
・もしあなたの星が青色だったら、同僚たちはあなたに、噂は聞いたけど、そのことは気にしない。あなたのことをサポートすると伝えてくれます。あなたの上司も、同じように反応し、あなたは仕事をよくやっていて、それ以外のことは関係ないと伝えてくれます。
・もしあなたの星が紫色だったら、あなたの職場は少し奇妙な状況になります。あなたは職場の誰にも自分の性的指向について話したこともないし、噂について肯定もしていないのに、誰もが、あなたがゲイやレズビアンであると考えているようです。中には、あなたとの関わり合いを避けるひとも出てきますが、職場の状況は大きく変わりそうにはありません。紫色の星のあなたは、将来のキャリアを書いてある星の頂点を折って、後ろにたたんでおいてください。
・もしあなたの星が赤色やオレンジ色だったら、あなたは職場に広がる噂を無視して、何も起こらなかったかのように、仕事を続けます。ある日、オフィスに出社すると、いつもより人が多く騒がしいことに気付きます。あなたは上司に呼ばれ、今日であなたはクビだと言われます。あなたが理由を聞くと、上司は、あなたの仕事が期待以下であったこと、職場の人員削減を行う必要があったことを伝えます。赤色の星のあなたは、キャリアの星の頂点をちぎって、床に捨ててください。
そして今、あなたの前には、ゲイとして、レズビアンとしての将来が待ち受けています。あなたの夢や希望、充実した人生への望み・・・あなた方の一部(訳注:赤色の星の参加者)にとっては、それだけがあなたに残されたモノです。
・もしあなたの星が紫色、青色、オレンジ色だったら、夢や希望が、あなたを前に進めてくれます。あなた方の多くは、カミングアウトを始めてから、いくつかの否定的な反応を経験しています。けれども、あなたはそれを乗り越え、ついには夢や希望を実現することができます。
・もしあなたの星が赤色だったら、あなたは絶望の淵に突き落とされます。カミングアウトを進める中で、拒絶に次ぐ拒絶を経験し、友人や家族のサポートや愛なしには、人生のゴールを実現するのは不可能だという考えに至ります。あなたは悲しみに浸り、誰にも助けを求められず、多くは薬物やアルコール乱用に走ります。そしてしまいには、自分の人生は、生きる価値がないと感じてしまいます。赤色の星のあなたは、手元の星の残りを、破り捨ててください。自殺者の40%はゲイ、レズビアンであり、あなたもその一人となってしまったのです。
あい、あのー、今日はね、2019年の4月30日。えー、5時32分ね、夕方の。天皇がね、辞めました。あの皆っ知ってると思うけど、辞めやがってあいつ。天皇を辞めやがってよ。でー、まさっきまで、テレビ見てて。生前退位の儀式見てて。それ終わって今すっ飛んできて。動画ね、撮ってんだけど。あのー、ちっ、すー、まあ世間はねえあの、天皇陛下お疲れ様でしたと。これからはね、ゆっくりね、ご自分の時間を過ごしてください。みたいな、そんな声でね、溢れかえってるけど。(ドンッ)ふざけんなよ。なに辞めてんだよお前。おい。あのー、俺はね、俺はね。今、中央大学商学部会計学科4年、高学歴皇室ジャーナリストのね、私ステハゲは認めないからね。すー、ということでね、あの今回ステハゲのね、時事問題シリーズ第2弾としてね、天皇の生前退位を、ぶったぶった切る。
あのなんでね、なんでね、この俺がね、このステハゲがね、ここまでね、ブチ切れてるか。天皇の生前退位にね、世間はね、歓迎ムードの中で、ただ一人ブチ切れているかっていうとね。やっぱねえ、あのー甘えだと思うんだよね。その、まあ皆もう知ってると思うけど、ニュースとか色々見てると思うけど、天皇はねえ、もう死ぬ前に生前退位っていってね、自分の皇位を自分のね、子供に譲るっていう、生前退位をしたっていうのはね、今まで202年間なかったんだよね。最後にね、この日本っていう国で生前退位が行われたのは202年も前の話なんだよ。でこの202年間ね、誰一人として、天皇はね、生前退位なんていう甘えにね、甘んじることなくね、自分の公務を全うしてきたんだよ。その点でまずね、何でお前だけ辞めてんだよ、おん。ってのを言いたい。で、次はね、まこれはねやっぱね、あの-みんな国民の皆も思う事だと思うんだけどさ。僕らやっぱ、ね国民、日本国民はさ、毎日毎日日々ね、汗水垂らして、働いてる訳じゃないですか。で汗水垂らしてね、仕事して。で学校行って、勉強して。そんなね、あのー、日本国民がね、毎日必死になって生きてんのに、何でお前、日本の日本の、象徴とかいうね、お前が勝手に辞めてんだよ、ちっ。すー、そこはね、納得がね、行かないんだわ。ホントに、。おん、ちっ。ちょっとね、うん、すー一国の象徴がね、ふざけた真似されたらね、萎えるんだよほんとに。
でー、ちょっとねあの、ウィキペディアこれね。あの、天皇のウィキペディアなんだけど、これ明仁っいうさっき辞めたあいつのね、ウィキペディアだけど。明仁ね。ちっ、舐めた名前しやがって、おい明仁ね。聴いとけよ、お前ちゃんと。明仁のウィキペディア行くとですね、何かね、色々あるのよ、来歴とか人物とか、あってさあ。こんなさあ、あの、逸話っていうね、ページがあんだけど。逸話。こんですね、とんでもない情報が書いてあって。これ見てね、俺これで正直俺ブチ切れたんだよ。何かっていうとね、ここです。あい。えー、半年に渡って外遊した結果、単位不足で進級できず留年を回避するため、学習院大学政治学科を中退し、聴講生として大学に残ったっていう。(ドンッ)。ふざけんなよお前、ホントに。お一っとお前らよく聞いとけや、日本国民の皆さん聞いといて下さい、これねえ。このねえ、このポンコツね。大学時代に留年したんですよ。おん。単位不足でね、半年に渡ってね、遊びまわった結果、学習院大学留年だよ。ふざけてるでしょホントに。うん。あの-、まあ過去にね、僕やっぱ学歴系、学歴系のね、学歴系ジャーナリストだから、あのー、大学のね、話とかね、色々としてるの知ってると思うんだけど。あの、留年する奴はクズだと、常々あの言ってきてるんですよ。皆分かると思うけど。で、まさかのね、まさかのこの、明仁。大学を留年するクズだったんだよ。調べたらね。これ見てね俺もう、おったまげて。クズじゃねーかよとこいつ。おん。大学1つね、ストレートで卒業できない、クズじゃねーかよって思ってね。アンチになっちゃったね、俺ホントに。この、しかも、留年した理由がさ、半年に渡って外遊だよ。何外遊って。おん。カッコつけてんじゃねーよ、外遊じゃねーだろお前。どうせお前な、お前、皇室のあの、潤沢な資金使ってお前金遣いまくって、お前外で遊びまくってたんだろお前、ホント。皇后とパコってんじゃねーよ、ホントに。金遣って女とパコってんじゃねーのかよ、ホントに。口が回んねーよ、お前。ホント、おめーみたいな、明仁みたいな、おめーみたいに口回んなくなっちまった。っていうね。何が外遊だよ。調子乗んなよ。でね、あの聴講生となってからは、クラブ活動に原則参加できなかった。おん。陰キャラじゃねーかよ、おん。クラブ活動に参加できない、俺以下じゃん。おん。ホントねえ、舐めてんだよね、こいつほんとに。すー、っていうね。まあソースがありまして、おん。天皇陛下なんか、天皇陛下万歳とか言ってるけど、じゃあもう本質はね、本質は、ただのあのー、バカですよホントに。このねあの俺ですら、留年したんことないんだよ。今までにね、大学2つ中退して、今3つ目の中央大学に通ってるけど、この俺ですらね、留年したことないのに。明仁はステハゲ以下ってことだね。っていう。すー、まあね、こんな、こんな、こんなんがね、日本の象徴とかね、笑わせてくれるよなホントに、象徴じゃねーよな、嘲笑だよ。嘲笑ですわな。何が象徴だよ。あん。まーホントね、中央大学の、あの象徴おん。この俺から、俺ステハゲからしてみればね、象徴…ちゅん?嘲笑だよ。
すーtまあ、こんなんがね、こんなんが日本の天皇だからね。あのー眞子様が、眞子様が、小室圭にね。お前寝取られるんだよ。恥ずかしいったらありゃしねーや、何が小室圭だよ。ショーン・Kみたいな名前しやがって、ちっ。笑われてるよ、今頃笑ってるよ。今頃小室笑ってるよ、小室ホントに。あいつ。悔しいね、ホントに、お前。あんな舐めたさ、舐めた奴がさ、眞子様と結婚するのが。俺が結婚してやるよ。俺が結婚した方が100倍マシだよ。で、何だあの佳子様、佳子様とか。あー、そうだ佳子様も何だっけ、大学ころころ辞めたんだっけ、す-、そりゃねえ。ジジイがね、自分のおじいちゃんがね、大学留年するようなポンコツなら、そりゃあ孫もね、ころころ大学変えますわな。俺と同じじゃねーかよ、おい。ちっ。でー何だ?悠人、悠人。あのー、つい一昨日だっけ、悠人のさ、机にあの、包丁置かれてたんでしょ、お茶の水、女子、女子附属?お茶の水女子、付属中学校に通ってさ、悠人がさ、机に何か刃物なんか置かれちゃってさ。舐められてんね、ホントに。舐められたもんだよ、ホントに。まあこれもね、それも、これもあれもね明仁、このさっき辞めたあの、あいつ、あいつ。あいつがね、この体たらくだから。舐められてんだよ。明仁があのな、天皇はな、シャキッとな、キッチリちゃんとしっかりした姿見せてれば、舐められはしねーんだよ。だから、ホントね、何もかもね今の皇室のこの現状はね、あのこのね、明仁のせいだよ。ちっ、うん。ホント。あの愛子もわ、愛子も笑ってるわ、ホント。あの顔で笑ってるわ愛子も、おん。とんでもねー、とんでもねー家に生まれちまったって、笑ってるわ。愛子も。っていうね。
すー、まホントに、あの、これちょっと後ろね。本棚、これ今おばあちゃん家なんだけど。これ見てもらったら分かるけど、これね、小さいころからね、あの教育、ホント色んな学術誌をね、見せられてね。ホント、俺も見えると思うけど、ブリタニカ百科事典とかね、色々とね、こんだけの書物があると色々な、あの日本の歴史まあ皇室について。教育を受けてきた僕ステハゲがね。本日、ちょっとぶったぎらせて、ぶった切らせて頂きましたけど。そんなね、うんな舐めたね、ことしてんだったらね、俺が天皇になってやるよ。あんな、誰でもなれんじゃねーかよ。おん。こんなさあ、学習院大学をね、あのFラン学習院大学をね、留年するような、雑魚がね、あの、天皇やってんだよ。誰でも出来んじゃねーかよ、そんなん。おい、俺がやってやるよ、そんなん。あん。ほんと。学習院で天皇なれんだったら、中央でもなれるから。でー、あの佳子様。おん、佳子様。佳子様とヤらせろよお前、佳子様、佳子様を佳子をな、佳子をな、佳子、佳子とパコってな。おん、孕ませてやるわお前、ホントに。おん、新しいね、新しい皇太子を俺が作ってやるからお前。差し出せよ、差し出せよ佳子をな。佳子をな。そんな感じで、まあ何でもかんでもね、天皇だからって、あが、崇めなきゃいけないなんてね、そんな法律ないから。うん。俺、思ったことは言わせてもらうからね。っていうね。しー、まあ今後はね、日本。そして世界が、どうなるかね、大変ちょっと、おん、心配ですけど。まあね、あのー、皇室ジャーナリストの、兼まあ、インターネットジャーナリストの、私ステハゲ、がね、コレからのね、日本、そしてね世界を取り巻く時事問題についてね、またね動画で語らせて頂くのでね、是非皆さん、チャンネル登録とかね、ツイッターのフォロー、願いします。
2年ほど前に5ちゃんの日記系スレにも書いた内容だから(全然話題にならなかったけど)なんか読んだことある人は読んだことあるかも。
父親は今で言う社畜で育児の協力は皆無だったし、母親は相当疲れていたと思う。いつもカリカリしてた。
ちょうど2年生になると週一でクラブ活動が始まる。私は手芸部に入った。
確か9月の月曜日の放課後、先生に来週までに必要なものを準備してきてと言われたのを、私はちゃんと聞いていなかった。
帰宅してから母親に「何を準備したらいいの?」と聞かれて「忘れちゃった」と答えた。
「じゃあ明日ちゃんと聞いてきて」と言われたのに、アホアホ小学生だった私は翌日にはキレイさっぱり忘れてしまった。
その日も「忘れちゃった」と言うと、母親が火をつけたように「なんで忘れるんだ。ちゃんと聞いてこいって言ったろ!」と物凄い剣幕で怒ってきた。
服を引っ張られて、背中を押されて、お尻を何度も何度も蹴られた。
今思い返すと、あそこまでやることないよなって思う。でもきっと産後のホルモンの乱れってやつで、プツンと切れちゃったんだろうね。
怖いし痛いしで思わず玄関を飛び出して、とりあえず団地の真ん中にある公園に向かった。
公園には友達やその母親もいて、涙目の私を見て心配してくれたけど「目がかゆいだけ」なんて言って誤魔化した。
徐々に暗くなってきて、みんな帰って行ったけど、私はどうしても帰る気にはなれなかった。
帰ったらまた怒られる。また蹴られるかも。帰りたくない。でも家出する勇気もない。
気付くともう真っ暗になっていた。
公園の真横には、団地の出入口に繋がる大きめの道路がある。私は公園を囲む低めの塀に登って、道路を見下ろす形で縮こまって座っていた。
もう何時になったか分からなくなってきた頃、奥から一台の車が走ってきた。
私の目の前で停まったかと思うと、窓が開いて「何してるの?」と運転席の男の人が話しかけてきた。
父親くらいの年齢の人だった。
「なんでもないです」
と少し警戒しながら答えると
「もう遅いよ。早く帰らないと家の人が心配するよ。」と言って、私が小さく「はい」と答えると、その男の人は窓を閉めて出入口のほうへ車を走らせていった。
緊張が溶けてまた縮こまって座っていると、今度は車が来た同じ方向から、女の人が歩いてきた。
素通りしていくかと思ったら、私の目の前にきて「どうしたの?」と声をかけてきた。
ちゃんと見ると、背中に赤ちゃんをおんぶしている。弟くらいの小さい赤ちゃんだった。
「なんでもないです」
とさっきと同じように答えると
と言われた。
「ママとの約束やぶったから怒られた。帰ってもまた怒られる」と、そんなことを泣きじゃくりながら言ったと思う。
女の人は「家に帰ろう?ママもきっと心配しているよ」と言ってくれたけど
「心配なんかしてない。まだ怒ってる」
と私はなかなか引かなかった。
でも女の人は「ちゃんと謝れば大丈夫だよ。私が玄関の前まで一緒に行くから」と優しく言ってくれた。
私もようやく帰る気になって、女の人と一緒に自分が住んでる棟まで歩いた。
棟の中まで入ると「ここまでで大丈夫?」と言われたので「うん。」と答えた。
「ちゃんと謝れば大丈夫だから、ね」と言って女の人は帰っていった。
私も意を決して自分の家がある2階まで上がろうとしたとき、弟をおんぶした母親が階段を降りてきた。
ここで私の記憶は終わっている。
多分母親に「なんで帰ってこなかったんだ」とものすごく怒られただろうし、ものすごく泣いたと思うけど、ここから先はちゃんと覚えていない。
そして何年もたった今、思うことがある。
あの女の人は、最初に声をかけてきた男の人の奥さんだったのではないかと。
二人とも同じ方向から来たし、暗い中わざわざ赤ちゃんをおんぶして外に出てくるなんてそうそうないと思う。(田舎なので買い物に行く場所も近くになかった)
当時はスマホなんてない。
もしかしたら、男の人は固定電話か公衆電話で女の人に、私の様子を見に行ってくれと頼んだのではないのか。
ただの憶測だけれど。
それから数年後には私達家族は引越したし、この話自体ももう20年以上も前のことなので、どうやっても確認はできない。
あのときおんぶされてた赤ちゃんも、多分弟と同い年なので立派な大人になってるはず。
私も昨年、一児の母になった。
このことを思い出すと、いつかは私も母親のように自分の子供を怒って蹴り倒してしまうのだろうかと不安になるし、もし当時の私のような小さい子を見かけたら、どう対応すればいいのか悩んでしまうと思う。
でも、あのときの夫婦(仮)のように、連帯して助けることができたら良いなと思っている。
届かないと思うけど、あのとき声をかけてくれたお二方、本当に本当にありがとうございました。
1(中) 集団下校中であった小学生数名に対して、男が「マンゴー見せたろか。」と声を掛けた。小学生らが「見せて。」と答えたところ、男は「ここにはない。」と言っていずれかに立ち去った。
http://anzn.net/kyoto/safety/index.pc.php?i=7694
2(二) 女子中学生がクラブ活動から帰宅途中、徒歩で近づいて来た女から「全部自分に返ってくるんやで」等と声を掛けられ、顔を1回平手打ちされた。
http://anzn.net/kyoto/safety/index.pc.php?i=6643
3(三) 公園で遊んでいた男子児童に対して、「チョロキューあげる、ひな祭りやなあ」と声をかけ、 児童の顔にコーヒーを吹きかけたもので、児童が逃げるといずれかに立ち去り。
https://anzen.m47.jp/p28/m39/50510.html
4(左) 徒歩で下校中の男子児童に対して、ビーフジャーキーのようなものを持って近づき、「食べてみ」と声をかけ、児童がそれを受け取って口に入れると、「それ、ドッグフードやで」と言って、自転車で東方に走り去ったものです。
5(一) 女子高生が徒歩で帰宅中、バス停のベンチに座っていた男が突然「お前に決めた」と叫び女子高生に向かって歩いてきました。女子高生は走って民家に逃げ込んだため無事でした。
https://web.archive.org/web/20140604115210/http://anzn.net/hiroshima/safety/index.php?i=7709
1(中) 集団下校中であった小学生数名に対して、男が「マンゴー見せたろか。」と声を掛けた。小学生らが「見せて。」と答えたところ、男は「ここにはない。」と言っていずれかに立ち去った。
2(二) 女子中学生がクラブ活動から帰宅途中、徒歩で近づいて来た女から「全部自分に返ってくるんやで」等と声を掛けられ、顔を1回平手打ちされた。
3(三) 公園で遊んでいた男子児童に対して、「チョロキューあげる、ひな祭りやなあ」と声をかけ、 児童の顔にコーヒーを吹きかけたもので、児童が逃げるといずれかに立ち去り。
4(左) 徒歩で下校中の男子児童に対して、ビーフジャーキーのようなものを持って近づき、「食べてみ」と声をかけ、児童がそれを受け取って口に入れると、「それ、ドッグフードやで」と言って、自転車で東方に走り去ったものです。
5(一) 女子高生が徒歩で帰宅中、バス停のベンチに座っていた男が突然「お前に決めた」と叫び女子高生に向かって歩いてきました。女子高生は走って民家に逃げ込んだため無事でした。
6(右) 男は40歳位、身長175cm位、中肉、黒色上衣、黒色ズボン、黒色帽子。遊んでいた女子幼児に対して、「肌が白くてきれいだね。この世に悪はいない。」と声をかけたもので、男は徒歩で西方へ立ち去り。
7(遊) 徒歩帰宅中の女性に対して、「キスして。」と声をかけた後、東方へ立ち去りました。
8(捕) 小学生の児童10数人が下校中、男に「不審者みたいやろ。まあ、不審者なんやけど。」等と、声をかけられる事案が発生しました。
9(投) 公園内で児童2人が遊んでいたところ、男に「カッターを投げてやろうか。抜群の切れ味やで」と、声をかけられる事案が発生しました。児童に被害はありませんでした。
(代打) 見知らぬ不審者(男)が足首にロープをかけられてトラックにより地面を引きずられながら、小学校低学年男子児童のそばを通りすぎたという事案が発生しました。
ふたりはプリキュアって女の子版ドラゴンボールって面ばかりが強調されがちだけど本来友達になるはずのないカテゴリの二人が手を取り合ってプリキュアになるというところも見過ごしちゃいけないポイントだと思うんだよねOPの途中と最後の計2回挿入される日常シーンにおける二人の自然なすれ違いがまさにそれを表している本来ならば二人の人生はまったく交差することはなかったタイプの人種同士だったんだよそれがプリキュアをやることでたまたまクロスしたああああこれをかくにあたって1話冒頭みたけどもうここがすでにそれなんだよなあ放課後それぞれのクラブ活動を終えて渡り廊下ですれ違うけどお互いまったく見向きもしないんだよなあそれが「あなたなんてプリキュアってだけで友達でも何でもないんだから!」なんていうなぎさの発言にまでつながってしまうのはなんともはやという感じではあるがフフだって他のプリキュアってだいたい元から友達とか親友幼馴染ってのが多いのに初代がこんなんなんだぜプリキュアやっぱすげえわ
最近、転職活動をしていて某メーカーの中途採用試験を受けたのでその時の事を書き残しておく。
求人の内容が面白そうだったので企業サイトから直接応募したんだが、書類選考通過の連絡まで7週間かかった。
この時点でかなりの地雷臭がした。
もしくは他の選考を一通り終わらせて、欠員が出たから連絡を寄越したと思われる。
どちらにしろ、応募者に対しての扱いが酷い。
書類選考通過の連絡と一緒に来たのが、身上調書を書いて提出しろって依頼だった。
身上調書なんて初めて聞いたのでググってみたら、どうやら今どきは違法性があるから書かせないなんて情報が出てくる。
実際に送られてきたフォーマットはネットで調べたものよりは問題なさそうあったが、
感覚的に下記の情報を企業側からの依頼で提出させるのどうなの?と思った。
転勤の可否なんて面接受けに来る人は内定ほしいから可にして提出すると思うし、
もっとひどいのは健康で選択肢に `とても元気` とか `かなりの無理ができる` とかある。
アメリカ法人は下のやつ聞いたりしてないだろ?なぜ日本人には要求するのか
こんなの聞いてどうするんだよ。お前らは中途の社員に何を求めてるんだ?
項目も十分やばいんだがこのフォーマットがエクセルファイルでできててそれもやばかった。
いちいち印刷プレビューで見切れてないか確認するのが馬鹿らしい。
そして書いてて気づいたんだがエクセルで直接入力できる作りになってない。
まともにエクセルを使えるやつはこんな入力しにくいファイル作るはずがないので、無能が作ったか、紙に印刷して手書きすることが前提になってる。
しかも殆どの項目が、書類選考で提出した履歴書と、経歴書の内容とほぼ一緒。これをいちいちなんでお前らのフォーマットに移し替えないといけないんだよ。
ナチュラルに人の時間奪ってんじゃねーよ。書き上げるのに2日は使った。金をくれ。
面接の日程を決めるのも、予定を聞かれたので、こっちから1週間分の予定を伝えたら、
2日ごとにメールでこの日とこの日は駄目でした。って連絡を都度寄越してくるし、結局日程を決めるのに1週間以上かかった。
2日以上先の予定がわからない会社ってどんな会社だよ。そんなに調整が難しいなら先にそっちから提案しろ。
いつまでも予定が決まらないからこっちは他の予定が立てられないし、最悪だった。
面接も面接でひどい。スーツじゃなくて私服で行ったら変な目で見られるし(個人の感想です)、
聞いてくる内容はなぜ当社だったのかとか、当社に入って何をしたいとかそんなのばっか。
俺は求人票の内容が面白そうだったから受けたのに、なんで新卒採用試験でするような質問ばかりなのか。
スキルの話が殆どなかった。中途は取らずに新卒を教育することをオススメする。
そんなこんなで、こっちからお断りしようと思ったら、先にお祈りされてしまいました。
書類選考に7週間かけたのに、お祈りは当日に連絡来たのが最高にムカついた。
「アホの子」についてブコメ等で宜しくない旨ご指摘をいただきましてありがとうございます。そして申し訳ありません。
言い訳をしますが、彼ら彼女らと私との間に、愛と信頼できる(と、こちらが一方的に思っているだけかもしれないが)人間関係がある前提で使ったのでした。読み返してみたら確かに気分の良くなる言葉ではないですね…。増田は聖人君子でもなければ天才でもないので言葉のTPOを間違える。申し訳ありません。
現在の仕事は教育関係ではありません。ごく一般の会社員。教員や教育関係に就こうとは思ったことはないです。あの仕事こそ増田なんかよりも聖人君子に近い人がなるべき仕事で、更に言えばもっと報酬と人手を割くべき仕事だと思っています。私にはとても無理。
あまり広くない世界で働いているので詳細はぼかしますが、口悪く言えば大人に対して同じようなこと「一緒に何が原因でこういう事態に陥ったのか考えましょう」という感じの仕事をしています。かなりダメ社員で成績は悪いし出世も遅いです。小さい細かい、そして金にならない仕事ばかりをやっています。その代わり長期間のお付き合いになる案件が多くて楽しくやりがいがありますが、それは会社にとっては更に宜しくない(割の悪い仕事をずーっとやっている)、というお荷物要員です。が、天職だと思っています。会社よ申し訳ない…
蛇足の手本のような追記を、元増田が思い立ったのは、この方法は、増田が開発したものでも、独自に気付きを得たものでもなく、増田の恩師から増田がしてもらったことを子供たちに返しただけなのだということを言わなくてはと思ったからです。ごく一部のブコメに天才とか良い先生だとか、大変気持ちが良く調子に乗ってしまう言葉もいただきましたが、ぜんぜん違います。重ねて申し訳ない。
そういう意味では、増田は凡人ですが、増田の恩師、K先生が天才なのかもしれません。
増田自身がまさに「アホの子」の元祖で、小5~6年の担任を持ってくれた恩師K先生との出会いがなかったら超ヤバかったのです。
増田は、小学校5年生の秋まで、掛け算九九を暗記しないまま素知らぬ顔でいました。
学校の勉強は良くできた方だったと思います。ペーパーテストなどでは基本的には98/100点などがずらっと並ぶ感じ、授業を聞いていれば大体頭に入り理解できる、先生の説明の途中で勝手に教科書の「応用問題」を解き始める感じの子供でした。そして、多動&注意欠陥の傾向が強い子供でもありました。今思えば先生からしてみたら割と厄介だったかもしれません。100点は取れないんですよ注意欠陥っ子なので。歴代の先生全てに「見直しをしなさい」「あとちょっと集中しましょう」と通知表に書かれ続けてきたタイプです。
で、小2で掛け算を習う時に「×の記号はその回数足すという意味です」と先生が言ったのを真に受けて、その回数足せばいいなら九九覚える必要なくね?と何故か曲解して思いこんだ。それから先は、分かりやすい2の段とか5の段とか以外は記憶せず「○回足す」で乗り切った。いや乗り切れるわけがないから、他の教科のテストは相変わらず95点とか98点とかだけど、算数だけ85点ぐらい。馬鹿だったわけじゃないのが災いして中途半端に平均的に点は取れていたから、当時のそれぞれの担任の先生も「増田さんは算数が苦手なのね」程度に判断されていたのだと思います。
ただ、九九を覚えていないと、3ケタ÷2ケタの割り算なんかを解くのが地獄なんですよ。あと倍数とか約数の概念が苦手というか、概念「しか」分かってなくて実践が全然できないという状態。正解できないから面白くない、面白くないから興味がわかない、という状態のまま、分数を学び、少数を学び、速度や割合を学び…、ちっとも理解できてないまま小5になっていました。完全にアホの子のできあがりです。
図形問題や証明問題のようなものや鶴亀算的な文章問題なんかは、式を作るところまでは合っている、が計算を間違う。それも理解できない間違え方をしている。割り算は勘を頼りに予想を立てた数パターンを足し算検証して合ったやつを正解としてみよう(足し算だけで最小公倍数や最大公約数をあてずっぽうで探す要領だったと思います。あんまり思い出せないし再現できる気がしない…)という超絶燃費の悪い解き方をしていたので、その時にイージーな計算ミスをしているだけなんだけど。そして間違わないときもあるので、先生からしたら何で算数だけ点数が悪いのか分かりにくかっただろうと思います。
ところが、K先生はなぜか(後に大人になってから種明かしをしてもらうのですが)、私が九九を覚えていないことを見破ったのですね。
ある日、放課後に一人で残りなさいと言われて、超絶びくびくしながら教室で待っていたら、教科書を山ほど抱えたK先生が、増田の算数嫌いを一緒に克服しよう、と言ってきました。クラスでも勉強ができる方の子供だったし、私より他に勉強を見てやった方が良い(失礼な言い草だな)子がいるのに!と、驚いて、そして腹が立ったのと同時に、凄く怖くなりました。
ばれたくなかったんです、アホだってことを。
ずーっとズルをしてきて、九九を覚えてないズルい生徒だとばれたくなかったし、分かってないのに何となくやり過ごしてただけで本当は何にも分かってないアホだってことも、絶対にばれたくないと思ったんです。K先生は生徒思いで自由なタイプの教師で私はとても好きでしたから、なおさらばれるわけにはいかなかった。なので家で計算ドリルやればいいでしょ!とか、じゃあ塾に通う!とか、お父さんに教わるからだいじょぶ!とか、忘れたけど色んな事を言って逃げようと思った。でも誤魔化されてくれずに、「ひょっとして九九を覚えてないだろう?」と当てられてしまい、号泣したんですね。恥ずかしいのと悔しいのと腹が立つのと色んな悪い感情が渦巻いたのを覚えています。凄く辛かったし恥ずかしかった。
そこから多分数回、K先生は放課後付きっきりで相手をしてくれました。まずは九九を覚えてきなさいと、絶対に役に立つんだから先生を信じてくれ、と言われました。K先生を信頼していたのでその言葉も信じることにしたんです。結果的に信じて大正解、あんなに苦労した計算がこんなに簡単に!と思いました。アホの子丸出しです。
まぁ勘で割り算解いてたわけで、7の段とか8の段とかの九九の深いところがあいまいな程度でうすらぼんやりとは覚えていたのだとは思います。母親に白状したら本屋さんで九九の表のを買ってきてくれたのでトイレと風呂に貼った、小5なのに。でも小5だから本気だせばすぐ覚えられる。
その後は、取りこぼしていた分数(九九が分からないと約分が厄介)、少数(分数が飲み込めてなかったので少数と割合の概念が全く理解できてなかった)、速度(以下同)などなど躓いていた個所を一通り先生と一緒におさらいをしたら、算数でも98点取れるようになった。100点はめったに取れません注意欠陥っ子なので。
一度、放課後に残されている私を同級生の男の子が数人からかいに来たことがありました。優等生と思われていた増田が!と面白かったんだろうと思う。ただでさえ劣等感に苛まれてべそをかきながら(実際に分からなくなるたびにべそべそ泣いていました)教わっているのにクラスメートにからかわれて死にたい気持ちでしたが、K先生が、勉強ができるようになりたいと頑張っているものを笑うな、と怒ってくれたことを鮮明に覚えています。
その後は、からかいに来た生徒たちも一緒に「K先生と算数をおさらいする会」がしばらく続いたように覚えています。最後はかなり大所帯になっていた記憶。ほとんどの生徒から慕われていたのです、K先生は。
大人になってもこのクラスの同窓会は続いています。高校卒業した年の同窓会で、ふと思い出してK先生にどうして九九が分かってないことがバレたんですか?と聞いたら、テスト用紙の隅っこにいつも消しゴムで消した計算跡があって気になっていたこと、ある日消しが甘い時があって見てみたらひたすら関係ない足し算をしている跡のように見えるが何故???というところから、観察をしてみたらひょっとして、と思ったということでした。掛け算を何度も足してたのを気付かれたくなかったし恥ずかしかったのか、証拠は隠滅していたんですね姑息なことに。筆算はそのまま解答用紙に書いてあるのになぜ別の計算が必要?そして何故消す?、というところから類推されていたらしい。本当に些細なことからだったし、それ気付かれてなかったら、下手したら高校にも行けなかったよ私…。
私自身がアホの子であり、アホであることを許して丁寧に付き合ってくれて、気持ちも分かってくれた(九九の概念を理解してたのは増田の良いところだと褒めてくれた、そしてそのあとを面倒がるのは増田のダメなところだと怒られた)K先生から教わったから、私が人を教えるときにそれを使うことができたんです。私が成したことではなくK先生の教えがあったから。
成人式の後に、K先生の家に同級生たちと一緒に押しかけ酒を飲んでいた時、私たちは酔ってゴキゲンで、先生をべた褒め(先生がいなかったら私ヤバかったとか云々)してたら、K先生は、親や教師や目上の者から恩恵を受けたと感じてくれたなら、それを俺に返そうと思わなくていいから下に渡してやりなさい、とおっしゃったんですね。で、それを実践しただけ。
K先生はとても個性的で自由で、保護者の中には批判的に見る人もいたような型破りなタイプの先生で、教わったことはこれだけではなく抱えきれないほどあります。K先生のそのクラスは良い年をした今でも同窓会をするほどのつながりが深くありますが、その中で小学校の先生になった人が二桁いる。割合で言うとクラスメートの2割弱が小学校の教師になりました。私のようなボンクラがならなくても、K先生に感銘を受けた優秀な先生が頑張っていてくれるので、学校の先生は大丈夫。
いや大丈夫じゃないよね…もっとお金と人を割いてほしい。教師になった友人たちもストレートで職に就けた子はいません。みんな1~3年程度、補助教員の仕事にありついてそこからなんとかポストを見つけて、という感じ。ホント酷いよね…。
増田が友人たちを観察している限りでは、学校の先生は「勉強を教える能力」だけじゃなくて、「クラスという集団を統率するリーダーシップ」「学校のスケジュールを考える企画力」「それをこなす運営力」「ケースワーカー」などのスキルが必要で、かれらはこれを一人か二人だけでマルチタスクでで行っています。
あくまでも口と性格と知能に若干の問題がある増田の私見ですが、今の日本はホントに馬鹿だと思います。何で教育予算増やさないでしょうね…。1クラスは40人でも良いけど(ある程度の人数がいた方がクラス内で多様性を許容しやすいと教師の友人が言っていました。少人数だと浮いた子の居場所を作りにくいそうです)、その代わり担任は3、4人居ても全然いいし(そうすれば学校内で個別指導塾的な役割も持てる)、何なら学校行事の企画運営なんかは更に専属で別の担当教師がいるべきだと思います。名古屋市だったかが小学校のクラブ活動を廃止というニュースがありましたが大英断だと思う。課外活動は地域SCなどで吸収できるとしたら理想の形なんですけどね…。
今の学校は、子供も少ないからポストも少なく教師になりたくて夢と強い意志を持って教師になったという人がほとんどだと思います。増田が報告した塾での出来事なんて、彼らにもう少し余裕があれば増田の15倍ぐらいは良い結果を出すと思う。それなのに。
それはともかくとして、増田は、社会人になって初めて下に付いた先輩から「お前はアホで手に負えないが、唯一の取り柄は教わり上手なことだ」と言われました。K先生が小5の秋の夕方の教室で、私を壊してくれなかったら教わり上手に変化することはできなかっただろうと思います。
その他、耳に心地よかったお褒めの言葉などは、心の栄養にさせていただきます、ありがとう!。一方で、疑問や批判的なご意見で、増田にとって都合よく答えられそうなものにいくつか。
そうですね、増田にとって話しやすいことだけを、それもかなりボカして書きましたので仕方ないです。ごめんなさい。実際は大変でした。
adbが分からなかった子は初めて私が「開眼」した生徒なので思い入れも記憶も多いのですが、躓いた場所に気がついた後は、塾が用意しているカリキュラムや教材をほとんど使わずに、まずはアルファベット用の罫線が引かれたノートを拡大コピーして(形状の見分けがついてない疑惑があったので思いっきり拡大コピーして使った)、アルファベットをaから順番に10回ずつ、声を出しながら書き取り練習!をしました。
何よりも、大手のフランチャイズ塾だったのにもかかわらずカリキュラムを無視した指導をしてもいい、と許容してくれた教室長の懐の深さと"寺子屋愛"に甘えられたことと、先生バイト仲間の優しさ(教えるのが大変な子を私が見る代わりに、担当生徒数を減らしてくれたり、私の受け持ちの子を共有で見てくれたりのフォローをしてくれた)があったからというのはとてもとても大きいです。
あと、当然すぎるほど当然ですが、成績を上げてあげることができなかった子供もいました。元増田にも書きましたが、私は成績が普通の子の指導は得意ではなかったです。勉強にアレルギーがある子供の方が、悪い言い方になりますが、つけ入る隙が見えやすいと感じていました。なので、主に「すごく良くできる子」と「すごくできない子」の担当をしていました。あと、すごくできない子で、一人だけ、どうやっても引き上げられない子がいました。詳細は書けないですが、これは今でも思い出すと胸が痛くなる。
■そんなの誰にだって出来るだろー
増田もそう思います。なのでホテントってビックリしています。そして前段に長々と書きましたが、増田の手柄ではなくK先生のおかげだと思っています。
■生徒のプライバシーは?傷つくんじゃねーの?
浅慮だったでしょうか…アホです。問題が起こったら消すかもしれません。ただ連絡を取り合える子供もいるので耳に入って傷ついたと知ったら直接彼らに謝ります。一応最低限はぼかしているつもりです、ホテルはもちろんフェイクです。あとブクマのご指摘にもありますがabdが区別つかない子というのはそれほど珍しいことではないので…。
■学習障害があったんじゃない?
増田は現在でも専門ではありませんし、当時はアホの大学生だったので判断はできません。増田個人に関しては前記の通り「傾向」は確実にあるだろうなーと思っています。調べてはいませんが。苦労もとても多いがそれなりに個性的で愉快な性質だなと受け入れられています。長くなりすぎるので書きませんが、それを受け入れられたのも恩師K先生のおかげだったりします。
■なんでx=数学なのに英語出てきたむかつく!が察知できたのか
前段の通り、増田こそが元祖アホの子だったからだと思います。掛け算は足し算、なら覚える必要なくない?!という思考停止とその後の悔しさと恥ずかしさがヒントになりました。思いこんだことから一歩先に進むことの大変さ。
長くなってしまっていますが、あと一つだけ、とても興味を惹かれたので。
id:sarensongjing さん、ブログ拝見しました→http://xn--9ckk0f4c7781a7r3b.com/taihen.html
mustの意味と使い方が理解できなかった、とかすごい分かります!
増田の経験ですが、英語の理解には段階があったように思います。
私の教えた子はみんなこの辺からスタートでした。まずはアルファベットが呪文じゃなくなるようにしなきゃ、だった
第二段階:意味は分かってないながらも、音読は出来るようになる
音になる=過去に耳から得ていた情報を、英語の勉強に使っていいんだよと理解してもらった。呪文から、普段自分が使っている言葉と地続きの「情報」になるだけで、かなり気持ちが楽になるようでした
第三段階:たまたま知ってた和製英語から類推して、薄ら何を言いたいのか分かるような気がしてくる(気がするだけ)
夜やってるからナイター、でnightは夜!みたいなこと。既に持っている情報を使って新しい知的好奇心が湧いてきたということでもあるかなと思っていました。ただしほとんどの子が、頻繁に間違ったことを言ってくるので可愛くてしょうがなかったです。ダジャレか!
これをしばらく単語覚えゲームとしてやってたら、自然と、接尾語の存在に気付いてくれました。言語は、それぞれ意味を持つ小さなクラスターの集合であるという「概念」が体に沁み込んできたという感じ。理解は、もちろんしていないんですが笑 こうなるともう呪文ではなくなる。
そういえば、nightをナイトと読むというのは、なかなか難しいとこではあるんですが、英語は比較的素直に音とつづりが連関しているので
無理やり読んでごらん?ニグフト!、なんか似てる言葉あるでしょ、えーとえーと………ナイト?!とか、そういう風に付き合いました。
アルファベットを音読できるようになりさえすれば、割とやりようがある。文法もシンプルですしね。
第四段階:文章はどうやら並び順が決まっているらしいと薄ら思い始める
おもしろかったのは、文法の発見よりも、接尾語の発見の方が全員早かったんですよ。単語同士の共通点を探したくなるのかもしれない。-fulとかね。fullがくっ付いたんだよー、だから○○がいっぱい!って意味になる、と言ったら目を見開いてた。
単語も、あるクラスタの集合体である、という理解ができたら比較的早く、文章もあるクラスタの集合体である=文法を発見してくれました。並び順って日本語だって決まってるジャン、と言ったらそれからはすごく教えるのが楽になった。
ここまで理解が飲み込めていないと、助動詞の大切さや意味や力が分からないだろうし、mustを覚えるのはイヤだなと思ってしまったのかもしれないですね…。
増田は、牛よりもゆるやかなスピードで付き合っていました。ある子供は、第三段階で中3の冬だった記憶があります。教室長はハラハラだったと思う…。受験校を決めなきゃいけない時期だったのですが、お母様に、担任の先生の説得をお願いしました。お母様はもっとハラハラだっただろう…、お願いだからあと1回次のテストの結果まで見てくれと。あとちょっとなんだよー!という気持ち
「村中さんはお気の毒で、村中さんに中傷じみた記事をかかれた家族はお気の毒ではないのか?」
「子宮頸がん予防ワクチン(HPVワクチン)について - 科学と生活のイーハトーヴ」(http://blog.ihatovo.com/entry/2017/12/14/184223)に書かれていたことに関して。
おおむね穏当で妥当な意見が書かれているように思えますが、気になる点もありまます。
タイトルにも書いた、村中さんはお気の毒で、村中さんが嘘をついてまで無理やり取材して中傷じみた記事を書かれた家族は気にならないのかということ。
ここには、HPVワクチン接種後に生じた症状について、村中さんが、被害者団体などからさまざまな抗議や圧力を受けたことが述べられています。
その抗議や圧力がどのような理由に基づくものなのか(たとえば、村中さんの主張内容に対するものなのか、患者への取材方法の適切さに関するものなのか)は明らかにされていませんが、ご家族も含めて、日常生活を脅かされるような思いをされたようで、お気の毒に思います。
村中さんは「子宮頸がんワクチンとモンスターマザー WEDGE Infinity(ウェッジ)」(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/6587)という記事も書いてます。
母親は、少女が小学生の頃から学校では知られた人物。「娘がいじめられている」と言っては、少女が副キャプテンを務めるクラブ活動の、キャプテンの少女やその親などに繰り返しクレームをつけていた。
中学に入り2年生になった時、ある事件が起きた。部活動中の体育館に突然乗り込んできた母親は薬袋を示し、他の部員が心労をかけるため娘は心の病になったと主張。部員と父母会、学校に謝罪させた。処方されていたのは偏頭痛のための鎮痛薬だった。同学年の部員は全員部活を辞めた。
これが“子宮頸がん予防ワクチン(以下、HPVワクチンと呼びます)の安全性について、調査と発信”として必要なのでしょうか。単なる悪意に満ちた中傷的な記事内容でしょう。
そして“万が一、接種後に重篤な症状が出たら”救済されるかどうかも気になるでしょうが、村中さんのようなジャーナリストがやってきてこいつはモンスターマザーだみたいな記事を書かれることは気にならないのでしょうか。
“私も、これからHPVワクチンを受ける年齢を迎える娘の母親として、村中さんのお仕事を拝読してきました。”とあるので、この接種後に重篤な症状が出た子の母親をモンスターマザー呼ばわりする記事も読まれているのだろうと推測しますが、読んでいるのに全く気にならなかったのでしょうか。単なる受賞に対するお祝いの記事ならばあえて触れないという考えがあってもわからなくはありません。ですが、自分のこととして子供にワクチンを接種させるかや万が一に重篤な症状が出たらとエントリーを続けているので、実際に重篤な症状がでた子供と家族に対して村中さんが何をしてどんな記事を書いたのかというのことについて何も触れていないのが気になりました。
お気の毒に思わなかったのでしょうか?
必修であるクラブ活動に参加するにあたり、入部希望届を提出するようお達しがあった。
その用紙には、第三希望まで書くための欄が設けられていた。
私の第一希望はバスケットボール部。第二、第三希望に何を書いたか覚えてはいないが、吹奏楽部ではなかったことは確かだ。
他の吹奏楽部入部者である友人らに話を聞くと、第一希望はバスケ部だったという。
第二、第三希望まで書かせておいて、それすら加味してくれず、興味もくそもない吹奏楽部に入れられたことが納得いかなかった。全くもって面白くなかった。
おかげで私は真面目に練習に取り組まず、譜面通りに演奏することができなかった。顧問が特別に赤線を入れ、簡易バージョンに直してくれた譜面をひとり、県大会で吹いた。
楽器がマイナーだったのも面白くなかったんだよな。トランペットに希望出したら、ユーフォニウムになったんだよ。吹奏楽に興味ない小学生はユーフォニウムしらんかったよ。チューバほど目立たず、トロンボーンほど華やかではなく、なんか地味。だから、十数年を経て響け!ユーフォニアムを見たときはすごくうれしくなったのを覚えている。ありがとう京アニ。題名のない音楽会で五嶋龍が、ユーフォニアムって楽器を今まで知らなかったみたいなことを言ったとき、くっそ!ほらな!って思ったさ。
さぼりはしないけれど練習に打ち込まない私の意識が変わったのは、東北大会に出場したのがきっかけだ。
県大会で一番の成績を収め、隣県で行われる東北大会に泊まりがけで参加。
林間学校にも修学旅行に行ったこともない小学四年生には、年上のお兄さんお姉さん、同級生たちとの旅行はとてつもなく楽しかった。
そこからは、結果出してまた泊まりがけで大会に出たい!と練習に打ち込み始めた。譜面から赤線はなくなった。
五年生でも六年生になっても、東北大会に進んだ。
私が小学四年生だった年、新しく赴任してきた先生が吹奏楽部の顧問に就任していた。
前の学校でも吹奏楽部を指導していて、次に赴任した小学校でも吹奏楽部を指導して、そして今でもどこかの小学校で吹奏楽部の顧問をしている。その先生が来れば、その学校の吹奏楽部は県で一番になれる。当時は知る由もなかったけれど、そういう顧問だったらしい。
だから私は、私の友人たちは、入部希望届に吹奏楽部と書いてもいないのに、吹奏楽部に入れられたんだと最近思い立った。
みんなスポーツが得意で、今で言うスクールカーストの上位の方で、タフだった。私以外。私以外に譜面に赤線を入れられていた友人はいない。
強い顧問が来るのなら、それに見合った児童が必要だったんだろう。希望届が関係なくなるくらいに。
清水富美加さんには、何度か会ったことがある。
といっても、業界の末端の人間なので、両手で足りるか足りないか程度の回数ではあるが。
彼女と仕事でいっしょになったことのある人に、彼女のことを悪く言う人は本当にいないだろう。
そして、これも多くの方も思っていることだろうけれど、あれだけ才能のある女性が芸能界から去ってしまうのは、本当に残念だ。女優としても、タレントとしても、まさにこれから!という時に。
前置きが長くなった。
小中学生のころは、定例の儀式にも参加していた。クラブ活動や塾などの他の予定よりも、そちらを優先していた。
18歳のころか20歳のころかは忘れてしまったが、ある日、父に
「お前も洗礼みたいなの受けてこい」
と言われた。
(もちろん洗礼ではない。ホントに忘れたが、大人になったら受けるべき何かがあったようだ)
当時、遅めの反抗期だった僕は猛烈に反発した。
親の宗教を押し付けるな。宗教に使う金あるなら、この貧乏生活を何とかしろ。
あまりに強硬に反対したため、いったんは親も引き下がったが、その後も何度か同様のことを言われた。そのたびに言い合いになった(結局あきらめた)
清水富美加の性格が良かったのが、幸福の科学信者のご両親の育て方のおかげならば、その点には感謝すべきかもしれない。でも、もし強制的に宗教に入れられてしまっていたとしたら。本人に疑問をもたせる隙も与えてなかったとしたら。
この問題は本当に難しい。答えは出ない。
幼稚園、年中組のとき明日から幼稚園にはいかないと、固く決意してそれから約半年登園拒否をした。ある日お母さんに騙されて幼稚園に連れていかれ、行ってみると意外と楽しかったのか結局また通うようになった。
小学校、割と楽しかった。友達も多く今思うとスクールカースト上位だった。でもたまにトリッキーな行動とってたな。家庭科の料理実習クラスでシェフ気取りでやけに忙しそうな感じで偉そうに男の子に指示出したり。お姉ちゃんが入ってたという理由で卓球クラブに入って部活動もしてた。お姉ちゃんが部長だったので次に私が部長だ!と張り切ってたのに、私の後にクラブに入ってきた私とも仲良しの女の子が部長に指名されてしまった。すごく恥ずかしくて認めたくなくて、その子が毎回のクラブ活動終わりの挨拶とかするときは拗ねてそこにわざとらしく毎回遅れて行ったりした。
中学、仲良しで大好きな小学校からの友達と一緒だったから基本楽しかった。でもスクールカーストトップのヤンキー女子グループに目をつけられて嫌な思いをしたこともたびたび。通学バスで中学まで通ってたんだけど、一番後ろの席はそのヤンキー集団しか座っちゃいけないっていうルールあったなぁ。そこに座りたいし、そのヤンキー集団に気に入られたかった。彼氏も出来なかったなぁ。部活もやらなかった。見た目もひどかった。
高校、高校デビューしてスクールカーストトップに返り咲いた。だけど心の中はいつも嵐が吹き荒れてた。
基本根暗だから部活やらなかったし、彼氏も3人出来たけどそんな上手くいかなかった。理想に届かない自分が許せなくて心の中は思春期にありがちなぐちゃぐちゃで、リストカットもした。今でも消えない傷がある。後悔。
大学、元々社交スキルが低い自分には、高校みたいにクラスがないとどうやって友達作ればいいか分かんなかった。大学1年間は誰も信用できずひたすら1人だった。なんとかしたいともがいた。見た目を磨くという方向に突っ走ってしまい拒食症になりかけたりした。その後見事に過食症になったけど。辛かった。大学2年のとき、今の旦那と出会えた。なよなよしたオタク気質な旦那だけど、心根の優しい人。彼のおかげでまともな人間になれた。
社会人、自己啓発本を読んだり旦那のサポートを得たりでごく普通に社会生活をこなせるリア充になれた。学生時代のベタベタした友人関係はそんなに上手く楽しめなかった自分だったけど、社会人のサラッとした人間関係は上手くこなせることに気づいた。
昔から頭は良かったのも自分を助けてくれた。世帯所得1500万、部屋から東京タワーが見えるタワマンに住んでる。成功できたと思う。何より自殺しなくて良かった。辛いときも嫌なときもあるけど、でもとても幸せ。相変わらず全く理想には届けてないけど、自分で自分をコントロールするスキルを身につけた。私は不十分なところもあるけど自分で自分を幸せにすることができると、そう感じれることが幸せ。
学生時代との友達との付き合い方は未だに迷うことがあるし、勝手に傷ついたりもする。自分の子供がいずれ生まれて育ったらどんな学生生活を過ごすんだろう。無理してリア充にならなくたっていいんだよって伝えたい。人生は長い。学生生活なんて人生の僅かなところでしかないよ。
そういう充実感とかを求めるのなら経営者か少なくとも経営陣になれよって話なんだよ。
もともと増田の立場は、ただの作業者であって、上司に入力された雑用をこなすだけのポジションであって、そこにはやりがいなんて必要ないし、「よりよい仕事」なんてものもない。
いままでは、そうであるにも限らず、クラブ活動的に自分の好きな(かつ、指示もされていないような)仕事をして、残業代という形で給料を水増ししてたんだ。少なくとも経営学的には、そうだ。残業削減で定時退社運動っていうのは「君たち社員の働き方は自由気ままで、会社の指示に対して贅肉が多すぎる。そういう自分勝手はやめてくれ」っていう会社からのメッセージなんだよ。
充実感とか、改善とか、企画とか、そういうのをやりたければ、独立して自分が経営者になるか、じゃなければそういうポジションに行けって話だ。
学校が嫌いだった
私は学校が大嫌いになった。 どうして自分が1年1組にいるのか分からなかった。
目を伏せると、新品の上履きとお古のランドセルの黒ずんだ肩紐が
グラグラと視界の中で揺れた。
頬の中を噛んで、あとからじんわりと血の味が口の中に広がった。
名札に書かれた名前が自分のものかどうかすらわからなくなった。
それからの私は、私自身すらゲストとして扱うようになったんだと思う。
学校も、家庭も、クラブ活動も、塾も、模試の結果表も、小説も、論文も、
ネット掲示板も、飲み会も、mixiも、Facebookも、人混みも女子トイレも、
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、何処にいても、私はゲストだった。
周りの人間も、私自身も、私が加わるとどこか居心地が悪そうだった。
匿名性が高ければ高いほど安心して、名前や立場が明確になるほど居心地が悪かった。
大教室の授業は平気だったけれど、少人数クラスになるとほとんど拷問のようなものだった。
誰かと15分間話すくらいなら、渋谷の人混みの中を12時間歩き回るほうがよっぽど落ち着いた。
国とか、世代とか、誰かが私を含む集団を主語に話しているのを耳にすると、
たちまちどこか知らないところに行きたくなった。
そんな私がいま、どこで何をしてどうやって生きているのか、
どこかに所属しない人間は生きてはならないと、誰もが言うくせに、
私を所属させる心づもりは誰も持ち合わせていない。
相思相愛で、全会一致で、誰も私を受け入れない。せいぜい、ゲストだ。
私だって彼らと同じ意見。もう今更どうしようもなくなってしまった。
このまま、ただ、部屋の中からぼっと外を眺めて生きていければ、
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ2564RWJ25UTIL04P.html
30年近く前に小学生だった記憶によると、6年生になれば毎日6時間目まで授業あったけど。
んでその後にクラブ活動があった(毎日ではなかった気もするが。吹奏楽なんかは毎日やってたと思う)。
んでまだ週休二日制じゃなかったから土曜も授業あった(土曜は半日だけ)。
と考えると、土曜休みな時点で昔より楽になってない?
いや中学受験予定で毎日塾行って家でも何時間も勉強して…なんて子は大変だろうけど、
そういう子は昔もいただろうしさ(今の方が人数増えてはいるだろうけど)。
田舎と都会で私立高校の位置づけの差が激しくて今更ながらびっくりしている。
地元だと私立って各地で公立諦めた人とか、背伸び受験して落ちた人の滑り止めで1クラスから2,3人しか行かない感じだった。
住んでる地域から願書が出せる公立高校が10校くらいあって、大体その中から自分のレベルにあった高校を選ぶ。
上位の公立高校は毎年東大とか京大とかに何人か行ってるみたいだし、
下位の方は世紀末めいた学校生活らしいから、本当にピンからキリまで公立って感じ。
都会にいくと上位公立よりさらに上に上位私立みたいなのがあるとは聞いてたけど、
ニュース見てたら今住んでる地方都市はそもそも中学を卒業する人数より、
公立高校の定員が数千人単位で少なくて、人気のある公立校は結構な狭き門になっているらしい。
なんていうか、そのぐらい私立に行くという選択が当たり前だし、選択肢も多いんだなあ、というのをようやく実感した。
そらー、子供が私立に通うことになる可能性が田舎より格段に高いなら街の方で子供育てるのにお金かかるわなー。
これで塾に月数万とか模試代とか教材費とかクラブ活動とか……ってなったら、
今の400万いくかいかないかみたいな収入じゃとてもじゃないけど子供作る気にならない。まあ予定もないんだけど。