はてなキーワード: 一世を風靡するとは
新時代のライター・スタイルとして一世を風靡するかもしれないじゃん。
デビュー前から、既成の枠に押し込めようとするのは才能の芽を摘むようなものだよ。
例えば、スタパ斎藤と同じスタイルのライターって他に居ないと思うけどちゃんと仕事になってるしね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%91%E9%BD%8B%E8%97%A4
パソコンやデジタル玩具などを中心に、とにかく自分が欲しいと思ったものを後先考えず頻繁に購入しては、その製品のレビューを書き散らすという仕事のスタイルから、「衝動買い技術者」を自称し、「物欲番長」という通称で知られるようになる。
昨年急に浮世絵に目覚めた人です。
http://anond.hatelabo.jp/20150815210249
これに対して、
http://anond.hatelabo.jp/20150816024827
こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式で進化してるように思う。
ここで、それについて説明していきたい。
日本人のアイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。
ここで、見てもらいたいのは、ルフィが市川猿之助に似ていないこと。
なぜだろう?
「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」
その通りだ。
ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。
ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。
役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg
狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式なアンソロジーみたいなものである。
絵はすなわち、歌舞伎の様式美、世界観、江戸の空気を体現したものではならない。
ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである。
似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本は世界を変えた。
勝川春章
この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎の世界観、様式美との調和に成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg
顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。
歌舞伎の雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する。
彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。
ちなみに、葛飾北斎は勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。
面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである。
http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg
歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。
正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性がデッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。
スネオの髪型やカイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。
女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいのエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。
続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。
先に写楽に触れよう。
東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。
http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg
http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg
Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。
小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正は必要ない。
芝居小屋の闇を表現したかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗りの人間にスポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。
実際、写楽は売れなかったらしい。
なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビュー、しかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。
よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である。
ところで、写楽は商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。
写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば
歌舞妓堂艶鏡
http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg
http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg
歌川豊国の役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。
勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。
http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg
歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg
この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国、自称二代目豊国)、幕末の豊原国周まで続く。
末期がどんなになったかといえばこんなだ
http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg
さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵の様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。
人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。
最後の浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。
晩年ともなると、このような感じ。
http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg
http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg
絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。
下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式。
どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である。
劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能。
人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター。
デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。
人物はデフォルメでも、背景描写はパースを重視するのも浮世絵的。
っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。
ちゃんとした美術史や絵の解説書から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。
もはやバカにする対象もセカオワになっちゃって旬を2,3年過ぎた感あるけどさ。
俺はさ、去年のGWにとある番組の大トリがサカナクンで、一緒に行った人間がファンだったからイヤイヤながら聴いてみたんだよ。
周りがほぼサカナクン好きの中で「グッズがサカナクンとかww」ってバカにしてたんだけどさ。泳げタイヤキくんのパクリだろって。魚並べてどうしたwwwってさ。
でもさ、実際聴いてみるとすごいんだって。あいつら、っていうかボーカルのサカナクン?ホンモノだよ。大音量でギョギョギョって全くうるさくは無くて、なんつーか、耳から生まれてきて他人に音を聴かせるために生まれてきたような人間なんだって、そう思ったんだよ。
あのパクリっぽい服装は未だにカッコ悪いとは思うけどさ、それ以降の、魚っていう限られたステージでも、魅了するような水槽作りに真摯で、本気で、かつ余裕を持って「魅せる」ために作っててさ。
キャラ作り、パフォーマンス、水槽づくり、どこを取っても他の芸人と格の違いを見せつけてた。バカにされたって、一瞬でも一世を風靡するような、一度でもナンバーワンになるような芸人ってやっぱ違うんだよな。
もはやバカにする対象もセカオワになっちゃって旬を2,3年過ぎた感あるけどさ。
俺はさ、去年のGWにとあるフェスの大トリがサカナで、一緒に行った人間がファンだったからイヤイヤながら聴いてみたんだよ。
周りがほぼサカナ好きの中で「グッズが魚の骨とかww」ってバカにしてたんだけどさ。ダフト・パンクのパクリだろって。MBA並べてどうしたwwwってさ。
でもさ、実際聴いてみるとすごいんだって。あいつら、っていうかボーカルの山口?ホンモノだよ。大音量で包み込まれるようなのに全くうるさくは無くて、なんつーか、耳から生まれてきて他人に音を聴かせるために生まれてきたような人間なんだって、そう思ったんだよ。
あのパクリっぽいパフォーマンスは未だにカッコ悪いとは思うけどさ、それ以降の、フェスっていう限られたステージでも、魅了するようなステージ作りに真摯で、本気で、かつ余裕を持って「魅せる」ために作っててさ。
音作り、パフォーマンス、ステージづくり、どこを取っても他のバンドと格の違いを見せつけてた。バカにされたって、一瞬でも一世を風靡するような、一度でもナンバーワンになるようなバンドってやっぱ違うんだよな。
ソフトウェア開発会社に新入社員として入社して1年とちょっと。
今俺は先行きについてものすごく悩んでいる。
こういうのは業界柄よくあることなので致し方ない、とは思う。
別にそれはこの際どうでもいい。
一世を風靡するしたJavaも今では一部でオワコンと呼ばれる時代だ。
新卒面接の時には「新しい技術を追いかけ続け、会社に貢献したい」とか言った気がする。
だが、その想いは入社半年を過ぎたあたりから見事に裏切られた。
レガシーコードとの戦いも覚悟はしていたが、俺が想定していたスマートなレガシーコードとの戦い方とはひどく遠いものだった。
テストなんてものは書かない。テストはExcel方眼紙で書かれたテスト項目が全てだからだ。
xUnitだとかSpecなんてものはもちろん知らないし覚える気もない。
極めつけはExcel方眼紙のテスト仕様書兼報告書と呼ばれる代物の抜けの多さ。素人でもわかるレベル。
足りなさそうな部分は経験則に則り適当にテストする。だがその結果は報告書には書かない。
バージョン管理なんてものも存在しなかった。上司に聞いたところ、あるにはあるらしいがCVSらしい。
だがそんなもの社内のどのチームを見ても使っている様子すらない。唯一のバージョン管理はファイルサーバー上の日付が書かれたフォルダーのみ。
とにかく現状がひどい現場だが、誰も変える気がない。
現場改善に向けていくつか提案もしてみたが、ただただ否定の言葉だけが帰ってくる。
なんとかしてやろうとも思い、個人的にいろいろやってみたものの、必要かどうかもわからない大量の雑務に押し潰された。
彼らには新しいものを学ぶ気なんて全く無かった。
会社を変える気も無かった。
俺はとにかく現場に失望した。憧れた業界はこんなものなのか、と。
同期や上司と気軽に話ができなくなった。
雑談でさえも話を続けることができない。
現場の問題点だとか新しい技術だとか業界の動向だとか、話したいことはたくさんあるのに。
彼らはそんな話に見向きもしない。
元々静かな現場であった上、コミュ障気味であることも災いし、その結果会社で話せる人はほとんどいなくなった。
雑談でもいいから話せなかった俺も悪い。だが今更何かを話にいく気にもなれない。
明日の飯を食うだけのために、1ヶ月、あるいは1年、もしくはそれ以上かかるようなつまらない仕事でも淡々とこなす。
生きていく上でのれっきとした一手段だとは思う。
だが俺はそんな生き方をしたいと思わない。
だが、現場ではどれだけ訴えても理解してはくれなかった。
俺は今、先行きに不安を感じすぎて俺自身が潰れそうになっている。
転職すればいいのかもしれないが、第二新卒枠がまだなんとか使えるとはいえ、今の実力でどこまで通用するのかわからない。
1年ちょっとで会社を辞めてしまう奴などクズだと見られるだろう。
その上就活もうまくいっていたほうではなかったから、その時の思いが蘇り、踏み出すこともできない。
八方塞がり。
きっとこの業界で自殺を考える奴の心境ってこんな感じなのかと、今日も1人日陰者としてExcel方眼紙の画面を睨み、与えられた作業を淡々とこなす。