2013-11-23

これは自慢話というか手柄話というか、そういうものである。ところどころのろけ話でもあることも自覚している。そんなものを長々と書くのはあまり美しい行為ではないが、それでも一度でいいから誰かに話してみたかったし、かといって「自慢とのろけとかウゼー」とリアル知人に思われるのも怖かったしで、増田に書くことにしたわけだ。

彼氏と付き合い始めた時、すぐに私は「この人片づけができないのでは」と疑うようになった。

実家住まいだった彼氏は、一人暮らしの私のアパートしょっちゅう遊びにきて、それは嬉しいし楽しいしどんと来いではあったのだけど、彼が帰ったあとの部屋は異様に散らかっていた。

牛乳ジュース冷蔵庫から出したらそのままでさない、ゴミゴミ箱に捨てたり捨てなかったりで、食べカスが散らかるのは全く気にしない、彼氏はそういう人だったのである

別にそんなことは気にしないでいたのだが、いろいろあってある日、彼氏我が家に転がり込んできて、そのまま一緒に暮らすことになった。

そうなってしまうと話は変わってくる。彼氏の片づけられない男っぷりは私にとって無視できない問題となった。

とりあえず、さりげなく訊いてみる。

「ねえ、昔一人暮らししたことあるって言ってたよね?」

「うん。料理はそのとき覚えた」

彼氏料理うまい。本当に美味しいものを作る。素晴らしい。愛してる。だが生活は食事だけで成り立つものではないのだ、残念ながら。

「そ、掃除は? 片付けとか、そういうのは……?」

「そっちは覚えてない。おれ、散らかってても全然気にならないんだよね。別に部屋汚くても困らないし。ただ引っ越す時、部屋の床を張り替えなきゃならなくなって、金はかかったな。まー、男の一人暮らしだと、どうしてもねえ」

違うぞそれ、男の一人暮らしがみんなそうなわけじゃないぞ、君の汚し方は並じゃないんだぞ自覚しろ

あー、なんか、これヤバイ

親切でおおらかで思いやりのあるこの人の美点を、このままだと私、ゴミに埋もれて見失う。

はいえ、口うるさく片づけをせっつくのは下策であろう。

私は欠点が多い人間で、人様から大量に注意されているのでわかるのだが、注意されてすぐに行いを改められる人間というのは、稀である

悪気がない振る舞いをたしなめられるとやっぱりちょっとむっとしてしまうし、無意識のうちにしでかす失敗は無意識ゆえに直しづらい。

ところが注意した側は行いの改まらない相手を見て、ぜんぜん直ってないじゃん、何回同じこと注意させるんだよコノヤローとか思うんである

それに、もしも注意された彼の心がじゅうぶんに素直で美しく、すぐさま反省してくれたとしても、私はたぶん不満を抱えるだろう。彼と私では「きれい」「きたない」の基準がだいぶ違っている。彼が自分なりの「きれい」を達成したとしても、私はそれを「きれい」だとは思わないはずだ。そうなると努力無視されて彼は傷つくに違いない。

そしてそんなことを繰り返しているうちに二人の関係はこじれ、隙間風が吹くようになるかもしれない。それは困る。口うるさくなるのは出来る限り避けようと、私は心に決めた。

かといって掃除と片づけをぜんぶ私がやるというのは嫌だった。私は掃除大好き人間じゃない。どっちかといえば嫌っている。そんな人間が今まで以上に掃除と片づけをやることになったら、彼氏のせいで私の負担が増えたチクショーきさまいつか殺すぞとか、その手の悪しき想念を抱くようになるであろう。結果として愛は儚くも失われることになる。これも嫌だ。タスクを大量に抱え込んだ上に我慢できなくなって関係破綻とか、骨折り損のくたびれ儲けすぎるではないか。彼も私もなるべくストレスをためずにすむ、そういう方策必要だった。

悩んだ私はしばらくの間、彼氏の観察に徹し、その結果あることに気付いた。

彼氏缶コーヒーを燃料にして走るアメ車みたいな男で、とにかく毎日飽きもせず缶コーヒーを飲む。

そして空き缶をそのへんに散らかす。

私はこの空き缶を始末するのが、一番嫌だった。怠惰な私はビン・カンゴミの日も朝寝したい一心で、缶の飲料は家では絶対に飲まないようにしたのだ。どうしても缶ジュースが飲みたいときは買った店の外で飲んでその場のゴミ箱に捨てる、そんな日々を送っていた。

これが他人からはバカみたいに見えるルールだという自覚もあったので私は何も言わず、結果として彼氏毎日勤勉に缶コーヒーを飲み続け、空き缶をせっせと生産した。空き缶は時々横倒しになって、底の方に残っていた飲み残しがあちこちにこぼれた。缶を拾うと手がべたべたしてコーヒー臭くなり、お気に入りだったソファカバーにはコーヒー染みがついた。

この問題は早急に解決の必要がある。私は再度、聞き取り調査を行った。

「なんで床を張り替えることになったの?」

「おれ、昔はマンガ雑誌をすごくたくさん買ってたんだよね。そんで捨てるのがめんどくさいから、全部部屋に置いてた。積むと邪魔から床にマンガを敷きつめて、マンガの上で暮らしてた。そんで空き缶とかそういうのも適当に散らかっていたから、こぼれたジュースとかがマンガに沁み込んで、床板に貼りついちゃったんだよね」

頭がくらくらするような話ではあったが、そこには貴重なヒントが含まれていた。

彼はゴミが多ければ多いほど嬉しい、ゴミの中でこそ安らげるゴミフレンドリー人種ではないのである。大量の雑誌が積みあげられれば、彼といえども邪魔に感じるのだ。

邪魔に感じた結果、どうするのか。彼は「ゴミを薄める」のだと私は直観した。うずたか雑誌タワーは、不安定で危なっかしくてとてつもなく存在感がある。存在感あふれるゴミを彼は無視できないのだ。

そういえば、彼はコーヒーの空き缶もそこらじゅうに散らかす。決まった場所に捨てるわけではなく、あっちゃこっちゃに置く。かき集めたら小山を作るであろう量のゴミ分散されることで目立たなくなる。つまりあれもまたゴミ存在感を薄める行為なのだ

ならばこの先ゴミを薄めさせなければよいのだ。私はそう確信した。

薄められないゴミはいつか彼の我慢の限界を超えるだろう。そうなれば彼は何らかのアクションを起こすのではないだろうか。そのとき私は彼のアクションを「ゴミ出し」という形に限定させればいい。これはさほど難しいことではないだろう。雑誌を部屋に敷き詰めるなど、彼の行ってきた数々の薄め動作は、実はけっこうめんどくさい作業だ。そんな面倒なことができる彼ならば、集積所にゴミを運ぶくらいのことも、軽くこなせるはずではないか

私はかつて、誰かに書類仕事などをやってもらう必要があって、頼んでもなんとなく先延ばされてしまとき、相手の椅子に書類を置くという手法を編みだしたことがある。

机に置いてはダメなのだ。机に置いたものはなぜか適当に積み上げられたり、引き出しの中に追いやられたりしてしまう。

椅子に置くことのメリットは、相手が必ずその書類を手にとる点である。座ったらそのまま手の中の書類を処理してくれるような幸運に恵まれることも、珍しくない。

もちろん、確認後そのへんに書類を置き、またしても先延ばしにされることはよくあるが、焦る必要はない。相手が席をはずしたら再び書類を椅子の上に置き直せばいいだけだからだ。何回か繰り返せば相手も、さっさとこの仕事を片づけて心おきなく椅子に座りたいと考えるようになる。。

当然のことながらこの椅子置き手法カンにさわって怒り出す人もいるし、うっかり書類の上に座っちゃう人もいるので、実行の際にはいろいろ見極めが必要となるが。

私はゴミ薄め妨害作戦に、この椅子置き手法を応用してみることにした。ゴミ出しや片づけの時に部屋中から集めたコーヒーの空き缶を、彼が使っている座イスの周りにぐるっと置くようにしたのである

やってみていいと思ったのは、空き缶をすすいで水切りしてゴミ袋にいれる手間が省ける点だ。彼氏の座イス周りに缶を置けば、もう私のゴミ出しタスクは完了である。らくちんじゃないか

ちらかっているのが気にならないと言いつつ彼は、私の片づけの邪魔はしない。あたりがさっぱりするとにこにこしながら自席に戻る。

最初のうち彼は座イス周りの空き缶をまるで気にしなかった。すとんと座るといつも通りに本を読んだりテレビを見たり話をしたりしながら、ゴミを室内に薄めていく。半ば無意識の動作らしく、ひょいひょいと本棚だのテレビ台だの靴箱の横だのに空き缶を無造作に置いていく間、彼は自分の手元をほとんど見なかった。

けれどある日、彼は座イスに座ろうとした瞬間に、

「うわっ」

と声をあげた。

数えたので知っているのだが、そこには空き缶が26本あった。数本の空き缶ならば気にも留めずに再度の薄め動作を行っていた彼氏だったが、さすがにその量の空き缶は、気に留まってしまったのである

「なんでこんなに空き缶がいっぱいあるんだ。これぜんぶおれが飲んだの? 飲んだんだよな」

「ごめんね、一緒に暮らすなら、自分の片づけは自分でしたほうがお互いの精神衛生上いかなって思ったの。だからあなたの空き缶だけ片づけなかったの」

「そっか、今までこういうの全部、片づけてもらっていたんだな。気付かなかった、こっちこそごめん。ちゃんと自分でやるよ。この空き缶、どうすればいい?」

そのとき初めて知ったのだが、彼が今まで片づけや掃除をしなかったのは、「どうすればいいかからなかった」かららしい。

ゴミ箱には普通ゴミしか入っていないから、空き缶をどこに捨てればいいかからない。

ゴミ箱がいっぱいになってそれ以上ゴミが入らない状態のときは、何をどうするのが正解?

悩んでいると私が片づけてしまうので、「わかる人に任せればいいか」と思うようになったそうなのだ

一人暮らしの時、マンガ雑誌を大量にため込んでいたのもどうやら、住みなれない土地で古雑誌をどうするのがいいかよくわからなかったのが原因だったそうで。

実家では彼はゴミ出しにまったく関わっていなかった。ゆえにゴミは朝に出すものとか、資源ゴミ普通ゴミと不燃ゴミは回収の曜日が違うとか、自治体によってゴミ区分や回収の頻度は異なるとか、そういうことを彼はぜんぶ知らなかった。実家にいる間はそんなことを知らなくてもゴミはいつの間にか処理されていた。だから彼は、生活にはゴミ出しが必要とか、そのために知らないことをわざわざ調べなきゃとか、そういう発想をしなかったのである。代わりに彼はゴミを薄めるという手法を編み出し、洗練させていったのだ。

料理洗濯ができるのはなぜか、というのも理解できた。彼は服が好きで、美味しいものに目がない。だからこそ、料理洗濯だけはやらなきゃいけないという「必要」を感じて、スキルを身につけたのだろう。もしも食にも服にも無関心なタチだったら、彼の部屋はもっと酷いことになっていたのかもしれなかった。

彼が薄めたゴミを私が濃縮還元したことによって、彼は初めてゴミ捨ての「必要」を感じたのだ。空き缶の捨て方を皮きりに、片づけや掃除に関する知識を、彼は徐々に蓄えていった。

ちなみに、彼は小学校から高校までエレベーター式の私立校出身なのだが、そこの方針で校内の掃除をしたことが一度もないそうだ。アニメなどで掃除当番という単語を見るたびに「物語をすすめるための特殊設定の一つなんだろうな」と思っていたというから驚きだ。「雑巾の絞り方」を、彼は成人するまで知らなかったのだという。私は貧しさゆ学校と名のつくものはすべて公立でまかなったのだが、雑巾の絞り方は学校で習った。金持ち庶民では受ける教育が違うのだということを実感した私は、彼がつい掃除や片づけを面倒に感じてしまうのも無理はないな、と思った。

その後、彼は片づけや掃除に、きちんと取り組むようになった。素晴らしい。愛してる。

元々彼は、器用でテキパキして要領がいい。気配り上手で、頭の回転が早く、何をやらせてもすぐに大抵の人よりうまくこなせるようになる。そういう人間だ。

掃除も片付けも、あっという間にできるようになった。びっくりするくらい素早く部屋を片付けて掃除機をかけて、窓ガラスまで磨いちゃったりする。

床に敷き詰めたマンガ雑誌の上で暮らせるくらいだから本質的には綺麗好きというわけではないので、たまにものすごく散らかしたり汚したりするが、それはもう愛嬌みたいなもんである

そして数年が経ち、彼は私の夫となった。

「脱いだ服を出しっぱなしにしない! その場ですぐたたむ!」

「ティッシュを何枚もなんとなく持ち歩くのやめなさい! みっともないからすぐに捨てて!」

「書類仕事は先に延ばすとだるくなるから、すぐにやりなさい! だめ、終わるまでここで見張ってます!」

今の私は、毎日とまではいかないがかなりしょっちゅう、夫に糾弾されている。

そもそも私は、綺麗好きではないし、しっかりもしていない。むしろ世間的にみれば、ややだらしないほうと言えるだろう。そういう人間からこそ、空き缶大量生産マッシーンみたいな男性と付き合えたのである。私が潔癖症だったら、絶対に夫とは結婚していない。

まり、私のだらしなさこそが二人の仲を取り持ったとも言えるのだ。もうちょっと寛大にしてもよいではないか夫よ。

調味料は使ったら棚に戻す! 『めんどくせーなー』とか思わない! 顔に出てるよ!」

従順に片づけているのだから内心の自由くらいは担保させてくれないか夫よ。

洗濯物の干し方がなってない!」

「服のたたみ方が下手!」

この人けっこう口うるさいよな。昔はそんなことなかったのに。遠い昔、ややだらしない女を心広く許容してくれた優しい彼は、もういないのである

あーあー私だって言いたいことあるけど口うるさくするのはやめようって、けっこう我慢してるんだけどなー。

ということはよく思う。なので喧嘩になる時もある。だけど。

「ほんとは掃除とか片づけ嫌いでしょ? 放っておけばいいのにとか、思うときない?」

ずっと昔、私はそんな風に訊いてみた。

「一人だったらそうかもしれない。けど部屋が片付くとあなた本当に嬉しそうだからねえ。だから片づける。それに今はおれ自身、片付いてる部屋のほうが好きなんだよ。これはあなたのおかげだなあ」

と答えてくれた夫はほんとに男前であるなあ、と思うのである。私のために片づけや掃除をしてくれるのかと思ったら、かなりじーんとくるではないか

なので、夫の口うるささは時々嬉しかったりする。だってこの人、私のために言ってくれてるんだもんね、と思えるから。それでも喧嘩になってしまときがあるというのが、私という人間の器の小ささを物語っているが……

というわけで私は時々、椅子置き手法によるゴミ薄め防止作戦を立案・実行した過去自分を、誉めてやりたい思いに駆られるのである今日幸せは、かなりの程度貴君の活躍によるものだ、えらいぞ、よくやった! そんな言葉ねぎらいたくなっちゃう思い出である

もちろん一番偉くてよくやったのは、別人のように家事スキルを向上させた夫である。素晴らしい。愛してる。

とりあえずそういう夫に見捨てられることがないように、私も自身のだらしなさを払拭すべく、がんばっているつもりである

だらしない女と片付けられない男で、たぶん私たち割れ鍋に綴じ蓋ってやつなんだろうけど。

この人と一緒にいられるんだから、かえってそれでよかったよな、とか思ったりもするんである

ところでこのコトワザ、鍋と蓋、どっちが男でどっちが女なんでしょうね。ま、どっちでもいいか

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