はてなキーワード: 未熟児とは
「息子のイヤイヤ期が来ない(3歳8ヶ月)」
その後も根気よくあの手この手でイヤイヤ期に誘導しているのだが成果が出ない。
子育てマニュアルによるとイヤイヤ期は乳幼児において自己確立に必須ターンと示されており、
故に我が子にも正常なイヤイヤ期を経て欲しいと願っている。
てかもう乳幼児ですらねぇし。
未熟児ギリの体重で産まれたから発育が遅いのは覚悟していたが、これほどとは。
最近「僕が一番」に拘るようになり、都合よく乱用したのを反省している。
「お風呂に入るよ」
「嫌だ」
「じゃぁお父ちゃんが一番に入るね」
「やだー僕が一番」
ちょろい
ついつい楽な手を使ってしまう。
ここで彼の意思をないがしろにし無理やり風呂に連れていけばイヤイヤするのかもしれない。
と思って何度かやってみた。
捕まえて無理やり服をひっぱがした。
新しい遊びと勘違いしケラケラ笑いながらフルチンで逃げ回ってるだけで効果無かった。
寝かしつけもいつまでもぐちゃぐちゃ話が終わらない。
「かくれんぼしよう、毛布をかけろ」
だの
「ずるっこじゃんけんをしよう」
最後は「じゃぁパパと僕で2人で勝つやつね」とアイコの手をだしてくれるのが日課、しかし絶対に勝たせてはくれない。
だの
「木曜日だ」
アホみたいな会話が延々と続く
ママが「いい加減に寝なさい」と怒る。
仕方がないので
「やだ、僕が一番がいい」
「じゃぁ目をつぶっておしゃべりやめなさい」
寝る、ちょろい、ちょろすぎる
はやくイヤイヤしてくれと焦る俺。
在宅勤務二年、幼稚園から帰宅し1,2時間絶叫してたのがここ一ヶ月パタリと止まった。
三時に上司に検温メールしなければならず時報代わりに使っていたのに、困る。
もしやウザくなって消したのではなかろうかと案じていたら笑い声が聞こえるようになった。
反抗期が終わったのだろう。
いいなぁ
ともかく、ウチは反抗期どころかイヤイヤ期もまだだからこの先どうなるのか。
しかし著名な心理学者によると障害を抱えているからといって他の子供と比べてはいけませんと書いてあるので比べないようにしている。
一歳半検診には連れて行ったがあまりにアホらしい内容で唖然としていたら翌日ノロゲロ。
間違いなく検診会場で食らった。
まぁノロはいずれ感染して免疫獲得しなきゃしょうがないからさっさとかかってくれるのは良いのだが。
検診内容がチープすぎる、子供のあやし方とか、どーでもいいわ。17,8のママじゃあるまいし。
誰がこんな可愛い我が子を虐待できましょうか。ありえないので結構です。
ともかく自閉症スペクトラムのチェックもほぼすべてひっかかる我が子でありこれは運命だから仕方がない。
ひらがなを教えているが飲み込みが早いのでウチの子天才だと思っていたら
ひらがなを読めているのではないのだ。
電車図鑑のページのひらがなは読める(ように見える)のに、単独ひらがなだけ見せてもまったく読めない。
絵本を音読していたのでひらがな読んでるのかと思ったら何度も読み聞かせしてるから音で覚えているだけだった。
試しに「なんでも好きなひらがなを書いてみ」と紙とペンを渡したら
ドヤ顔で「い」を書いた
次に「へ」を書いて「カシオペアのか!」
面白いのでもう一つ書かせたら、「し」
うん、あってる、わかってないだろうけど。
先日地下鉄に乗った時にヤバと思いつつもバカだから気がつくまいと思っていたらパンタグラフが無いと騒ぎ出した。
どこみてんだよ。
「地下鉄はトンネル断面を小さく、掘削コストを下げるため架線ではなく第三軌条と呼ばれる導体から受電するのです、だからパンタグラフはありません」
パンタグラフが無いと騒いでいる。実に鬱陶しい。
さらには「先日阪急で恵美須町に行った時は地下鉄なのにパンタグラフあったではないか」と。
そんなどうでもいいことは覚えんでよろしい。
「あれは相互乗り入れでパンタグラフの阪急が走れるように仕方なく架線もあるのだ、
たぶん掘削コストは余分に40億円くらいかかってるんじゃないかな、しらんけど」と説明しておいた。
京都鉄道博物館にボタンでパンタグラフを上下させるアクティビティがあるのだが30分やってる。
それが正常な子供だろう。あのコ達は正常な時期にイヤイヤ期もあったに違いない。うらやましい。
パンタグラフを上下させるためだけにJR新快速(大好き)で京都まで連れて行かされる。
誰だよこんなもん教えたの、俺だ。
息子の入館料は年パスでタダだが俺の分は980円取られる。俺電車になんの興味もないのに。
パンタグラフ上下作業に満足したらバス(バスもちょい好き)で四条大宮まで移動し嵐電に乗り(路面電車にも目がない)
車折神社で降り(嵐山まで乗らないのが通)散歩しつつ、渡月橋を渡り、
なんやかや4000円はかかってる、近所の公園で遊べばタダなのに、実に浪費。
鉄道模型のレンタルレイアウトに連れていくと阪急電車(Nゲージ、12800円)のパンタグラフを指で上げ下げしている。
いや、走らせようよ、それ家でもできるじゃん。
触りすぎて4つあるパンタグラフの3つが無くなった。
残り一つになり、己の愚行で3つ無くなったのを自覚しているようで慎重に触るようになった。
いや、触るなよ。アホなのか。
最後の一つが無くなったらどんな反応になるか楽しみ。
残り2つになったとき、息子と日本橋専門店まで交換パーツを探しに行った。
Amazonでも良いのだが物を壊したり無くした結果のOJT。
販売スタッフに聞いたところ互換性のあるパーツは無い、メーカー在庫も無いのだそうだ。
しかしどうせ最後の一つも壊すの目に見えており、ギャーギャー騒ぐであろうから
既に似たようなパンタグラフは購入済みで取り付ける算段もついている。
最後の一つが壊れ、泣き崩れていると、颯爽と修理するパパ、
流石父上、お父様、羨望を浴びる。くくく
はよ壊せ。
で、唯一イヤイヤし泣き叫ぶのがこのレンタルレイアウトから連れて帰る時だけ。
時間だから帰ると指示すると笑顔一転ブチギレモードで泣き叫ぶ。
毎度毎度「時間なのに帰るのイヤイヤしてゴメンナサイ」と反省を述べるが
翌週にはまたブチ切れる。
店にご迷惑であり、出禁食らわないように各地をローテしているが。
これだけは半年改善せず、イヤイヤの素質が無いわけではないのだ。
これではイヤイヤ期ではなくただ鉄道がチョー好きな子供ではないか。
これを食べなきゃ眠れないよねー、みたいな。
俺は小学校3年で田舎から大都会大阪に転校し方言で虐められたおかげでひねくれた人間に育ったので息子にも同じ思いをして欲しい。他意はない。
「ポップルコーンってなんだよ、だせぇな、ポップコーンだろ、バーカ」
みたいなシーンを想像すると笑える。
そして
「なんで俺はアホなお父ちゃんに育てられてしまったのだろう、ウチは世界一不幸な男の子や」
みたいな。笑える。
この程度の楽しみは子育てのオプションとして享受してよかろう。
ともかくポップルコーンを作らされる。
一人は恥ずかしいとモジモジしている、一緒に踊ってやる、意味がわからん。
ポップコーンは百均で豆を買ってくれば山盛り作っても原価10円ほどであり
業スー最高級オリーブオイルを使うが、20円もかかってないだろう。
こんなもんで満足してくれるのだから安上がりでちょろすぎる。
俺の山盛りの皿を見て「パパの方が多い」とクレーム。
「当たり前でしょ?体の大きさが違うでしょ。でも愛してるから三個分けてあげるから1個頂戴」
1個くれる。かわいいなぁ
もう一つ頂戴と頼んだら「イヤー」と断られた。
どのみち自分の分を食い終わったら俺の皿を襲撃するのだから同じだろうに。
さすがにいつもキュウリでは可哀想だ、もうすぐ4歳になるのだからイクラを食わせてもよかろう。
試しに3粒ほど食わせてみた。
なんじゃこりゃ、みたいな満面の笑顔になり
「口中へ赤玉投入せよ」みたいな顔で口をぽかーんと開けている
金魚みたいで可愛いと思った、全部食われて軍艦だけ残った、俺が食わされた。
ともかくちっともイヤイヤ期してくれない、どーすんの。
とうちゃん挫けそう
人間の体欠陥品すぎない?ていうかだいたい全ての動物が生命産むのに母体が死んだりする事例があるのバカな方向に進化してる
一年間で双子とか三子じゃない限り一体しか子孫残せないの効率悪すぎる、その点試験管なら母体が死にかけることもなく女性はつわりから解放されてメンタルだってなんとかなるし、遺伝子操作してくれるなら自分好みの子孫残せる可能性があるわけでそうなったら育児がうまくいかなくて悩む親が救われる可能性もあるのでは?
子孫残すのに母体が死にかけになって体ズタズタになるのもおかしい
ここがサバンナなら母体が死ぬ→必然的に子どもも死ぬなんだけどなんでそんなふうに母体に依存しなきゃいけないように進化したの?進化の方向性間違ってるだろ……2〜3時間ごとに授乳で睡眠時間削ってへろへろになってるのも人間社会じゃなきゃ母子共に死ぬと思う
他の動物と比べて未熟児で出てくるのは脳がデカくなりすぎると腹の中から出れないからってなんで腹の中に入れるんだよ……カンガルー的に腹がパカって開くようにしろよ、いやカンガルーも股から産んだ子を腹のポケットに入れてるのかもしれないけどね
骨盤を開いて出てくるとか普通に怖い、案の定産後は骨盤広がるから骨盤ベルト締めないと困りますってやっぱり母体への負荷デカすぎる
だいたい子ども出てくる股が狭すぎて切開するだの切れるだのおかしいだろ、切れないように進化しろよ、そも排泄器官が近くにあるところに出産する場所つけるなよ、レポ読んでたら漏らしましたとか普通に書いてあって衛生的じゃなさすぎる……
なんで全ての動物の産道は股のところに作ってあるわけ?鶏卵も糞に塗れて出てくるっていうしそれならもっと清潔なところから出れるように設計して欲しかった
子孫にかけるコスパ悪すぎる、下手したら子宮裂けて大量出血で死ぬかもなあと思いながら産んだ子どもの子ガチャ外したら目も当てられない
そりゃみんな子ども産まねー!金はかかるし産んだ子どもが何やらかすかわからないし言い聞かせたって聞かないやつは聞かないのに責任だけは製造元として親が取らなきゃいけないとかリスク高すぎるだろ、そんなリスク高いことより目の前に娯楽がいっぱいあるんだからそっちに目が向くに決まってる!
生命の誕生が神秘的感動的とか思ってるやつは夢見すぎで、普通に汚ないし動物的で大惨事すぎる
母体が10ヶ月も腹の中に子ども入れとくの今の現代社会にあってないから母体に依存しなくても子孫を繋げる方向性に科学が発展して欲しい
つわりあるしストレスあるしホルモンバランス崩れてメンタルおかしくなるし体黒ずむ部分とか胸が垂れて女性として自分の体見たくなくなったり、そのくせ母乳の方が子どものためだって言われて自尊心と引き換えだし腹がデカくなってきたら周りの人も気遣って大変だし妊婦様と呼ばれる人もでるし妊婦に当たりが厳しい人もでるし、とにかく削れていくものが多すぎる!
そんなの気にならないくらい子どもってかわいいよ〜とかそういった言葉いらないですね
そんなの試験管ベイビーなら母体が傷つくこともなく子どもって成果を手に入れられるんだからそっちの方がいいじゃん
はーーー試験管ベイビーできねーかなーー
最近、支援学級生の話を聞くことが多くなった気がする。しかも、割合としては悲しい話が多すぎる。
自分にとって、小学生のころに出会った支援学級の友達と重ねてしまうのだが、環境の違いにびっくりする。
あまり聞かないので、支援学級生にメロメロだった私(たち)の話をここに書こうと思った。
私の学校は規模が小さかったこともあり、4年生になったころに支援学級に双子の姉弟が入ってきた。めちゃめちゃかわいい妹・弟みたいな存在で、休み時間は支援学級に毎回遊びに行っていた。ぶっちゃけ同級生と遊ぶより全然楽しかったし、私が遊んでいるところを見かけた友達も(同級生もだが後輩の子たちまでも)一緒になって遊んだりしてた。本当にかわいい純粋な子たちで、まじで周りのみんなも可愛がっていた。自分にとって天使のような存在であった。
彼らはハキハキと話すのは難しいようだったが、一生懸命ゆっくり話してくれるところに毎度キュンとした。二人とも未熟児だったこともあり身体も小さくて、運動も激しいものや速さが必要なものは難しかったけれど、私含めて周りの皆が、彼彼女の歩幅に合わせて遊んでいたし、常に2人の体調を気遣っていたようにも感じられた。
一緒に遊ぶときは、外に遊びに行って自然を見てまわったり、絵本を読んだり、すごろくしたり、キャッチボールしたりした。おんぶして走ったりすると、キャッキャと後ろで喜ぶ笑顔を思い出す。妹や弟がいたらこんな感じなんだろうなと思った。
支援学級の先生や学級参観で親御さんから、いつも遊んでくれて本当にありがとうとお礼を言われたが、こちらこそ私と遊んでくれて本当にありがとうという気持ちだった。
卒業するとき、私のために一生懸命手書きでお手紙と似顔絵を書いて渡してくれた。6年生ながら寂しさに涙を流して卒業した。
『おねーさん』と呼んで遊んでくれて、本当に楽しい小学生時代だった。今でもお礼を言いたいくらいだ。
だから、世の中でこんなことあるのってくらいのイジメや虐待、事件を聞いてびっくりしてしまった。
私の学校は、彼女たちをのけものにしたり、いじめたりする子たちは本当にいなかったと思う。また、彼女たちと遊ぶ私の友達も、彼女たちに自然に合わせ、心から親切に接していたと思う。
大人になって、小学校のあの姉弟と一緒に過ごした日々を思い出す。物騒な話をたくさん聞いては、私はあの姉弟を本当にいじめてなかったか?と自問自答するのだが、彼らのあのまぶしい笑顔は偽物ではなかったのではないかなと思って信じている。あの姉弟にとって、忘れていてもいいから、嫌な小学校の思い出が存在しなければいいなと思う。
男らしさなんて物が無くても十分魅力的な人が、有害な男らしさを自分から切り離しても良いという理解を促すための言葉である
有害な男らしさという言葉があるように男らしさは有害な一面を持つが、有害であると同時に有益な面がある事もまた否めない
男らしさという補助輪に頼らずともきちんと生きていける男性が人間として一つ成長するための儀式が「男らしさからの離脱」なのだ
男らしさというゲタを履かずには生きていけない、または男らしさをまだ身に付けていない未成熟な男性が、未熟な内に男らしさを降りたり初めから男らしくあろうとしない事は自殺行為と言っても良い
まだ人間として出来上がっていない男が男らしさを降りてそこに残る物は何か
有益でなければ有害にもなれない、かといって女のように振る舞う事など出来る訳もない、ただ人間として大切な物はすっぽり抜けた未熟児である
男らしさのない男未満の男は、男らしさを残した従来の男との競争に勝つ事は絶対にあり得ず、競争に負け続ける者が何かを勝ち取る事も同じように有り得ない
その未熟な男達が有害な男らしさを持たないのであれば、相手の都合も考えずに女性に声をかけ不快感を与える事は無いかもしれない
実際存在するだけでも女性を不快にするような劣悪な容姿を持ち収入を稼ぐ能力がない男は男らしさなんて物を持たない方が幸せな可能性もある
女性は彼ら劣った男が自らの視界に入ったり声をかけられる事でどうしようもない生理的な嫌悪感に見舞われてしまうからだ
男らしさを降り、決して女性に関わらず平和に滅びていく事が多くの人間にとって幸せな未来を約束するのなら、「男らしさを降りて良い」とは万人にとっての救済なのだろう
左派の理想はゴリゴリの技術革新に支えられた世界だと思うけどね。
昔の未熟な医療では命を落としていた超未熟児や重病の高齢者、脳損傷者なども救命が可能になり、生命維持装置を利用できるようになった。
性転換手術も高度になり、救われる性同一性障害者が増えた。
かつては三十代半ばで高齢出産の烙印が押されていたが、産科学の進展により五十代以上の女性の出産も可能となった。
尊厳死医療、出生前診断、デザイナーベビーなど、左派としては警戒せざるをえないものも登場してきているが、基本的には左派が応援したいと感じる人々が最新の医療技術で救われていることが多い。
ここで下手に宮崎駿的な世界観が良いとか言い出すと、弱い人々も容赦なく命を落とすもののけ姫みたいになってしまい、左派の理想とは真逆の世界となる。
心室中隔欠損症とは、文字通り心臓の右心室と左心室を隔てる壁の一部が欠損している、先天性の心臓病だ。手術さえ成功すれば予後は良いらしい。
私の場合、心室中隔欠損症の合併症らしき肺高血圧症も患い、あとなんか動脈に異常があって手術したっぽいけど忘れた。心室中隔欠損症という病名がインパクトでかすぎるのが悪いな。
幼稚園で同じクラスだったガキ大将と共に、就学前健診で引っ掛かり、以来、健診のたびに皆とは別に二人で心電図を受けることになった。低学年の頃は男女一緒の場所で受けさせられたので、タコ吸盤と巨大洗濯ばさみに拘束されている間、退屈しのぎに見詰め合ってへらへら笑ったりなどした。
幸せって何だろう。
……なんてことをシラフで管まく奴がいたら、それは人の温もりに飢えているドランカーか、時間を持て余したバックパッカーのどちらかだ。
「幸せとは水が沸騰することだよ。外圧によって変化する沸点こそ、幸せの有り様さ」
弟は以前に、そんなことを意気揚々と語っていたが、とどのつまり“人それぞれ”ってのを言い換えているだけだ。
陳腐な結論を捏ねくり回したり、とっぽい言い回しで着飾りたい年頃だったのだろう。
本人は「山登りの疲れでハイになってた」って後に釈明していたが。
いずれにしろ、ナンセンスなことで夢想したり、使い古された話で盛り上がれるのは若者の特権さ。
「無人島に何を持っていくか」だとか、「カレー味のウンコorウンコ味のカレー」だとか、そんな話を大人になってからするもんじゃない。
言うまでもなく、幸せってのが如何に不安定で、捉えどころのないモノなのかは自明の理だ。
例えば俺にとっての幸せは、自分の時間をスムーズに使いこなすこと。
弟は不安や不満のない、退屈しない程度に刺激的な、メリハリのある毎日を過ごすこと。
父は余裕を持ったスケジュールで仕事を終えることで、母は家族と一緒にいられることだと言っていた。
キトゥンは知らない。
まあ、このように身内の間だけでも多様なのだから、幸せをズバリ「こうだ!」って答えるのは無理な話なんだ。
弟のようにガワだけ取り繕っても、単なる言葉遊びにしかならない。
だが今回の話に出てくる“とある人物”は、それを壮大かつ究極的に追い求めた。
最初は順調だったんだ。
その日、家族はそれぞれの事情で外出していて、文字通り猫の子一匹いない状態。
自宅には俺一人で、都合よく予定も埋まっていない。
それはつまり、俺は俺のためだけに時間を使えるってことを意味していた。
「9、10、11……いや、もう20回くらいやったっけ……まあいいや、最初からやり直そう」
周りに誰もいないのを承知の上で、あえて独り言を呟いてみたりもした。
勿論これは客観的な見解ではないが、異論を挟める人間は今この場にいないんだ。
「やあ、マスダ!」
「……」
一切の誇張なく、本当にいきなりである。
しっかり戸締りをしていたし、入ってきた気配すら感じなかったのに、いつの間にか部屋の中にいたんだ。
だがガイドの普段の振る舞いを知っている俺からすれば、これは驚くに値しない。
「……どうやって入ってきた」
あと、人のテリトリーにずかずか入ってきて、一方的に「こっちの事情を汲んでくれ」と主張してくるのも随分だ。
「不躾なのは百も承知さ。それでも優先したい事柄だから、こうやって来たんだ」
自分が未来に生きているって驕りが、所々に見え隠れして鼻につく。
己の価値観や振る舞いが相手とは違うって前提が、まるでないように動いてくる。
「ちゃんと聞いてくれよ。キミが今いる世界、ひいてはボクたちのいる世界が消滅する可能性もあるんだ」
なんとも大仰だが、ガイドの言葉は結果的に真実であることが多い。
それは分かっている。
分かっているのだが、真面目に聞けというのは無理な話だ。
お母さまへ。
お久しぶりです。増田です。5年前に何も言わず家を出てしまい、ご心配をお掛けしました。
まずそのことについて謝りたいと思います。本当にごめんなさい。
今日手紙を書こうと思ったのは、洗濯物を干していて、ふと空を見上げたとき、ママが優しかったことを急に思い出したからです。5年も経っちゃったけど、ママが私のことを覚えていてくれていることを願っています。
それでね。
私は教室で一番可愛い服を着てて、それが毎日誇らしくって、毎日幼稚園に行くのが楽しかったんだ。
男の子からも「増田ちゃんはいつもお姫様みたいな服を着てるね」って褒められて、誇らしかったよ。
小学校の頃になると、ああゆう服って目立つんだ。女の子から「増田はいつもお姫様みたいな服を着てるね」って褒められて、それがとても怖くて、ママに相談したのを覚えてるかな。
でもママは「これは高い服なのよ」って言って、ズボンは履かせてくれなかったよね。
中学も私の希望で一番制服の可愛い女子校に行ったよね。制服がすごく可愛くて、毎日が本当に夢みたいだったの。その頃からだったかな、ママは私をブスって言い始めたよね。
でもね、私なりに努力して、中学の間に年下の彼氏を作ったの。ママにも紹介したことあったよね。
彼は本当に女の子みたいで可愛くて、私の制服を着せてあげるとよく似合ってたっけ。
あのこが私の初体験の相手だったよ。制服を交換し合って遊んでたら、どっちが男の子で、どっちが女の子か分からなくなっちゃって、もうとても楽しかったの。あの日夜に帰ったら、ママに叱られたっけ。ママは私のパンツを脱がして、初めてがなくなっちゃってるのを確認して、大泣きして、私のことを公衆便所って呼んでくれたよね。ブスって言われるより公衆便所って呼ばれてたほうが私は嬉しくて、嬉しくて、嬉しくって、あのとき泣いちゃってごめんなさい。
そういえば子供の頃、ママはママが死にかけの未熟児で生まれたんだって、いつも悲しそうに、ちょっと自慢気に、何度も何度も話してくれてたよね。きっとママは成長が遅くって、30過ぎて出会ったパパが初めての相手だったくらいだから、私は成長が早くって、羨ましかったんでしょう?