はてなキーワード: 代表的とは
GPT4だとこんな感じ。
神ではなく、発信者の責任を問題視しているので、それよりは戦えそう。
「神の思惑は人間には測れない」という主張に対しては、さまざまな反論のアプローチがあります。以下に、その主張を問題視するための代表的な反論をいくつか示します。 1.知識の特権: この主張が真であるならば、どのようにして彼らは「神の思惑は人間には測れない」ということを知るのでしょうか?彼ら自身も人間であり、この事実を知る能力があるとするならば、他の神に関する知識も得られる可能性があります。 2.選択的使用: この主張は、神に関する都合の悪い事柄や疑問に対する便利な盾として使われることが多い。神に関する肯定的な事柄や信仰の正当化に関しては、人間は神の思惑や意図を理解しているかのように語られることが多い。この二重基準は合理的ではない。 3.矛盾の可能性: 万能の神が存在するとし、その神が完全な善であると信じるならば、なぜ悪や苦しみが存在するのかという問題(神と悪の問題)が浮上します。神の意図が理解できないという主張を使ってこれを回避することは、その矛盾を直接解決するものではありません。 4.論理的帰結: この主張を真に受けると、任意の行動や出来事を「神の意図に従っている」として正当化することができます。しかし、これは道徳や倫理を曖昧にし、任意の行動を許容することになります。 5.信仰の本質: 真に信仰の力を信じるならば、疑問や批評に対して「神の思惑は人間には測れない」という逃げ道を使わない方が、より真摯な態度と言えるでしょう。 最終的に、このような議論において最も重要なのは、お互いに尊重の念を忘れず、対話を通じて理解を深めることです。
昔のSF物や宇宙物の流行りは、ハリウッドの実写映画がベースで、当時はCGが無いからすべて特撮なので、どうやって撮っているんだ?と不思議に思いながら見ていたのがワクワク感に繋がっているんだと思う。代表的なものとしては1968年作の『2001年宇宙の旅』で、宇宙船の中でペンが宙に浮いてて、それをキャビンアテンダントがキャッチしてお客さんに渡すんだけど、どうやってペンを浮かせて、それをキャッチしたのかさっぱり分からなかった。
で日本のSFや宇宙物はハリウッドのように実写では作れないから、漫画やアニメにしてんだと思うし、絵やアニメでの迫力の出し方がどんどん発展していったんだと思う。
前提として差別的状況(マジョリティとマイノリティ、あるいは、強者と弱者)が明確に存在するときに、後者に肩入れするのは社会的公正さを実現する行為となる。
たとえば、体重100㎏超のガチヘビー級がひしめき合うバトルロワイヤルに体重50㎏くらいのガリが放り込まれたとしたら、それはそもそも「フェア」じゃない。だから「ガリにはせめて棒くらいもたせようぜ」って話になってもおかしくないし、一般的にそこは全体の同意が得られるところ(「ガリをぶっとばしても自慢にならねえわ」的な)。
その現実世界での代表的な事例が「アファーマティブアクション」で、マイノリティ・弱者が、人種や性別によって大学入試や選挙で優遇されるのがそれにあたる。世田谷区の離婚講座、内容はともかくとして、女性を想定した講座を実施しようとしたこと自体は、特に責めるにあたらないと考える。
もちろん、「アファーマティブアクション」もまた、常に状況と見合わせつつ、その適正さは検証されるべき(件の講座については、内容の適正さが問われるべきだと思うが)。ただ、「差別的状況」があるのにそれを直視せず「平等に扱え」という主張は、社会全体としては現在の差別的状況を保持することになるので、つまり、最初のガチムチとガリの話のように「平等に扱えと言うことが、かえって差別を守ることになる」ってこともあるんやで、ということ。
パワハラなんて言葉が一般的じゃなかった時代もそうだし、現在でも現場は怒号が飛び交ってるよ。
ひとつは土方が働くような現場は、大卒で日本語が通じて、1を聴いたら10を知るような人間が少ないということだ。昨日、アレをするなと注意しても、翌日になったら忘れている人もいる。昨日とは違う人間がくることもある。新規入場者に対する教育は、必ず行うことになっているが、教育を行う方の立場になれば、もう還暦も近いおじさんに毎日毎日、同じことを言い聞かせてるので、自然と言葉が荒くなる。
言い聞かせることも、何も難しいことじゃない。挨拶をしろ。安全確認をしろ。手をつける前に監督に一声かけろ。問題や事故が起こったら、隠さず申し出ろ。ゴミ捨てるな。タバコは決められた場所以外で吸うな。デカい声で私語をするなetc…こんなのばかりだよ。言う方も言われる方も嫌気がさしても当然じゃないかな。
ふたつ目は、やはり危険作業が多いからだ。いくらヘルメットや安全帯をつけていても、頭の上を鉄の塊が通過したり、そこかしこに鉄筋が飛び出ていたりするのが現場だ。一般の人が安全に過ごす前の段階で働いているんだ。ヒヤッとしたら、そりゃ怒鳴りたくもなる。安全に安全を重ねているつもりなのに、この前渋谷の再開発工事で鉄骨落としていたでしょ。絶対安全なんてないんだよ。
それに土木や建築は、工場の中で生産なんかしていない。現地で組み立ててるんだ。雨が降ればずぶ濡れになるし、鉄板や足場は滑る。せっかく掘った穴が崩れる。地面よりしたの区画は排水が追いつかなければ泥水のプールだ。雨で見通しが悪くなると、安全確認をしている人さえ一瞬見えなくなる。突風がいつ、どの方向から吹くのか予想できる人なんていないんだ。そんな現場でできる安全対策の中に、大声出して確認するのが重要になるのはわかるでしょ
それに大規模な事故が起これば現場は止まる。止まってもよその現場がすぐにあればいいが、そんなに都合良くはいかない。死者が出れば、警察が現場検証を行うまで何もできない。でも警察に現場の状態を聞くために呼び出されたら行くしかない。その間は金も出ないのに拘束されているようなものだ。一番避けたい状況でもある。
みっつめは、末端の作業員は今でも日当で働いているからだ。今日作業がなければ給料はない。だから事故や怪我で現場が止まれば、ご飯が食べられない。自然と危ない予感がすると声を荒げるようになる。
組み立て作業が多いということは、段取りが重要になる。自分が今日行う予定だった作業の、前の段階の作業が終わってなければ、作業ができない。つまりお金がもらえない。だから前の段階の作業が遅れていてら、そいつにも、現場監督にも怒鳴る。俺が稼ぐ予定だった時間を無にしやがって!てね。自分の作業を終わらせて、さっさと帰りたいのに、物事には順番があるから進まない。そしたらチンタラしているヤツに怒号が飛ぶ。理不尽だけど当たり前だ。
理由はもっとあるし、複雑だけど、だいたいこういうことが主な原因だ。怒号が飛ぶ現場は、パワハラばかりだと思うかもしれないし、自分も半分ぐらいはそうだと思っている。でも命懸けの仕事ってそういうものがつきものだから、もしこれを読んでいる人間で、そういう環境で仕事をしたくないと思っているなら、家でパソコンひとつで、人にも合わなくて食べていける職業を選んだらいいと思うよ。個人トレーダーぐらいしか思いつかないけどね。
三尊天井とは、株価などの推移を時系列に図示したチャート上において高値圏でしばしば見られる形状の一つで、3つの山形を示し、中央の山が最も高くなるものです。
三尊天井は、トリプルトップと同じく高値を3回つけますが、真ん中の山が1つ目の山と3つ目の山よりも高値を付けた場合に三尊天井と呼びます。
三尊天井は、トレンド転換を示唆する代表的なチャートパターンで、相場が目先の天井を打ったサインとされ、これが示現するとその後は下落トレンド入りとされます。
三尊天井は、別名では、ヘッドアンドショルダーズトップとも呼ばれています。三尊とは、釈迦と左右二体の菩薩を表す三尊像のことで、トレンドの天井で発生し、三尊のような形に見えることから三尊天井と言われます。
ジュエリーの知識も興味もないし匿名宝飾店のこともよく知らない人に女なんかどうせジュエリーの価値なんてわかってなくて情報食ってるだけだから名前変えたらあっさり釣られてるみたいなこと言われてて悲しい。
「高級そうな雰囲気の店に4℃の商品を100万円で置いたらいつも4℃をdisってるブランド大好き婚活おばさんに大人気」とかを想像して溜飲を下げてるんだろうけど、そういう人はそもそもあんまり来てないか来ても買わずに帰ったと思うよ。
そもそも匿名宝飾店が大人気だったというのがブクマカの妄想じゃん。インスタの#匿名宝飾店は864件しかないし、tiktokの#匿名宝飾店も25個しか動画なくて動画のコメントもあんまりついてない。twitterの種明かしまでのツイートは数えてないけど10分あれば全部読めるくらい(ネタばらし後は爆発的にツイートが増えた)。
匿名宝飾店は単なるジュエリー販売店ではなくテーマパーク。有名なブランドということだけ入口で明かされてた。入場無料でディズニープリンセスやサンリオみたいなメルヘンなジオラマにジュエリーを組み合わせたものを見学できて、指輪のサイズを確かめてもらえるサービス、ドリンクとネイルオイルのプレゼント、商品の試着、パーソナルカラーや顔タイプごとのオススメジュエリー紹介、SNSにクチコミを投稿するとジュエリーとか入浴剤みたいなものがもらえるガチャガチャがあって、最後にアンケートに答えるとマカロンがもらえてブランド名も明かされる仕組み。アクセサリーはその後買える。
店内写真の撮影は大歓迎でインフルエンサーにも宣伝させてたから、店内の様子を把握してから行った人が多かったはず。
https://twitter.com/BOHE_BABE/status/1705098800300535897
匿名宝飾店、100坪以上ありそうなポップアップストア出して11日間で4000人来場ねぇ。1日360人、営業9時間だから、時間40人か。滞在15分だと寂しい感じだし、1時間ならまあまあなので、実際のコンテンツ次第。(後略)
こんな意見があったけど、この内容だと1時間じゃ足りないかもしれないね。
来場者コメントの傾向はインスタとtiktokとtwitterで全部同じだったのがちょっと意外。
https://twitter.com/search?q=匿名宝飾店 until%3A2023-9-20&src=typed_query&f=live
読んでもらえれば「匿名宝飾店のジュエリーは4℃を毛嫌いしてた女たちに大人気になった」なんて雰囲気じゃないのはわかると思うんだけどみんな読まないだろうから要約するね。
ジオラマの写真とガチャガチャの景品の写真が一番多くて、その他のコーナーの写真や試着した姿を上げてる人も多かった。購入した品の写真は確か一つもなかった(昔使ってた4℃をせっかくだからと磨いて久しぶりに付けてきた、という人はいた)。とにかく「楽しかった」「かわいかった」みたいな感想が多くて、展示も接客も良い優れた企画だったんだろうと思ったよ。指輪のサイズチェックのサービスはとても評判がよかった。「先入観をもたせずにジュエリーを楽しむなんてすごく新鮮」と書いてる人が多かった。3割くらいいた。
ブランド名が明かされたときの気持ちを書いてる人は意外と少なくて、5%くらいしかいなかった。多くは驚いてたけど、驚いた理由は書いてなくてよくわからなかった。
4℃だと見抜いたらしき人はちらほらいたけどみんな親切でネタバレしてなかった。そりゃ「あの有名ブランドがなんと匿名で!」なんて煽りにしたから特定したくなったというのもあるだろうけど、それ以前に4℃みたいな大手ブランドの品をそのまま出したらわかる人多いに決まってる。ただオープンハートは展示されてなかったからそこで気づかない人はわりといたかも。
ジュエリーそのものについてかわいいとか欲しいとか感想言ってる人は少なくて、1%くらいしかいなかった。買ったとか買うとか言ってる人は5人もいなかった。
ともかくこれからもジュエリーを着けたりもらったりする層の4℃へのイメージはあんまり変わらないと思う。
人気が上がって中古価格が上がるってことも…ないと思うなあ、もし上がったら謝る。
②4℃は誤解されたり風評被害を受けてたわけじゃなくて実情に沿った評価がされてる
(姉妹ブランドでなく本家の)4℃が学生など若い人向けだったり、値段が安かったり、そこまで近しくない関係の人に贈られることが多かったり、キャバ嬢によく贈られたりするのは本当のことなのにそのイメージを払拭なんてできるわけないよ。
ドンキがヤンキーの店と思われてるのもapple信者がカッコつけだと思われてるのもアクシーズがデブ女ヲタ御用達だと思われてるのも風評被害じゃなくて本当のことでしょ。
実態と異なるっていうのは「量が多くて値段がそれ相応、味より座れることが重視されてる、庶民向け」と特徴がそっくりなのに全然イメージが違うコメダとスタバみたいなことだよ。
仮に4℃がひっそりバレずに改名したり廃業して他のブランドが同じ地位を占めたりしてもやっぱり同じことになる。どうしてもイメージをつけたくないなら定期的に潰してやりなおすくらいしかないんじゃない?
③匿名宝飾店は4℃のイメージをさらに濃厚にしたような店構えなので4℃が嫌いな人は買いに来ない
4℃が嫌いな人はざっくり二つに分けられるけど多分どちらも匿名宝飾店には買いに来ないと思う。
・匿名宝飾店はハリーウィンストンとかヴァンクリみたいな高級ブランドショップに全然似てないので高級ブランド大好きおばさんは買いに来ない。
・「もう歳をとったから4℃のオープンハートみたいなのは可愛すぎて着けられない」と言うおばさんは甘々メルヘンに飾り付けられたジュエリーは買いに来ない。
結局買いに行ったのはもともと4℃のようなジュエリーが好きな人ばかり(人気ブランドなんだからもちろん大勢いる)で、4℃が嫌いな人が来てうっかり惚れ込んじゃうようなことはほとんどなかったと思う。
純粋にテーマパークとして来た人、指輪サイズ調べサービスやネイルオイル目当てに来た人もいただろうけど商品はあんまり買わなそうだ。
仮に「天一がステキな店構えで匿名出店したら若い女性にヘルシーだと大人気に!(実はあっさりしかメニューにない)」とかがあったら、「天一のイメージが変わった!」よりも「イメージが変わったんじゃなくて商品が変わったのでは…?」と思われるでしょう。
4℃でよく売れてる代表的商品はオープンハートなど甘い系統のだから、それを置かないのは天一でこってりを置かないみたいなもの。
とはいえ匿名宝飾店に置かれたものもやはり4℃なのでそこそこ繊細で複雑な意匠で、若い人に好まれるタイプ。歳をとってシワやしみが増えると繊細なジュエリーは負けてしまうので自然と大ぶりなものを好む人が増える。4℃はこれからも主に若年女性に好かれておばさんはそこまで着けないブランドであり続けると思う。
あるブランドが名前を隠して人気が出たからといって、「そのブランドを普段嫌ってる層に人気が出たんだろう」と根拠もなく思い込むのは愚かしい。
それなのに4℃は本質を見抜けないバカ女が手のひらを返して大人気になったという風潮だけがもう一人歩きしてるんだなあと思うと空しい。
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だから設計上狭くて個室が入らない場合は別だって言ったじゃない...
例えば君の指定通りイオン、その中でも代表的な越谷レイクタウンで検索して一番上に出てきたこれだと
逆だよ
メディアで目にする女性の「こういう男は嫌」みたいなアンケートでいっつもいっつも
「店員に横柄」「自慢話が多い」「運転でオラつく」とかそういう粗暴なチンピラみたいな項目が上位を占めてて、
でもそんな行動のやつ周りの男に全くいないからさ。
そういう男を彼氏にしてる女が滅茶苦茶多いってだけだった。
俺(ぼっちゃん有名私立エスカレーター)の視界には全くいない男が
世間の女性の視野では「代表的な男」「ポピュラーな男」なわけ。
そういう男ばっかり目で追ってるから。
「でも女性の皆さんはそういうオスがお好きですよね?」だけなんだよな。
自分達でより抜いてそういう男を追い掛けてそういう男とくっ付いてるんだから
モラハラされようが暴力振るわれようが離婚しようが被害者ヅラしないでくれと思う。
まして「男」の問題として声を挙げたりする奴は黙らせたい。
それは「男」の問題じゃなくて「あんたが好んで選んだ男」だから
社会問題でも何でもねーよと。
社会にケツを回すな。
急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的に評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物の黎明』は例外である。わずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞や雑誌の多くから賞賛を受けている。
著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的な投稿者たちからも、好意的なコメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。
しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論的人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠を無視しており、その政治的主張は観念論的で自発主義的であると論じている。どちらの書評も特に、女性抑圧の原因を考察していないことに批判的である。
クリス・ナイトはユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの人類学上級研究員で、アフリカにおける人類の起源を研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Educationに掲載された。
ナンシー・リンディスファーンとジョナサン・ニールはともに人類学者として訓練を受け、人類の進化、階級社会、性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』である。ジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評はエコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。
本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパに洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較的最近の先史時代について学びたいのであれば、必読の書である。しかし、人類が最初に笑い、歌い、話し、芸術、儀式、政治を創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。
この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物の黎明』? 『お茶の時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスがヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。
欠点はあるが、この本は広報の勝利である。フリードリヒ・エンゲルスが『家族、私有財産、国家の起源』を出版して以来、左翼知識人や活動家が人類の社会的起源や先史時代の過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。
短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治的メッセージは露骨だ。平等主義の狩猟採集民が生活の中で共産主義を実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物の黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉を引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類そのものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威を行使してきたことから、国家権力の原理は人間の条件の不動の特徴であると主張している。
よりによってアナーキストが国家の必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつの世界は可能である」という革命的スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層と平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所で自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。
著者たちはダーウィンの自然淘汰理論に違和感を抱いており、現代の進化論を「社会進化論」と混同している。現代の進化論は科学的であると主張するが、実際は純粋な神話である。グレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類の起源についての視点を、読者が真剣に検討することを期待しているのだ。
彼らが認める唯一の科学は応用科学であり、この場合は「考古学的科学」である。彼らは、政治や社会生活については、古代の人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物の黎明」の年代をわずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術や象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近の証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ、幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸品である。
彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学の第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能と心理を形成する上で集団的育児が重要な役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園は存在せず、一人のイヴも存在しなかったのだから、そのような洞察は部分的なものにしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディの研究が "アフリカのイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実を無視すること--は、明らかに人類の起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。
グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害な神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑、羞恥心、敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たちの人間性を規定する本能や能力が平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?
私たちは皆、社会的・政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせや虐待、支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学者クリストファー・ボームが描く、反権威主義的抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類をさりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。
グレーバーとウェングローの基本的な論点は、政治的選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学の古典であるエスキモーの伝統的な生活の説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成を確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである。私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキーが形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつのシステムに縛られることはなかったということだ。
この歴史は対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性である。グレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性の儀式は、基本的に月によって予定されている。
著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップのひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義の概念に触れている。彼女は、コンゴの熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅に降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式で男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。
なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民、タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要な宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。
太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバルの伝統である。庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。
残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカが物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係を説明することができない。
グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たちに問題を提起している。
デヴィッド・グレーバーはわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表作である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動や社会正義運動のリーダーとしてのデイヴィッド・グレーバーの活動は異例であり、模範的であった。LSEの人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬と愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。
しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物の黎明』が、今後長い間、不平等の起源に関する理解の枠組みとなってしまう危険性がある。
本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニット、パンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキー、ロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちからの賞賛の言葉が掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界の歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。
この本は最近、マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛が一般的な見方になったら残念である。
人類の進化と歴史における不平等の起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要である。しかし、グレイバーとウェングローは平等や階級に目を向けることなく変化を求め、環境や生態系の説明を敵視している。これらの欠点は保守的な意味合いを持つ。
では、ここから。これは膨大な本の、乱暴で部分的な書評である。私たちは、グレバーが知的な議論の切り口を愛し、得意としていたという知識で自分自身を慰める。
この本の最後の段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たちの立場を明確に示している。彼らはこう書いている、
例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質は基本的に善か悪かであり、不平等や政治的意識が存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間の自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市や国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証の仮定から始まる場合。
つまり、神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等や政治的意識が生まれる前の時代は存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間の自由を制限することはないこと、参加型民主主義は都市や国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。
このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。
第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身の政治的プロジェクトと対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。
・マイクロソフトオフィス/ウィルスバスター/エッジ以外のソフトは使用禁止
この条件でマクロ作らんとならん。
こういう時になんか効率的な順序ある?
子供の頃BASIC言語でちょっと遊んだから原理そのものは漠然と分かる。
他人が作ったマクロ開いてコピペで機能追加したり二重で処理してる所見つけて早くしたりぐらいは出来る。
流石はてなーだ。
はてなーも質が落ちたと言うが、こういう分野ならまだまだいい感じやね。
②必要な作業を整理して、それだけを出来るようにメモを作り印刷する。
③記録ボタンを押して、印刷したメモを見ながら作業をし、記録完了する。
⑥ググって一通り解説を見て、求めている解説のタイプを把握する。
⑦本屋やKindleで求めているタイプの解説が載っている本を買う。
⑪持ち込んだ紙を見ながら職場のマクロを改修する(この辺雑誌見ながらBASICのゲーム作るアレじゃねえか。令和に何やろうとしてんだろ俺)。
⑫改修版のマクロを動かしてみる。
⑬不満点やバグを洗い出して家に帰ってまた調べる。
⑭満足するまで⑫と⑬をループ。
って感じかあ。
うんこれで良さそうね。
あとは中古のPC買うかWEBのOfficeで代用できるか最新の365でもある程度再現出来るのか調べてみて家でPTSDサイクル作れるようにしたらモアベターかね。
職場(ネット環境なし)でトライ&エラーはしたいから逆引き辞典みたいのはやっぱ欲しい気はするが。
でもウチの職場でVBA本読むのも自分のスマホで調べ物するのも周囲からの白い目はあんま変わらなそうな気がするんよね……。
職場辞めろについてはマジでその通りなんだけど、今の「Excelでマクロを作るだって?そんなの出来るわけねえぜ!俺たち方眼紙魔術師がマクロに手を出したら神罰が下るぞ?」なしょっぼーい環境に慣れちゃってるから他所で上手くやれる自信がないのよね。
じゃあこの会社潰れたらどうすんのって話ではあるんだけどねえ。
どうするんだろうね。
こんな使えないオッチャンになっちゃってねえ。
アハハ(ちいかわっぽい感じで
戦国大名は巧妙な戦術と策略を駆使しました。たとえば、武田信玄は「武田の七本槍」と呼ばれる優れた武将たちを集め、独自の戦術を確立しました。また、織田信長は「本能寺の変」という奇襲策を用いて、敵対勢力を撃破しました。
上の説明に出てくる、「武田の七本槍」と呼ばれる優れた武将たちとは誰ですか。
「武田の七本槍」と呼ばれる武将は、武田信玄の家臣で、彼のもとで活躍した優れた武将たちのことを指します。以下は代表的な「武田の七本槍」の一部です:
山本勘助(山本勘助信綱): 武田家の家老で、信玄の側近として活躍。戦国時代の重要な戦闘で勇猛な姿勢を示しました。
梶原景時: 武田家の家老で、武田信玄の軍師として知られ、戦術的なアドバイスを提供しました。
一言でいえばDMCAの延長戦をやっただけで訴え自体はそんなに不当でもない。
新聞などでも使われていて、仁藤夢乃さんを知ってる人はこの写真を想定する人も多いでしょう。
https://mainichi.jp/articles/20211027/k00/00m/040/092000c
毎日新聞にも書いてあるが、この写真は仁藤夢乃さん提供とある。
さて問題です。上記の情報から想定される写真の著作権者は誰でしょう。
仁藤夢乃さん?Colabo?その他仁藤さんが主導する関連団体?
いいえ、答えは「のりこえねっと」でした。(裁判で判明)
「のりこえねっと」と仁藤夢乃さんは関わりがあり所属メンバーであったり、仲が良かったりするとは思いますが、別に代表的な人物ではありません。
https://norikoenet.jp/about_us/representative/ 乗ってないですね。
活動で使う写真を仁藤さんが代表でもない団体が持ってるのは不思議ですが別にいいでしょう。個人的には芸能事務所か何かなの?って感想ですが。
ここで、のりこえねっとが暇空のYoutube動画にDMCAで削除を行いました。
アメリカのDMCAは迅速に対処することができますが、DMCAを行ったのがちゃんと権利者かどうか、削除が正しいかを判定しません。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2103/14/news033.html
DMCAテイクダウンされた人が問題があると感じた時には異議申し立てができます。
異議申し立てに対してDMCAをした人が本当に著作権を持ってるのか?が問われます。
ここで、のりこえねっとは著作権について回答をしませんでした。
すると、異議申し立てが認められてDMCAテイクダウンで削除された動画が復旧します。
つまり、外形的には”のりこえねっとが著作権の証明をせずにDMCAを使用した”
という状況になるわけです。
それに対して暇空はDMCAは不当だと訴訟して、のりこえねっとは裁判になってから著作権の証明をした。
なのでDMCA自体も正当だったし、暇空の訴えは不当だったと裁判になってから証明されたのが今回の裁判の結果でした。
裁判を起こした理由自体は不当なものとは言えないけど、のりこえねっとは勝って当たり前だよね。ってのが結論です。
のりこえねっとがDMCAの異議申し立てに回答してれば暇空の動画は削除されたままだったし、クソみたいな裁判も不要でしたね。
しかし、仁藤夢乃さんを中傷するクソ動画が垂れ流しになってる状況で、なぜ削除された状況にしなかったかが不思議です。
DMCAは複数回削除されればチャンネルBANとなり、暇空の収益源を止めることもできました。
個人的な考察ですが、仁藤さん側は意図的にこの構図作って確実に裁判で勝てる状況を誘ってないですかね?
一見して著作権者と分かりにくい、のりこえねっとがDMCAして異議は放置して動画は復活させる。
これに対して暇空ならキレて攻撃してくるだろうと想定まですることは可能でしょう。
敵対した相手のことをよく見ていて、裁判を見据えた戦術家がいるのでしょう。
確実に取れる暇空の失点を回収してお見事でした。