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2020-08-24

anond:20200824181403

違う違う、女は甲斐性がないか給料が増えると婚活しなくなるんだね

寡占市場独り相撲取り始めて勝手コケる弊社事業見てると悲しくなってきた。

そのこれからコケる主担当なんですけど。コケるの見えてるやり方を指示命令されて仕事してるのは虚しい。やり甲斐なんて求めてはないけど、それでも流石にネ。

昨年転職した友人を酒飲んでて「俺も今の会社嫌だから転職したい」って言ったら

「お前の会社は恵まれてるだろ贅沢いうな」って怒られた

年収900万円(税込)

有休消化率はほぼ100%

勤務時間は8時~17時 毎月の残業は5~10時間程度

勤務時間中に自由はてなが出来る

働き甲斐や達成感は一切ない、そもそも仕事があまりない

こんな感じなんだが本当に世間的には恵まれてるんだろうか

世の中にはもっと楽しくて自分が成長できる職場があるような気がするんだが

マッチングアプリ

他愛もない会話のできる異性の友達がほしいけど、アプリで作れる?

男ってだけで、やり甲斐目的だと思われるのかなあ?

アプリで、仲の良いズッ友だょ…を作れた人がいたら教えてほしい。

性別が違うとある程度境界線が引かれるから接するの楽なんだよ 性欲が生身の人間に向かない うーむ わかんね

2020-08-23

21の破局願望

交際相手がバ先の異性と二人きりで飲みに行くことになったらしい。

ここで干渉してしまうのは簡単だけれども、どこか不甲斐ないので相手に決定権を委ねた。

長い間付き合っていると何をするのにも恋人と一緒なので本来体験するであろう様々な人々ととの出会い消失懸念したためである

カップルというのはどこか羨ましいと思われがちだがどこか人間関係に制約が出てしまって心地が良くない。

ちなみに筆者は概ね機会飲酒を始めた年齢である

また私が極端にコミュニティが狭くて出会いに飢えているだけかもしれない。

定期的に連絡をしているのは相手家族のみという具合だ。

仮に破局をしてしまえばもっと他人遊んだり、話し合ったりがしやすいのではないかという幻想を抱いている。

大切な存在ではあるものの確実に交際相手がいる事がどこか他人との交流足枷になっているようで仕方ない。

もっと器用で様々なコミュニティで立ち回れたらどれだけよかった事でしょう。

J-POPは良い時代なんだな

暗黒期が終わって、まっさらな野に新しい芽が出てきやす状態

今、音楽やってる人はかなりヤリ甲斐があるんじゃないか

AKBによって業界グチャグチャにされたけど、結果的にはそれも創造のための破壊だったと言えるのかもしれん

米津玄師あいみょんOfficial髭男dismあたり名前キャッチー過ぎて嫌だったけど聞いてみたらちゃんと良かったわ

J-POP聞かなくなったって人多いだろうけど、時間割いて聞く価値ちゃんとある

勿論、ここから普遍的価値のある音楽の域に至るものは常通り少数だろうけど、ジャンルとしては十分に楽しめる時代

2020-08-22

大学卒業して絶望してたら逆に人生がうまく行きそうな気がしてきた

大学卒業してそのまま大学院に進んだけどついていけずメンタルフィジカルもぶっ壊して一旦地元に帰ることになった.一浪して入った大学一年休学することにした大学院を経て得た肩書きは実質無職ニート予備軍の学生24独身男性)であった.

結構絶望の淵にいて,健康状態を考えると寿命死ねるとも思えないし継続的に勤続することもかなわないという思いも首をもたげ始めてしまっていた.地元図書館司書でもやって静かに死んでいこうと決意し親と相談するまでに至っていた.親としてはひどく心配し,そして失望したことだろう.手塩にかけて育てた長男が体を壊して地元小役人に封ぜられてしまうのだから…….そんなふうに思われているかもしれないことにひどく憤った気もするが,自分にはどうしようもない定めだと受け入れていた,いつの間にか.

何がきっかけだったか,毎度帰省しても引きこもってばかりだったのを,今回くらい誰かと連絡をとってみようということになった.確か,ほとんど話したこともなかったような,それでいて不思議な魅力をまとった子から「よんだ?」とだけメッセージを貰ったことが発端だったかも.今見返してきたらたしかにそうだった.彼女に救われたんだと思う.

久方ぶりに会うさしてよい思い出があるわけでもない男女,なんてどんな距離感で話せばいいのかわからなかったけれど,彼女の都合で結構遅い時間から駅前で飲もうということになった.そんな,都合がいい女ムーヴされて俺はどうすればいいのかと困惑したけれど(下心がなかったかと言えば嘘だけれども),誠実に対応して,テッペン過ぎてから何故か近くの史跡を深夜徘徊したり,あまりにも蚊が多いので彼女クルマの後部座席で一夜を明かしたり(もちろん手を出したりはしていない),ともあれ楽しかった.ただ肌に触れて髪に触れて,延々と中身のないことを語らっただけなのだが,それまでのすべてが報われたような気持ちになった.

それだけでも十分に価値ある時間だったけれども,そのあとにもいくつか同様に幸せな機会が連続した.艱難辛苦をともに乗り越えてきた男友達温泉に行った.それがきっかけで地元の友人達さらに顔を合わせる機会が増えた.謎の営業マンとのみらいを語る会に巻き込まれた.これはこれで楽しかった(データサイエンティストはいいぞという話をエンドレスエイト).地元の連中なんて中学以降ほとんどあっていなかったけれど(そのせいでそもそも自分の進んだ足跡ほとんど知られていなかったのは驚いたけれど),いろんなやつのその後を知った.成人式に息子を連れてきた中卒のやつはもう社会人9年目とか,結婚離婚経験してたりとか,婿入りして逆玉の輿社長になってるやつとか.当時は気づかなかったが,友人女性みな本当に美人で,彼女らをブスブサイクだのと対立してきた当時のぼくらはいったいどれだけゼイタクだったのだろう(笑)そんな彼女らと笑って語らうことができる機会もまたありがたかった.自分肯定されている気持ちになった.

気づきもあった.例えば学歴武器に生きている人間はそこには一人もいなかったこととか.みんな別々の流れに沿って強く生きていた.みんな社会人になって自分の力で生きようとしていた.自分はまだ学生,それも親に頼り切ったままであった.

ある意味無敵状態になっている気がして,この流れを逃すまいとして昔々の恋人に連絡を取ってみることにした.非常に不甲斐ないことに,いづれ不本意な終わり方,不誠実な別れ方をしてしまった過去が私にはあり,それがずっと心のどこかで引っかかってトラウマになっていた.呪いや縛りや鎖と呼ばれるものである大学時代に誰一人としてうまくやり取りできなかったのはここに原因があるのではないかとも思っている).それと向かい合ういい機会であると思い立った.

返事は直ぐに返ってきた.「ふたりで」食事に行こうと提案した.拒否されなかったのが不思議であるが,このせいでさら調子に乗ってしまった.自分は祝福されている.肯定されている.生きていてもいい.本当にそう思った.いまもそう思えている.そのときのことはここには書かない.自分の中にしまっておく.

もう長すぎるのでまとめる.

1.自分だけの人生の閉じこもっているとひたすらつらい.もっと他の人の人生を見て聞いて,感じるといい.

2.そのためには自室から出よう.物理的に出る必要はないけど,もっと自分の外の世界と触れたほうがいいだろう.

3.自分肯定してくれた存在を思い出そう.自分肯定してくれる存在とともに生きよう.きっと自分も誰かを肯定できる存在であるはず.

言いたいことがうまく表現できているとは思えないけど,推敲なしの文章一発目ならこんなものだろう.

いまは休学中だけど,とりあえず生きていけるだけの資格経験を得られるようにしようと思う.文字にして自分の考えをまとめられてよかった.以上です.

2020-08-21

早生まれだった自分語り

早生まれの不利は大人になっても続く』という見出し記事最近話題になっていた。

高校入試偏差値所得にも影響しているという記事で、統計的3月4月偏差値が約4.5違うというものだった。

  

1993年3月31日生まれ

6歳になりたて、小学1年生の入学時には身長109センチ趣味スーパーファミコンドラゴンボールZビデオ視聴。

好きな食べ物は近所のかっぱ寿司で食べるお寿司。おじいちゃんが大好き。

すでに当時、幼稚園に置いてあったひらがなの書き取りが苦手で、勉強するために行く学校不安を持っていた。

ひらがなの書き取りより一人でスーファミをするか、読めないゲームの取扱説明書を眺めることのほうが好きだった。

小学校へ入学するにあたって、家で何かドリルをやらされたりということはなかった。3つ下の妹が1人。

    

小学校1年生の2学期後半、もしかしたら自分はやっぱり勉強が嫌いなのかもしれない。と初めてハッキリ感じた。(当時は苦手、というより自分勉強が嫌いかも。という感覚だった。)

そう感じたのは1年生が使う「さんすうセット」から卒業した時だった。

今まで視覚的にすうじを追っていたのに急に文字になった途端混乱した。1~5までの数字計算なら頭の中におはじきを思い浮かべその数を数えた。

5以上が出てくると考えるのもしんどくなり、鉛筆が止まるようになった。隣の席の子を気にしながら指折り数えた。

しか学校の授業は進む。どんどん進んでいく。そのうち先生クラス内の学力差に気づき、わからない人が居たら遠慮なく声かけてねと言ってくれるようになったが

職員室は入りづらく、先生も大抵居ない。2度ほど先生からクラス勉強についていけない子達に声をかけて補習が行われたが、自分から声をかけることはほとんどなかった。

当時にしてみれば、先生は忙しそうに見えたので時間を取らせるのもなんだか悪い。とも思っていた。

そんなことを考えるものから、授業中にわかりません。と言うことはまず無かった。授業中、自分だけわからないことが怖かった。

  

体育。一番小さいサイズ体操服を着て走り回り、1年生になって初めての健康診断が行われた後、背の順で並ぶと一番前になり、前へならえでは小学校6年間一番前で手を腰に当ててふんぞり返っていた。

夏のプールでは一番浅瀬で泳ぎ、先生達には常について回っていてもらっていた。

学校行事に「持久走大会」というものがあった。1年生は校庭を3周。

今でも当時の録画を見ているかのように覚えてる。150人ほどいる学年でビリだった。

ビリから2番めからも相当離され、残り半周を学年みんなが、そして親御さん達が全力の声援を送る中。

顔と耳を真っ赤にしながら腕をめちゃくちゃに振って走った。親と仲がいいA君のお母さんなんか名前まで叫んじゃって。

恥ずかしかったし悔しかったし辛かった。達成感はほんのちょっぴりで、もう2度とこんなことしたくないと汗まみれになりながら思った。

  

得意と言える科目も特になく、ぼんやりと授業を受けるようになった。

もうすでに躓いてわからない科目は聞いているだけだったし、授業の後半に配られたプリントは授業中に解き切ることができず提出しそこね、隠すように机の中に仕舞った。

そのうち授業中に提出できないなら無理やりにでも提出すればいいのでは?と

割り算プリントデタラメ数字を並べて、クラスの賢い子たちと同じくらいのタイミング先生に見せにいくも怪訝な顔をされ、突き返された。

考えて答えを割り出すことよりも、提出することに拘った結果だった。

  

小学5年生の頃には科目すべてが苦手に感じて自分は不出来な人なんだなと自覚していた。

国語漢字の覚えが悪く、社会科47都道府県いつまでも覚えられなくて居残りをした。

音楽練習したつもりだったリコーダードレミの歌はクラスで下から数えた方が早かった順位だったし、美術風景画や人を描くのはまぁまぁできたつもりだが、立体物はからきし苦手だった。

4年生から始めたスイミングスクール甲斐あって、高学年になったら持久走はなんとかビリから抜け出した。

  

  

  

中学はもうすでに小学校の時点でついていけなくなった学習状況に拍車がかかり、赤点スレスレか、がっつり赤点を取るかだった。

中学には水泳部所属したが、3年生にもなると後輩にどんどんタイムを抜かされ、結局水泳部の中で一番遅い状態にもなった。

  

(書くか悩んだが案外いろんな所でやっているようなので)

中学運動会自分の生まれた月によって割り振られる、「春夏秋冬組み分け運動会」だった。

1年生の時に割り振られ、中学生活3年間自分は春組として運動会を迎える。

タイトル通り、この運動会には欠点があった。

夏組・春組が強く、冬組はここ数年4位から脱却せずにいた。秋組に至っては万年3位だった。

毎年夏組と春組が接戦を繰り返し、最終的に毎年夏組が優勝をさらっていく。

  

1年生の5月頃に、先生から各組への割り振りが始まる。

夏組に割り振られた6月まれガッツポーズをして喜び、その学年の生まれ割合から冬組に割り振られた10月まれ先生に詰め寄り、春組に割り振られた人たち同士で3月まれ4月まれかの確認あいっこが始まる。

秋組に割り振られた人たちは特段リアクションは薄かった。

  

秋組以外は今年こそ妥当夏組・秋組を狙い奮闘し、夏組は連続首位を逃すまいと躍起になっていた。

運動会を開催してみると、やはり夏組が優勝し、春組が悔し涙の2位。涼しい顔で3位を秋組が握り、終わるころにはあきらムードの冬組がうなだれていた。

中学1年生の運動会を終えて初めて、早生まれや冬組が体力的に劣っていると体感した。

ぼんやりしがちな性格のせいで単に学習についていけないだけかと思っていたが、なるほど、早生まれはこうして遅生まれ、夏生まれとの差ができるのか。と納得したシーンだった。

  

から5年前の運動会、実に30年ぶりくらいに冬組が優勝したと聞いたときはもう知っている後輩も居ないようなこの年の運動会の結果を喜んだ。

きっと当時の学生たちはそれはもう喜んだことだと思う(最下位になってしまった秋組には来年がんばれ、と手を合わせた。)

  

  

  

高校公立高校へ行ったが、やはり勉強についていけなかったのと家計を助けるためアルバイトしつつ、通信制高校マイペースプリントを進め、コツコツとDTPデザイン勉強をした。

高校生にもなるとインターネットはかなり身近になり、勉強がすごく苦手というと、家庭教師を志望しているネットの友人が声をかけて勉強Skypeながら見てくれたりと、本当にちょっとづつ勉強を再開したりした。

通信制高校へ通いだしてからはかなりストレスなく勉強できるようになり、自分の進行度で確実に学ぶことができたのが嬉しかった。

  

正直今でも変わらないが、答えを導き出すために考えるということがすでに苦手で放棄するようになってしまったのが今となってはもったいないなと思う。

もちろん、小学生当時の私に考え続けるという根性がなかったことも問題の一つだったのかもしれないが、早生まれがどうして不利を背負い続けてしまうのかという話に関しては

適切な学習環境必要なのではないか、と当事者自分は思った。

  

ちなみに、小学校1年、2年生を担当してくれた先生自分と同じ誕生日の美しい先生だった。

聡明で明るく、朗らかな先生が大好きだったし幼いながらも尊敬していた。

きっと先生は、早生まれがどういう不利な状況にあるのか知っていて声をかけてくれたのかな、と思うと

なかなか声をかけられなかった過去自分歯がゆい思いを馳せた、『早生まれの不利は大人になっても続く』記事だった。

2020-08-19

さようなら三島駅不二家

明日三島駅の構内にある不二家が閉店してしまう。

夫が昨日「増田お気に入り三島不二家が閉店するとニュースになってるよ」と教えてくれた

https://news.yahoo.co.jp/articles/553c184e3b746a93693f68ad2d5fb0626a78d88a

この不二家三島駅改札内新幹線東海道線の乗り換え通路の脇という不思議場所にある。

実家新幹線の最寄り駅は新富士駅だが、駅からアクセス死ぬほど悪い。そのため手前の三島駅で降りて東海道線に乗り換える。しかし乗り継ぎもめっぽう悪く、一本乗り過ごすと次の電車まで、うっかり30分は待たなければならない。田舎あるある

からこの不二家は格好の暇つぶしポイントだった。

特にお気に入りスパゲティ。実はファミレスの中で不二家カルボナーラコージーコーナージェノベーゼが最高だと思ってるクラスタ

めちゃくちゃ腹いっぱいでお腹が空いていなくても、乗り換えに失敗したときは必ず不二家カルボナーラ食ってた。

半年に1回程度の帰省のたびに感じる、祖母や親がどんどん歳をとっていく寂しさとか、都会で消耗だけして特に進歩がない自分人生の不甲斐なさとか。

そういうのを打ち消すかのように不二家スパゲティを30分で頬張った。

そんなつまらない話を、夫と2人での帰省ときポロッとしたのだと思う。覚えていてくれたのだ。

ありがとう、夫よ…そういうところが、このヒトの本当にいいところだなあ。

幸いなことに、今日頑張って仕事を納品すれば、明日はなんとなく一日オフにできそうなので、一人で三島まで行ってみようかとも思う。

2020-08-17

anond:20200817232711

そりゃそうだろうね、一般的甲斐性って女には使わないし・・・

それに草刈り1世帯1人出せばいいってなってると、家事やらない方が出されることは多いだろう

anond:20200817232507

自治会草刈りにになると女は男の半分も来ませんよ。女の甲斐性のなさの問題なんだろうね。

2020-08-16

おっぱい

彼氏あんおっぱいを触ってくれない。そもそもそんなに触り甲斐があるようなサイズでもないが(C-Dくらい)、セックスときしか触ってくれない。日常的にふとした瞬間にてきとーに触ってほしい。(がまんしてるのかもしれないけど)

42歳独身結婚が怖い

大学を出てから20年間、仕事一筋で来てしまって、

彼女いたことがほとんどない。

はいっても、自分で言うのもなんだが非モテではない。

仕事一筋でやってきた甲斐はあって、年収はかなり高いほうで、

20年間のなかでたまに付き合う女の子はいた。


だが、いざ結婚、、、となると踏み切れない。

私は仕事に全てを捧げてきたのである

仕事の量をセーブして、、なんてことができる類の仕事ではないのだ。

妻となる女性が満足いくほど、家庭のことができるとは思わないし、

万が一子供ができても、愛情は注ぐだろうが、

育児にどこまで参加できるかわからない。


正直にいうと、仕事時間プライベートに割くぐらいなら、

家事代行でもベビーシッターでも好きなだけ雇いたいのである

(実際のところ、今の自分生活家事代行で成り立っている)


だが、昨今の風潮を見ると、そんな夫はダメ夫でモラハラなのだろう。


なので、結婚に踏み切れず、結局気まずくなって別れてきた。


女はよく、「仕事か家庭か選ばされる」というが、

私もそうなのである

結婚たかった。

2020-08-15

anond:20200814170740

元増田が不甲斐ないので説明しよう!

キャリア以外のAndroidスマホ日本で売ってるものには「素のAndroid日本語版のままだとパンピーには鬼のように使い辛いので適当に作って入れておいた日本アプリ」というのが入っているのだ!

たとえば代表的なのはファイルマネージャFMラジオアプリ壁紙変更アプリアプリの形してるやつ)、録音アプリスマホ特製カメラ、などなどである

まり知られてないのだが、素のAndroidにはファイルマネージャ入ってないんだぞ! あとフォント変更機能などというものもない! あれはキャリアが改造してるんだ!

また、ランチャーから起動できないけどアプリとして入っている(GooglePlayアプリからは見える)ものとして、たとえばスマホ振るとカメラとか起動するやつ、カメラから起動する用画像編集アプリなどもある!

これは実はユーザーアンインストールすることができて、なおかつ、ものにもよるがGooglePlayからは再インストールできないことが多いである

だもんだから、たとえばファイルマネージャ(「ファイル」とか意味不明アイコンになってることが多い)を「なにこれ意味わかんないからいらない」または「あっこのアイコンって動くんだ(そのままアンインストール欄へドロップ)」といったことでアンインストールしてしまうと、二度と入手できないのである!!

この状態で問い合わせが来ても「その状態スマホに入ってる写真を削除したいならGooglePlayでファイルマネージャ検索して適当なのインストールしてください」とは企業サポートしては口が裂けても言えないのであるだって変なアプリかもしれないから! 〇〇とか! あと〇〇とか!

これに懲りてるスマホ会社はGooglePlayで再入手可能にしてたりもするぞ! 機種判定して自社スマホ以外では起動しないようにしてたりする! まあそれが普通なんだけどな!

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-13

旅立ちますのよ!(帰ってきましたのよ!(ビジホでコンビニ豪遊する))

ほろよい

ピザ

唐揚げ

あとなんかオススメ教えろ

ーー追き

今帰ホテルして飲んでる

以下買ったもの

ほろよい(白ぶどう

唐揚げ

・ナナチ

・われせん

・肩上げポテト(黒胡椒ベーコン

シーザーサラダクルトン付き

・長芋おかか出汁醤油付き

・ナトリ薫製三種

・おーいお茶1リットル

クーリッシュ

しめて3000円。

自粛コロナテレワーク実家暮らし介護で突発的に家出しちゃった28OLわよ。ビジホ生活3日目わよ。家出人生初ですわ。ビジホも人生初ですの!ガイジの弟の顔面をぶん殴ってしまいましたの!これも人生初ですわ!

ホテルは3千円、7割引はコロナのお陰ですわ!何故かキングサイズベットがありますの!ひとりで寝そべるのですわ!実家は布団だから楽しいですわ!コンビニで好きなもの全部買いましたの!ピザポテトはお取り扱いしていないようでしたけど。まあ庶民の店だから仕方ないですわ!ちなみにお夕食は人生初の1人ラーメンでしたのよ!趣味ストレス解消の過食ですの!こればっかりは辞められねえ!ですわ!

普段お酒は飲まないから半分以上残して酔っ払いですの。今は肩上げポテトを摘んでおーいお茶を飲んでますのよ。ペットボトルのおっきいお茶が好きなのよ。無限に飲めるの!黒胡椒ベーコンめっちゃベーコン!美味しい!

家に帰りたくないですわ!でもお金がどんどんなくなりますのよ!

ー追追記

ついにビジホを出ましたのよ!このままじゃダメなんてことわかってるのですわ!朝一で暑いバスを乗り継いで家の前まで来たのですけれど、足が重くてお家に入れなかったのよ!だから街中に戻って各停電車に乗ってぼんやりですのよ!もう県外にいますの!10万円使ってgo toですわ!

車内は涼しくてガラガラで快適ですわよ!ボックスシート大好き!ですわ!独り占めの時限定ですけれど!

高3の夏、高校から海まで乗り過ごして夏季補習をサボりましたら職陰湿に呼び出されてその日の担当教科を含めて10人に謝罪参りをさせられたのを思い出しましたのよ!何をしても嫌なことを思い出し発狂わ!

駅を出るときに久しぶりに文庫本を買って見たのですけれど全然読めないのですわ!

朝ご飯セブンぶっかけうどんでしたの!駅のベンチですすりましたのよ!天かすと麺つゆの組み合わせが大好き!コラボレーションですわ!半熟卵みたいなやつは凄いですわ!技術わね!セブンは割高クソクソクソチェーンの癖に美味しいから悔しいですわ!店に入るとバイトトラウマがフラバしますの!しねしねしねっ!ですわっ!

ガイジの弟はパワー系池沼とも言うやつですわ!大事な弟ですの!他人が見たら気持ち悪いでしょうけど結構可愛いところもありますのよ!でも家に帰ってくるなりちんこ弄り、精子のついた手で近寄られると泣きたくなりますわ!やっぱきもいのしかられると色々な危機を感じてきついですわ!弟はきっと悪くないのですわ!まともな療育につながらなかった期間が長すぎるのですわ!クソガイ死ね!って言ったのは悪かったですわ!自分でもこんな言葉がでる自分にびっくりしましたの!殴ったのは知りませんわ!こちとらいつもアザだらけですわよ!

弟の面倒を見るのはいいのですわ!いいのですけれど今は嫌なのですわ!20代ももう終盤なのですわ!普段カロリー気にしてますのよ!乙女ですもの!でも彼氏なんかもう10年居ませんの!なんのためとか考えると泣きたくなりますわ!電車涙目ですわ!

そういえば年甲斐もなく駅ビルショーパンを買いましたのよ!身軽で気ままな感じが気に入りましたの!服はビジホに洗濯機があったのですけど、ムカついたから捨ててきましたわ!でも膝の青タン馬鹿みたいで嫌になりますわ!

クソ暑いからアバンチュールしてみたいですわね!汗だくでラブホもつれ込んでクーラーガンガンかけちゃうのが素敵ですわ!背がすごく高いと興奮しまわ!夏は筋肉質な人がいいわね!とか言っちゃいますのよ!火遊びコロナなんか貰ったらクソゴミ肥溜田舎に帰れなくなっちゃますけれど!それもいいかななんて自暴自棄になってみたいですわ!出来たらこうはなってないでしょうね!一度ぐらい全部捨ててみたいですわ!それで一晩寝た男の子供を産むのはどうかしら!こんな城から出て行く切符になったらいいのにですわ!赤ちゃんはだいすきなの!

最近母性を持て余してつらいですわ!性欲なんかよりよっぽどやばいのですわ!おかあさんといっしょの子供が踊ってるのを見ると何かが溢れて感極まって泣きそうになるのよ!気持ち悪い独身わよ!あの保育園乳母車から1人ひょいとわたしのものにしてしまいたいわ!やばいこと言ってしまいましたわ!でも一生抱きしめてられるぐらいかわいいのよ!なんであんなにかわいいの!

JRをぐるっと回って帰りますわ!正直もう連泊する元気はない三十路手前なのよ!でも心が回復しても家に近づくと歩けなくなりますのよ!実家と同じ家族構成の子連れがそばに来たのも心を削りますわ!そろそろ一旦降りてラーメン屋さんを探すのですわ!一度ハマると続けて食べちゃうのよ!バリカタで味卵と餃子をつけるのが良いと思いますの!味卵を作った人は天才ね!海苔コスパとか思っちゃうからつけられないのですわ!スープにひたひたの海苔はおいしいですわね!こんな日だからノリ三枚に100円払うのぐらいいいかもしれませんわ!

1人ステーキにも挑戦したいのだけれど、お腹に空きがなくて悔しい!ですわ!

2020-08-12

anond:20200812094932

男と違い女の結婚には年収ライン存在しておらず高所得になるとほぼ結婚しません

女には甲斐性がないからね

何でも甘口じゃないと食えない奴

マジで料理の作り甲斐がない。

激辛を食えとは言わないが

豆板醤をひとさじ入れたくらいの

ちょいピリ辛くらい食えよ

味音痴

2020-08-09

ペンタブが壊れた時も、ビッグマックを食べた

twitterを見るといつも綺麗な絵が流れてくる

ももっと上手くなりたい、でも描きたいものが無い。

そう思いながらも毎日ペンを握り、練習に勤しんでいた。

そんなある日が今日のことである

朝目が覚めると「アーミヤを描きたい」という衝動に駆られた

昨日読んだファイアパンチに触発されたのだろう。マジで面白すぎて食い入るように読んだ。諸星大二郎生物都市以来の衝撃だった。

日課である朝イチのまほやくイベ周回も忘れ、

心ゆくままにPCに電源を入れ、ペンタブを握り締めた。

練習続きの毎日オリジナルポーズから何まで描きたいと思うのは何ヶ月ぶりだろうか。

マジで藤本タツキ先生ありがとーう!と心の中で叫びながらペンを走らせる俺氏・・・

待てよ!

なんだかペン調子おかしい。いや、ペンタブは毎日使っていたはずだ。

画力練習した甲斐もあり着実に上がっている。だがなんだこの違和感・・・

ペンタブレットドライバーだ!

その時点で、俺の目の前にはまだ下書き状態とはいえ顔に似合わず可愛いポージングをしたアーミヤ秘書がいたのだ。

のっぺらぼうの!

「顔は最後のお楽しみ取って置く派」だったことが初めて仇となる日が来るとは!

俺はなんてことをしてしまったんだ。

まさか、顔を完璧に仕上げたいが為にペンタブレットドライバーを開き設定を見直し

かえって描けなくなってしまうとは、思いもしなかった。

再びペンを握ると、どうしても線が縦に伸びてしまう。

何度も何度も見直して、挙げ句の果てに初期設定に戻したらそれが失敗だった。

「ええい!」

なんとしても下書きだけでも俺の衝動のアーミヤを完成させたい。顔だけ、顔だけなんだ。

だがダメだった・・・

何度も何度も描いては消してを繰り返しても、顔のパーツが小さくなってしまう。

完全に顔だけがわたせせいぞう画になってしまう。

もう無理だ。

それからも別のペンタブで試したりしたが、どうしても顔が伸びてしまう。

もう別の日に描き直す事にしたが、二度とその日は来ないだろう。

iPadを買ったからな)

俺の心の火は消えてしまった。そのままペンタブをしまった。

そんな焼身の俺の目に飛び込んできたのはさらに衝撃的な光景だった。

たまたま見ていたサウンドボルテックスのトップランカDDX氏のライブ配信

PUC(太鼓の達人で言う全良)最難関のBlastix Riozを

まさにPUC目前に曲最後の「Rioz」でNear2を出して999UCで絶叫する氏を見てしまう。

「誰にだって失敗はある」

そんな教訓が身に染みた今日の昼下がりであった。

[] #87-2「保育園ドラキュラ

≪ 前

意味のない意地を張ったとは思う。

だが張ったからには、自分の思い出に決着をつけなければいけなかった。

あの物置部屋に行って、ドラキュラいるかどうか確かめなければ。

鬼が出るか蛇が出るか、いずれにしても怖気づいてはいられない。

たとえ不都合な真実が待っていたとしても、このまま家にノコノコ帰るわけにはいかなかった。

せめて何らかの土産話でもなければ兄貴に合わせる顔がない。


俺は保育園に忍び込むため、いつものメンバーたちを招集した。

「……というわけで、ちょっと協力してくれ」

経緯を説明すると、皆は怪訝そうに俺を見つめた。

にわかには信じがたいねそもそもドラキュラ”はキャラクター名であって、吸血鬼全般を指す言葉ではないし」

ミミセンがどうでもいい薀蓄を垂れる。

ドラキュラ固有名詞かどうかなんて今は問題にしていないんだけれど。

「ま、マスダの兄ちゃんが言ってることの方が……す、筋は通ってる、かな」

たどたどしく喋っているのはドッペルだ。

いつもは割と乗っかってくれるのだが、説明するのに兄貴名前を出したのが迂闊だった。

ドッペルは兄貴に懐いているから、意見割れたらあっちに味方する。

「私、予定あんだけど、そんなことのために呼びつけたの?」

タオナケが溜め息交じりにボヤいた。

連絡の際に二つ返事で応じていたから、どうせ大した予定じゃないだろう。

それでも期待はずれな用事だったせいか、かなり不機嫌になっている。

そんな感じで、皆あまり協力的ではなかった。

ドラキュラ存在を疑っていたと同時に、内心恐れてもいたからだろう。

そいつは強いのか?」

「まあ、人間よりは強いかな」

「つまりそいつを倒せば俺は名実ともに最強の男になるわけだ」

けれど、ただ一人、仲間のシロクロはやる気に満ち溢れていた。

破天荒性格の奴だが、こういう時は話が早くて助かる。

けれども、さすがに俺とシロクロだけじゃ不安だった。

万全を期すなら全員の力が必要だ。

「みんなは不安じゃないのか? この町にドラキュラいるかもしれないのに。その可能性を、大人たちは可能性とすら考えない。でも俺たちは違う!」

多少の無理を承知で、俺は勢いに任せて皆を説得する。

「夜になると、ヤツは目を覚まして血を追い求める。蚊にさされる方がマシだってくらい吸われるんだ。それは俺たちかもしれないし、俺たちの家族かもしれない」

不安煽りながら、これは必要なことで、自分たちにしかできないことだと熱弁した。

「……確かに、見逃した時のリスクが大きすぎる」

「私、ドラキュラなんて信じてないけど、まあ確認するだけならいいかもね」

その甲斐もあり、皆も腹も括ったようだ。

俺たちは阿吽の呼吸で頷くと、おもむろに保育園のある方角へ走り出した。

次 ≫

2020-08-07

弟に自分養子にしてくれないかと言われた

歳の離れた弟がいる。

俺は社会人二年目で、弟は高校二年生。

俺は大学から上京して一人暮らしをしているので、弟が10歳以降は盆と正月に会うくらい。

弟が高校生になってからは、東京の俺の家に泊まりにくることが多くなった。

弟は特に都会のあれこれには興味がないらしく、どうしようか迷って結局家でゲームするか、ほぼ毎回ディズニーランドに連れて行ってる。

家族旅行のない家庭だったので、それでもめちゃくちゃ喜んでくれる。

俺は申し訳程度に自炊をしているのだけれど、そんなに凝ってない料理でも作るとうまいうまいと食べてくれるし、勉強を教えてほしいって言ってきたり。

友達兄弟大人なってから口も聞かないとかたまに聞くけど、歳が離れているせいもあってか、俺は弟のことはとにかく可愛い

自分子供ができたらこんなふうに可愛がるだろうなと思う。

友達の兄姉に姪っ子ができてバカかわいがりしているのを見たことがあるけど、多分あんな感じだと思う。

先月、弟がまた遊びに来ていた。

夜、寝る前に一つ相談をされた。

俺の父親母親は昔からまり仲が良くない。

子供の前で喧嘩しないようにこそしていてくれたが、子供けが二人が離婚しない理由になってるのは明らかだった。

弟も高校生になって、それを顕著に感じているらしい。

恐らく自分大学まで出て、無事就職したら別れるつもりなんじゃないかと。

俺も弟の予想は的外れじゃないだろうと思った。

弟は高校を出たら就職して独立たかったらしいが、

母親大学までは出てくれと頼まれたらしい。

弟は決して出来の悪い方ではないのだが、俺のように東京大学に行くほどではないと自分で思っているらしく、

(奨学金の返済がつらいと俺がぼやき続けていた影響もあるかもしれない)

地元大学に行くつもりで、だから最低でもあと四年は両親に付き合わせる羽目になる。

それが心苦しいが、まさか気にせず別れてくれとも言えないらしい。

正直、家を出る前は俺も同じ居心地の悪さをひしひしと感じていたから、弟の気持ちは痛いほどわかる。

しかも、弟は俺がいないので、余計つらいだろう。

弟がこんなにも自分に懐いて、よく東京に遊びに来てくれる理由が分かった気がした。

そして、弟に頼まれたことが、自分養子として引き取って欲しいとのことだった。

養子、つまり誰かを子供に迎えるということが俺にとってあまりにも非日常過ぎて面食らったが、弟は真剣のものだった。

そもそも兄弟養子縁組できるのか?とか疑問が浮かんだが、その辺も弟は既に調べてきていた。

両親の不甲斐なさはさておき、弟にそこまで頼りにされることは兄として正直嬉しい。

養子にするまではやりすぎじゃないかと思うが、東京に来て、俺と一緒に住んで、東京大学に通えばいいんじゃないかと思った。

家賃光熱費を俺が負担してやれば、地元大学に行くのとほとんど変わらないだろう。

彼女が何と言うのかという心配はあるが…

まあ家族のためというならば理解できない話ではないだろう

しかし、その提案をする前に、俺には一つ気がかりなことがあった。

それは、俺の存在が弟の世界を狭くしてしまってるのではないかということだ。

弟は、小学生の頃(俺がまだ地元にいた頃)こそ、よくふざけて笑う明るい子供イメージがあったのだが、思い返してみれば、俺が家に連れてきた友達とばかり遊んでいて、自分友達を作るということをしてこなかった気がする。

弟が弟の友達を家に連れてくる機会というのは滅多になかった。

学校には毎日真面目にいってるらしいので、ただ俺より大人しいタイプなのかもと思うが、土日もほとんど遊びに行くことはないというから心配になる。

まだ高校生なのでそれは焦ることではないのかもしれないが、彼女もできたことはないらしい。

弟の同級生ともなると歳が離れすぎていて、なかなか学校での様子を聞く機会もない。

母親保護者面談などで聞く限りは、いじめられたりすることも、周囲と揉めることもないらしい。

一応弓道部に入っていて、そこで友達もいる。

心配するほどのことではないのかもしれないが、このまま俺が兄兼父親友達のような存在になってしまったら、ますます弟はその関係の居心地の良さに甘えて、外での関係性に力を入れなくなってしまうのではないかという不安があった。

とりあえず、弟には、家が居づらくなったらいつでも逃げてきていいと言った。

それから、俺もまだ頼りないけど、経済的支援らするから大学から実家を離れることについても考えてみたらいいと。

本当に高卒で働きたい意思があるなら、母親言葉に必ずしも縛られる必要はない、そこの説得は手伝ってもいい、と。

心配だったけれど、とりあえずそう言い聞かせて家には帰した。

弟は、俺の前でほとんど叱られるようなことをしたことがないが、

あれで頑固なところがあるので、たぶん何も言い返してこなかったところを見ると、納得はしていないのだろうと思った。

受験のことを考えると、そろそろ意思を固めないといけない頃だろう。

まだ高校生の弟に、何が自分にとって最適か、全部自分で考えろという子も酷な話だ。

かと言って、弟の人生全てに責任が取れるとは思えない自分が情けない。

一体どうするのが兄として正しいんだろうか。

40代管理職だが、新入社員に恋をしたので脳検査をしてきた

 いやビックリするよな。普段はてなで「いい年こいて若い子に欲情するオッサンwwwww」みたいなこと言ってたのにさ、いざ自分会社可愛い子が入ってきてみれば、気づいたら好きになってるわけ。

 まあ入社したときから気になってはいたんだよ。新人にしては仕事の飲み込み早いし、愛嬌もあるしさ。今日新人なんて島耕作の亀渕みたいな奴ばっかりだからさ、まあ不愛想でも気はしないけど愛嬌あったらつい好印象になっちゃうよなって。

 好印象になったからって好きになってんじゃねーよ歳考えろって話なんだけど。

 それでまあ、このままだといけないと思って脳検査してきたわけ。感情検査

 最近技術ってすげーのな。二十年前に感情検査したときは一日中病院引っ張りまわされた挙句結果出るのに一週間も待たされたのに、今回は一時間検査してその場で結果出たわ。薬も飲む量減ってて助かった。

 で、まあ結果だけど24%だったわ、恋愛値。笑っちゃったよな。20年差以上に権力勾配を加算すると下限が52%だから半分以下じゃねーかって。んで大笑いした後ぐっと胸を押し潰されたような気持になってさ、すげー死にたくなった。

 あんだけ毎日誰かの事考えて日々を生きるの久々だったし、「年甲斐もなく恋しちゃってどーしよーもねーなーこいつぅー!(↑)」ぐらいの気分でハイになってたのに、私の感情ってこの程度なのか……って。

 他に年の差恋愛で悩んでいる奴いたら検査してみるのお勧め。結果見るだけで萎え恋愛どころじゃなくなるからな。幸福な家庭を築きたいとか一緒に子供育てたいとか、人間どうせそんな汚いエゴしか考えてないんだよ。


コメ返

で、なんで感情検査受けに行ったの? 規定値上回ってたら申請出すつもりだったとしか思えないんだけど

出す訳ないだろ恋愛申請なんか。診断書ないと抑制剤貰えないの知らんのか?

感情検査危険性に触れずに気軽に勧めてるの、脳の無知が極まってる感じで良い

薬の副作用なんざ二十年前に説明受けたときからほぼ出ないレベルだが……。

もう少し知識更新してからコメントしてください

追記

他のコメ見て気付いたけど感情検査の結果で自分感情を思い込むって話?

自我形成の子どもには危険って話はみたけどこちとら40代やぞ。

甲斐性があるなら男でも女でもどっちでもいいんだけど、これってバイなのかな

2020-08-06

anond:20200805124425

40男なら好きになるとかそういう話だけじゃなくて、甲斐性とか、ものにした後のフォローとか

やりたい!でいいんじゃね。

anond:20200805124425

40男なら好きになるとかそういう話だけじゃなくて、甲斐性とか、ものにした後のフォローとか

やりたい!でいいんじゃね。

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