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2022-01-27

コロナ世界が一つになったりするなという自然からメッセージ

グローバル資本主義はもう限界です。

そもそも世界が一つになるということは差異がなくなるということです。

どんな文明文化も一緒くたになってごちゃ混ぜになって、

それを評価する指標がカネだけになってしまう。

差異なきところに価値は生まれない。

秘すれば花とはよく言ったもので、19世紀ジャポニズム現代日本文化の消費は様相が全く違う。

日本もどうせ衰退していくんならグローバリズムに塗れて画一的な衰退をするより、

移民が増える、文化が変容する、拠り所がなくなって苦しむ、一部は原理主義者になる、共同体内で共有できる価値尺度がカネしかなくなる)

自分たちだけの滅び方を模索していきたいものです。

それは美しいものになるはずだから

2020-03-06

anond:20200305061410

ルネサンス芸術復興)を経験していないから(というか復興しなければならないような芸術破壊経験していないから)ではないだろうか。(強いて言えば信長とか廃仏毀釈とかだが全体的なものではない)

西洋においては、ルネサンスの後でも、写真発明ジャポニズム発見によって印象派シュールレリズムが生起された。現代芸術はその流れの上にある。

中国においては共産革命文化大革命によって既存芸術は壊滅的に破壊され、その損失を穴埋めするために、世界散逸した古典芸術を買い戻すだけでなく、中国現代アーチスト作品を買い求めている。

日本においては、明治文明開化によって西洋美術が導入したが、日本美術にとってかわったわけではない。日本美術西洋美術技法思想をとりいれてさらなる進歩を遂げたといえよう。日本美術現代美術コンテキスト独自にとりいれているともいえる。

日本における西洋美術は、それ自体現代芸術のようなものであったし、それを完全に消化、定着しきったわけではない。したがって、それにとってかわる現代芸術海外の見た目だけを真似たものしかなっていないのではないか

2018-09-05

産経も、少しは差別について学んだほうがいい

そしたらこんなコラム掲載して恥をかかなくて済む。

「「Kimonoは『人種差別主義』『帝国主義』」芸術イベント理不尽日本批判 https://www.sankei.com/west/news/180905/wst1809050009-n1.html

読めばすぐ分かることだが、ライターの方はボストン美術館に寄せられた批判に対しておっそろしく頓珍漢な反論を行っている。

事件は当時有名になったから、ご存じの方も多いと思うが、教科書なんかにも載ってるモネの「ラ・ジャポネーズ」の絵の前で着物を着せるイベント企画したら、アジア系の人からクレームがきた、というものだ。これは、当時大変盛んだった Cultural appropriation(文化の盗用/文化簒奪)やという視点に基づく批判典型である。つまり、「弱者であったアジア文化を、強者だった西欧人が真似して楽しむ、というのは、西欧アジアから簒奪してきた歴史への反省異文化に対する敬意を欠いた尊大な振る舞いである」という主張だ。日本でも、近年ようやく「ステレオタイプ異文化理解やその模倣が、異文化に対する敬意を欠いた失礼な振る舞いになる」ということにいくらコンセンサスが生まれつつあるが、自国内で異文化日常的にふれあう経験が少ないせいか、これを重要問題理解することがなかなか日本人には難しいようだ。

個人的に、この「文化の盗用」論に100%賛同するわけではない。特に、あまりにも過敏な反応は、逆に内なる差別性の表明、あるいは強者の驕りではないかと思う場合すらある。少なくとも、モネの絵の前でその真似をしたくらいで目をつり上げるほど怒る必要はないと思う。それは、「真似をする」行為リスペクト意味しもするという風に感じられるからだ。

しかしながら、「相手の真似をする」という行為は、一方で相手侮蔑したり揶揄したりするときにも行われることも考えておくべきだ。大人しく着物羽織ってる程度ならまだしも、そのまま椅子腰掛けたら? その程度なら問題ないだろうか。では、たとえば撮影した写真に滑稽なタイトルを付けてSNSにアップすることは? あるいは、その着物羽織ったままわざわざ眼鏡をかけ首からカメラをぶら下げる真似をしだしたら? どの時点からそれは「アウト」なのか。もちろん「リスペクトのない行為ダメです」とは言えるだろう。だが、残念ながら「内なるリスペクト」とやらを検証する方法はない。リスペクト言い訳にすれば何をしてもいいのか。あるいは、結局、みている日本人の「お気持ち」だけが判断規準になるのだろうか。そんな明文化できない規準を我々はいちいち振りかざすべきなのだろうか。

それよりも、単純に「少なくともそういうこと(文化の盗用と疑われること)は軽々しくやっちゃだめ。少なくともダメだと言われたらすぐやめましょう。」というあたりが、今のところ落としどころになっている。今のアメリカでの「文化の盗用論」というのは、おおむねそういう風に理解しておいたらよろしいと思う。

以上の話を踏まえれば、御年73歳のこのコラムライターの「分かっていなさ」「恥ずかしさ」がよく分かると思う。この方が引用した3人の批判者の主張はこのイベントが「アジア人に対する人種差別主義」であり、ステレオタイプが抱く「異国情緒」を楽しむ低俗イベントであり、そして「帝国主義」的であるというものだった。そして、ライターの方はこれを「日本批判」と捉えたらしいがとんでもない誤解で、明らかに事実はその反対なのである彼女らの主張は、「文化の盗用」と見えるイベント企画したボストン美術館姿勢自体に「アジア人に対する人種差別」があり、モネの絵のような「ステレオタイプ」なヨーロッパ東洋のとらえ方に基づく流行(=ジャポニズム)を今また模倣することは、かつての西欧帝国主義の無邪気な肯定にすらなっている、ということである。そこには、日本に対する一欠片の批判意図もなく、彼女らはむしろ西欧帝国主義おもちゃにされている(と彼女らが信じる)アジア日本文化尊厳」を守るべく、ボストン美術館に対して声を上げているわけだ。(かれらが掲げるプラカードも、体験する来館者に対して「あなた着物をきてキュートで異国的に見えたとしても、それは差別じゃないの。美術館イベントでなければね!(It's not racist if you look cute・exotic in it. Besides MFA support this!)」という、美術館批判趣旨言葉である。)

ネットに残る写真に写る方々が中国系アメリカ人なのか、日系なのかは知らないが、彼女らの出自などというつまらないことで邪推し、彼女らが「日本批判しているに違いない」と思い込んでヒートアップして美術館手紙まで送ったこライターの方の行為は、相当差別的で恥ずかしい。

しかしながらもっと恥ずかしいのは、「文化の盗用」のような、現代の「差別」をめぐるごく基本的ワード議論を全く知ることなく、このような稚拙な内容のコラムをそのまま掲載してしまった産経記者のあきれるような無知である。こういうところで「所詮は二流新聞」とあなどられることになる。それがイヤなら、産経好き嫌いをせず、あおり記事ばかり書かせる練習をするのでなく、記者もっときちんと勉強をさせるべきだと思う。できればライターや読者にも。

なお、参考までに、事件当時も似たような方々が大量に湧いていたらしい。こういうのなんて言うんだろう。セルフ釣り?(参考:https://togetter.com/li/845708

2018-06-10

anond:20180610112048

わりと本気で葛飾北斎じゃないかと思う。

そもそも日本画の目が細いんだよ。仏像は半目なのかもしれないけどやっぱり目が細いし。

ジャポニズム流行っって絵画陶器ヨーロッパに流れたときアジア人を描いた絵として認識されてもおかしくない。

先にヨーロッパに入ったのは中国文化だけど、中国絵画も似たような感じだしな。

2017-10-22

西洋美術館いってゾーニングについて考えた

西洋美術館で「北斎ジャポニズム」っていう特別展やってて「天気悪いからすいてるかな?」と思っていったら、おんなじこと考えてる人たちで結構こんでたんだけど、展示の中に、ちょっと黒いブースみたいなんで簡単にくぎっているコーナーがあった。

入口に「性的表現があります」みたいな表示がしてあって、なにかとおもったら、かなりばっちりな春画がおいてあった。

リアルで微細に描かれてるんだけどデフォルメがきいてて、結合部は半分刺さった状態になってて、「男は大きいほうがいい」っていう価値観がばっちり反映されとるなあ、という感じ。

で、その先にロダンクリムトかいた、男女の絡んでるデッサン(これはそこまでリアルじゃないっていうか粗々なデッサン)が展示してあって、二人とも北斎春画をもってて、参考にしたらしい云々という解説が。

学芸員さんは付近にいたんだけど、もし「いかにも中高生」な感じの人が来たら注意するのかとか、微妙な感じの人がきたら身分証明書提示をもとめるのかとか、ちょっと思ったけど、そんな感じの来場者もおらず、あえて聞いてみる勇気もなかったので、そのまま帰ってきたけど。

でも、あれ、なんとなく前の人についていくように見てったら「警告」見落としてみちゃいそうだったけど。

今思えば、子供連れが何組がいたんだから、ちゃんと避けられたか、みとけばよかったかな。

あ、そうなればさすがに学芸員が注意するか。

とくに宣伝とかポスターの案内には「そういう作品がある」ってことは書いてないんだけど、まあ一点だけだし、日本美術西洋への影響っていうまじめな展示ってことで「わいせつではない!」ってことになってるんだろうけど、絵そのものは明らかにわいせつ目的」で描かれているわけで、こういうのって文脈によるんだなあと。

だれか頓珍漢な人が「国立施設わいせつものを見せるな! 不快だ!」とかって騒がねーかなあ。 議論の糸口としては面白いと思うけど。



(追記)

ブコメついてるんだ、と思ったら早速「頭わるい考えは捨てろ」って怒られちったので、だれか「頭悪くない考え」を教えてくださいませ。

芸術性が高くて展示することに価値があれば猥褻であってもOK」とか、そういうことになってんの?

にしても、西洋美術館学芸員っていないんだね。頭わるいから知らなかったわ。それって美術館いく人にとっては常識なんかな。

2016-01-19

以前は東洋一繁華街眠らない街と言われたものだが

最近はすっかり中国東南アジアの諸都市の夜の街の方が活気があるような気がする。

まっあのジャポニズム様式に沿ったスタイルのアレはアレで好きではあるんだけど。

2015-05-29

日之丸街宣女子にみる青林堂漫画文化劣化現象

青林堂といえば、ガロだった時代はよかった。

80年台のガロは、丸尾末広とか山田花子とか根本なんとかとか、きらびやか時代適応できなかった人間表現の場だった。

ページを開くたびに、その毒にやられないよう、ドキドキしてたもんだ。

あの頃のガロは、ジャンプとかで連剤さえているメジャー漫画の真反対の位置にいた。

まりガロ社会適応できなマイノリティの味方だった。

それが今や、青林堂といえば、ジャポニズム

そのジャポニズムで連載していた日之丸街宣女子という漫画が、アマゾンで二位になる体たらく

昔の青林堂はこんな、山野車輪に毛の生えたような量産型漫画家は見向きもしなかった。

ガロという雑誌は、「量産型漫画家ゴミだ」ということを看板にしていたからね。ある意味で。

ヘイトカウンター立場人間すら、日之丸街宣女子を紹介するとき

「絵はうまい」と紹介する始末。せめて山野車輪よりうまいけど、くらいにとどめておけ。

しかし80年台のガロの主張、「量産型漫画家ゴミだ」という主張はある意味ただしかったと言える。

なぜって「量産型漫画家」の中で最もアホ馬鹿な奴がヘイトで稼いでいるから。

 
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