はてなキーワード: ヒスパニックとは
https://twitter.com/i/moments/796417517157830656
より。
@ManikRathee
今朝、ガソリンスタンドに寄ったら、知らん奴らがこう叫んでいた。
(アプーとは『シンプソンズ』に出てくるインド系移民のキャラクター)
@mehreenkasana
@amyharvard_
@AlexGale
@wagamonster
@Chris_Weatherd (大学アメフトの元黒人スター選手)
誰だろうとこんなことやった野郎はぶちのめしてやる。
@shaunking
南イリノイ大学の白人学生が顔を黒塗りにして南部連合旗を掲げて、トランプの勝利を祝った。
(その画像)
@jaaezu
ドナルド・トランプが選挙に勝って、白人たちは早くも自分たちがどうふるまうべきを忘れてしまった。
この白人のガキはオレを「ニガー」と呼び、「綿摘みでもしてろ」とほざきやがった。
@harryonmen
@ShaunKing
ペンシルバニア大の白人学生たちが「綿摘み野郎。おまえはニガーだ。ハイル・ヒトラー」と喚きまわっていた事実を同大学の学長が認めた。
@Mcbrownie
今までヒジャブを取った姿を見たことなかったムスリムの友達のうち三人が、今日ヒジャブなしで学校に着ていた。
怖いから、って。
今日、私がメキシコ系だって知っている白人のオジサンからこう言われたの。
「トランプが、おまえらをレイプしてこれから建てる壁の向こうへ送り返せと号令するのが待ちきれないよ。
そう言うと、彼はカップの水をわたしにぶちまけて、中指を立てて去っていったわ。
@sunnysayed_
やっとアメリカのクソさ加減がわかったよ。
ダウンタウンにいったとき、白人男性のグループが一人で出歩いている女性に目をやっていた。
彼女がグループのいるところから離れようとすると、男の一人が「おい、あの女のマ◯コを掴んでみろ」と中mをけしかけた。
すると、別の男がかなり無礼な態度で女性に触れようとしてきた。
女性が嫌がって叫ぶのを男たちは笑っていた。
(ノースカロライナにあるウェイク・フォレスト大学の学生に対する公式アナウンス)
昨晩、複数の人々が南キャンパスで「ニガー」と叫びまわる事案が発生しました。
ガソリンスタンドで給油していたら白人の男が四人づれで取り囲んできて、大統領選のことについて話した。
彼らは「もうニガーに譲歩しなくていいことになって喜ばしい」というようなことを話した。
「怖いだろ? ブラック・ビッチ?? 今すぐ殺してやったっていいんだぜ。お前がいると酸素の無駄だからな」
オレは何も言えなかった。ただ頭をたれてじっとしていた……
すると、男はこう言った。
「お前はツンボなのか? ニガー?」
別の男が銃をオレに見せて、
「おまえはラッキーだな。
ここには目撃者がいる。さもなくば今すぐ撃ち殺してやっていたところだ」
涙が溢れてきた。大粒の涙だ。
怒りや戸惑いや恥ずかしさが入り混じって……
@TRmariasanchez
部屋に戻ったら心臓がズキンと痛くなった。
(二枚の画像。ハンガーや人形で部屋に「壁」が作られている。もう一つには
(Facebookより)
すると高校生ぐらいの子どもたちが私に「アフリカへ帰れ!」と叫んできた。
子どもがよ!
@sannakim
私のいとこが(アメリカ生まれのアメリカ育ち)が彼女の住んでいるNYでトランプ支持者の集団に出くわして、
「おまえの国へ帰れ、中国人が」と言われたらしい。
ガソリンスタンドで、小柄なアジア系の女性が白人男性に詰め寄られているのを見た。
彼は「俺たちが勝ったんだ。だからとっとと俺たちの国から出て行け」
私は彼女のもとにかけよって、肩を貸した。
「ごめんなさい」という言葉しか出てこなかった。彼女はずっと泣き通しだったわ。
無力さを感じた。
酒屋にタバコを買いにいったんだ。
そしたら、白人男性の集団が、俺に英語は話せるかと聞いてきやがった。
俺が無視しているとやつらは俺をセブンイレブンまでつけてきて、
「シナ野郎はみんなこの国から出ていくべきだ。なぜなら純粋なアメリアがついに戻ってきたんだからな」
だと。
セブイレの店員が奴らに出ていくよう言うと、やつらは笑いながら店員をビンラディン呼ばわりし、いつ十字架にかけて焼き殺してやると言って出ていった。
オレは奴らに「クソどもが、出て行けよ」と言った。するとやつらは
「あい、こいつ英語を喋ってやがるぜ」と言って、ホワイトパワーだの叫びながらまたオレを付け回した。
@luxia_gasano
(メッセンジャーでの会話。体中にあざができた子どもの裸身の画像)
「トランプ支持者のこどもたちが私の息子にやったことよ」
「なんてこと、何が起こったの?」
「息子はクソメキシコ人と呼ばれて、トランプがメキシコへお前を送り返すまで待てない、と言われたそうよ。
「警察には言った?」
「警察には『学校の喧嘩じゃないですか、おかあさん』と言われた」
「ほんとに!?」
これでまとめの大体半分まで。
黒人・ヒスパニック・アジア系と割とまんべんなく被害にあっていること、
と、最近思った。
当初白人層が中心だと思われたが黒人も徐々に支持し始めているらしい。
ぶっちゃけ、アメリカの一般人ってあれくらいの差別的なことって仲間内とかだとぽんぽん言ってるんだと思う。
ちょっと古い映画なんかだと侮蔑的な言葉でコミュニケーションとる親友とかあんな感じ。
で、アメリカ人は白人も黒人もヒスパニックも昔からいる人はそういう国だって知ってるんじゃないかな。
少し興奮したら差別的な言葉なんてポロっと出ちゃうし、よっぽど酷い対応を取らなければ翌日とかに
「すまんかった」
とか言ってまた罵りあうとかそんな感じの気がする。
だからトランプが本音を言っていると共感を集めるんじゃないかと。
黒人を悪く言っても、ちゃんと集会でお前らも働けるようにする。
って言えばすぐ流されるんだと思う。
差別ワードなんて日常茶飯事だしそんなもん一々気にしてられっかって。
バーニー・サンダースがアメリカの民主党大統領選挙でヒラリー・クリントンと一騎打ちになりそうな昨今、なんか微妙に聞き覚えがあるけどアメリカとか関係ないしって思ってたんだけど、ふと10年前に留学してた時にこの名前を聞いたのを思い出した。そう、日本ではサンダース上院議員って呼ばれるんだけど、アメリカではBernieなのだ。だからフルネームで聞いてようやく記憶から蘇った。そう、Bernieは増田が留学していたバーモント州の上院議員なのだ。
バーモント州はアメリカ東海岸の田舎だ。どれくらい田舎かというと、Wikipediaを見ると人口的には下から2番目の州で日本で最下位の鳥取よりもわずかに少ない。中心都市の規模も大体鳥取と同じ。ニューヨークには鉄道で5時間程度……だったと思う。ボストンには1日数便で4人乗りくらいのセスナが飛んでいる。人生で初めて操縦席と客席の間に仕切りがない飛行機に乗ったよ。人がいない州にありがちなコンチネンタルに州が補助だして運行している路線だ。最も近い大都市はカナダのモントリオールなくらいに北にあるが気候はおだやか。地勢も安定陸塊らしく平べったい丘が延々と続いてるだけ、とかく特徴がないのも鳥取な感じがある。あ、鳥取には砂丘があるか。アメリカにしては白人の占める割合がめちゃ多く、黒人はともかくヒスパニックもアジアンも全然いない。大和民族が圧倒的な日本の田舎とそういう意味でも変わらない。
大学入学した時、ちょうど上院選挙があった。上院選挙があること自体、大学内で活動してたBernie支持者たちで知ったのだ。Bernieって書かれた看板を持って話しかけてきた。外国人だから投票できないんだよね〜って答えながら話してみたのだが、Bernieは無所属だという。アメリカの政治家と言えば共和党か民主党に入ってるものだと思っていた素朴な日本人だったので、意外に思ってた故に増田はBernieのことを覚えてたのだろう。また、なんでBernieがいいのかと問うてみたら、とにかく最高!みたいな返しをされ、ふーんという感じだった。まぁ外国人に話してもね。彼らや対抗馬の支持者たちは、大学の中で自然に政治活動をしており、日本で若者がまともな政治活動をしてるのを見たことなかったから、とても新鮮だった。大学内で見かける支持者の数はBernieが対抗馬を圧倒していた。もしかしたら大学内では見なかったかもしれないレベルだ。
選挙はいつのまにか終わり、増田は興味がなかったので結果を知らなかった。今、WikipediaでみたらBernieの圧勝だった。
当時いた大学は州立大学で、留学してくる外国人がカナダ人でさえ珍しいマイナーな大学だった。アメリカの州立大学は日本の県立大学と違って州民は優遇される。さらに、隣接地域での割引がある。バーモント州ならニューイングランド地方から来たら割引ねって感じだ。だから学生はほとんどが近隣地域の人間で、ウィークデイは寮にいるが、週末になると車で実家に帰ったりしていた。まぁ大体の人間がそこまで裕福な感じではなかった。貧困ってほどでもないが、マックとかでバイトして学費稼ぐくらいの感覚だ。そんな感じなので、Bernieの社会主義的な主張は大学生に受けてたのかなと思う、直接聞いてはないので確かめてないが。
さて、Bernie、今回も若者人気でクリントンを圧倒しているらしい。アメリカは他の先進国と違って若者が沢山いる国だ。次の予備選挙は隣のニューハンプシャーなので勝ちそうだし、オバマの時の再来もありそうだ。だが、本選に出たら厳しいとも思う。アメリカはマッチョイズムの国だからだ。増田はアメリカのマッチョさが合わずに帰ってきたぐらいに、アメリカはマッチョだった。日本人からすると全米ライフル協会みたいに保守派とマッチョはほぼイコールに思えてたのだが、どうやらマッチョは保守とある程度相関してはいるが、むしろアメリカ人の心の基礎として政治的な傾向に関係なくアメリカ人に広く遍く浸透しているように思えた。本選に出た時にマッチョが相手なのはほぼ確定してるわけで、その時アメリカ人がどう判断するかというとBernieは厳しく思えるのだ。リベラルの人間としては残念だけど。
当時も今も日本人は3桁いないだろう。バーニー・サンダースの上院議員選挙を(少しでも直接)見た日本人は少ないだろうと思い、身バレしても大丈夫なようにここに記録しておく。しかし、まさかあの時アメリカのド田舎で見かけた人間が大統領選を騒がすとは……人生長く生きてると面白いものですね。ご査収ください。
サウスパークS19E06、遅ればせながら見ましたが、やっぱ腐女子というか、百合厨もだが、カプ厨が持ってる気持ち悪さってあるよね。
とりあえず、ポリチカルコレクトネスを気にするあまり「俺ゲイに寛大だわアピール」ゲームが行われている昨今、ゲイは過剰にサポートされちゃう、というのが話の本筋だと思うのですが……
カートマンの妖精が再登場している、という点にも注目するべきだと思うんです。
妖精の初登場はS16E07ですが、このエピソードでカートマンは
「あのカップリングってマジいいよね~~~完璧だわ」と腐女子あるいは百合厨さながらの発言をしております。
この発言は、トークンとニコールという黒人カップルに向けられたもので、明確な差別主義的発言ですよね。私も不快感を覚えましたし、カイルたちからもドン引きされています。
しかし、ここでのカートマンの気持ち悪さって、人種差別性から来ているだけではない、とも思うんですよね。
「自分の関係性は棚にあげて」「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」っていうのは、普遍的な気持ち悪さを持っている。という議論は結構されてますが、S19E06もこの筋の話として見れないこともないんじゃないかと。
「次分の関係性は棚にあげて」、におけるポイントは、自分のノーマルさは担保されているということです。すなわち白人(カートマン)だから黒人(トークン)やヒスパニックのカップルを「消費」できるわけで、同様にガチガチの異性愛者だから同性愛も消費できるわけです。
ここでは白人―有色人種、あるいは異性愛―同性愛という権力関係が担保されていない限り、すなわち自分が相手とは違う高位の地平にいるのだという差別意識がない限り、どんな快感も生まれない。
今回腐女子とサウスパークの住人は、妖精と同じような役割を担う存在として描かれました。すなわち、本人たちがその気も無いのに「あのカップリング最高!」と言って、そして「ゲイなのが俺じゃなくてよかった~~(権力関係の発露!)」とこぼしながら強制的にカップルをつくりあげるエートスは、人種差別主義者が「黒人同士くっつけばいいよね~~」と口走るエートスとそれほど変わりは無い。差別主義者カートマンの行ったのあのきわめて不愉快な「カップリング活動」が、今回腐女子を通して再演されているのは興味深いことです。
次は「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」というポイントですが、これは明確に父権的権力の行使に結びついた快感なんですよね。基本的に自由恋愛って、「くっつけ!」っていう力に対する反逆行為だと思うんです。例えば親の決めた結婚相手とか、同じ階級の結婚相手とか、あるいは同じ人種の結婚相手、そういう存在とくっつけ!と強要してくる諸力に対して、断固たるNOを突き付け、「俺はあの子が好きなんだ!」を貫く。これが近代的な意味での自由恋愛だし、そういうのを描くからこそ広義の恋愛文学にはパワーというか新しさがある。これに対して、自分の思い通りの相手と「くっつけ」たがる存在というのは、もうこれはコテコテの父権なんですよね。カップリングワールドを作り上げる快感は、家長が自分の血族を計画的に婚姻させていく快楽と同根だと思う。普通の教育を受けて育った人なら、やっぱりこういう父権的なものって気持ち悪いと思うんじゃないでしょうか。
結論。カップリング厨ってたまたま同性カップルを扱ってるから、昨今の寛容ムーブメントにがっつり乗れてる感ありますけど、その根底にある思想はきわめて保守的・復古的なものなのではないか。すなわちカプ厨の根底には、差別主義と父権主義があり、とてもじゃないがリベラルプログレッシブポリチカルコレクトネス民を名乗れないのではないか、と思う。思った。
shufuo 日本のアニメも世界を意識するならジェンダーフリー化した方がいいね。アナ雪見てディズニーはさすがに敏感だなと関心したよ。
ラプンツェルは男児にも見て欲しいという事でタイトルをラプンツェルからtangledに変更&宣伝でアクションっぽさを前面に出したそうだけど、
でもどう見ても女児向けだよね。つかアクションならプリキュアもそうだし(あれは大きいお友達向け仕様っぽいけど)。
映画でないならちいさなプリンセスソフィアも、男児見ないでしょ。
ディズニーじゃないけど、Dora the Explorerが「きらきらおひめさま」や
いかにもテンプレな「女の子らしい」要素が無い教育アニメなのに主人公が女児ってのは日本と違うなーとは思ったけど
あれは元々マイノリティを主人公に、と言う意図があって、「主人公が女児」より「主人公がヒスパニック」の方がインパクト強いし
グッズはやっぱり女児向け扱いだしなー
アンパンマンという男女どちらにも同じくらい人気のあるコンテンツがある日本はいいなあと思ったよ。
まだ本人に性別という意識が無い年齢向けだから可能なんだろうけどさ。
(それでもドキンやメロンパンナだけが描いてある女児向けグッズもあるけど)
アメリカは、世界でも特にマッチョ礼賛、筋肉信仰が強い国だと言われている。よくスポーツの舞台で話題になるステロイド、いわゆる筋肉増強剤であるが、この薬の典型的使用者像というのは、実はプロスポーツ選手ではないのだ。中流以上の30歳前後のホワイトカラーがそれだ。安定した仕事につき、それなりの社会的立場も得たサラリーマンが、次に求めるのが筋肉なのである。別に仕事に必要なわけではない。動機はアメリカ人なら誰でも持っているであろう筋肉に対するあこがれとコンプレックスなのだ。
それと比較して日本はあまり筋肉信仰は強くないと言える。男性のセックスシンボルはジャニーズの線の細い美少年達であるし、女性のセックスシンボルもセクシーよりも可愛いが優先される。男性的であることよりも、女性的(身体的に子供っぽい)であることが優先される世の中だ。もちろんマッチョはそれなりにモテるだろうが、アメリカと比べるとその扱いの差は歴然だ。
アメリカには白人、黒人、アジア系、ヒスパニック、中東系など様々な人種がいる。だから日本と比べて多種多様な顔の人が暮らしている。その中で、もし単一の美男子像を作ろうとしたらどうなるだろうか。白人の美男子には黒人の美男子は絶対になれないし、黒人の美男子にはアジア系の美男子は絶対になれない。逆も然りだ。ようするに、全くタイプの異なる顔が存在している中で、単一の美男子像を作ることは不可能なのだ。肌が白い方が良いのか、黒い方が良いのか、鼻は高い方が良いのか、低い方が良いのか…、というように、人種によって先天的に顔のタイプが決まってしまうのに、一つの理想像を作るということは人種差別につながるので、あまり好ましくないのだ。そこで、すべての男に共通する、顔以外の競い合うための平等なルールが必要になる。それが筋肉である。いかなる人種の男も、鍛えさえすればマッチョになることが出来る(アメリカ人はそう思い込んでる)。個人の努力次第で獲得できる筋肉は人種を超えたセックスアピールになるということである。
一方日本では、基本的には皆アジア系なので顔のタイプは皆似通っているし、ブサメンであれイケメンであれ、その理由を先天的な人種、民族に求める人はまずいないだろう。なので、単一の美男子像を想像することはある程度可能だし、そこに先天的不平等は存在しない。筋肉をアピールする前にイケメンもブサメンも決まっているのである。マッチョになってもイケメンはイケメンだし、ブサメンはブサメンなのだ。
そんなわけで、アメリカ人の筋肉信仰は原始的に見えてより進んだ社会の象徴である、という説を唱えた。もちろんこれは何のデータもない私の思いつきだ。アメリカ人男性の逞しく芳しいヌードを見ていてふと思いついたことだ。でも意外と説得力があるんじゃなかろうかと思った。
面白いな、と思って見てたんだけど、いくつかのブコメが結構危ういなと思ったので、
なぜそう思ったのか、自分の中で整理しておきたい。
kyoumoe
それがどうしたとか言ってる馬鹿は「これは男の性欲を具現化した女性差別の象徴だ!!!!!」みたいなこと言ってるやつを全員黙らせてこいよ。男だからこそ女性差別ができるみたいな考え方の馬鹿は全員死ね。
okbc99
“例えばアメリカの学会誌表紙が黒人や黄色人種の掃除アンドロイドだったらというのを想像してほしい。”これで伝わらない人もいるのか……。
特にこのお二人に思うところはないが、判りやすいポイントだと思ったので。
まず、kyoumoeさんの意見はどちらともとれるので難しいが、
「このイラストレーターがどのような意図で描いたか」を想定して話すのは、酷く危険だと思う。
イラストレーターのバックボーンが明示されていない状況では、話すとしても一般的な仮定を用いて話すべきだ。
つまり「表紙のイラストは発注者の意図に基づいて描くものだし、学会誌の表紙になるイラストは、学会誌の意志決定者が採用の有無を判断する」
こういう仮定を置いた場合、イラストレーターをこの話題の渦中に置くのは、誤っている。
同様に、「人工知能学会に所属している研究者は」と主語を大きくするのも、誤っている。
例えば、この増田を読むのはほとんどが日本人だろうが、「日本をあげての性差別に見える」とされれば異を唱えたくなるだろう。
okbc99さんがどちらの意見かは判らないが、例示に賛同しているようにとれる。
これは、話題が異なるので、同質であると思う場合は、そのポイントを説明する必要がある。
少し判りにくいので、3例を示す。
例えば、1番を批判する意図で3番を例示して「同質だと判らないのは、理解力が足りない」という非難は的外れだろう。
なぜならば、人工知能学会誌には、扇情的なポーズの裸の掃除アンドロイドは描かれていないからだ。
同様に、1番を批判する意図で2番を例示するのであれば、
「日本での箒を持った女性のロボット」と「アメリカでの黒人や黄色人種の掃除アンドロイド」が同じ意味を持つと説明できなければならない。
批判する場合には、暗黙の前提は出来るだけ無くして、同じ前提を共有しなければ、すれ違いになる。
(2番は、暗に「黄禍論や黒人奴隷の歴史を考えれば、政治的な主張以外で米国では表紙になりえない」という前提を置いているのではないか。
後述するが、さらにここには暗に「掃除という作業」が差別的な表現であるという前提をおかなければ成り立たない)
悪意を持たずに解釈した上で、さらに非難/批判する点がある場合には、前提を共有する努力を怠らないこと。
例えば、この人工知能学会誌の表紙は、素直に解釈すれば以下のような意図を示しているだろう。
この場合、本が明らかな作業手順書ではなく、棚に入っている一般的な本(人間の知識)に見えること、
箒を持ちながら読んでいる(作業中に違う行動を取る)ことは、使役される立場から人間と同様に知識を得る、
(もしかすると、好奇心や面白いと思う情動すら)いずれロボットが獲得するであろう、
人工知能学会は、そういったロボットを作り出す基礎研究をしている場なのだ、という自負にも見える。
(個人的に人工知能学会誌の表紙に相応しいイラストだと思っているため、後半はかなり好意的に解釈してしまっているが。だからリストからは外した)
Togetterまとめは攻撃的すぎると思ったため、HUFF POSTの記事から引用する。
saebou @Cristoforou
この表紙むちゃくちゃ気持ち悪い。こういう表紙にするって決めた人たちの中には女性の学会員はいたんだろうか?女性のロボットがつながれてて家事をしてるってヘテロ男性の性幻想丸出しだよね。
http://www.huffingtonpost.jp/2013/12/27/artificial-intelligence_n_4506691.html
「ヘテロ男性の性幻想」に触れる前に、差別の話を振り返っておこう
差別には明確な定義が存在しない為、性差別という単語に、どういった意味があるかは、人によって異なる可能性が大きい。
ここでは「ある集団からの除外行為や拒否行為、ある集団に属させようとする強制行為」を指すとする。
このため、「性差別とは、性別や性的指向によって除外/拒否/強制される行為」とする。
こうすると、例えば「女性は男性より力が弱いことが多いので、力仕事を男性に割り振る」ことは区別であり、
「女性だから力仕事を選べない。男性だから力仕事を拒否できない」ことは性差別であると言える。
(あくまでも上記の定義の範囲内であるから、「性差別」と表現する人の全てが同じ意見と推測するのは危険)
この上で、先ほどのsaebouさんの発言を「批判」と捉えるとすると、いくつかの条件が暗に仮定されている。
なぜならば、人工知能学会誌の表紙は、性別によって除外/拒否/強制が行われているイラストではないからだ。
(もちろん批判ではなく、好悪の表明である可能性もある。「私は嫌いだ」と「この表紙は非難に相当する」は異なる)
この場合、「家事をする」という行為が、性差別的であるという前提条件が必要になる。
これは、先に挙げた「アメリカで、黒人や黄色人種の掃除アンドロイドだったら」という表現とも共通になる。
(個人的には、黄色人種でなくヒスパニック系が例示として適当だと思うし、またアメリカではその意見の表明こそが差別的であるとは思うが、別の話になる)
例えば、「南アフリカ共和国で、この表紙を採用した」場合は、白人への侮蔑的な表現だと過激派から攻撃の対象になる可能性がある。
これは、アパルトヘイトで苛烈な人種差別に晒された歴史から、未だ人種差別意識が根強く、またロボットは奴隷を容易に想像させるからだ。
つまり、差別的な表現とは、表現する場所における背景が重要であるし、それは世界中で同質だと捉えて良いものではない。
すると、以下のような前提条件が必要になる。(全て「日本においては」がついている)
3つの前提を置くと、ケーブルで繋がれた女性ロボットが、掃除を行う行為は、性差別を表現している、と推測する事が出来る。
ただし、先ほどの3つの前提は「掃除という作業に対する、職業差別である」とはすぐには言えない。
差別とは背景情報が重要であると前述したとおり、日本における「家事」の背景情報を知る必要がある。
ここでは大枠で振り返るが、1950年代より女性は低賃金で働くのではなく「家事」と呼ばれる家の作業を行うライフスタイルが推奨されだした。
1970年代に入ると、政策も含めてそれは性差別(性別によってライフスタイルを強制される)と言って良い状況になったと思う。
すなわち、日本において「家事」とは「専業主婦に代表する、性差別の象徴」と捉えられる可能性がありうる。
これは、現代において性差によって賃金格差が無く、ライフスタイルの強制がほぼ行われていなければ、職業差別であるという批判に相当する。
しかし、未だ性差による賃金格差がある現状では、「家事とは、性差別の象徴である」という意見は相応の妥当性がある。
すなわち、「掃除をするいかなる人種、性別を描いたとしても、同様に差別と批判されるのではないか」という意見は、
もちろん、上記の前提条件は、暗黙に仮定して良いものではない。明示する必要がある。
(明示しなければならない現状は教育環境が整っていない、という批判はできるが、前提条件を共有できていない相手に対して非難する事とは異なる)
「他に比べて劣った作業(奴隷的な労働)」と書いたのには理由がある。
例えば、「掃除とは、奴隷的な作業だ」と表明することは、職業差別だ。
業として清掃作業を行う人達は、他人の所有物ではないし、売買の対象にもなっていない。
「賃金格差がある」ではなく、「劣った作業である」と表現するのも、差別的な表現と言える。
これは、「家事を女性が行う仮定は、性差別である」と「家事とは、奴隷的な作業である」が異なるという事でもある。
つまり、「家事とは、社会的に尊敬の対象となるし、賃金的にも恵まれている」と仮定したとしてもなお、
「女性だから、家事を強制されるのは、性差別」と言える、という事だ。
「女性だという、性別によって家事を強制される」ことは、性差別と言えるが、
「(掃除を含む)家事は、劣った労働である」という意見は、職業差別と言える。
「性差別とは、性別や性的指向によって除外/拒否/強制される行為」とした場合、
「ヘテロ男性(より穏やかな言い方であれば異性愛を指向する男性と表現できる)」だから、性幻想を持つ、というのは、性差別である。
なぜならば、異性愛、同性愛、両性愛などの性的指向を持つグループは、こうである、という批判になるからだ。
つまり、「専業主婦に代表される家事の性差別を肯定するのは、ヘテロ男性である」という仮定は、性差別だ。
(なお「それが事実である」という反論は、むしろ、差別を肯定していると言える。現に女性は家事をしているじゃないか、という指摘と同質だからだ)
という表現は、
「ロボットが繋がれて」という表現は「奴隷(強制された労働)」を容易に想像しうるし、
性差別を批判する際に、その表現の中に性差別を含んでいるからと言って批判そのものには影響しないが、好ましい態度では無いと思う。
同様に、攻撃的な表現は避けるべきだと信じる。
「バカは」「愚かならば」「カス」と言った表現は、攻撃的である。
「男性だから」「科学者だから」「理系だから」と言った表現は、差別的である。
上記のような、(長くなってしまったが……)前提条件を置いた上で、なお、批判すべき点があるとすれば、
いずれ家電としてロボットが普及する世界で、ロボットは作業機械という意味合いを越え、知識を自ら学習するだろう、
その基礎を研究するのが人工知能学会だという主張を表紙のイラストに持たせたいのであれば、
日本においては、未だ性差別的な意味合いを取られがちの「家事」を連想させるものに「女性」を置かない方が良かった、となるだろう。
(例えば、背景に男性ロボットが同様に働いている様子を描く等、回避手段はいくつか思いつくだろう)
この件で、日本の理系研究者を非難するのは、主語を大きくしすぎだと思う。
自分が嫌いなイラストだという事と、性差別的なイラストだと非難する事とは、異なる。
また「家事は女性がすべきだと思ってるんだろう、若ければ若いほど良いんだろう」という推測は、邪推と言って良いと思う。
ただし「女性ロボットが掃除を行っている表現は、性差別的な「家事」を連想させ、肯定している態度ではないか」という批判は、成り立つ。
「掃除は、奴隷的な作業である」ならば職業差別だし、「ヘテロ男性だから」というのは性差別である。
差別的な表現や攻撃的な表現を含んだ批判は、攻撃と言って良いと思うし、差別を批判する態度として好ましいとは思えない。
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-2281.html
**以下引用**
ダニング-クルーガー効果 上から目線の人や自信家はむしろ愚かであることが多い「アメリカ人は30カ国中数学25位、科学21位、自信は1位」
個人的な経験と感覚で正確性も何もないものですが、ブログのコメント欄(現在は閉鎖)では上から目線の人や、自分は何でも知っているぞというスタンスの人の方が、幼稚な主張であることが多かったです。
また、有名人でも「自分はすごいぞ」という言動をなさる上杉隆さんなど虚言癖のある方が、論理性のまるでない主張をして一人悦に入るところが見られます。
そういった私のイメージが思い込みじゃなくてある程度一般的な傾向なのかも……と思ったのが、次の話です。
アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信は1位
(略)Education.comと言うサイトのコラムでは、アメリカにおける教育の現状を冷静に分析しており、要約すると以下の5点を問題に挙げています。(中略)
2. 国際比較をすると明らかに学力が低い
国際ランキングでは数学が25位、科学が21位。2002年に落ちこぼれの子を出さない誓約を立てながら、8年後の実情はミシシッピで14%、ニューヨークで30%、そしてカリフォルニアで24%のみが数学を習得している。また、全国では24~34%の子供だけがその学年レベルの読みを習得している。驚くことに、数学のレベルの低さとは別に、他国と比べてアメリカの生徒が数学に1番自信を持っているとの結果が出ている。(中略)
・アメリカの子供はいわゆるダニング・クルーガー効果"Dunning-Krugereffect"によって、自信が1位になっているのかも。
・ダニング・クルーガー効果:無能な人ほど自分の能力を過大視するという心理学。認識の偏り。知能の低い人間ほど自分をかなり知能を高く見積もる、あるいはその逆の認識をするケースが往々にしてある。
http://labaq.com/archives/51674348.html
このダニング・クルーガー効果に関する話は後々やりますが、上記で省略した部分も気になるでしょうから載っけておきます。
1. 現在のアメリカでは教育に対する予算カットが頻繁に行われているが、問題はお金だけではない
インフレ率に合わせて、生徒一人当たりに費やされる金額が30年間に4300ドルから9000ドルへと倍増したものの、成績が全く上がっていない。他の低予算の国よりスコアが悪い。(中略)
3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない
他の専門職では失敗をすると失職したり資格を剥奪されるのに比べて、ほとんどの教員はふさわしい資質を持っていなくても職を失わない。イリノイ州では57人に1人の医者、97人に1人の弁護士が資格を失っているのに対し、教師は2500人に1人のみ。巨大化した組合が、教職を2年務めると終身雇用という契約を結ばせるためである。
4. チャータースクール(民間運営の新しいタイプの学校)が質の悪い公立の学校の代わりとなっている
普通の学校でうまくやっていけない子たちのバックアップとなっているが、良い結果を出しているチャータースクールは5校に1校しかないのが現状。
5. 子供を学力別に分けることは不公平であり、多くの生徒の成功を奪う
学力別に生徒を分けることはアメリカでは一般的に行われているが、中レベルから低レベルの位置にいる子供に不利な可能性がある。この学力別システムは1950年に始まり、20%のみが大学に進み、30%が専門職(会計士、経営者、その他の大学の資格を必要としない職)、そして50%が肉体労働者になる。
「3. 教師の質が著しく落ちているが、解雇出来ない」ですが、アメリカの先生は日本の比じゃないほどレベルが低い、より正確に言うとレベルの差が激しいようです。
私はそれはきちんとした教員制度がないせいであると聞きましたが、「終身雇用」ってのもびっくりですね。
学力別に生徒を分けた後が問題であり、この場合下位を切り捨てにしているからということでしょうが、その層に適した教育を重点的にやるということは理論上は可能です。
学力別に生徒を分けないということは高校を全部学区別にするなどして、レベル別にしないということになりそうですが、そうしたとしても結局大学は学力別に生徒を分けます。
世界大学ランキング2012-2013 東大はアジア1位で27位(3つ上昇)で1位だったマサチューセッツ工科大学(MIT)への入学を学区制にしましょうとは、さすがに誰も主張しないでしょう。
あと、こういう風に現在学力別に分ける状況にありながらも、なお「1番自信を持っている」というのも不思議な気がします。
普通はこうやると自信を持つ生徒が減りそうなものですが……。
こちらを広げると話が逸れていきますが、先の「アメリカ人は先進30カ国で数学25位、科学21位、ただし自信だけは1位」の波紋です。
・ダニング・クルーガー効果もこの現象の原因ではあると認めるが、どっちかと言うとこれは、アメリカの教育が自尊心を増大させていることが一因のように思う。
良いことを実行させるよりも、文化の良いと思わせる点を強調している。アメリカより科学などで抜きん出ている多くのアジアでは、それほど自尊心を強調しようとする概念がない。でもそれなりに満足を得ているか、自尊心が高い国より幸せだったりする。それは幸福の本質が単に自分のことをどう思うかだけではないからだ。
だから失敗を認めたり、訂正をすることは自分自身の見方を脅かす。これが全てを説明してるとは思わないが、好きな解釈のしかただ。
・自分が何をわかってないかをわかってない状態ってやつだな。同じことがスペイン語を学んだときに自分にも起こったよ。習い始めた最初の1学期が終わったとき「もうスペイン語はだいたい何でも言える、次の学期では何をするのかな」。次の学期が終わる頃「やっと過去形が終わった。うわまだ何もわかってねーじゃん」。(略)
・世界にNo.1であることを宣言し続けなくちゃいけないのなら、深刻な不安定さを象徴している。そういう間違った自信が国を滅ぼす。皮肉にもこの手の崩壊をもたらすやつらこそが、愛国者と呼ばれたりしている。
・宣伝工作もだよ。「世界で1番の健康保険」とか「世界1の憲法」とか「我々の民主主義がすばらしすぎるので輸出しよう」とか、「世界1自由な国民だ」とか。
・その「自由」ってのに引っ掛かる。過去15年で5カ国(スコットランド、オーストラリア、カナダ、アメリカ、ドイツ)に住んだよ。で、一番不自由な体験をしたのがアメリカさ。
・単に他の国が、いちいち「我々はナンバーワン!」とか「U-S-A U-S-A!」とか叫ばないだけだ。ちょっと恥ずかしいだろ。オーストラリア人より。
・記事によると同じ試験を受けた他の国の子供たちは、「一番出来るというわけではない」と答えている。(略)
・実際アメリカは世界的には偉大な大学を持って、研究者も世界中から集まっている。それからお金もだ。研究するための莫大な金を持っている。
・確かに世界でもベストといえる施設だが、研究者たちの70%は少数派の民族だ。(アジア人とか東南アジアとか)
・少し誤解を招いている。サンプルのサイズに大きな問題がある(アメリカは他の国と比べて大人数を教育し、さらに国がそれを無料で提供している)。試験の点数は35%もいる黒人やヒスパニックの悪い成績により引き下げられている。アジア系アメリカ人は平均541点で、上海、香港、日本、韓国と似通った点数である。ヒスパニックではないアメリカ人は平均525点でカナダの524点、ニュージーランド521点、オーストラリア515点に匹敵している。それとは対照に平均のヒスパニックは446点、黒人441点である。
・その書き方だとアジア人、黒人、ヒスパニックはアメリカ人じゃないみたいだな。
・カナダもマルチ民族で白人ばかりではない。オーストラリアやニュージーランドもだ。なのでやはり全体として悪いんだよ。
・違いは民族から来るというより文化からだね。他の文化に比べて、学習することを強調するサブカルチャーもある。
・1年レジで働いたが、みんなお釣りがいくらになるかわかってなくて、小銭を嫌い、余計に請求されても感謝していた。
・「近代の基本的な問題の原因は、愚か者が確信しきっていて、賢い者が疑問でいっぱいだからだ」―バートランド・ラッセル
オーストラリア人としてアメリカに6年住んだ経験から、両国の差を次のように考える。
アメリカ人は「NBAにプレイできるように頑張る」とか「NBAでプレイがしたい」というより、「NBAでプレイをするんだ」といった風に育てられる。自身を肯定することが根付いているんだ。利点としては自信を持つことで実現につながるし、ポジティブ思考であり、自分を信じることにつながるが、欠点としては、自身に対する錯覚や思い違いにつながることがある。
オーストラリアでは偽の謙虚さが根付いていて、自慢したり、何が得意だとかは絶対に言わない。がんばるしベストは尽くしても、自分が人より優れているとは思わない。昔はこれが尊敬すべき方法と思っていたが、今は2つの観念の間にはさまっている。アメリカに住むまでは自分が何かを得意だとは思わなかったし、ネガティブなコメントを恐れて言うべきことを遅らせたりした経験もあった。アメリカの「出来る」という態度や大げさな褒め言葉やサポートは気に入ってる。オーストラリアの真面目に働くところや謙虚さも気に入ってる。
最後にバランスの良い意見が載っていましたが、ダニング・クルーガー効果は全体的な傾向であり、絶対的なものではありません。
場合によりけりであり、世の中では自信を持つことが大事という主張がむしろ多いように、これが良い助けとなる場面も存在します。
過ぎたるは及ばざるが如しで、極端に自信がないこともまた問題となるでしょう。
といった点を踏まえつつ、ダニング・クルーガー効果の別のところの説明です。
ダニング・クルーガー効果(Dunning-Kruger effect)
(略)これは、コーネル大学の2人の研究者の実験による理論として1999年に発表されたもので、「知識の少ない人間が、もっと知識の多い人々より自分の方が物事をよく知っていると思い込む」現象のことです。実験に当たって彼らが立てた仮説は以下の4つで、結果的にそれらがほぼ証明されたのです。
1. 無能な人々は、自分のスキルのレベルを過大評価する傾向がある。
2. 無能な人々は、他者が持っているスキルを正しく認識できない。
3. 無能な人々は、自分の無能さがどれほどのものかを認識できない。
4. こうした人々も、本質的にスキルが向上するような訓練を施されれば、それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる。
http://ogasawara.cocolog-nifty.com/ogasawara_blog/2011/06/dunning-kruger-.html
「それまでのスキル不足に気づき、それを認めることができる」とありますが、能力がない人ほど自分の間違いを認めることができないというのは、最初に書いたコメント欄、有名人だけでなく、職場の人を見ていても感じます。
もう一つのブログはかなり詳しいですけど、ダニング・クルーガー効果以外の話です。しかし、内容的には同じ傾向の話があります。
それほど自信のない人のほうが、より成功する?
by creiajp on 7月 12, 2012 • 12:30 未来の人事を見てみよう
The Worse-Than-Average Effect: When You're Better Than You Think
平均以下効果: もし自分が思っているより自分がマシだった場合
http://www.spring.org.uk/2012/06/the-worse-than-average-effect-when-youre-better-than-you-think.php
そして、
Less-Confident People Are More Successful
それほど自信のない人のほうが、より成功する
http://blogs.hbr.org/cs/2012/07/less_confident_people_are_more_su.html
最初の記事で話題になっているのは、Worse-Than-Average Effect (もしくはBelow-Average Effect) で、ここでは「平均以下効果」と訳しました。(中略)
"もし自分が何かが得意だったとき、同様に他の人にとってもそれが得意だと思いこむ傾向があること。したがって、もし自分が得意な物事において難しいタスクにぶち当たってしまった時に、自分の能力を過小評価してしまう〔なぜなら他の人は得意に違いないから〕"(中略)
この説を唱えているクルーガーという学者は、一般的にはダニング・クルーガー効果で知られています。(中略)
"人々は、チェスやギャグ、ジャグリングやプログラミングといった、ステレオタイプ的に難しいとされる能力について過小評価する傾向がある。"
ということで、自分がある程度学習して出来るようになった能力は、自分でも出来たんだから誰でも追いつけるはずで、自分はそれほど大したことないはずだ、という思い込みですね。実は習熟するまでにはそれなりの時間を投資しているにも関わらず。
http://www.creia.jp/blog/2012/07/12/6
平均以下効果はダニング・クルーガー効果の"逆パターン"だそうです。
本当はよくできているのにも関わらず、そうではないと思う方ですね。
なお、"それほど複雑ではない簡単な内容については、先のダニング・クルーガー効果のほうが当てはまる確率が高い"そうです。
ということは、高度な分野においてはダニング・クルーガー効果はあまり現れず、平均以下効果の方が現れやすいということでしょうか?じゃあ、今日の最初で書いた上杉隆さんは例外になっちゃいますね。
どうにも扱いの難しい「自信」の取り扱いですが、Harvard Business Reviewに載った2番目の記事では、自信のない人のほうが、より成功する、という説を唱えていて、このメディア上ではコメント欄が200近くに達して軽く炎上しています(笑)。(中略)
"自分への自信は低い時に限って助けになる。"
とのこと。ただ、extremely low (極端に低すぎる) のはダメ、とのことで、その案配がどうにも難しいところなのですが。
先のクルーガーの「平均以下効果」が発揮されているような自信のない人のほうが、自信満々の人よりも成功する要因は、以下の3点にあるとのこと。
1.Lower self-confidence makes you pay attention to negative feedback and be self-critical
低い自信はネガティブなフィードバックへの傾聴を促し、自分自身に対して批判的になれる
2.Lower self-confidence can motivate you to work harder and prepare more
低い自信はさらなる勤労・勉強と、さらなる準備に向けたモチベーションを起こさせる
3.Lower self-confidence reduces the chances of coming across as arrogant or being deluded
低い自信は傲慢になったり勘違いしたりといった傾向を減らしてくれる
他人の無知を指摘することは簡単であるが言うまでもなく人間は世界の全てを知る事は出来ない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではない事に気がついている、言い換えれば無知である事を知っている点において、知恵者と自認する相手より僅かに優れていると考えた。また知らない事を知っていると考えるよりも、知らない事は知らないと考える方が優れている、とも考えた。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%9F%A5
適度に謙虚でかつ貪欲にという姿勢が大切なのかもしれません。
(12/8追記:こういうコピペがあるそうな。
「パソコン詳しいですか?」
工学系「(寄せ集めで自作PC作ったくらいだし…)いえ、そこまでは…」
情報系「(周りの奴のほうが詳しいしな…)まぁ、人並みには…」
文系「(パソコン?毎日YouTube見てるしな…)あぁ、詳しいっすよ」
2012-01-10■僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった しのごの録
"(中略)高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。
総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。
また僕は、自分の頭のよさについて、少なくとも自分自身に対して嘘をついているところがあります。成績表からAがひとつ盗まれちゃったんだということにして、自分自身を納得させようとしているんです。(中略)昔は、自分はMITに行けるものだといつも思っていました。でも、その可能性はゼロに等しいんだという厳しい現実が明らかになってしまいました。(中略)"
対する返信。
"私は意気揚々とMITの寮に引っ越してきました。(中略)一年生の微積分と物理の単位をすでに取っていました。(中略)
時間が経ち、壁にぶち当たりました。私は高校時代それほどよい生徒ではありませんでした。悪い成績をとれば、適当ないいわけをしたものです。そんなものどうでもいいとか、忙しすぎたとか、やる気がでないとか(中略)自分はちょっとやる気がないだけで、他の誰よりも頭がいいんだと思えました。しかしいまや、そんな考え方は通用しませんでした。(中略)ほんとうに惨めな気持ちでした。
幸運なことに、私のとなりの部屋にはRという賢いやつが住んでいました。Rは、控えめに言っても、優秀な学生でした。(中略)微分方程式に半学期悩まされたあと、プライドを捨ててようやくRのところへ助けを求めに行きました。確か彼は私の教科書を一晩借りて復習して(彼は小学3年生からの全ての授業内容を憶えているわけではない)、その後、私の分からないところをひとつひとつ丁寧に解説して教えてくれました。その結果、学期末に私はB+をとり難を逃れることができました。ここでひとつ大切なことがあります。それは、彼が教えてくれたことのなかに、頭の回転が速くなければ理解できないことなどひとつもなかったということです。彼のことを知るにつけ分かったことは、彼の知性と実績のほとんどは、まさに勉強と鍛錬によってもたらされているということでした。(中略)
「頭がいい」ことが成績の良し悪しを決めるのだと言って自分自身を欺くのは簡単なことです。とても多くの場合で、これはあり得るなかで最も安易な説明です。なぜなら、これを認めれば努力をする必要もありませんし、自分の失敗をただちに正当化してくれるからです。(中略)(おもしろい事実:SATの成績と最も相関の高い変数はSATのために費やした勉強時間です。)
http://d.hatena.ne.jp/tictac/20120110/p1
ダニング・クルーガー効果と平均以下効果のどちらかが現れるかの境目とも関係するんじゃないかな?とちょっと思ったので、ここで紹介しました)
はて。ヒスパニックっていうのは、メキシコとかの中南米出身の白人のことを指してるのだと思ったのだが。
白人(コーカソイド)、黒人(ネグロイド)、黄色人種(モンゴロイド)、オーストラロイドに加えて、ヒスパニックなる人種分類が新たに加わったのか?
というか、ぶっちゃけ、ある程度の福利厚生が完備されてる企業で働けるのは、結局のところ白人(厳密には、ヒスパニック以外の白人)か、それなりに裕福な家系に生まれたアジア系、黒人系くらいだ。
日本で言うところのブラック企業は平気で存在していて、そこでは不法入国の黒人やアジア人、ヒスパニックが半ば奴隷的に働いている。それでも、現地に強制送還されるよりはよっぽど稼げるので文句を言わない。だから表面化しないだけ。日本でこの前、時給200円くらいで働かされていた中国人グループが保護された事件があったけど、そのレベルになって初めて発覚する。日本の「海外がー」厨は、その現実を見ない。
日本は移民の数が少ないから、海外では移民が行ってる仕事も、日本人が担当している。だからブラック企業の問題が顕在化しやすいだけ。もちろん、そのブラック企業は滅ぼすべきだし、問題解決に力を注ぐ必要がある。だが、「海外の労働環境はパラダイスである」という安易な情報を発信する人々は、正直、無責任としか言えない。その労働環境は、現代の奴隷たちによって成り立っているのは、どこの国も同じ。その奴隷が、日本では同じ国民であり、海外では移民たちというだけの話。
あのさー、
だったら日本の商慣習なんて知らなくても当然だと思うんだけど。
ヒスパニックを雇うと書いたのは、ちょっと熱くなりすぎて出ちゃいました。すみません、反省しています。
でも彼らは人件費安くていいよ。
だめだわかってないwwwww
人種が日本人でもそうでなくても、同じ派遣会社から雇っている限り、同じことは起こりうる。
1.9時始業と言われたら9時より前に出社すべきなのか否か問題
俺だったらまず2だけを問題にする。
時刻的にも1を包括してるから。
「9時始業なのに9時にいねえってどういうことだよおい!」
これは隙の少ない言い分だ。
「9時始業なのに9時にいねえってどういうことだよおい!」
に対して、派遣アシの言い分が
「派遣会社での勤務起算は8:53-9:07までは9:00勤務開始扱いになるから遅刻ではない」
そうきたかー。
いやこれさあ、相手のほうが正しいよ。
わかるよね?
これについて、あんたが問い合わせや苦情を言うべき相手は派遣会社だよ。
アシは派遣会社と契約してんだし、あんたも派遣会社と契約してんだし。
あんたもアシも主張や認識に嘘がないと仮定するなら、
いやいやいや。まじで勘弁してほしい。わかるじゃない、普通。
この日は特別に8:00に来てくださいねって言ったら8:00からつけてもいいけど
9時始業って言ったら少し前に来て9:00に仕事始める状態にするじゃない。
実はそれって日本の悪慣行に過ぎないんだぜ。
常識的に仕事を始める準備に要する時間は勤務時間に含めるもの。
「仕事の準備」が使用人と使用者のどっちの都合か考えてみりゃすぐ理解できるでしょ。
勿論、1時間前に来てタイムカード押してゆったり朝食食いだす、とかはあかんけども。
なので、ちゃんと勤務時間分を時間で請求してるだけだねそいつは。
あんたが要求してる「わかるよね?」っていうのは正社員向けの理屈じゃね?
それだってあんま良くないんだけど。
もう日本語できなくていいから給与の安いヒスパニックを雇おう。
彼らならどんな態度を取ろうがあきらめがつくから。
あんたははっきり言って