はてなキーワード: 不利益とは
他の生物を食べて生きたい、自分の居場所が欲しい、配偶者が欲しい、お金が欲しい、認められたい…等々。とにかく生きるために必ず備わっている欲求だ。この闘争欲求はもちろん人によって小さかったり大きかったりするだろう。大きい人間は上手く活用すれば大企業の社長になったり研究者や開発者として医者や政治家として活躍できるだろう。いかに優れているかを競い合うということは効率化や新たなる発展性を秘める魔法の行為だ。戦時下におけるコンピュータの発達など科学技術発展の背景には知る欲求だけではなくこの闘争欲求も大きく関与してきた。
しかし闘争欲求が大きいにも関わらずその昇華の仕方を知らずに大人になってしまった場合は最悪の不幸が訪れる。他者との優位性を競い合ったとしても感情のベクトルを最適化できなければわけのわからないデモに参加したり、様々な倫理性や論理性を見失い体と時間だけを浪費してしまうことになる。冷静になれ、怒りに身を任せるな。言葉にすれば極めて簡単に聞こえてしまうが、闘争欲求というじゃじゃ馬を乗りこなすにはクレバーになることが極めて重要でかつ困難なことである。
冷静になるということはどういうことか?それは第三者視点を(完全ではないにしてもできる範囲において)獲得することである。ここでいう第三者視点とはタロウさんハナコさんマスダさんのマスダさんのことではない。全てを俯瞰的に見つめる神の視点である。もちろん全てを見通す神の視点などどこにも存在しない。必ず未来には不測の事態がどこかに待ち構えている。現実には神の視点だと信じている第三者視点までしか形成されることはない。しかし2者間の対立構造においてこの第三者視点の精度こそが最も重要な勝敗を決する要素であり、また勝敗が決着した後でさえも重要な要素である。知るということは何よりも重要であり、知ることによって考えることができる。相手の意図や思惑を計算することができれば相手の好きさせることはないし、自分にとって一番効率の良い結果が出せる未来も思い描くことができる。しかし感情に任せての行動には目指す方向やそれを実現するために行われる手法が相手から丸わかりであり、わざわざ第三者視点を形成せずとも相手の意図や情報を一人称からでも考えることができる。正面から突撃しかしてこない騎兵が相手なら毎回弓で応戦したらいいだけだ。感情に任せての行動は戦う前から負けることが約束されている。闘争欲求が感情に任せて利用されると不利益しか生じないことは明らかだ。
闘争欲求が感情に任せて活用される場合、その当事者には成功者や人格者と大きく異なる部分がある。それは着地点が設定されていないということだ。もしくは非常にあやふやなものとして設定されている。何かと対決したり競う以上は勝敗という結果が産まれるが、その結果を正確に予測することはすなわち過程の予測も行われる。望むべき結果を生み出すためには計算をしなければならず計算は第三者視点を作成したうえで冷静でなければできない。具体的な着地点を設定しないということはつまりは過程である行動や手法が本当に実現させるために取るべき最適な答えなのかどうかを問われていないということだ。何が間違っていて何をするべきなのか、それを見極めることができない状態で活動している。このような行為を続けても決して冷静な敵対者に勝つことはできないが、不適当な闘争者はそれさえ気づかずにひた走り続け、決して満たされることのない闘争欲求はさらに活動し、狂い始める。同じような狂信者たちが集まればさらなる大きな狂いの渦を形成していく。数こそ力とは言うが、数が力になるときは同じ方向を向いた瞬間だけである。統率のない集まりがそれぞれ違う方向を向いていても何も動かすことはできない。
闘争欲求は何かを成就させるために不可欠な欲求であるにも関わらず、その昇華のさせ方を知らない者たちは現実と剥離した世界に逃げ込んだり、狂った人間やはた迷惑な団体へと変貌していく。彼らの本質そのものが高度な戦略化した社会における被害者であり弱者ではあるのがが、社会へもたらす不利益もその数だけ存在し、また是正する個人も組織も無いためどのような時代においても反知性主義団体を確認することができる。
かといって感情が必ずしも有害であるかというとそうではない。全ての行動原理は等しく感情という源泉に帰結する。我思うからこそ我あり。第一人称の持つ感情を原発としてそれを慰め、褒め称えるために理性によって実現可能な道を切り開いていくことが一番人間的であり好ましい形であろう。また感情を分解していくことで論理的にも自分個人の感情の形成パターンを分析化することもできる。なぜ怒ったのか?なぜ喜んだのか?それを自分に問うことでさらに自分の感情と欲求の求める結果を洗練させることができる。
感情的なことは悪いことではない。問題は見つめないこと、知らないこと、考えないことだ。感情的な人間でありたいのなら鏡で自分の顔を見るように、感情を理性で見つめるべきである。己を知りより深く自分の感情を愛するべきである。さもなくば感情を愛することもなく理性的ですらなく自分の意志で動いていると勘違いしてしまう感情だけの操り人形になってしまうだろう。1+1を計算できるのは感情だから?アイスクリーム屋でお金を出せばアイスを食べれるのは感情のおかげだろうか?理性がどれだけ感情を守っているかを見直すべきだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160114204909
の続きです
ずばり、赤松さんが何をやりたいか、何を最終目標としているかというと、上記ブログ、最新記事の表題にもある通り「電子書籍版YouTube」でしょう
赤松さんは将来を見据え、Googleやamazonが運営し、多量のインセンティブを取られ、アメリカ式の表現規制が導入された読み放題サービスではなく
発生利益のほぼ全てが権利者に渡り、過度な表現規制のない「マンガ図書館Z」という読み放題サービスを作りたいと考えているのです
「え?読めなくなった絶版漫画を読めるようにするサービスでしょ?」
このように思われる方もいるかも知れません、それも当然です
赤松さんは自身のブログにおいて当初から絶版漫画を対象に、と明言しています
しかし実は最近のブログ記事では少しトーンが変わってきています
(切り取った文章では、赤松さんの言いたいことが伝わらないかもしれません、できればぜひそれぞれ全文を読んでみてください)
最近、アマゾンがAmazonプライムで「ビデオ見放題」に続いて「音楽聴き放題」も始めました。
次は、どう見てもAmazonプライムでの「マンガ読み放題」を狙っているはずです。もともと本業は書籍ですしね。
(略)
・・・ここまで来ると、我々「日本人」が、しかも「クリエイター主導」でこれを率先して進めないと、
・・・目指すは、出版社(=新作を持つ)と共同での、日本の全マンガ作品のコンプリート蒐集。
ここに来れば、どんなマンガでも必ず読める(または新作を買える)。私たちの仕組みを使えば、この果てしない夢が叶うと考えております。
に着手いたします!
更に「マンガ図書館Z」には月額300円の有料プレミアム会員プランがあります
これは、アダルト漫画に対応するためと説明されていますが、今後、プレミアム(有料)会員向けに絶版以外の漫画が読めるサービスを開始することを視野にいれた展開でしょう
ここで繰り返しになりますがもう一度、論冒頭の逆説的な説明をさせて下さい
まずそもそも絶版漫画だけを読めるようにする便利サービスというのであれば
youtube的なアップロードシステムを取り入れる必要などありません、従前のアップロードシステムで十分に対応可能ですね
更に最初からその目的として謳っていた海賊版に対抗するという文句も、あまり意味のあるもではありません
違法アップロードされる漫画の量は圧倒的に絶版<その他だからです、つまり絶版以外の現在連載、発行されている漫画が殆どなのです
そして何より、絶版のみを扱うのであれば、黒船としてgoogleやamazonが漫画読み放題サービスを始めた時の対抗軸になることは絶対に出来ません
つまり本当に絶版漫画専用のサービスのみに終始するというのならここまで面倒くさいことをやってきた意味などないのです
別に赤松さんが途中で目的を変えたであるとか、そういうことではないと思います
最初からこういう展開を視野に入れた上で、扱い易い絶版漫画という分野でまず実績を積み上げて、その後絶版以外の漫画にも進出したかったのでしょう
そしておそらく、今すぐに読み放題サービスを始めるということもないでしょう
ある程度今後の成り行きを見守り、上手くいきそうなら、といった感じだと思います
しかし種々の権利問題や出版社への合意を取り付け、実際にマンガ図書館Zが絶版以外の漫画を扱い出した場合
「現在、違法サイトや海外違法サービスで漫画が読み放題だとはいえ、そんなサービスを利用する人間は限られている
しかし、マンガ図書館Zとして正式に国内でサービスを開始してしまえば、今まで紙の書籍を買っていてくれたお客がそちらに流れてしまう」
確かにいくら海賊版が溢れているとはいえ、やはりそんなものを利用するのは少数派です
一つにはそもそもその存在を知らないという人たちも多い
更に一つ、知っていても違法な事に手を染めたくない人たちが大半、というような理由です
マンガ図書館Zというサービスがもし出来てしまい、そして有名になれば、今まで海賊版の存在を知らなかった人たちの中にも利用を始める方が出てくるでしょう
そして違法だからという理由で避けていた人たちも、やはり使いはじめるでしょう、そうなると当然、書籍の売上は減ることが予測されます、これは確かに問題かもしれません
しかしそれは果たしてマンガ図書館Zがなければ解決される問題でしょうか?
この記事でも述べてきたようにそして赤松さんが予測されるように、例えマンガ図書館Zが読み放題サービスを始めなくても
Googleやamazonが類似の読み放題サービスを始めるのではないでしょうか?
もしそうなればやはり紙の書籍の売上は減るでしょう
そしてそれがスタンダードに、日本とは表現規制も何もかも違う外国のサービスが業界標準になってしまったら、それは漫画家にとって不利益とはいえないでしょうか
但し、このように、より悪い状況を想定し、それを人質のように選択を迫るという行為を嫌う方も多いと思います
確かにある意味上からの物言いでこの様にどっちが良いか、と選択を迫られるのは気持ちの良いものではありません
しかし、現実に音楽業界及びネット販売業界では、そうした選択の末、現在のamazonやAppleが支配するような状況が生まれてしまっています
もちろん
「それでも、昔ながらの紙の書籍を売るビジネスが好きだ。電子書籍ビジネスには関わりたくない」といった意見や
「本当にGoogleやamazonが読み放題サービスを始めるかなど誰にもわからない、そしてそのサービスが日本にとって悪いものであるという想定も所詮はただの推測に過ぎない」
という意見もあると思います、前者の方にはマンガ図書館Zというサービス自体が決して受け入れられるものではないでしょうし
後者の言い分もそれを100%否定できるような材料はありません
他にも
「そもそもなぜ赤松さん(GYAO)がサービスを運営するのか?自分は赤松さん(GYAO)は嫌いなので使いたくない」
「結局はお金や名声目当てでは?マンガ図書館Zが成功した後、サービス内容が改悪されない保障がどこにある?」
「マンガ図書館Zが次善の策であるように言っているが、もっと考えれば漫画業界にとってより良い方法があるのではないか」
等など、考え出せば切りがありません
漫画家や権利者、そしてマンガ業界を支える関係者やファン、消費者の方々が十分に考え、導き出した結論であれば
例えそれがマンガ図書館Zには反対!という意見であっても仕方のないことでしょう
何より重要なのは、より多くの当事者が日本のマンガ業界の現状を認識し、ただ座視するのではなくそれぞれに考え行動することではないかと思います
そしてもし、その結果がマンガ図書館Zを支持するというものであれば、ぜひ応援して頂ければと思います
今まで黙ってたけど言わせてもらうけどなんではてなでそういう個人を前に出してぶりっこするような日記を飽きもせず投稿してるの?そういうのは個人ブログやもっとそれに特化したブログでやるべきじゃないの?ハッキリ言うけど読んでてつまらないよ。はてなだからこそ周りがやらないことだから異彩を放ち人気みたいにこういうのに耐性のないはてなーたちがブクマして気づかぬ内になれ合いモードにさせて信者化してそのブクマコメントに味を占めて繰り返してるんだろうけど本当に中身スッカラカンでつまらないよ。あなたはこれで自己満足を繰り返してるだけであなた自身の人間的魅力は全く持って深くならないってことには気づいてるのかな。そろそろ実生活での自己承認とここでの自己承認が剥離してきてるんじゃないの?それを埋め合わせるかのように頻度あがってきてつまらない記事書いてそれになれ合いでまたブクコメもらってって完全に悪循環に陥ってるよ。こういう反応が返ってきたらブクコメしてるやつらがこぞって批判してくるけどそいつらはあなたを堕落させる当事者たちであってあなたの味方でもなんでもないからね。他のブクマを多く獲得してる記事はだいたい評価を受けてるけどその見返りが結局第一人称に各々返ってくるコンテンツだから評価されてるわけ。評価の質がそもそも違うのよね。他の記事は評価受けられれば受けられるほど自分である第一人称にメリットのある記事になるから評価されることは現実での自己認証にも繋がるわけ。好循環。ちょっと気分よくするだけなら好きな動物出てくる動画をYouTube特集サイトでも駆け巡ってればよっぽど幸せになれるから。何が言いたいかって言うともうやめたほうがあなた自身のためにもなるし私自身哀れだと毎回思わされるから最後にしてほしい。
【追記】
言わんこっちゃない、こうやって即座に擁護コメント付くけどこいつらは自分の玩具である「共有財産」へのコンテンツとしての価値を崩しにかかる行為は絶対に認めない。
あの手この手で話を横道にそらしたり人格批判をすることで話の本筋である本当にそれって必要なことなの?だとしたらどういうメリットがあるの?って核心には絶対に触れさせない。
これはあなた自身を守ってるんじゃなくて単に連帯感や仲間意識の軸であるシンボルを外部の人間にいじりまわされたくないだけ。
あなたのことはこれっぽっちも人間として見てなければ面白い記事を投下してくれる見ず知らずの人間と見てない。単にピーって鳴けば集まることのできる笛程度の認識。
それにももう気づいてるにも関わらず続けてるんだとしたら何も言わない。
お金ももらえず時間も増えず人間的な魅力も増えない記事をこれから永遠に書いてこいつらの玩具を続けたとしても。
私がまたランキングに上がってきたよ邪魔だなと思うくらいの不利益と忠告しないと猿どもの玩具で終わるんだろうなという老婆心くらいここで問題になるものはない。
改めて説明するけどブクマしてるやつらはあなたの記事自体が面白いと思ってるんじゃなくてあなたの記事でブクマが集まるということに対して価値を感じていて、
それに対して各々コメントしていって友達のいないせいで雑談が発生しない現実世界の欲求を満たすためのツールとしての価値しか無いんだよってこと。
全部読んだ。……ということだけ伝わればよいかと思うのだけど、ともあれ同情申し上げる。
そんなしょうもない上司に泣かされる悔しさ、というのは想像することしかできないが、こちらまで悔しくなるような腹が立つような内容だった。どこの組織にも一定の割合でそういう人は居るもので、関わってしまったのは不運としか言えない。でもあなたはその中でよく気を遣って立ち回り、精一杯プロジェクトの成功に貢献しようとされているように見受けられる。これだけ丁寧に一連の出来事を整った文章で記述して提示できることからも相当聡明な方ではないかと想像する。(対面時のコミュニケーション能力については判断できないが)
上司が無能であることはもう全社的に認知されているようだが、それでもプロジェクトが終わったタイミングにでもしかるべきところにしかるべき報告はしたほうがいい。密室で相手が泣くまで詰めるのはどんな事情があってもパワハラだ。あなたの組織がその報告の過程であなたに不利益や不快をもたらすような組織でないことを願う。
そんなことはない。もしかすると少し人がいいかも知れないけど、そういう本来尊ばれるべき資質はいつか必ず報われるものだ。
どうか身体や心を壊すほど無理をされないように。
「一般的な解答」は、「人数増えても後続の案内に支障がでないなら許容範囲」「人数増えたことで増えた分だけ後続に不利益が生じるなら不許可」ってとこなんだろうね。
たとえば、「一人いっこ限定」の限定品買う列に、一人だけ並ばせておいて、あとからグループの仲間が直前にどやどや入り込んだら、それは後ろの客から文句がでるだろう。福袋とか。転売屋だってそこまでトラブルおこすような真似しないだろう(だからバイト雇って並ばせたりするわけで)。
でも一方で、居酒屋とかで「何人いようが、案内する順番が変わるわけじゃない」とかなら、後ろの客は大して気にもしないだろう。回転寿司屋とか焼き肉屋の例も、多分そう。現実的には先に店に入る人が増えればそりゃ若干料理を食うのは遅くなるだろうが、どうせグループの注文量に縛りがあるわけでもないんだから、誤差の範囲だ。案内されるまでの時間が変わらないなら、入った客への怒りは湧きにくいだろう。
だから、「評判のラーメン屋」という条件が、案件としては微妙なんだよね。飲食店だからと後者のノリでつい「友達と一緒に」をやっても、一人でラーメン食いに来てる増田から見たら、前者の例にしか感じられない。難しいね。
「だぞ」「だろ」「だな」「しろよ」「しとけ」「だろうがよ」「かよ」「すっぞ」「だよな(無意識に仲間の同意を求める)」「じゃね?」「~?(実際には聞いてない。煽る)」「!」「www」など。
「こいつ」「そいつ」「お前」「てめえ」「こいつら」「きさまが」「野郎」「○○なんとか(うろ覚えを装う)」など。
悪ノリやイジリ、煽りに使われる事が多い。「www」「お前ら」「そっ閉じ」「あっ・・・(察し)」「ファッ!?」「モニョる」「火病る」「本当に○○でした。ありがとうございました」などで何か言った気になる。
「マスゴミ」「ネトウヨ」「サヨク」「ブサヨ」「○○厨」「○○信者」「DQN」「キモオタ」「キチガイ」「アスペ」「在日」「反日」「朝鮮人」「ジャップ」「売国」「クソ」「ブサイク」「死ね」「暇人」「ガイジ」「ニワカ」「オワコン」「生理的に無理」「お花畑」「○○ガー」「○○が大量に湧いてるな」など。
「男は~」「女は~」「老害が~」「団塊が」「バブル世代が~」「ゆとりは~」「さとり世代~」「理系は〜」「文系は〜」「左翼は~」「田舎は~」「都会は〜」「東京は〜」「地方出身者は〜」「低学歴が」「コミュ障」「底辺」「低学歴」「 ニワカ」など。またコメントに個別に反論するのではなく、あたかも敵集団の代弁者からのコメントであるかのように大雑把にすりかえて攻撃し始める。「これだから○○は(勝手な○○認定)」「○○信者乙」など。
「○○なやつにかぎって××するんだよな」「どうせ~するんだろ」「裏で○○してそう」「こんどはいつ○○してもおかしくない」「こういう人って○○が××しなかったら△△したって言い出しそう」「すぐに○○するだろ」「○○まったなし!」「こういう○○するやつがいるんだよなあ(実際には○○まではしていない)」「やましいことがあるから反対するんだろ?」「火のないところに煙は立たない」「○○って思ってそうなとこが苦手」「○○は将来的には××するんだろ」「○○才過ぎても××な△△は□□する」「○○『××して何が悪い?』」など。
「はい論破」「○○が××を喝破」「顔真っ赤だな」「涙目」「長文乙」「連投乙」「逃亡」「必死だな」「くやしいのう」「ざまあ」「メシウマ」「笑える」「こういう○○するやつにはなりたくないよな」「ブーメラン」「図星だろ」「頑張って書いた反論がそれかよw」「まだ悪あがき?」「寝言かよ」「くやしけりゃ○○してみろよ」「今頃あわてふためいてるw」「予想通りw」など。
あと付けでネタや冗談やジョークだったと弁解する。「釣りだろ」「今日も大漁」「コピペにマジレスかよ」「ただのジョークだろ」「なにマジレスしちゃってんの?」「マジレスかっこ悪い」「つまんないやつが増えたな」など。
主にメタ視点でけなす。「でもこいつ目立ちたいだけだろ」「売名ウゼー」「かまってちゃんウゼえ」「自己顕示欲」「ここに書き込んでる時点でお察しだな」「ネットに長文書き込むのは馬鹿」「自分のこと賢いって思ってそう…」「ヒマだな」「こんな時間に書き込みしてるって…」「○○が一生懸命考えましたって感じ」「○○代かな?××臭がする」「○○言いたいだけだろ」「最近覚えた○○使ってみたかったのかな?」「コンプレックスの裏返し」「ルサンチマン」「拗らせてるなあ」「同族嫌悪なんだよなあ」「へえ、○○の結果がこれなんだw」「寒い」「うざい」「壮大にすべってる」「粘着きもい」「この人怖い」「コピペかな?」「 コメが絶賛ばっかで気持ち悪い」「こんなのありがたがってんの?」「リアルでは相手にされなさそう」「こういう○○って生きるのがつらそう」など。
明らかにツッコミどころ満載のおかしな発言のため、背景知識がなくても批判できてしまう。そのため質の低い、右ならえのコメントが増えやすい。まとめサイトにとりあげられたり、注目エントリーに入る率が高い。「○○とか、やっぱ頭おかしいな」「こんなのがいるなんてやっぱり○○はクズだな」「まだ○○信者はまだこんなこと言ってるんだなw」「私の知ってる○○は××といってゆずらない。本人は本気でこれを言ってるらしい」「○○な私は普通に生きていく資格もないってことですか?だとしたら悲しすぎます(と言って義憤を煽る)」「一部では○○と主張するやつもいて腹が痛い」など。
「○○は××と発言」「○○は××のとき△△していた」などの直接的なデマのほか、「○○は××ではもう相手にされてないよ」「○○は××ってことで片がついてる」「○○ではもう××はバレてきてるみたい」「○○が通用するのは××だけ」「いまだに○○なんて言ってる人がいて呆れる」など間接的かつ誘導的なデマや印象操作もある。
「やっぱり○○は××にそっくりだわ」「○○と××はつながっている」「○○も××も似たようなものなのにね」「○○は××出身か、どうりで」「○○は××と組んでから凋落の一途」「○○は××の巣窟」「○○の裏には××がいるから」「○○は××に乗っ取られてんじゃないの?」「さすが○○が支持するだけの事はある」など。
「○○のこと?」「○○かな?」「これ何て○○?」「○○定期」「安心しろ○○はもっと××だから」「だからといって○○の評価が上がる事はないけどな」など。
「○○の平常運転」「またこいつらか」「○○撲滅」「○○消毒」「○○は出て行け」「○○の洗脳」「○○に気を許すな」「これですむと思うなよ」「○○くらいで被害者ぶるな」「エセ○○」「○○様はいいご身分ですね」「○○は優遇されている」「震えてろ」「電凸した」「あいつらのやり口」「日本はいつから○○になったんだ?」「○○が反対ってことは××はいいってことだな」など。また反対する集団に関する不幸なニュースを継続的に喜んで取り上げる。
「○○は差別されているからなあ」「○○差別なんてネットじゃいたるところで見るわ」「でも○○は不利益になることは知っておいたほうがいい」「でもやっぱり自分の○○には××させないと思う」「自分は違うけど周りの○○には××に偏見持ってる人はけっこういるな」「本人はよくてもまわりは気にするだろうな」「せめて○○くらいさせてあげないと周りから変に思われる」「○○にもまともな人はいるんだな」「○○人にもいい人はいますね」「○○は××さえなければなあ」「○○みたいなタイプは年長者から可愛がられない」など。
「○○の前に行ったらビビってだまるくせに」「こいつ○○に行ったら速攻フルボッコにされるわ」「じゃあおまえが○○にいってこいよ」「こいつら本物の○○をしらないからいきがってんだろ」「○○つええ」「○○無双w」「本職のおでまし」「やっぱ本物の○○は迫力が違うわ」「ついでに○○もボコボコにしてほしいわ」など。
自分が反対する集団がやったことは口汚く罵るが、同様のことを自分の支持する集団が行った場合には反応せず無視する。または「○○(反対する集団)がすげえ喜んでるな」「○○がよろこんで××ってコメントしそう」「(コメント欄に)○○がおしよせてくるぞ!」などとコメントする。
何が常識かは本人次第で、伝統・文化などの線引きも恣意的。「○○するのが常識」「普通は~」「○○することになっている」「○○も知らないの?」「常識があれば~」「通常なら~」「普通の感覚なら~」「きわめてまっとう」「正論」「○○は伝統」「○○は文化だ」「○○するのが自然」「昔からやってる」「○○はもう古い」「○○は時代の流れにあわなくなった」「日本固有の○○の美風」「○○するのが国際常識」「まだ○○でないのは日本だけ」など。
「○○は諸悪の根源」「○○衰退の犯人××」「○○は無責任」「○○は××なんてどうでもいいと思ってる」「○○は弱いものいじめ」「○○は反対ばかりする」など。発言者の頭の中には該当事例の積み重ねがあるのかもしれないが、判断できる文脈を離れて突然評価が始まる。「○○は××(例1)や△△(例2)をしたから□□だ」などのように例示しない。また具体例をあげていても、飛躍しすぎて誘導的な場合も多数見かける。「××(例1)」をした場合はその「××(例1)」の問題点だけを具体的に指摘したほうが建設的である。
こういう芸風だから、ずっと前からこうだった、この場所ではこうだ、などですませようとする。業界人・事情通風コメント。「○○さんはずっとこういう人でしょ」「前からこうなのしらないの?」「○○界隈じゃこれが普通」「○○じゃみんなこうしてるけど?」「○○はもっと××なんだけどね」「なんで今さら話題になってんの?」「じゃあ○○は当然知ってますよねw」など。
「ほんこれ」「まさにこれ」「それな」「正論」「真理」「これはひどい」「激しく同意」「知ってた」「なにをいまさら」「当たり前のことしか言ってないな」「大したこと言ってなかった」「知ってた速報」など。
「じゃあ一切○○しないんだな」「××っていっても○○ほどひどいわけじゃねーだろ」「××っていっても○○とくらべたらまし」「昔の○○はもっとひどかっただろ、今はまだマシ」「○○は聖人じゃないといけないわけ?」「○○したことない者だけが石を投げなさい」「いちいち○○してたらきりがない」「○○も一枚岩ではない」「純粋な○○なんてない」「○○は××しちゃいけないの?」「じゃあ○○は無駄死にしたっていうのかよ」「ずっと同じ意見のやつなんていない」「とにかく何でも変えればいいというものではない」など。
「ただの揚げ足取り」「失礼な言い方」「めんどくさい奴だな」「頭悪いな」「その言い方は反感買うだけだよ」「そんなこと言ったら何も言えなくなる」「ただ~しただけだろ」「そんなの屁理屈だろ」「理屈ばっかり」「理屈じゃ人は動かない」「いやなら見るな」「議論する気あるの?」「ケンカ売ってんの?」など。
「正義の反対はまた別の正義である」「絶対的なものはない」「十人十色」「どう思おうが個人の自由だろ」「こっちはそう思っただけ」など。相手や対象をくわしく知るための相対主義ではなく、自分だけに都合の良い議論の切り上げに使われる。自分の言い分は聞かせようとするが、自分とは異なる意見を聞こうとはしない。もちろん一方的な議論を第三者が仲裁のために使う場合はこの限りではない。
「○○してはじめて理解できる」「○○になってはじめて××のことが理解できる」「○○するまで××のことは分からない」「本人にしかこの痛みは分からない」「理解者ぶって」「あんたにはわかんないだろう」「わかった気になりやがって」「○○から見える景色は全然違う」など。
「すべからく」「的を得る」「改行が」「漢字ばっかりで固い」「全角数字が」「為に」「する事」「○○が気になって内容が頭に入ってこない」「○○も書けないの?」「日本語でおk」など。
「するつもりはなかった」「(表現が)誤解をまねいた」「真意とはことなる」「○○という認識がなかった」「実際は○○はしたくなかった(が押し切られた)」「○○は××には(心情的には)反対だった」「純粋な気持ち」「こころを入れかえて」など。
善悪の基準を自分では示さないで正当化しようとする。または意図的に議論の焦点をずらして、別の基準に合致しているから問題ないとごまかす。「それのどこが悪いの?」「何が間違ってるのかわからない」「文句があるならわざわざ見るなよ」「こういうの気にしてたらストレスたまりそう」「本人が楽しけりゃそれでいいだろ」「個人の自由だろ」「盛り上がればそれでいいだろ」「外野からはなんとでも言える」「言うだけならは簡単だ」「○○しただけだろ」。
「○○しただけ」「○○を必要としている人がいる」「○○も信じている人がいる」「○○も生きていかなくちゃならない」「生活がかかってる」「○○だってがんばってるんだよ」「○○も一生懸命なんだから」「こっちは本気なんだよ」など。別の立場からも「××しただけ」と言えたり、「××も必要とする人はいる」と言えてしまう。
「違和感がある」「うーん」「むずかしいな」「どうなんだろう」「なんともいえない」「何かモニョる」「ムズムズする」「ほんとあれだな」「スッキリしない」など。
「どっちもどっち」「喧嘩両成敗」「どうでもいいわ」「くだらん」「平和だな」「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!!」「選択肢がない」「まともな対立候補がいない」「右も左も同じようなものだな」など。
「これって私だけですか?」「○○は××ってうわさがあるけど本当ですか?」「○○が××な理由を教えてください」「○○は××しかしないなんてズルくないですか?」「○○だってことわかってます?」「(悪口を言ったあとに)これであってる?」など。
主張に理由を書かず字面で自分流に判断してお互いに反発し合う。抽象的な命題に具体例をあげず各自が拡大解釈して収拾がつかなくなる。「なぜ日本人は○○なのか」「なぜ最近の○○はつまらなくなったのか」「○○はもう終わったのか」「○○は日本人に本当に必要なの?」など。
「○○しないと××は崩壊する」「終わりの始まり」「もう○○は終わった」「○○崩壊へのカウントダウン」「○○が××したらヤバくね?」「○○はオワコン」など。
「○○力」「○○脳」「○○化する日本」「○○すぎる××」「マイルドヤンキー」「ダサピンク」など多数。
話し手が勝手にビックリしているニセの新情報。実際は凡庸なものや、つまらないものまで誇張して面白そうに見せる話術。とっさの責任回避にも使われる。「実は…」「びっくりしたんだけど」「あまり知られてないけど」「意外に知られてないのが」「いままで誤解してたんだけど…」「今知ったんだけど」「今気づいたんだけど」「とんでもないことに気づいた」「なんと!」「うわー!」「えーっ!?」「げっ」「~ってマジかよ」「○○マジやばいんだけどマジうける」「えっ、○○って××なの?」「従来の○○にはなかった」「学校では教えていない○○」「○○の隠された真実」「○○の正体とは」。など多数で応用例も広い。この変種に、実力のないエッセイ系マンガでウンザリするほど多用される白目を剥いてビックリした顔がある。
「○○が××した結果wwwwww」「○○に世界から賞賛の嵐」「○○が××した驚きの結果とは?」「○○だった俺が××してたら△△できた」「○○したら人生変わったwww」「こういう○○してるやつwww」「××、○○過ぎワロタwww」「偏差値○○から××合格、驚異の△△とは?」など。
サンプルが適当なランキング。「百年の恋も冷める恋人のひとことベスト10」など。
具体的なアドバイスや、そのつどの感謝ではなく、あいまいな心情主義的フレーズで自分を美化し、これに合致しない相手の言動を牽制しようする。我にはあり、彼にはないという形をとる。これを身につけていないと恥ずかしいと思わせる。「大人になれ」「ガキじゃないんだから」「社会人の一般常識」「まごころ」「日本のこころ」「おもいやりが足りない」「感謝のこころを忘れずに」「おかげさまの気持ちを忘れずに」「にごりのないこころ」「純粋なきもち」「気が利かないやつだ」「おもてなし」「マナー」など。
目的を検討せず、それ自体が目的となってしまっている集団主義の賛美。「力をあわせて」「一致団結」「一体感」「こころを一つに」「みんなでひとつのものを作り上げるよろこび」「声をひとつに」「協力するのはいいことだ」など具体的でない標語で必要のない集団行動まで強要し美化する。
空疎なスローガンやイメージなどで政治を語る。「安心して暮らせる」「人に優しい」「希望の持てる」「安定した社会」「着実な成長」など。
そのほとんどが相手の発言を封じる「だまれ」や、責任回避の「 自分は悪くない」に言い換え可能。議論の切り上げに使われる場合が多い。「自由には責任が伴う」「権利には義務がともなう」「多数決は民主主義の原則」などは抑圧的な「だまれ」に、「日本人はトップは無能で現場は優秀」「自分にも表現の自由はある」「差別と区別はちがう」「戦争は政治の延長だ」などは「 自分は悪くない」に言い換え可能。
例え話のディテールの整合性などに議論の焦点がうつってしまう。インフォグラフィックスにもトピックの理解をかえって妨げるものが多数あるように思われる。
「○○代、既婚子なし。このあいだ同僚が~」「○○生まれ。学生の頃は××で△△していて結構□□していた~」など。「友人が~」「知り合いの~」「マックの女子高生」「戦争帰りの祖父」「姉の描いた絵が見つかった」などの前置きは、伝聞話法でそれらしく聞こえるようにする作り話率高し。または「女だけど~」「男だけど~」「おっさんだけど」「十代だけど」など予防線を張ったり、特別に注目してもらうための意味のない前置き。「○○の俺が○○した結果www」「ちょっと聞いてくれ」「すこし話は長くなるが~」「~で、それが今の嫁なんだ」などもほぼ創作。
周囲との会話やエピソードを使ってネットで注目されるために、本人が見たら嫌であろう事も、評価も含めてくわしく書き込む。「出来ない○○を相手にしている。××だがやる気はなく、何度言っても変わる気はないようだ。結局○○することになるだろう」「○○で××を見かけた」など。注目してもらうために話を盛ったり、創作にはしる場合もある。
いつの時代、どの場所で、どのような発言主の、どんな文脈から得た知見なのかが不明。「外国では~」「アメリカじゃ」「ネイティブは~」「アフリカ人は」「江戸時代の日本人は」「戦前の国民は」「○○人に日本の××を見せたら『△△』だって。日本ってやっぱり□□みたい」など。
「○○くらいは常識で、××がないとこれからはやっていけない」「○○ぐらいで自慢できる時代は終わった」「まだ○○を使ってる人はかわいそう」「まだ○○で消耗しているの?」「○○が大したことないという人は、せめて○○してから文句を言ってほしい」など。
排泄、生殖器、残酷な行為、変態行為などの話題を場所をわきまえないで書き込む。
勝手な病気診断。精神科医(もどき)が個人・社会を印象で語る。俗流心理学者。「なぜ未熟な○○が増えたのか」「大人になれない○○」「○○は狂ってる」「現代社会の病理」「○○を蝕む××」「○○先生案件」「お薬出しときますね」「プリントアウト案件」「人の印象は見た目が○○割」「声が印象の○○割」。「何気ないしぐさでその人の心理がわかっちゃう」など。
具体的な問題解決や実践的なアドバイスではなく、精神主義的な心構えに終始。
「○○ユーザーって××ばっかり」「○○利用者の特徴」などに反応して内輪向けのコメントを残す。
本題とは外れたところでうまい事を言って注目を浴びたいコメントのこと。
本題とは外れたところでうまい事を言って注目を浴びたいコメントのこと。
研究レベルでなくとも、好きレベルであっても自分の感覚を頼りに自分のテーマを探求している人の話のほうが概して面白い。
自分の場合はこういうのが非表示・ブロック・スルー・読まない基準になっている。項目によってはあまり重視しないものもあるが、上記コメントが多い場所には近づかないよう心がけている。たまたま好奇心に負けて引っかかっても、「ああ、またやってる」と素通りすることにしている。雑コメントに時間をとられず、義憤を無駄遣いせず、時間を有効に使いたい。
そのとき、ある性質について少数派の人は、自分が少数派であることによって不利益を受けたくはないだろう。
しかし、自分が少数派であるような性質についてだけ不利な扱いを止めさせた上に、
自分が多数派である性質については少数派の不利益に無関心でいたい、
などと主張しても、受け入れられにくいだろう。
また実際にはそう主張したいと思わない人も多いだろう
なので、一般に少数派の利益について、多数派は少なくともやりたい放題に無視してはならない、
くらいの方針を受け入れることによって、自分が少数派であるところについての不利益をも避けるという方針を、
完全に利己的な人であっても採らざるをえないのかもしれない。
その人が大事だと思う人が少数派であることによって不利益を被り、
そのことに自分のことのように憤りや悲しみを感じることはあるかもしれない。
元の話の主旨ではないだろうが一応書いておくか。
最大多数の最大幸福ってのは適切ではないな。
リベラルフェミニストがいまいち信用できないのは、女が容姿を理由に蒙る不利益について、意図的にか無意識にか知りませんがスルーしているからですね。
「見た目がよくない女性」=弱者女性であり、結婚という選択肢がある女性はそもそも弱者女性でも何でもない。そこを考えないリベフェミが多過ぎる。
リベラルフェミニストは女性の中では相対的に恵まれた部類であるDV被害者やシングルマザー、セックスワーカーには同情的でも、
そもそもそういう立場にすら至れない、容姿の悪い女性に対しては極めて冷淡です。
だから本来フェミニズムに傾倒しても良い筈の層の女性にフェミ不信が多いのだと思います。
この手の見解のぶつかり合いは、「男は愚か、だから女は配慮しろ」か、「女は不利、だから男はいたわれ」か、対立構造でしか語れない。
配慮された男は、配慮してもらった分の不利益は感受しなければならない。
いたわってもらった女は、いたわったもらった分の不利益は感受しなければならない。
女の場合、拒食症になる原因って。「男に言われた」とかではなく、「友達の女にいじめられた」「妹に太ったといわれた」「女からほめられた」「母親に言われた」みたいなのがほとんど。
男に言われても何もならないが、女から言われると、キチガイのように気にする。
でさ。
毒親っていうと、なーんか男もだろって意見になるけど。大多数女じゃねーか。
でさ。
母親相手じゃねーか。
これって、拒食症とおんなじで、男からすれば、意味不明な非論理性なんだけよ。
もちろん、あるだろうよ、そういう毒親ってのも。でも、大多数の女がわめいてるのは、マジで非論理的な女のワガママなわけよ。
フェミが、別にLGBTでもないくせに、ゲイだのバイだのの人権に口突っ込みたがるキチガイ論法と同じ。世間にはたしかにそういう人がいるが、お前は単なるワガママだ。っていう。
あとさ。
ドーモ。発達の二次障害だの、キモチを分からないだのって言うけどさ。
「今の医学では、精神の病気は脳みその病気として捉えるのがスタンダードで、こころの病気だって主張はおかしい。あまり感情の問題にこだわるとわるくなる病気も多いよ」
と送ったら。根拠を出せと大暴れ。根拠っつーか。生物学的精神医学だし。こいつらが大好きな精神分析だのって、ほとんど今主流じゃねーよ。極々一部の研究かがやってるだけ。そもそも、この流れで人格っていう精神病の軸もなくなりそうだし。っていうの説明してもマッタク理解されない。
都合がいいことを部分部分持ってきてワガママいいたいだけなんだよな、こいつら。
思ったんだけど。
やっぱりさ。毒親っていうのは、理屈とか、客観的なものじゃなくて。単なる女のヒステリックなもんじゃねーのって。
つか、頭がおかしいのは、親じゃなくて、娘のほうだろ。ってのが多い。
もちろん、誤解あるだろうから、書くけど。親のせいで、発達障害の子供が困ってるってパターン。多いよ。
ただ。ツイッターでわめいてるのって。女からも嫌われるフェミとかと一緒で、単にそいつが女特有の非論理的な頭おかしさが強いだけ。
が多い。
ほら、あれだ。
わかりやすい『日本の少子化加速の理由』 とかで話題になった四コマあるだろ。
あれで、周りから女が叩かれてるみたいなこと書いてるけど。
その叩いてる主体って女だし。ってか、そもそもその主体たる女ってのも、女同士の妄想だし。
女が女であることで、勝手に問題作ってるのを、親のせいだの、男のせいにしだすみたいな。
自己認識の話と、他者認識に必要という話は理屈でもつながってないので、そこんとこもうちょい突っ込んで説明してくれるとうれしい。
前レスの追記で書いたけど、こちらに移す。
自分がどういう人間であるかを説明するためには、一般的に所属とポジションで言うわな。
同時に他人について説明するためにも「こちら○○社の△△課の課長の山田さん」という所属とポジションで説明するでしょ?
説明しやすいポジションをもってないときに、別の表現でどんな人かを説明することにはなるんだけど、ポジションがあるならまずはそれに基づいて説明する。
だいたい人は自分をアイデンティファイするのと同じ方法で他人を認識するのだということは、この例でわかる?
(極端な例では、子供の配偶者の所属を気にしたりとか、離婚・再婚に関するスティグマだとか、個人で仕事してる人を社会的に下に見たりとか)、そういう概念を持っていない、あるいはそういう概念に縛られたくないと思ってる人もたくさん知っており、傾向として後者の方がどんどん大きくなってるから、日本社会もそれに合わせて変わらざるを得ないだろう、と考えている
日本はそもそも人間の流出入が割合として少ない国なので、そうそう変化はしないと思うけどね。
まあ少なくとも直近の話ではない。
とうとう大手新聞にまで取り沙汰されたので何が違法かを解説する。
ただ、内容の性質上どうしても一般的ではない概念が必要になる。
そういう人は「整理して比較」の部分まで飛んでも差し支えはない。
1.通常時の玉の戻り
3.大当たり時(確変中も含む)の出玉の増加
この3つだ。
なぜなら、大当たり確率、確変突入率、平均連チャン回数などは店側が手を出せない予め決められている内容だからだ。(スロットは逆に大当たり確率が変更できる。ここで遠隔という人間はこれ以降を読んでも時間の無駄である。)
パチンコをやる人間なら気にするであろう「1000円でn回まわった」というのは、じつは1と2の要素によって決まっている。
例えば、250玉(1000円分)あたり50玉戻ってくる場合と、100玉戻ってくる場合では、最終的に打ち込める玉数が変わってくる。
当然多く戻ってくる方がお金の減りが少なくなるというわけだ。
例え玉が多く戻ってくる台を見つけたとしても、そもそも抽選しなければ大当たりはない。
どちらも1000円分打ち込んだとして、300玉打ち込んで18回抽選した場合と、350玉打ち込んでも17回しか抽選しない場合では、前者の方が優秀と言えるのだ。
(前者は100玉中の抽選回数が6回。後者は100玉中の抽選回数が約5回)
それは、それだけ大当たりまでの投資金額が少なくなるからにほかならない。
例えば大当たり確率1/240の機種を遊んだ場合、前者は平均して約13000円(240÷18回×1000円)で大当たりするのに対し、後者は約14000円(240÷17回×1000円)が必要になってしまうからだ。
1000円あたりの抽選回数は、普段の玉の戻りと、始動口回数によって決まるわけだ。
そうしてやっとのおもいで獲得した大当たり。
もし、大当たりまでの平均投資金額換算よりも、大当たり出玉が上回ればシメたものだ。
その台を打ち続ければ、出玉は増え続けるということを意味しているからだ。
逆に大当たり出玉が平均投資金額換算を下回る場合、大当たりを重ねる度に追加投資が必要になることを意味している。
この場合の大当たり出玉とは、大当たり一回の獲得玉数ではなく、平均連チャンを終えた時の一連の出玉を指している。
(1回の大当たり出玉×スペック上の平均連チャン回数+確変中の出玉増減)
この計算にも、先ほどの1000円あたりの抽選回数が関わってくる。
前者であれば3250玉(13000円÷4)を超えればよいのに対し、後者であれば3500玉(14000÷4)を超える必要がでてくることがわかる。
この点においても、前者の方が優れていることが証明されるわけだ。
少し乱暴な説明ではあるが、これがいわゆるボーダー理論を考える上での基本的な計算方法でもある。
今回の報道を要約するとこう書いてる。
「テストの状態よりも、始動口が開けられ、一般入賞口が締められていた。」
つまりこれは、先ほどの前者、後者を比較した状況になっていたといえる。
それぞれ、前者は一般入賞口が締められ始動口が開けられた状態であり、後者は一般入賞口が開けられ始動口が閉められた状態だ。
今回問題とされているのは、検定時に後者で認定を受けたにも関わらず、販売時には前者の状況で利用されていたということになる。
しかも、それをホール側の責任と調査を開始したにも関わらず、なんとメーカーがホールに販売する段階で行われていたというのだから驚きだ。
あまり知られていないことだが、パチンコの玉の打ち出しには制限がある。
それが1分間に100玉までということだ。
つまり、どれだけ頑張ろうとも1分間に100玉以上の玉を打ち出すことはできない。
打ち出すことのできる玉の上限が決まっていれば、時間あたりに投資できる金額が決まるからだ。
では大当たりまでの時間はどうだろう。
前者と後者とを比較した場合、1回の大当たりまでに必要な時間は、それぞれ前者は40分(大当たり確率240÷100玉あたりの入賞回数6)であり、後者は48分(大当たり確率240÷100玉あたりの入賞回数5)になる。
つまり前者の方が短時間で大当たりする=ギャンブル性が高いということになってしまうのだ。
ここで記事に戻ると10分間に数十個の入賞が求められるとされている。
仮に50個だとすると1分間に5個だ。
1回の入賞辺り払い出しが10玉だとした場合、1分間に50玉の払い戻しが必要になる計算になる。
つまり、1000円を投入すれば少なくとも375玉(250玉+2.5×50)が打ち込める必要があるということになる。
通常であればここにさらに始動口入賞の払い出しもあるので、おおよそ400~450玉の打ち込みが可能になる計算だ。
仮に450玉とした場合、この状態で先ほどの前者と同じボーダーに設定すると、1分間あたりの始動口入賞回数は4回(前者の1000円あたりの抽選18回:450玉あたりの抽選回数)になる。
つまり、同じボーダーに設定した場合でも、大当たり1回あたりに必要な時間は60分まで拡大するのだ。
ここまでの内容を整理してみる。
どちらも共通して1000円あたりの抽選回数が18回だった場合
1分間辺りの抽選回数6回、大当たりまでの平均時間40分、1時間に負けられる最大金額2万円、1日の平均初当たり回数約10回、獲得可能な平均出玉32500玉
1分間辺りの抽選回数4回、大当たりまでの平均時間60分、1時間に負けられる最大金額約1万3千円、1日の平均初当たり回数7.5回、獲得可能な平均出玉24375玉
これにより、Aのほうが圧倒的にギャンブル性が高いということがわかってもらえただろうか。
つまり、違法とされているのはギャンブル性が高くならないようにBで許可をしたにも関わらず、現実的にAで利用されていたことにあるのだ。
しかし、ホール側がそれほどまでに極端に釘を曲げていたかというとそれはノーだ。
盤面に対して概ね垂直に打たれるべき釘の状態でBだったから騒ぎが大きくなっているのだ。
そもそも検査の時はどうなっていたのかという疑問を残したままである。
今回問題視されているのは、あくまでギャンブル性が高いことにあるということをお忘れなく。
業界を擁護するつもりはないが、計算して比較したとおり勝敗という面において不利益があったわけではない。(負けやすくもあり勝ちやすくもある状態だった。)
しかし、昨今の業界を取り巻く問題に依存症問題がある以上、ギャンブル性が高い=刺激が高い状態を法を破ってまで保とうとしていたことは問題であり、それ故、早急の解決が求められているというわけだ。
山田太郎さんと鈴木花子さんの別姓夫婦の家族を指す呼称として「山田さん家」も「鈴木さん家」も併用して使えるよって話をしている。家族の呼称がひとつでなければならない理由などない。
1.使えるかどうかの話なんかしていない。現状の日本においてそういう呼称をとっていない。
2.今回の判決でもある通り、現在の日本において「家族の呼称を一つに定める合理性」がある。
3.夫婦別姓をとらなくても、旧姓の通称使用の拡大によって、実質的な不利益はなくなる。
のであれば、無用な混乱を避けるためにも、「夫婦別姓」か「通称使用」かで考えるならば、「通称使用」一択だろうと。
そこで急に話の筋がおかしくってると思うんだよね。
いや、まちがってるから。その要約。
原告が争点として訴えたのはこの三つ。
すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
だからまずもって、「夫婦別姓の争点はアイデンティティと男女平等」だけではなくて、経済的、政治的、社会的な権利全般も対象に入ってるし、その後もちゃんと不利益について論じられてるわ。
で、最終的に棄却なのは周知の通りだけど、それはなぜかというと
夫婦同氏制の下においては,婚姻に伴い,夫婦となろうとする者の一方は必ず氏を改めることになるところ,……そのことによりいわゆるアイデンティティの喪失感を抱いたり,
婚姻前の氏を使用する中で形成してきた個人の社会的な信用,評価,名誉感情等を維持することが困難になったりするなどの不利益を受ける場合があることは否定できない。
そして,氏の選択に関し,夫の氏を選択する夫婦が圧倒的多数を占めている現状からすれば,妻となる女性が上記の不利益を受ける場合が多い状況が生じているものと推認できる。
さらには,夫婦となろうとする者のいずれかがこれらの不利益を受けることを避けるために,あえて婚姻をしないという選択をする者が存在することもうかがわれる。
しかし,夫婦同氏制は,婚姻前の氏を通称として使用することまで許さないというものではなく,近時,婚姻前の氏を通称として使用することが社会的に広まっているところ,
↑こういってるわけよ。
要するに、
っていってるわけです。
で、実際にそれではすまない例はすでに別ツリーでも引用されてる増田にhttp://anond.hatelabo.jp/20151207175147。
また、ここに出席してる女性裁判官が、裁判官になるに当たって通称を使用できてない点にも留意。
だから夫婦別姓を訴える人は「不利益」を中心に訴えようとしてんの。
わかったかな?
で、最高裁判決は最後に国会に丸投げしてることも十分に周知されなければならないところ。
なお,論旨には,夫婦同氏制を規制と捉えた上,これよりも規制の程度の小さい氏に係る制度(例えば,夫婦別氏を希望する者にこれを可能とするいわゆる選択的夫婦別氏制)を採る余地がある点についての指摘をする部分があるところ,
上記(1)の判断は,そのような制度に合理性がないと断ずるものではない。上記のとおり,夫婦同氏制の採用については,嫡出子の仕組みなどの婚姻制度や氏の在り方に対する社会の受け止め方に依拠するところが少なくなく,
この点の状況に関する判断を含め,この種の制度の在り方は,国会で論ぜられ,判断されるべき事柄にほかならないというべきである。
おまけ。
「夫婦同氏制を継続する合理性」の判断の根拠には以下のものもあるんだけど
そして,夫婦が同一の氏を称することは,上記の家族という一つの集団を構成する一員であることを,対外的に公示し,識別する機能を有している。
原告の主張が正しいのかどうか、そこを見ないと
そもそも原告はどういう人だったのかというと、これだ
http://frihet.exblog.jp/22065460/
原告は最初から完全に事実婚状態なので、苗字を強制的に変えられた不利益は「発生してない」んだよな
でもってこの国の家族文化によくわからん敵意、憎悪のような感情を抱いていて、憲法違反に違いないと決めてかかって裁判を起こしたので、最高裁で否定された
「家制度が苦痛でたまりませんでした」て、何故苦痛だったのかが全く伝わってこないし、だから裁判で負けたんだろう
そういうレベルの不利益なら「結婚して姓が変わりましたが、仕事の上で不便なので職場では旧姓を引き続き使わせて下さい」と周囲に一言言えばいいだけな気がする。そういうケースは個人的にゴロゴロ知ってる。
仮にそこで頭の固い上司が「それはダメ。たとえ不便でも戸籍の名前に変えろ」と言ったら、損害賠償とかそういった形で裁判に持ち込む、という流れにすれば良かったんじゃないかな。それなら世論の理解も得やすかったろうし。
呼ぶ呼ばないはともかく、「改姓によって不利益がある」という点をもって夫婦別姓を唱えるならば、
ただ「改姓によって被る不利益を少なくする」ことが、必要にして最小限の方策じゃん。
よく言われる夫婦別姓にしたときの子供の姓などは、単に手続き的な問題だけじゃなくて
「家族」というものをどう捉えるかということまで踏み込んだややこしい問題なわけじゃんか。
これについて新しい家族像についての有力な代替案もなければ、当然そのコンセンサスもとれてない。
姓+名で個人を特定しているから、姓が変わると不利益が生じるわけで
最初から姓を使わないような社会システムになれば、夫婦別姓についての問題にはならないと思う。
たとえば姓が山田で、名が太郎なら、日常のあらゆることにおいて、ただ名前の「太郎」とだけ呼ぶ。
ただの「太郎」では識別がしにくいので、名前は「キャベツ太郎」のようにもう少し長くはなるだろうが。
そもそも名前が姓と共に呼び名として使われていることは、人を個としてだけでなく、氏素性と共に人間を把握しようとしているからだとも考えられるわけで