最近の「あなたを傷つける人間をあなたは助ける必要がない」という論理について、私のインナーチャイルドが泣き喚いてうるさいので、宥めるためにここに書き捨てます。
内面のざわつきに耳を傾けるとだいたいこんな感じの話があるようでした。
学生時代、あまりいい思い出の中で生きてきたわけではなかったが、とりわけ印象に残っていた出来事に「病原菌扱い」というものがあった。
つまるところ私は『汚い』し、『気持ち悪い』し、『いるだけで迷惑』なので、触れられただけでもヒトを汚染する、特に異性に取っては罪ある存在そのものだった。
その実態に理由があったかどうかという点については記憶していないが、まぁ身ぎれいにする能力もなかったので、実際汚かったのではないか。
これとは別の話として、私は生まれつき性的嗜好に異常があり、他者に性的興奮が出来ないということも合わさって性嫌悪が悍ましいレベルで跳ね上がったりし
ダラダラと煩く、無駄な話が多いです。まとめればマシになるのかも知れませんが聞く気がないです。
これを今回の話題に合わせて並べ替えるのであれば、だいたいこのようなことになるのでしょう。
私という存在は生きている、そこにいるだけで他人を傷つけ、更には何の寄与もできていないというとき、その存在を許されることはあるのかどうかという観念がずっと付き纏っていた。
私自身の一つの回答として、他人がまた別の他人を助けるために敷いたルールの隙間を縫い、そのおこぼれを預かることでしか生き延びることはきっと出来ないだろうと想っている。
しかしそれは要するに、「他人を傷つけるが助けてもらいたい」という理屈に他ならず、今回の件によって私の生存は他ならぬ悪であり許されざる罪であるという結論に至ることについて、他人である皆様方が話し合っている。
私は生きる価値がないとこれから皆が言うことになるんじゃないか。それこそが正しい結論なんじゃないか。私は今生きていることが間違っているんじゃないか。
単純に被害妄想と自己嫌悪をないまぜにしたよくあるタイプの取るに足らない言説ですね。どうでもいいです。
こういう場所に書きなぐりたいという衝動がうるさいですが、それも結局自分を援護してくれるような存在がいるのではないかと期待して、牽強付会の理屈をこねくり回しているだけで、何の推敲もせず書き散らした悪筆ですね。
今日はセントジョーンズワートを飲んで寝ます。おやすみなさい。
あー、またひとのせいにしてるー
実際汚かったのではないか 心配しなくても全人類、いや全生物は汚物やぞ。 ウンコが詰まった肉袋。 その存在を許されることはあるのか 主語はなんだろ。 世間?神?自分?親?...