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テレビの感想ってどこで見るのがいいんだろうか?今まで実家で家族と感想を言い合いながら見てたから、1人暮らし始めてから何か物足りなくて他の人の感想を見るようになった。
基本的にTwitterで感想を検索しているんだが、番組によっては内容と別の部分で盛り上がったりしていてモヤモヤすることが多い。
この間やってた某俳優の遺作のドラマがかなり好きだったのでいろいろ検索してたんだが、某俳優の死を惜しむツイートやポエムばかりで肝心の内容についてはほとんど触れられていなかったような気がする。
このドラマはいろいろ運が悪かったので例外な部分もあるとは思うが、それにしても某俳優以外の役者の演技や脚本についてもう少し他人の感想が見たかった。
バラエティもたまに感想見てみるんだが、スタジオのゲストでちらっと出てきたジャニーズアイドルや坂道アイドルのファンのツイートばかりで偏っている印象がある。
に続き備忘録として簡単な感想と一緒に当時見ていた作品を書き記してみたい。
志村貴子さんの名前に惹かれて見始めたけど、やっぱり1クールであの内容をアニメ化するのは尺が足りなさすぎて無理だったと思う。声優さんのキャスティングは好きだったけど。
最初は特殊な武器を使った能力バトル物?と思わせておいて、1クール目の終盤でロボットアニメである事が発覚する作品だった気がする。3DCGアニメだけどキャラクターは皆可愛らしい感じで結構僕の好みだった。
インチキアメリカ人口調で喋るCV細谷佳正さんのキャラとか強烈で中々印象に残っている。ラスボスを倒した後のエピローグで「これからどうすんの?」→「皆で旅に出ようか…」って感じの終わり方だったような記憶がある。
監督を務めた桜美かつしさんは評判が悪かったけど、このアニメは殆ど文句を見ないほど良い出来だったと思う。僕は桜見かつしさんが以前監督を務めた某アニメも個人的には好きでした。
魔女のお姉さんが遠くから田舎にやってきてホームステイするって感じの作品だったと思う。ほんわか出来る穏やかなノリで好きだった。放送当時最終回を見逃してしまったけど、この前一挙配信があって嬉しかった。
イケメン達が能力バトルする漫画のアニメ化作品。女の子達も可愛い。モブは本当にモブって感じ。人気のある声優さんをとことん集めたなーって思える豪華な声優陣。
原作について気になる話も聞いた事があるけど、アニメを見る分には関係ないから気にしない。ラックライフのEDテーマがどれも本当に良いんですよ。三期まで作られたのはやっぱり人気があったんだろうなと思う。
大人気ダークファンタジー漫画の二度目のTVアニメ化。どこまでアニメ化してたっけ?モズグス様の声が小山力也さんで滅茶苦茶強そうだなぁと思った。
魔女シールケのお師匠様フローラさんの声がPS2版と同じ島本須美さんだった事に放送当時感動した。ドラゴンころしの正に鉄塊を何かにぶつけたようなSEが好きだった気がする。
リバイバルという少しだけ過去に遡る事の出来る能力を持った主人公が、小学生の頃に何者かに殺害された同級生を救うために大人の頭脳を使って必死に頑張る作品。
とにかくヒロインの女の子が可愛い。OPとEDも作品の雰囲気にマッチしていて素晴らしい。アニメ放送中原作が未完だったため終盤はアニメオリジナルの展開になったらしいけど、アニメだけを見ている分には違和感無く楽しめた。
1クールでよくこんな濃密な作品が出来るんだなぁ…と今でも感心する。ヒロインの女の子はそうなっちゃうんだ…という展開は当時中々反響があった覚えがある。
大丈夫!私が来た!が決め台詞の異能力ヒーロー学園漫画のアニメ化作品。タイムボカン24の中でネタにされていた事もあって期待しながら見た。
原作漫画を読んでいないのが先の展開を一切知らない新鮮な気持ちで視聴出来たのは良かったと思う。やっぱりこのアニメも主題歌がどれも好き。現在四期まで放送されているけどやっぱり人気があるんだなぁと思う。
キャラクターは轟くんが特にお気に入りだった。ジャンプで熱気と冷気を一人で操る事が出来るキャラといえばフレイザード様が思い浮かぶけど、味方になるとこんなにカッコ良くて頼もしいキャラになるとは驚いた。
放送当時マクロスシリーズ最新作だった作品。今度のマクロスが主人公がダンスで戦うのか!?と1話から度肝を抜いてくれたのは非常に印象深い。その後ダンス要素はあんまり無かったけど。
最新作だけどFを見ている事を前提に作られているような気がした。ヒロインは歌うけど「歌姫」ではない、ジーナス家の人間は登場するけど「天才」ではないなど、シリーズのお約束をあえて外してきている感じがした。
とにかく歌姫・美雲さんの存在感が凄かった。メインヒロインでは無いにも関わらず、OPでも作中での楽曲でもこの人が中心的存在だと一発で分かる歌唱力を披露してくれた。 歌唱担当のJUNNAさんは当時15歳だったらしい。
レーザーをまるでスロー再生のように視認出来るキャラが居るなど、地味にマクロスパイロット最強候補が居る作品ではないかと思う。2クール目からはよく敵本拠地に潜入するアニメだったような気がする。ヒロインが2人とも好きだった。
1話がエッチそうだったのでそこから釣られて見てしまった。その後はあんまりエッチでも無かったけど…。主人公がショタ化して声が南央美さんになる回が好きだった覚えがある。
大人気異世界ファンタジー。主人公が酷い死に方をしては時間を逆戻り、また酷い死に方をして…という作品。可愛らしいキャラデザに反してあまりにグロテスクで痛々しい描写が多いので、可哀想で見ていられない時がある。
頑張ってようやく状況を改善し主人公のスバルくんも前向きになったと思ったら、もっと酷い事が起きたという展開の繰り返しでお話が進んでいく感じ。先が気になる面白い作品であるのは間違いないけど、人気の高さに驚く事がある。
青い髪の女の子レムが作品で一番人気のヒロインらしい。僕は主人公のスバルくんを拷問にかけ殺さないように挽き肉にした怖い女の子という印象がある。とにかくバッドエンドでのスバルくんは酷い目に遭いすぎて悲しくなってくる。
先日4年振りに二期が製作されて、あまりの作風の変わらなさに少し安心してしまった。一期と二期の間に劇場版が二回作られた事と本当に人気の作品なんだなぁと感じる。もう4年前の作品という事にビックリですよ。
EDの曲がとにかく熱いボクシングアニメ。この作品が作られている時に内海賢二さんと永井一郎さんが鬼籍に入られたらしい。若い頃の会長と猫田さんの声がそれぞれ宮野真守さんと吉野裕行さんだったのは意外な感じだった。
大人気戦う変身少女シリーズの第一弾。放送当時見ていなかったのでこれが初めて見るプリキュアだったけど、人気が出るのも納得の作品だった。
その後のシリーズではおなじみとなる要素がまだこの頃は取り入れられていないので、今改めて見ると逆に新鮮な気持ちになりそう。
とまらない未来を目指してゆずれない願いを抱きしめて色褪せない心の地図を光にかざそうとするアニメ。原作はなかよしで連載された少女漫画作品だけど、アニメは後半から漫画と違う方向の話に進んで新鮮だった。
イーグルという第二部から登場するキャラの出番が漫画と比べて大分多かったのが嬉しい。ラスボスを演じるアニメオリジナルキャラの声は高畑淳子氏で非常に存在感があった。アニオリが多いアニメって今見ると懐かしい感じ。
緒方恵美さんのエメロード姫とイーグルの完璧な演じ分けには驚かされた。OPは有名な一つめと三つめに挟まれた二つめの「キライになれない」が僕は一番好きだった。
ふたりはプリキュアの続編でプリキュアシリーズ第二弾。追加戦士のシャイニールミナスが登場して当時人気を博したらしい。
内容はよく覚えていないけど正直マンネリのような物は感じた覚えがある。それでもクイーンとジャアクキング様の戦いに終止符が打たれ世界に平和がもたらされたのは良かったと思う。
ふたりはプリキュアシリーズの三作目。当時はマンネリと言われてシリーズで一番セールスが振るわなかった作品であるらしいけど、僕はプリキュアシリーズでこのSSが好きだった。主役二人が前作と似ている事は否定出来ないけど。
まず主題歌の全てが素晴らしい。ガンバランスdeダンスは続編の5にも引き継がれた初期のプリキュアを代表とする名曲ではなかろうか。勿論OP曲も素晴らしい。ひたすら前向きで応援してくるあの曲が僕はシリーズで一番好きだ。
敵にコメディ要素が増えたのも面白い。その代表的なキャラはやはり後半に出てくるキントレスキー様だろうか。敵でありながら自然に主人公のお父さんの経営するパン屋さんにジョギングで訪れパンを食べて帰る姿には驚かされた。
初代プリキュアのキリヤ君で一度通った道でもあるけど、敵として現れたキャラが本格的に味方になってくれる初めてのプリキュアでもあったと思う。人間の情に絆され味方になってくれた満と薫は今でもSSファンに高い人気を誇る。
個人的な好みだけどこの作品で主人公の咲が恋する舞の兄和也さんがカッコいい。歴代プリキュア男性キャラの中でもかなり好きなキャラだった。作品としてはラスボスだと思われたキャラが実は…という意外性が最後まで面白かった。
以前見た事がある作品だけどやっぱり地上波で放送してくれるというのは嬉しいし有り難い事だと思う。
ガンダムに並ぶリアルロボットアニメ作品として名高いボトムズシリーズの第一作。OP「炎のさだめ」は歌詞だけでもある程度作品の雰囲気が把握出来る名曲。EDの切なくて湿っぽい雰囲気も好きです。
ウド編までは以前DVDで見た事があったけど、そこから先は未見だったので新鮮な気持ちで楽しめた。ミリタリー的な作品としても大人気だけれど、離れてもお互い恋い焦がれる男女を描いたラブストーリーの話だと思う。
主人公キリコはああ見えて19歳の青年なのでお酒を飲んだ事が無く、初めてお酒を飲んだ時むせてしまうのが可愛らしかった。宇宙船の中で二人きりで良い雰囲気のキリコとフィアナをもう少し長く見ていたかった。
終盤クエント星についてから進んだ化学は魔法と見分けが付かないという事なのか、妙にファンタジーチックな描写が増えて驚いた。初代ガンダムもそうだけど、SF作品の終盤でいきなり幻想的な展開が始まるのはお約束なのかな。
最終回でキリコとフィアナが同じカプセルの中で眠りについて作品が〆られる所を見て、やっぱりこの作品はラブロマンス物だったんだなぁと改めて思った。続編や前日譚もいつか見てみたいけど…どうも悲しい展開が待っているらしい。
アルティメット・スパイダーマン ウェブ・ウォーリアーズの続編。スター・ウォーズの後、スパイダーマンが帰ってきました。映画のスパイダーマンシリーズに出て来ないヒーローやヴィランも沢山出てきてそういう意味で面白かった。
このアニメのお陰でその後実写化されたマーベル・コミック原作の映画に「あ、アルスパで見たあのキャラだ!」と思えるようになった。コミカルに戦うスパイダーマンを見ているだけで楽しいアニメでした。
アルティメット・スパイダーマン VS シニスター・シックスの後番組として始まった。スパイダーマンの次はアベンジャーズ、という訳でこの頃は丸2年アメリカ産のTVアニメを見て喜んでいた。どれも面白かった。
よく覚えていないけど、時期的には映画より先にサノスやウルトロンとアベンジャーズの戦いを描いてた気がする。アベンジャーズが分裂した際に、スパイダーマンがゲストとして登場した時は嬉しかった。1話限りの出番だったけど。
高橋留美子先生の短編集をアニメ化した作品。OPの曲が好きだった。
原作の掲載誌が青年誌という事もあってか、サンデーで連載している他の高橋留美子作品のアニメより生々しく重い話が多かった。高橋留美子先生という人はこういう話も描ける人なのか…とこの時驚いた。
出演されている声優陣の顔触れが非常に豪華で、これまで高橋留美子作品のアニメに参加した人も多数参加されている所も見所の一つだった。
宮崎吾朗監督と川崎ヒロユキさんがタッグを組んで生まれた作品。原作は外国の児童文学らしく、台詞回しも外国の本を翻訳したような感じで何とも独特。
個人的に宮崎吾朗監督の作品の中で一番好きだった。OPもEDも良いんですよこのアニメ。ボーイ・ミーツ・ガール物やロミオとジュリエット物としても素敵な感じ。鳥女がホラー作品並に怖かった。
ファンタジーな世界での戦記物作品。内容はよく覚えていないけど、主人公の声が岡本信彦さんでヤン提督みたいな雰囲気だった事は覚えている。
抜けもあるかもしれないけれど、とりあえずこんな感じだったと思う。2016年は今振り返っても本当にアニメが多い年だったんだろうか。
何より驚いたのは、リゼロが話題になったのがもう4年も前という事だった。4年って、あっと言う間ですね。怖いですね…。
【訂正】
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争が地上波で再放送されたのは2017年でした。
自分は今から数年前に、男ばっかり数人でネットラジオのようなものをやってた。
物申す系とお笑いをちょっと混ぜたようなテイストで、当時そこそこ人気もあったし小さいけどオフ会イベントとかもやってた。
それなりに有名になってそろそろ次のステップかなと思い始めてた頃だったが、オフつながりで知り合ったリスナーの女がメンバーの一人と頻繁に連絡をとるようになった。
なんでもその女はまあいろいろ家庭の事情だとかもあったそうだけど、ネット配信に興味があって自分でもやってみたいのだけどなかなかリスナーがつかなくて悩んでるとかそんなありきたりな悩み相談をしてた。
で、またよくある話そいつが自分たちの配信にその女をゲストにしたらどうかとか言い出した。
ちなそいつは不健康系美人とでも言うか、なんか隙が見え隠れするそこそこ男ウケは良さそうなタイプ。
他のメンバーもこれまで女っ気がまずないような環境だったこともあって喜んでそいつをゲストに呼ぶようになった。
女自体は話術がうまいわけではないし、要するに「男っぽい話題に抵抗感なく相槌を打てる」というくらいしか取り柄のない人だった。
しかし中途半端に顔がいいこともあってか、話題はいつの間にかそいつのレベルに合わせるようになり、そいつを立てるような雰囲気ができあがってそれまでみたいなギリギリを攻めるような笑いがとれなくなってしまった。
結果、自分はモチベーションを保つことができなくなってそのグループを抜けた。
その後のことは知らないが、数年が経過して当時メジャーだった媒体自体が落ち目になったことで自然消滅したっぽい。まだやってるかもしれないけど知らん。
今は昔と違って基本一人の活動だが、親しくしている同性の配信者とよくコラボとかさせてもらってたりする。
いつものコラボグループに、以前割り込んできて雰囲気をぶち壊したのと同じようなタイプの女がまた自分も仲間に入れてくれと言い出してきたらしい。
さらにまたも、コラボしてる連中の何人かはかなり乗り気で、いつも一緒にプレイしているゲームに明らかにレベルの低いそいつを一緒に入れて配信するとか言い出してきた。
こうなると多分結末は一緒だなあと思って今から気分が重い。
一番腹がたったのは「その女がいるなら自分は入らない」と先に言っていたにも関わらず、だまし討のようにその女とのコラボが計画されていたこと。
どうして同じ過ちを繰り返すのか。
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
科学的考証の正しさについては正直どうでもいいと思っているんだけれど、「のび太の新恐竜」に腹が立っているという点は自分も同じ。
下記、ネタバレを回避しようとはしていないので未鑑賞の方はご注意です。
川村元気の脚本のレベルは高い。多少趣味に合わない「感動の押し売り」成分が混じっているとしても、本作はエンタメとして、かなりの完成度だと思ってる。観客の満足度が高いのも当然だ。
だからこそ。
「新恐竜」は、「恐竜」とほぼ同じ冒頭から始まる。某所でたまたま見つけた「恐竜の卵の化石のように見える石」にタイムふろしきを被せてみたら、恐竜が生まれる、そういう序盤。
ここで、生まれるのが「ぴー助」ではなく、「キュー」と「ミュー」だった、というのが新恐竜の展開。つまりこの瞬間に、ぴー助はパラレルワールドに飛ばされ、この世から消えた。のび太の記憶からも消えたことになる。
なんでこんなことができるのか。
「恐竜」に感動した、昔の子供の思い出はどうでもいいと思っているのか。
「新恐竜」なのだから、タイトルも違うのだから、ぴー助の記憶もある世界で、全く別の発端から始まるストーリーで何がいけなかったのか。川村さん、あなたなら十分それで、面白い話が書けるはずだろう。
それでいて、中盤では「ファンサービスです!」とでもいわんばかりに、ぴー助が謎のゲスト出演を果たすのだ。
ぴー助はのび太を知っている。でものび太の記憶にぴー助はない、ということが明らかな描写で。並行世界に飛ばされた者の悲哀しか、そのシーンからは感じられなかった。なんなんだこの仕打ちは。
別に川村元気に限らず、「ドラえもん」の元締めたちは伝統を大事にしていない。例えば、自分が最初に腹立たしさを感じたのは、世間では名作と名高い「ひみつ道具ミュージアム」だった。
同作では、ひみつ道具の数々が、未来の世界でも“選ばれた魔法使い”によって作られた“魔法のアイテム”であるということが明かされる。
これにより、22世紀では皆が当たり前に使っている日用品であり、未来では当たり前に量産化された技術だという、幼い頃に認識していた世界観はぼろぼろに破壊された。
今のドラえもんが、むしろ全盛期の人気を取り戻しつつあり、皆に好意的に受け取られていることは知っている。自分は二次創作に寛容な立場であり、気に入らない人は見なければいいだけだということは認識しているから、別に抗議の声を上げるつもりはない。
でも、年頃の子供がいる以上、自分にこの作品から離れて暮らすことは許されていない。その度に不快感は湧き上がるので、ちょっとだけ愚痴ってみてもいいかなと思った次第。
ウワサの保護者会という番組でズボン好きな娘に卒業式ぐらいスカート履いてほしいという親が出ていた
ゲストのりゅうちぇるからの返しが上手くて笑ったけど、あの親的には女の子なんだから〜という気持ちで言ってる訳じゃないんだよね
もし親である私はあなたのスカートを履いた姿が見たいという気持ちだと、これまたジェンダーで語る問題じゃないのかもと思った
その気持ちの裏に女の子なんだからスカート履くべきというのがあったってことかな
別に性別関係なく、かわいい娘の、母親である私がかわいいと思う格好をして欲しいという気持ちからの発言だったら
最近、ポケモンのアニメを見返す機会があった。というか自粛期間中あまりにも暇だったので何か長いアニメないかなあと探していたらポケモンにたどり着いてしまい、そこからだらだら続けていた感じなのだが。
それで結構しっかり見てしまって、子供の時に追っかけていた頃とは、特によく言われる『シリーズごとの設定のリセット』について、少し違うイメージを持ったのでなんとなく書き出してみる。
まず、無印~AG~DPは基本的に一続きの話であった、ということ。
ポリゴンの例のアレや当初構成を務めた首藤氏の離脱、あるいは単なる世情の変化など、放送時期それぞれの事情に合わせて多少設定のブレはあるが(細かい部分ではAGバトルフロンティア編で里帰りしたカントーの街が無印に比べて妙に小奇麗になっていて面白かった)話としてはかなり直接的に繋がっている。
無印→AG、AG→DPの移行も記憶にあったイメージより全然シームレスだった。今でも衝撃的なお別れ回としてよく挙がるR団のアーボックとマタドガスの離脱回は、無印終盤ではなくなんとAG6話で、ピカチュウ以外のサトシの手持ちもシリーズ跨ぎでついてきたり(AG→DPのエイパム)、一旦控えになった過去シリーズの手持ちがシリーズ移行後レギュラー復帰したり(無印→AGのゴマゾウ/ドンファンなど)、研究所ボックスがあるからこそ、特に各シリーズ終盤での大きな戦いにおける手持ち入れ替えは逆にかなり流動的にやっているという印象。
AGフロンティア編なんてほぼ全編通して研究所預け組含めての総力戦で、なんだ無印組全然現役じゃんと思いながら見ていた。
公式戦に関しても、「優勝していない」という事実に隠れがちだが一応各シリーズごとに成果自体はちゃんと挙げている。
AG:ベスト8、(紆余曲折あったものの)バトルフロンティア完全制覇
かつ前シリーズの公式戦の結果が次シリーズでサトシ自身の成果・経歴として語られる場面も多々ある。
それどころかAGで達成してしまった『フロンティア完全制覇』が、DPで軽視・無視されるどころかある意味物語自体に非常に濃い影を落とす大ネタとして使われていた……のは、知っていたとはいえ改めて目の当たりにすると結構テンション上がってしまった。そこでこれ持ってくるか!みたいな。
で、BW以降。
XYとSMは逆にイメージしていた以上に完全にそれぞれ独立した話になっていた(XYは導入こそBWデコロラ編の延長だが本当に一話最初の導入だけで、以降はXY単体で話が完結している。SMのカントー帰省編もあくまで正しくファンサービスという感じで、そこまで本編自体への影響は感じなかった)。
個人的にXYは映像のカロリーの高さや物語のシリアスさ、連続性でテレビシリーズというよりかは物凄く長い劇場版ぽかった。SMはコンセプトを際立たせた分ちゃんと独立した日常ものテレビアニメという感じ。この二つは路線自体が正反対なので完全にお好みで、という印象。どちらがどうという訳ではなくて見る側がアニポケに求める要素にしっくり来るか来ないかというだけだと。
ただどちらも前提として無印~AG~DPで語られた物語を包括している気配は残っていた。が、話自体が独立しているので、あくまでも気配にとどまっているというか、包括した要素を切り出して描写している……ので、結果的にどちらも単体作品として見ごたえがあった。
ちゃんとスッキリ完結しているなあというか、この二つはとにかく1シリーズごとに一つの物語作品として纏まっているので、過去ネタを気にしないでも普通に楽しめるという意味ではそれぞれとても見やすかった(要素を切り出す方向性が、今までの物語で培われたヒーロー性を強調したXYと物語が培われる中でも変わらない歳相応の少年らしさを強調したSMで、こういった部分でもほぼ真逆なのがちょっと面白かった)。
BWはやはり立ち位置が若干特殊というか、開始当初はR団のイメージ変更やサトシがDPまでに積み上げてきた背景の「語られなさ」から見て、サトシ自身のリセットというよりかはアニメ自体の『新シリーズ』化を狙ったように思えた。
……が、結局後半になって過去手持ちや過去レギュラーが再登場してきたのでよくわからなくなってしまった。
勿論震災の影響で大きく話の構成が崩れたのはリアルタイムで経験しているので、色々と勿体なかったな……という感じ。当初の路線通りで行けば、BWもXYやSMのようにDPまでとは切り離された一つの独立作品として語られたのではないかという予感はある。
それはそれとして、R団がイメージ変更した影響か、日常回のマンネリが大きく解消されていたのは凄く良かった(というよりDPまでの日常回がある意味マンネリ極めすぎてしまっていて、そこは思い出補正の強さを悪い意味で実感してしまった)。あとオーキド邸の集合写真最高でした……。
以上踏まえて新無印について。
結局過去シリーズをだらだら見てしまったので新無印も何だかんだで見てしまっている。原作ゲームのストーリーからついに完全に切り離されたこともあり、正直方向性が見えずふわふわしているという印象が強い。
敢えて過去シリーズとの連続性を排除し、一つのシリーズとして完結するように描かれてきた最近の作品の方向性と違って、新無印では当初から過去シリーズのゲストが度々再登場している。一方で過去シリーズで積み立てたサトシ自身の経歴が語られることはあまりなく、手持ちの再登場もほとんどない。
ただしBW開始当初のようにサトシの背景自体が「語られない」という訳ではなく、過去キャラの登場から直接的に描写される部分も含めて、過去シリーズの存在は意識されているように見える。
ただ、こういうふわっとした方向性の方が、原作ゲームの新作が出るなどの世情の変化に対応しやすくて良いのかもしれない。
少なくとも新無印は今のところ妙に気負わなくて良い分とても見やすい。原作ゲーム共々色々とアニメもまた変化していくのだろうが、それもそれでまた楽しみということで。
……あとやっぱりDP編は余裕があったら無印AGも(せめて公式戦関連は)見てから見た方が良いなと改めて実感した。DP自体クソ長いしそこまでも超大長編だけど、それまでの10年分の総決算としての色がとにかく濃かった。DPだけでも十分面白いとは思うんだけどね。
お笑い芸人、舞台役者は観客が客席からステージを見る形式が多いため細かい表情で演技をしても客が読み取れない、だから声で大袈裟にやる必要がある、それ故にゲスト声優として当たりが多いとされる
映画、テレビドラマの役者はスクリーンや画面にいっぱいに顔が映るため細かい表情を客が読み取ることができ、声で大袈裟に演技する必要はない、それ故にゲスト声優で出た場合有名でも外れが出る
アニメの場合画で細かい表情を作りこむとコストが跳ね上がるので声で大袈裟にやる方法が取られる、とはいえジブリみたいに大袈裟にやらないものもある
アニメ声でも静かなドラマの演技でも半沢直樹でも統一感があればいい、統一感がなければ異物感が出る、作劇上の演出でもない限り異物感は劇の質の向上のために避けるべきものである
自分たちの番組で芸人にお守りしてもらって編集しまくってなんとか電波に乗せられる程度
MC横ポジに抜擢されても平気でカンペ読み間違えるしヘラヘラするだけの役割で誰にも期待されてない
ジャニーズは中居だけは上手かったがあれも中居メインの番組以外は厳しい
vs嵐みたいなジャニーズ番組はゲストがホスト役のジャニーズを接待して番組成立させてる地獄
バラエティ的にましと言えるのは朝日とか野呂、ウイカくらい あと矢口
体張るとか下ネタいけるとかじゃなくてちゃんと責任もって番組に取り組んでるからな
何もできないくせにメイン張ってちやほやされるのを当然と考えてないからバラエティでも重宝される
最初は増田にぶらさがってブクマを稼ぎたいだけだったのに、そんな話にも関わらずしっかりと耳を傾けてくれる姿勢に襟を正す思いでこれを書いています。
一応は20年くらいは写真を撮っていますが、自分はプロではないので、あくまでアマチュアの一意見として受け流してくれるとありがたいです。
増田の話を聞いていると、もしかしたら、まずは追い求めたい被写体を絞り込んでいくことから始めるのがいいのかなと思いました。
カメラというのは車と同じようなもので、利用目的によって様々なサイズや性能に特化したものが用意されています。
それをすべて詰め込もうとすればサイズも価格も膨らんでいく一方ですし、目的に沿って取捨選択ができてはじめてもっともシンプルで無駄のないシステムが構築できるのだと思います。
その上で、すこし精神論じみた話をしてしまうと、写真というものは、撮影者と被写体との関係性が絶対に写り込んでしまうものだと考えています。
同じ人を撮影するにも、同じ機材を使っても、撮影者と被写体との関係性でその写真は全く別のものになります。
親しい人であれば自然な表情が取れるでしょうし、心を許せていない人であればどこかぎこちない写真になります。
まずはその観点において、カメラという機材の存在感は無視することができません。
ストロボに大きなデフューザーをつけてでかい一眼レフを向けられれば人は緊張するでしょうし、アクセサリーのように自然に首にぶら下がったミラーレスが気づかないうちにシャッターを切ることができれば、何を意識するでもない自然な表情が撮れるかもしれません。
例えば結婚式の写真を頼まれたとき、大きな一眼レフを仰々しく首から下げておくと割と一般のゲストが遠慮して撮影を優先してくれることもあるでしょうし、小さいカメラだからこそ撮影することを意識させずにゲストの自然な表情を撮れたりすることもあります。
そういう観点から、増田にとってカメラという存在がどのように自分の撮りたい写真に影響を及ぼすのかということは考えてみてもいいかもしれません。
増田にとって、一眼レフをぶら下げたほうが自分の撮りたい写真にとって有利なのか、それとも小型のミラーレスのほうが有利なのか、撮りたい被写体ありきで考えてみてはいかがでしょうか。
もちろん、カメラを持つこと自体のストレスも重要です。物理的な重量やサイズ感以外にも、自分とカメラの溶け込み具合なんかも自分は大切な要素の一つだと思っています。
要するに、カメラを持った自分と、カメラを持っている自分を認識している被写体とが自分にとってどのような関係性でいることがベストかということを考えてみるのがよいのだと思います。
今で言えば生活のどこにでも溶け込んでいるスマートフォンも、カメラとしては優れた機材の一つだと思っています。
そしてもう一つ、被写体との物理的な距離感も大事な要素の一つです。
全く手に届かない被写体を意識もされないままに望遠を使って撮影するのか、それとも身近な存在を撮影することを意識されたままに撮影するのか。
好みの画角を決定づける方程式はどちらかというとシンプルで、被写体との距離感と、それに対して写真の中の被写体の占有率の2つで求めることができます。
遠い被写体を大きく写したければ当然望遠ですし、遠い被写体を広く写したければ広角、近い被写体をアップに撮りたければマクロ、近い被写体にも広い背景を入れたければ広角など、画角と最短撮影距離の2つが判断基準になります。
この辺りは意識して絞り込むことは難しいので、自分が撮影した写真を見返してみて、どの画角、どれくらいの被写体との距離感の写真が自分にとっていい写真だったのかを見返してみるのがいいと思います。
おそらくこの2点は画質を考えることよりも先に解決すべき問題だと思っています。
画質に対するこだわりは、そこまで被写体を絞り込んでからでも遅くないと思います。
そうすると、自分が撮影したい被写体に対してベストなレンズが絞り込めてきます。
ズームレンズは一見便利なように思えるのですが、1本でいろいろな写真が取れてしまうので自分の好きな画角に気づかないままで過ごしてしまうこともあります。
そこは割り切って単焦点レンズを使ってみてまずは理想の写真に対して自分の足で稼いでみるのもよい経験になるのではないでしょうか。
動体に対するピント精度はレンズよりも本体性能に関わってくるので、この辺はメーカーやそれこそ価格帯で異なってきますが自分には明確な答えを持っていので実際に使っている人の話を聞いてみてほしいと思います。(どちらかというと静物中心の撮影が多いので)
また、暗所に対する撮影はカメラとレンズ性能よりも、どちらかというと周辺機器で解決する場合のほうが多いです。
水族館なんかだと機材に制限があるので使えないことが多いのが現実ですが、そういう場合はそもそも撮影できないものなのだという割り切りも大事です。
それでも撮影したい気持ちがまさるのなら、それに特化した機材選びが必要になってきます。
いずれにしても、機材にはメリットとデメリットが常にセットになります。
その時、自分の都合よりも撮りたい被写体のために機材選びをできれば、そのデメリットはそれほど苦痛にはならないのではないかなと思いました。
自分が尊敬してやまない「決定的瞬間」という言葉を作り出したアンリ・カルティエ・ブレッソンも、今で言うミラーレスのようなカメラを常に懐に忍ばせては、数々の芸術的なスナップショットを生み出してきました。
彼は構図の天才でありながらも、被写体との関係性とはなにかということを表現した写真家の一人だと思っています。
すこし年寄りの説教じみた話になってしまいましたが、増田にとって写真がいつまでも楽しめる趣味であってほしいと願っています。
俺は男だけど、女性のいう生理的嫌悪という言葉を唯一理解できるのは千原ジュニアに対してだけだ。
千原ジュニアという、テレビの司会やゲストでよく見る変な顔の男がいる。事故であの顔になったらしい。人を外見で判断するのは良くないと昔から思っているが、彼の顔を見るだけで心の底から嫌悪を抱いてしまう。
顔も喋りも何もかも嫌だからです。人間ではない何かが人のふりをしているような印象すらある。世の中には様々な造形の顔があり、中には良い印象を受けない顔はある。
一方で彼は国民から支持をされる人気芸人だ。少なくとも顔で嫌われてはいないらしい。
なのに自分にとっては嫌悪の対象以外にみれない。何が人気なのか全く理解できない。あの顔は、視界に映るべきものではないと脳は判断している。あの喋りは耳に入れてはいけないものと思っている。
一体どうして彼だけをそこまで嫌悪するのか自分でもわからない。個人的に一切の接点がなく、彼の芸も本も一切知らない。ただ、顔と喋りがひたすら駄目だ。
有名人でもたまにいるこのタイプ。話が面白ければラジオとして使えるが、放送大学じゃないんだから。
Youtubeでは先輩なんでちょっと指導します、とか言う割に後輩より下手だった某氏。なによりまずいのは編集への指示もきっちりできていない点。NGシーンはテロップさえ入れたらダメダメ企画としてゆるい笑いをとれるのに、NG全カットで「できませんでしたので(正式なカットを流します)」とだけ説明する。動画なのだからどうできなかったのかわかってもらわなければならない。人は動画を見ながらイメージを働かすことはできない。口頭だけでは伝わらない。
余談だけど、この人に限っては人の会話に意図しないかぶせを何度も入れるなど、正直デリカシーのなさとタイミングの悪さ、鈍さも良くなかった。
次回また、という直前で「あ、ちょっとまってください」というホスト。これも最悪だけど、テンポが崩れたまま長回しでエンディングにふさわしくない話を入れ、それをNGなしで採用してしまう編集もひどい。「ちょっと待って下さい」の時点でテロップのツッコミを入れるくらいの気の利かせ方がほしい。おかげでゲストのぷらーんと両手をぶら下げたまま居心地悪そうにしている絵がそのまま映っている。ツッコミ不在の中これはきつい。見ている側も笑うべきか突っ込むべきか、しらけるべきかという判断に困る映像になってしまっている。動画は感情誘導技術なので、恣意的に笑わせ恣意的に悲しませ、恣意的に怒らせなければダメだ。少なくとも売れてるバラエティ系Youtuberはみなこの基本ができてる。
何かとゲストに「すごいですね」を連発。これだけで顔芸が成立する人はいいけど、某氏の場合どう考えても隙間潰しでしょう。言うことをノートしておくだけでも番組の成立度が変わるのに、それもやってない様子。何もせずに喋る人はもともと話術に長けてるか、愛される天然系くらいなもの。
ゲストが来ることがわかってるのだから、インタビュアーになるくらいの気持ちでリサーチまくるのはごくごく普通。売れてる芸人はこういう事きっちりやってます。
これが一番最悪。まず何を見せたいのかよくわからないので、クリック/タップする気が起きない。終盤に「検証動画でした」と言われてもそうですか、という感想しか出てこない。最後の感想はヤマがあって始めて落ちとして機能する。動画に起承転結は必要ないが、ヤマとタニはないと流石にダレる。途中で切られる要因にもなるし、下手をすれば登録解除の憂き目にも合う。
でも客観的な意見は欲しいので何か思うところがあれば是非教えてほしい。
三行でまとめるとこう↓
1.一般人だった推しグループが「自分たちのやりたいことをやるため」に会社(事務所)を設立した
2.いつの間にか事務所の規模が大きくなり「事務所のために推しグループが働いている」ような印象になった
3.増田的にはそれが受け入れ難くヲタ卒も視野に頭を悩ませている
以下、経緯を主観交えつつ紹介
隠すつもりもないから大してぼかさないけれど、増田の推しは今年結成11周年を迎えるゲーム実況グループだ。彼らはゲーム実況だけでなく音楽も活動のメインに据えていて、CDをリリースしたり毎年のようにライブツアーを行ったりしている。
はっきり言って万人受けするタイプではないが、そのおかげか熱量の高いコアなファンが付きやすく、あけすけに言えば「金払いの良い」ファンを多く抱えている。増田などはまだ序の口の方かもしれないが、二日連続スパチャで満額投げたこともあるし、先月はオンラインイベントやグッズ販売が重なり推し活費だけでカードの請求が10万を超えた。推したちが「生身の男性」ということもあり、ファン層は今アツいVTuberのオタクよりはジャニオタに近いと思う。とにかく推しに金を使うことに躊躇がないのだ。
そんな推したちが会社を設立したと発表したのが、2015年1月のことだった。もちろん驚きはしたが、既にアルバムも3枚リリースしていたし、単独音楽ライブもやっていたし、企業とのコラボもしていたし、活動の幅が「ゲーム実況者」の枠を越えるくらいには広がっていたので、増田としては自然な流れかなと思った。会社に所属する理由は「個人でやるには限界があるから」、自分たちで会社を作る理由は「既存の事務所に入るのでは自分たちのやりたいことができなくなるかもしれないから」と、そんな話がされていたのを覚えている。だから会社設立自体は、今でも悪い話ではなかったと思う。
当初、この会社はあくまで形式的なもので、手続きやスケジュール管理をやりやすくするためだけのものだと思っていたし、実際その後も特に「会社のにおい」を強く感じることはなかった。もちろん、グッズ販売やライブツアー、テレビやイベントへの出演等は会社あってこその案件だったのだろうし、ニコニコと違いYouTubeに上げられる動画は外部の編集によるものになっていたが(これに関しては当時から不満が多かったが)、彼らの本質が変わったような印象はほとんど受けなかった(YouTube進出後初期はだいぶ空回っていたものの)。
会社の存在をはっきり認識したのは、2017年2月のこと(実は2016年夏のライブチケットには事務所名が記載されていたのだが、当時は全く気付かなかった)。メンバーの一人が雑誌上で行っていた企画がテレビ番組化し、そのゲストとして事務所(つまり推しグループの会社)の社長が出てきたのだ。
社長は、それ以前から推しグループに関わっている人物だった。音楽ライブではバンドのサポートメンバーとして出演している人であり、メンバー曰く「色々手伝ってくれる人」だった。そうした面から社長を良く思う人もいれば、メンバーに対する過去の言動を理由に社長を良く思わない人もいる(増田は後者だ)。
メンバーの冠番組に、他のメンバーを差し置いて出てくるくらいだ。さぞかし「社長」としての力が大きいのだろう、と当時は皮肉交じりに思った。案の定、番組放送後は掲示板もTwitterも社長批判派と擁護派の論争で荒れに荒れた。これを端として「事務所」や「社長」の存在を認識した人は多かっただろう。
明確に事務所への不満を抱くようになったのは、2019年。この頃には活動の場はほとんどYouTubeに移っていて、動画投稿や生放送もこちらが中心になっていた。
この年から目立つようになったのが「スケジュール管理の杜撰さ」と「動画の編集」、それから「企画の過激化」だ。編集についてはYouTubeウケを狙うための試行錯誤もあるのだろうが、ニコニコ時代から見ている層としては過剰に感じる部分が多く、演出に関しては正直「スベっている」と思うことも多い。まあ、これは完全に好みの問題なので取り立てて騒ぐほどでもないのだが、スケジュール管理に関しては本当にどうしようもない。
翌日に予定が入っているのに長時間の生放送をセッティングしたり、メンバー発案の料理企画生放送の日に大食い系動画の撮影をしたり、短期間に生放送の予定を詰め込んだり……。「なぜそうした?!マネジメントとは?!」と思うことが多々あった。「事務所」であるならそれくらいはきちんとしてもらいたいものだ。
企画の過激化については、なんというか、メンバーが体を張って笑いを取らされる企画が増えたように思えた。「今までならそれは罰ゲーム扱いだったのでは」というような内容(たとえば激辛や痛い系)が普通に企画や競技に採用され、見ていてつらいと思うことが増えた。そんなことをせずとも推しは面白いのに、というファンとしての贔屓目もあるかもしれないが。
その他にも他所とのコラボレーションやMVの内容など、不満を感じる部分は所々であった。だが、推したちのことは好きだからそんな不満たちはぐっと飲み込んで我慢した。
しかしそんな中、事務所からCMの仕事を募集するプレスリリースが出される。それも、推しグループをタレントとして前面に押し出してだ。
推しグループは、確かに「有名になりたい」とは言っていた。YouTubeのチャンネル登録者を増やしたいとも言っていた。だけど、CMに出たいなんて発言をしていたことはない。
もちろんCM出演は知名度を上げるにはいい手段だろう。だが、彼らの魅力は「ゲーム実況」と「音楽」にあるのではないのか?CMで有名になって、それでいいのか?そもそも、商品紹介動画で商品の利点も欠点もズバズバ言う彼らにCMキャラクターが務まるのか?彼らを知らない人が彼らの姿を見ても「なんだこいつら」としか思われないのではないか?最悪の場合、悪印象を植え付けることのほうが多くなるのでは?
正直、全く意味がわからなかった。なぜ、推しグループがこんなことをしなくてはいけないのかと思った。これは彼らがやりたいことなのかと首を傾げた。(この件に関してメンバーはほとんど触れていない)
しかし、事務所のホームページと社長のツイートを見て何かが繋がったような気がした。どうやら、事務所は映像制作やタレント育成に力を入れていく方針に転換したらしい。そこでなんとなく、推したちはそのための実績作りに利用されていたのではないかと思った。事務所が事務所として仕事を得るために、推しグループが客寄せパンダ的に働いている。そんなふうに思わされた。
毎日アップされる動画、月に三度は行われる生放送。それらを撮影、編集するのは今となってはほぼ全て事務所スタッフの仕事だ。過密なスケジュールや意図が不明な企画、演出も、スタッフの仕事を生むためにあるのなら……。推したちの自主性はどこにあるのだろう?
事務所は、推したちが自分たちのために作ったものではなかったのだろうか?推したちは今、何がしたいのだろうか?
推したちが今の状況をどう思っているかも分からないのに、勝手に飛躍して、悲観して、自分で自分の首を絞めている自覚はある。
だが、少なくとも推したちの主体性、自主性が失われつつあるのは間違いないだろう。動画や生放送の企画内容についても、グッズの販売情報に関しても、彼らが把握していないことはままある。与えられたタスクをこなしている。最近はそんな印象を受けることがほとんどだ。
増田は、そんな状況が耐え難いのだ。
推したちは、推したちだけで十分面白かった。誰かに企画を考えてもらわなくても、今風の編集をしなくても。毎日動画を投稿しなくても。
いわゆる懐古厨の意見であることは間違いないし、合わないと思うなら離れればいいというのも分かる。だが、推したちのことは好きなのだ。ただ事務所の方針が合わないというだけで。
もう10年以上、Twitterより昔に流行ったmixiからの付き合いの知人Aがいる。
Aは絵も書き字も書くが、申し訳ないがAの絵はお世辞にも上手いとはいえない。
鉛筆で薄い線を描いたようなラフ画が完成形のようで、トーンや着色もない。
まるで小学生か中学生がノートに走り書きしたようなイラストだが、本人もまた私と同じように一次創作をして楽しんでいた。
私は年間5回くらい、Aは1回くらい即売会に参加をする。すっかり顔馴染みで、Aは私が発行した小説同人誌を毎回買ってくれていた。
私自身、Aのイラストは稚拙で好きでは無かったが人間性は嫌いではなかった。悪い人ではないからだ。
Aはいわゆる「うちよそ」が好きだった。
自分が産み出した創作キャラ(うちの子)と、他サークルが産み出した創作キャラ(よその子)を一つの物語で共演させるものだ。
積極的に交流する創作者なら楽しめるかもしれないが、私は「うちよそ」が嫌いだった。
自分が書く物語や世界観が好きで一次創作を書いているので、余計なものを入れたくなかった。
あるとき、私が刑事が主役のミステリー小説を発行したときにAが本を買ってくれた。
コラボ=うちよそであることは明白だったが私はやんわりとその場を誤魔化した。
その時にAは私の作品に出てくるキャラクターのイラストを描いてくれた。
既に私の作品には絵師さんが存在したが、似ても似つかない稚拙なラフ画だった。
Aはまた買ってくれたが、「今度、私のアイドルとあなたのアイドルでコラボしたいですね」
また言われてしまった。そんなにうちよそがしたいのだろうか。
Aは自作アイドルの紹介文を送ってきてくれたが、Aが書くアイドルはプロデューサーさん系で私が書くアイドルは握手会系、アイドルとはいえ系統が違いすぎる。
私はいつかとその場をはぐらかした。
それから暫くして、今度は私がロボット物のSF小説を発行した。
Aはまた買ってくれたが、「今度、私のロボットとあなたのロボットでコラボしたいですね」
ミステリーでもアイドルでもロボットでも、Aにとってはコラボ出来れば何でも良いのだろうか?
結局これらのコラボ依頼は全て断った。
私の作品が読みたいのではなくコラボのために私の同人誌を買ってくれているのなら、金輪際スペースには来て欲しくないくらいだ。
最近、Aが個人誌の新作(SFロボット物)を出すとのことでゲスト原稿を依頼された。
・今回発表するのは1話ですらない0話で、キャラクターや世界観を紹介するだけの本
上記の内容でAの作品の二次創作小説を書いて欲しいと頼まれたが無理な話である。
1話すらない、世界観も主人公の風貌も一人称も不明な作品をどう書けというのだろうか。
そもそもAは自分が提示した資料で物語が書けると思っているのだろうか?
寄稿の話は断った。
Twitterで私が○○というスマホゲーを始めたと呟くと、Aは「フレンドになりませんか」とユーザー番号をスクショして送ってくる。
Twitterで私が★★というスマホゲーを始めたと呟くと、Aは「フレンドになりませんか」とユーザー番号をスクショして送ってくる。
そんなにスマホゲーを通して交流がしたいのだろうか。何のために?
元々私はAにユーザー番号を教えておらず、今もAをフレンド登録はしていない。
先日、そんなAをTwitter(私が世間話をしている鍵アカウント)からリムーブした。
Aも鍵アカウントなので影で私のことを言われているかもしれないがどうでもいい、Aは他のフォロワーとコラボなりゲスト原稿なりし合えばいい。
10年の付き合いが何だというのだ、今の私は解放感に満たされている。
ちなみにAからは私のサークル情報だけを呟く公開アカウントをフォローされているが、サークル情報なら勝手に見ればいいと放置している。
もしも今後私が即売会に参加したらAは姿を見せるのだろうかと密かに気になっている。
この10年、コラボやスマホゲーのフォローに再三応じなかった私へ何度も声を掛けてくれたAには多少感謝している。
一病息災
[元首相 安倍晋三さん]潰瘍性大腸炎(1)突然の辞任 陰に難病悪化
https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20120105-OYTEW53549/
消化器の広場 2012.秋号
https://www.jsge.or.jp/citizens/hiroba/pdf/hiroba01.pdf
安倍晉三「潰瘍性大腸炎」惡化,再辭日本首相!日醫:這樣吃守護腸道抗發炎
https://www.edh.tw/article/20310
追記1
「機能性胃腸障害」は「胃腸に原因になるような病変見つからないけど症状出てる」って意味。
機能性胃腸障害だから胃腸の調子が悪いのではない。胃腸の調子が悪い(けど原因の病気が見つからない)から機能性胃腸障害と言われるのだ
「機能性胃腸障害はどうした」と言われても、実は潰瘍性大腸炎を隠してましたっていうことで説明できる
追記2
バーチャルナントカには更々興味はなかったがゲストが某大人気プロ雀士だったから、某麻雀ゲームの生放送を見てみた。
そこそこ面白かったけど某女のバーチャルユーチューバーが酷かった。
プロを下の名前で呼んだりバカにしたり、とにかく失礼だった。(とても『ずっとファンだった(本人談)』人間の態度ではない)
手牌覗いてんじゃないかとも思っていたが、それは現在本当に疑われているようだ。草。
それからというもの、麻雀の生放送には興味を持ったがそいつの出てる番組は見なかった。