はてなキーワード: 退職とは
今までも鬱の人はいた。
例えば凄く人望のある良いヤツがクソ上司の元で鬱になった。
みんな凄く心配して、可能な限りの配慮をした。結局、異動があってその後は退職してしまったけど、彼に対しては同情の念やそれまでの功績に対しての感謝こそあれ、鬱になったからと言ってその事に対しては何もない。むしろ不憫に思う。
他には、中途採用したけれどすぐに来なくなった人もいた。
実はもともと鬱病で、環境の変化に耐えられなかったようで吐き気が出てしまい、業務が続けられないと言われた。
そのまま出社しなくなり、そのうち人事から連絡が来て人事付きにするからと言われ、ほどなくして退職したようだった。良い人そうだったので残念だった。別に迷惑だとか思わない。一緒に働きたかったなと思う。
ただ、今度の新卒は違う。
勤務時間中に居眠りしやがる。吐き気が出るとかなら心配だよ。でもさ、うつの薬の影響だろうが何だろうが業務時間中に寝るのは給料泥棒じゃねーか。注意しても注意しても居眠りしやがる。
突然休んだりももちろんある。しかも連絡がメールだったりする。
そりゃ鬱じゃなくたって病気になることはあるよ誰だって。でもさ、そんな毎月突然休まれたらさ、そいつがいなくても問題ないように仕事を組まなきゃならなくなるじゃん。そいつがいなくても問題ないようにするってことはさ、いらないってことなんだよ。負債でしかない。
育児勤務者と比較してどちらも似たようなもんなんだから受け入れろって言うやついるけどさ、違うじゃん。
育児勤務者はその前までフルタイムで頑張ってたじゃん。仮に入社後即産休だとしてもさ、終わりが決まってるし勤務態度の問題とは違うわけじゃん。
最初っから鬱のやつはさ、今までに何の貢献もなく、今後戦力になるかどうかもわからず、というかならない可能性の方が高く、それでも配慮してやんなきゃいけないの?お客さんなの?仕事なんだよ!
最初っから鬱なら障害者枠で入れよ。普通に就職したなら普通を求めるし、仕事が全うできないなら辞めろ。今すぐ退職しろよ。お前の存在は迷惑でしかない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/81487
うちの場合、片方の親がこれ。お前の人生意味働いてるだけで意味がない、仕事なんて玄関出て帰ってくるだけ、などの罵倒をもう片方の親に飛ばしまくり、私が止めると「息子にも社会にも理不尽に嫌われる私は世界一不幸」botになるほうの親。
とんでもないクソみたいな罵倒という加害をしてるのに、自分は何も悪いことをしていない、正義なのに反発してくるこいつは悪だ、みたいな感情しかないんだろうな。私にも平気で罵倒してきて、それに対して怒ると「反応するお前が悪い、反応するな自意識過剰、悲劇のヒロインのつもりか、社会で通用しない」、無視すると「今のは悪意じゃない、悪意を見出すとか悲劇のヒロインか、社会で通用しない」などと言ってくる。真面目に反論しても「あーはいはい、また癇癪ね。私が黙ればいいのね。」って大声で言って以降無視。どんだけ自分が正義だと思ってんだ。本人いわく、「自分が絶対正しいなんて思ってない」そうだ。
だとしたら、もっと悪い奴。「自分が正義だとは思っていないが、お前は絶対悪」って簡単に思い込める奴だからだ。加害しても「私は絶対正義ではないからそういうこともある」だし、ちょっとでも気分を害したら「お前は悪!加害者!」っていう被害者しぐさを始める。
で、無視されようがなんだろうが徹底的に間違ってるとこを指摘すると「社会で通用しない(キリッ)」って決め台詞を吐く。ご本人は自称「会社でお局様にいじめられた」から退職した専業主フのくせにね。これ基準のいじめられたなんて、ミスを普通に指摘されたレベルのことだろ。
このあたりを全部、直接オブラートに包みまくって伝えた。逃げ道全部潰されて旗色が悪いと見た瞬間に「親失格だぁ」「頑張ってるけど私が頭悪いせいで迷惑をかけちゃったぁ」なんて徹底的に「子供に嫌われてもけなげに頑張る親」を演じ始めた。そういう親と理解してたので、すかさず「私は親として駄目なんて言ってない、人間として最低だって言ってるんだ」と最後まで徹底的に潰した結果、「今にわかる」「子供ができればわかる」「私の身になればわかる」などと繰り返す壊れたレコードになった。ずっと「社会で通用しない」とかの決めゼリフで不都合なことを黙らせてた方の親、自分が被害者であるという妄想を一生崩さない。
つまりは、被害者ポジションを徹底的に崩さないどうしようもない悲劇のヒロイン症候群患者は、男女問わんってことだ。
お前らも悲劇のヒロイン症候群にだけは侵されるなよ、一生不幸なことがアイデンティティになって、自らの加害にも誤りにも気づけなくなって、世界から嫌われる自分は世界一不幸、までシームレスにつながって、被害者に対して「お前の受けてる被害なんて大したこと無い、私のほうが不幸」っていうタイプの人間として最低の奴に成り下がるぞ。
定年退職までそれなりの役職でバリバリと働いていた親父だが、定年後はほぼ何もしない生活をおくっていた。
起きてからネットサーフィンしたり、株価みたり、たまーに友達と旅行や飲みに行ったりと、まぁ老後らしい生活をしていたわけだ。
おふくろも、俺もダラダラ生活しすぎてて、ぼけてしまうと危惧し、色々進めてみたものの、気乗りしないようで結局何も始めることはなかった。
そして、退職から10年目の今年、「最近、父さんがボケてそう。変なことを言うようになった」と語っていたおふくろがおやじを病院に連れて行ったところ、認知症と診断された。
心配とかよりも、呆れと怒りのほうが強い。認知症は誰しもなりうるし、対策をしていてもぼけてしまうことはあるだろう。しかし、しかしだ。
あれだけ色々言っても何もしなかった、おやじが悪すぎる。つっても本人がそれをどれだけ理解しているのかも反省しているのかも、後悔しているのかもわからないのがまたたちが悪い。
身内や自分自身が退職してダラダラしてると思ったら気を付けたほうがいい。
まじで、まじで、ボケるから!! なんでもいいから、人とかかわりを持って適度なストレスと刺激を与えとけ!効果あんのか知らねーけど、やってなかったら子供に恨まれるから。
正直、相手が辞めようが何とも思わない。
感情が欠落しているのかもしれない。
仕事上で仲いい人が居ないってのもあるだろうけど
学生時代も寄せ書きは大嫌いだった。
友達のと見比べても、代わり映えしない。
この場かぎりの人間なんだから、ほんと書かなくていいよな!って心底思ってた。
先輩たちに寄せ書きを書くのも本当に面倒だったのを覚えている。
相手に対して何か思うところがあるわけでもなく
「あぁ、辞めるんだな~」くらいの感じだ。
それなのに、関係者全員に「寄せ書き書いて!」って言ってくる。
グループ会社の一番上のほうの、しかも重役の人相手の寄せ書きだったりする。
定年退職ってやつだ。
プレゼント代は喜んで出すから、寄せ書き免除してくれないかなぁ。
本当に嫌。何書こう。
入社した3年ほど前からお世話になっている直属の上司が数ヶ月後に退職することになった。
1週間ぐらい前に、Aにランチに誘われて、ご飯中に本人不在の中上司辞めるんだよ。知ってた?盛大なお漏らし。
Aからだけじゃないんだけど、一定の役職以上しか知らないことをお漏らしされるのはこれで4回目。ひどいはなしだ。
Aが私をランチに誘っていることを見て、漏れるな。と勘づいた上司がお昼明けにすぐに話してくれた。仕事できる人ってすごいな。
頭真っ白で、どんな返答したのかも覚えてない。
私が入社する半年ほど前に、経営者が変わっており、管理職の上司と経営者の馬が合わないのだろうなと思うところもあったから驚きはしなかったんだけど、なんだかモヤモヤする。
それからずっと、もやもやもやしてて胸が気持ちわるい。上司が退職後の業務に対する不安が大きいだけだよなぁと思っていたんだけど、ずっとモヤモヤするもんなの?
言葉尻が強くて、わりとお天気、基本には良い人だけど、トゲがある。ちょっと癖が強い上司
上司と合わず辞めていく方も多い中からか、増田は上司は平気?大丈夫?と社内で何人から言われたことか。
上司みたいになりたいとか、上司の元で仕事していて、もっと学びたいなとか、上司の期待に応えたいとか、上司みたいになりたいとか。経営者変わる前の役員や管理職がどんどんやめていく中で、弊社大丈夫かな?と思うところはあったけど、上司の下で働きたい。って憧れみたいな感情があるよ。恋してるかな?なんなの?
上司が居なくなったらってら考えるだけでも
人生の門出だからお祝いしたいし、転機だからきっと上司もワクワクしてるんだろうなぁとか思いつつ、業務の不安とは別の悲しいなぁ寂しいなぁと言う感情にモヤモヤしてる。
上司に恋してるのかなぁ
1)男女は平等であるべき、性別による能力の決めつけは良くない。
→その通り、よくない。
2)たとえば医学部受験の問題はひどい女性差別であり許されない
→その通り、許されない
→病院は深刻な人手不足で、女性の医師は中途退職が多いという事情がある。なんでも差別の問題にすべきではない。
4)そもそも女性の医師が早期退職するのは育児支援の不足など働く女性への理解不足が原因。
5)さらには長時間労働など仕事の量と質が男性基準のままだから
7)じゃあ女性差別はどうやったらなくなるのか。
→女性自身が軽い仕事の無責任でいられる地位に甘えているなら、差別がなくなるわけがない。いま男性が多く担っている責任や負担を女性も背負うべき。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/umamusume.jp/news/detail.php?id=news-0124
子供の頃自分は人より劣っていると思っていた。普通の人間には到底なれないと。
教育熱心な母親と頭の良い弟の3人暮らしで、勉強のできない私は肩身が狭かった。
私には何も無かった。毎日辛かった。
楽しいはずの子供なのにこんなに毎日辛いなら、大人になったらもっと辛いに決まってる、そう思った私は大人になる前に死のうと決めた。
高校では虐められなかったが、学校が面倒で半分不登校になった、
勉強は嫌いだったが、母がお金を捻出して熱心に塾に通わせてくれたので大学にはなんとか入学。
大学でも友人は出来なかった。
カフェ巡りやファッションも贅沢だと思ってひたすらバイト代は貯金していた。
中高時代ブス扱いだった為、自分なんか汚物のような顔だと思っていたが
調子に乗って遊びまくった。
私にも価値があるんだと思えた。承認欲求が満たされたと同時に女に産まれた事に感謝した。
働きたいとも思えなかったし就きたい職業もなかった。
が、奨学金返済もある。
大学4年の12月、適当に受けた中小企業に内定を貰ったのでそこに決めた。全く興味のない職種だった。
周囲は大手企業や銀行、やりたい仕事に内定を貰ってキラキラしていた。
女性活躍の流れもあり、有難いことに同期の中でトップの評価を頂いた。
小中時代に汚物扱いだった為、ブスだと思い込んでいたが実は顔も悪くなかった。
天パ出っ歯メガネのブス3装備を縮毛矯正歯列矯正コンタクトにしただけで
周囲からの評価がガラッと変わり、急に美人扱いされるようになった。
同い年でとても優しく大切にしてくれた。収入も良く将来的には結婚したいと言ってくれた。
私は人生で1番死にたくなった。
何が辛いのか書いていきます。
まず仕事。
本当は辛い部署で努力してる同期が評価されるべきなのに、たまたま花形部署に配属され、
たまたま私が女で、たまたま仕事がちょっと出来るという理由だけで、私が評価された。私よりできる人はたくさんいたのに。
顔もそう。社内で同じ苗字の同期が居た。その同期はブスだった。
私は美人な方の○○さんと呼ばれた。
申し訳なさで死にたくなった。
その子の髪や手を見てもめちゃくちゃ美容に気を使ってるのが分かった。
でも美人な方と言われるのは私だった。これもただの運。
そして恋人。
結婚したいと言われたが、私は微塵も思わなかった。子供も欲しくなかった。
一緒に死のうと言って欲しかったのに、死にたいというとめちゃくちゃ心配された。
一緒に生きようと言われたが、そっちのが辛かったのでフった。
本当に誠実な人だったので申し訳なかった。
私は子供の頃ダメな人間だから死ぬしか道はない、だから死にたくなるのだと思っていた。
でも大人になったら違った。
やりたいことが無い、生きたいと思えないから死にたいんだと痛感した。
三浦春馬自殺の報道で、「恵まれてるのに…。変われるもんなら変わって欲しい」
と皆が言った。
周囲の人に申し訳がなくなる。生きてて本当にごめんなさい。
ブスに産まれたあの子や、仕事が出来ないあの子と変われるもんなら変わってあげたい。
自分より劣ってる人に出会うと私がそのスペックに産まれてたらとっくに自殺してるわと思った。とても失礼。ほんとにごめんなさい。
もっと言えば地雷原で必死に生きてる国の人々、奴隷労働をしている人達、病気で苦しんでる人達と変わって死んであげたい。
死ぬ理由は自分でもよくわかりませんが、皆が生きる理由ももっと分かりません。
私より不幸な境遇やスペックに産まれて生きる気力に満ちてる人、結婚して子供を作ろうと思う人ほんとに尊敬します。
こんなことリアルやTwitterで話しても、え?自慢?嫌味?って思われるだけだと思うのでここに吐き出させてもらいました。
もしここまで読んでくれた人がいたら、とてもありがとう。
私がこの会社で社会人として立派にやっていくことだけが唯一の楽しみなら、わたしが退職してニートになったら生きがいを失うのか。
申し訳ないと言っているけれど、内容はヘソを曲げて怒っているだけ。謝ろうなんて気はさらさら無いだろう。
不機嫌と怒声で人をコントロールしているだけだ。
そういう人が本当に嫌で、そういう男が本当に苦手。
何でも大袈裟に怒って人に言うことを聞かせるの、どうして昔から変わらないんだろうね。
昔は人を叩いて言うことを聞かせてた。
今は怒って言うことを聞かせてる。
私が可愛いからとか大切だからと言うなら、私の人生を私に任せてくれよ。
うんざりだ。親にこんな事言うなんて情けなくて悲しい。
親の有り難みは当然感じているけれど、時々これ以上耐えられないと思うほど生きづらい。
みんなどうしてるんだろう。
いつかマシになる?気にならなくなる?
あなたはどうしてた?祖父とどう折り合いをつけた?祖母にはよく怒鳴っていたね。
でも歳を取れば取るほど、人は頑固になるって言うじゃない。
それなのにこんな事で悩んでいる。
営業アシスタントで入社した今の部署、退職が続出してて、入社3年目にして解散することになった
営業の人たちはそれぞれ他の部署に配属されたけど、アシスタントのわたしだけ、他の部署でアシスタントやるか人手の足りない社内システム部に行くか…っていう雰囲気で進退未定だった
結果的に、前職でSEしてた経歴を掘り起こされて社内システム部に異動になった
結婚して、子供もいずれ持つだろうから…と言う判断で、定時で帰れて育休も時短も実績多数あるから、給料安くても今の仕事に転職したのになぁ?!
前職、社内システム部とかじゃなくて、機械メーカーの組込系の仕事だったから正直ネットワークとかクラウドとか全くわからないしその仕事自体も正直苦手で苦痛だったから転職した部分もあるのに
しかも異動したら残業も休出も増えるのに給料据え置きとか嫌すぎる
社内システム部の人、普段何か問い合わせとか依頼してもすっごい上から目線でなんもわかんないバカ相手すんの嫌だわーって雰囲気出してきててマジで腹立つよねって他の部署のアシスタント同士で愚痴りあってるくらい感じ悪いのにそんなとこでやって行ける気がしない
夫は元同僚だから、社内SEいいじゃん〜!って応援してくれるけど「私が死ぬほど出来が悪かったの覚えてるでしょ?!」っていうと言葉に詰まってたからやっぱり無理かもって思う部分もあるっぽい
でも三十過ぎで未経験で事務系の仕事探すのめちゃくちゃ苦労したからそこからさらに年齢積んでるのにまたあの苦労をするのもつらい
とりあえず一年だけ頑張ってみよう…とは思ってるし、ダメならやめて本格的に妊活しても良いかもね〜って夫も言ってるし、4月からも頑張るけどさぁ
結婚しててよかったな…たとえ体壊して辞める羽目になっても、即露頭に迷う心配ないしな…
でも逆に夫が身体壊して仕事辞める可能性もあるから出来る限り細く長く働いてたいんだよなぁ
あーーー頑張りたくない!!!!
タイトルの通りです。
新人達は毎年大勢入ってくるけど、時代に追いついていない現状を受け入れられずに辞めていく。
こんな感じで、都会育ちにはよくわからない文化が蔓延っている。
有名大学出て入社してくる都会の学生は、結構この辺りにギャップを感じるらしい。
逆に、田舎育ちは純粋だし娯楽がない環境で育ったから、これらを許容しやすい。
みんなどこへ行ってしまうんだろう。
数ヶ月前に転職した。
文字通りの裁量労働で、労働時間が多少短くても成果を出していれば、問題視されず正当に評価されていた。
お賃金も平均より貰っていた。
ただ、労働環境としては最強だったが、自分のキャリアを見据えたうえで得られるスキルとのミスマッチを感じ退職した。
しかし、労働時間が長い。毎日早くて22時くらいまで仕事している。
野菜や肉などバランスの良い食事を心がけていた。メニューを考える余裕も、買い物含めて作る時間も充分にあったわけだ。
体調も体重もベストと言える日々だった。(思えば体重もほぼ毎日測っていた)
現職になりそれが崩壊した。
買い物に行く時間も。作る時間もないので基本外食かウーバーイーツかコンビニだ。
メニューを考える気力もないので、とりあえず早く食べられて腹が満たされるジャンクなもの一択。
それに慣れてしまうと休日さえも健康的な食事より、揚げ物や味が濃いジャンクなものばかり選ぶようになってしまった。
その生活で数ヶ月経ち、ズボンがきつくなってきたのでいよいよやばいと思い、久しぶりに体重を測った。
ウンチの色も匂いも良くないし、疲れやすくなっている気がする。
金はあるので良い食事ができるはずだが、時間と気力がないので自ずとジャンクなものになってしまう。
貧困層が肥満傾向にあるという話を聞いたことがあるが、金の問題だけでなく心や体力の問題もあるんだろう。
さて、今年度の7月に適応障害と診断を受けてから8ヶ月の時間が経ちました。
この8ヶ月の中での変化や、心や気持ち・環境との対峙の仕方などについて書いてみたいと思います。文脈が崩壊したり、段落のつながりが見えなかったりしたら、ごめんなさい。
【読んでくれると嬉しいなーという人】
1、診断の効用と注意点
診断が下ったことで、自身の状態が外部のストレス環境に大きく依存するということがわかりました。環境によって波は大きくなったり小さくなったりしますが、そういった波とうまく付き合っていくための方法を獲得できました。もちろん、まだまだ未獲得だったり、未学習な部分も多いですが。
(これについてはあとで詳しく書きますね)
一度自身の精神的にきつい状態を認めて病院に行き、診断をもらうということは、”病理”の世界に立ち入るということなのだと思います。
そうなったときに、一点不安だったことが、自分のアイデンティティの根っこを「病気」に持っていかれるのではないかということでした。つまり「病気だ」というラベルを自分自身につけて剥がせなくなるということです。これはメリットもデメリットもあることだと思います。
例えば、症状がひどかった当時は、診断書をかばんに入れて持ち歩いたりしていました。おそらく当時を振り返るに、自責傾向の強い自身にとっては、「自分は病気だ」とラベルを貼ることが唯一自分を責めないための手段だったのだろうと思います。「がんばらないと自分の価値がない」という精神的シャカリキさから、「もうがんばらなくてもいいんだ」という気持ちへ、診断を機にやっと切り替えることができた感じですね。診断の力はすごいです。
また、適応障害を機に、調べたり本を読んだりすることで、自分の認知がかなり歪んでいるということにも気づくことができました。(「認知の歪み」は過去記事にもある通り、去年の7月に「みんな私のことが嫌いなんじゃないか」などの考えのことですが、これは日常のささいな他人の言動を捉えるときにも適応されるので、取り組むことは一定重要な課題だと思います)。これは一朝一夕では解消されないので、なかなか苦労していますが、長期的に改善できるといいなと思います。
③別の病気への移行
適応障害はストレス環境により症状が出てしまうという一過性のものなので、ストレス環境から身を離せば、症状がなくなります。ただし、うつ病(恒常的な)だったり双極性障害にも移行するということもあり、ちょこっと注意しなきゃいけないな…と思っています。
この移行は、診断をきっかけに起こることなのかわからないですし、ごく個人的な所感なのですが。あまりに病識が強くなりすぎた場合に、「ほかの病気のこの側面も自分の状態にあてはまるんじゃないか…」と強く思いすぎることにより、自分の不安定な状態を強化していく…というサイクルに入るんじゃないかなと思います。ここについては、ちょっと個人的に思うところもあるので、また別の記事に機会を見てまとめます。
2、波とうまく付き合うためのあれこれ
①感情を記録する
「muute」というアプリを用いて感情とその日にあった出来事を記録しています。記録することでよかったことはまだよくわからないけれども、2ヶ月くらいやってみた所感として「気分がいい時には記録つけない」「気分が落ちすぎていても記録つけられない」ということ、軽くしんどい時には記録を取れます。記録を見返すことで、「何がきっかけで落ちることが多いのか」を把握することができます。あと、アプリのデザインがかわいい。そして、毎週AIからの「ニュースレター」が届くのが嬉しい。
もうちょっと重めの出来事を整理するのために「認知行動療法アプリ」というアプリを入れています。これは割とがっつりと書かなきゃいけなかったり、アプリのデザインもあんまりかわいくなかったりするので、個人的には使いにくいなーと思うんですが、ちゃんとやれるならよいと思う。私は一度だけ、先月末に仕事であった出来事を振り返るために使いましたが、頓挫しました。認知行動療法を一人でやりきるのは、結構エネルギーがいるので、信頼できる人と一緒にやれるといいかもです。だれか一緒にやろう。
②依存先について
どっかの大学の熊谷先生は「依存先を増やせ」ということを常々から言っていますが、その通りです。依存できる場所は分散し、相談の内容もそれぞれに分けられると超ベスト。これは相手のためでもあるし、自分のためでもあります。
ざっとあげると、「母親」「病院」「社内の相談窓口(キャリアセンター、こころの相談センターなど)」「仕事の同僚」「退職した元同僚」「パートナー」「知人」「元劇団の人たち」などかな。大学とか会社とかなんらかの組織に属している人は、組織のリソースはガンガン使った方がいいです。これ読んでいる人に学生さんがいたら、とりあえず健康センターとか保健室とか、なんでもいいから、お茶しばきに行く感覚で軽めのノリで一度はいっとくことをおすすめします。相談のハードルを元気なときに下げておくことも大事です。
個人的な話に戻ると、最近は友人との接触頻度を増やすことに意識を向けています。例えば、「ゲームやるだけの仲間」に入れてもらったり、過去の大学の友人に気軽に話せる場(「mocri」というアプリ)を持ったり、「〇〇の会」と称してエネルギーのある時には知人を家に呼んだりしています(例、「私たちのためのバレンタインの会」など)。対面で会うのは結構エネルギーいるから、そのときにはオンラインの手段もまぜこぜにしながら、ぼちぼちね。
あと、予定の管理がなかなかできないので(当日体調が悪くなったり、コンディションが悪くなるということが結構ある)、気の知れた人には「波が読めないので、当日連絡するか、遊びをやってることだけ教えてもらえたら当日調子がよければ行く」というふうに事情をつけて話しています。
③過敏さとの向き合い方
今「HSP」なんて言葉が大流行しており、書店での平積みも凄いことになってますが、「過敏さといかに向き合うか」という命題は、特性によりけりでしょうが、「すぐ疲れちゃう」と感じている方にとっては、とても大事です。情報の取り込みすぎは、疲れちゃうから制限しながらね。私の方法を載せておきます。
【音】
音への過敏傾向のために「耳栓」はマストです。トイレやキッチンの換気扇や冷蔵庫の「ブォーン」という音が気になった時には情報取り込みすぎのサインだと思っています。
最近耳栓が役に立ったのは、水族館のイルカショーに行った時でした。意図せずスピーカーの真ん前に席を陣取ってしまい、生の音に触れた時には頭が割れるかと思ったので、よいしょとつけました、危機回避成功。あとは最近は電車ですね、地下鉄とJR快速は要注意。窓が開いていて大変に脳みそに音が突き刺さってくるのでイヤホンもしくは耳栓マストです。
【光】
これは入社当時から苦労していたのですが、白熱電球が大の苦手でして。白熱電球の下にいるだけで、パフォーマンスが低下することがわかっています。だから、なるべく太陽光を取り込んだり、廊下の光だけで部屋の中は電気を消したりと、いろいろ工夫をしています。前の教室とかだと「電気ついてるけど消そうか?」とか「窓のある部屋がいいですよね」とか、スタッフみんなが配慮してくれました。感覚はひとそれぞれだから、しんどいときにはちゃんと言えることが大事です。ちょっと勇気いるけど。
【睡眠】
ストレスサインとして「悪夢」と「途中覚醒」は念頭に入れておいています。キャパシティを超えるストレスを受けた時って、交感神経優位な状態で睡眠に入ってしまうことが多いので。交感神経鎮めてから入眠する(お風呂に入ったり、湯たんぽ使う)などがベストですが、極度に疲労しているとそれもできにくいと思うので、お薬の相談もできるといいかなと思っています。自分はまだ眠剤は使用していないですが、場合によっては。
【教えて】
スマホとの距離感は、今試行錯誤です。依存気味なので、いい方法あったら知りたいです。
【その他】
鬱の状態のときの衝動性は怖いなとも思うんですが、早く通り過ぎるものに吸い込まれるってのは、本当にあるのね。だから「ホームの端っこにはいかない」「赤信号の時には道路のキワに立たない」ことは普段から意識をしたいものだなって思います。
3、最後に
新年度が始まり、社会人4年目になる4月に向けて、近況報告がてら書いてみたいという思いで書き始めましたが、波と付き合うための手立てやアウトプットできることがなかなか増えていて、自分でも感心しました。
こないだ見た映画で「いいなあ、君は私とは別れられるけど、私は私とは別れられないんだよ」というセリフがあって、「あーその通りだなー」ってぼんやりと思ったんですよね。そうそう、別れられないなら仲良くする方法を探すしかないのです。死ぬ勇気もないので生きるしかないんですが、穏やかに生きられるための方法や環境をゆるゆる作っていきたいものです。
rocoroco3310 結婚出産で退職するから女性を雇わない、のは差別的だが「女性は早期退職する割合が高い」のは統計的に事実。でもその事実そのものが差別の結果なんだよな。差別の結果を理由に新たに差別をするマッチポンプ
これ何言っているのかよく分からないんだけど誰か教えて
裏側に風が吹けば桶屋が儲かるみたいな、差別をされたら差別ができるみたいな理屈があるってことだと思うんだけど分からない
少なくともサテライトオフィスとして契約する法人はちゃんとした会議室とみなしている
費用を抑えるためにレンタルオフィスを選んでるのに一等地である必要性がない
仮に一等地であってもフリーランスやなんだかよくわからないのを対象にした簡易で小規模なレンタルオフィス・シェアオフィス使うだろ
なんだったら最初からワークスペースゼロのバーチャルオフィスプランを使う場合もある
飽きてきたからまとめるな
前々回の投稿(11)で言及した『映画秘宝』内部で起きていた「業務の『私物化』」について、引き続き今回も述べようと思います。
ムック形式が好評だったこともあり、90年代の終わりに雑誌化・大型化を見事に果たした『映画秘宝』は、傍目には順風満帆に見えました。しかし、初期の同誌を読んでいた方々ならばご存知のとおり、若者の購読者を想定した誌面作りとはお世辞にも言えませんでした。初期の『映画秘宝』がそのターゲットにしていた購読者とは「子供時代の70年代に映画館やテレビで観た映画についての記憶を、編集者・ライター陣と共有する大人」だった訳ですが、当時そんな条件を満たしていた人たちは、私も含めて既に「立派なオジサン・オバサン、若しくはその仲間入りも間近な人たち」でした。そのままでは購読者の高齢化によって、ジリ貧に追い込まれるであろうことは明らかでした。
したがって、雑誌『映画秘宝』が将来的にもビジネスを継続して生き延びるためには、長期的な戦略として「より広範で多様な読者層を開拓すること。それも、特に『若者層』と『女性層』を購読者として積極的に取り込むこと」を選択するべきでした。しかし、こんな事を今さら書いても、後の祭りです。
ご承知のとおり、それとは正反対の戦略を『映画秘宝』は選択しました。いや、何らかの戦略を選択したと言うよりも、むしろ「長期的な戦略など、当時の『映画秘宝』編集者・ライター陣は露ほども真剣に考えてはいなかった」と言う方が正確かもしれません。
覚えている方もいるかもしれませんが、高橋ヨシキが『映画秘宝』の表紙デザインとして、邦画から引用した「裸の女性が荒縄で緊縛されて馬に跨がる残酷エロ画像」をコラージュして仕上げたことがありました。この表紙について、町山智浩は「この表紙じゃあ女性が手に取り辛い(=買い辛い)」とボヤいていました(※注)。雑誌の「顔」である表紙がこんな状態だったぐらいですから、高橋ヨシキの頭に「女性購読者を獲得すること」など微塵も無かったことは明らかです。
既に述べたとおり『映画秘宝』は「女子供から映画を取り戻せ!」をスローガンにしていた訳ですから、むしろ「いかに女性が手に取り辛い(=買い辛い)デザインにするか」について考えた上で、高橋ヨシキは意図的かつ積極的に「女性が嫌がりそうなデザイン」に仕上げたのだと考えるのが妥当です。きっと、このような表紙を作っていた時の高橋ヨシキは「オレたち男だけの輪を乱すような奴(=女性)は、お呼びでないから帰った!帰った!」「この表紙デザインを見たら、きっと町山さんも喜ぶだろうなあ!」と云う気持ちを込めていたことでしょう。(※注:ところで、町山智浩も本気でボヤいていたのではないのだろうと私は思いますが、そう思う理由については別のところで述べます。)
近年は真魚八重子などの女性執筆者が『映画秘宝』に登場する機会が増えてはいましたが、それで町山智浩や高橋ヨシキの芸風が改まったようにはとても見えず、むしろ却って「これでもオーケーなんだ!こんな芸風でも女は許容してくれるんだ!」と彼らの勘違いを助長したと云う可能性すら有ると私には思えます。仮にそうだったとしたら、真魚八重子の頑張りが報われていなかったことになって、非常に気の毒な話ですが。
また、これも既に過去の投稿でも述べたことですが、比較的早い段階から『映画秘宝』は、ごく少数の寄稿者(例:山本弘)を除けば「アニメファンを蔑視・敵視・嘲笑する」と云う態度を明確に打ち出していました。この「アニメ叩き」の姿勢は同誌において長く一貫していたと言ってもよく、恫喝DM事件が発覚する直前にも「『鬼滅の刃』は絶対に観ない!」と、訊かれもしないのに自分たちの方からアピールに励んでいました。
もちろん、思想信条の自由に照らして考えれば、編集者やライター個々人が「何か」を嫌うこと自体は許されるべきです。だから、対象が「萌えアニメのファン」だろうと「女性」だろうと何であろうと、高橋ヨシキらが個人的に何かを嫌うことは自由の範疇あると言えるでしょう。極端な話、内心だけに留めて現実の世界で実行に移しさえしないのであれば、性的マイノリティ/人種・民族etc.に対するネガティブな気持ちを持っていても許されるでしょう。
しかし、その上で問いますが、当時の編集者・ライター陣がわざわざ誌面を使ってまで「女嫌い」や「萌えアニメ嫌い」を盛んにアピールしたり、ゲイを繰り返し「ホモ」呼ばわりして嘲笑し続けて、雑誌『映画秘宝』を売ると云うビジネス全体にとって、何か良い成果を招いたでしょうか?結果的には、女性・萌えアニメファン・性的マイノリティはもちろんのこと、それらに該当しない人たちにすらも「何だか『映画秘宝』は排他的な雰囲気があって嫌だなあ。近づくのは止めておこうか」と思われ、遠ざけられただけに終わったように私には見えます。
そうして「未来の購読者」に成っていたかもしれない人たちも見す見す逃してしまって、長期的に見れば大きな損をしたのではないですか?もしも、編集者やライター陣の個人的な好みに拘ったことによって、ビジネスの未来が失われたのだとしたならば、それについての責任を彼らはどう取るつもりなのでしょうか?
当時の『映画秘宝』の萌えアニメ叩きムーブに関しては、こんな出来事もありました。ある時、俳優の加藤雅也に対するインタビューを行った際、わざわざ「最近の若い奴らは、萌えアニメなんかにウツツを抜かしているんですよ!」と御注進に及んだのです。もちろん、そのインタビュー記事の中では、それに対する加藤雅也の「『萌え』ねえ…」というリアクションの言葉を「例の見慣れた太いゴシック文字」で強調することも忘れませんでした。つまり当時の『映画秘宝』は「あの加藤雅也サンも、萌えアニメなんか好きな奴のことは見下して馬鹿にしているんだゾ!読者の皆も後に続け!」と、虎の威を借る狐のスタイルで萌えアニメファンを嘲笑することに勤しんでいたのでした。それにしても、何の脈絡も無く突然「萌えアニメが云々」とか言い出したので、インタビューを受けていた加藤雅也も反応に困ったのではないでしょうか。加藤雅也についての面白い/興味深い話を読みたい読者の立場からすれば「何でインタビュアーがいきなり『オレは萌えアニメが嫌いだ!』と自己主張を始めるんだよ。お前は主役じゃねえだろ。お前の自己満足にスペースを割くぐらいなら、もっと加藤雅也の言葉を載せろよ」と云う感想を抱くしかありませんでした。きっと、このインタビュアーの脳裏には、読者の存在及び読者のニーズなどは思い浮かびもしなかったことでしょう。
上で述べたような行動に熱中していた『映画秘宝』編集者・ライターたちは、ただ単純に「『自分たちの欲求』が充たされて気持ちが良かった」のだろうと思います。もちろん自分の欲求を充たしたいと思うことは人間として当然ですし、仕事を通じて欲求を充たすことが出来れば、こんなに幸せなこともないでしょう。しかし、それをするならば良識と限度が必要不可欠です。わざわざ無駄に敵を増やし、未来の購読者を失ってまで「自分たちの欲求を充たすこと」を優先したことは、仕事(ビジネス)として必要なこと、正しいことですか?
ひょっとしたら「眼の前の『利益』を捨ててまで『信念』(=嫌いな奴らを大っぴらに嘲笑すること)を貫くことが出来るから、オレたち(=『映画秘宝』)はスゴいんだ!」と、『映画秘宝』切り株派は自分達に酔っていたのかも知れません。しかし、それは別にスゴいことではありません。
洋泉社としては、雑誌『映画秘宝』の刊行を「遊び」や「無償ボランティア」として、ではなく「まっとうなビジネス・業務」として行っていた訳です。それには先ず雑誌が売れること、それも短期的にだけではなく長期的に売れることが先決であり、その為には更に、購読者を増やすことが何よりも重要でした。したがって、これらの重要事項こそが『映画秘宝』製作チームに対して洋泉社が何よりも先に求めたことだったはずです。「何よりも先に」です。
それなのに、購読者を増やさず、と言うよりも増やす為の努力を端から放棄して、逆に無駄に敵を増やすことにだけはキッチリ勤しんでいた訳ですから、洋泉社にとって『映画秘宝』の編集者・ライター陣は、さぞかし頭痛の種というか獅子身中の虫というか、実に困った存在だったと推察されます。
こういった「まっとうなビジネスであれば求められて当然の事柄」には応えようとせず、何よりも先ず「自分たちの欲求を充たすこと」を優先して仕事に臨む、これこそが私の言う「業務の『私物化』」なのです。
この文章を読んでいる方は、試しに想像してみて下さい。もしも貴方が何処かの会社などに勤務していて、社員皆一丸で協力して赤字解消や顧客開拓などに努めねばならない時に、赤字を垂れ流したり顧客どころか敵を増やす行動にばかり勤しむ同僚が社内にいたとしたら、しかも、それに勤しむ理由が「自分が気持ち良いから」とか「これをやると○○センパイが喜ぶから」とかだったら「テメエの『趣味』の為に業務を『私物化』するんじゃねえよ!」と言いたくはなりませんか?単に「職業人」としてだけではなく「社会人」としても失格でしょう。
このように『映画秘宝』の行動は、とても「長期的な利益を考えている」とは思えないようなものばかりでした。岩田和明による恫喝DM事件を見れば分かりますが、ごく最近の『映画秘宝』内部でも「長期的な利益を考えず、自分が気持ち良くなることを優先する」と云う風潮が継続していたことは明らかです。更に、岩田和明が退職するからと云う理由だけで、のんさんの連載を打ち切って雑誌の「売り」を無くすように仕向けたことも、これまた雑誌全体のことを考えない「自己中心的な行動」でしょう。
仕事に関して「長期的な利益」について考えると云うことは「自分よりも若い世代に残す未来」について考えること、つまり「責任感の伴う態度」です。これに対して「業務の『私物化』」とは、仕事に臨むに当たって「今」の「自分」のことしか考えないこと、つまり「無責任な態度」です。
『映画秘宝』は、彼らが「精神年齢の幼稚な奴ら」と見なして嘲笑していたアニメオタクや「馬鹿な宣伝に騙されて底抜け大作を観に行く奴ら」と侮蔑していた女性と、彼ら自身とを勝手に比べて「自分たち(=『映画秘宝』の編集者やライター)はアイツらと違って『大人の男』なんだ!」と周りに向けて盛んにアピールし続けてきました。しかし、果たして彼ら自身は本当に「大人」と呼ばれるに値する人間だったでしょうか?
「雑誌の未来」よりも「自分たちの欲求」を優先し続けてきたことを、中心メンバーによる「業務の『私物化』」と呼ばずして何と呼べば良いのでしょうか?「身体は大人、頭脳はコドモの幼稚な遊び」でしょうか?
高橋ヨシキら「切り株派」が居なくなった2号目にあたる『映画秘宝』に、アニメ作品の特集記事が掲載されることが予告されました。この「居なくなった途端に」と言っても良い動きを見るに、おそらく「切り株派」が彼らの一存で他の派閥の編集者やライターに対して「『映画秘宝』でアニメ作品を扱うなよ!」と有形無形の圧力を掛けていたことは、想像に難くありません。そのような圧力が存在したとしたら、一部の人間の一存で企業努力の可能性を封じられていたことになるのですから、これもまた「業務の『私物化』」です。
「今」の「自分(たち)」のことしか考えない「無責任な体質」なのだから、年下の女性に対して恫喝DM攻撃を行ったり、自分たちよりも年下のフリーの女性編集者に対してパワハラを行ったりするのも、何ら不思議ではありません。告発を受けるまで、何一つ疑問に思わなかったのは「本当」でしょう。何しろ彼らの頭に有るのは「自分(たち)のこと」だけなのですから。
奈良さんがパワハラを告発した後に柳下毅一郎が出した、あの謝罪文としての体を成していない文を読んだ時も「ヨシキくんが報われて欲しい」とか、被害者を置き去りにしたことを書いていて「本当にどこまでも『自分(たち)のこと』だけに終始するんだな」と私は思いました。東大を出たぐらいだから間違いなく柳下毅一郎は頭が良いはずなのに、被害者を含めた「他者の存在」に対して満足に想像力を働かせることも出来ず、謝罪文一つまともに書けないとは流石に想像できませんでした。子供か。
『映画秘宝』の中心メンバーとも呼んでもいい人間たちが「業務の『私物化』」をし続けても恥じなかったのは、彼らの根底に有る「ボンクラと云う『甘え』」の精神だと私は思います。