はてなキーワード: 目眩とは
体調不良なったからって、何科管轄の痛みかなんて、一般人の自分には判断できないけど、どうすれば良いのかなという話。
去年、高熱と喉の腫れが出て、(数ヶ月前にコロナには感染してたから)コロナじゃないだろうし、なんだろうって内科行ったら、抗生物質貰ったんだけど、治らなくて。
ちょっと経って、悪化して入院したんだけど、耳鼻咽喉科管轄だったんだよね。
30年近く生きてきて知らなかったわ。
最初からそっち行ってたら、ここまで悪化しなかったかもしれないと思うと、せめて最初に内科にかかった時点で、耳鼻咽喉科案内しといてくれよ、と思ったわけで。
医者からしたら業務として当たり前の「様子見」の数日間かもしれないけど、働いてる方としたら、その数日間、体調不良で働くのも、休み取るのも、どちらにしてもなにかしらしんどいわけで。
目眩で耳鼻科にかかったときも、「耳鼻科管轄には異常はない」って言われて、「で?」ってなったな。
じゃあ次、何科にかかれば良いのかせめて案内してくれよ。質問して、脳神経科とか精神科とか言われたけど、それでまた目眩の症状に強い医院を、通える範囲で探さなきゃいけないのしんどい。
ネットで調べて病気の自己判断するなって風潮なのに、「自分の症状はこれだから、○○科に行こう」って判断は積極的に自分でしなきゃ、的確に体調不良を治せないの、わけわかんなくない?
今年最後の人言うこともあり、
今日はさー
献血前の油物は厳禁なのよね。
看護師さんにすぐ油物食べたでしょ?ってバレるのよ。
明けて豚カツ食べ納めのトン活でも意気込みたいところだけど、
できる限りのなになに納めをしていきたいと思うわ。
チェックしたしめぼしい番組を2つ見ればいいのよね。
無論紅白とかはみないんだけど、
あとそうそう、
なんだか知らない曲ばかりで
へーと思う反面、
新語流行語大賞のように私の知らないところではやっているんだなーって。
ゲスト登場している人たちの歌い手さんたちの感想が薄っぺらくて
その薄っぺらさをいかに薄っぺらいかって論じるとまた面白そうだと思ったし、
スゴいですね!感動しました!大好きです!って
もう歌い手さんをあまり知らない人が審査員としてゲスト出演した人の
実際にやっていたけど、
後半半分もその感想のボケの3つをいかにこすり倒して逃れているかって様が見え透いちゃって
思わず笑っちゃいそうだったわ。
おかげでサウナが捗りまくって、
今日はトコトンサウナをトントコトンとたっぷり3時間コースで行こう!って思ったけど
案の定、
その薄っぺらい審査委員というかゲスト出場者の歌い手さんへの中身のない感想を見て楽しめたわ。
そう言う人も選ばれると大変よね!って思ったわ。
あれは、
挙げ句の果てに
水が甘い!って言っちゃうほど
なんかもうボケ倒されてるというか、
確かに水が甘い!って感じがあって分かるけど、
水が甘い!って
スピードワゴンさんでも言わないレヴェルだと思うし。
そんななんやかんやで、
サウナぴっちぴちにキメたところがよかったわ。
やっぱり中途半端に1時間未満で仕上げようと思ったら無理よね。
これでもか!って言うぐらい堪能しないと。
おかげでお肌つるつるだわ。
発汗作用は持論だけど外から潤すより身体の中から潤した方が保湿力とかアップするような気がするのよね。
で反面
最近俗に言うととのったーって感じがどんな感じかなんか久しく味わえてないというか、
ととのうの合図かと思ったけどサウナマガジンによるとそれとは違うらしいのよね。
なんかととのう~ってどんな感じか
私は本当のととのう感を味わったことがまだないのかも知れないわ。
水風呂入ってクラクラ目が回るのはあれは整ってないんだと言うことが衝撃だったし
それが整う合図かとおもってたのよね。
私が入っていたサウナってなんだったのかしら?って
サウナ旅の道のりはまだまだ長いなーって思っちゃったワケなのよ。
まあそんな
薄っぺらい歌い手さんへの感想を苦労してひねり出すゲスト審査員というかそう言う人の感想を聞いていると
時間があっと言う間だったわよ。
なんとか時間を捻出して飛び込み前転で銭湯に入り納めしておきたいところね。
さすがに今日は事務所のビルには誰もいなくて守衛さんしかいなかったわ。
こういう時は
何事ももの凄く捗るような気がして調子がいいような気がするわ。
こう言うズババっと集中出来る毎日がずっとあったらいいのにーって思うのよね。
もう今年も残りわずかなので
温かくすごしたいと思うわ。
うふふ。
塩鯖焼いたわよ。
鯖焼くったってトースターでトースト焼くよりも簡単に焼けてしまうから
意外と何でも焼けちゃうのよね。
ちょっと熱めなのがホッとするわよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
今年も1年ありがとうございます!
今年で数え年の25歳になった。
留年した挙句拾ってくれた会社である。受験期の高校生より馬鹿な私立文系のカスを何人も採用してくれる懐の深いIT系の会社だ。
それでどうやって生きてきたのかなという程処理能力が遅いカス、寿司打で一生ミスタイプのSEを響かせてそうな程タイピングはやばいカス。そんなカス達を2ヶ月程で鍛えたのち「バックアップ体制はちゃんとある」と言い、カス達にとっての未開の地(常駐)に放つ大胆さもある。安心する言葉ではある。現に自分には入社3年目のとても頼もしい先輩がついてくれることになった。「余裕余裕!」と嘘みたいに狭い喫煙所でワイワイ笑った。
おすすめの店があるんだよと言われ連れてかれた店が『安安』だったときはどう反応すれば良いか理解らなく、少し抜けたところもあるのかなと笑えた。基本的には面白く優しく仕事も出来る人だった。趣味も合った。麻雀、競馬、野球。タバコ休憩中は常に話が盛り上がった。男はギャンブルとサッカーか野球を知っていればどこでもやっていけるのだと思った。
ある日、とても頼もしい先輩が消えた。LINEはUnknownだった。どうやら退職代行を利用したらしく、本気で使う人いるんだと最後にちょっと笑っちゃった。
バックアップ体制というものは一度なくなったら整えるのは一筋縄ではいかないらしく、自分一人で全てを処理する必要があり残業につぐ残業だった。「まあ辛くなれば普通に逃げればいいしな…」と当たり前のことを常日頃考えていたし、今までの人生でもそういう辛いことあれば逃げてきた人間だったのに、そのときは何故か踏ん切りがつかず結局寝→労働→寝→労働の日々が数ヶ月続いた。
気取って立ちながら仕事できるスタンディングデスクというものが未開の地にはあったので、気取りながら仕事していたところ、急に目眩がしてきた。「ヤニクラかな?」と思いつつまあなんとか耐えていたのだが、あまり今まで自分が感じたことのない苦しさになり、トイレに駆け込んだところ酔ってもないのに初めて吐いた。なんかやばいなという焦燥感よりも「やっとこれで理由ができた」という安堵感の方が強かったのを覚えている。
翌日は日曜日で休みだったので初めて精神科に行った。理由付けを貰うのには一番ぴったりな場所だと思ったからだ。
その日の自分は素晴らしい役者だったので、演技とは思えないくらい自然に泣くことが出来た。先生と話をした後に、理由付書を4,000円で書いてもらいお薬ももらった。もう解放された気分だったので、書いてもらったあとは串カツ田中で独りで美味しい物を食べた。お薬は今も飲んでいる。
今の時代ネットで簡単に異性と知り合うことが出来る。自分はルックスもいまいちだし、高校時代クラスの女子が家庭科の授業中ワイワイ話し合ってた『クラスの中で一番付き合いたくない男子ランキング』で見事ワースト2位だった。
大学時代、初めて出来た彼女に対し「自分は顔が良くないから」とネガティブな発言をしたら「そんなことないよ!」と返され、その優しい一言が、今の自分がまだ恋愛に対して一歩踏み出せる勇気をくれていたのだと思う。
その彼女は別れた後、ゼミ内で自分の容姿を貶してきた男と付き合っていたが。
新しい彼女はとても気の良い子で、料理が得意で、オシャレで可愛い女の子だったと思う。多少ぶりっ子の感じはあったので、男にウケ、女には…なタイプだ。そして巨乳だった。好きになれば関係ないよなんて言うが、自分的にはあればあるだけプラスになるし、虜にもなる。
彼女とは色んなところに行った。転職して土日は不自由なく動けるようになったし、彼女とも予定は合った。自分は地方出身で彼女は横浜出身だった。あちらのほうが都内の地理には明るく、新しい発見を色々させてもらった。
ある日、原宿に行った。原宿駅のすぐ近くには明治神宮がある。自分は明治神宮が好きだった。あんな都会に緑がいっぱいで、歩いていてとても落ち着くところだった。テンションが上がり、じゃあ行こうかとなったところで彼女の顔色はそんなに明るくなかった。「ちょっと疲れてるからカフェでも入ろうか」と言われたのでそうした。素直に従ったが休憩後にも明治神宮には行けなかった。
それから日が空くが、デートをする約束の日に、自分は直前の予定が押してしまい遅刻してしまった。謝ったが、彼女はまったく怒らず「大丈夫だよ」「偶然街で昔の友達と会ったからお茶してていい?」と優しく返事をしてくれた。もちろんダメと言えないし、1時間程遅れてしまうのでむしろ偶然の友達に感謝をした。
駅に着きLINEをすると、まだお茶をしているみたいで一旦彼女と友達がいるカフェまで来て合流しようかという話になった。知らない人なのになという思いは多少あったが、非はこちらにあるので素直に向かった。
2人がいるカフェに入り合流をした。席に着いて2,30分くらいは普通の話をした。まだ付き合って日が浅いけど結構色んな所へ行きましたよとか、彼女の作るミートスパゲティはとても美味しいんですよとか。
そんな話をしていたが、2人が「トイレ行ってくるね」と同時に席を立った。そろそろ良い時間にもなるしここで解散かなと思っていた。
2人は戻ってくるとさっきまでと雰囲気が違っていた。
「大事な話があるんだけど聞いてくれるかな」と彼女が真面目な顔で言った。なんで初対面の人がいるこの状況なんだよと思ったし、戻ってきて顔見た時点で嫌な予感は凄くしていたけど、何故か格好つけて良いよと答えた。
「本当に信じてるものがあって、君にも理解ってもらいたいんだ」と言われた。
頭の中で最悪の選択肢が2つあったけど、難しい方だったみたいだった。マルチ商法であれば真っ向から否定できた。でも言われたことは恐らく宗教のことで、それをマルチ商法と同じように否定するのは憚った。ある意味その人の全てだろうし、真っ白になってしまった。
彼女が言った細かい話はもうあまり覚えていない。自分は「ここでこの話をするのはもうやめたいんだけど」としか言えてなかったと思う。その度に「大事な話だから」と同じ内容を繰り返された。
話は入ってこないし、平行線のままでいたが、「震災でも信じてた人は助かったの」と言われたのはずっと覚えている。
それは自分にとってとても人を馬鹿にした発言に思えた。「それ以上この話を続けるならもう出ていくね」と言っても、あっちはまだ続けようとするので5,000円をテーブルに置き、そのまま店を出た。追っては来なかった。
駅まで歩いて、最寄り駅に着いて、家までまた歩いてるときにちょっと泣いた。家に着いた時点で彼女からは何も連絡はなかった。
今までのことは全部嘘なのかなとか、セックスだって普通にしたんだけどなとか、あっちも勇気出して話した結果こうなってどうなんだろうとか、色々思うところはあったけど、考えれば考えるほど自分がキモくなってその日は終わった。何故か物凄く眠れた。
次の日に「考えは否定しないけど理解は出来ないし、今までみたいには行かないから別れよう」とLINEを送った。彼女は「納得いかない」と言っていたが、修復なんて考えられなかったので、ひたすらゴメンなさいと返し続けた。
別れることに合意はしてくれたのだが、定期的に連絡が来て怖かったので最終的にブロックした。
「久しぶりにご飯でも食べない?」
結構ウキウキで準備をしていたと思う。当時は自分がガキすぎて不細工に見合わない言動をしてしまったせいでヒビが入り別れてしまった。それ故にあちらからまた連絡をしてきてくれたのがとても嬉しかった。
ちょうどあちらの誕生日も近かったので、好きだったハンドクリームをプレゼントとして買うくらいには浮かれていた。
店は焼肉屋で、酒類提供禁止も明けていたのでお互いビールを飲み良い気分になっていた。元カノはどちらかといえば少し気が強く、思考が男寄りなのもあって、話をしていてとても楽しく感じた。あのときはくだらないことで拗ねてゴメンねとか気軽に言えたりもした。
3,4杯飲んで、じゃあ次の店でも行こうかとなった時に、「ウチに来ない?」と言われた。正直急だったし驚いたが、お酒も入っていたので断る理由はなかった。3年ぶりに手を繋いで心臓がバクバク言ってたのを覚えている。
次の日が仕事だったしもちろん着替えもなかったが、そんなことも気にならないくらい良い夜だった。
馬鹿なもので一度ヤれば「復縁かな?」と考えにもなったし、翌日の仕事中はこれからのことで頭がいっぱいだった。
また、次の日が祝日だったので「会えるかな?」とLINEを送った。
返ってきたのは「やっぱりごめん。昨日のことはなし。」という返事だった。立場が逆ならそこらへんにある話だと思うが、その文面を見た瞬間こういうパターンもあるのねと落胆した。
自分本位で上手くいくことを想像すると得てしてそうはならないと今までの経験で十分理解しているはずなのに。
打ちのめされた気分になったので、「わかった」とだけ返信をし、その日は久しぶりに独り酒をした。
2022年は最高の年にしたい。
子宮頸がんワクチンの積極推奨が来年の4月から再開される。このワクチンは、接種後に全身に強い痛みを感じる副作用が多く見られた故、1997年から2005年の間、積極推奨が一時的にストップされていた。
安全性と有効性が確認されている、という事から積極推奨を再開するそうだ。
ということで、積極推奨されていない中このワクチンを打った私の体験談を書こうと思う。娘さんの接種を悩んでいる方に届く事を願って。
結論から言って、私はとても稀な副作用に見舞われる事になった。接種を受けた周囲の子は接種部にちょっと痛みが続いた程度で(これは筋肉注射なので当たり前である)、私と同じ副作用が出た子には会ったことがない。
持病などはないが、昔から一家でお世話になっている病院がある。そこで子宮頸がんワクチンの話をしたところ、扱っていないと言われた為、仕方なく家から一番近いクリニックで予約をした。2013年の3月半ばだったと思う。
子宮頸がんワクチンは、計3回摂取する事になる。例えばサーバリックスなら、中学1年生になる年に1回目の接種を行い、その1か月後に2回目の摂取を受け、その6か月後に3回目の接種をする。
かくいう私も、3回しっかり受けた。1回目、2回目は副作用なし。それで安心しきっていた事もあるのだろう。
3回目を受ける日、クリニックに到着後、受付時に体温を計かる。どんなワクチンでもそうだが、熱があるとワクチンを打てないからだ。
その日、体温が37.1だった。
家から10分ほどの距離を歩いてクリニックに向かった事と、私の体温はいつでも36.7度近くであるという事から、そこまで熱があるとはいえなかった。しかも、2回もうって副作用がなかったのだ。クリニック側と少し話し合いをして、10分ほど様子を見てから再度熱を計り、そこで決める事になった。
10分後に計った体温は、36.9だった。これならば打てるとなり、私は3回目の摂取を受けた。
摂取を受けたその日は一日中安静にしていた事もあり、何事もなかった。
一階から起こしてくる母の声がかすかに聞こえるが、目が開かない。体も重い。熱い。頭もひどく痛かった。
動きにくい体を無理矢理起こして立ち上がると、強い目眩を感じて床に倒れ込んだ。音で気付いてくれた父と母が部屋へすぐに来てくれた。
体温計で熱を計ると、39度近くあった。目眩もすごく、黒い粒みたいなものがいくつも視界を漂っていて、歩く事もままならなかった。
父に抱えられて車に乗せられ、ワクチンを打ったクリニックに向かう。クリニックに着いた頃には、何故か体温が急速に上がり、私は春先だというのに汗だくになっていた。
処置室にそのまま運ばれ、脇、首、足首に氷の入った袋を当てられる。冷たくて気持ちが良かったが、熱はそのままどんどん上がっていく。下がる様子がないのを見た医師が、市営の大きな病院に紹介状を書いてくれた。
目眩で体を動かせないので、また抱えながら車に乗せられて、すぐ病院に向かった。病院に着いてからは、連絡が行っていたらしく用意してもらった車椅子に乗せられた。
熱は41度を超えていた。人は42度が10時間続くと命が保たないらしく、本来は内科にかかるところを、待合が誰もいないからと小児内科で見てくれることになった。
正直病院に連れて行かれる前からずっと意識が朦朧としていたが、車椅子に抑えられて採血される時だけは意識がはっきりした事を覚えている。嫌だったんだと思う。
そのまま採血を受け、検査をする間に解熱剤を入れた点滴を受けた。人生初の高熱&採血に思いっきりダメージをくらった私は、車椅子に座りながら、点滴が終わるまでの3時間弱、ぐっすり眠った。
点滴をはずすからと起こされたとき、驚いた。目眩も黒い粒もなければ、体はややだるいが熱くない。体温は37度弱まで下がっていた。
血液検査の結果は、特に異常なしとの事。ワクチンとの因果関係も見られないと言われた。
あまりにも熱が高かったので後遺症が残る可能性があるから、気になったらまた来てくれと言われたが、その後は今に至るまで何もない。
以上が、稀にある副作用の一例だ。もしあのまま点滴で熱が下がらなかったら、多分死んでいたと思う。
これから子宮頸がんワクチンを打とうと思っている人、娘に打たせるか悩んでいる人は、一度よく考えてみる事をおすすめする。
これは稀な例だから自分は/自分の娘は大丈夫に決まっていると思うだろうか。そうだろう。私も、自分がこうなるまでは大丈夫だと思っていた。
ここに書いた話は病院に付き添ってくれた父と母の話を元にしている。正直この日は、クリニックに連れて行かれてから熱が下がるまでの間、採血をされた時以外の記憶がほとんどないのだ(意識が朦朧としていたから当たり前)。
それでも、死んじゃうのかと思った、と本気で心配していた父の、熱が下がった私を見て号泣していた母の顔だけは、鮮明に覚えている。
チェンソーマンは一見すると少年漫画的展開が中心の典型的なアクション漫画と思い込んでしまうが、一種のラブストーリー、恋愛が中心の少女漫画みたいな流れとも言える。実際、デンジを女性に変えて登場する女性キャラを全員イケメン男性にしてしまえば凄まじく歪んだ少女漫画ができあがる。
少年漫画、青年漫画の主体は男主人公の夢や目標を叶えることであり、恋愛は全く話に入ってこないかサイドストーリー的に適当に扱われるだけだった。チェンソーマンの主人公は典型的な男主人公の壮大な夢や目的が初めからない。その結果、女性と付き合うことが彼の目標となり周囲のキャラクターとの関わりも恋愛的な視点が大きい意味を持ってくる。胸を揉む行為からキスの約束まで、次々と登場する女性陣から彼は恋愛について学び、疑問を抱き、苦悩する。これがハーレム漫画にならないのはデンジが積極的に愛について模索しているのと、女性キャラ達がハーレム漫画特有の都合よく主人公に尽くす目的で描かれてはいないことがこれ以上となくハッキリしているからだ。
チェンソーや悪魔のセットアップはある意味、この漫画の主題が少年/青年漫画的な夢を追いかける話ではなく、少女漫画的なラブストーリーであることから目を逸らさせるための目眩しともいえる。
職場(医療関係)でのパワハラが原因で知らぬ間に体調を崩していたみたいで職場で良くしていただいてた漢方内科医師にすぐ診察室これる?って聞かれたのが始まりだった。
診察室へ向かうとすぐに痩せすぎだけどどうしたの?寝れてる?などの質問がありわたしはすごい元気ですよ!あ、でも全然寝てません!休みなくても働けるかもしれません〜とか言ってた気がする。
その時に体重測ってびっくり32kg、(半年前入職時は48kgでした)
とりあえず精神科に行けって言われて1ヶ月くらい色々悩んで精神科へ。
まあここで医療職離れ治療に専念した方がいい、希死念慮もあって入退院が4年くらい続きました。
体重は最終的に28kgまで痩せてでも食べれなくてつらかったなあ
入院したり退院してる間に障害者手帳持ちになりました、10代で。
そんなかんじで入退院の合間にもクローズで働いたり障害者雇用枠で働いたりどれも短期間だけどうまくいきませんでした
その頃長く付き合ってた人と別れたタイミングで風俗を始めました。明らかに躁の始まりですね。
私を知ってる人は軽蔑するんだろうな〜と思いつつもう金銭面もメンタルも風俗へGO!って感じだった。でもそこそこ稼いでたと思う。
んで時代はコロナ禍少し前何と元彼からよりを戻したい、結婚しようと言われました。結婚は私が精神障害があるし私と貴方だけではなく家族の問題でもあるしなんせ彼を当事者家族にしたくなくて何度も断りました。
風俗やってるのも伝えてました。
病気のこともっと理解する。親にもきちんと伝えて話せばわかってくれるとか言ってた。
結局先方の希望で両家顔合わせはなしになりわたしは入籍前に一度も彼の親に挨拶に行けないまま入籍しました。
なんかもうこの頃鬱であんまり覚えてないんですけど、とりあえずお店は辞めて家引き払って新居に引っ越した気がします
私が喧嘩中酷い目眩で倒れてしまったときに蹴られたり(喋れなかったから向こうからすると座り込んで頭床につけてる?は?なにしてんの?って感じだったのかな)
ご飯作れない日にコンビニ弁当頼んで、鬱がひどくていつもみたいに買ってきてくれてありがとう!が言えず弁当部屋中に散乱させたり。
ここ最近鬱が本当にしんどくていまやっとこさ携帯いじれるようになったので書いてみました。
辛いからこれだけ私に当たるのかなって
職場(医療関係)でのパワハラが原因で知らぬ間に体調を崩していたみたいで職場で良くしていただいてた漢方内科医師にすぐ診察室これる?って聞かれたのが始まりだった。
診察室へ向かうとすぐに痩せすぎだけどどうしたの?寝れてる?などの質問がありわたしはすごい元気ですよ!あ、でも全然寝てません!休みなくても働けるかもしれません〜とか言ってた気がする。
その時に体重測ってびっくり32kg、(半年前入職時は48kgでした)
とりあえず精神科に行けって言われて1ヶ月くらい色々悩んで精神科へ。
まあここで医療職離れ治療に専念した方がいい、希死念慮もあって入退院が4年くらい続きました。
体重は最終的に28kgまで痩せてでも食べれなくてつらかったなあ
入院したり退院してる間に障害者手帳持ちになりました、10代で。
そんなかんじで入退院の合間にもクローズで働いたり障害者雇用枠で働いたりどれも短期間だけどうまくいきませんでした
その頃長く付き合ってた人と別れたタイミングで風俗を始めました。明らかに躁の始まりですね。
私を知ってる人は軽蔑するんだろうな〜と思いつつもう金銭面もメンタルも風俗へGO!って感じだった。でもそこそこ稼いでたと思う。
んで時代はコロナ禍少し前何と元彼からよりを戻したい、結婚しようと言われました。結婚は私が精神障害があるし私と貴方だけではなく家族の問題でもあるしなんせ彼を当事者家族にしたくなくて何度も断りました。
風俗やってるのも伝えてました。
病気のこともっと理解する。親にもきちんと伝えて話せばわかってくれるとか言ってた。
結局先方の希望で両家顔合わせはなしになりわたしは入籍前に一度も彼の親に挨拶に行けないまま入籍しました。
なんかもうこの頃鬱であんまり覚えてないんですけど、とりあえずお店は辞めて家引き払って新居に引っ越した気がします
私が喧嘩中酷い目眩で倒れてしまったときに蹴られたり(喋れなかったから向こうからすると座り込んで頭床につけてる?は?なにしてんの?って感じだったのかな)
ご飯作れない日にコンビニ弁当頼んで、鬱がひどくていつもみたいに買ってきてくれてありがとう!が言えず弁当部屋中に散乱させたり。
ここ最近鬱が本当にしんどくていまやっとこさ携帯いじれるようになったので書いてみました。
辛いからこれだけ私に当たるのかなって
精神年齢の低いインターネットの文化に何十年も浸ったせいで自分がまだ20代ぐらいの感覚でいる高齢者とかがウジャウジャ紛れ込んでいると思うと吐き気がしてくる。
なんなんだ。
ADSLが日本中を飛び交って20年ぐらいたってるのになんで俺達は今でも自分たちが若いつもりでいるのか。
当時ダイヤル回線の契約だのをしていたならもうとっくに老人ではないか。
実に醜い。
見かけはジジイ、中身もジジイ、自意識と倫理観だけがガキのまま。
そんな奴らの集合体だ。
お前らがチックタックや一部のツイッター文化を「子供っぽすぎるwwww」みたいに嘲笑っているのは、老人の必死な強がりだったんだな。
お前らの加齢臭の強さを嫌って彼らが張ったバリアに綺麗に弾かれておきながら勝ち誇っている無様な中高年だ。
お前らのようなダサイ大人と一緒にいられるか。
俺はもう回線を切るぞ
3回目接種が有り得そうなので自分の体から出た反応とその対策をまとめておく
打ったのはファイザー製
・1回目と同じく5、6時間ほどでじわじわ接種箇所から肩と肘までが痛くなってくる
一番痛みが酷い時は痛くて肩より上には上げられないと思っておいた方がいい
・12時間程度で発熱が本格的になる。最高で38.2度までは確認したがもっと上がったかも知れない
熱が上がるに連れて頭痛が酷くなっていく
・熱は1日で収まる。が、頭痛は2日続くと思っておけ
・丸1日免疫細胞が活性化した結果めちゃくちゃ疲れる。全身筋肉痛みたいになる
・3日経ってやっと全快かなという感覚になった。休みは3日取れ
対策など
・数年前に処方されたカロナールがあったのでそれを飲んだが、効き始めは目眩のような嫌な感覚があった
・風呂は必ず接種前日夜~当日朝までに入っておけ。2日は入る気になれないしほとんど寝てる
・接種の帰りにゼリー飲料やカロリーメイト、スポーツドリンク系は必ず多めに買い込んでおけ
・アイスクリームやカップ麺やみかんゼリーなど簡単かつすぐに食える美味いものがあると気分が上向く
・スマホやタブレットは寝込む前に満充電しておけ。布団から動きたくなくなる
こんなもんか
とにかく寝るか飲むか食うかスマホ・タブを弄るかという感じだったのでそこ重視で
幸いなことにほぼ冬装備になった後に接種できたから寝具や服は問題なかったが、3回目があるとしたら初夏あたりかと思うので一考した方がいいかも知れない
仕事の後で、私用により往復200kmのうちの往路でハンドルを握り、
翌日の仕事は午前中にかなりイレギュラーな対応が急に舞い込むという、
そして午後になって程なく、軽い頭痛と肩こりを覚えたと思っていたら、
オフィスで何台も稼働しているパソコンの動作音のうち、低い音の成分だけが
「ボボボボ…」という感じで、右の耳の中だけでやたら響くようになった。
更には右の中耳の、そのまた奥の方で何かが詰まった感じが出てきて、
これが「いきなり聞こえなくなった」とかなら明確に突発性難聴の疑いがあるので、
仕事を即切り上げて病院直行だけど、そういうのじゃないみたいだし…
などと思いながら明日には良くなるだろうと、その日はなんとか仕事をこなして帰宅。
しかし、翌日になっても良くならなかったので職場には遅刻することだけ連絡して
耳鼻科に行ったら、なんと右耳の聴力が落ちていた。
具体的には、125~500Hzくらいの低い周波数の音に対する感度が、右耳だけ
有意に落ちていて、特に250Hzの感度が左と20dBも差があるという結果に。
一方、外耳にも鼓膜にも特に目立った変化はないとのことで、これから考えられるのは
もしくは
のいずれかだろうとのこと。
どっちなのかは、これから処方する薬がどこまで効くかでだいたい区別がつくそうで、
これを聞いて血の気が引いたことは言うまでもないが、それでも早く治療を始めたほうが
いいということで、処方箋と引き換えに薬局で薬を入手してすぐ飲み、
そうこうしているうちに目眩まで覚えるようになった中、どうにか帰宅。
帰宅後も、横になっている状態から起き上がるとクラクラする状態が数時間続いた。
そこでやっと気づいたのだが、確かに部屋のエアコンの音が、右と左で聞こえ方が明らかに違う。
ということは、もしこれが元に戻らなかった日には、軽度難聴の聴覚障害者になるのは確定だろう。
数日後に再度診察に行くことになっていたが、その時までにどこまで回復するのか、しないのか、
本当に恐ろしかった。
そして迎えた再度の診察。
結局、これはいわゆるメニエールの症状が特に聴覚方面に出たということなのだろう。
また、これがストレス性のものだとするなら再発可能性があるわけで、ちょっと勘弁して欲しい。
次こそ永久に聴力を失うのでは…と思うと恐ろしいことこの上ない。
これからはなるべく疲労と寝不足を避けるつもりだが、精神的に大丈夫と思っていても
体がついて行かないというのは、どこまで頑張れるかの予測が難しいし。
中学時代にブサイクで頭悪いだけで周りからの歯止めの効かない心無いイジリや暴力で居心地が酷く悪くなって、白髪が増えだして学校バックレて不登校になって親から顰蹙買ったけどその後に「あの時学校行っておけば良かった」って思ったことは1度もないし、
高校の時はバイト先のおっさんに目つけられやすくて(なぜかどこ行ってもおばさん達には良くして貰えた)、面倒くさくなるとすぐ辞めたりバックれたりしてたけど、「あの時頑張ってバイト続けてれば」と思ったことは1度もないし、
その後市職員として公務員になったけど人間関係の濃さ故に俺みたいな頭と顔と要領が悪いゴミは真っ先に同期内でスケープゴートされて、仕事も覚えられないし同じ部署に入った同期と比較されてゴミのような扱いを受けて精神科で薬の世話にまでなった挙句バックレたけど、仕事離れた途端薬必要なくなったし「公務員だししがみついてれば良かった」って思ったことも1度もないんだよな……。
何故か逃げ続けた先に破滅が待ってるとか思う人というか、そう願いたい人が多いみたいんだけど、俺は今何してるかって言うと年収400万の薄給で月の半分が休みのブルーカラーの仕事しててのんびり暮らしてて、心穏やかに暮らせてるので、逃げた先で何とかなってしまった。
「あの時逃げなければ」って思ったことある人はどんな時にそれを思ったの?俺は逃げる時は精神的に限界を迎えてた時だったし、メンタル弱いから逃走までのストレスの閾値がすごい低いんだけど、逃げて後悔したことが思い返すと1度たりとも無いことに気づいた。
たぶんその辺でホームレスになって野垂れ死んでも逃げた事への後悔なんて湧かないだろうし「おちるところまでおちた」「なるようになった」位にしか思わんと思うんだよね。
【※追記】
ふと見たらホッテントリしててワロタ。反応読んでたら何故か俺の事を肯定するブコメが多かったんで、気持ちは嬉しいけど俺自身周りに迷惑を撒き散らすタイプの社会のゴミの自覚があるし「それはちょっと違うんじゃねえかな」って思ったので、上に書いてない数多くのバックレエピソード書いていきたいとおもう。
高校生の頃に年末年始のアルバイトで年賀状の仕分けスタッフをやった。コミュ障で注意力散漫だった俺にも一点集中のこの仕事ならなんとかなると思った。指定された住所順に年賀状を並び替えるだけという小学生でもできる仕事だが、立ち仕事かつタッパのある俺は1時間ほどで背中に痛みを感じ注意力が散漫になった。ハガキを1枚落としてしまい、うっかり踏んでしまった。足跡がクッキリついたので、正直に報告したら凄い剣幕で社員に怒鳴られた。速攻で心がポッキリと折れた。「すみませんでした!以降気をつけます!!」と大きな声でハッキリ聞こえるように謝って深深と頭を下げた。怒られ慣れしてる人間ならわかるが、人目をはばからず人前で容赦なく怒鳴ってくるタイプには大きな声で謝罪するのが1番長引かない。俺が謝罪をするのは自分が悪いと思ったから謝るわけじゃない。メンタルが弱すぎてこれ以上怒られたくないからだ。もう頭が真っ白になっていた。バイト先の郵便局には社員証が必要な改札があって、そこを通らないと出入りできなかった。怒られたあとの休み時間にロッカーに社員証をいれ、そのまま1Fの男子トイレの窓から外に抜け出して帰った。2時間ほど後に郵便局から留守電が入ってたが着信拒否して家帰って足をふるわせてガタガタ震えながら寝た。1月末に3日分の給与が振り込まれていた。
当時、派遣会社が未経験者を3ヶ月で立派なIT人材(笑)へと育成して民間企業への就職を斡旋するという人売プロジェクトを行っていた。3ヶ月の研修期間中に時給が発生するのは魅力的だった。市役所をバックレたばかりの俺は、当時時間と若さだけはあったのでダメ元で申し込んで面接へ行った。事務の姉ちゃんみたいな女が面接官で「ITエンジニアとして働くために今やっている勉強内容を教えてください」と言われたが俺は何一つやってなかった。プログラミング経験も一切なくjavaってなんだ?とかそんなレベルだった。バックレてから今に至るまで検索エンジンに「麻美ゆま」とか「蒼井そら」とか書いてシコって寝てただけだったので「windowsのパソコンしか持ってないので今は仮想環境にlinuxを入れてLPICの勉強をしてます。」と答えた。後日「採用が決まりました」という連絡と「3ヶ月の間に絶対に辞めないこと」という口頭での誓約が電話越しに交わされた。研修が始まると、研修生は30人ほどいて、5倍の倍率を突破した先鋭達だとお偉いさんに言われた。ウケる。2日目あたりで経緯は忘れたが講師の女のうち2人がヒステリックな怒り方をし始めた。学校嫌いだった俺は小学校の頃のヒス女の担任を思い出して、その時点でもう完全に心が折れてしまった。ひょっとしたら過酷なIT業界で耐えうる人材を育てる為の研修のいっかんだったのかもしれないが、俺には耐えられなかった。(プログラミング自体は楽しかったので、後にVBAを学ぶいい契機になり、VBAの知識は今の職場で重宝されているのできっかけとしては感謝してる)頭が真っ白になって動悸が止まらなくなってしまった。酷く不安を感じて目眩がした。帰り際「明日もよろしくお願いします!」と会釈して満面の笑顔で元気よく挨拶し、連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月後、2日分の給料を確認した。
【日雇い編】
研修を飛んでから暇だったのでグッド⚫ィルだかで日雇いの仕事をした。たしか印刷会社の工場でひたすら梱包する仕事だったと思う。
仕事開始から1時間経っても休憩時間が無かったので「何時から休憩なんですか?」と聞いた。「12時の昼休みまで続くのでそれまで頑張って下さい。」と言われた。頭が真っ白になった。「すみません、お腹痛いのでトイレ行ってきてもいいですか」と断りを入れてトイレに行き、トイレの窓から外へ抜け出し連絡先を着信拒否にして帰路に着いた。一ヶ月たっても1時間分の給料が支払われなかったのでさすがに諦めた。
【期間工編】
俺は頭がとりわけ悪くて、メモリが小さすぎて人の話を頭に留めておくことが出来ない。電話の取次すら相手の名前を間違えるし、話を聞きながらメモも取れない。なので人と接しない仕事をすることにした。某自動車工場で寮費無料の期間工に応募した。もうこの頃にはバカ正直に職歴を書くと赤羽駅東口に飛び散ったゲロぐらい酷い履歴書になってしまったので、暇つぶしで取った電気工事士の資格を利用し「工場で保全の仕事をしていました」と職歴を詐称した。日雇いで1時間働いた工場の名前を履歴書に書いた。勤続3年の元工員として面接を受けたら採用されたが待遇は未経験者と変わらなかったので罪悪感はなかった。
研修初日は研修生同士で寮が相部屋だった。社員から部屋の中は禁煙だからタバコは吸うなと言われた。流石に禁煙の社員寮の中でタバコ吸うカスなんているわけねえだろ。俺の相方は以前も期間工で任期満了までやったベテランらしい。俺よりも一回り年上だった。コミュ障だが初対面の相手に対してはコミュニケーション能力がバグるコミュ障あるある現象が炸裂して普通に打ち解けて雑談していた。相方の実家は花屋で、閑散期になると出稼ぎにきている。そんな話をしながら相方がタバコに火をつけ、深く吸い込んだ紫煙を天井に向けて吐いた。唖然とした俺に相方は「あ、こういう事に慣れないと、ここじゃやって行けないよ?」と先輩面で言い放った。心にヒビが入った。研修中に工場見学に行ったら、工場内の機械のあまりにも大きな音と地響きに心が完全にポッキリと折れた。俺は大きな音がとても苦手で、聞いただけで頭の中が真っ白になり酷く不安を覚える。寝てる間もずっと工場の音が頭の中でする。研修を終えて、ようやく個室が与えられた。汚い畳の個室の寮で荷物も広げずに、寮の鍵と社員証を封筒にいれて部屋に置き、すでに纏まっている荷物を抱え夜明け前に始発の電車が来る駅へ向かい連絡先を着信拒否した。一ヶ月後、研修中の1週間分の給料と合格祝い金(採用時必ず貰えるとかいうやつ)が振り込まれたのを確認した。
【医療事務編】
何故かおばさんウケが異様にいい俺は、隣町の薬局の医療事務の採用試験に行っていた。とりあえずどんなもんなのかやってみようと思った。面接官がおばちゃんで面接と言うより面談形式で話が進み、いつから働けるか聞かれた。採用が決まった。しかし面接官のおばちゃんは会社のおえらいさんで、職場には居なかった。気難しそうなしかめっ面の薬剤師と、若い女ばっかりだった。俺は詰んだことを早々に確信した。慣れないながらも仕事に食らいついてはいたが、2週間も経つと休み時間俺の頭の悪さを揶揄する陰口が嘲笑の声と共に聞こえた。「顔が生理的に無理」と聞こえて酷く苦しい気持ちになった。学生時代から何度も言われてたから、知ってる知ってる、と内心おどけてみせたが頭が真っ白になった。1ヶ月も経たないうちに俺は限界を迎えていた。とある日、先輩に「飲み会の幹事やってくれ、フォローはする」と言われた。俺は飲み会や人の集まりが死ぬほど苦手だ。つうか俺一応新入社員だろ。ましてや幹事だなんてとてもじゃないが耐えられなかった。心が砕け散っていたので、その翌日の朝に架空の親戚を急死させ仕事を休み連絡先を着信拒否にした。
3ヶ月たったあたりで解雇通知と離職票が届いた。初任給だけは貰えた。
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他にも色々あるけど、俺は我慢強くもなければすぐにバックれる社会不適合者のクズだってのがよく分かってくれたと思う。だから「生存者バイアス」ってのは少し違う気がする。何故ならこんな感じで逃げ回ってる間も「もっと頑張ればよかった」と思ったことは1度もないし、向いてないものに対する克己心もすぐ砕けるし、なんなら「もっと早くやめてれば良かった」とさえ思うことの方が多かった。俺の行為を「逃げじゃない」という人もいるけれど、俺が嫌なものを避け、ハードルを潜りながら生きてきたのはたしかだと俺は思う。これが逃げじゃないなら、その人の中ではそうなんだろう。俺は「逃げ」だの「甘え」だの言われても「そうだね」としか思えないし言い返そうとも思わない。ただ、誰になんと言われようが当時の俺は本当にいっぱいいっぱいだった。逃げる以外の選択肢が取れなかった。そして俺のスタンスは「逃げても後悔したこと1度もなかったけど逃げを推奨してるわけではない」克己心のある人は立ち向かうなり問題解決するなりすればいいと思うし、メンタルが弱く頭の悪い俺にはその余力が無かった。ただ、苦しみ続けるか死ぬかの狭間で苦しんでるなら逃げちゃってもいいんじゃないかと思う。俺はなんとかなったし、少なくとも一時的な苦しみからは逃れられる。養老孟司がなんかの本で花鳥風月を楽しむ心をもっと持った方がいい。と言っていた。逃げ回ってた時期によく20kmぐらい歩いて散歩して四季の移り変わりを楽しんでいたが、自然に目を向けるのはとても心が安らぐ。桜や紫陽花の花の美しさも、金木犀の香りも、冬の土の匂いも、逃げずに働き続けてたら俺はきっと荒んだ気持ちで気づかなかったと思う。お日様の光をたっぷり浴びて散歩できて、四畳半の清潔な部屋とシャワーがあって、最低限の食事がとれて、たっぷり睡眠が取れれば俺はそこそこ幸せに暮らせることに気づけた。小学生の頃、いつも不安で毎日が怖かった。もしもタイムスリップできたら、布団の中で毎日泣いていた幼かった俺を慰めてやることぐらいは出来ると思う。今は最低限の収入がありながらも生活費が家賃込で10万程なので、貯金がアホみたいに溜まる。20代の頃橘玲の本を読んだインデックス株に手を出したらまあまあ増えたりして、今の生活水準なら20年ぐらい働かなくても暮らしていける蓄えも出来た。
かなり昔ほぼ日の記事が好きでよく読んでいたので、今でも面白いなと思い返す記事を紹介したい。土日の暇つぶしにでもしてくれ。
2009年11月 有吉弘行「有吉が、窓から風を入れましょう」
https://www.1101.com/ariyoshi/index.html
有吉が再ブレイクしかけのころの糸井重里との対談。仕事のない頃の話が胸に迫るし、今読むと感慨深い。
ちなみにむかしの記事を消さないので、11歳の神木隆之介とか(https://www.1101.com/backdrop_del_mio_papa/index.html)、ご存命のころの和田誠さんとかの記事もある。
https://www.1101.com/aramata_hiroshi/index.html
いちばん好きなコンテンツ。荒俣宏という生命体が面白すぎる。本という「ハードウェア」を愛する人々の話。
https://www.1101.com/suimin/kyogoku/index.html
ショートスリーパーの話でそこも興味深いけど、最初に出てくる水木しげるさんの話もとても良い。
https://www.1101.com/oomukou/index.html
歌舞伎で掛け声をかける人を大向うと言うそうな。あまりにも知らない世界で面白い。
2010年「鮫のおはなし。」
https://www.1101.com/nakaya/index.html
これも知らない世界の話。本題もものすごく面白いけど、先生が、鮫のことを北海道まで聞きに来たの???ってなってる導入がゆるくて好き。ネット記事の良さなんだろうけど、本題以外の部分もあるのが良い。
このように独特な題材が多くて面白かったのだけれど、ある頃、綺麗事を求められた感想文みたいな記事に連続してあたったのと、結局ほぼ日の商品に集約されるみたいなのがお腹いっぱいになって読むのをやめてしまった。(ほぼ日はストーリーを商品にしていくスタイルなので、それはそれで正しいとは思っている。)
細川護熙の対談やモテキの話、芋煮会なんかも好きだ。北京五輪のアナウンスの話も印象深いな。なんかちょうどよい新しさ、真剣さ、のんびりさがあったんだよな。
今もこういう良い記事があるんだろうか。