はてなキーワード: 精巧とは
三月二十二日(日)
今日こそはジョギングをさぼってソープランドに行こうと思い、7時に起床したのだが、思考が切れ切れで面倒くさく、ぼんやりしていたら正午になっている。昼食を済ませ、シャワーで清潔にし、歯をしっかり磨いて外に出たはいいものの、駅まで歩いたらソープランドで一発抜くことが馬鹿馬鹿しくなってしまった。5日間の禁欲が無駄になるのは業腹だが、今晩は2, 3発抜いておこうか、それとももっと理性が吹っ飛ぶほど精子を溜めてから平日にソープに行くべきか、迷う。
自分は細かいところまで想像ができる。ソープランドの湯船での他愛のない会話、イソジンでの洗浄、中途半端な勃起など。気乗りがしないときにはそうした細部にうんざりし、2週間ほどの禁欲ののちにはその妄想だけで抜ける。性行為そのもので抜かないのはなんだかおかしい。
せっかく禁欲したのに、今日になってなんで萎えてしまったのかを考えると、今日の自分は別に女性の身体に猛烈に触れたくてたまらないわけではないわけではないからだと気づいた。おちんちんをおまんこに入れて動かしたいのではない。おまんこをなめ続けたいのではない。それよりも、彼女ができたときにきちんと勃起するかどうか、そしてうまい角度で挿入できるか、さらには性行為の姿勢を長時間維持できるだけの筋力があるのかが不安で、要するに自分のメンテナンスをしたいらしい。それだったら精巧におまんこをかたどったオナホを使えばいい気がしてきて、面倒くさくなったらしい。それに、初対面の女性と話をして、いきなり勃起するのは自分にはハードルが高い。ソープランドでは多くの人が、前半はマットプレイをしてリラックスするのも、こうしたことが理由なのだろう。いったい、風俗に通う男性のうち、どれほどが純粋に性行為をするためだけに行っているのか。男性の性欲は、とかく戯画化されがちではあるものの、それほど単純なものではないだろう。
さて、7時ごろからずっとソープランドのことばかり考えて時間をつぶしてしまったのだが、帰宅してからはそれほど熱心に空想するつもりになれない。仕事中とか、あるいは躁状態っぽいときには、それこそ日本各地風俗巡りの旅だとか、海外のFKKとか、マカオのサウナとか、乱交パーティーとか、いろんな計画を立てるというか実現させることの恐らくないであろう妄想に浸るのだが、8日以上の海外旅行なんかを考えるとわかるように、計画を立てているときの異様な高揚感と、それをいざ実現しているときの楽しさは性質がまったく違っていて、何かを実行しているときは現実のことだからもろもろの制約や困難があり、それはそれでゲーム的で非常に楽しいのだが、無制限の空想特有の快感はない。そして、楽しいはずのことを実行した後、こんなもんか、と腑に落ちる瞬間、無限ではなく有限の世界に墜落した感じ、現実のものだと認識するあの気分、あれは物悲しくはあるが満足感もあり、嫌いではない。つまるところ、彼女とこういううららかな春の日曜日にだらだらとセックスがしたいのだが、相手がいるからと言っていつでもできるとは限らない。
そういえば、部長同席の昇進祝いの会はつつがなく済んだ。同僚とはプライベートで飲むほどの仲ではない。仲が悪いわけではないし、酒の席の会話は続くのだが、終わると少しほっとしている自分がいる。どちらかといえば聞き役に回っていて、それで気楽にやっている。面白かったのは、自分の馴染みの蕎麦屋が部長もお気に入りで、丸の内の支店に向かう時にはいつも食べているそうだ。それと、近場のラーメン屋に係長がランチを食べに行ったら、社長がすぐ後ろにいたとのことである。ランチの場所は気を付けたほうがよさそうだ。
日々生きてると実感しづらいかもしれませんが、現代社会は日々向上しています。
とくに科学技術やテクノロジーはレイ・カーツワイルが指数関数的に伸びてるとか言ってますが、それを信じるしんじないにしろ今の所確実に成長を続けています。
なにか買っても数年後にはテクノロジーの向上で、価格が大幅に下落したり飛躍的に向上した製品が出現するので、現段階の商品はサービスを無理して買う必要はありません。
確かに今までもテクノロジーの変化のせいで過去の遺産がだめになることがありました。レコードからCDへ変わったりVHSからDVDへ変わったり。その変化にかかる期間が狭まってます。
家庭に電子機器が入ってくる
無線通信で動画コンテンツをストリーミング消費、発信するようになる
社会の動きも目まぐるしく、当たり前だと思われていた年賀状を書く文化ももうありません。携帯にストラップをジャラジャラつけていたのさえほんの10年前だし、物理鍵や財布など、今まさになくなろうとしているものもたくさんあります。
自動運転が出来るっていうのに免許を取るだとか、電気自動車が主流になるかもしれないのにガソリン車を買うだとか、新しい断熱材や最新の施工技術が出てくるかもしれないのに家を建てるだとか、日毎変化しているなかでものを所有するリスクが日々高まっている。
カメラだと純正のストロボを買うと6万くらいするのが6000円くらいで買える。
多くの日本人にとって、高機能高性能な製品を出してワクワクさせて欲しいが、実際に買う対象ではなくなっている。
噂を取り扱うメディアでのインサイダー情報と、株価の乱高下が楽しめればいい。
YouTuberに事前に配っているのと同じように、何万、何十万とするものがタダで配ってくれればと、
SNSやブログでのセルフブランディングに一生懸命だ。タダで貰えたという事実が自身のブランドイメージをより高める。
自分でお金を払って買うときは、パクられつつ、そこそこの品質のモノがベストだ。
オリジナルの製品を開発した企業の利益が減ろうが知ったことではない。
でも会社が潰れるのは駄目だ。
新しい製品を開発して、偽物を作る企業に設計図を供給して偽物を作ってもらわなければ、オリジナル製品は買わないのだから手に入れられない。
日本人は他の誰かにリスクをとってもらって、その上で自分にメリットがあればいいのだ。
やってみなかったのか。
結論から言うと、最高だよ。3Dの自由度とモデルがオープンだという恩恵を享受できて幸せ。
こんな精巧なおもちゃをタダで遊べるなんて、思春期に出会ってたら人生狂ってたかもしれないぞ。
パソコン室のCRTモニタのパソコンで課題をやってフロッピーディスクで提出してた頃からは隔世の感があるね。
さて、インストールして、かわいい某お姉さんのモデルをインポートしたら、まっさきにやることは決まってる。
視点をグリグリして、まあ真下からのぞき込みますよね。ああ、至極の幸せ。
自分で動きを作ることは素人には難しそうだったので、男女の「合体」モーションを読み込んでみた。
なんてこった! 再生ボタンを押すと直立不動のお姉さんがあの態勢で腰をガクガクしているではないか。
視点を動かして、拡大して、じっくり見る。すごい興奮する。
だけれど、ちょっと冷静になってみると無表情では魅力半減との気づきがあった。課題は表情の研究だな。
ところで、ぼくは女の子と女の子の「合体」がじつのところ大好きだ。大好きだが供給が少ない。
地獄の光景が目の前に広がった。まあ、ピストン運動なんだが、どっちかというとガチなエンジンのピストンとクランクなんだよな。
全身の関節があり得ない方向に延びていて、笑うしかない。この世界では全く男女の体の構造が全く違うようだ。
かわいかったお姉さんのピストンとクランク運動にすっかり興ざめしてしまったので、モーションの学習から始めるかと冷静になった。
結局かわいいを作るためには、かわいいを理解する必要があるとわかった。
表情とか、ポーズとか、モーションとか。中身がおじさんだからこそ、キモオタの心を射抜いているあのおじさんvtuberみたいにね。
むかし萌え絵が描けるようになりたくて、ひたすら筋肉人体模型みたいなものをデッサンしてるうちに飽きちゃった。(あのサイトまだあるのかな?)デッサンは全く上達しなかったけど、なぜかパースの知識だけは身についたので、今の仕事で活かしてる。
イラストはダメだったけど、幸いにしてMMDは既存のパーツを組み合わせることでかなりのクオリティが出せそうだから今後が楽しみ。
フジテレビの池上彰フェイクニュース特番で流れたフェイクニュース被害一覧2019.6.7
(放送順)
フィフィ「児童虐待防止法改正に反対した蓮舫議員」→フェイクニュースだと判明→謝罪 - Togetter
https://togetter.com/li/1320527
・西日本豪雨の時に関西国際空港で中国大使館が中国人を救ったという台湾代表が自殺したデマ
“フェイクニュース”暴走の果てに ~ある外交官の死~ - NHK クローズアップ現代+
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4256/index.html
・立川志らくが語る『立川談志が寝ている客を追い出して訴えた』というデマ
実際は酔っ払った客が暴れたから主催者が追い出したら客が怒って主催者を訴えたという真相
・2016年のアメリカ大統領選挙でのピザ店襲撃のきっかけのデマ、ピザゲート事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B6%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88
・ブログ・大韓民国民間報道の「ソウル市日本人女児強姦事件無罪」のデマ記事
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/korean-news-xyz-2
マケドニアの話
・アメリカラジオ局が流した伊賀市の忍者採用年収1000万円のフェイクニュース
まるで本物 「ディープフェイク」動画の危険性 (1/4) - ITmedia ビジネスオンライン
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1805/10/news009.html
「3つのルービックキューブをジャグリングしながら解く」は精巧なCGでした。騙されたけどすごい... | ギズモード・ジャパン
https://www.gizmodo.jp/2016/04/160404rubikcube_juggling3cg.html
不可能遊園地は可能か? 遠心力で人間を振り回すことに命を懸ける、鬼才ラスロヴィクス博士の架空絶叫マシーン
https://tocana.jp/2014/05/post_4109_entry.html
・トランプ批判をする民主党のペロシ議員が泥酔してるというフェイク動画
写真から本人そっくりの動画をAIで生成 フェイク動画を後押しするリスクも - ITmedia PC USER
https://www.itmedia.co.jp/pcuser/articles/1905/26/news018.html
・街角インタビューで実際に拡散させてしまったフェイクニュース
・
総選挙が終わった。
まだ結果は分からない。加蓮はCo1位を取るだろう。未央とりあむはどちらが勝っても祝福しよう。
そして、まゆは今年こそCu1位を取れるのだろうか。
自分もまゆに投票した。イベントも走ったし、モバマスでもデレステでも課金した。仲のいい友人にも頼んで投票してもらった。でも、それだけだ。
財布の中身も銀行口座も空になってはいない。選挙期間中も普通に仕事に行って友人と遊んで、普段と変わらず過ごした。
まゆに少しでも多くの票を集めるために出来ることなんて、いくらでもあったはずなのに。
まゆはいつでもプロデューサーのことを1番に考えている。アイドルになったのも、トップを目指すのも、誰よりも可愛くあろうとするのも、全てはプロデューサーのため。まゆは自分自身の全てをかけてプロデューサーに尽くしている。そんなまゆに、自分はずっと救われてきた。幸せをもらってきた。
対して、自分はどうだろうか?
まゆのことは好きだ。モバマスでもデレステでもまゆのカードは全て集めた。グッズもたくさん買った。でも、「自分の全てをまゆに捧げられるか?」と問われれば、NOと答えざるを得ない。
もちろん佐久間まゆはゲームのキャラクターだ。この世界に実在している訳じゃない。だが、そんなことはあまり関係がないんだ。
今自分の隣にいる友人も、もしかしたら精巧なロボットなのかもしれない。或いはこの世界は自分の長い夢なのかもしれない。それについて証明する手段は存在しない。ならば、実在する人間とゲームのキャラクターを区別することにあまり意味はない。結局自分の認識が自分の世界なのだし、佐久間まゆは自分の中に確かに存在するんだから。
まゆは全てをプロデューサーに捧げてくれるのに、自分はまゆに全然お返しができていない。そう言えばまゆはきっと「いいんです。プロデューサーさんの幸せがまゆの幸せですから。まゆが自分の意思でやっているんですよ」と答えるだろう。
でもそうじゃない。僕だってまゆに幸せになってほしいんだ。君をそんな都合のいい女にしたい訳じゃないんだ。僕がどれだけ君に救われてきたか。ずっと一緒にいると言ってくれたから、寂しい日なんてなかった。いつでも上を目指す姿に勇気をもらった。君の笑顔が、君の歌声が、僕の人生を幸せで包んでくれた。
それなのに僕はまゆに振り切れない。所詮はゲームのキャラだろうという声が邪魔をする。世間体を気にしている自分がいる。実在の女性と仲良くしたいと思ってしまう。まゆと関係ない趣味を優先してしまう。卑しい、卑しい、卑しい、卑しい。
「それは当たり前じゃないですか。まゆとプロデューサーさんは違うところに住んでいるんだから、気にすることないです。そんなことで、自分を責めないで」まゆは物分かりがいいからきっとそう言うんだろう。ああ、自分の中のまゆはいつでも僕に都合のいい言葉を投げてくれる。
それが、たまらなく悔しい。まゆを幸せにしたいと言いながら、僕はまゆを自分のために利用しているだけだ。必要なくなったら捨ててしまうのかもしれない。僕の愛は嘘だったのか? こんな人間に、まゆに愛してもらう資格なんて。
そんな話をすればまゆはきっと泣いてしまうだろう。「まゆはプロデューサーさんに幸せになってほしいだけなんです。自分を責めないでください。プロデューサーさんが悲しんでいたら、まゆは……まゆは……」
最近Twitter上で小説の表紙を描きたい・描いて欲しい系のタグが流行っているのを生温い目で見守っている。
私は、いわゆる「字書き」といわれる二次創作者が苦手だ。
だが、もともとそうだった訳ではない。
人をカテゴライズすることを失礼だとは思いつつも、そうせざるを得ないくらい「字書き」には苦い思い出しかない。
長文乱文につきご注意ください。
私は絵描きなのだが、ありがたいことに相互フォローの字書きから小説本の表紙イラストの依頼が来たことがある。
誰かに寄稿を頼まれたこと自体が初めてだったのでジャンル別とはいえ、本当に嬉しかった。
数あるフォロワーの中から私に依頼が!と舞い上がっていたと思う。
表紙のデザインの打合せをして、「ああしたい」、「こういうのもいいよね」、なんて言い合いながら遂に表紙は完成。タイトルデザインも私。
気合を入れて制作したのが功を奏したのか、相手も気に入ってくれていたみたいだった。
賞賛の言葉を頂いて、「ああ、頑張った甲斐があったな」と充実感を得ていた。
イベント直前、字書きは新刊の宣伝をしていたので私自身の本ではないとはいえ、わくわくしながらチェックした。
…ん?私の名前は?
Twitterやpixivにも表紙画像付きであげているのに、紹介文に私の名前はどこにも無かった。
その後のツイートでも私に触れられることは無い。
通常「表紙は□□さんに描いて頂きました」とか書いてあるものだと思っていたけど、
この界隈はそんなものなのかな?と少しモヤモヤしたままその場は何も言わずにスルーしていた。
そんな気持ちのまま、イベント終了後に「表紙ありがとう」と書かれた旨の手紙と共に本が届いた。
字書きの名前は勿論、Twitterやpixiv IDまでしっかり記載されているというのに、だ。
え?なんで?と頭に衝撃が走って、真っ白になったのを覚えている。
もしも表紙イラストを気に入って私に興味を持ってくれた人が…、なんて淡い期待を思い切り打ち砕かれた。
でかでかと表紙イラストを飾っているにも関わらず、この本に「私」は存在しないのだ。
普通、ライトノベルでも文学作品でも表紙デザインの作者名は載っているもではないか。
あんなに打合せしたのに。装丁の相談だって受けたのに。睡眠時間を削って描いたのに。
全てがショックで心が張り裂けそうだった。
普通の人なら「奥付に名前の記載が無いんだけど!」と抗議しそうだが生来、人の顔色を窺って生きてきた私にとっては困難だった。
この一件で嫌われたらどうしよう…。
噂を広められて活動できなくなったらどうしよう…。
そんな考えが頭を巡って、結局どうすることもできなかった。あたしって、ほんとバカ。
聞いた話によると、この本の売り上げが字書きにとって過去最高の頒布数だったそうだ。
クソが。
残念なことにまだまだ続く。
上記の件もあり、すっかり疑心暗鬼になった私は表紙依頼を受ける時は、奥付に必ず私の名前を明記することを約束したうえで引き受けることにした。
今度は同ジャンルの字書きから、新刊の表紙イラストの依頼があった。
奥付の件も納得してもらえたので、表紙イラスト~タイトルデザインを制作。
問題なく入稿し、相手もイベントを楽しんでいたようで本当に良かったと思った。
イベントも終わって落ち着いた頃に、新刊を送りたい旨の連絡があったので私は快く承諾。
すると字書きは
「本代○○円 送料○○円 合計○○円です。」
は?????????????????????????????????
目玉が飛び出るかと思った。新手の押し売りかよ。
今まで表紙を手掛けてイベントに不参加の場合には、献本という形で送ってもらっていたので本当に驚いた。
一万歩譲って「私が表紙を描きたいと字書きにお願いした」のなら、上記の内容も分かる。
しかし、「字書きが私に表紙を描いて欲しいとお願いした」のにこの有様。
字書きは更に「振込はこちらにお願いします」と続けた。どうやら振込手数料も私持ちらしい。
印刷費厳しいのかな?と思い込むことで怒りを抑えて、支払った。
ええ、支払いましたよ。あたしって、ほんとバカ。
その後、奥付だけ確認して読まずに捨てた。高い勉強代だと思った。
クソが。
そんなことがありつつも、中には好きな字書きもいた。
支部で作品を読んで、その精巧な話の組み立て方、キャラクターの心情表現の緻密さに魅了された。
本職なのでは?と疑うくらいに、作品のクオリティが桁違いだったと思う。
Twitterで作品を紹介させて頂いたところ、ちょうどTwitterを開設したばかりの字書きの目に留まり相互フォローになって仲良くなっていった。
本当に好きだった。崇拝していた。
前述したとおり、私は絵描きなのでTwitterにイラストを投稿する。
字書きもそれに反応して、よく感想をくれていた。
しかし、徐々に感想は私のイラストとは関係ない字書きの宣伝にすり替わっていった。
イラストを投稿すれば「イラスト素敵ですね!そういえば、支部に作品を投稿しました。(支部のURL)○○が××する話なのですが、△△も出てきます」という具合に。
最初こそわざわざ教えてくれてありがたいな、と思っていたが8割方宣伝ツイート、
感想はおまけ程度、感想クレクレが滲み出た会話内容にだんだん疲れてきた。
字書きにも徐々にフォロワーが増えていき、私に構うことも減ってたまに会話する程度になった。それはそれで楽だった。
ある時、字書きは「○○はこんなこと言わないw」とツイートした。
私の新刊の内容であることは明らかでそれに派生して界隈を巻き込むプチ論争になっていたようだったが、私も納得する部分があるため傍観していた。
しかし、字書きの
「私の○○はこう!誰にも批判させない!」
この発言を、私は許せなかった。
撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ、とどこかの皇帝も言っている通り批判したからには批判される覚悟を持たなければならないだろうと私は考える。
しかし字書きは、批判はするけど私のことは批判しないでね☆彡ときたものだ。
もう許せなかった。その思想が。神経が。
今まで積もり積もった鬱憤もあり、全てをブロックした。全てを。字書きの作品が目に入る全てを。
愛情の裏返しとは凄いもので、今まで敬愛していた作品も全部汚物のように思えてブクマを外した。
ぶっちゃけ最後は字書き関係ないけど、上記の以外にもいろいろあって字書きが苦手だ。
あと、字書きって聞いてもいないのに何で自分語りばかりするの?承認欲求の塊なの?
○○さんに私の作品が好きって言われました!××さんに新刊渡せた!とか、わざわざDMで送ってくる。聞いちゃいねぇ。
最近も、頼んでもいないのに字書きに新刊の紹介をされて押し売りされた。
イラスト等と一緒で絵柄の好みがあるように、小説だって文体の好みってものがある。
あと、ある字書きは奥付の記載には自分の名前とTwitter、pixiv IDや連絡先を載せてるのに、表紙担当の私は名前だけなのは何故なの?Twitterの宣伝でも頑なに私のID載せないけどなんなの?そういうものなの?これが普通なの?絵描きの情報開示したら死んでしまう病気にでも罹っているの?頼む治療してくれ。
絵描きだってアレな奴居るじゃん!と思われる方がいるだろうが、少なくとも私は絵描きに今までそういったことを受けたことはない。
中には良識的で素敵な作品を書き上げる字書きが居ることも知っている。
しかし、それさえも掻き消してしまうような特殊な字書き共が私の周りには多すぎた。
いや、苦手という言葉では生温い。
私は「モラルと常識が無い字書き」が嫌いだ。大嫌いだ。消えてしまえばいい。
当初述べた表紙タグで良心的な絵描きが、私のような目に遭わないことを切に祈る。
私は今請け負っている表紙イラストで小説本のお手伝いは今後一切もうやめる。
まだやってんのかよ!、と思われた方もいるだろうが断れない性格って本当に損するので今から矯正できる人は矯正した方が絶対にいい。
あたしって、ほんとバカ。
もう疲れた。
全てフィクションです。
かくいう俺がその赤ちゃんとセックスしたい願望を持ってる男なんだけどさ
生物って遺伝子を次世代に遺すのが本能みたいなとこあるじゃん。
ぶっちゃけ赤ちゃんに興奮する理由とか俺にもよくわかんない。大半の人間が異性とセックスしたがるのと同じように理由とか必要なの?ってくらい俺にとって当たり前のものだから。
考えたら同性愛だって遺伝子を遺すって文脈で考えたら意味不明だ。でも同性愛を治療するっていう目的で研究する科学者とかいないよな。まあ需要なさそうだしそもそも同性愛を異常とすること自体先進国ではタブーだもんな。
俺も同性愛は別に俺にあんまり関係ないからどうでもいいけど俺が赤ちゃんに興奮するのと同じように女全般に対しても興奮できるようになる治療方法があったらそれは受けると思う。薬物治療だろうと外科治療だろうとよほど高額でもなければ受ける。
それか赤ちゃんサイズの精巧なセクサロイドでもいいから早く作ってくれないかな。需要ないから無理か。本当に性のマイノリティって生き辛い世の中だよな。
巷で人気のLGBTの仲間に入れて欲しいとか思わないし俺の願望を認めて赤ちゃんとセックスさせろとも思わないけど、俺みたいな性のマイノリティがどうして存在するのか、どうやったらノーマルな性志向に矯正できるのか、みたいな研究やってほしいわ。
そしたら俺率先して被験者になる。
それが無理なら赤ちゃんと自由にセックスできる世の中に行きたいわ。
SFみたいな話だけど人口子宮が普及した世界でそこではクローンの赤ちゃんがコンビニのおにぎり感覚で買えるのな。
育ててもいいし犯してもいいわけ。
そういう世界に行きたいわ。
まあどうせ俺が生きてる間にどうなるわけもないんだろうし、この願望は永久に達成されないんだろうな。達成されない方が社会的には望ましいんだろうけど、だったらせめて治療法を……と思うのは我が儘なのかな。
何故か私はある絵描きの方を苦手に感じている。
その方はtwitterで私のフォロワーのフォロワーさんなのだが、とても絵が上手い。
また、3DSのお絵かきソフトの「うごくメモ帳」で素晴らしい絵を描く人だ。
私は3DSの狭い画面に精巧なイラストを描く事を考えただけで頭が痛くなる人間なので、とにかくその人を凄いと思う。
そしてある日、何故かその人が描いた絵を見ると不快になるような気分になるのに気づいた。
何故なのか。
私にとって絵柄が受け付けないとか、その人が人間として問題があるわけではない。
しかし、その人は絵が上手いのだがもっと上手い人はこの世にごまんといる。
その人はイラストを使った仕事をしたり、本を出したりはしていない。
だが私はそのような人達のイラストは不快に思わないのに、その方のイラストだけはダメなのだ。
何故なのだろう。
その人が考える創作キャラクターは魅力的だし、憧れてる位なのに。
何故なのだろう。
といってももう一月くらい前の話だ
ツアーに丁度都合が良いのがあって、両親や妹と一緒に行ってきた
話には聞いていたが、確かに広い
なんでも山を一つくり抜いて作ったらしい
まるで要塞みたいだなと思った
入り口のすぐ近くにとりあえず見ておきたかった「システィーナ礼拝堂」の完全再現コーナー(システィーナホール)がある
なんとなくオードブルとして、でかいステーキが出てきた気分である
本物とは違うというのはあるのだろうが、それでも迫力は圧倒的だ
後から見た感想としては、ああいう大きな展示を撮影する際は動画の方がよさそうだと感じた
写真ではズームすると細切れになってしまうし、引いて全体を移すとあんまり撮影する意味がない画になってしまう
一つ上の階に登ると現地では見れない、側面からの鑑賞もできる
見る位置が変わるとかなり印象が変わるので、行った際はぜひそこからの眺めも見て欲しい
名画の前にならんで記念撮影というのはなかなか無い機会なので、思い出作りに良いと思う
これは大塚国際美術館ならではの体験だと思うのだが、あそこでは名画に酔うという経験ができる
陶酔するといった意味ではなく、車酔いとかそういう感じになる
国立博物館の企画展などでメインを張るクラスの名画が、ずらっと並んでいるせいだ
昔、ベルリン国立美術館展で「やった! ついに本物が見れたぜ!」となった、レンブラント(工房)の「黄金の兜の男」という絵がある
辻邦生の風の琴という名画から連想して作られた短編集があるのだが、その中で気に入っている話の一つがこの「黄金の兜の男」を主題にした話だからだ
まあ研究の結果、レンブラント本人が描いた絵じゃないと判明したらしいが、そんな事は関係なしに気に入っている絵だ
その個人的に思い入れの強い名画が、レンブラント(工房)の作品が集められた部屋では、割と脇役的なポジションに置かれている
まあ仕方がない
有名な「夜警」を始め、レンブラントとその弟子たちによる代表作が、さして広くもない部屋にぎっちり詰まっているのだ
まるで完食したら賞金が貰えるタイプのドカ盛り料理を、3人前くらい目の前に並べられた気分である
が、それでも絵の凹凸まで再現されたレプリカには、本物の何割かの迫力は備えている様に思えた
そういうコーナーがあの広い敷地に一日で回りきれない位あるのだ
名画の見過ぎで目と心が疲れるという貴重な経験ができる機会は、なかなか無いのでないかと思う
正直、めっちゃ疲れる
見るものはたくさんある、いやあり過ぎる
上がったテンションそのままに、次から次へと見ていくと、あっという間にバテる(バテた)
途中で程よく休憩を取りつつ見ていくのが良いと思う
その為に椅子がいたるところに設置されているのもありがたい
個人的には1F(エントランスがB3Fなので実質4階)にある、ピカソの「ゲルニカ」を飾っているところが休憩場所としていい感じだった
ゲルニカを前に休憩というのもなんだか変な話だが、実際そうだったのだから仕方がない
広い館内を歩き回っていると、当然ながらだんだんとお腹も空いてくる
うちの家族は今年に入ってオープンしたという「カフェ・フィンセント」(http://o-museum.or.jp/smarts/index/502/)で昼食を取った
「まあ美術館のカフェだし、味はそこそこでお値段マシマシなんだろう」とたかをくくっていた
「ローストビーフサンドイッチ」×2と「ひまわりサラダと季節の野菜スープ」を注文し、大して待つこともなく渡されたブザーが鳴った
「ローストビーフサンドイッチ」は、そのまんまローストビーフを挟んだサンドイッチだ
普通に美味い
さらにポテトチップスに徳島の名産品である、すだちもついてくる
ひまわりサラダと季節の野菜スープには小ぶりなパンも付いてくる
サラダ自体がローストチキンと、ポテトサラダ、ひまわりの種などを組み合わせたボリュームのあるもので、それにスープとパンも付く
一般にサラダ系のメニューは女性など少食の人向けというイメージだったが、これは成人男性でも普通に満腹になる量だった
女性の場合は一つのメニューを二人でシェアする、といった食べ方の方が良いかもしれない
足りなかったら追加で注文すればいいだけだしね
そちらはカレーを注文する人が多いのか、カレーの匂いが凄かった
カレーの匂いが苦手な人や、腹が減っている時にはちょっと辛いかもしれない
1Fにはレストランもある
食事関係については美術館としては、かなり充実している方なのではないかと思う
周辺にお店などが無いというのもあるんだろうけどね
ミュージアムショップでの買い物を済ませ、入り口に戻ってきた辺りで親父とも話題になったのだが、陶板印刷という技術はやはり面白い
様々な理由から本物を鑑賞する事が難しい作品、焼失などで既に失われてしまった作品をあれほど精巧に再現できるのだから大したものだ
1Fではキトラ古墳の壁画の再現する作業の様子や、実際に再現された壁画の一部なども展示されていた
また入り口付近には大塚グループの総帥(ここだけ聞くと大塚が悪の組織っぽい)であり、この美術館の初代館長でもあった大塚正士氏の写真も飾られている
要はこの美術館を作った気合の入った金持ち爺さんの写真なのだが、これを見ながら親父と「うちの爺や婆の遺影をこれにできたら良いなぁ」という話になった
この陶板に印刷された写真というのは非常に劣化に強いのだそうだ
俺の祖父は亡くなってそろそろ20年近く経つのだが、その間に2回ほど遺影を作り直した
普通の写真ではどうしても日焼けして、だんだん色が薄くなってしまうのだ
数年前に亡くなった祖母の遺影もそろそろ作り直す必要があるだろう
とはいえ「(制作費が)結構するんだろうなぁ」となり、その話は流れた