学校が嫌いだった
私は学校が大嫌いになった。 どうして自分が1年1組にいるのか分からなかった。
目を伏せると、新品の上履きとお古のランドセルの黒ずんだ肩紐が
グラグラと視界の中で揺れた。
頬の中を噛んで、あとからじんわりと血の味が口の中に広がった。
名札に書かれた名前が自分のものかどうかすらわからなくなった。
それからの私は、私自身すらゲストとして扱うようになったんだと思う。
学校も、家庭も、クラブ活動も、塾も、模試の結果表も、小説も、論文も、
ネット掲示板も、飲み会も、mixiも、Facebookも、人混みも女子トイレも、
ぜんぶ、ぜんぶ、ぜんぶ、何処にいても、私はゲストだった。
周りの人間も、私自身も、私が加わるとどこか居心地が悪そうだった。
匿名性が高ければ高いほど安心して、名前や立場が明確になるほど居心地が悪かった。
大教室の授業は平気だったけれど、少人数クラスになるとほとんど拷問のようなものだった。
誰かと15分間話すくらいなら、渋谷の人混みの中を12時間歩き回るほうがよっぽど落ち着いた。
国とか、世代とか、誰かが私を含む集団を主語に話しているのを耳にすると、
たちまちどこか知らないところに行きたくなった。
そんな私がいま、どこで何をしてどうやって生きているのか、
どこかに所属しない人間は生きてはならないと、誰もが言うくせに、
私を所属させる心づもりは誰も持ち合わせていない。
相思相愛で、全会一致で、誰も私を受け入れない。せいぜい、ゲストだ。
私だって彼らと同じ意見。もう今更どうしようもなくなってしまった。
このまま、ただ、部屋の中からぼっと外を眺めて生きていければ、