はてなキーワード: 自己嫌悪とは
https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
を読んで、ブコメ群を見ると病的だとか、「悪い意味で」頭を殴られたような感情になってしまう人が一定数いそう(私含め)と感じたので、エンジニア向けのみならず、もっと一般向けに上の話を例えてみる。なお、上の記事を批判してるわけでも称賛しているわけでもないのであしからず。
これは、モテる男性から、「自然に女の子と話せば彼女できるよね」というモテアドバイスを貰ったときの気持ちにとても似ている。
モテる人の立場からすると、普通の、だが実体験に即したアドバイスに聞こえるだろう。一方で、真剣に女子にモテたいと切望する諸君の立場からすると、これは3つの点で期待はずれな回答だと思う。
1: 自然にやっててダメなので、再現性のあるメソッドが聞きたかった。
2: 自然にやっててもやっぱりダメな自分という劣等感、コンプレックスが増長される。(そういう感情を抱かなければこの後の文章はスルーで良いよ)
「自然に振る舞っていてもモテなければ」意識して異性から好かれるように日々努力を重ね、可能性を高めるしかない。ということである人はサークルに入り、ある人は清潔感を保ったり、ある人は結婚相談所に駆け込んで第三者からのアドバイスを貰う。こうした自発的な行動によって場数を踏んでいくことで次第に良い感触を掴んでいく。
上の記事にもどると、なんとかgoogle(や他の外資系の待遇の良い企業群)に入りたいという気持ちから、おおよそ普通~ある程度経験の積んだエンジニアはleetcodeなどをやって競技プログラミングのスキルを身に着けたり、コンピュータサイエンスに近い分野の本を自分なりに理解するように努めたりする。(競技プログラミングの善悪の話をしているのではなく、そういう手段で面接に通過する確率を上げるというだけの事実の話をしてる)
しかしながら、「自然とコンピュータサイエンスに向き合っていれば、面接は友達とお茶をする程度で済む」と言われても、いやいやそれはモテる側の立場の強者の理論でしょとなる。
必要な能力は「椅子に座れること」「四則演算ができること」「本が読めること」というのは、モテる人の比喩に例えれば、「椅子に座れること」「会話ができること」「スマホを持っていること」となろうか。
強者にとってまっとうな実体験に即したアドバイスでも、弱者にとって見れば残念ながらコンプレックスをえぐる言葉でしかない。万人にとって良いアドバイスというものは存在しない、といえば聞こえは良いだろうが。
ということで、上のgoogleの面接対策の記事は、意識して努力するよりも自分の得意な(友達とお茶をする程度で自然とできる)分野で勝負すべき、という身も蓋もないという小噺だと思ったほうが良いです。面接対策でleetcodeなどをやって苦労してるんだけど、という感想を抱いたり、ソフトウェアエンジニアでのステップアップに限界を感じていれば、それは「友達とお茶をする程度」の感覚の人には勝てないので、得意なこととの掛け算で勝負するのが現実的な勝ち筋にみえます。
親が大便を漏らした
腰を悪くしてトイレに行くのに介護が必要な親がはじめて大便を漏らした
床に垂れた大便を拭いて布団を片しながらどうして私がこんなことをしないといけないのかと思ってしまった
手についた大便を何度も何度も洗ってしまった
汚いと思った
親は頭はしっかりしている。本人が一番情けなくて死にたいという顔をしているのが解った
ごめんねと何度も謝られた
大丈夫だよと言いながら心の中でなんでトイレもまともに行けないのかと思ってしまった
手に大便がまだついている気がする
足の裏に踏んでしまった大便がまだついている気がする
汚いと思ってしまっている
やりたくないと思ってしまっている
親はまだ60代、同世代の親はみんな元気で、我が家ばかりが辛い気がしてしまっている
それでも汚い気がしてしまってどうしようもない
慣れるんだろうか
慣れてしまうんだろうか
自己嫌悪と恐怖で堪らないのにまだ手を洗いたくて仕方がない
決断に責任を負うような立場を避けておきながら、その決断にケチを付けるのが止められない
相手に謝らせるような行動をとるのが止められない
言ったあとに、むしろ言いながら自己嫌悪に陥ってるのに止められない
幼少期から母親の文句や押しつけがましい「~してあげた」や「○○しろ(するな)」が死ぬほど嫌いだったのに、それを再現することを止められない
理性面の自分は好きなのに、感情面の自分は誰かに乗っ取られているようで薄気味悪いし、ひとたび落ち着くと何で苛ついていたのかも思い出せない
解決するならカウンセリングでも精神病院でも何でも行きたいけれど、いったい何に掛かれば良いのか解らない
ストレスと感じる閾値がどんどん下がって、ラクなもの以外に手が着けられない
どうしたものか、途方に暮れる
さんざん吃音と不細工でキモいキモい言われて、こちとら関わりたくもないのに業務連絡ですら関わってくるなと言われ、男同士でつるんでるとホモソーシャルにどっぷりの女性蔑視者扱い、からの沈黙は差別加担者。
先に拒絶したのはお前らだろうが。こっちが関わらんようにしてんのに加害してくんなキモブス。喋り方じゃなくて発言がキモいんだよ。顔じゃなくて性格がブスなんだよ。これは差別じゃありまっせえええええええええん何故なら行動に対する批判だからっでえええええええええええええす。
最近暇さえあればこんなことずっと考えてる。当時は効いてないフリしてたけど、めちゃくちゃ効いてたんだな。
とりあえずあのキモブスどもは出来る限り苦しんだ末に面白い死に方するように願っといて、実際にホモソーシャルにどっぷりだの沈黙は差別加担とか言われるとイラッとするのは本当なんだよな。ガキの頃から女性コミュニティから「あいつは嫌われててキモい、キモいから嫌われてる」をやられ続けると、本当に関わるだけ損って刷り込まれる。ホモソに追いやったあのキモゲロカスゴミブス共と、こう言ってくる奴が別人って分かってても、本当にイラッとくる。先に拒絶したのは女だろうが。女とくくられたくないなら男でくくるな。
あーマジで愚痴言っても酷い悪口言っても全然スッキリしない。自己嫌悪しかない。効きすぎだろ。みんなも効率よく人をぶっ壊したかったら、幼少期に人格否定をぶち込み続けてそれが社会正義だと思い込ませよう!多分幼少期じゃなくても結構効くぞ!なぜなら新人教育コンサルみたいなのがやってること、「人格否定をぶち込み続けてそれを社会正義だと思い込ませる」だからな!
自分は数年前に結婚できた(元?)非モテ男性なんだけど、結婚したことで恋愛ゲームから降りられて本当に良かった、というのが、noteの某記事を読んでの感想。
女性をダッチワイフであるかのように眼差すホモソーシャル的な男の子ノリには小学生の頃からまったくついていけず、そうかといって、いわゆる女心の機敏みたいなものにも疎くて当然モテるわけもなく、周囲からはちょっと爪弾きにされたような感じで人生の大半を過ごしてきた。
でも、そういう立ち位置にあったって、自身の内側からは多少の性欲や孤独感が湧き出してくるわけで、そうした衝動にかられて異性と良い仲になりたいと思ったりもしていた。イケイケの男女の交際や恋愛を理想的に祭り上げる世の中の雰囲気や価値観もそうした衝動に一役買っていて、自分がモテないという事実に必要以上に焦っていたと思う。
性別を考慮するより前に相手の人格を尊重したいと思うのだけれど、そうした内外の圧力によって形作られた衝動がときどき理性を裏切り、あわよくばもっと仲良くなれないだろうかという感じで、男性が相手であるときにはしないような内面への踏み込みの試みを、女性相手にしたことが何度もある。それはたとえば、偶然を装ったメールを送って会話を続けてみることだったり、一緒に街を歩いたり美術館に行ってみませんかと誘ってみることだったり。
当時の自分としては、嫌なら断ってもらえれば良いし、という気持ちでそうした誘いを投げかけていた。けれど女性からすると、下心の透けて見えたかもしれないそうした誘いを投げかけられること自体が不快だったかもしれないし、男性から女性に対して絶え間なく押し付けられる性的なハラスメントに連なるものとして、忌避感を抱かれていたかもしれない。冷静になると、そうした男性としての自分の業に嫌悪感を抱き、異性にそうした迷惑をかけるくらいなら自分は一生ひとりで生きていくのだとも思う。けれど、内側から湧き出してくる性欲や孤独感が理性をたぶらかし、いつしかまた女性に「あわよくば」という誘いかけをしている自分を認め、自己嫌悪に陥るのだった。
今考えて唯一救いに思えることは、社会的立場が自分より下にある女性に対しては、そうした誘いかけをしなかった(と思っていたけれどひとつだけあった。業が深い…)ことだ。
恋人や配偶者などのパートナーが自身にいない状態では、内側から湧き出す衝動に突き動かされ、しかし獰猛な男性性を理性は拒否し、ダブルバインドの状態で女性に接することになる。自身の下心と格闘し、相手の心を読もうとし、自分がどう思われているか、好意を持たれ得るのか、メタにメタな視点を重ねて自身や相手のことを考えに考えるが、答えはどこにもみつからない。
こうした葛藤と心の読み合いの恋愛ゲームは本当に自分を消耗させる。もし自分がこうした煩悶なく、目の前の相手と性別に関係なく対等な人間として向き合うことができればどんなに良いだろうかと、何度も何度も思うのだった。
そんな時代を経て、私は運良く結婚することができた。そして、この恋愛ゲームから降りられて本当に良かったと思う。当時、パートナーも異性との駆け引きみたいなものに憔悴しており、お互いに早くこのゲームから降りたいということで、付き合いはじめてからすぐに結婚しようということになった。
誰かの配偶者という立場になることで、もう相手を探さなくていいのだという安心を得ることができ、他者からは「この人は下心を持って私に接してきているのだろうか」と思わせてしまう負担を減らすことができる。独身時代は、性別に関係なく人間として惹かれた異性に対し、もっと相手のことを知りたいと何らかのアプローチを試みていく際、下心を持って接してきていると思われていないだろうか、という恐怖が常にあった。たとえ結婚していても不倫などはあるからゼロにはならないものの、夫というステータスを手に入れ薬指に結婚指輪がはまっている現状、異性との人間関係を構築していく際、過剰な自意識に悩まされる場面はだいぶ少なくなった。
女性からすると、気持ちの悪い下心を振りまいておいて、贖罪もなしに自分だけ「あがり」になってまたこんな気持ちの悪い文章を書いているのかよ、ということになってしまうかもしれない。そんな人間がこんなことを言うのはまったくおこがましいかもしれないけれど、誰しも目の前の相手と性別に関係なく対等な人間として向き合うことができればどんなに良いだろうか、ということを心の底から思う。
絵が伸びなかったジャンルを嫌いになってしまうのをやめたい。というより自己嫌悪に陥る。
昔はそうでもなかったのにここ数年くらいでそうなった。
そのせいで好きだったアニメもゲームも疎遠になってしまった。昔は純粋に好きだから描いていたはずなのに、今ではそのジャンルを見るたびに自分の未熟さを思い出し自己嫌悪に陥るようになってしまった。
勇気を出して色々なジャンルの絵を描いていたけれど、自分の絵は伸びる伸びないの差が激しいので結果的に嫌いなものが増えていくだけだった。
反応が全てではないことは理解しているし、その程度の気持ちだったと言われればそうなのかもしれないけど、せめて嫌いになるのはやめたい。それくらいなら最初から描かない方がよかった。
今はもう伸びるジャンルの絵しか描けなくなってしまったせいで新しいジャンルに興味を持てない。みんなはこういう時どうしているのだろう。
高卒の資格がないと今後いつしか行くであろう大学の道もないのでとりあえず単位制高校で高卒資格を取るのが良い。
かくいう私も16歳で中退し、17歳の冬に大阪茨木市にある向陽台高等学校という単位制高校に編入した。
いつでも入学できると謳っているので思い立ったが吉日で電話をして学校見学に行くといいと思う。特に本人一人でも親御さんとでも、自分の目で見に行って確認するといいと思います。
授業は単位制で自分で時間割からコマを指定して満遍なく指定の教科を取って行く。私は約1年半通って19歳で卒業したが週2、3回程度に詰め込んで通っていた。
当時20年前は生徒の半数はヤンキー、3割は地味目の普通、2割は引きこもり系の感じで私も引きこもり系のど真ん中としてしっとりと通学していた。その他ごく少数の中に当時16歳でプロになっていたサッカーの日本代表選手やジャニーズの人もいたようだがお目にかかることはなかった。
授業の難易度はとっても易しい、テストもとても標準的、それでいて高校の単位がもらえるのだから、大検取得のようにハードに勉強する必要もあまりない。ただし宿題はきっちりあるからきっちり納期通りに提出するようにしなければならない。
一つ珍しかった教科は哲学の授業だった。高校中退してからというもの生きる意味を探して哲学入門書に没頭していたので毎回の授業がとても楽しかった。一度、宿題の作文でなんの脈略もなく、中島らもの「僕に踏まれた街僕が踏まれた街」というエッセイ本の書評のようなものを書いて提出した時、先生に声をかけられて「あれ面白いわな、先生も知ってるで」と言われたことがある。同じ趣味の友人を見つけたような感覚になって嬉しかった。それ以上特に話はしなかったのだけれど。
体育の授業で印象的だったのが、期末テストがソフトボールの対抗試合になっており、1打席でもヒット打ったら優がつくというものだった。結果は忘れた。でも楽しかったのは覚えている。
友達は最後までできなかった。駅から送迎バスに乗り、学校で授業を受け、少し自習して、また送迎バスに乗って帰る。そんなルーティーンを繰り返すだけの日々は、友達どころか「この先どうなるんやろか」という不安な気持ちでパンパンだった。友達を作って遊んでなど多分余裕がなかった。またそんな自信もなかった。でも授業は真面目に出て宿題もテストもこなし多分ほとんど優で卒業したと思う。もうあまり覚えていない。
人との関わりのエピソードといえば一つだけあった。僕が自習してたらグラサンをかけた見た目ヤンキー君が近づいてきて「シャーペンの芯くれや」と凄まれた。1本あげればいいところを怖かったので2本あげた。ヤンキー君は礼も言わずにその2本を私の手からむしり取って去っていった。なぜ1本ではなく2本差し出してしまったのか、自分のビビリ症にずいぶん自己嫌悪に陥った。多分これが人との触れ合いで覚えている思い出だ。その他はもうあまり覚えていない。
そんなことで19歳の3月、僕は晴れて高校を卒業した。卒業式があったのか、そして出席したのかも覚えていない。でもただ一つ覚えているのは、卒業証書の筒を家で父親に見せた時、「よかったな、高校卒業までやりきったな」と笑顔で褒めてもらったことだ。僕としては高校中退で通信制の高校を1年周回遅れで卒業したことが恥ずかしくて全く祝う気持ちにもなれていなかったし、当たり前のことを周回遅れでやっただけという惨めな感覚だったので、その言葉にも何も反応しなかったと思うが、今その言葉を覚えているということは素直に受け取らなかったが、何か言葉にならない感情が湧いていたということだろう。多分嬉しかった。
そして今がある。今は元気に働いている。あの時高校卒業したから今がある。あの時の勉強が続いて続いて波があったけどその延長線上で今専門分野でご飯が食べられている。だから言いたい。高校を卒業して将来に繋げてほしい。高校を卒業したら祝ってほしい、自分自身でもあなたの子供でも。高校卒業とは希望そのものだ。
まだ火曜日かあ
朝はセブンイレブンのたけのこおこわを買って食べた。美味しかった。
昼はなぜか不意にがっつり肉がたべたくなりステーキとハンバーグのセットを食べてしまった。カロリーよ…
夜はどうしようかな、なんか昨日血迷って肉を異常にたくさん買ってしまったんから使わないとなあ
鶏と野菜をあごだしで煮ようかなさっぱりしたのがいい、味噌もいれよう
味噌を冷凍できるとはてブで知ってから味噌の購入が怖くなくなったありがとうはてブ
社長が何度も何度も予定確認のためだけにみんなを集めるのをやめさせてえ
社長自分で共有カレンダーに打ち込めないし見方もわかってないから…でもわたしがしばらく代理で打ち込んでもいいから口頭共有をやめさせてえ
どうせなら庭のきれいなとこにお花見時期にいこうとしたら予定合わず断念
今年も人集めてお花見は無理だろうけど平日夜と休日昼にお散歩くらいはしたい
昨日の話だが上間陽子の「裸足で逃げる」を読んでぐずぐずに泣いていた
それぞれにもつ状況に寄り添いながらたんたんとした文体で描写するのがとても涙腺に来た
いやただ泣いてるって、泣いてるってなんなんだろうなあ
まるで懐かしのケータイ小説を読んでるみたいに彼女たちの状況を消費してるんじゃないか私は
メロドラマみてるみたいに泣いてるんじゃないのか
だって私が中学のときに彼女たちをみてたら絶対に見下して遠ざけてるもんなあ
ぬくぬくと暮らしてるただの東京の大人がこれを読んで泣いたりするのは醜くはないか
女の子が出産するときに旦那が逮捕されて病院にこれず筆者が立ち合ったくだりが好きだった
基本的に淡々とした文体なのにあそこだけばたばたして明るくて笑ってしまう
筆者が「児童扶養手当は申請しなよ」とアドバイスするのも「いいよ」ってなぜか本人たちがしないのもそれを筆者がそうかって見てるのもなんだか好きだった
教え導こうとするんじゃなくてただ隣にいることが、そんでいざというときに出産に立ち会ってあげることが、できるんだなあ
私はこれから他人にそんなふうな関わり方をできることがあるだろうが
原稿はすべて本人たちに見せて、仮名は一緒に考えたそうなのだが
名前がなんともいえず若い子がつけたかんじのセンスだなあとずっと思ってなんかそこが妙に面白かった
キラキラとかではないんだけどなんだろうな
わかんないけど中学の頃考えてた「子供が生まれたらつけたい名前」をなんとなく思い出す感じだった
というか20代くらいの人の名簿をよくみるけど別にキラキラネーム多くないので
あの頃のバッシングはなんだったんだろうと思う
町で美人とすれ違うと悲しくなる。テレビで美人芸人を見ると悲しくなる。美人のコスプレ画像とか見ても悲しくなる。以前は目の保養だなとむしろ楽しめたのに。俺は童貞の22歳だが、これから一生美人と縁が無いのだと思うと悲しくなる。美人を見る度にこの悲しい現実を突きつけられて悲しくなる。もちろん、美人や彼女らを抱いているイケメンに非はないのは分かっている。俺はえり好みなんか出来る身分じゃないし、ブサイクでも彼女が出来たらありがたいと思わないと行けないのだろう。それでも悲しくて仕方ない。美醜の概念を知ったときから、テレビや町で美人を見る度に「いい~」なんて思ってきたのに、それと一切縁が無いまま一生を終えるって嫌じゃないか?美人を得ることが幸福の必須条件とは思わないし、俺は一人でものんびり楽しく生きていく覚悟をきめた。むしろ、そっちの方が性に合っているだろう。それでも、俺が指をくわえて美人を見ているだけなのに、どこかの誰かさんを美人をゲットして、毎日ヤッていると思うと気が狂いそうになる。それと俺が悩んでいるのは性欲ではない。そんなのシコっとけば解決だからな。俺が苦しんでいるのは劣等感だ。もし万が一の幸運がおきて、顔はイマイチだが、性格のいい彼女ができたらどうなるんだろうか。もう顔のことなんかどうでも良くなるんだろうか。それとも、「世の中にはあんな美人がいるのに、俺はこいつで妥協しないといけないのか。俺の人生は一体何だったんだ」なんて思いながら生き続けるんだろうか。そしたら、確実にそんなゲスな考えをしている自分を客観視して自己嫌悪に陥るんだろうな
新卒4年目。
新卒後配属された部署の環境(上司からの圧、担当する現場からの圧)に耐えられず一度精神を病んで一カ月半休職。
今の部署は3年目に入ったところ。
昨日は夜寝られず、今朝も起きられず、会社休んだ。
一言連絡入れて「ゆっくり休んで」とは言ってもらえたものの、2~3通メールきてそれに返してた。職場のほうは自分のせいでトラブってるんだろうかと自己嫌悪になった。
やっぱり休むのは良くないんだろうけど、それってほんとにそうか?
担当がいないと回らないわけでもないと思う。チームで仕事してるし、そもそも管理職の人らがいるんだから。
でも実際はそういうわけにもいかないんだよな。
突然いなくなっても大丈夫な仕組みを作るべきで(管理職が?私が?は置いといて)、それなら何があっても回せるんだろうけど、できない。
今の会社って、お金はそれなりで(去年の源泉徴収額500万くらい。たいしたことない?)、メンタル一度壊してもちゃんと復職して仕事できるし、意外といいところなのか・・・?とか思う。
なにか失敗しても鬼のように詰められたり、窓際に飛ばされることもないし。
でも、形だけの定時退社日、19時残業規制。36協定はもちろん順守、福利厚生ははてな、教育制度もはてな。いったい今の会社は他と比べて何がいいのか。
お金はそこそこだと思ってる。仕事も先輩、上司のフォローがあるし。
じゃあなんで私のメンタルがおかしくなったんだよってなっちゃって、自分の問題=自己嫌悪に行きついちゃうよな。
転職したらどうなるんやろう。すべてにおいて今よりいいところってあるんかな。そう考えると転職って踏み切れないし、転職しないとわからないことだらけ。
ただ、「来月から関東の工場に異動」「同じ地方だけどちょっと遠い工場に異動」って言われたらたぶん退職する。そう思うってことはキッカケがないだけ?責任転嫁できるキッカケがほしいだけ?
何に悩んでいて、何を解決したいのかわからなくなってきた。薬飲むしかできないし飲むしかないんだけど。
誰かにわかってもらいたい?みんなに「こんなにしんどいよ」ってわかってもらいたい?でもそれって、みんなそうじゃない?みんな大変な思いしてない?え、大変な思いしてないの?え、月残業100時間も超えてないのにごちゃごちゃ言うなって?すいません、どんなに多くても60時間行きません。こんなので弱音はいてすいません。
今日1日サボっても職場は大丈夫だったと思うし、やっぱり大丈夫な職場=会社なのでは?まだ4年目だから許されているだけ?1回おかしくなったし、2~3カ月に1回はサボっちゃうから腫れ物になってるだけ?
上司も俺みたいなのをどう扱えばいいかわかんないんだろうな。そういうのわかってなさそうな感じあるし。
このまましがみ付いて窓際族になるのもいいかもしれない。でもその頃には・・・会社あるかな?業界再編の流れは強いし、大手3社の3つ目はいつワンツーに吸収されてもおかしくないし。
明日からまた仕事に波に巻き込まれてこういう気持ちも薄れるんだろうな。
しばらくは薬飲んで気持ちを紛らわせて、仕事続けて、また2~3カ月した溜まったものが爆発して。を繰り返す。
その2~3カ月で溜めちゃうのは自分のせいだと思うけどね。ほんと、結局自分がクソなだけだよ。いや、やめた。自己嫌悪は解決にならないから。
皆の感想が欲しい。
コメントの辛さはお好みで。
「できない」に合わせて仕事を選ぶのは、一つの手段として大変意義のあることだと思う。「できない日」でもできることだからこそ、その仕事を長年続けていけるのである。
しかし、「できる日」と「できない日」の差が激しい場合、その間で板挟みになり、どちらも選べない状態になる事もある。今の私がそうだ。
私は「できる日」は、大変人と話すことが好きである。色々なことに興味が湧くし、多様な意見を聞き、上手いタイミングで質問することができるのだ。そんな日は、話すことでドーパミンが湯水の如く湧き出すのを感じる。
しかし「できない日」は悲惨だ。頭が朦朧として、思考回路がショート寸前、今すぐ寝たいのである。
また、頭が回らない故に会話の内容も入って来ず、生返事の繰り返しだ。そんなコミュニケーションに自己嫌悪と嫌われる恐怖を覚える。
このような場合、仕事選びを「できない日」に合わせると「できる日」は仕事のレベルが大変低く感じ、さやかのようにすぐにソウルジェムが濁り魔女になる。
反対に「できる日」に合わせると、「できない日」に仕事をすることは目でピーナッツを噛むくらい困難であり、ドラえもんも裸足で逃げ出すのである。
「できない日」を「できる日」の近くまで引き上げるのが喫緊の課題だが、それは明日の自分に託して今日の私はルイズの抱き枕とともにハルキゲニアへ旅立つのであった。
が好きだ。
厳密に言うと、自殺願望(というよりは自己嫌悪か)が屈折して自己犠牲的に『ヒーロー』に“なりたいと思う”系主人公。なるかどうかは重要ではない。
映画漫画小説フィクションノンフィクションなんでもいい。主人公じゃなくてもいい。
って、このタイトルで注意書きに挙げた時点でネタバレは終わっているようなものなのだが。
わたしがこのテのキャラクターにはまった最初が、『コードギアス』の「枢木スザク」だ。
で、最近、タイトルに該当するようなキャラクターに出くわした。
彼の独白で「誰かのために命をかけてみたい」という台詞の裏に「かっこよく死にたい」とあった。
もう正直に言って、「いつ面白くなるのだろう……?」と思いながら、佐々木はいせになる前の数巻を読んでいたんだが、この台詞で「あ〜読み進めてみてよかった〜」と思ったり、枢木スザクのことを思い出したり、あ、わたしはこういうキャラクターが好きなんだなと思ったりした。
タイトルのようなキャラクターを見つけたくて、「自殺願望 自己犠牲」とかいろいろぐぐったりもしたんだが、これがなかなか見つからない。
堺雅人がトリガーのアニメの声優をしたときのインタビューがヒットして、『プロメア』は観てみようかと思った。
正直、もう女なんていらない。まぁ向こうもいらないとか言いそうだが。
それでもそのうち婚活を始めて普通の男がいねぇ!と男のせいにして泣きついてそこでも男のせいにするんだろうがお前たちは
そう、お前らが若さにかまけて高スペックと遊ばれているだけの関係を築いたり、喪女を拗らせて男を避け続けたり、性嫌悪とフェミを拗らせて男を憎み続けたりしてる間
構ってもらえないけどそこそこのルックスを持っている男は男同士で性欲を発散させるようになった。本当にここ10年くらいでノンケよりバイが増えたという。
それもこれも女が悪い。高スペック主義と性嫌悪どもがネット上でエコーチェンバーとなり、よりひどく高スペック未満の男を毛嫌いしていくからだ。
男同士で性的に消費してくれるなら最高じゃんとか、女は言うだろう。もうそんな女ばっかしかここにいないのはわかっている
やれ、セックスは女の役割だからそこからの解放とか、やれ女は性的に消費されるものではないとか。
誰もかれもが純粋に性欲を楽しもうとしていない楽しむことができない拗らせた女ばっかりだ。
そんな女が30過ぎて急に焦りを初めて婚活しようとして成功するなんて思うなよ?
もうそんなクソ拗らせた女と付き合いたい男なんていないんですわ
お互いに信頼をもってセフレ関係を男同士でやってた男はもうそんな女には興味ないんですよ
でもじゃあ、男も女も結婚できないじゃん、ってことにはならない
残念ながら婚活市場では歳を経るほど男が有利なので、そろそろ結婚して身を固めるかぁってときに当時は歯牙にも掛けられなかった性を純粋に楽しめる女ども結婚できるんだよ
お呼びじゃないんですよ。あなたたちは当時馬鹿にしていた高スペック未満のさらに底辺の弱者男にしか構ってもらえないんですよ
そう前に喪女だけど告白されたらそいつのことが気持ち悪くなったとか言っていた卒喪女がいたが、こんなんばっかりだよ
自分の理想より低い男に言い寄られて自己嫌悪してもう男とは関わりあいたくないとか、もう本当にクソ
こんな自意識がぶっ壊れた女と付き合うなら話してて楽しくてセックスもできる男と遊ぶわ
どんなクソ拗れた女でもさぁ、自分の「女」には何故か価値があると思って強気だけど、もうそこに価値はないんだよねぇ
これは煽りとか反論とかではなくて純粋に疑問なんだが、たとえば先生とか上司とか先輩とか顧客とかに理不尽かつ不愉快なイジリをされたとして、その場はつい反射的に「いや、まあ、、、そうですね、、、エヘヘ、、、」なんてハニカミ返事をしてしまい、あとから遣り場のない怒りなり自己嫌悪なりで悶々としてしまう、そういう経験をあなたお持ちではないんですか? こちとら人生の大半がそういう経験で埋め尽くされてるからこそ「即座にキレ返せるようになりたい」と、なして理不尽な扱いを受けたこっちがなお布団の中でまで悶々とせねばならんのかと、そういう話をしてるんだが。だれも良民を恫喝して威圧して不当に利益を得たいなんて言ってないよ。(と、文章なら書けるけれども、面と向かったら僕はこんな話はできないです。対面だったら、いやぁ、、、そっすよね、、、って言うだけ。インターネット万歳。)