はてなキーワード: ゴミ箱とは
タイトル、ナントカ生放送を意識した結果、まるで数日前とかに初参加したかのような響きになってしまいましたが、何年間でのできごとです。(・∀・)
幼い頃から郊外に住んでいる自分は、ホームレスなんて全然身近な存在ではなく、
ダンボールで寝てる人、ビニールシートのおうちは、たまに親に連れられ都市部に出てきたときにだけ目にしていました。
親に見ちゃだめと言われて手を引かれるため、すました顔で通り過ぎるようにはしていましたが、心の中では興味津々、見ちゃだめなんて言われたらもうより関心が…
そして小学6年生になった私はある日、駅ビルでオムそばを買ったのですが(唐突)
それが思ったより口に合わなかったため半分くらいを残して駅のゴミ箱に捨てたということがありました。
すると…しばらくして知らないおばさんがゴミ箱を物色し始め、私のオムそばやその他の食べ物のゴミを持ち去ったのでした…
自分のきたない食べ残しを持って行かれた…それはそれは子供ながらにショックな出来事でした。
そんな物を食べないと暮らしていけない人がいるということへの実感も湧きましたが、正直、自分の食べ残しを人に食べられるという生理的な嫌悪感が大きかったです。
その感情を払拭するため、小学生の私が行ったことは、路上で寝ている人に、コンビニおにぎりを配るという妄想でした。小学生らしい意味不明さです。
それはもちろん妄想に留まり、私の第一次ホームレスへの関心期は終了したのですが、時を経て人生のモラトリアムに突入したとき、たまたまボランティア募集のビラに巡り合い、珍しい物見たさもあって
炊き出しに参加してみようと思い立ったのでした。
・NPO法人主催、週1で公園にて実施。(公園使用の許可は得ている。)
・200人前後の人が食べに来る。9割8分が男性で年配者が多い。(小学生の経済力ではコンビニおにぎりを行き渡らせるのは無理だったと改めて感じた。)
・若者は目立つため、列に並びにくいかも知れない。
・配るのはカレーライスと福神漬け。容器は使い捨てではない給食風のお皿。
・調理組と配膳組に分かれている。お昼に調理組が作ったカレーを、夜に配膳組が搬出して公園で盛る。(私はいつも後者。)
・食品に対しての衛生管理は頑張っている。三角巾、マスクに手袋の装備と消毒液が必ず準備されている。
・ホームレスがホームレスに見えない。ぼろぼろでロン毛の異臭を放つホームレスらしきホームレスというのはほんのひと握りで、小奇麗な服装をしているし、ひどい臭いもしない。
・主催者が「憲法第9条を守ろう」って背中に書いてあるジャンパーを着ている。(なんかいるよねそういう人たち。うん、たしかに憲法9条は大事だね。)
・ただのNPO法人の運営かと思ったらキリスト教の関係者がやっていた。キリスト教のNPO法人だった。しかし、聖職者と信仰者がボランティアをしている事実だけで、現場に宗教色は一切なし。
・ボランティアも残ったカレーが食べれる。炊き出しが終わったあとにボランティアのみんなで食べた。(ホームレスと同じ食器だったから本当はいやだtt…)
・立つ鳥跡を濁さず。公園を借り続けるためにも、現場のゴミ拾いには徹底している。
・てんやわんや。場所を借りる時間が定まっているのか、単に現場の人がせっかちなのか、準備から片付けまでがとても慌ただしい。(理由は今も不明。)
・行き当たりばったり。主催者による事前説明やミーティングなどの、本来組織が機能する上で執り行われるべきやりとりがされない。目が合った人同士などでの軽い自己紹介などはあれど、
全体的な挨拶などもないために誰がどういう立場でボランティアに参加しているのか判断できない。その日に何か変更がある場合は、配膳開始直前などの慌ただしい中で伝達され、
初心者は、わからない点どころか行う作業の一から十までを経験者に聞かなければならない。
不便だと思うのですが、何らかの意図があるのでしょうか。(問いかけ)
・並ぶのはホームレスだけじゃない。無料で洗濯や入浴できる施設や理容サービスが存在していて、これが小奇麗なホームレスのたち真相だが、列の中には普通に家のある生活保護や年金受給者も多い。
その結果、受給日前の月末にかけて列が長くなり、配膳数は1.2~1.5倍になる。
なぜ彼らはその取り分で生活できないかは謎である。アルコールやギャンブルに使い果たしてしまうのも一つの理由でしょうが、慎ましく生活していても足りていないのでしょうか。わかりません。
また、高齢者にとっての病院みたいに一つの社交場として実際そんなに困ってないのに遊びに来ている人もいるかと思われます。(笑)
・並ぶ人の中には、身体的、知的、精神的に問題ある人が多い。声をかけてもうまく意思疎通ができない人が多い。
・識字率が100%ではない。掲示物や配布されるお便りなどの全文がひらがな表記だったり全ての漢字にルビが打ってあったりする。
・空気的に身の上話は聞きにくい。彼らが今に至った経緯は貧困問題を理解する上で貴重な情報ですが現場が明るい雰囲気のために深刻な事情に踏み込むのは難しい。
・年配ゆえに少食な人がいる。わざわざ並んでたったそれだけでいいの、、、ってなる。
・ご飯をもらう側の人がボランティアを手伝ってくれる(笑)。多分本人が勝手にやってるんだけど並ぶ人の中にご飯を食べる傍ら車の荷物を運び出したりなど積極的に働かれる方がいます。
食器洗って返すまでが炊き出しで、食べ終わったお皿は公園の水道で汚れを落としてから返却します。カレー配りに専念していると、こういった周りの状況をすぐに知ることができませんでした。
・後始末の方法が汚い。
残飯処理や公園内の清掃時などに、若干ですが素手で汚物に触れなければならないタイミングがあります。触ったあとに手を消毒できるのであれば良いのですが、そのような環境は用意されていません。
いつもその作業を行っている方は気にしないのか効率を求めて割り切っているのかわかりませんが、私は基本違う作業に徹します。
・食品に対しての衛生管理は頑張っている。その2。一度でも外に運び出した食器類は、未使用でも全て洗う。
・年間の予算は約400万円。
・一番近くの路上生活者は並ばない。長く参加している間にだんだん常連さんなどの顔を覚えていくわけですが、なんとその中に、その公園周辺の路上に住まう方々の姿がないことに気づきました。スッテーン。
おうちを訪問してお話を聞くと、彼らは何らかの形で収入を得ており、「炊き出しや福祉のお世話にはならない」という強い自立心が養われているようでした。
中には安定した収入も貯金もあるにもかかわらず路上で生活している方も…。……。なぜ炊き出しを必要としない人ばかりがそこに集結しているのかはわかりませんが、いつも列に並ぶ人々は
みんな遠方からやって来ていたのでした。
・主催者がコミュ障…。主催者は、組織を束ねることができていることが驚きの器の持ち主。おそらくある一つの思想の下に人が集まってことが運ばれている。
・大半のボランティアが郊外出身。やはり同じ界隈に住んでいる都市部の人間は彼らの存在にうんざりしている模様。
・主催者が「脱原発」も掲げている。最初に憲法9条という言葉を見たときにいろいろ気づくべきでした。
・炊き出しに直接関係ないイベント…。主催者からフェミニズム的な会合へ半強制的に参加を求められる。ターゲットにされています。私が社会人ではないため、暇だと思われてるんでしょうか。
・無償の労働に対して直接感謝や労いの言葉は貰えない。例えば幼稚園、病院なんかへのボランティアではそこにいる方々から何かお言葉が頂けたりするが、
この現場ではそれがほとんどないと言える。周りの大人もみんなボランティアの括りで参加しているため、みんなが同じ立場であるからでしょうか。
並ぶ人たちにはそんな気配りはないし(笑)、もしかしたらお金をもらってやっていると思われているかもしれない。
そのためやり甲斐はその場では見つからないかもしれない。震災被災地でのボランティアも一部はそんな感じみたいですね。
「気持ち」というささやかな見返りすら求められない究極のボランティアである。
・カレーをもとめて数…里。食べ物を求めてすごく遠くから来たという方がいらっしゃいました。ずっと歩いていたため、真冬にもかかわらず全く寒さを感じないと言っていた。
・育たない自立心。「ただボタンを押すだけ」のような単純な操作をお願いされることがあり、たとえ押し方やどのボタンを押せばいいかを伝えても学習しようとしない。
彼らの場合、決して能力がないわけではないと思われるが…これが炊き出しには並ばない意識高い(笑)ホームレスとの違いでもあるのかなと思ったりする。
最終的にこの組織への参加によって私が学んだこと、それは、
共〇的思想の本質でしたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
はい、まず日本での炊き出しというシステムが主に人権第一の共〇主義の思想から成り立っていることがわかりました!
何せ、こういった主義主張の下に生きている人々との出会いは初めてで、彼らもそれを強く表に出すわけではないので気づくのにとても時間がかかりました。
そして、調べてみると私の住んでいる地域では他にも様々な団体が炊き出しを行っているのですが、ほとんどの団体が、キリスト教系およびそっち系のいずれか、または両者でした。
全国的にも、そのようですね。本当に無知でした。炊き出しというものが、そういった思想に基づいているとは…。
気づいたときにはもう、この現場に思い入れを抱いてしまっていたのでそれは割り切ることにしました。
それに、自分の中のいろんな考えを刺激してくれた良いものであったとも思います。それがどんなものであったかは割愛します。
私はこれからも資本主義の残酷な点を見直しつつも、天皇陛下を敬うし、今の日本に期待したいものです。
以上、笑えない冗談でした。
そもそも、炊き出しですが、お腹が空いて死にそうな時に駆け込んだり、無職の間に炊き出しで食いつないその期間に新しい道に歩み始めてもらったりなど
短期的な支援として行っているものとしていますが、もう何十年も来ているという人が多かったりで、なんなのよってなります。ヽ(・∀・)ノ
でも彼ら、精神的、身体的、知的な問題、年の取りすぎなんかにより、社会復帰が絶望的という事情があったりで、生活保護受けていたり、福祉の世話になりたくないプライドがあったり、
単純に外が好きだったり、いろいろな人がいますがいますがそんな人たちみんなひっくるめて、彼らはこの世がこういう世であるために発生した社会不適合者であると考えることもできます。
(※思想的にではなく、社会学的に基づいた考えです( ;∀;))
あと人間にはどんなに努力しても元々素質がなければ困難なことがあると思いますが、彼らの場合、この世を渡り歩くための素質を持たない、もしくは失ったのだと見ることもできます。
そのような目線でいくと、彼らにとって炊き出しは、死ぬまで面倒をみてやろうというターミナルケアとしての機能も果たしていると言えます。
私が炊き出しに参加することに対して、「炊き出しの存在が路上生活者を生んでいるのでは?」と直球を飛ばされることもあります。
たしかに炊き出しの存在は、「働かなきゃごはんが食べれない」という人間の労働へのモチベーションが生まれる流れを遮っているかもしれません。
それに、収入のある人が炊き出しに頼ることで本来食費に充てるべきお金が遊興費に回されるなんていう現状もあるでしょう。
厚労省のホームレスの数は調査は今のところ減少傾向に見られます。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027ptf.html(目視調査のため数字は不確実)
そして、現在の炊き出し来場者が200人前後と記しましたが、過去は今の2倍以上が通常であったとのことから、炊き出し来場者も同様に減少しているように伺えます。
やむを得ず路上生活する人々への支援という当初の目的の需要が減る中で、炊き出しというものが、一人歩きしてしまってる面があることは否めないと思います、、、
しかし私個人としては、食事は誰もが必要とすることであり、古代だったらそのへんの植物生物で食いつなげたろうけど現代人はそんなの食べれる免疫持ってない
っていうか今はそんな時代でもないし、ということで、
お腹が空いた時に誰でも無料でご飯が食べれるサービスがあっても良いんじゃないでしょうか
というシンプルな結論に落ち着きたいです。
本当に買う気あんの?
どんな情報商品でもそうだけどさ、買う気があるんならたぶん売ると思うよ。
本当に買う気あんの?
売り出されたら誰か買って再利用しやすい形になっていれば、駅のゴミ箱から雑誌拾うのと同じでしょって気持ちでいるんじゃないの?
売り場を増やすってことは、駅売店が増えるようなものと同じだけど、同じだけゴミ箱も増えるんだよ。拾うの目的と転売目的のチャンスも増える、管理範囲が増えるんだよ。
市場の大きさが倍になることで、大きさが倍になると、容積が倍になると表面積が何倍にもなるのと同じように、経費が乗算で増えていくんだよ。
本当に需要があってさ、買う気があるなら、そのプランを銀行に持ち込んだら銀行がお金か、出版社、作家に問いかけてみたら出資とか企画とか出してくれるよ。
そこで市場見込みと自分の読みたいタダ雑誌拾いを一緒にしたら、「今現在の出版会社規模で利益増大よりも損失が見過ごせない大きさになる」とかになったら、ふつう会社は手を引くでしょ。
今の商売と同じ儲けを、さらに倍の規模で得るとかなったら、今の商売の規模だけでいいでしょ。広げる意味ないでしょ。商売って啓蒙活動とか福祉活動じゃないんだよ。経済活動なんだよ。
むしろ市場を広げて人手が足りなくなって、経費がかさんで利益が縮小するとかになったら、何目的でやってるのか意味なくない?
福祉とか啓蒙とか、その元になってる経済活動の利益から必要損失分として捻出された予算で運営されているわけで、啓蒙活動や福祉活動本体自体が経済活動できるわけじゃないんだよ。
そこでさ、さらに「損をしてでも情報(商品)を伝える必要がある」とか言い出すなら、その損失を、出版社の仕事で生活している人に押し付けるのって無茶すぎでしょ。
出版社の人たちは(ある意味)ボランティアで情報を伝達してくれているので、保障や助成が必要、っていうなら、まだわからないでもない。
逆説的に言えば、生活保護で雑誌を買うのも、アリだろうとは思うよ。
売りのチャンスだって言うなら、どうやったら出版社が倍の規模で倍以上の収益が上がるのかってモデルを提示すべきでしょ。
売れないから、売ってないだけだよ。
日本のCMを外国でみたって何の意味もないでしょ。スポンサーになんて説明して資金調達するの。
ネットで売るとか、販売機会による市場調節を無視して、さらに各国の著作権等法律情勢にあわせた配信を管理するのとか無茶でしょ。
コンテンツロンダリングみたいなことになるでしょ。外国のサーバーならモザイク不要みたいな。
日本のキャラクターを冠した商品が外国で売れるなら、まず外国に企業を出して窓口を準備してから市場確保にキャラクターを使って切り込む。
その対象に成人女性ならドラマのスポンサーに、子供向けならアニメに、男性むけならバラエティに、とかどれだけの企画とキャンペーンが必要なの。
それを全部回収できるの?電子書籍って。納税先の違う商品を持ってくることに国がすんなりハイって言うわけ?
自分が買うって規模と、出版に係る人間の生活すべての資金とを比べたら、どう考えてもつりあわないでしょ。
出版に係る人間全員の生活資金総数より消費者数が何倍も大きくないとそんな企画動かせないんだよ。
「出版社の人間の生活の一部を削ることで、それに割り当てる事ができるはずだ」と、商品価値無視するなら
「外国にいってる間、日本の文化には触れることが出来ない」ってほうがまだマトモだと思うんだけど。
はっきりいってさ、情報を商品にしてるのってさ、報道側が「自分達は報道の義務がある」とかいう美辞麗句にのっけて商品価値を高めてるけど
ぶっちゃけ「金くれたら見せてあげるけど、俺情報もってるけど。金はらう?」って商売だよ。
知る権利、とかいう言葉があるけど、そんなの権利でもなんでもないよ。語呂がいいだけの単語だよ。
無料で情報流してくれてるのって、SNSブームとかに駆られて脳が煮えてる意識たかい人だけだよ。
というかさ、今まずどれだけの費用をその商品購入にいまあててるわけ?年に数百万も使っていてつらいから、とかいう話をまず書いていこうよ?
基本スペック
一人暮らしを始める際、「ずぼらな俺が4年間の一人暮らしでたどり着いた部屋作り&暮らし方http://anond.hatelabo.jp/20110828154004」を大変参考にさせていただいた。
次に異なる点
その他付け足し
あるとはかどる
僕は岐阜のド田舎から国立大学に進学してそれなりに大きい企業でIT系な仕事をしている。
実家に帰ると、中学までの同級生の大半が高卒などで就職し地元付近で働いている。
彼らの仕事もそれなりに収入はあるものの、自動車工場のライン工のようなタイプの仕事が多い。いわゆるブルーカラーだ。
そして日々向上心を持って、よりよいゴミ箱の配置やらを思案しつつ、地道に働いて立派に家族を養っていたりする。
これだけ地道に頑張っているんだから明るい未来が待っているでしょうと楽観したくはなるけれど
高卒で肉体労働ばかりで何十年も安定して生きるのは難しい。途中で昇格してホワイトカラーに成れるのは一握りだ。
生涯ブルーカラーの賃金で子供を成人まで満足に育てる事の難しさは年々悪化している。途上国などからライバルが次々と登場するから尚の事製造業は暗い。
割と先行きは暗い。こんなに真面目にコツコツと頑張っているのに。
改心して遊ぶのを辞めてコツコツと冬に備えるキリギリスは、所詮キリギリスなので寒さに耐えれずに死ぬしかないのかなと考えている。可哀想だ。
そんな大袈裟な話じゃない。好きの定義が曖昧って意見があったけど好きに定義なんてない。自分が好きだと思ったら好き。日常ちょっといいなと思ったことでいい。ちょっといい服だな、いい車だな、これ美味しいな、いい気分だなとか。何も難しくないし特別なことじゃない。世の中好きのハードルが高すぎるんだよ。あと範囲もせまい。昨日面白いデザインのゴミ箱見かけたんだけど。そういうのもスルーしちゃう。とかいうとまた難しく聞こえるかな?まずは簡単なことから始めたらいい。コレクションといってもピンとこない人は写真を趣味にするのもおすすめだ。日常いいなと思ったことをどんどん撮る。もちろん迷惑かけないようにだけど、とにかく沢山撮る。「好き」を集めるのはその写真を撮る感覚にすごく近いよ。
6時~7時:夫の食事の用意など
7時~8時:自分の食事など
15時~18時:買い物など
ちなみに夫が仕事の関係等で家にいないときはほとんどずっと寝てる。新聞すら取り込んでなかった。
そりゃ忙しいわ。まず効率的に動くことをしない
買い物に行くにしても食料品を買って家に帰ってきて「あ、そういえば」と別のものを買いにまた出かける。
廊下は人が歩かないところには(隅や角)埃が溜まっている。
リフォームしたキッチンも油が飛んで野菜の切れ端やらなんやらで既に汚れている。
流し台には食器が山積み。なぜか食料品の包装用ビニールまでも一緒に流し台の中に。すぐ横にゴミ箱があるのに。
捨てるのを忘れたのかすごい量のペットボトルがキッチンの隅に積んである。床に落ちたゴミもそのまま。
洗面台に落とした髪の毛はそのまま。風呂掃除は適当なので浴槽がぬるつく。
もちろん布団は万年床。
自分が実家にいるときはもうちょっとマシだったと思うんだけどなあ。ボケるような年でもないし、動くのが辛い身体ってわけでもないし。
もうルンバでも置いておくしかないかなぁと思ったんだけど、床に荷物をそのまま置くのでルンバがいても動けない環境だから意味がない。
本当にどうすればいいんだろ。もう疲れちゃったよ。
誰々さんのサービスぱねえっすー!みたいなワイワイコミュニティ
そのノリについていけねーやつは仲間じゃねーから、よそいけば?の風潮
成功したやつはこんなイベントにくるわけないので、明日のホリエモンを目指す凡人達が繰り広げる
傷の舐め合いパーティー
会合では、相手の言うことなんかへぇーへぇーとしか聞いてないような感じでその後、自分の営業トーク。
それぞれがよくわかってないレベルで、お互いのレベルを測りかねるため
とくに何を生み出すこともないし、名刺を交換しても、ゴミ箱に捨ててるのと同じレベル
講演者だけはチヤホヤされるがどこの馬の骨ともわからない人たちと仲良くするメリットもないし
実質は会合費のためや、知名度アップや宣伝のためにのみ行われる。
同じ穴のむじなであるはずの、似たような仕事をしているIT会社の役職がある人達が
結局は自慢大会と自社の営業トーク。仲良くしとこうという裏にはなにかあったら仕事を回せよという
意味合いと、何かビッグなことをやろうとしたら目を見晴らしてるからなという脅しの意味もあるのかもしれない。
出会い場の意味もあるのかもしれないが、女性の参加者数は低いため、だいたい毎回参加する
少数名の女性の取り合いになる
だと思うんだけど、他の国ではどうなっているのだろうか。
パリやニューヨーク等、欧米の大都市では、歩道や公園に、ゴミ箱がたくさんある。本当に至る所にある。
なぜか。
ゴミ箱を設置しなければ、そのへんにゴミをぶちまけるだろうという人間観があるからだ。
ゴミの収集を有料化すれば、なるべく負担額を減らそうとして、結果的にゴミの量が減るはずだ、ぼくって頭いい~とか役所の人は考えるのかもしれないが、それをたとえばパリでやれば、ほんとうにいろいろな人がいるので、無料でゴミを路上にぶちまけるだけだ。
いわゆるボカロ曲って歌詞が圧倒的に陳腐だから聞くに堪えない。歌詞が陳腐なせいでボカロ曲=聴くに値しないってなってた。例外は初音ミクの消失。「ここはきっとゴミ箱かな」がすごくいいので初音ミクの消失だけはとても好き。ここはきっとゴミ箱かな、以外は陳腐だけどね。最近、凡曲認定してた千本桜はいい曲だなと思い始めた。凡曲認定してた理由は歌詞。悪いとは言わないけど、耳慣れない言葉でごまかしてる感が好きになれなかった。でもH ZETT Mが千本桜をピアノで弾いてて、あぁこれいいなと思うようになった。曲はいいんだよ、曲は、歌詞があんまりなだけで。
なんていうかな、歌詞とかつけないほうがいいと思うよ、いい曲も台無しになっちゃう。ボカロ曲にしたいなら陳腐な歌詞つけないでメロディをラララララって歌わせてればいいじゃん。糞歌詞つけちゃう人達のせいでボカロ曲=糞っていう偏見持ってたよ。
>「トイレだけの利用はご遠慮してもらってるんですが」
オレもコレ言われてムカついたから、店の棚にあるオニギリ全部買い占めて、
http://anond.hatelabo.jp/20131204005116
たまに思うんだが、コンビニにまで来てその店と全く関係ないゴミ捨ててく奴って何なんだろうな。
俺はコンビニのゴミ箱って、その店で買った弁当とかを車の中で食ってその容器捨ててくとか(あまりしないが)、電池で動くもんの電池が切れたのであわてて新しい電池買ってそのブリスター捨ててくとか、そういう「買ってすぐ使うものの容器や包装紙」を捨てるためのもんだと思ってたんだが。
自治体にもよるだろうが、ゴミ袋なんてそんなクソ高い買い物でもないだろうし、ケチるようなもんじゃないだろ。逆にゴミ袋の費用が問題になる程ゴミが出るんなら、そっちの生活様式の方がよっぽど問題な気がするんだが…
娘はもうすぐ17歳になります。
そもそもの原因は、このバカ娘が部屋を片付けない、これに尽きるのです。
私はきれい好き、異常なほどのきれい好きではなく、ごく普通のです。
まず床が見えない。ドアを開けたら足を踏み入れる場がないのです。
何十という服が団子状態で床にころがったまま、
洋服ダンスの引き出しは、服がだらしなくはみ出して全て開けっ放し、
使用済みのティッシュが床に散乱、ベッド下は食べ残しの食べ物((お菓子はもちろん、
ケンタッキーフライドチキンの骨とか腐ったサンドイッチ、果物とかもあったりします)
靴下、アクセサリー、紙切れ等挙げたらキリがありません。
引き出しの中に汚れた下着、使用済みの生理ナプキン(汚すぎてスミマセン)を見つけた時には閉口しました。
飼ってる犬が何やら口にくわえて嬉しそうに出てきました、まさかの使用済みパンティライナー...
部屋を片付けろ!のバトルが始まって6年ぐらいが経ちますが、その時は一応片付けます。
でも翌日には元通りです。
もうあまりウルサく言うのは止めようと思い、ここ何年かは1ヶ月ぐらい放っておきます。
でもたまたま娘に用があって部屋を覗くと、つい怒ってしまうの繰り返し。
これが娘を嫌いな原因ですが、それに加えて娘は13歳の頃から部屋にこもりっきり、
ごはんの時しか顔を合わせない、週末は友達や彼氏と映画に行ったり買い物に出かけたり、
それは別にいいのです。この年頃で親にくっついてる方が心配です。
が、部屋を片付けない、話しかけてくる時はお金が欲しいときだけ、
ほとんど家にいないことでだんだん娘への愛情が無くなったような気がするのです。
たまに食卓で娘と私の2人きりになる時があったりすると、その場にいたくありません。
家の中ですれ違っても目も合わせたくありません。口をききたくありません。
旦那は部屋が散れてようと、別に何とも思わないみたいです。(旦那も片付けない人)
だから娘に特別怒る事もない、だからでしょうか、食卓で娘が相手を特定せずに話する時は
旦那の顔を見て話します。あちらも私を嫌ってるということなんでしょうね。
でも嫌っている反面、今日は娘の好きなお寿司を作ろうとか、お腹すかせて帰ってくるから
アップルパイ作っといてあげようとかもあるんです。
これって、嫌いではあるけれど愛してはいるってことなんでしょうか?
娘が大きくなったら友達みたいな関係になりたいと夢見ていました。
自分の娘を嫌いとは、なんて悲しいくてショックなことでしょう。
こんな私は異常ですか?
ちなみに息子2人もいます。14歳と10歳です。
下はまだ小学生でかわいいですし、上の子は思春期に入ってますが、
部屋は娘のと比べれば宮殿のようですし、娘と違ってよく話しかけてくるし、
いっしょにゲームをやりたがったり、皿洗い手伝おうか?とかもあって大好きです。
これから私は娘にどのように接していけばよいのでしょう?
部屋のことにガマンして目をつむって怒らないようにすれば元に戻るでしょうか?
これは自慢話というか手柄話というか、そういうものである。ところどころのろけ話でもあることも自覚している。そんなものを長々と書くのはあまり美しい行為ではないが、それでも一度でいいから誰かに話してみたかったし、かといって「自慢とのろけとかウゼー」とリアル知人に思われるのも怖かったしで、増田に書くことにしたわけだ。
彼氏と付き合い始めた時、すぐに私は「この人片づけができないのでは」と疑うようになった。
実家住まいだった彼氏は、一人暮らしの私のアパートにしょっちゅう遊びにきて、それは嬉しいし楽しいしどんと来いではあったのだけど、彼が帰ったあとの部屋は異様に散らかっていた。
牛乳やジュースを冷蔵庫から出したらそのままで戻さない、ゴミはゴミ箱に捨てたり捨てなかったりで、食べカスが散らかるのは全く気にしない、彼氏はそういう人だったのである。
別にそんなことは気にしないでいたのだが、いろいろあってある日、彼氏が我が家に転がり込んできて、そのまま一緒に暮らすことになった。
そうなってしまうと話は変わってくる。彼氏の片づけられない男っぷりは私にとって無視できない問題となった。
とりあえず、さりげなく訊いてみる。
彼氏は料理がうまい。本当に美味しいものを作る。素晴らしい。愛してる。だが生活は食事だけで成り立つものではないのだ、残念ながら。
「そ、掃除は? 片付けとか、そういうのは……?」
「そっちは覚えてない。おれ、散らかってても全然気にならないんだよね。別に部屋汚くても困らないし。ただ引っ越す時、部屋の床を張り替えなきゃならなくなって、金はかかったな。まー、男の一人暮らしだと、どうしてもねえ」
違うぞそれ、男の一人暮らしがみんなそうなわけじゃないぞ、君の汚し方は並じゃないんだぞ自覚しろ。
あー、なんか、これヤバイ。
親切でおおらかで思いやりのあるこの人の美点を、このままだと私、ゴミに埋もれて見失う。
とはいえ、口うるさく片づけをせっつくのは下策であろう。
私は欠点が多い人間で、人様から大量に注意されているのでわかるのだが、注意されてすぐに行いを改められる人間というのは、稀である。
悪気がない振る舞いをたしなめられるとやっぱりちょっとむっとしてしまうし、無意識のうちにしでかす失敗は無意識ゆえに直しづらい。
ところが注意した側は行いの改まらない相手を見て、ぜんぜん直ってないじゃん、何回同じこと注意させるんだよコノヤローとか思うんである。
それに、もしも注意された彼の心がじゅうぶんに素直で美しく、すぐさま反省してくれたとしても、私はたぶん不満を抱えるだろう。彼と私では「きれい」「きたない」の基準がだいぶ違っている。彼が自分なりの「きれい」を達成したとしても、私はそれを「きれい」だとは思わないはずだ。そうなると努力が無視されて彼は傷つくに違いない。
そしてそんなことを繰り返しているうちに二人の関係はこじれ、隙間風が吹くようになるかもしれない。それは困る。口うるさくなるのは出来る限り避けようと、私は心に決めた。
かといって掃除と片づけをぜんぶ私がやるというのは嫌だった。私は掃除大好き人間じゃない。どっちかといえば嫌っている。そんな人間が今まで以上に掃除と片づけをやることになったら、彼氏のせいで私の負担が増えたチクショーきさまいつか殺すぞとか、その手の悪しき想念を抱くようになるであろう。結果として愛は儚くも失われることになる。これも嫌だ。タスクを大量に抱え込んだ上に我慢できなくなって関係破綻とか、骨折り損のくたびれ儲けすぎるではないか。彼も私もなるべくストレスをためずにすむ、そういう方策が必要だった。
悩んだ私はしばらくの間、彼氏の観察に徹し、その結果あることに気付いた。
彼氏は缶コーヒーを燃料にして走るアメ車みたいな男で、とにかく毎日飽きもせず缶コーヒーを飲む。
そして空き缶をそのへんに散らかす。
私はこの空き缶を始末するのが、一番嫌だった。怠惰な私はビン・カンゴミの日も朝寝したい一心で、缶の飲料は家では絶対に飲まないようにしたのだ。どうしても缶ジュースが飲みたいときは買った店の外で飲んでその場のゴミ箱に捨てる、そんな日々を送っていた。
これが他人からはバカみたいに見えるルールだという自覚もあったので私は何も言わず、結果として彼氏は毎日勤勉に缶コーヒーを飲み続け、空き缶をせっせと生産した。空き缶は時々横倒しになって、底の方に残っていた飲み残しがあちこちにこぼれた。缶を拾うと手がべたべたしてコーヒー臭くなり、お気に入りだったソファのカバーにはコーヒー染みがついた。
この問題は早急に解決の必要がある。私は再度、聞き取り調査を行った。
「なんで床を張り替えることになったの?」
「おれ、昔はマンガ雑誌をすごくたくさん買ってたんだよね。そんで捨てるのがめんどくさいから、全部部屋に置いてた。積むと邪魔だから床にマンガを敷きつめて、マンガの上で暮らしてた。そんで空き缶とかそういうのも適当に散らかっていたから、こぼれたジュースとかがマンガに沁み込んで、床板に貼りついちゃったんだよね」
頭がくらくらするような話ではあったが、そこには貴重なヒントが含まれていた。
彼はゴミが多ければ多いほど嬉しい、ゴミの中でこそ安らげるゴミフレンドリー人種ではないのである。大量の雑誌が積みあげられれば、彼といえども邪魔に感じるのだ。
邪魔に感じた結果、どうするのか。彼は「ゴミを薄める」のだと私は直観した。うずたかい雑誌タワーは、不安定で危なっかしくてとてつもなく存在感がある。存在感あふれるゴミを彼は無視できないのだ。
そういえば、彼はコーヒーの空き缶もそこらじゅうに散らかす。決まった場所に捨てるわけではなく、あっちゃこっちゃに置く。かき集めたら小山を作るであろう量のゴミも分散されることで目立たなくなる。つまりあれもまたゴミの存在感を薄める行為なのだ。
ならばこの先ゴミを薄めさせなければよいのだ。私はそう確信した。
薄められないゴミはいつか彼の我慢の限界を超えるだろう。そうなれば彼は何らかのアクションを起こすのではないだろうか。そのとき私は彼のアクションを「ゴミ出し」という形に限定させればいい。これはさほど難しいことではないだろう。雑誌を部屋に敷き詰めるなど、彼の行ってきた数々の薄め動作は、実はけっこうめんどくさい作業だ。そんな面倒なことができる彼ならば、集積所にゴミを運ぶくらいのことも、軽くこなせるはずではないか。
私はかつて、誰かに書類仕事などをやってもらう必要があって、頼んでもなんとなく先延ばされてしまうとき、相手の椅子に書類を置くという手法を編みだしたことがある。
机に置いてはダメなのだ。机に置いたものはなぜか適当に積み上げられたり、引き出しの中に追いやられたりしてしまう。
椅子に置くことのメリットは、相手が必ずその書類を手にとる点である。座ったらそのまま手の中の書類を処理してくれるような幸運に恵まれることも、珍しくない。
もちろん、確認後そのへんに書類を置き、またしても先延ばしにされることはよくあるが、焦る必要はない。相手が席をはずしたら再び書類を椅子の上に置き直せばいいだけだからだ。何回か繰り返せば相手も、さっさとこの仕事を片づけて心おきなく椅子に座りたいと考えるようになる。。
当然のことながらこの椅子置き手法がカンにさわって怒り出す人もいるし、うっかり書類の上に座っちゃう人もいるので、実行の際にはいろいろ見極めが必要となるが。
私はゴミ薄め妨害作戦に、この椅子置き手法を応用してみることにした。ゴミ出しや片づけの時に部屋中から集めたコーヒーの空き缶を、彼が使っている座イスの周りにぐるっと置くようにしたのである。
やってみていいと思ったのは、空き缶をすすいで水切りしてゴミ袋にいれる手間が省ける点だ。彼氏の座イス周りに缶を置けば、もう私のゴミ出しタスクは完了である。らくちんじゃないか。
ちらかっているのが気にならないと言いつつ彼は、私の片づけの邪魔はしない。あたりがさっぱりするとにこにこしながら自席に戻る。
最初のうち彼は座イス周りの空き缶をまるで気にしなかった。すとんと座るといつも通りに本を読んだりテレビを見たり話をしたりしながら、ゴミを室内に薄めていく。半ば無意識の動作らしく、ひょいひょいと本棚だのテレビ台だの靴箱の横だのに空き缶を無造作に置いていく間、彼は自分の手元をほとんど見なかった。
けれどある日、彼は座イスに座ろうとした瞬間に、
「うわっ」
と声をあげた。
数えたので知っているのだが、そこには空き缶が26本あった。数本の空き缶ならば気にも留めずに再度の薄め動作を行っていた彼氏だったが、さすがにその量の空き缶は、気に留まってしまったのである。
「なんでこんなに空き缶がいっぱいあるんだ。これぜんぶおれが飲んだの? 飲んだんだよな」
「ごめんね、一緒に暮らすなら、自分の片づけは自分でしたほうがお互いの精神衛生上いいかなって思ったの。だからあなたの空き缶だけ片づけなかったの」
「そっか、今までこういうの全部、片づけてもらっていたんだな。気付かなかった、こっちこそごめん。ちゃんと自分でやるよ。この空き缶、どうすればいい?」
そのとき初めて知ったのだが、彼が今まで片づけや掃除をしなかったのは、「どうすればいいかわからなかった」かららしい。
ゴミ箱には普通ゴミしか入っていないから、空き缶をどこに捨てればいいかわからない。
ゴミ箱がいっぱいになってそれ以上ゴミが入らない状態のときは、何をどうするのが正解?
悩んでいると私が片づけてしまうので、「わかる人に任せればいいか」と思うようになったそうなのだ。
一人暮らしの時、マンガ雑誌を大量にため込んでいたのもどうやら、住みなれない土地で古雑誌をどうするのがいいかよくわからなかったのが原因だったそうで。
実家では彼はゴミ出しにまったく関わっていなかった。ゆえにゴミは朝に出すものとか、資源ゴミと普通ゴミと不燃ゴミは回収の曜日が違うとか、自治体によってゴミの区分や回収の頻度は異なるとか、そういうことを彼はぜんぶ知らなかった。実家にいる間はそんなことを知らなくてもゴミはいつの間にか処理されていた。だから彼は、生活にはゴミ出しが必要とか、そのために知らないことをわざわざ調べなきゃとか、そういう発想をしなかったのである。代わりに彼はゴミを薄めるという手法を編み出し、洗練させていったのだ。
料理と洗濯ができるのはなぜか、というのも理解できた。彼は服が好きで、美味しいものに目がない。だからこそ、料理と洗濯だけはやらなきゃいけないという「必要」を感じて、スキルを身につけたのだろう。もしも食にも服にも無関心なタチだったら、彼の部屋はもっと酷いことになっていたのかもしれなかった。
彼が薄めたゴミを私が濃縮還元したことによって、彼は初めてゴミ捨ての「必要」を感じたのだ。空き缶の捨て方を皮きりに、片づけや掃除に関する知識を、彼は徐々に蓄えていった。
ちなみに、彼は小学校から高校までエレベーター式の私立校出身者なのだが、そこの方針で校内の掃除をしたことが一度もないそうだ。アニメなどで掃除当番という単語を見るたびに「物語をすすめるための特殊設定の一つなんだろうな」と思っていたというから驚きだ。「雑巾の絞り方」を、彼は成人するまで知らなかったのだという。私は貧しさゆえ学校と名のつくものはすべて公立でまかなったのだが、雑巾の絞り方は学校で習った。金持ちと庶民では受ける教育が違うのだということを実感した私は、彼がつい掃除や片づけを面倒に感じてしまうのも無理はないな、と思った。
その後、彼は片づけや掃除に、きちんと取り組むようになった。素晴らしい。愛してる。
元々彼は、器用でテキパキして要領がいい。気配り上手で、頭の回転が早く、何をやらせてもすぐに大抵の人よりうまくこなせるようになる。そういう人間だ。
掃除も片付けも、あっという間にできるようになった。びっくりするくらい素早く部屋を片付けて掃除機をかけて、窓ガラスまで磨いちゃったりする。
床に敷き詰めたマンガ雑誌の上で暮らせるくらいだから本質的には綺麗好きというわけではないので、たまにものすごく散らかしたり汚したりするが、それはもう愛嬌みたいなもんである。
そして数年が経ち、彼は私の夫となった。
「脱いだ服を出しっぱなしにしない! その場ですぐたたむ!」
「ティッシュを何枚もなんとなく持ち歩くのやめなさい! みっともないからすぐに捨てて!」
「書類仕事は先に延ばすとだるくなるから、すぐにやりなさい! だめ、終わるまでここで見張ってます!」
今の私は、毎日とまではいかないがかなりしょっちゅう、夫に糾弾されている。
そもそも私は、綺麗好きではないし、しっかりもしていない。むしろ世間的にみれば、ややだらしないほうと言えるだろう。そういう人間だからこそ、空き缶大量生産マッシーンみたいな男性と付き合えたのである。私が潔癖症だったら、絶対に夫とは結婚していない。
つまり、私のだらしなさこそが二人の仲を取り持ったとも言えるのだ。もうちょっと寛大にしてもよいではないか夫よ。
「調味料は使ったら棚に戻す! 『めんどくせーなー』とか思わない! 顔に出てるよ!」
従順に片づけているのだから、内心の自由くらいは担保させてくれないか夫よ。
「洗濯物の干し方がなってない!」
「服のたたみ方が下手!」
この人けっこう口うるさいよな。昔はそんなことなかったのに。遠い昔、ややだらしない女を心広く許容してくれた優しい彼は、もういないのである。
あーあー私だって言いたいことあるけど口うるさくするのはやめようって、けっこう我慢してるんだけどなー。
ということはよく思う。なので喧嘩になる時もある。だけど。
「ほんとは掃除とか片づけ嫌いでしょ? 放っておけばいいのにとか、思うときない?」
ずっと昔、私はそんな風に訊いてみた。
「一人だったらそうかもしれない。けど部屋が片付くとあなた本当に嬉しそうだからねえ。だから片づける。それに今はおれ自身、片付いてる部屋のほうが好きなんだよ。これはあなたのおかげだなあ」
と答えてくれた夫はほんとに男前であるなあ、と思うのである。私のために片づけや掃除をしてくれるのかと思ったら、かなりじーんとくるではないか。
なので、夫の口うるささは時々嬉しかったりする。だってこの人、私のために言ってくれてるんだもんね、と思えるから。それでも喧嘩になってしまうときがあるというのが、私という人間の器の小ささを物語っているが……
というわけで私は時々、椅子置き手法によるゴミ薄め防止作戦を立案・実行した過去の自分を、誉めてやりたい思いに駆られるのである。今日の幸せは、かなりの程度貴君の活躍によるものだ、えらいぞ、よくやった! そんな言葉でねぎらいたくなっちゃう思い出である。
もちろん一番偉くてよくやったのは、別人のように家事スキルを向上させた夫である。素晴らしい。愛してる。
とりあえずそういう夫に見捨てられることがないように、私も自身のだらしなさを払拭すべく、がんばっているつもりである。
だらしない女と片付けられない男で、たぶん私たちは割れ鍋に綴じ蓋ってやつなんだろうけど。
この人と一緒にいられるんだから、かえってそれでよかったよな、とか思ったりもするんである。
ところでこのコトワザ、鍋と蓋、どっちが男でどっちが女なんでしょうね。ま、どっちでもいいか。
どうも。会話ベタだった自分が人と話をする際に実践・意識してることを具体的に書きます。共感が大事!とか言ってる会話本はさっさとゴミ箱にぽいっとしちゃって下さいw もっと具体的なコミュニケーションの裏ワザを。目からウロコがボロボロ落ちることを期待して書きます。笑
◯僕がやってることそれは、「ノリで相槌を打つこと」と「決めつけること」。ノリで相槌を打つ…とかいうと、「はぁ..俺ノリ悪いしな、無理だわ、リスカしょ…」みたいな人が出かねないから言葉を変えると、「ニュアンスで相槌を打つ」ということ。
友「俺、A◯B好きだわ。まじサシコ可愛いわぁーー」
俺「ぅん…(俺好きじゃないし、リスカしょ..)」
…ではなく。笑
友「俺、A◯B好きだわ。まじサシコ可愛いわぁーー」
俺「えー指◯?w」
これだけで良い。あるいは、あー指原ね(↓)、とかあー!指原ね(↑)とか。
◯大事なのは、このえーーーwとかあーーとか。 ここに感情を込めてやる。上手いこと言おうとか思うと、「指原のどこが好き?」とか言葉にしようと思うけど、そこに感情が乗らないと、相手は質問(尋問?)されてるように感じる。最悪そのまま「俺興味ないわ」とかね。ぶつ切りにw これが指原だったらいいけど、具体的に会話ってなると言葉を選びすぎてあーーーーってなる人多いんじゃないかなw
そういう人に知ってほしいのが、ニュアンスさえ上手く伝えられれば、「極論何を言ってもいい」ということ。言葉なんて選びすぎるな。その代わりに面白おかしく感情を乗せてやれ。メラビアンの法則を信じよう!w ネットだってそうじゃん?とりあえずwwwとかつけとけば会話になんじゃん?そんな感じ。
これが出来れば、相手が話上手だった場合、会話続くし、あなたが自分の意見のない・言えない話下手でも「会話上手」にはなれる。でも、みんながみんなそうじゃない。
相手が話下手だったらどうするよ?
◯そこで次に大事なのが、「決めつける」ということ。
友「俺、A◯B好きだわ。まじサシコ可愛いわぁーー」
俺「ぅん…(俺好きじゃないし、リスカしょ..)」
…ではなくw
友「俺、A◯B好きだわ。まじサシコ可愛いわぁーー」
俺「あー指◯?w 顔ね!?」
これだけで良い。別に顔とは言ってない。声かもしれないし、内面かもしれない。でも、これでいい。ここで変に、指原のどこが好きなの?とか言わなくていい。(言葉浮かぶなら言ってもいいけど)
オープンクエスチョンとクローズドクエスチョンってあるじゃん?
前者は相手に答えを要求するもの。後者は、相手にyes、noを答えさせるもの。これを普通の会話に応用してやる。ここで顔だった場合、そうそう可愛いんだよな! いや、顔じゃなくてさ、、声がもう!
相手の意見を勝手に引き出せる。相手もyes・noのノリで答えられるから考える必要がなく繋がりやすい。ここで笑いも生み出しやすい。あーーあのエクボね!?笑的な。(あれ、指◯にエクボあったっけ?←) 適当話すなって思うじゃん? でもこっちが決めつけて偏見持ってるという意識があるだけに、相手の話は聴きやすいよ。逆説的だけどね(キリッ
◯で、会話が一段落しますー。あーーやべ、話題が切れちゃった…。やっぱ俺話下手だわ。あるいは、やべ初対面で何話したらいいのかわからないわ。(リスカしょ..)はい、心配ご無用!w ここでもまたコールドリーディングよろしく「決めつけ」ればいいんです。
俺「友って、肉じゃが好きっしょ?w」(ここでも感情含めてやれば極論何言ってもいいよ)
(ここで「最近テレビ何見た?」とか「休みの日とかって何してんの?」とかって「話題」考えると俺は途端に頭がフリーズするからね。)あるいは、俺「◯◯さんって、A型?笑」とかね。
そこでボケればいいんです。あれだもん、肉じゃがに入ってるいんげんが好きそうな顔してるしな!とか、服にシワ1つないからさ!とか。(え、後者はボケてないだろって?そこはご愛嬌。笑)
「血液型」「職業」「好きな食べ物」「好きなキャラクター」「趣味」…。決めつける。(逆説的だけど、自分が偏見から入ってるから相手の話は聴きやすいよ。パラドキシカルだけどね(キリッ ただ、ここで相手を決めつけない、カテゴライズしすぎない)
会話って、こうやってノリで繋げていけばいい。大事なのは、感情のやり取りと面白さ、その場を楽しもうという気持ち。(もちろん聞きたいこと、話したいことがあるならそれも) ボケ具合といじり具合は相手との関係性で調節しつつ。
肩肘張ってしまう人は、てきとーに話してみて。その楽しさがわかれば、もっと色んな人と話したいなーって思うはず。そして、人に興味ないとかって思う人は、とりあえず知のわらしべ長者になってやる、とかゲーム的に楽しめるといいかも。ご当地のマイナーキャラクターを調べるとか。
会話に対する苦手意識が減れば、対人緊張も減ると思う。緊張取れれば言葉自体もスムーズに出てくる。確かに、マインドセットも凄い大事だけど。(この辺は機会があればおいおいとか言いつつ書いちゃったのでよかったらこっちもどうぞ。笑→「会話ベタ」は「共感」を意識しないほうが良いというお話。)そして、自分に興味を持ってくれる人がいないなら、ネットで探してみるのもあり。特に、初めから「男女の関係」として入れる異性とかは興味持ってくれやすいし、仲良くなりやすいと思う。
※本文中に出てくる人物(指原)はフィクションであり、某超絶人気国民的アイドルグループの指原莉乃さんとは一切関係ございません。
まだ非正規だしいつ辞めろと言われるかわからない状態。
さてここから本題。
キモい話かもしれないけど、出社初日に戸締まりの仕方やゴミ分別の仕方もろもろを教わった。
そこでトイレに案内され、ある事に気づいた。
備え付けのゴミ袋が無い。
社員さんは各自でこっそり持ち帰って使用済み生理用品を処分していると打ち明けた。
入社早々働く意欲失せた。
小学校のトイレにだって備え付けのゴミ箱があるのにあり得ないだろう。
ただでさえ体調が優れなくなる一週間を過ごさなければならないのに
コレは正直キツさマシマシ。
働きたくない
追記:掃除は女社員しかやらないし汚物捨ててくれとは思ってない。
いちおう臭わないよう袋二重にして持ち帰ってるけど周囲に臭っていそうだから嫌なんだ。
まず、iPhoneで入力しながら、こんなことを書くのを恥ずかしく思う。
・近ごろのAppleが好きだった
Appleの製品は、新作が出るたびに心臓が高鳴って、とても欲しくなった。それだけに、先日の新作の発表から発売を眺めていて、ガッカリした。それぞれこんな印象を受けた(ゴミ箱については持っていないからなんともいえない)
iPhone5s 「みて!超美しいでしょ!」
iPad Air 「減量したの!」
Appleは、中身が最先端で最高であってこそのデザインだと思っていた。それが、iPhone5と中身はほとんど変わらずに衣替えして5万払えって、着せ替えケータイもびっくり。
極め付けにがっかりしたのが、iPhone5sのCMだった。女性が軽快なリズムの音楽に合わせて歌う。チョコレートかと思う焼ける鉄の塊から切り出されたものは、美しいiPhone5sゴールドの姿・・・。(というウットリ設定だが、これがSoftBank、au、docomo三社が同じCMを連発するのだから萎えてしまった人もいると思う。)
このCMでは「iPhoneのデザインって最高でしょ!?見惚れちゃうでしょ!?」としか言っていない。けどそれでいいのだ、デザインのことしか言ってないんだから。つまりデザインしか売るポイントがないということと理解した。iPhone5sなんて、iPhone5の背面を金色に塗ってホームボタンに金のリングつけただけにしか見えない。
この間、映画スティーブ・ジョブズを観てきたが、経営者が電気や伝説になってしまった会社は、ずっと伝説を追いかけてしまい、迷走するのだと思った。ホンダがいい例だと思う。
バーバリーのCEOがAppleに来るとは、ブランド戦略により力を入れるということだが、中身がどうやって動くのか理解してない指導者の下でいいチームが出来るのか。開発者は言うことを聞くのか。
・Appleの今後
AppleTVの新作も、iwatchも一向に出ない
Appleの暗黒時代は1年以内に再びやってくるだろう。株価にはすぐに表れるだろう。なぜなら、AppleのiPhoneは4sですべてが完成されており、iPadは2で完成されていた。繰り返すがゴミ箱のことは知らない。
これを読んだ。→http://yorikanekeiichi.com/have-the-right-to-escape-to-the-mother-5102.html
自称イクメンが、実際にはろくすっぽ家事も育児もしてなさそうだとして、ブックマークではフルボッコだ。
→http://b.hatena.ne.jp/entry/yorikanekeiichi.com/have-the-right-to-escape-to-the-mother-5102.html
ところで、実際に子供がいる家庭でなければ、父親が実際にどれだけの家事育児を行っているのか、ピンとこないのではないか。
僭越ながら、私の事例を紹介してみよう。
世間標準というつもりはないが、父親の家事育児参加の一例として見て欲しい。
私の基本スペック:42歳、事務職、今年の年収予定720万円(額面)、妻(35歳、事務職)、息子(2歳、保育園)
5:00 起床。30分ほどジョギングしてからシャワー&ひげ剃り。後は読書やネットなどの自由時間。
6:10 朝食&妻のお弁当作成(妻の職場は近くに昼食を摂れるところが少ないので、私が作る)。
6:40 食事の支度が出来た頃、妻と子供が起床。妻が自分の身支度をする間、息子の身支度や遊び相手をする。
7:10 朝食。食事しつつ息子にご飯を食べさせる。終了後、食器を水に浸けておく。
7:30 妻が出社。息子の相手をしつつ風呂掃除とトイレ掃除or玄関掃除をした後、ルンバをかけるために椅子やゴミ箱等の家具や荷物を片付ける。
食器を食洗機にセットする。
8:00 息子の歯磨きと着替えをし、保育園へ出発。ルンバのスイッチを入れるのは息子の役目。
保育園への送り迎えは私の役目。片道10分のサイクリング。消防署や工事現場に寄り道し「はたらくくるま」達を息子に見せる。
保育園に息子を預けた後、自転車で取って返す。職場は家の近くなので、家に戻るようなもの。
8:30 業務開始。保育園へのお迎えがあるので、昼休み中も仕事することがほとんど。
17:00 業務終了。何があろうとここで一旦終了。どうしてもやらなければならない仕事があるときは再度夜に出社する(後述)。
17:15 保育園で息子を引き取る。お迎えが遅くなるときは事前に連絡しないといけない(保育士さんの配置の都合上)ので、結構気を遣う。
17:30 家に到着。ただし、そのまま入ることはまれで、大抵近所の公園で遊びたがるので連れて行き、少しだけ一緒に遊ぶ。
18:00 今度こそ帰宅。お風呂にお湯を張りつつ夕食の支度。この間、息子はアンパンマンor新幹線のDVD
18:30 夕食の準備があらかた終わったところで、息子を入浴させる。最近はコップで掬ったお湯を私の顔にかけるのがお気に入り。鼻が痛くなる。
19:00 入浴が終わり、息子に服を着せ、翌日の保育園の支度をし、洗濯機をセットしたあたりでに妻が帰宅。夕食へ。食事しつつ息子にご飯を食べさせる。
食後は主に子供と遊ぶ。ミニカーやブロック、お絵かきなど。保育園で何したかなどの話もする。洗濯が終わったなら、洗濯物を干す(大抵夜中に部屋干し)。
20:30 ベッドに連れて行き、息子に絵本を読み聞かせる。最近の息子のお気に入りは「ももんちゃん」と「14ひきのひっこし」の各シリーズ。
21:00 息子の歯磨きをした後、家中の照明を消して寝かしつけをする。大抵は一緒にそのまま寝てしまうが、万一起きていられたときは、この後少しだけ自由時間。
ただし、仕事が残っているときは、寝かしつけは妻に任せて出社。仕事が長引いたときは翌朝のジョギングは休み。
平日は大体こんな感じである。休日はこれに加え、息子を公園や図書館に連れて行ったりするということが追加される。
得手不得手もあるし、仕事の都合もあるだろうから、全ての家庭で父親がこのとおりに家事育児をしているというわけでは勿論ない。
一つの参考として見てもらえればいいのかな、と。