はてなキーワード: 漁師とは
一般社団法人についてNPO法人とか公益法人だとの違いがマジでわからんけれども、自営業者として漁師やってる俺ですら車の中で使うものは10万〜30万円以下の消耗品費か雑費で処理するってのは知ってる。
俺んとこの地方の税務署は窓口で聞けばザックリした消耗品費と雑費の違いを教えてくれる。電話の場合は国税庁な。
急いでる場合は国税庁、じっくり詳細を聞く場合は税務署の窓口で聞くのよ。ただ税務署の場合は面談みたいになるんで予約が必要な場合があるから注意。これは税務署に空いてるのか電話とかで聞くしかない。
んで、消耗品費と雑費の大まかな違いだけれど、消耗品費は仕事で普段よく使う消耗品の科目。漁師で言えば軍手とか。目安は価格だと10万円〜30万円以下。1年以内にボロくなって捨てるものとかが該当する。
雑費は普段から使わないけど突発的に買った消耗品が入る。漁師で言えば船底を掃除するときにしか使わない塗料とかココだね。こちらも目安の価格は10万円〜30万円以下。
同じく掃除って言っても日常的に使うデッキブラシは消耗品費なわけよ。漁師の環境でデッキブラシは1年も使えば柄が折れたりブラシ部分がぶっ壊れるので消耗品費にする。
じゃあ車のガソリンはどうなのよ?となるけどガソリンは車両関連費として処理する。過去に船を車で引っ張る20万円くらいのウインチを車両関連費で処理したことがあるけれど、車の中で着る防寒着を車両関連費で処理したことなんてない。
もちろん消臭剤なんてもんも消耗品費か雑費だろ。慈善事業で消臭剤を日常的に使うのか知らんので消耗品費か雑費なのかわからんが。
ていうか俺は数百円のドリンクホルダーとか買ってるけど、そもそも経費として計上したことが無いわ。聞いてみないとわからないが雑費に入れて良いと思う・・・たぶんおそらく・・・。数百円を車両関連費で処理すヤツ居るのか?という疑問が湧く。
車両関連費ってマジで車両に関する経費を割り当てる項目で、車検費とかタイヤとか、洗車代とかマジで車両に関すること以外は車両関連費で処理しないし、科目にふさわしくないものも入れてると税務署窓口のお姉さんが「これはぁ・・・雑費かなぁ?」と優しくアドバイスしてくれるぞ。
ていうか漁師みたいな個人事業主やってると車両関連費って結構ツッコミ入れられることがあってさ「トラックをお家のもの買うため使ったりしてない?」みたいに言われることあるんだよね。数年に1回くらいなので何かマニュアルあると思うんだけど。
これ何でツッコミ入るかと言えば、プライベートと仕事の境界線が曖昧な漁師みたいな仕事だと、例えば全体の光熱費の7割は仕事の分、3割はプライベートの分として、経費計上できるのは光熱費の7割だけねってなるのさ。
だから実際に経理やってるとこういう微妙な境界にある仕分けに関して税務署はうるさいなって思ったりするのよね。
だからこそ訂正するのが面倒なので車両関連費にはマジで車両関連しか入れないみたいなことを日常的にやるわけ。それが例え漁師であってもそういう経理を日常的にやっている。
地方が仕事を作れないから地方の人が移民みたいに東京に来て東京の土地の人らは迷惑してると思うんだよね。外国人の不動産買い占めとか目じゃないレベルで、地方民が来る需要があるから年々不動産価格は上がるし就活競争も苛烈になるし、電車は混むし賃金も一生上がらない。幼稚園も保育園も混む。
頭が悪くて生産能力が低い、一生懸命な人たちがいっぱい来ちゃうのは正直邪魔だよなって思う。東京が地元の子たちがバイト1,250円で働いてた頃のが手取り多かったな〜って思う職場で地元の時給が950円だった子達が低い条件で喜んで働いちゃうから東京の賃金はいつまでたっても上がらない。
カスみたいな建売住宅や馬鹿みたいな1Kアパート、異臭がする東京湾の湾岸に住みたがる田舎者のせいで、おばあちゃん達は不動産屋に騙されて土地を取られるし、昔はまともな公営住宅が建ってた土地が地上げされてタワマンになる。
頭が良い人は納税してくれるからまだマシだと思う。北京みたいな感じで、三代都民じゃない人間は住居を買うのにVISAがいるみたいにしてほしい。よく分かってないけど。
地方は仕事がないって皆言うけど、地方民が東京に来るせいで東京にはまともな仕事がない。具体的には、商業高校で一番を取れば地銀に勤められるとか、工業高校でちゃんと勉強すればトヨタや製鉄の孫会社に滑り込めるとか、資格を取れば地元の電力会社や通信会社に入れるとか、高卒でちゃんと公務員になれるとかそういったコースがない。まともな仕事につくために必要な経費が、他地方よりも優位に多い。なぜかって言えば人が余ってるから。
東京の高卒は、運動神経が良ければ土建屋に、体力があれば引越屋か飲食にで、工業高校に行っても運送/倉庫管理の中小、商業高校に行っても事務は派遣みたいな状態。そうなったら金もないのに専門か大学に行くしかないし、専門に行ったとて地方から出てきた変な夢抱えてラリってる馬鹿が引下げた賃金と労働環境でやりがい搾取、大学に行ったら良いとこ入れるかは皆様ご存知の通りってとこ。
貧民が稼げるようになる糸口はIT土方か不動産営業くらいだと思う。それもそこそこ頑張らなきゃいけない。地方民が競争率上げるから。
東京が人を吸い上げるせいで地方が衰退するって言うけど、こっちから言わせてもらえば地方が人を送り込んでくるせいで東京は終わってる。全部引き取ってくれ。困らないから。夢とか追いに来るな、お前のせいで不動産の居室が1室埋まり、電車が1席埋まる。馬鹿なお前が日々やりがいを持って働くせいで、俺たちの労働環境は一生改善しないし適正な競争が生まれない。日東駒専以下のやつ全員帰れ。あと年収360万以下も帰れ。東京に貢献できないくせに東京に来るな。
あと安保の施設や工場、発電所を地方に押し付けてるって言い方も腹立つ、地元に首都機能押し付けられてる方がどう考えても迷惑。土地はぶんどられるし、労働市場も住宅市場も破壊されてる。
自然環境も家業の維持も、何贅沢いってんのって感じ。東京湾で漁師やってた人間も世田谷で葱作ってた農家も、全員、業は取潰されて端金の補助金受け取って、土地を2代も守れず追い出されてったわけだけど、それについてはどうなの。地元の土地になんかよくわからん施設ができるのは最悪よ。漁船を留めてた場所に羽田空港が出来ようが、元漁師は豊かになんかならない。全部東京がとうの60年前にやられた事で地方は意気揚々と文句垂れ流してるのもそれはそれで違わね?
残念だけど東京で割りを食ってるのは俺みたいに貧乏で馬鹿な連中だからちゃんとした文句の言い方知らなくて全然こういうの聞かないけど、東京一極集中について地方が可哀想って文脈はマジで馬鹿みたいだと思うよ。
うちの自治体でも、全庁を挙げて必死に個人番号カード、いわゆるマイナンバーカードを推進しています。
出張所なので、可能な手続きはもともと限られているのですが、いま来るお客さんはほぼマイナンバーカードの「新規申請」か「引渡し+マイナポイント獲得の手伝い」です。
どいつもこいつも…
生家は漁師を生業としており、親父は一般的にイメージされるガハハと笑うような快活明朗なタイプで、根性論が大好きだし息子娘問わず鉄拳制裁なんて日常茶飯事だった。
ただ一応は男女の線引きがあったような気はしていて、女兄弟は納屋に閉じ込められる程度の折檻は受けていたものの、男の俺のように木へ吊るされるとか海へぶん投げられるみたいな折檻を受けていたようなことは無かったように記憶している。
親父は子供をハチャメチャに殴り倒すみたいなことは無く、鬼の形相で強力な一撃を食らわし「反省せい!」とか「何やっとるか!」みたいに檄を一言放って作業場や寝室に籠もるというような人だった。
その後にお袋や祖父母が何が悪かったのか説明をしはじめて「お父さんに謝りに行こうね」と説得されて謝りに行くのが常だった。
まぁ冷静に考えると幼児の頃から高校生になるまで常に「強力な一撃」と感じたということは、おそらく年齢や体格に合わせて力加減をしていたのだろうと今なら想像付くが、当時はそんなこと気付かないので、ただただ親父が激怒するほどの大変なことをしてしまったのだなと思っていた。
俺の妻が妊娠したとなったとき、親父は気分が良くなったのか酒の進みが早く酔いが回って口が軽くなったのか「あのイタズラ坊主が」と言っていたのが実に印象深い。
そして「男らしく振るまえ、力の使いどころは考えなきゃいけない」と続いて、最後は「男の暴力は凄く大事なものだ、大切なものなんだ、宝物なんだ、その意味を考えろ」と言った。
はてなで過ごすと暴力なんてものは絶対禁忌で、どんなことがあろうと、例えそれが正義であれ悪であれ行使すべきものではない、何なら暴力は絶対悪と思いたくなるが、俺の親父は「暴力は宝物」と言う。
その価値観の違いに混乱するけれど、親父が亡くなって子供がある程度大きくなった今ならば親父が何を言いたかったのか何となくわかる。
男にとって暴力とは最後の手段なのだ。
大切な人々を最後、極限的に守らなければならないときに行使するのが暴力。自然が先祖が神が人間の男に与えた大事にとっておかなければならないのが暴力なんだ。
だからこそ、暴力をみだりに行使することは非難されるべきであり、だからこそ宝物なんだと俺は思う。
親父が強力な一撃を放ったあと作業場や寝室に籠もってしまったのも今ならわかる。
息子をぶん殴るなんて何と心苦しく、そして愚かな行為なのか。それ以外の選択肢を取れなかった自分が何と情けないことか。
酔った勢いではじめて親父が理想と考えていた男親の姿を知ることが出来た。
親父は折檻を適切な教育とは思ってなかったんだ。ただそれしか方法が思い付かなかったから咄嗟にやっていただけだった。
俺はもしものとき暴力を行使できるのか。
そうならないようにすることが本当に大事だけれど、暴力によって息子を静止し、そして暴力によって息子や妻を脅威から逃がすことができるんだろうか。
たぶん俺の親父は躊躇せずやれるだろうけど、息子である俺はどこか躊躇してしまうだろうと思う。
幼少期に親父が俺へ対して「俺からは力の強さを、お母さんからは優しさを継いだ」と評価してくれたけれど、俺は親父よりも肝っ玉が小さいので優しさというのはオブラートに包んだ表現だったんだろう。
暴力を考えること、暴力の行使とは実に難しい、俺は度々そう感じる。
きっとケンタッキーフライドチキンは
ケンタッキーボイルドクラブってお店になっている世界線があってもいいわよね。
強いて言うなら
容易に養蟹できるって前提だけど。
そうなったらクリスマスは蟹よね。
あのさ、
12月に入ったとたん堰を切ったように12月クリスマスソングシャンシャン感醸し出してくれるじゃない?
なんだか本当にもう12月なんだなぁって
街のイルミネーション、
みかんの花咲く丘公園前駅前の商店街はもとよりロータリーにある噴水の真ん中の時計の鉄塔からツリー状に円錐を描くようにオレンジ色のモールのイルミネーションの電球が灯っているのよね。
これをみると
もう12月だなぁって感じるのよ。
だからって
何も変わらないソワソワして忙しい感じを醸し出すかも知れないのよ。
いい加減もう何度も言ってっけど、
今年のレシートとか領収書とかカードの明細とかはチェックしまくりまくりまくりすてぃーで
あとの残りの12月どんぐらい経費使えるかって大丈夫か見定めないと、
これからの増税ラッシュよろしくラッシュ前に確認しておきたいところだわ。
もうこまめにやればいいのにっていつも思う12月ね。
うかうかしてられないわ。
まあ私は年末年始も事務所に出たり入ったりはしそうな気がする予感なんだけど、
それはともかく、
とにかく12月は忙しそうにしておくべきだわ。
そうそう、
貯まっていた朝ドラが今やってる回まで追いついたわよ。
夜ドラもなんか面白いもの始まった飯テロドラマがテヘペロだって噂だわ。
そうなると、
たぶん、
今やってる『舞いあがれ!』ってトップガンが新しいの新作出るよ!って頃に同時に考えられたようなものでもあるので、
なんか観ていて
トップガン要素がどこかに隠れてるんじゃないかしら?って思うんだけど、
別に酒場で盛り上がったり海辺でビーチバレーしたりしないところが
なんか別に領空侵犯を犯した戦闘機を発見して追いかけろ!って展開も絶対無いだろうし、
不可能なミッションを誰もできないぜ!って生徒たちは言ってるところで、
教官がぶっちぎり不可能なミッションを達成可能だと証明するシーンもあるわけなさそうだし、
どう見てもあれはギャグとしかもう見れない一番最初に一番面白かったマッハ10を目指して機体が空中分解して黒焦げになっても死なずレストランに入ってここはどこだ?地球だよってところで水を飲み干すところまでがセットの吉川晃司さんも教官そんな記録を挑戦するわけじゃないのよね。
どうあがいてもそんな展開ないだろうって、
そうはならんだろ!って言いたいところよ。
だから逆に今思ったら、
毎週毎週ドタバタ劇の『ちむどんどん』の方がよっぽど毎週事件が起こって面白かったのかも知れないわ。
『舞いあがれ!』はなんか毎週何も起こらないところがいいのかも知れないし、
自分探しに出掛けた舞ちゃんの幼なじみの貴司くんもいきなり漁師になっていたり、
同じく幼なじみの久留美ちゃんのお父さんのカスっぷりもなんか中途半端だし
あれ何かの伏線なのかしら?って疑ってかかっちゃいそうなんだけど、
あれはあれで結局何も最後まで触れられなかったら面白いわ逆に。
そんでね、
いや、
でも他の入浴剤の香りが「潮騒の香り」とか「湯けむりの香り」とかって書いてあるんだけど
消去法でカボスを選んだんだけど
他の概念を謳っている香りの入浴剤の方が良い香りだったのかも知れないことはもう後の祭りの時すでにお鮨よ。
つぎ入浴剤が無くなったら
でも考えようによっちゃー
そう思いながらカボスを感じよう!って集中しても
なんかフレッシュな柑橘のカボス的な要素がなくてちょっと今回のカボス入浴剤はハズしたかなぁーって思っちゃったわ。
急に本当に暦の通りにディッセンバーになって寒くなってきたから、
寒くなってきたからほんと皆も気を付けてね。
うふふ。
タマゴにしようかと思ったけど、
悩むわー。
カツ系にもしようと思ったけど
うーん、
朝がめちゃくちゃ寒かったので、
結構熱々のをふーふーしながら飲むホッツが温まるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
なんていうか、共感するってわけじゃないけど、自分の生育歴とか今の環境とかで思うことが多く湧いてくる元増田だ。
父とは違う職業についたが、やりたい仕事ではないけれど有資格者としてそれなりに稼げてはいる。
ただ、それなりに稼いでも専業主婦と2人の子供がいて、税金もどんどん上がるのに子供手当も打ち切られて、自分と同等の高等教育を受けさせようと思うと教育費も嵩み、暮らしに余裕は全然ない。
方や地元の同級生とかはどうなのかというと、高卒で漁師になってすぐ結婚して子どもができて、アラフォーで既に子供が就職していたりする。
食卓には刺身が並び、若かりし頃から苦労して育ててくれたということで子供達に慕われていたりする。
俺はさ、彼らが遊びほうけて子作りしまくりの時にも不真面目ながらも都市部の塾まで通ったり、別にやりたい事ではないけれど、学費を出してくれる親の手前もあって進路を選んだり、あまり好きではない仕事をやっているわけですよ。
結果として重税と手当のカット、子どもへの教育投資などで自分自身に使えるお金なんて、地元の彼らの方が多いと思うのよ。
何なんだろうね。
でさ、全く逆方向の話なんだけどさ、仕事は有資格者の高所得層と補助的な仕事をする無資格者の低所得層に分断されているのね。
無資格者の方に入ってきた子でさ、大変美しい子がいたんですよ。
高所得者側の良い奴と幸せになったらいいなと思っていたんだけど、定職のない同級生と結婚しちゃった。
いやね、若いんだから別にいろんなやつと付き合うのはいいと思うんだよ。モテるんだし。でもさー、定職のない人と結婚しちゃいます?んでさ、家庭環境もあまりよろしくないみたいだから、親も認めてるみたいなのよね。結婚は両性の同意に基づくわけだから、突っ走られちゃったらどうしようもないけれど、俺は娘が定職のない男と結婚するなんて絶対認めないよ。親として子どもの幸せを願うのは当たり前じゃん。何でそうなっちゃうかな…
っていうね。
幸せって何なんだろうね。
なぜ中世の人々はこんな破廉恥な彫刻を作ったのか。主に2つの説がある。1つはやはり子授祈願だ。日本でも「子宝の石」やら「子授け岩」なんてものが各地にあるように、触れることで子宝を授かると期待する。これの根拠としては、彫像の陰部が特にすり減っているものが多いためだ。長い間、多くの人々が撫でてきたせいである。
もう1つの説が人魚に通じるものであり、こちらは「魔除け」を期待したものだという。その根拠は2つ。まずはシーラ・ナ・ギグの設置場所である。教会ではアーチの中央最上部、すなわち要石にあることが多い。これは魔除けとして一般的な位置であり、上で紹介したハドリアヌス神殿のメデューサもそうである。もう1つの根拠は、古来より女性が陰部を見せつける行為には、魔を払う効果があるとされているからだ。
Charles Dominique Joseph Eisen, Public domain, via Wikimedia Commons, Link
例えば古代エジプトでは、女性が陰部を畑に対して晒す風習があった。これによって畑から悪霊を追い出し、収穫が増えることを期待してのことだ。また、エジプト人はブバスティス祭では、舟が街に近づくと、女性たちは服を頭の上までまくりあげて陰部を晒したという。これを見たヘロドトスはカルチャーショックを受け、その行為に「アナ・スロマイ」と名付けた。
ヘロドトスは知らなかったようだが、アナ・スロマイがあるのはエジプトに限った話ではない。例えばカタルーニャには「女陰を見せれば海が鎮まる」ということわざがあり、漁師の妻が夫を海に送り出す際に陰部を海に見せるという習慣がある。ロシアの伝承では、若い女性がスカートをまくりあげることで、クマを追い払えるという。
2018年に同様の自殺を遂げたライダーの方の模倣とも聞くけど、ざっとツイートを読むと、躁状態的な明るく楽しげなツイートの中に、
「最後」や「もう来れない」といった自殺を匂わせる文言を差し込んだり、発達障害や自殺に関するツイートをRTしていたりと「手がかりの配置」が
美しく、しかも最後の写真が「過去にRTした『一歩踏み出す』というテーマのイラストと構図が同じ」で伏線回収しつつ、「詳しい人や地元の人なら
その写真だけでどこか分かるくらい変わった形状のダム」を背景に写すことで、「どこで彼が死のうとしてるのか」考察し、現地に向かう人を呼びこんで
直前の「これで日本一周は終わり!」ツイートへの当初のリプライを見てると、「いろいろヒントは出てたのにみんな気づかず呑気なもんだぜ」って
感じで、kotaさんこれ見ながら気持ち良かっただろうなと思うよ。「騙し切った!」って快感ね。
これから死のうと思ってて、どうせ死ぬなら多少目立ってみたいと思ってる私のような人間には勉強になることしきりですよ。
ADHDの診断書。いやー分かる。「あ、俺って先天的に欠陥品だったんだ。道理でな~」って確定しちゃえば、今感じてる生きづらさは
一生続くんだって分かっちゃうからね。だったらば一秒でも早く死んだほうがコスパが良い。でも、ただでさえ面倒だったり怖かったりする
ことは先延ばしにしがちな発達障害。「死ぬ」のなんて一番怖いし面倒くさいですからね。
そこは、自殺を「残りの人生ぜんぶ賭けたビッグイベント」と読み替えて自分に暗示をかけて、「楽しいことなら頑張れる」過集中のムラッ気を
生かして愉快に死ぬしかない。kotaさんのやり口はその意味でも非常にクレバーでしたね。
自分が「普通」に現代社会に適合した生活ができない欠陥品だってことは二十何年生きててよく分かってるし、それが
環境遺伝も含むにせよ親からの遺伝だってことも分かってる。大嫌いだった父親と同じような言い方で他人を脅し、傷つけ横柄に
振る舞うようになってしまった。うちの父方の一族は、全員同じ怒り方をする。私も。嘘で自分を大きく見せようとしたり失敗をごまかそうとする、
父の短絡的な虚言癖と軽薄な外面の良さもしっかり受け継いでしまった。あれは祖父も一緒だった。
軽蔑していた父方の伯父のように、九時五時の仕事が嫌になって辞めてその場しのぎのコネの単発仕事と借金で自堕落に
暮らすことをなんとも思わなくなってしまった。
私の親族を見回すと、ひとりも真っ当に自分の力で生計を立てている人間がいない。父方の一族はみんな、網元で金持ちだった
祖父の当てにして遊んで暮らしている。その祖父だって、独力で会社を立ち上げたんじゃない。大政翼賛会の幹部で県会議員
だった父親(曾祖父)が、公職追放後の新しい稼ぎとして仲の良いヤクザから借金のカタに取り上げた定置網の漁業権を
売ってもらって、それを息子が継いだというだけだ。祖父も父も、ただ親が用意してくれたレールに乗ってへらへら既得権益を
むさぼっていたにすぎない。大体、漁業なんていうのは自分がつくった訳でもない自然のものを略奪する泥棒であって、
網元なんてその泥棒する権利を「最初の方からその町にいた」というだけの既得権益者で独占する犯罪集団の構成員だ。
漁師なんてみんな死んだほうが良い。
母方の一族も、みんなコンビニと不動産業をやっている祖父から金を送ってもらって生きている。母方の祖父母については、高度経済成長の
人口ボーナスを追い風に馬車馬のように働いて戦後のどさくさから一代で蓄財したのだから大したものだと思うが、てめえの息子が
確実に統合失調症なのを40年間引きこもらせて病院に連れて行かせず、今や「玄関の前で蝉が死んでた!集団ストーカーが
死骸を目印のために置いたんだ!」と騒ぐおしまいの60男になってしまった責任を取らずに死んでいこうとしている罪は重い。
父方も母方も、今のうのうと生きている50代以上の寄生虫どもが財産を使い果たし、私にまで回って来ることはおそらくなさそうだ。
私に与えられたのは、ただただ「まっとうに働くことができないこらえ性のない注意欠陥障害で」「社会性も協調性もない」
「ホウレンソウのできない」「部屋も片付けられない」「双極性障害で」「クズのくせに無意味にプライドばかり高い」「すぐにキレる」
「感情的な人間なのを糊塗するために論理的にしゃべろうと必死になってモラハラみたいになる」「虚言癖で自分を大きく見せたがる演技性人格障害で」
「人におもねって喋っているのがバレバレで信頼されない」「自分の意思と力で飯を食っていこうという能力に決定的に欠けた」
自分の遺伝子がこの世に必要がないことは分かり切ってる。生まれてくる必要がなかった。ただ、私が苦しい思いをし、私のまわりの
人間たちが私のせいで不快な思いをするだけなのだから。反出生主義とはなんと妥当な価値観だろう。
私は自分が欠陥品だと分かっているにも拘わらず、反省しない人間なので「じゃあ周りの連中はそんな価値のある存在なのかよ!?」と
他人に転嫁して叫び散らしたくなることがある。結婚や子作り・子育てにポジティブな人間を見ると「お前ら如きの遺伝子を世界に遺す
遅くとも20歳そこらで頭切りかえてカタギの仕事就いてんだからほんとに偉いと思うよ。
自衛官とか板金屋とか自動車ディーラーとか電気工事士とかダンプの運転手とか型枠大工とか漁師とかさ。
高校卒業して相変わらず不良やってると本気で引かれる文化あったらしいし。
確かにキャリアの途中、反則金払い忘れて逮捕されたり、飲み屋で他の客と喧嘩して留置所入れられたり、お定まりの失敗は10年に1回とかやらかすけど
そういうあってもカタギの仕事を爺さんになるまでずっと続けてる。元不良なのに。
オレオレ詐欺やったり、銅線やハイエース盗んだりして、いい歳こいても市民社会に帰ってこない平成令和の不良は恥ずかしいと思う。
ちょっとは見習え。
「人魚の肉を食すると不老不死・不老長寿となる」という物語は、八百比丘尼の伝説・昔話として有名でもあるし、仮にそれらを読んだり聞いたりしたことは無くても、高橋留美子の連作漫画『人魚の森』シリーズを読んだから何となく知っているという人も少なくない。
しかし、そもそも何故、人魚の肉を食したら不老不死・不老長寿となるのか?その理由というか説明については、知らない人も多いのではないだろうか。
これを書いている増田が、その理由らしきものについて書かれたものを最初に読んだのは、神話学者・大林太良の著書『神話の話』(講談社学術文庫)であった。この現物を、確かに所有しているはずなのに本棚や倉庫の中から見つけられないので、ここでは記憶を頼りに大林説を書き起こすが、もしも『神話の話』の現物を持っている人は、そちらを見た方が早い。図書館で探してもよい。
まず、八百比丘尼伝説の概要は、大同小異、以下のようなものである。「龍宮の主を助けた漁師が、龍宮に招待されて主から宴などの歓待を受け、家路につく際に主からの土産として、人魚の肉を貰い受ける。聞けば、それを食した人は、不老長寿となるという。家に持ち帰ったはいいものの、人魚の肉を食べるのに怖気づいた漁師は、いったん戸棚にそれを保管する。しかし、漁師の留守の間に、彼の娘が人魚の肉を食べてしまう。人魚の肉のことを父から聞かされるが後の祭り。はたして、娘は不老長寿となってしまう。父親である漁師も、娘が結婚した夫も、近所の人たちも、漁師の娘が愛した人たちは皆、寿命が尽きて世を去るが、彼女だけは不老長寿の若々しいまま、この世に取り残される。その孤独な境遇を嘆いた娘は、仏門に入るものの、その後も長く若々しいままで生き続け、とうとう八百比丘尼(八百歳の尼僧)と呼ばれるようになり、最後は洞窟の中に籠もり、人々の前から姿を消す」
大林太良によれば、これと殆ど同じ内容の話が、朝鮮半島・平壌の仏教寺院の伝説として残るという。但し、日本の八百比丘尼物語には見られないディテールとして「結婚して夫を迎えたが、子宝に恵まれない」という描写が、朝鮮半島版の物語には有る。
つまり、人魚の肉を食することによる不老不死・不老長寿の獲得は、生殖能力を喪失するというトレードオフになっている。このような不老不死性と生殖能力のトレードオフは、八百比丘尼の物語にだけ見られることではないことを知っている人もいることだろう。
例えば日本神話では、人間の寿命に限りが有る理由として、ニニギノミコトがオオヤマツミノカミから娘の女神を嫁に迎える物語が語られる。オオヤマツミには二人の娘、姿形が麗しくないイワナガヒメ、姿形が麗しいコノハナサクヤヒメがいた。ニニギノミコトは、見た目を重視してコノハナサクヤヒメを選ぶが「イワナガヒメを選んでおけば、不老不死でいられたものを」とオオヤマツミノカミから言い渡される。花が咲き、実を成し、種を残して枯れる植物のように、こうして人は有限の寿命となった。岩石のような、長い年月が経過しても残るような不老不死性は、こうして人から失われた。
女性を差別・侮辱する古語として「うまずめ(=子を産まない・産めない女)」というものがあるが、これを漢字で書けば「石女」である。言うまでもなく、この言葉にはイワナガヒメ(岩石の女神)とコノハナサクヤヒメ(植物の女神)の嫁取り物語と同じ考え・物の見方が、素朴な形で反映されている。
昔の人たちが呪術的な発想として、生殖能力の有無と不老不死性を結び付けて考えたであろうという仮説自体は、現代人も自然と受け入れられるであろう。
問題は、何故、人魚のイメージと生殖能力の有無が結び付けられたか、その点が定かではないところである。これについて『神話の話』の中で大林太良は、一つの示唆として、中国の人・袁枚(えんばい)の残した『子不語(しふご)』という書物に収められた、次のような挿話を紹介する。
「袁枚の甥が、地方の役人として赴任する旅の途上で立ち寄った集落で、住人たちが騒いでいた。何があったのかと尋ねると、その集落に住む或る夫婦の妻の下半身が魚になってしまったという。彼女の証言によれば、昨夜は夫と同衾し(夫婦の夜の営みを行い)、眠りについた。夜更け、下半身がむず痒くて堪らず、手で搔いていた記憶があるが、疥癬のように皮膚がポロポロと剥がれ落ちる感触が有った。朝になり、彼女が目覚めた時には、下半身は鱗の有る魚のものになっていたとのことである。剥がれ落ちていたのは、どうやら鱗だったようである」
大林太良は、この『子不語』の挿話について、わざわざ夫との同衾について言及しているのは「下半身が魚になる前の女性は、二本の脚を開いて男性を迎え入れる性行為が可能であったが、下半身が魚になったことで、脚を開くこと、すなわち性行為が不可能な状態になった」と言っているのだと考える。そして、人魚の肉による生殖能力の喪失も、これと同じ発想なのではないかと言うのである。
個人的には、この大林太良説を初めて読んだ時は「ううん、ホンマかいな?」という半信半疑の感想であった。しかし『神話の話』を読んでから暫く経過した後、大林説を補助するような話を、別の学者の著作で見かけた。が、やはりこの著作も、本棚や倉庫で見つけられずにいた。それがつい最近、その本を古本屋で発見して再入手した。嬉しい。だから舞い上がって、ここで記念にメモを残そうと思い立ったわけである。
件の大林太良の説を補助する記述が載っていたのは、金関丈夫の著作『木馬と石牛』(岩波文庫)である。ちなみに、解説は大林太良その人である!
この『木馬と石牛』に収められた「榻(しぢ)のはしがき」という論文が、人魚による不死性と生殖能力の喪失のイメージの結び付き仮説を補助するような記述を含むものである。この論文は何について書かれたものか、簡単に説明すれば、国文学におけるオナニー文学について論じたものである。これは、悪巫山戯で書いているのでも、嘘を書いているのでもない。本当のことである。初めて読んだ時は「お硬い岩波文庫で、こんな珍論文を読めるとは」と、かなり吃驚したものである。
本題に入ると、金関丈夫によれば、天明六年の自序がある東井春江による『譬喩尽(たとへづくし)』という俚諺(りげん)辞典の「い」の部には「一夢二千三肛四開(いちむにせんさんこうしかい)」という俚諺(ことわざ)が収められている。その意味は「性行為の中で快感が大きいものランキング・ベスト4」である。念のために言うと、男性の立場でのランキングである。4位の「開(かい)」が「女色すなわち男女の営み」を指す。この「榻のはしがき」の一節を初めて読んだ時「なるほど、『開(かい/ひらく)』の語と『男女の性行為』のイメージは、昔の人の頭の中では自然に結び付いていたのだなあ」と納得し、大林太良説も納得して受け入れられるようになったと、そういった次第である。
何?ベスト3の意味が知りたい?いちいち言わなくても、字を見れば薄々察しがつくだろうから細かい説明は書かない。なお、同「榻のはしがき」によれば、戦国時代頃に来日したポルトガル人宣教師たちが、布教活動を行うために編纂した日本初の日本語/ポルトガル語翻訳辞書『日葡辞書』には「Xenzuri」という単語が収録されているとのことである。
とりあえず『神話の話』も『木馬と石牛』も、どちらも非常に面白い本なので、機会があれば図書館などで探して一読することをお勧めする。
また、人魚の話に関しては、椿のモチーフなど海女文化が八百比丘尼伝承などにおける人魚のイメージに影響を与えた可能性の話、人魚の肉はフケツノカイ(キュウケツ[9つの穴]ノカイ)すなわちアワビのことではないかという可能性の話など、色々ほかにも面白そうな話が有るので、興味が有る人は調べてみることをお勧めする。
元気な人はお粥は味の濃いものがいい!って新しいファイナルアンサーを導き出したの。
篠原涼子さんの
愛しさと切なさと心強さと
手軽さと簡単さと食べ応え強さと
になるの。
だから私はお粥研究界の篠原涼子と言っても言い過ぎではない過言だわ。
その手軽さと簡単さと食べ応え強さを兼ね備えた
つまり!
美味しく頂けるってわけなのよ。
私のいわば!
次点では鮭ね。
こないだは焼き鮭をぶっ込んでみて大成功だったので、
こんどは生の塩鮭を!って思ったけど、
鮭って結構高いから長中期的に躊躇してしまいそうな価格なので、
割引の焼き魚コーナーの鮭を狙うに限るわ。
だからそう言った鮭に関しては
手軽さとっていう条件を満たせないのよね。
その点では今のところ冷凍餃子は100点に近い満点を叩き出しているわ。
元気な人は味の濃いお粥!
ポン酢かけて食べるのでもいいんだけど、
ずっとポン酢の味よ。
玉子の旨味とお粥の旨味がシンプルに舌にダイレクトに伝わるから
ファイナルアンサーに値するわ。
でね、
なんか出汁の他になんか美味しい味がするのはアミノ酸的なのなのかしら?って思いつつ、
もっとコク深く味わい高くって
私を出し抜かないでね!って出汁だけにって思うけど
またお粥にも奥行きが広がって行くような気がするわ。
私が一回やってみたい気になっている食材で出汁を取るってのがあるんだけど、
それは白菜よ。
あれ一玉丸々大きな鍋にぶち込んで煮てさ焼いてさ食ってさってそれは漁師が食べるヤツだけど、
煮て白菜の甘い美味しいスープストックができると私は目論んでいるのよ。
一回やってみたいわ。
美味しんぼであるフグ鍋を作り続けて育てた土鍋でお粥作ったらフグ雑炊になる!って
ててててっててー
ってそれただのもう四次元ポケットに収納していただけってことになるじゃない。
そんな感じよ。
だから、
具もしかり、
鰹節とか削り出して
鰹節研とかやってたら笑うわ。
逆にもうあそこまで行ったら手間暇がかかるので
私の目指すお粥の理想形は手軽さと簡単さと食べ応え強さとなので
イカさんの手が2つ余るぐらい引く手あまたよ!
手軽さと簡単さと食べ応え強さと
うふふ。
粥でーす。
木綿豆腐と鶏挽肉ムネでやったんだけど、
珍しくというか、
パイナップル1つ買ってきて
あれなんて数え方なの?ふさじゃないわよね。
1つまるまるのやつ。
パイナップル1つさばくの大変なので、
やっぱり私はパインナップルの缶でいっかなーって思ったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!