タイトル、ナントカ生放送を意識した結果、まるで数日前とかに初参加したかのような響きになってしまいましたが、何年間でのできごとです。(・∀・)
幼い頃から郊外に住んでいる自分は、ホームレスなんて全然身近な存在ではなく、
ダンボールで寝てる人、ビニールシートのおうちは、たまに親に連れられ都市部に出てきたときにだけ目にしていました。
親に見ちゃだめと言われて手を引かれるため、すました顔で通り過ぎるようにはしていましたが、心の中では興味津々、見ちゃだめなんて言われたらもうより関心が…
そして小学6年生になった私はある日、駅ビルでオムそばを買ったのですが(唐突)
それが思ったより口に合わなかったため半分くらいを残して駅のゴミ箱に捨てたということがありました。
すると…しばらくして知らないおばさんがゴミ箱を物色し始め、私のオムそばやその他の食べ物のゴミを持ち去ったのでした…
自分のきたない食べ残しを持って行かれた…それはそれは子供ながらにショックな出来事でした。
そんな物を食べないと暮らしていけない人がいるということへの実感も湧きましたが、正直、自分の食べ残しを人に食べられるという生理的な嫌悪感が大きかったです。
その感情を払拭するため、小学生の私が行ったことは、路上で寝ている人に、コンビニおにぎりを配るという妄想でした。小学生らしい意味不明さです。
それはもちろん妄想に留まり、私の第一次ホームレスへの関心期は終了したのですが、時を経て人生のモラトリアムに突入したとき、たまたまボランティア募集のビラに巡り合い、珍しい物見たさもあって
炊き出しに参加してみようと思い立ったのでした。
・NPO法人主催、週1で公園にて実施。(公園使用の許可は得ている。)
・200人前後の人が食べに来る。9割8分が男性で年配者が多い。(小学生の経済力ではコンビニおにぎりを行き渡らせるのは無理だったと改めて感じた。)
・若者は目立つため、列に並びにくいかも知れない。
・配るのはカレーライスと福神漬け。容器は使い捨てではない給食風のお皿。
・調理組と配膳組に分かれている。お昼に調理組が作ったカレーを、夜に配膳組が搬出して公園で盛る。(私はいつも後者。)
・食品に対しての衛生管理は頑張っている。三角巾、マスクに手袋の装備と消毒液が必ず準備されている。
・ホームレスがホームレスに見えない。ぼろぼろでロン毛の異臭を放つホームレスらしきホームレスというのはほんのひと握りで、小奇麗な服装をしているし、ひどい臭いもしない。
・主催者が「憲法第9条を守ろう」って背中に書いてあるジャンパーを着ている。(なんかいるよねそういう人たち。うん、たしかに憲法9条は大事だね。)
・ただのNPO法人の運営かと思ったらキリスト教の関係者がやっていた。キリスト教のNPO法人だった。しかし、聖職者と信仰者がボランティアをしている事実だけで、現場に宗教色は一切なし。
・ボランティアも残ったカレーが食べれる。炊き出しが終わったあとにボランティアのみんなで食べた。(ホームレスと同じ食器だったから本当はいやだtt…)
・立つ鳥跡を濁さず。公園を借り続けるためにも、現場のゴミ拾いには徹底している。
・てんやわんや。場所を借りる時間が定まっているのか、単に現場の人がせっかちなのか、準備から片付けまでがとても慌ただしい。(理由は今も不明。)
・行き当たりばったり。主催者による事前説明やミーティングなどの、本来組織が機能する上で執り行われるべきやりとりがされない。目が合った人同士などでの軽い自己紹介などはあれど、
全体的な挨拶などもないために誰がどういう立場でボランティアに参加しているのか判断できない。その日に何か変更がある場合は、配膳開始直前などの慌ただしい中で伝達され、
初心者は、わからない点どころか行う作業の一から十までを経験者に聞かなければならない。
不便だと思うのですが、何らかの意図があるのでしょうか。(問いかけ)
・並ぶのはホームレスだけじゃない。無料で洗濯や入浴できる施設や理容サービスが存在していて、これが小奇麗なホームレスのたち真相だが、列の中には普通に家のある生活保護や年金受給者も多い。
その結果、受給日前の月末にかけて列が長くなり、配膳数は1.2~1.5倍になる。
なぜ彼らはその取り分で生活できないかは謎である。アルコールやギャンブルに使い果たしてしまうのも一つの理由でしょうが、慎ましく生活していても足りていないのでしょうか。わかりません。
また、高齢者にとっての病院みたいに一つの社交場として実際そんなに困ってないのに遊びに来ている人もいるかと思われます。(笑)
・並ぶ人の中には、身体的、知的、精神的に問題ある人が多い。声をかけてもうまく意思疎通ができない人が多い。
・識字率が100%ではない。掲示物や配布されるお便りなどの全文がひらがな表記だったり全ての漢字にルビが打ってあったりする。
・空気的に身の上話は聞きにくい。彼らが今に至った経緯は貧困問題を理解する上で貴重な情報ですが現場が明るい雰囲気のために深刻な事情に踏み込むのは難しい。
・年配ゆえに少食な人がいる。わざわざ並んでたったそれだけでいいの、、、ってなる。
・ご飯をもらう側の人がボランティアを手伝ってくれる(笑)。多分本人が勝手にやってるんだけど並ぶ人の中にご飯を食べる傍ら車の荷物を運び出したりなど積極的に働かれる方がいます。
食器洗って返すまでが炊き出しで、食べ終わったお皿は公園の水道で汚れを落としてから返却します。カレー配りに専念していると、こういった周りの状況をすぐに知ることができませんでした。
・後始末の方法が汚い。
残飯処理や公園内の清掃時などに、若干ですが素手で汚物に触れなければならないタイミングがあります。触ったあとに手を消毒できるのであれば良いのですが、そのような環境は用意されていません。
いつもその作業を行っている方は気にしないのか効率を求めて割り切っているのかわかりませんが、私は基本違う作業に徹します。
・食品に対しての衛生管理は頑張っている。その2。一度でも外に運び出した食器類は、未使用でも全て洗う。
・年間の予算は約400万円。
・一番近くの路上生活者は並ばない。長く参加している間にだんだん常連さんなどの顔を覚えていくわけですが、なんとその中に、その公園周辺の路上に住まう方々の姿がないことに気づきました。スッテーン。
おうちを訪問してお話を聞くと、彼らは何らかの形で収入を得ており、「炊き出しや福祉のお世話にはならない」という強い自立心が養われているようでした。
中には安定した収入も貯金もあるにもかかわらず路上で生活している方も…。……。なぜ炊き出しを必要としない人ばかりがそこに集結しているのかはわかりませんが、いつも列に並ぶ人々は
みんな遠方からやって来ていたのでした。
・主催者がコミュ障…。主催者は、組織を束ねることができていることが驚きの器の持ち主。おそらくある一つの思想の下に人が集まってことが運ばれている。
・大半のボランティアが郊外出身。やはり同じ界隈に住んでいる都市部の人間は彼らの存在にうんざりしている模様。
・主催者が「脱原発」も掲げている。最初に憲法9条という言葉を見たときにいろいろ気づくべきでした。
・炊き出しに直接関係ないイベント…。主催者からフェミニズム的な会合へ半強制的に参加を求められる。ターゲットにされています。私が社会人ではないため、暇だと思われてるんでしょうか。
・無償の労働に対して直接感謝や労いの言葉は貰えない。例えば幼稚園、病院なんかへのボランティアではそこにいる方々から何かお言葉が頂けたりするが、
この現場ではそれがほとんどないと言える。周りの大人もみんなボランティアの括りで参加しているため、みんなが同じ立場であるからでしょうか。
並ぶ人たちにはそんな気配りはないし(笑)、もしかしたらお金をもらってやっていると思われているかもしれない。
そのためやり甲斐はその場では見つからないかもしれない。震災被災地でのボランティアも一部はそんな感じみたいですね。
「気持ち」というささやかな見返りすら求められない究極のボランティアである。
・カレーをもとめて数…里。食べ物を求めてすごく遠くから来たという方がいらっしゃいました。ずっと歩いていたため、真冬にもかかわらず全く寒さを感じないと言っていた。
・育たない自立心。「ただボタンを押すだけ」のような単純な操作をお願いされることがあり、たとえ押し方やどのボタンを押せばいいかを伝えても学習しようとしない。
彼らの場合、決して能力がないわけではないと思われるが…これが炊き出しには並ばない意識高い(笑)ホームレスとの違いでもあるのかなと思ったりする。
最終的にこの組織への参加によって私が学んだこと、それは、
共〇的思想の本質でしたwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
はい、まず日本での炊き出しというシステムが主に人権第一の共〇主義の思想から成り立っていることがわかりました!
何せ、こういった主義主張の下に生きている人々との出会いは初めてで、彼らもそれを強く表に出すわけではないので気づくのにとても時間がかかりました。
そして、調べてみると私の住んでいる地域では他にも様々な団体が炊き出しを行っているのですが、ほとんどの団体が、キリスト教系およびそっち系のいずれか、または両者でした。
全国的にも、そのようですね。本当に無知でした。炊き出しというものが、そういった思想に基づいているとは…。
気づいたときにはもう、この現場に思い入れを抱いてしまっていたのでそれは割り切ることにしました。
それに、自分の中のいろんな考えを刺激してくれた良いものであったとも思います。それがどんなものであったかは割愛します。
私はこれからも資本主義の残酷な点を見直しつつも、天皇陛下を敬うし、今の日本に期待したいものです。
以上、笑えない冗談でした。
そもそも、炊き出しですが、お腹が空いて死にそうな時に駆け込んだり、無職の間に炊き出しで食いつないその期間に新しい道に歩み始めてもらったりなど
短期的な支援として行っているものとしていますが、もう何十年も来ているという人が多かったりで、なんなのよってなります。ヽ(・∀・)ノ
でも彼ら、精神的、身体的、知的な問題、年の取りすぎなんかにより、社会復帰が絶望的という事情があったりで、生活保護受けていたり、福祉の世話になりたくないプライドがあったり、
単純に外が好きだったり、いろいろな人がいますがいますがそんな人たちみんなひっくるめて、彼らはこの世がこういう世であるために発生した社会不適合者であると考えることもできます。
(※思想的にではなく、社会学的に基づいた考えです( ;∀;))
あと人間にはどんなに努力しても元々素質がなければ困難なことがあると思いますが、彼らの場合、この世を渡り歩くための素質を持たない、もしくは失ったのだと見ることもできます。
そのような目線でいくと、彼らにとって炊き出しは、死ぬまで面倒をみてやろうというターミナルケアとしての機能も果たしていると言えます。
私が炊き出しに参加することに対して、「炊き出しの存在が路上生活者を生んでいるのでは?」と直球を飛ばされることもあります。
たしかに炊き出しの存在は、「働かなきゃごはんが食べれない」という人間の労働へのモチベーションが生まれる流れを遮っているかもしれません。
それに、収入のある人が炊き出しに頼ることで本来食費に充てるべきお金が遊興費に回されるなんていう現状もあるでしょう。
厚労省のホームレスの数は調査は今のところ減少傾向に見られます。http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000027ptf.html(目視調査のため数字は不確実)
そして、現在の炊き出し来場者が200人前後と記しましたが、過去は今の2倍以上が通常であったとのことから、炊き出し来場者も同様に減少しているように伺えます。
やむを得ず路上生活する人々への支援という当初の目的の需要が減る中で、炊き出しというものが、一人歩きしてしまってる面があることは否めないと思います、、、
しかし私個人としては、食事は誰もが必要とすることであり、古代だったらそのへんの植物生物で食いつなげたろうけど現代人はそんなの食べれる免疫持ってない
っていうか今はそんな時代でもないし、ということで、
お腹が空いた時に誰でも無料でご飯が食べれるサービスがあっても良いんじゃないでしょうか
というシンプルな結論に落ち着きたいです。
・主催者が「憲法第9条を守ろう」って背中に書いてあるジャンパーを着ている。(なんかいるよねそういう人たち。うん、たしかに憲法9条は大事だね。) ・ただのNPO法人の運営かと...
せやかてお前もホームレスみたいなもんやん くさいし