はてなキーワード: 葛飾北斎とは
この前別の記事で同じようなことを書いてる人がいて自分も書きたくなった。
スカスカシステムが出た辺りでやめたが、結局トータルで見ると400万以上使っていた。
FGOをやり始めたのはサービス開始当初で、リセマラで当時強キャラと言われてたヘラクレスが当たったからプレイしようと思った。
そもそもそこそこ生きていると自分の性格が分かってくるもんで、
自分は狭く深く、コンプ癖があり、熱くなって散財しやすいと一番スマホゲーをやっちゃいけないタイプの人間だって分かっていた。
まぁ強キャラ当たったしやるだけやるかなぁと思ったのが運の尽き。
最初に課金した時から家計簿アプリで出費額を記録してたんだけど、
狂金時宝具5にした段階でこれまでの合計出費が20万超えちゃって正直めちゃくちゃ焦った。
で、とりあえずヤフオクでアカウントを売ろうと思ったけど設定した金額が高すぎて売れなかった。
まぁ金使わずに続けていくかと思ってここから無課金プレイをやり始めた。
そっからまぁ沖田とかスルーしてたんだけど槍スカサハが来てまた課金しちゃった。
とりあえずここら辺が第一の間違い。
で、福袋やら新規実装やらでどんどんどんどん課金していくうちに財布の紐がガッバガバになった。
で、FGO民は知ってると思うけど春頃にジャンヌダルクオルタが来ちゃったんだ。
見た目も気に入ったし何より性能がやばかったし課金するしかなかった。
結局16万使って宝具2で終了、まじでぶっ倒れるんじゃないかってくらいきつかった。
ここが第二の間違い。
結局ガチャゲーで怖いのは大なり小なり沼った時に、
ある意味浪費に対する免疫が少しずつ無くなっていくことなんだよな。
一回16万爆死すると次からは16万まではなんとなく突っ込んじゃうようになる。
しかもその16万使ったキャラを持ってるアカウントが、劣化するのが嫌で新規実装された奴は引いとかないととか考え始める。
コンプ癖と金を使ったんだからもう後には引けない理論が混ざってえらいことになる。
そっから実装されるやつはガンガン回していくし、くそったれのメイヴやクーオルタでまた大爆死もした。
その頃だったか多分元々やってたSNSとは別に、FGO専用のTwitterを開設した。
これが第三の間違い。
FGO専用ってことでFGOやってるやつとだけ繋がってたんだけど、
そうするとFGO全肯定なわけだからどんどんどんどんのめり込んでいった。
そのときにはもう3桁万円余裕で課金してるから、新規実装されたサーヴァントの宝具5SSアップしたりすればすげーすげー言われるわけだ。
ちょっと話は逸れるけど若者は高級腕時計とか高級車買わなくなったって言うけど、
ソシャゲガチャゲーがその部分を丸々食っちゃっててデジタル宝飾品みたいになってんじゃないかなって思う。
すごいアカウントだったりレアなキャラ持ってたりすればやっぱり優越感がすごい訳だ。
それこそSNSでの自慢、オフ会での自慢もありきでスマホゲーやってるやつも結構いると思うんだ。
100万200万のロレックスは持ってねえけど100万200万課金したアカウントは持ってるってやつ結構いるんじゃない?
この前の正月なんてガチャSSと一緒にあけおめツイートばっかりだったもんな。
話を戻すけどとにかくFGO専用のSNS作ったのが本当に大間違い。
しかもFGOやってるならわかると思うけどこの時期のFGOが多分一番ピークだったと思う。
はじめての水着イベントが来て、6章円卓が来て、7章バビロニアが来て、年末にはあのラストを迎えたわけだ。
ここの盛り上がり方は本当に凄まじかったように記憶してる。
元々やってた方のTwitterアカウントに久しぶりに戻った時に、ほとんどいなかったFGOプレイヤーがめちゃくちゃ増えてて驚いたもんだ。
そこから正月福袋に宮本武蔵実装と来てもう完全にぶっ壊れてた俺は日替わりPUのギルに突っ込んでいった。
で、きっちり大爆死して正月早々20万がFGOに飲まれていった。
そこで本当に気分悪くなって目が覚めた。
確かこの時のこれまでの累計金額は250万近くになってたはず。
そのまんまFGO専用のSNSのアカウントを削除して、FGOアカウントをヤフオクへ出品した。
このときの盛り上がりってのは本当に凄まじくてそれが功を奏したのかすぐに買い手がついた。
こちらの希望額は80万で、そのまますぐに入金してもらってアカウントを引き渡した。
ここからしばらくはFGOから離れていたけど、ピーク時に辞めてるからずっと気になってるわけだ。
暇な時にヤフオクなんかを覗いて色んなアカウントの値動きを見たりしてた。
ここが第四の間違い。
好きな状態でやめてもMMOの引退詐欺みたいなもんで絶対そのうちに復帰するんだよな。
案の定4月頃、そこそこ良いアカウントを手に入れてFGOに復帰した。
ただまぁ前回の事もあるからFGO専用SNSはしない、FGOツイートなんかもしないようにした。
それでも根が中毒者なもんだから、数ヶ月経った頃のその年の水着イベントではガチャブンブン回してたよね。
水着オルタの水玉コラが好きで、今思えばガチャに金使わなくてもこの画像一枚眺めるだけで良かったんじゃねえかな。
まぁFGOでは1.5部をやっててどんどん新キャラが実装されていってた。
それプラスして現状持ってないサーヴァントが復刻されると回したりしたもんだ。
定期的にサーヴァントにアッパー調整が入るからまぁその辺も環境が変わって楽しかったしな。
年始には葛飾北斎が来て、これは多分3万か4万くらいで宝具5になった。
FGOも不思議なもんで調子が良いときには数万で宝具5になるし、
調子が悪いと十数万でやっとこさ初当たりなんてこともある。
母数が少なすぎて意味ないけど計算したら確か自分の場合宝具5にする平均が15万とか20万くらいだったかな。
そんなこんなで2018年が始まってFGOも第二部やります!とか言ってんだけど、
ここらへんで段々とFGO熱が引いてくると同時に疑問を感じだす。
突然回避不能な宝具ブッパされたり、育てたキャラが使えない編成制限があったり。
強いサーヴァント出すけど、ゲーム難易度なんて運営の匙加減次第でどうとでもなる。
入場料400万という大金を払って延々滑車を回す哀れなハムスターなんじゃないかと思いだす。
ただもうかなりの金を突っ込んでるし、この時には星5サーヴァントはほぼコンプ状態だったから辞めるに辞められない。
新規実装されたサーヴァントがいればもうなんか訳分かんない惰性で引いてた。
それこそ第二部始まって新しい冒険が始まるとか言われても、新規ガチャ来るってだけでげんなりしてたと思う。
それでも続けてたんだけど5月くらいにはもう何が楽しくてやってるのか分かんない状態だった。
確か前のアカウントも含めて累計課金額は400万超えてたはず。
これまでアーツバスターに対してちょっと影の薄かったクイックが大復権したタイミングだ。
こうやってまた滑車の入れ替えが続いていくのかなって心が折れた。
もう課金する気も起きなかったし星5コンプって状態で早く売ろうと決心した。
なんやかんやの細かいベントを挟むだろうけど、夏にはまた水着イベントが来るからだ。
そうなってからじゃ遅いから、なんとか買い手を見つけて交渉して50万で手放した。
これよりもずっと古い状態のものが前は80万で売れたのに不思議な話だ。
恐らく同時期にヤフオクがアカウント類の出品を一切禁止したのもデカかったんじゃないかな。
420万使って125万回収の295万で俺のFGOライフは幕を閉じた。
まず第一の間違いで辞めるならさっさと辞める、辞めるのに遅すぎるなんてことはない。
結局その後も課金してしまうんだからとにかく被害が増えないうちにさっさと辞めるに限る。
それから第二の間違い、爆死したら絶対に爆死に対して耐性がついちゃってどんどん金を突っ込むようになる。
爆死したら躊躇なく使う金額の上限がそこへ引き上げられる。
だから爆死したらもう辞められないんじゃなくて、今すぐ辞めないとかなりヤバイって事。
第三の間違いは売るタイミングだ。
好きな女と涙ながらに別れるのは辛くても、顔も見たくない相手ならすぐに別れられるはず。
まずはSNSを辞めたり環境を変えて嫌いになるか少なくとも好きではない状態から辞める方が良い。
これは第三の間違いとも繋がってて、やっぱり未練があるから見ちゃうんだよな。
よく考えなくても超しょぼいグラフィックで大して戦闘も面白くねえし、
世の中他に面白いものがたくさんあるからそっちに目を向けたほうが良い。
馬鹿の書いた駄文だけどスマホゲーに課金しようとしてる人や辞めようと思ってる人の参考になればいいな。
まぁそもそもスマホゲーガチャゲーをやったのが一番の間違いだけども。
ちなみに文中で散々RMTやってるけど、RMTは回避不能なゲイボルグみてえな詐欺があるから絶対やらない方がいい。
詐欺をされてもやられた側は何もできずに終わるだけなので気をつけて。
今まで有償石を買わずにプレイしてきた(2部3章は実装後3日でクリア済み)が、400万課金した増田さんとシロクマ先生の記事を読み返して恐ろしくなった。
https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20180828/1535441354
いや、ちょうど正月の福袋(有償石限定の奴)回そうかなと思ってたところなんすよ。Google Play のプロモーション残高がたまってたので。
思えば今年は初っ端からお栄さん(葛飾北斎)を引けて幸先がよかった。アナスタシアもアキレウスもなんだかんだ無課金で引けた。だがここ数ヶ月はめっきりで……ああこうやって引きずり込まれるのね? と。
ああ、ぐだ子が窓に!
それで何が問題なんだろうか。
いいや間違いなく問題があるのだ。
空気が淀んでいくんだ。
何故ならネットには自浄作用が全くと言っていいほどないからだ。
葛飾北斎は生涯で何十回と引っ越しを繰り返したというがそれは何故か、それは彼に掃除の才能がなかったからだろう。
そしてインターネットという空間もまた掃除をする才能がまったくないのだ。
出来るのは粛清だけだ。
空間に沈殿した意思が集まって出来た巨大な何か同士がぶつかりあって自分達以外を排除しようとしあう行為の果てにあるのは破滅だけだ。
新陳代謝を諦めて老朽化することを受け入れるだけになったコミュニティに未来はない。
そして実際に、未来が生まれえないままただひたすら同じことだけを繰り返すようになり、それに付き合いきれなくなった人間から順に朽ち果てていくのである。
そして今もそうした衰退は進んでいる。
濁りきったエネルギーが渦を巻いて自分達以外の全てを弾き出そうと動き出している。
実際、Twitterは明らかに変化を拒絶するようになっている。
最初期と違い変化を受け入れる余裕を失いきっている。
そしてそれぞれが接点を失い始めている。
だが新天地がどこにもない。
気づけば次々と新天地が生まれていた時代のインターネットは何処に行ったのか。
この世界にはもう新しいサービスが生まれないんじゃなかろうか。
いいや試しに手を動かしてみよう「インターネット サービス」でグーグル先生に相談だ。
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クソッ!俺を舐めやがって!
4歳の長男は今年4月より、2歳児までしかいられないNPO法人運営の小規模認可から転園し、昨年開園したばかりのIKEAみたいな色合いのきれいなチェーン系私立保育園に通っている。
入園前の内定者説明会では、「早くても9時すぎ、遅くても9時20分には登園する」伝え、当時の園長は「散歩開始時間がそのくらいだから、それまでに来ていただければ」と理解を示してくれた。
昨年度までの園長は、仕事ができることを買われ、他の新設園に移ったそうだ。
話も変わっていた。
「9時までに登園すること。これ、決まりです」
長男の前保育園、2歳の次男が通う私立保育園は、「だいたいこのくらいまでに」という目安はあるものの、登園時間は決まっていない。
早朝から出勤しなければならないご家庭は7時くらいから預けられるし、私のようなフリーライターは取材や打ち合わせがなければ、8時半以降ならばいつでも登園できるはずだ。
どうやら、IKEAみたいな色合いのきれいな保育園は、そういうところじゃなかったようだ。
“決まり”なんだと。
「朝の歌に参加できなくて覚えられないから、◯◯くんが可哀想です」
「ゆっくりお茶を飲む時間がないから、◯◯くんんが可哀想です」
「プールの時間に遅れると入れないから、◯◯くんが可哀想です」
部屋に入り挨拶をしても、気持ちのよい挨拶は返ってはこない。なんなら聞こえないふりをする。
まるでわたしもマイペースゆえの9時すぎ登園だと言っているようだ。
「他の園児はちゃんと9時までに来ている」と言うが、それは自分の出勤の都合に合わせているだけで、あんたらの決まりに合わせているわけじゃない。
一日に取材3件、締め切り3本をこなすため(週刊誌や月刊誌は締め切りが重なる)、ネットサーフィンやインスタチェックもせずただただ仕事をこなし続け、昼食はPC前でカップラーメンをすするか、マックでパクつきつつ仕事し、5時50分に迎えに行くため家を出て、そこから22時30分までは家事と育児、寝かしつけで意識が飛びそうになりながらも起きて、食器を洗い保育園バッグの中身を取り出し、仕事を再開すると、あっという間に朝日が昇る。
あと2時間しか寝られないけど、どうしても寝たい。体力を少しでも温存させたい。
明るい日差しの中、7時くらいに起きた子どもたちの遊ぶ声をうつらうつらと聞きながら、8時すぎに、重い体に鞭を打って起き上がる。
そして着替え、朝食の準備、食事、歯磨き、がスムーズにいくはずもなく、いちいち彼らを怒ったりそれによって泣いたりで時間がロスする。
夫はわたしが寝るのと同じくらいの時間帯に帰ってきて、昼を過ぎた今まで寝ている。
乗っかるペースがあるとすれば仕事の締め切りくらいで、自分のペースで寝ていられる。
(通常時の朝は家事は夫、送りはわたしと、負担をシェアしているが)
そんな今日、IKEAのような色合いのきれいな保育園に着くと、9時23分だった。
いつもはがんばって9時10分前後に着くようにしているが、いつになく遅かった。
教室に入り遅くなったことへの謝罪と挨拶をすると保育士は、聞こえないふりする。
「あの〜……何時に起きてますぅ(苦笑)?」
わたしが正直に8時だと答えると、「は、8時っ……(苦笑)」と嘲笑したあと、「だからお昼寝できなくなっちゃう」とかなんとか言おうとしていたので、(もう4歳なのだから起床時間にかかわらず眠くない日だって往々にしてあるはずだが)彼らは7時に起きていることを伝えた。
わたしは地獄のミサワじゃないんだから、「今日6時半に寝て2時間しか寝てねー、2時間しか寝てねー」なんて言うわけがない。そんなこと言いたくもない。
長男に「今日も楽しんでね」といつものように言い、教室のドアを閉めた。
次男の保育園に送りに行くと、いつものように担任たち気さくに笑顔で明るく挨拶してくれる。
「お母さん、それすてき」
子どもたちがわーっと寄ってきて、「タッチしてくれ」と手を伸ばす。
9時までに登園しなければならないという“決まり”を背負わせておいて、どこにマイペースの片鱗が見えるのか。
誰か教えてほしい。
トラバやブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。
変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。
例えば、葛飾北斎の富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山、凱風快晴。
あれを見て、思うのだ。
それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。
知っての通り、オリジナルの浮世絵には原画というものが残っていない。
それを版元、つまり出版社の企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人に渡り、板に張り付けられてしまう。
板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。
絵師というか、画工っていうイラストレータの地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手にアレンジすることだってある。
そもそも、芸術家として心から沸き起こるものを表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題。
彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。
具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。
そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。
そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。
で、その手の浮世絵の解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。
明らかに自己主張がある。
摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」
っていう自己主張をビンビン感じる。
いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術、方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。
彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。
時代の流行、ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。
彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸の流行りを、それを引き算してやる。
北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい。
少なくとも、自分にはそう感じられる。
ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。
それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。
あるいは、摺師、彫師、版元、江戸の空気と北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分と北斎のセッションが出来る。
なんて楽しいことだろう。
技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。
前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。
いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式の木版画を教える教室はほとんどない。
なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。
その答えはわからない。
俺も知りたい。
で、そもそもその技術を継承した人というのが少なく、浮世絵の職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。
現役彫師が教える版画教室。
当然ながら彫りに詳しい。
第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日~7月2日
摺師が教える版画教室。京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。
五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレーの作品を摺ってた人)から学んでる。
NHK文化センター 川越教室・木版画講座・作品展 2017年8月21日~8月27日
入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。
野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵の技法を知るうえでお勧め。
いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。
有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学や企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。
職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵で子供育てたカナダ人。
そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。
みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。
自分なんか、趣味の範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。
コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい。
いまだって、コンビニでカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから、江戸時代の印刷技術スゲーって思う。
小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。
まるで、フォトショでみたいにね。
うん、フォトショみたいにね。
赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショでレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。
前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション、計算されつくした重なり、つまり、フォトショやイラレ。
そういうことなら、原画だって、フォトショやイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。
今日はここまで。
本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。
(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコンのグラフィックみたい。
そう思っていたらグラデーションが!
思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、
意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。
小倉擬百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、
あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。
八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。
そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。
スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。
説明から摺物と呼ばれる自費出版で趣味に走った同人誌的なものがあったこと、
当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。
魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!
文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。
最後に輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。
最後にミュージアムショップで復刻浮世絵(嶋田と池鯉鮒)を買ったのですが、
学芸員さんに「選んでください」と……
「同じ絵ではありませんの?」
「版が違えば微妙に違うんです」
今後、中期・後期の展示があるそうですわ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/270713387/comment/shields-pikes
TreeMemoでいいじゃん。抜群に使いやすくて20年前から愛用してる(これのおかげでロジカルシンキングが身について戦略コンサルに入れた)けど、バージョンアップが遅いのが問題。Macやクラウドに対応してもらいたい。
99文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270703910/comment/shields-pikes
池井戸潤の原作ドラマは、時代劇でいうところの水戸黄門だから、考証を議論するのがバカバカしいレベル。サラリーマンが共感するムカつくシーンと、ギャフンと言わせてスカッとするシーンを交互に繰り返してるだけ。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270698247/comment/shields-pikes
もはやSNSという括りじゃなく、Web上を流れる血液のような情報インフラとして、今のところ代わるものが無い稀有なサービスだし、大好きだから長続きしてほしいんだよなあ。APIへの取り組みは残念なので改善して欲しい。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270717993/comment/shields-pikes
ていうか、比較対象のFacebookは経営が神がかり的に巧すぎるんだよ。よく見た目から誤解されがちだが、ザッカーバーグはサービスを作ったりビジョンを生み出す天才じゃなくて、30年に1人レベルの経営戦略の超天才。
98文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270693007/comment/shields-pikes
ブコメで大人の趣味について語ろうかと思ったが、全体的にベタ過ぎるほど至極真っ当な意見の記事で、部分的には賛同しかねる点もあるがわざわざ指摘するほどでもなく、特にコメントがなかったのでクソリプしてみた。
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270691881/comment/shields-pikes
早く母上を子育てから卒業させてあげて下さい……。『学校の頃に子どもに混じって鬼ごっこしてた母親がスポーツクラブでヨガにハマって「あなたも運動しなさい」とか煽っているのを見て「老いたなぁ」と僕は思った』
100文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270666327/comment/shields-pikes
古くは江戸時代の葛飾北斎「蛸と海女」、昭和のにっかつロマンポルノなど、巫女などと同様に古来より性的なコンテクストで消費されて来た職業なので、こういう視点には敏感だと思うし、あの絵で公認化は無理筋。
98文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270655432/comment/shields-pikes
よく分かってない温暖化のために、一兆円規模のガス排出権取引が行われるのって、どうなんだろね。みんなで気をつけるのはいいことだと思うんだけど、国家間の取引にするなら、もっとリサーチすべきだったのでは?
99文字
http://b.hatena.ne.jp/entry/270654898/comment/shields-pikes
炎上PVで小金を稼ぐために、こういうのを平気でネタにして書ける品性の下劣さが、本当に気持ち悪い。どんだけプライド安売りしてんの。それでも面白ければまだネタとして消化出来るけど、笑いのセンスも無いし……。
100文字
さすが社長というべきか、100文字枠を目いっぱい使って言いたいことを言う姿勢が明確。経営資源の有効活用ってやつだ。
しかも、群小のブコメにうずもれると分りにくいが、ブコメの内容をよく読むと経営者視点からの実に鋭い斬り込みを連発してないか?
継続して読んでいると、下手なビジネス書を読むよりも経営者センスが身につきそう。って言うかおいらも社長になれないかな?w
他の増田ブックマカー達とウフウフキャッキャつるんで遊ぶタイプではないが、キャラ立ってるし着目しないで見過ごしているともったいなさそうな一人である。
昨年急に浮世絵に目覚めた人です。
http://anond.hatelabo.jp/20150815210249
これに対して、
http://anond.hatelabo.jp/20150816024827
こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式で進化してるように思う。
ここで、それについて説明していきたい。
日本人のアイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。
ここで、見てもらいたいのは、ルフィが市川猿之助に似ていないこと。
なぜだろう?
「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」
その通りだ。
ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。
ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。
役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg
狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式なアンソロジーみたいなものである。
絵はすなわち、歌舞伎の様式美、世界観、江戸の空気を体現したものではならない。
ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである。
似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本は世界を変えた。
勝川春章
この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎の世界観、様式美との調和に成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg
顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。
歌舞伎の雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する。
彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。
ちなみに、葛飾北斎は勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。
面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである。
http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg
歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。
正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性がデッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。
スネオの髪型やカイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。
女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいのエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。
続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。
先に写楽に触れよう。
東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg
http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg
Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。
小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正は必要ない。
芝居小屋の闇を表現したかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗りの人間にスポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。
実際、写楽は売れなかったらしい。
なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビュー、しかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。
よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である。
ところで、写楽は商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。
写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば
歌舞妓堂艶鏡
http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg
http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg
歌川豊国の役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。
勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg
歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg
この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国、自称二代目豊国)、幕末の豊原国周まで続く。
末期がどんなになったかといえばこんなだ
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg
さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵の様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。
人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。
最後の浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。
晩年ともなると、このような感じ。
http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg
http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg
絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。
下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式。
どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である。
劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能。
人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター。
デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。
人物はデフォルメでも、背景描写はパースを重視するのも浮世絵的。
っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。
ちゃんとした美術史や絵の解説書から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。
https://www.facebook.com/pages/Zaricor-Originals/109247355769680
The red sun slightly to the right or the east is self explanatory. While it serves as the sun and Japanese spirit it also symbolizes the flame in the Olympic torch.
Below is a great wave, dominated by the spirit of the sun. The wave is also in the shape of a T representing Tokyo and also symbolizing the torch itself. Both these 3 meanings in the torch and the sun also relate to the 3 marks of existence.
The font styles on TOKYO 2020 and the spacing of all elements as well as the size of the Olympic rings will be tweeked as I continue the larger finished painting.
Although the design will change slightly and become more refined as I continue this is the basic idea and all seeing may serve as witness.
I hope this serves as a testament of my respect for creativity, the Olympics and the wonderful people of Japan.
Thank you, Benn Zaricor
少し右、あるいは東(※the eastは英語だと東洋を指すことがある)にある赤い太陽は、それ自体が説明的だよね。太陽と大和魂として機能する一方、オリンピックの聖火の炎を象ってもいる。
下のはグレートウェーブ(※葛飾北斎の神奈川沖浪裏は英語だとThe Great Waveとして知られる)で、太陽の魂に気圧されている。波はTの形にもなっているけど、これはTokyoを表すのと同時に聖火のトーチ(torch)自体を象ってもいる。聖火と太陽の3つの意味は、三相(※仏教で無常、苦、無我のこと Wikipedia。ただし、これはタイなどで信仰される上座部仏教の話で、日本などの大乗仏教とはちょっと違う)とも関係があるんだ。
TOKYO 2020のフォントのスタイルや、全要素のスペース処理、五輪の大きさなんかは、もっと大きな完成版の絵の作業をしていくうちに修正されるよ。
作業をするうちにデザインは少しだけ変わって、もっと洗練されるはずだけど、これが基本的なアイディアで、見えるもの全てが証拠品となるだろう。
これが、創造性、オリンピック、日本の素晴らしい人々に対する、僕のリスペクトの証になることを願っている。
ありがとう。 Benn Zaricor
ちなみにロケットニュースによる訳
http://b.hatena.ne.jp/entry/rocketnews24.com/2015/08/17/621055/
「少し右側、すなわち東側に赤い太陽があるのは自明のことです。それは日の丸と日本人の精神を表すとともに、オリンピックの聖火の象徴でもあります。下には日の丸のスピリットに支配された大きな波が描かれています。この波はまた、Tの形をしています。東京のTであり、聖火(torch)の象徴でもあります」(Zaricor Originals Facebookより引用)
浮世絵しかわからないので、浮世絵がいかに衝撃的だったか、どう世界を変えたか、ちょっとだけ。
ところで、少し脇道から入っていくが、まずこの写真をみて欲しい。
http://img.allabout.co.jp/gm/article/20016/image2.jpg
俺はすっかり大人になっていて、南国にはこういう景色、すなわち澄んだ空と海、強い日差しがあることを知っているけれど、もしもこれを予備知識なくみたならば
「なんて美しい場所だ!本当にこの世なのか?」
と思うと思う。
これをみて、「海と小屋が映ってるだけだろ。なにが綺麗なのかわからん。」
という人はそれでけっこう。わかりあえないので、この先は読まないでいい。
これを西洋人が初めて目にした時の衝撃は、たぶんそれに似てる。
「なんと澄み切った空!見たこともないブルー!ただ青が広がるだけの空がこんなにも美しいのか!影が映らないほどの明るさ!」
「澄み切った水!そして水面がキラキラと光ってる!」
しばらく、その美しさにトリップしたあとに、正気に戻ってみてこの美しさはどこから来るのかと絵を探るといろいろと気付くのだ。
「見たこともない構図だぞ!風景を上から見下ろして描くなんて!!」
「紙が布のようだぞ!紙そのものが上等なシルクのような輝きを放ってる!」
「波打つ水面は、ただ紙に描かれているのではなくて、エンボスになっているぞ!」
「遠い異国の景色であるのに、聖書の物語の一節でも歴史の一部でもないのに、馬を引く人や船を漕ぐ人のドラマが頭のなかで再生されるぞ!」
「表面にインクは残っていない!触ってもインクが手に付かない!光に透かせば光を通し、光に当てれば輝く反射!ありえない!ありえない!ありえない!」
「日本という国では、カラー印刷が一般的なのかッ!!!包み紙に使うほどにッ!!!貴族でも大商人でもない一般庶民が、絵を楽しむというのかッ!!」
「こんなにも簡素な表現で、こんなにも訴えかけることができるのかッ!!!いや、極限までエッセンスを削ぎ落としたからこそ心のドアをノックするのだッ!!!」
「絵とは魔法だ!丸に点を二つ描くだけで、顔に見える!そこに手足を描くだけで動いて見える!我々は見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める術を手に入れた。しかしどうだ?心をノックするために、見えるものを見えるままにキャンバスに閉じ込める必要などあったのか!?
日本人は、我々が陰影、凹凸、光源の方向、そんなことに執着して、方向を間違えている間に、一瞬の煌きや感動を絵に閉じ込める術を手に入れていたッ!!!」
例えば、もしも浮世絵がなかったら、テレビドラマや映画は登場人物の会話を真横から映し続ける退屈なものだったろう。
それまでの舞台を描いた絵も、物語を描いた絵も、常に真横からの構図だ。
仰視、俯瞰、物陰から、登場人物の一人称視点、あらゆるカットで切り取っていくのは、浮世絵のアイディアだ。
葛飾北斎が「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしたのは、そういう理由だ。
http://anond.hatelabo.jp/20141117014426
思ったよりもブックマークがついた。
しかし、ブコメをみる限り、ぜんぜん伝わってないことが哀しい。
生で見ればわかる。
博物館じゃなくて、刷りたてをみればだ!!
いや、説得力がないのはわかる。
入信してみればわかる、南無妙法蓮華経と繰り返してみればわかる、ってのと同じだもんな。
で、絵について昔から納得がいかなかったことがいくつかある。
ピカソって下手だろ。
正直なところ、どの辺の時代が一番上手いかっていったら、レンブラントとか、あのへんじゃね?
って思ってた。
どうして、昔のほうが優れてるんだよ?絵だって進化しなくちゃおかしいだろ?
って思ってた。
こんなの(レンブラント)とhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3#mediaviewer/File:Self-portrait_at_34_by_Rembrandt_(rectangular_detail).jpg
こんなの(ゴッホ)
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
こんなの(ピカソ)
http://livedoor.blogimg.jp/strange_emily/imgs/1/2/1222bd6f.jpg
で、どれが一番絵が上手いかっていったら、レンブラントだろ?
ぜったいおかしい。
と。
油絵のなにが凄いって、塗れることだと思う。
塗った上に、さらに色を重ねられる。
もうね、物理的に上に重ねていくことができるから、どんな質感もだせるわけじゃん。
筆跡一つなくつるつるの面もつくれるし、壁のでこぼこなんて、本当にデコボコにできる。
畳に人形が立っている絵だったんだけど、バックの畳が、まるで本物のようでさ、つい目を近づけたら、本当に絵の具が畳のデコボコを作ってたの。
「うへー」
って思ったよ。
化粧みたいなものなんじゃないかな。
どんなに荒れた肌だって、丁寧にファンデーションを重ねれば、滑らかにできる。上に上に重ねて、ハイライトを入れて、陰影をつけて、立体感をだせる。
それが油絵。
で、浮世絵をみて気付いたんだけど、そのやりかたって限界があったんだ。
色を上に上に重ねる先には、明暗をつける先には、なにもなくなる。
もう少し説明すると、対象物を立体たらしめるためには、遠近法と明暗だろ?
明暗でいうと、奥のものは暗く、手前の物は明るく、そうすることで対象物が飛び出してくる、そういう寸法。
たとえば、白い服で白い壁に立った人を描く場合、どうやって人と壁を隔てればいい?
壁を実際より黒くかき、人の服をより白くかき、境界を作るっていう方法しかない。
どんどん先鋭化していくと、背景は黒に沈み、対象物以外はなくなってしまう。
比較対象を置かなければいけなく、比較対象は黒く沈んでいかなければならないが、黒に沈むと比較対象が消滅していく。
というか、そもそもモノそのものを正確に写すなら、写真のほうが優れてるしな。
ハッハーw
「塗り」の発達する余地がなかった中国画、日本がでは、その問題とは無縁だった。
線が絵になる。輪郭が形を作る。
輪郭を強調することは、恥じゃない。
写実性を求めて、輪郭を排して塗りの技法を発展させたからこそ、絵の発達は袋小路だったわけだ。
なんのことはない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%9B%E3%82%92%E5%90%B9%E3%81%8F%E5%B0%91%E5%B9%B4#mediaviewer/File:Manet,_Edouard_-_Young_Flautist,_or_The_Fifer,_1866_(2).jpg
こうなる。マネの笛を吹く少年。
なにもない部屋の中でも、空気のなかでも人物は浮かび上がる。
改めて考える。
本当に背景は暗くなければいけないのか?
明暗のグラデーションではなくて、反対色で境界面つくったらどうなるのだろう?例えば、大地は緑に、空は赤くと言った具合に。
色の境界面で区別して、遠近法だけでレイヤーを重ねたらどうなるのか?
こうなる。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/
になるだろゼッタイ。
油絵と違って重ねることができないからさ、1トーンのグラデーションと、色を近くに並べることでしか中間色の表現ができなかったからなんだと思うんだけど。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/hokusai049_main.jpg
富士山の山肌が、近くで見れば明らかに点描のようなんだけど、明暗をつけていないのに立体的であるような、山であるのに躍動感さえ醸しだす不思議な感じ。
人間の視覚の仕組み上、例えば赤と緑みたいな反対色をちょとだけ隙間をあけて並べると、赤のフチに緑のラインがみえてきて、緑のフチに赤のラインが見えて、赤と緑の間の空間に赤でも緑でもない、灰色のような色が浮かんでくる。
筆のタッチは荒くても、強い色を同士を近くに並べる。そうして出来上がるのが
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/h-inb1/h-pim/h-goh/h-goh2.jpg
そう、ゴッホに戻る。
明るい光のなかで活き活きとし、明るい光のなかで人物の影は消え去る。
これはマネ。
浮世絵のような明るい色彩。
影もない。
明るさといえば、雪あかりの表現について語りたいんだが、今日はまとまらなそうなので割愛。
輪郭線、点描、1トーングラデーション、効果線、etc....現代の漫画の表現にすごくすごく似てると思う。
そう。
恐竜と鳥、くらいに近いことは間違いない。
縦長の絵で鯉が泳いでいたら、鯉の進行方向は下から上、という感じで。
絵の上下にかかる雲などは、今ではもうお約束として生きていないものもある。
しかし、多くは生きている。
たとえば、一枚絵でスピード感がある移動を描くとき、こういう配置をする。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai037/
真っ直ぐ進行させず、弧を描くように進行させる。
http://stat.ameba.jp/user_images/20110923/02/good-luck-heiwa/36/f4/j/o0296021811501145041.jpg
浮世絵の時代に発明されたお約束、動きのお約束であったり、デフォルメのお約束だったり、効果線のお約束であったり、それらが今の漫画の基礎になってる。
と、僕は感じた。
というかそもそも、浮世絵って漫画の一コマみたいなのばかりだ。
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kuniyoshi027/
ここまで書いてこういうのもなんだが、生で見ないとよさがわからん。
騙されたと思って、是非、是非!
みてるとですね、もうね、鑑賞する側の好奇心を、ドキドキを満たすためだけに制作されてる感じがするのですよ。
当時、ずいぶん安かったんだと聞きます。
今でも、手作業で大変とはいえ、けっこう安い。
だから、なんとか、もっと人気が出て、手作業とはいえもう少し大量生産するようになれば、単価も安くなるじゃないですか。
世の中に浮世絵が溢れることは、すなわち人類の幸福だと思うのです。
書ききれないので今日はここまで
ちなみに、LIFE誌が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で唯一日本人で名前が出たのは葛飾北斎だそうです。
徳川家康も坂本龍馬も松下幸之助もAKBも吉田茂もおさえて、葛飾北斎です。
つまり、生で見れば誰でもわかるんです。
凄さが。