サウスパークS19E06、遅ればせながら見ましたが、やっぱ腐女子というか、百合厨もだが、カプ厨が持ってる気持ち悪さってあるよね。
とりあえず、ポリチカルコレクトネスを気にするあまり「俺ゲイに寛大だわアピール」ゲームが行われている昨今、ゲイは過剰にサポートされちゃう、というのが話の本筋だと思うのですが……
カートマンの妖精が再登場している、という点にも注目するべきだと思うんです。
妖精の初登場はS16E07ですが、このエピソードでカートマンは
「あのカップリングってマジいいよね~~~完璧だわ」と腐女子あるいは百合厨さながらの発言をしております。
この発言は、トークンとニコールという黒人カップルに向けられたもので、明確な差別主義的発言ですよね。私も不快感を覚えましたし、カイルたちからもドン引きされています。
しかし、ここでのカートマンの気持ち悪さって、人種差別性から来ているだけではない、とも思うんですよね。
「自分の関係性は棚にあげて」「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」っていうのは、普遍的な気持ち悪さを持っている。という議論は結構されてますが、S19E06もこの筋の話として見れないこともないんじゃないかと。
「次分の関係性は棚にあげて」、におけるポイントは、自分のノーマルさは担保されているということです。すなわち白人(カートマン)だから黒人(トークン)やヒスパニックのカップルを「消費」できるわけで、同様にガチガチの異性愛者だから同性愛も消費できるわけです。
ここでは白人―有色人種、あるいは異性愛―同性愛という権力関係が担保されていない限り、すなわち自分が相手とは違う高位の地平にいるのだという差別意識がない限り、どんな快感も生まれない。
今回腐女子とサウスパークの住人は、妖精と同じような役割を担う存在として描かれました。すなわち、本人たちがその気も無いのに「あのカップリング最高!」と言って、そして「ゲイなのが俺じゃなくてよかった~~(権力関係の発露!)」とこぼしながら強制的にカップルをつくりあげるエートスは、人種差別主義者が「黒人同士くっつけばいいよね~~」と口走るエートスとそれほど変わりは無い。差別主義者カートマンの行ったのあのきわめて不愉快な「カップリング活動」が、今回腐女子を通して再演されているのは興味深いことです。
次は「他人の関係性に対して妄想を展開して、くっつける」というポイントですが、これは明確に父権的権力の行使に結びついた快感なんですよね。基本的に自由恋愛って、「くっつけ!」っていう力に対する反逆行為だと思うんです。例えば親の決めた結婚相手とか、同じ階級の結婚相手とか、あるいは同じ人種の結婚相手、そういう存在とくっつけ!と強要してくる諸力に対して、断固たるNOを突き付け、「俺はあの子が好きなんだ!」を貫く。これが近代的な意味での自由恋愛だし、そういうのを描くからこそ広義の恋愛文学にはパワーというか新しさがある。これに対して、自分の思い通りの相手と「くっつけ」たがる存在というのは、もうこれはコテコテの父権なんですよね。カップリングワールドを作り上げる快感は、家長が自分の血族を計画的に婚姻させていく快楽と同根だと思う。普通の教育を受けて育った人なら、やっぱりこういう父権的なものって気持ち悪いと思うんじゃないでしょうか。
結論。カップリング厨ってたまたま同性カップルを扱ってるから、昨今の寛容ムーブメントにがっつり乗れてる感ありますけど、その根底にある思想はきわめて保守的・復古的なものなのではないか。すなわちカプ厨の根底には、差別主義と父権主義があり、とてもじゃないがリベラルプログレッシブポリチカルコレクトネス民を名乗れないのではないか、と思う。思った。