2023-10-08

anond:20231008095201

前提として差別的状況(マジョリティマイノリティ、あるいは、強者弱者)が明確に存在するときに、後者に肩入れするのは社会的公正さを実現する行為となる。

たとえば、体重100㎏超のガチヘビー級がひしめき合うバトルロワイヤル体重50㎏くらいのガリが放り込まれたとしたら、それはそもそも「フェア」じゃない。だからガリにはせめて棒くらいもたせようぜ」って話になってもおかしくないし、一般的にそこは全体の同意が得られるところ(「ガリをぶっとばしても自慢にならねえわ」的な)。

その現実世界での代表的な事例が「アファーマティブアクション」で、マイノリティ弱者が、人種性別によって大学入試選挙優遇されるのがそれにあたる。世田谷区離婚講座、内容はともかくとして、女性を想定した講座を実施しようとしたこと自体は、特に責めるにあたらないと考える。

もちろん、「アファーマティブアクション」もまた、常に状況と見合わせつつ、その適正さは検証されるべき(件の講座については、内容の適正さが問われるべきだと思うが)。ただ、「差別的状況」があるのにそれを直視せず「平等に扱え」という主張は、社会全体としては現在差別的状況を保持することになるので、つまり最初ガチムチとガリの話のように平等に扱えと言うことが、かえって差別を守ることになる」ってこともあるんやで、ということ。

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