はてなキーワード: 自己嫌悪とは
ズル休みで得る背徳感のある快感と自己嫌悪が混ざって複雑でなんとも言い表せないぐちゃぐちゃな感情がそこにはある。
仕事は大した内容は任されていないが
突然休なんてしたらやはり社内的には迷惑だろう。
私も前職ではそういう人を間近で見てきて
人間関係や社風が合わない のだろう。
決して周りの先輩社員や上司が倫理に反するようなことやハラスメントもしているわけではないし、むしろ人当たりもよくて働きやすいとも思うのに、何故か合わない。
こればかりは自分に非があると思わざるを得ない。
結局は「何も努力しなかった人間の末路」になりかけている自分をただ受け入れるしかない状況になった。
高校生の時はただただ漠然と大人になったら普通に社会人になって社会的に評価されている人になるんだろうなって思っていた。アホな話、勉強もろくにしない奴がそんな評価されるわけないだろ、と。
だとしても気づいた時にはもう遅くて、仕事は全然長続きしない。
もともと勉強も習い事も年単位で継続したこともない人間がなにも長続きしないわけだから
なにも身に付かないわけで結果、転職の繰り返し。
継続と習慣が壊滅的。
なにかしら仕事に飽きがでる。
やれ収入が低いだの、もっと上流やりたいだの、技術者になりたいだの、、全部言い訳。
なのにほんの少し、多少のデスクワークとべしゃりができるだけで筆記・面接クリアはできてしまうし社会に若干の受け口がある。
いっそのことバッサリと社会不適合者だと切り捨てて
何者かになれる可能性を感じているようで手を伸ばさないし挙句働くことを諦めかけて
社会的な居場所や立場を求めて、見つけては自分の手で破壊する。
何者かになりたい。
こんな思いを心底願っている自分がすごい嫌いだ。
・仕事が単調、もしくは合わない
・組織としての統率感のなさ
・定時退社しない人多くて帰りにくい
明確化するために書き出してみようとしたが抽象化してしまった。
もう働きたくないんだねきっと。
確実に鬱手前なんだけど何も手を打てない
仕事は急成長すぎて人材育成が間に合ってなくて休めないし育成するのは私だからこの状況に自己嫌悪にも陥るし過労からかもともと要領悪いのが露呈しまくって私もありえないミスばかりするしそれを責められるし
家に帰れば自己中心すぎる父の介護で身動き取れないし精神的に本当に何もかもがどうでもよくなる
残業であまり介護の戦力になってない私より母の方がよっぽど疲弊してる、なんの力にもなれてないのが余計にしんどい
こういうときはよかったことに目を向ける、今日も生きててよかった、しんどい自分の気持ちに嘘ついてるみたいで無理してる感じがする
親のごはんつくるために7時12時19時にキッチンへ ほんとはずっと寝てたい
好きなこともねぇ楽しめなくなってきてるんだ
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。
私は今大学四年で、生まれて21年彼氏ができたことがない。小・中・高・大となんとなく素敵な男性だなと思ったことはあるが、告白したりされたりということが一切なかった。危機感はあるものの、友人には恵まれたので楽しく毎日を送っている。
友人A子とは小学校4年で同じクラスになった。当時クラス内の女子たちの間では仲間外れやイジメに近いことが起きていて、そういったグループ付き合いが嫌になった頃にA子と仲良くなった。
A子はほかの女子たちとは違い、男子と混ざって外でドッヂボールをするタイプの活発なタイプだった。最初はグループから少し距離を置くためにA子にくっついて苦手なドッヂボールをしたが、次第にA子がとても魅力的な同級生だと気がついた。スポーツ万能で頭も良く、少し口下手だがとても優しくそんなA子がとても好きだった。
A子と同じクラスになったのはこの1年間だけだった。
中学に進学する際A子は地元で1番賢い私立の中高一貫へ、私はふつうに校区内の中学へ進学した。
ちょうど中学生になってすぐに携帯電話を買ってもらえたのでメールアドレスを交換し、1年に一回夏休みなどの長期の休みの時に遊ぶ関係が続いた。
高校に進学しても同じように1年に一回遊び、近況を報告しながら楽しく過ごした。本当はもっと頻繁に遊びたかったけど、誘うのは毎回私からだったからあまり嫌がられないように慎重に時期を考えた。なによりA子も私も進路希望は大学進学だったので勉強をしなければだめだった。
そしてお互い大学生なってやっといっぱい遊べる!!!!と思ったら、A子は地元から出て別の地で一人暮らしするということだった。私は県外の大学に進学したが、実家からギリ通える範囲だから今までみたいに気軽に会えなくなってしまった。
しかし、大学入学前にA子は「一人暮らしする前に遊ぼう」と初めて誘ってくれたのだ!
嬉しかった。初めてA子から遊びに誘ってもらえたから。今までの関係は私の一方通行ではなかったのだ。(これを本人に伝えると、「えー誘ったことなかったっけ?」ととぼけられた。)
大学生になってからも、なんだかんだで1年に一度遊んだり、LINEで数ヶ月おきに連絡を取っていた。
大学3年の時にA子が住んでいる一人暮らしの部屋に遊びに行った。その時に初めてお付き合いしている彼がいることを聞いた。先に彼氏を作られた悔しさと、A子を取られた!という悔しさがあったが、A子の魅力が分かる男が現れ、おめでとうという気持ちになった。
(書き忘れていたがA子はなかなか変わった所があり、わたしはそこが彼女の最大の魅力だと思っているが、A子自身はともだちが少ないと嘆いている。)
最後に連絡を取ったのは半年ほど前の5月ごろで私はちょうど就活真っ最中。A子は資格試験の勉強中ということだった。
そして前置きが長くなったが先日A子から久しぶりーと連絡が来た。娘が生まれた。と
衝撃的すぎてスマホを床に落とした。こんなドラマみたいなことあるんだなと思った。
え?娘???旦那さんは???資格試験は???結婚は???といろいろ聞きたかったがLINEだと少し聞きにくく、まずはおめでとうと送った。
後々聞くと旦那さんは前会った時話していた彼氏で、籍もいれたと。
おめでとうと送ったがなぜかとてもショックだった。どんな状況にしろ無事に娘が生まれて、結婚もするなんておめでたいことなのに、自分の中でぐるぐると消化できないモヤモヤが出てきた。そしてそんな自分を自己嫌悪した。なによりその旦那にすごく腹が立った。詳しい事情もまだ知らないくせに。
大好きな友達のおめでたいことを純粋な気持ちで祝えない。なんて嫌なやつなんだ。
その気持ちを抱えたままバイトに行き、偶然休憩が一緒になった社員の男性に「かくかくしかじかでちょっとだけショックなんですよね」と抱え込んでいるモヤモヤを10分の1くらいの軽さにして吐き出してみた。
それ聞くと社員さんは「好きだったんやねー」と言った。ストンと。腑に落ちるとはこういことかと納得した。
私はA子が好きだったんだなと。友愛なのか親愛なのか恋愛なのか細かいのは分からないけど、友に向ける以上の愛を、複雑な愛をA子に向けてしまったんだなと思った。小学校の時からの憧れは年月を追うごとに、友だちの好きから変な形の愛に変わってしまった。
題名には失恋と書いたが、失恋なのかどうかもよく分からない。今までの経験値が0だから。
ただ、最初から恋愛感情を持っていたらこんなに複雑な気持ちにはならなかっただろうなとおもう。
もう少し落ち着いたら、コロナの状況もみつつお祝いにA子と娘ちゃんに会いに行きたいと思っている。その時にきちんと純粋な気持ちでおめでとうを言いたいから、ここに書き綴っておく。
文書を書くのは苦手だから変に長い文になってしまったけど、もし最後まで読んでくれた人がいたらお礼を言いたい。ありがとう。誤字脱字は許して下され。
でも知らない子供にやさしく話しかけるときは男性だっておじさんはそうは思わないなとか
元増田がただひたすらに言葉狩りしたいから蔑称だ!って決めつけてスネてるだけじゃん
おまえが気に食わないのはその尊敬している人の身内感あふれる言葉遣いでしょ
おれも仲間にいれてよ眼中にいれてよおまえらのきらいなおっさんだけど!っていいたいんでしょ
個体としての○○さんとして眼中にいれられてないのわかってるからそういう揚げ足とりなからみかたしかできないんでしょ
最終的にどこいっても存在感ゼロ、尊敬も尊重もされない自分のこじらせをフェミ女性のせいにして
増田に輸入して次はおっさんのくだらない自己嫌悪的ホモソーシャルに甘えようとしてる
自分の不満をまぎらわせるためなら他人の不快感を避ける努力はいくらふみつけにしてもいいとおもってる
どこからどこまでも最低なやつだ
・突如頭がチンポになってエロコンテンツを衝動買いすることがなくなる
・毎晩のように1〜2時間かけてオカズ探しをしてシコり体力を消耗する必要がなくなる
・外歩いてて女の人の生脚などに目が吸い寄せられ、自己嫌悪を覚えなくて良くなる
・恋愛関係になりたいとは全く思っていないはずなのに、ただ女性であるというだけで話すときに緊張を覚えたりすることがなくなる
・シコることで肌荒れしなくなる
・気力が減退する?
→もともと鬱病みたいなもんやしな……
・快感を得られない?
→ないならないで耐えられる感がすごい
強制的にやるのはどうかと思うけど、抗性欲薬みたいなものが市販されるようになったら普通に買ってみたい
低容量ピルが安く売られるようになったら、次は抗性欲薬を売ってほしいですわ
まあしかし、そのころにはもうジジイ化していて自然減してるだろうな、性欲
つか、まだ26なのにもう衰えが見えるしな
終わりや!俺は……
今までの人生嫌な思いをすることの方が圧倒的に多かった。
すれ違いざまに知らない人に「でけえ」と呟かれたり
通学中にチャリ乗ってたら向かいから来たおっさんに触られたり(スピード的に反撃できない)
女同士だったらいじってもOKみたいな謎のルールで会うたびにでかいとか言われ
あげく仕事とか恋愛とかで本気で悩んでめちゃくちゃ自己嫌悪に陥り「私のいいところってなんだろう」って真面目に聞いたときに「おっぱい」とか言われた時には本気で死にたいと思った。
飲み会とかではおっぱいいじられるのは嫌だ!と言うことが許されないような雰囲気だったから
心を殺して何度も受けた同じ質問(いつからでかくなったのか、重いのか、どうすればでかくなるのかとか)に対して返答をすることにも
私のアイデンティティとは一体なんだ?おっぱいなのか?とかいくら悩んでも誰にも理解されず
ネットで「巨乳 悩み」とかで検索して「わかる〜〜」と嘆く日々を送ってた。
そんな中、少し前に転職をした。
いわゆるコンプライアンスとかがしっかりしてる普通の会社に入って知ったのは
巨乳をいじられないということでこんなに生活が楽になるということ。
衝撃だった。
もちろん自分が歳を取ったというのもあるとは思うのだが
今まで隠さなきゃ、見られてるかも、とか疑心暗鬼だったのがなくなって
今までの人生で一番穏やかな日々を送っている。
もちろん知らないおっさんとか昔からの友達からは相変わらずネタにされるわけだけど
1日の大半を過ごす職場で言われないだけでも全然気持ちが違うのだ。
本人の前ではやめてほしい。
某Hカップの女より。
最近の「あなたを傷つける人間をあなたは助ける必要がない」という論理について、私のインナーチャイルドが泣き喚いてうるさいので、宥めるためにここに書き捨てます。
内面のざわつきに耳を傾けるとだいたいこんな感じの話があるようでした。
学生時代、あまりいい思い出の中で生きてきたわけではなかったが、とりわけ印象に残っていた出来事に「病原菌扱い」というものがあった。
つまるところ私は『汚い』し、『気持ち悪い』し、『いるだけで迷惑』なので、触れられただけでもヒトを汚染する、特に異性に取っては罪ある存在そのものだった。
その実態に理由があったかどうかという点については記憶していないが、まぁ身ぎれいにする能力もなかったので、実際汚かったのではないか。
これとは別の話として、私は生まれつき性的嗜好に異常があり、他者に性的興奮が出来ないということも合わさって性嫌悪が悍ましいレベルで跳ね上がったりし
ダラダラと煩く、無駄な話が多いです。まとめればマシになるのかも知れませんが聞く気がないです。
これを今回の話題に合わせて並べ替えるのであれば、だいたいこのようなことになるのでしょう。
私という存在は生きている、そこにいるだけで他人を傷つけ、更には何の寄与もできていないというとき、その存在を許されることはあるのかどうかという観念がずっと付き纏っていた。
私自身の一つの回答として、他人がまた別の他人を助けるために敷いたルールの隙間を縫い、そのおこぼれを預かることでしか生き延びることはきっと出来ないだろうと想っている。
しかしそれは要するに、「他人を傷つけるが助けてもらいたい」という理屈に他ならず、今回の件によって私の生存は他ならぬ悪であり許されざる罪であるという結論に至ることについて、他人である皆様方が話し合っている。
私は生きる価値がないとこれから皆が言うことになるんじゃないか。それこそが正しい結論なんじゃないか。私は今生きていることが間違っているんじゃないか。
単純に被害妄想と自己嫌悪をないまぜにしたよくあるタイプの取るに足らない言説ですね。どうでもいいです。
こういう場所に書きなぐりたいという衝動がうるさいですが、それも結局自分を援護してくれるような存在がいるのではないかと期待して、牽強付会の理屈をこねくり回しているだけで、何の推敲もせず書き散らした悪筆ですね。
今日はセントジョーンズワートを飲んで寝ます。おやすみなさい。
いやー女の発達も近いこと考えてると思うよ
「彼くん好き好きこんな素敵な彼くんと出会えたなんて奇跡神様ありがとう!」
…って人前では言ってるが、心の奥底でははぁ?彼くんと付き合うのは女として当然の権利でしょ?ろくな彼くんが現れなかった今までの人生がおかしかっただけwと考えていて、そんな自分を治そうともしない女がいかに多いか
しかも女の場合そういうメンタルでも男との関係が案外長続きしたり、別れた後も一回彼氏作るコツを見つけたらすぐ別の彼くんと巡り会えたりするんだよな
まぁいいや、とにかくパートナーとの出会いを恵まれた幸運などではなく受け取るのが当然の事と認識していて、相手から善意を受け取ってもせいぜいぺらっぺらな薄い感謝の言葉をかける事しかできない癖に、なぜか彼くんとの関係が長続きしてる女なんて腐るほどいると言いたかった
匿名でも反省と後悔を素直に吐露し、自己嫌悪と戦いながら過去と真摯に向き合ってる増田は駄目人間かもしれないが、理解ある彼くんに恵まれた彼女さんの多くよりは人として前進していると言える
「大人を詰って憂さ晴らしをするための歌」という解釈(anond:20210126022247)にはあんまり同意できない。確かにあの歌は攻撃的な歌詞に満ちているけど、その矛先は語り手自身にも向いてるし、そのためには「語り手自身が大人」という設定がめちゃくちゃ重要なんだよね。
でも遊び足りない/何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
サビで「うっせぇわ」と怒りを炸裂させるとき、その相手は眼前の「大人」なのだけど、その前の段階で語り手には、自分自身が「つまらない大人」になっているという絶望感がある。それをつかみ取っていなければ、この歌の一番オイシイ所を聞き逃してると思うんだ。それを踏まえて
頭の出来が違うので問題はナシ!
という最後の言い切りを見れば、当然これは”自信”の言葉じゃなくて”悲鳴”なんだということも分かってくる。凡庸な大人になりそう、なりたくない、頑張って生きてきたのに、どうしてこうなる?というイライラを貯めて爆発寸前……そう、この語り手は、実は「爆発」はしていない。
マジヤバない?
言葉の銃口を突き付けて「撃てば」、なのだ。まだ撃っていない。だから「不平不満」を抱えて精神は「サディスティックに変貌」していく。世間的には「模範人間」を演じつつ、内面だけが「うっせぇわ」の「私」に変貌していってるのがここに描かれる「私」なのだ。そんな自分の繰り返しにうんざりしているから、
うっせぇうっせぇうっせぇわ/アタシも大概だけど
という一言が入るのだ。
そして最後に、それら社会嫌悪、自己嫌悪をひっくるめて一所懸命「問題はなし!」と言い切るところが、この歌のケナゲでエンパワーで「爽快」な所であって、この歌を評価する人はそこに共感したのだと思う。
私は増田よりだいぶ年上だけど、まあこの歌自体はめちゃくちゃ素朴単純なところもあるけど(まあかつてパンクロックも登場時にはそういう言われ方をしたしね)、歌い手の表現力はもとより、そのやり方でしか表現できなかった上のような歌の内容にそれなりに共感もできたし感心もしたよ。尖った内容だからそりゃ批判も来るだろうけど、この曲を少しでもいいと思ってる者として、この曲の「面白さ」も記録しておく必要があると思ったので書いた。以上。
積みあがるであろうアーカイブを一瞥して評価されるのが怖いから。
価値のない人間はスルー上等で、それは実に惨めだ。Twitterですらできなかった。
主因として劇詰めされて鬱をやらかした社会人経験からの人間不信が直接的ではあるが、思えば学生時代から空っぽなことを自覚しつつ
何も成果を残せなかったこともビッチリと心臓に根付いてると思う。文字通りクズの根といえる。
素寒貧な俺は提供できるものがないから、0スタートで当然だが、ロクなものが積んでいかれないと思うと怖い。
挑戦も大概無駄なことはこれまでの人生が証明してる。俺の後ろに道はない。
まあただこれもいわゆる「臆病な自尊心」にすぎず、なおのこと自己嫌悪するポイントではある。
そんな現状に即して、ロクな価値を与えられない俺には吹けば飛ぶ匿名が実になじむ。この程度じゃないと心理的負荷が大きい。
而して木っ端のメッセージばかり送ってすでに10年前、ついに30代。本当に何も残っていない。
当然、俺に価値なんてない。
私の中では自分を好意を抱いてくれていることになっており幾ばくか心の潤いになっている
1:アラフィフ
10年以上の付き合い
出会ってしばらくして向こうからご飯に誘われてから関係が切れずにいる
酔っ払って腕を組んだり手をつないだりしたこともあるけれど、それ以上はダメだなって中折れしたまま、年に1、2回ふたりでご飯を食べる関係が続いている。地震や災害など身の回りにニュースが起こったときにどちらとなく連絡を取り合い、じゃあ今度呑みますか、という流れとなる
押し切ればいつでもヤレる、という私の奢りにいつまで付き合ってもらえるのだろうか
2:アラサー
7年くらいの付き合い
太っているのか痩せてるのかよくわからない丸顔のおしゃれさん
唇の指先がいつも荒れている
職場を変えても切れずに関係が続いている。お互いの好意はお互いになんとなしに認知しており、電話ではくだけたやりとりをしても対面ではお互い照れててまともに顔を合わせられず会話もはずまない。アオハルかよ面白い、と関係を続けている
こちらからアクションを起こすことはなく、いつも先方から取ってつけたような用事で連絡がくる。こちらも悪い気はしないし、なにより私との接点を紡ごうと仕事の案件を持ってきてくれるのも健気でよい
押し切ればなんとかヤレる、という私の奢りはいつまで保たれるのだろうか
25歳
化粧っ気がなくいつもパンツ&スニーカーだけれど小物にはお洒落なこだわりを持っており、いつも髪型で遊んでいて面白い
ガーリーなフェミニン要素は漂白されているけれど色白で目鼻立ちは整っていてかわゆい
いわゆる、隙が多く見えるサブカルおじさんキラーな不思議っ子でサブカルおじさんとして興味を持たれ、彼女のほうから接点を持とうと事あるごとに健気に話題を振ってくる
私の容姿の変化に対する反応感度が高い
彼女の期待に応えようとサブカルおじさん加点するべく”あぁそれ知ってるよ、じゃあこんなのは好きなんじゃない?”などと振る舞ったあとに自身の軽薄なサブカルおじさん仕草に自己嫌悪してしまうことが多い
そのうちほかのサブカルおじさんに喰い散らかされてしまうのかな、それはそれで不思議っ子あるあるだし仕方ないよな、じゃあ私が、とはならず、子犬のように戯れあやしている
押し切ればなんとかヤレる、という私の奢りはいつまで保たれるのだろうか
気持ち悪い
女はクソ。
大した力も知能もないしそのくせうるせえしどう考えても男性と同等に働けるわけねえだろ。
昔の家制度だっけ?アレは理にかなってると思うんだがなあ。
身長も伸びねえくせして肉だけついてくゴミみたいな体。キーキーうるせえ声。女特有の仲間意識。全部全部キモいんだわ。
クソみたいな家庭だったので子供も欲しいと思えない。愛せる自信がない。愛がわからん。
なんで女なんかで生まれたんだろう。ハズレくじやんけ。キモいんだわ。無駄に曲線状の体とか、胸とか、見るたびに絶望する。数学の曲線は綺麗なのに。微積は楽しいねえ!
…いざ書くとなると思いつかない。初めての投稿がこんなのでごめんなさい。
自己嫌悪が強すぎて自分の性別が嫌いになった私個人の感想です。でも今は胸も子宮も取れるっていうんだから良い時代です。金貯まったら取りたい。
娘の性欲が理解できない
中学生の娘と高校生の男子の母親なんだけど、娘が男同士の本(いわゆるBL)を持っているのを見つけてしまった。
中学生といえど本人のプライベートだし、何が好きでも否定しないようにしてした。
けど、BLだけは無理。
見つけたのは1ヶ月も前だけどどんどん娘に対して嫌悪感が募る自分がいる。
そもそも私自身、性欲というものが全くないっていうのもあるだろうけど、娘があんな本を読んでいると思わなかった。
まだ少女漫画のような普通の恋愛を書いているものならLGBTの本として普通に受け入れていた。
だが、娘が持っていた内容は当たり前のように営みを行い、18禁の表現が多用されていた。
これが未成年も帰る本屋にあったことがもう信じられないし、それを買って持っている娘も気持ち悪い。
本当は辞めさせたいんだけど、この思いは自分のエゴだし、見つけてしまったのも偶然だから強く言うことも出来ない。
その代わり娘に対しての気持ち悪さが買ってしまって、今まで通りに娘に接することが出来ない自分がいる。
他の家族も気がついている。
旦那は私に娘と何かあったのかと聞いているし、息子は雰囲気で何か勘づいているだろう。
娘は私の態度が変わったことに対して戸惑いがあるのだろう。率先して家事を手伝い学校の話をしてくれる。
自分は別にスピード狂でも認知症の年寄でもなく、平均的な速度で自動車を運転する一般市民で、追越車線をノロノロ走り続けたりへんなところで路駐するようなマナー違反をすることも決してないのだが、時々、強引にものすごいスピードで追い越しをかけられることがある。
特に追越車線のない片側一車線の道路で強引に追い越されると、自分がそんなに走るのが遅すぎたのか、そんなに相手を苛つかせたのか、そんなに自分の運転が悪かったのかとあれこれ考えてしまい、強引な追い越しという形で「相手の思うがままに」怒りをぶつけられた自分が情けなくて腹が立って自己嫌悪にも陥り、プライドが傷つけられたような、こういう情けないことは本来人生の中ではたった一度でも決してあってはならないものであるにもかかわらず、そんな大変なことを相手はなんの躊躇も恐れることもなく、あまりにもいとも簡単に自分に対してはしでかした、という事実がひたすらアホらしく、まともに生きている人間であればたとえ100万年生きていてもこんな惨めでなさけない気持ちを味わう必要はないはずなのに自分は一体何をしているんだと思っている間に、なんで相手を追いかけて車を止めて運転者を引きずり出して動かなくなるまで殴り続け、相手が命乞いをして負けを認めたところでようやく広い心で相手を許してあげてゆうゆうとした気分で再び帰途につく、ということができないのか、まともな社会人ならそれぐらいのことをする勇気と度胸は普通にあるのに、その上でそういうことをしたら警察に捕まるからやめようという判断に至るわけなのに、自分には、警察に捕まるからやめよう云々以前にそういう度胸も勇気も「最初からない」という事実がひたすら情けなく、もう帰宅後もほとんど涙目の状態なのである。
(追記)
お前がボサッとしてるから悪いとか、
性春パンクってうらやましすぎて聴いていられなかった。童貞という存在や概念がうらやましい。わたしには一生なれない。処女って、童貞みたいなエンタメ性ないじゃん。べつにエンタメ性で勝負してるわけではないと思うけど。いつか絶対捨ててやる的なロマンが、処女にはない。
一生涯処女を貫くパンクロッカーが世界中の処女を救うという構図が見えない。パンクロック界のソレって、むしろヤリマンに集約されていてわたしは置いてけぼりになってしまう。処女の惨めさって生々しすぎてネタにならない。一生涯処女ってのが、ファンタジーとしてではなくリアルな人間の生き様を描く芸術のテーマとして成立してるのを見たことがな・・・いや、そういえばコンビニ人間は、本当に素晴らしかったな。
女にとっての童貞的ワードとして処女を使うと、なんか色々余計な付加価値みたいなのがついてじゃまになる。処女信仰とかでなく、処女が処女として処女を表現する性春パンクがない。だからわたしは童貞になりたい。
性春パンクでよく表現される、あの娘はあの男と毎晩セックスして喘いでるとか、あの娘を想って一日に何回もオナニーに耽るみたいな虚像としての「あの娘」に対する嫉妬や絶望にやられてしまう。あまりにも蚊帳の外すぎる。童貞にも「あの娘」にもなれないわたし自身に対する憎悪というか自己嫌悪に苛まれる。グラビアアイドルとかクラスのかわいい女子とか、本意・不本意は置いといて異性に対して容姿をウリにして生きてくことが可能なヤツほど銀杏BOYZ好きをここぞとばかりにアピるので落ち込む。生きづらさの理由に「現在進行形の処女」がないのならわたしの想像に及ばないくらい高尚な体験をしているはずなのに、それでもなお音楽で救われたがる神経が理解できない。
銀杏BOYZを聴くたびに「わたしはまぼろしなの」の「わたし」に感情移入できるような一生涯処女の苦悩とは無縁の客観的に見て顔のかわいい女がチラつく。顔のかわいい女が銀杏BOYZ好きだというだけで一目おかれるという価値観がこの世には存在する。自分の無価値さを突きつけられる。
性春パンクってうらやましすぎて聴いていられなかった。童貞にだけ許された救済措置が心底羨ましかったから、童貞になりたかった。
もう熱中できることがなくなって長い年月がたった。
若い頃は、
「やってみたい!みてみたい!ほしい!!」
と突き動かされるような情熱があり、その衝動に従って楽しそうなことを追いかけるだけで充実して過ごせていた。先の不安なんて考えず、ただそのとき夢中になれるものだけを素直に追いかけて辛いこと以上に楽しいことも多かった。
世界はくっきりとして、喜怒哀楽の感情もきちんと元気よく動いてくれた。
今は何をするにも、すりガラスごしに眺めているような空虚な気持ちを抱えて、人生の消化試合のように生きている。喜楽の感情は昔に比べて圧倒的に動き辛い。
いくつかの避けられないトラブル、環境の変化、自分の心身の弱さ、そうして年を重ねて疲れていくうち、物事を素直に楽しめない人間が生まれていた。
頭の片隅には、ネガティブなもう一人の自分Bが住みついて事あるごとにチクチクと囁く。
「遅かれ早かれ、親の介護で苦労したり、知り合いは年と共に亡くなって、そしていつかはお前自身が死んで全部おしまいだぞ!!結末が決まってる以上、すべては無意味なのに何をしてるんだ?」
そんな嫌味が、何かするたび脳内に生まれて素直に楽しめることがなくなっていく。
否定的でネガティブな自分Bは、そのくせ楽しいことを追いかける眩しい人、弛まぬ努力している人を見かけると、憧れ羨む気持ちで騒ぎ出す。
「キラキラとした人々と比べて、今の自分はなんという怠けたクソ人間なんだ!!反省しろ根性なしめ!」
自己嫌悪する考えが脳内でムクムクと膨らんできて辛く悲しく情けない気持ちでパンパンなってしまう。一念発起して頑張る元気はとうに枯渇しており、脳内で自分が自分を叱責して懲らしめるだけの悪循環しか生まれない。
そんな辛い気持ちを、なるべく抱きたくないから休みの日はほとんど寝て過ごしてしまう。生産性ゼロ。寝ている間は、なにも辛いことを考えなくてよいので現実逃避のために必要以上に眠くなるのだろうか。
若い頃は脳内にダパダパと出ていたやる気物質はどこにいったのか。
落ち込みがちな脳みその手入れせず放置したから、荒れた脳みそに愛想をつかして出て行って、代わりに自分Bが住み着いてしまったのか。
では、脳みそを綺麗にリフォームできたら、戻ってきてくれるのか?
飛びぬけて優秀というわけではなかったけど、上司からは満遍なくこなせる奴という評価をもらっていたし
他でも何とかやっていけるだろうって思ってた。
でも、無能だったのが明るみになったのか、今の仕事に適性がないのかわからないけど失敗続きで毎日苦しい。
前よりも判断力も記憶力も下がった気がする。これは単に老化かもしれない、まだ20代だけど。
半年くらい続ければ慣れるのかな。努力で何とかなるレベルのポンコツ具合なのかが自分ではわからん。
まあでも、こんなミスするか?みたいな失敗をしてしまうからシンプルに無能なんだろうな。
自分がこの先今の職場でちゃんと働けてるイメージができないし、このままいくと確実にお荷物社員になってしまう。
ここが踏ん張り時なのか見切りをつけて次を探すのがいいのか悩んじゃうね。