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2024-10-18

名古屋走り」は名古屋への風評被害 実際最悪なのは

1位 岐阜

2位 一宮

3位 尾張小牧

4位 春日井

5位 豊橋

だと思う。

カンナじゃない方江南市に住んで6年、その間に各務原に2年、名古屋北区に4年間通勤していた俺の実感。

名古屋ナンバーマナーし、名古屋市内の車は取り締まりが厳しいからかネットでいう名古屋走りはほとんど見なかった。

一方酷いのは2桁国道バイパス

19号春日井バイパス 21号岐大バイパス(岐阜南部横断ハイウェイ) 22号名岐バイパス 23号名豊国道・名四国道 40号名濃バイパスがそれ。

名古屋走りが見れるのはほぼここでいってもいい。

その中でもぶっちぎりで最悪なのは国道21号。穂積中原鵜沼東町、とくに岐阜県庁前〜茜部本郷が最悪。昼夕はジグザグ阿弥陀籤の車線変更(とうぜんウインカーなし)、薮田と六合は赤は進め(伊予の黄走りならぬ美濃の赤走りが常態化)、深夜は平均速度90km/hそして追い越しよりも一番左側が最も速い(追い越しは右折のトロいのが紛れ込むから)となんでもアリの無法地帯23号を新4号バイパスと並ぶ名四アウトバーンと言う人がいるが23号は岐大バイパスの風上にも置かないマナーがいい道路なのが現実だって23号はオービス覆面が15km/hオーバーでも捕まえる噂が立ってから愛知県民みんな萎縮してルール守るし野放しの岐阜より安全よ。

茜部本郷から薮田は日本最悪のアウトバーン交通マナー治安も最悪だと断言できる。

から名古屋走り」は名古屋への風評被害

これからは「美濃走り」とか「岐阜走り」と呼ぶべきだ。

異論ある増田いたらコメントどうぞ。

2023-03-09

anond:20230309121623

5兆語も学習してるなら日本ことわざとき全部網羅しそうなもんだけど…

売り家と唐様で書く三代目とは?

「売り家」と「唐様」は、江戸時代浮世絵に登場する「三代目歌川豊国」という浮世絵師の作品によく見られる表現です。彼は、歌川豊国という名前の三代目であり、「売り家豊国」として知られることもあります。また、「唐様豊国」としても知られており、唐獅子唐草模様など、中国風のデザインを得意としたことから、「唐様」の名でも呼ばれます



そうではなく「売り家と唐様で書く三代目」ということわざがあるそうですが知ってますか?

おっしゃることわざには聞いたことがありませんが、「売り家と唐様で書く三代目」という表現自体は、同じ意味で使われることわざである「三代続いたら貧乏神も逃げる」と同様、何かが三代続くと繁栄するという意味があります

2022-06-20

着古した羽織を着ている豊国をみて、家康は「物持ちが良いと言っても限度がある」と窘めたところ、「これは足利義晴様にいただいたいものでございます」と答えた。これを聞いた家康は「豊国は古い恩義に背かない律義者だ」と賞した。

ある時、「粗忽者と言うのは朽木卜斎(牧斎)殿のようなお方の事を言うのでしょうな」と徳川家康に語ると、家康は「なるほど、卜斎が粗忽であるというのは皆が知ることであるが、御身(豊国)の粗忽さは卜斎以上であると私は思う」と答えた。周囲の者がこれを訝しむと、家康は「卜斎は粗忽であるが、先祖伝来の朽木谷を今でも保っている。それに比べては御身はどうか。昔から山名家といえば六十余州の内の十一州を治めた大族で、六分の一殿と称えられた家である。それが今では所領を全く失い、こうして寄寓の身となっている。これはまさしく天下の粗忽と言えるもので、これを超える粗忽は無いと思う」と語った。これに対して豊国はさして恥じ入った様子もなく「全く仰る通りです。私も六分の一殿とまでの贅沢は言いませんから、せめて百分の一殿ぐらいには呼ばれたいものです」と答え、これには流石の家康も苦笑するしかなかったという。

天正年間に、徳川家康とともに斯波義銀津川三松)の屋敷訪問した際、豊国の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、後に家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利分家に過ぎない。お前(豊国)は新田家嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。何故、足利分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている。家康新田氏の分家自称していた。

関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。

征夷大将軍就任した家康に謁見した際、室町幕府10代将軍・足利義稙から山名当主に贈られた羽織を着用して賞された。

有職故実和歌連歌・茶湯・将棋などの文化教養面に精通していた。室町時代名族山名氏一門の生き残りとして、戦国時代から豊臣時代を巧みに生き残り自らの子孫を江戸幕府上級旗本として存続させた。

2021-11-19

anond:20211119135056

個人的主観としておすすめは万座かな…他の方と被るけど…

日進館が長期滞在プラン東京からの直通バスプランあり(価格も1万円前後)

・安くしたいなら万座高ホテルおすすめ温泉の種類が豊富(ただし湯浴みを着るタイプだけど混浴なので注意)

豊国館は自炊プラン、半自炊プランがあるので安くできるけどこじんまりとしている

・万座プリンス、万座聚楽個人的には好きだけど予算面やひとりでのんびり…となるとややおすすめできない(聚楽は本当に大好きなんですけどね…)

・万座亭や湯の花旅館はまだ行けてないので評価対象外

ご飯については可もなく不可もなく。多くがビュッフェ形式なので量は調整可能。味については万座亭、プリンス聚楽以外は期待しない方が吉…かも(個人的には満足だけど)

・ただし、どれもおしゃれで趣のある部屋があるか…と聞かれると…ううむ…ちょっといか無理して新しくしているか

・あと年末年始スキーシーズンなのでちょっと賑わうのがネック…

・でも、泉質というか滞在して良かった感は毎回高い。九州霧島温泉に行った時にも感じた入浴後感。

複数施設泊まったことがあるのが万座だけだから、他の温泉は中々比較しがたく…万座以外で行ったことある中なら平湯を推したいし、行ったことない中なら白骨とか良さげらしい。

雪見温泉なら那須塩原福島とか新潟かにも色々あるので、ぜひ探してみてほしい。那須塩原なら湯治プランを設けている宿もあるみたいだし。

(書いてて思ったけど自分硫黄信者やな…)

以下、蛇足

・雪見温泉なら蔵王温泉もええで、遠いしスキー場併設だから混むけど、雰囲気のある雪見温泉は楽しめるはず

・でも関東近郊で雰囲気求めるなら草津箱根はやっぱすげぇよっていう…最近高いけど

2015-09-13

二次萌え日本人アイデンティティ

昨年急に浮世絵に目覚めた人です。

http://anond.hatelabo.jp/20150815210249

日本では西洋風の写実的な画風が育たなかったのはどうして?

若冲みたいな、鳥単体とかなら写実的な描画スタイルもあったとは思うけど。

ガラパゴス的な、進化の経路の違いということなのかな。

これに対して、

http://anond.hatelabo.jp/20150816024827

こんなエントリを返してみたのだが、風景画などに比べると、人物画は、少なくとも浮世絵というジャンルにおいては、日本は独特の様式進化してるように思う。

ここで、それについて説明していきたい。

日本人アイデンティティに関わる部分が多く、絵だけでなく、できれば安保やSEALsにも話を展開できればなんだが、とりあえず筆にまかせて書き綴っていく。

スーパー歌舞伎2 ワンピース

https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E&espv=2&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAgQ_AUoAmoVChMIkcCEjNTzxwIVg-CmCh294A4a&biw=1920&bih=955#imgrc=V6YCFKaDZ9-V7M%3A

ここで、見てもらいたいのは、ルフィ市川猿之助に似ていないこと。

なぜだろう?

「なにを言っているんだ?」「ワンピースの絵でありゃよくて、役者に似せる必要などないだろ」

その通りだ。

ワンピースであることが大事であり、尾田絵であることが大事であり、役者の顔など関係がない。

ナミもロビンもオッサンが演じるわけだが、オッサンにする必要はないのだ。

浮世絵で、顔が似ていないという根本理由はここにある。

役者絵とは、舞台看板に由来するため、元来似せる必要がなかった。

歌舞伎であることが重要である

歌舞伎であること、それがわかるのが重要である

初期の役者絵を一つ、初代鳥居清倍から一つ紹介する。

初代鳥居清倍「市川團十郎

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Z0163-028.jpg

歌舞伎看板絵は代々、今でも鳥居派の絵師が描いている。

狭い意味で言えば、鳥居派の絵こそが公式な絵、ワンピースで言えば尾田の絵であり、この後隆盛を誇る勝川派や歌川派の役者絵は、非公式アンソロジーみたいなものである

絵はすなわち、歌舞伎様式美世界観江戸空気体現したものではならない。

ゆえに、役者絵に描かれる人の顔は、あのように似ていなかったのである

この、様式美に反旗を翻したのが勝川春章と一筆斎文調である

似絵、似顔絵という、役者に似せた絵にたどり着き、2人の共著の一冊の絵本世界を変えた。

勝川春章

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B7%9D%E6%98%A5%E7%AB%A0#/media/File:SHUNSHO-Nakamura-Nakazo.jpg

この二名のうち、勝川春章のほうは歌舞伎世界観様式美との調和成功し、商業的にも成功、多数の弟子をとり、勝川派という一派が出来る。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/95101_482279.jpg

顔のみならず、肢体まで正確なデッサンを基本に描いているのがよくわかる。

歌舞伎雰囲気をそのままに、デッサンは正確、一世を風靡する

彼は印に「画中造化」(造化とは造物主、天地の法則のこと)を用い、絵の中に神を宿すという気概があったんじゃないかと俺は思う。

ちなみに、葛飾北斎勝川春章の弟子であり、若い頃は勝川春朗を名乗っていた。

面白いことに、この顔を対象に似せて描くというムーブメントは、男性の顔に対してだけである

谷風となには屋おきた」勝川春潮画

http://ginjo.fc2web.com/208sanoyama/tanikazw_otaki.jpg

歌舞伎の女役ならば、オッサンにするわけにいかないのはわかるが、町娘書く場合であっても、テンプレ顔。

正確にはテンプレ顔のなかにも表情はあるのだが、男性デッサンを基づく顔で、立体造形は可能なのに対し、女性の顔はおそらく3D化できない。

スネオ髪型カイジのの顎ほどではないが、この顔は立体造形が難しい。

女性の顔については、この後に続く喜多川歌麿については外すことができないのだが、こんかいエントリでは男性の顔に主題を起きたい都合上、また別の機会にかかせてもらう。

続いては、やはり東洲斎写楽と歌川豊国について触れないわけにはいくまい。

先に写楽に触れよう。

東洲斎写楽、聞いたことはあってもなにがどう凄かったのかを説明できる人は少ないと思われる。

http://data.ukiyo-e.org/aic/images/97845_505370.jpg

http://torinakukoesu.cocolog-nifty.com/blog/photos/uncategorized/2010/03/13/sc153602fpxobjiip1.jpg

最初に感じるのは明らかな異質である

Webで調べると、「強烈なデフォルメ」と表現されるが、簡素な線は実は正確に人の顔を捉えている。

小鼻の膨らみから、顎の厚みから、少し線を書き足すだけで全て補完可能で、輪郭線の修正必要ない。

芝居小屋の闇を表現たかのような黒バック。この黒バックは光を当てるとキラキラと光る仕様になっていて、芝居小屋の闇の中で白塗り人間スポットライトがあたったような臨場感を醸し出している。

実際、写楽は売れなかったらしい。

なんの実績もないし素性がわからない新人が豪華なデビューしかも大コケしているにも関わらず次々と新作発表。

いわゆる写楽の謎というものである

よくみると上手いのにぱっと見で下手、よくみると下手なのにぱっと見では上手い、正確なデッサンの部分があるのに、全体だと崩れた感じ、当時の常識ではありえない色彩感覚、いまだに正体は謎である

ところで、写楽商業的には失敗だったが、画家たちへの影響は確かにあった。

写実とデフォルメの高次元の融合、舞台化粧、舞台の緊迫感を受け継いだのは、たとえば

歌舞妓堂艶鏡

http://nichibi.webshogakukan.com/yorozu/kabukido_350.jpg

http://dejimashoten.sakura.ne.jp/bookimages/359787.jpg

明らかに写楽意識してる。

さて、東洲斎写楽と歌川豊国のうち、次は後者について。

歌川豊国役者絵とは、ひらたく言えば二次元絵、アニメ漫画の絵の祖になる。

勝川派の始めた写実の路線から、再び二次元絵に舵を切ったとも言っていい。

http://data.ukiyo-e.org/ritsumei/images/Ebi0124.jpg

歌川派の役者絵は、わかりやすく言えば、たとえ横顔だろうと、正面から見た顔のパーツをつける。

弟子歌川国政だが

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc214417.jpg

この流れは、幕末までずっと加速し、圧倒的な作画量を誇る国貞(実質の三代目豊国自称二代目豊国)、幕末豊原国周まで続く。

末期がどんなになったかといえばこんなだ

http://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc169830.jpg

大衆は、写実より二次萌を選択したということ。

さてさて、文明開化で圧倒的な強さを誇っていた浮世絵様式、というより歌川派の様式の人気に陰りがでる。

人物画にふたたび写実との間でゆれうごく。

ここでは月岡芳年をあげぬわけにはいくまい。

最後浮世絵師と言われた彼の晩年は、西洋画の技法を消化し、浮世絵にした。

晩年ともなると、このような感じ。

http://data.ukiyo-e.org/scholten/images/48cf87c54075046c12f9df3e790f5dd9.jpg

しかし、画家ではなく浮世絵であり続けたというのが面白い

一枚の画中に両方の様式で人の顔がかかれてる面白い絵がある。

http://data.ukiyo-e.org/metro/images/1594-C051.jpg

絵の上半分の人物の顔は、見えるであろうその通りに描かれている西洋式の絵。

下半分の人物の顔は、正面から見た目や口を横顔に貼り付ける歌川派の様式

どちらかと言えば、下の絵のほうに力強さ、人間らしさを感じるならば、我々はなんだかんだいっても二次萌えの血が流れる日本人である

まとめると、漫画歴史とすごく似ている。

そもそもデフォルメ絵があり、それを元に進化が始まった。

写実的な絵が入り、そこから劇画調な漫画が始まる。

劇画調の漫画は、写実から離れ、劇画という絵のジャンルが出来る。一見すると写実的なようだが、立体造形は不可能

人物の描き分けも出来ているようで出来てない。あるいは意図的にしない。例を上げるとシティーハンター

再び、コミカルデフォルメ絵にシフト

デフォルメしつつも、デッサンもしっかり、例を上げるとドラゴンボールか、であったが、デフォルメだけを受け継ぎ、骨格はデタラメOKになる。

人物はデフォルメでも、背景描写パースを重視するのも浮世絵的。

っと、ここまで書いてみたものの、安保につなげられる気がしねぇのでここまで。

ちゃんとした美術史や絵の解説から学ばずに、webの知識と年表と絵の印象だけで語ったんで、間違いもあると思うんで、指摘してくれると嬉しい。

 
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