では、ここで冒頭の主張に立ち返る。
“戦う相手は他でもない自分であって、「運命や人の力の及ばないものに対して己は無力である」と折れそうになる自らの心と戦わねばならない。”
このように主張していたのを覚えているだろうか。
反論の趣旨を要約してみると、心的外傷により精神的余裕を喪失させられた人間は戦う事などできない、だって人間は感情の生き物だから、というものであったように思う。
しかしながら、精神的余裕の発露と、精神的余裕の喪失とは、実は表裏一体でもある。
王の死を悲しみピラミッドを作る。
これらはいずれも精神的余裕の喪失と表現する事もできるが、また同時に、精神的余裕の発露と表現する事もできる。
巨大な墓を建築するのは、巨大な喪失の表現であるのと同時に、巨大な余力が残されていた事を示す。
生死の境においてなお迷信を恐れるのは、迷信への恐怖の大きさを示すと同時に、迷信を気にする余裕が残されていた事を示す。
つい悲しんでしまうのは、悲しむだけの余裕があるという事。
つい恐れてしまうのは、恐れるだけの余裕があるという事。
コップには水が半分入っている。まだ半分も残されているのか、もう半分しかないのか。これは主観と表現の違いでしかない。
よって、人の心にはいついかなる場合でも己の心と戦うだけの余力は残されている。
無為無気力となった人間の場合は、これは己の心と正面から向き合い戦うことを避けた結果陥った症状であるがために、そもそも己の心に敗北する機会すら得られず、よって心を折られることも無い。
3つ。 生じたいが一時的なものじゃねーか。 よって癒えない傷があるよね原罪とか人道に生まれちまったこととか代表に。 立ってろ立ってろ体罰小学校教師か
3つ。 ・一時的なもので十分だ。傷を癒すに事足りればいい。 ・その癒えない傷は“杞憂”だ。仮に空が落ちてくる事を心配するとしても、それは一人の悩み事ではなくて世界全体の...
一人で悲しむべき問題ではない。 おいおいおいおい。語るに落ちたな。宗教できちまったじゃねーか。 悲しみを共有させる、喪を司るのは何だ。
一人で悲しむべき問題ではないならすなわち皆で悲しむべき問題だという事でもない。そもそも共有しなければならないわけでもない。 表現を変えるならば、悲しまなくていい問題だ。 ...
なんかもーさー。ダウトが多すぎて個別の反証になっちゃって恐縮なんだけど。 そもそも共有しなければならないわけでもない。 表現を変えるならば、悲しまなくていい問題だ。 そ...
では、ここで冒頭の主張に立ち返る。 “戦う相手は他でもない自分であって、「運命や人の力の及ばないものに対して己は無力である」と折れそうになる自らの心と戦わねばならない。...
「己の心と正面から向き合い戦う」 はて。そのようなことが一般的に可能なのでしょうか。 かつて(せめて治療のためだけにでも)それを試みたフロイトたちは今の惨状なわけですが。...
繰り返しの説明になるが、 “己の心と正面から向き合う”というのは何も、自身の精神性や魂の存在に対して定義しようという試みの事ではない。 「現実に際して直面した問題に対し、...
と思いながらしばらく見守ってきたのですが、 やはり炎上具合がいまひとつだな。 というわけで燃料投下。 下が、過去に増田に投稿した記事なわけですが、 http://anond.hatelabo.jp/2014021717...
って増田に出てくるゴキブリみたいなやつ多すぎだろ http://anond.hatelabo.jp/20140428041856