はてなキーワード: 主人公とは
彼らが言うには、序盤にこすられる処女いじりが面白くない、共感性羞恥を受けるだけ、10年前のアニメのセンスだとのことだ
だが待って欲しい
10年前に処女を恥ずべきこととし人前で処女いじりするシーンのあったアニメって具体的に何がある?
俺はかなり記憶力が良く、2014年のアニメは50本くらい覚えているので、近いものを挙げていこう。
グリザイアの果実: 周防天音がビッチ風を演じているが実は処女。ただしそれを追及されるのは主人公と2人きりのシーンだ。
のうりん: 担任のベッキーがアラフォー処女。やばすぎて誰もいじれない。
さあどうだ。答えられるか?答えられないよな。
結局しかのこ批判オタは、しかのこを批判するために10年前のアニメに不当な謂れをつけてしまう、京極万太郎もびっくりの批評ヘタクソの記憶障害者なのだ。
実際に映画を見る前には、ポリコレへの反動で受けているらしいと聞いていて。見始めた段階では主人公の少女ライリーの親友二人がアジア系とアフリカ系で、
主人公が憧れるホッケーチームのコーチは黒人、憧れの選手ヴァルも(おそらくは)アフリカ系の混血、チームメンバーにもアラブ系など有色人種が多数なので
実際に最後まで見て分かった。これは紛れもない反ポリコレ映画だ。白人至上主義者に受けるのも納得。
何故ならこの映画全体をもってして、
「白人は有色人種から物を盗んでも許される」「白人は有色人種よりも優れている」「有色人種は正しくなければ許されないが、白人は正しくなくても許される」
といった、白人至上主義的なメッセージを力強く発しているからだ。
話の作中で、主人公が参加した合宿の様子によって高校のホッケーチームに入れるかが決まり、コーチのノートにはその情報が書かれている事が分かる。主人公は夜中に抜け出して、コーチの部屋に侵入してそのノートを見ようとする。
普通はやめると思うでしょ!?実際、主人公の頭の中の感情達は止めようとして頑張っていたし。でも、感情達の奮闘空しく、ライリーはノートの中身を見てしまう。
で、見てしまった以上はその事実を告白して懺悔し、チーム入りは辞退するのかと思いきや……何と特にそういう事もなく、普通に高校に入学しておそらく選ばれたのであろうという所で終わり。
ノートを見てしまった事実は、エンドロールで両親に話そうかと迷う程度で終わり。えーー???他人の執務室に不法侵入して業務用のノートを勝手に見るという行為は、この子にとってその程度の認識なの?憧れの職業の中には最高裁判事もあったのに……?
これって、白人にとって黒人の物(この場合はノートに書かれていた情報)を盗む事ほ何でもないという意識の表れなんじゃないだろうか?コーチが白人でも同じ事をしてたか?
ホッケーは白人のスポーツと言われているらしい。黒人の身で名門チームのコーチにまで登り詰めた彼女の人生にはどれだけの苦労があった事か。
また、主人公の憧れの先輩ヴァルはかつて合宿の最後の練習試合でシュートを2本決めてチーム入りしたんだけど。主人公は練習試合で最低でもそれと同じ2本か、もしかしたらそれ以上のシュートを決めている。コーチのノートでは「実力不足」と書かれており、メンタルがガタガタで、試合中に誤って友達に接触するミスをする程だったにも関わらず。
さらに、話の途中で主人公はそれまでに確立されていた「私は良い人」という自我を引っこ抜き、駄目な部分も含めた多面的な自己を確立させているけれど。
だけどこの、良い子でなくても許されるっていうのがまさに白人特権なんだよね。バッドガールでいても身の危険に晒されないのは、白人の中流以上の家庭の出身で帰る所がある身分の特権。
映画の冒頭でライリーの友達になったアジア系の女の子グレイスは、学校で貧困のための募金活動をしていて小銭をバラ撒いてしまいクラスメイトから笑われている。これって彼女がアジア系で被差別人種の女性だから、当然のように「良い人」でないと生きていけないって事ではないだろうか(そして、それだけ頑張ってもなお笑い物にされる)。
もう一人の友達についても同様。同い年の女の子なら彼女達だって思春期で、ライリーと同じように不安定でもおかしくないのに、作中の二人はライリーの不安定さを親のように優しく受け止めるだけ。思春期の少女同士ならばあってもおかしくはない、対等な感情のぶつかり合いなんていうものは描かれない。
映画のエンドロールにおいてもライリーの両親の頭の中は描かれるが、友人達の頭の中が描かれる様子はない。有色人種の友人ごときは白人美少女の承認欲求を満たすための道具であれば十分、独立した自我など不要、と言っているかのよう。
『インサイド・ヘッド2』は、表面上は人種差別が存在しないかのように見える社会で白人が有色人種を踏み台にして無双する、絵に描いたような反ポリコレ映画だと思った。だからトランプが再度大統領候補になるアメリカで受けたんだろうな。
結局、ポリコレかどうかを決めるのって単にマイノリティを出すかどうかではないんだよね。マイノリティをどれだけ出した所でその扱いが白人の踏み台にすぎなければそれはポリコレとは言わない。
単に有色人種のキャラクターが数多く出ている理由でもってこの映画をポリコレ認定するのは、男性主人公にハイスペックな美女が群がるハーレム作品をもってフェミニズム作品と認定するも同様だろう。
増田のダメなところを教えてやる。まず、文全体がいまいちまとまっていない。何が問題だと感じたのかを具体的に述べるべきだが、抽象的な表現ばかりで読者に伝わりづらい。この点が一つ目のダメなところだ。
次に、「こいつはクソ野郎だ、性格悪いみたいに反応してしまうの。」と書かれているが、誰が「こいつ」で、どの作品の話をしているのか具体的に書かれていない。これでは読者は話の背景がつかめず、共感や理解が得にくい。この不明確さが二つ目のダメなところだ。
さらに、「能力の未熟さは大概許されてる(わかりやすいのでバトル漫画で強くないとか)んだけど」とあるが、ここでの例えが具体性に欠けている。どのバトル漫画のどのキャラクターがどういう状況で許されているのか例示すると、説得力が増すだろう。この点が三つ目のダメなところだ。
「設定上子どもでさえ厳しい」とは何を指しているのか不明確だ。子どもが主人公の作品に対してであれば、その具体的な作品名や状況を示すとよい。ただ漠然と書かれているだけでは、読者は何を批判しているのか理解しづらい。この点が四つ目のダメなところだ。
最後に、「お前らそんな子どもの頃からしっかりしてたんか?」という問いかけは、やや攻撃的で読者に対する敬意に欠ける。それでは素直な回答を期待できない。もっと建設的に問いかける姿勢が必要だ。ここが五つ目のダメなところだ。
視聴者が本能的に好ましく感じるテンプレ要素だけを適当に煮詰めた結果
自分の意思で露出度の高い服装をしているのに過度に恥じらったり怒るのはおかしい、となる
自分の意思に反してその服装をせざるを得ない状況に置かれている、とか
胸当てすらつけてない女騎士が馬車の揺れで主人公に覆い被さり胸を触られる
騎士のくせに馬車の揺れごときで体勢を崩す己の体幹の弱さを恥じろ。
フルプレートを着ろとまでは言わないが武装してるのに胸丸出しなのなんでだよ。心臓守れよ。
そもそも他人が急に覆い被さってきたら防御姿勢ぐらいとるだろ。それで胸に触ったとか言うのは完全に言いがかり。当たり屋。
なんなら女騎士から主人公へのセクハラだろ。これで女騎士がキレるのは完全にお門違いの逆ギレじゃん。
前提として評価がそこそこ高いので、商業的に成功しているのは素晴らしい。
ただ、36にもなったからか、
一点、主人公がチー牛すぎる。
しかし、負けヒロインとか上から目線のレッテル貼られているけど、明らかに魅力的な女性達。
連載中
序盤は割とあるあるな転生なろう系冒険譚だったが、貴族に所有される→医師→宗教家→軍人と話と転職が進むにつれて凶悪に肉厚になっていった。
宗教的権威によって成り立っていた第四帝政が相次ぐ異民族の侵入や内乱によって崩壊していく様をつぶさに描いたオススメの一作。
連載中
小競り合いをしたり王国内の社交があったり、大規模な戦争があったり、超強いストーカーに襲われたりしながらしっかりエロがあって良い。
第一章最終話「クオルデンツェ家の後継者」は本当にいいエピソード。
ちなみに本好きの下剋上の貴族社会が好きな人にオススメ。主人公が1人になる瞬間がほぼ存在しない。
完結済
剣闘士の奴隷の少年は主人を殺して脱走し、逃げ延びた先で吸血鬼に可愛がられる。
成長し旅立とうとする少年は吸血鬼についてきてもらいたがったが、吸血鬼は拒否しこう言った。
出世して、貴族になって、王になって、この地を貴方の物にしたらおいで下さい。そうすれば妻にでも、愛人にでも、あるいは母にでもなりますよ
かくして少年は王を目指すべく旅に出た。
連邦の懲罰艦隊が沿岸の都市を燃やし尽くすシーンはエロでもないのにチョー興奮したぜ!
終盤、公爵として数多の属国を従え、大勢の女を囲い、家庭を作る。安寧の時間が流れる。
道半ばの主人公、途中から覇道を支えた軍師レオポルト、そして読者の心が1つになったとき、軍師はある騒動を起こす。
王になりたい者がいる。私もその者を王にしたい
(中略)
射精した。
ちなみにオチは大嫌い。
本編完結済
襲い来る花々がただただエロい。
バッドエンド編とif続編があり、そちらもオススメ。
本編完結済
友達とセッ!!
完結済
ちゃんと主人公は悪人だが、悪人にも仁義はあるとより強大な悪相手に切った張ったの大冒険。
この作者の作品は割と残酷に時間経過したりするので、嫌な予感がしたら避けよう。
完結済
こういうエロが俺は好きなんだなあ。転移時点でクラスメイトは半分しかいないんです。なんででしょうねえ。
連載中
転移したおじさんはSランク冒険者で引退して学園都市でパパ活します。
女を金で囲う時、おっさんもまた囲われているのだ。
その異世界において主人公だけが特別に持っている能力、特に転生チート(転生時に神から与えられる)もしくは知識チート(異世界に現代知識を持ち込む)のことだよ。常識だぞ。
例えばメッシって聞いたらリオネル・メッシ以外思い浮かばないじゃん?
アルゼンチンには彼の親族以外にもメッシさんが何人もいるはずなのに。
他にもエジプトにはファイルーズさんはいっぱいいるはずなのに、ファイルーズあいしか思い浮かばない。
現実の有名人のイメージに引っ張られてしまうから、こういう名前って創作でめちゃくちゃ使いにくいよね。
内容が野球に関係あろうがなかろうが、主人公の名前が「ダルビッシュたかし」の漫画があったらもうギャグじゃん。
人の名前でどうこう言うのが物凄く差別的なのはわかってるけど、でもハッキリ言わなくてもみんなギャグとしか認識しないでしょ。
それでさ、今日発表されたにじさんじの新人に渚トラウトって人がいて、早速マイク・トラウトに絡めて色々言われてんのね。
負傷離脱中の暇な時間を利用してVTuberデビューとか、ついにエンゼルスからの脱出に成功とか。
これで初配信の時に「おつナイトメア〜」とか「低めの変化球打ちなら任せろ!」とか言えるならいいけど、全然知らない実在人物に絡めたキャラ付けされるとか面倒臭いだけだよな〜。
選定基準
・ハーレムなし
・強敵だらけ
https://ncode.syosetu.com/n9407fu/
連載中
編集者の口出しとイラスト化による読者のイメージ固定を避ける為、ある程度ストーリーが進むまで書籍化・コミカライズを断り続けた作品。
特に「魔術祭編」はこれまでに読んだなろう作品の中ではトップクラス。
半年間も更新がないのは残念だが、アルマークとウエンディの過酷な運命の旅に同行してほしい。
https://ncode.syosetu.com/n3930eh/
完結済
「辺境の老騎士 バルド・ローエン」でおなじみの作者による作品。
骨太の世界観、武器や魔法、アイテムや薬の細かい設定が楽しい。
ヒロインの成長が楽しみ。
https://kakuyomu.jp/works/16817330651238395614
連載中
なぜ異世界で呼吸できるのか、なぜ異世界の温度が適温なのか。なぜ異世界の魔法名や人名が地球っぽいのか、そもそもなぜ転移するのか。
登場人物が非常に多く、しかも名字、下の名前、あだ名で呼んだりするので最初は苦労するが、ハマれば間違いなくおすすめ。
作者は元小学校教諭なので学校に関する専門用語に詳しくて面白い。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888930318
連載中
通常、なろうカクヨムで評価ポイントを狙うには少ない文章量で更新頻度を増やすのが基本。
それを無視した多い文章量で更新頻度も安定しないがカクヨムで10,000点突破した作品。
チートも無いし、強敵だらけだし、普通に敗走するけど、ダークファンタジーの中では超おすすめ。
https://ncode.syosetu.com/n6680gq/
連載中
モブは死ぬが主要人物は間一髪助かる、なんてことはない。いっぱい死ぬ。
ラノベの表紙は可愛い女の子(ヒロイン)が必須だが、あまりにも死にすぎるのでモブ女子が表紙に大抜擢。
もちろんすぐ死ぬ。(いっぱい死ぬのでネタバレになってないので安心してください)
戦場で少しづつ強くなる(でもいっぱい死ぬ)作品が読みたいならおすすめ。
https://ncode.syosetu.com/n7246cy/
完結済
作者は「自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う」「村づくりゲームのNPCが生身の人間としか思えない」で絶好調の昼熊氏。
氏はシリアスとコメディの差が激しいが、これはもっともシリアス寄り。
会社員がたった一人で何回も死に戻りしながら試行錯誤する作品、そりゃあコミカライズも打ち切りになりますわ……。
https://kakuyomu.jp/works/16816700427057496202
完結済
作者のこたろう文庫氏はこれに限らずプロットを良く練った上で書いているので、序盤の展開に違和感を持ったまま脱落する読者が多いのが残念。
(感想欄に「この主人公にはついていけない。もう読むのやめます」とか書かれる)
その分、後半のカタルシスが気持ちいいのだけど、web小説では難しいのだろうか。
『あかぼし俳句帖』がイイ感じだったけど、何か打ち切りっぽい感じで唐突に終わってしまって残念。絵の人が多分おっさん好きのゲイだと思うんだけど、主人公がめっちゃエロくてステキなおっさんなの(逆に女性の絵はあからさまにちょっと雑)。あ、俳句の漫画です。
・ダッチ
みんなに愛される蠱惑的な男
・アーサー
主人公 ダッチのことが大好き
両親を失いダッチを父代わりに育つ
・ホゼア
アーサーの育ての父2号でダッチのことが大好き
・ジョン
両親を失いダッチに拾われる ダッチのことが大好き
・マイカ
上のメンバーは10年以上の古株ばかりだが、サークルに最近入った新人 ダッチのことが大好き
口が悪く乱暴でダッチを取り合ってアーサーとよく揉める
20世紀が近づき秩序が生まれ「無法者」が駆逐されていった時代のアメリカが舞台
ダッチサークルは肥えた金持ちから暴力で金を巻き上げ、貧乏人たちには恵みを与える義賊的なギャングだった
しかし急速に文明が発達する中でその生き方は許されなくなり、サークルを率いるカリスマであったダッチは衰えていく
大掛かりな強盗でドカンと稼いだ後で遠くに逃げようと計画するも、強盗失敗
ダッチはその中でうっかり老婆を殺害してしまい、非戦闘員を殺めたショックでダッチはますますおかしくなっていく
金はないが遠くへ逃げ、ダッチの無根拠な「大丈夫だ、俺には計画がある」という言葉にアーサーは従うも、こいつおかしいなと察し始める
追手はどこまでも執念深くダッチを追い(多分こいつらもホモ)、逃げるために資金必要→危険な強盗→失敗、を繰り返し仲間も死んでいきサークルはボロボロ
サークルは、ホゼアが計画を立てダッチが鼓舞しアーサーが実行というのがメインだったがホゼアが殺されて無軌道な集まりになり内部崩壊していく
なぜ敵はこちらの居場所をすぐ知ることができるのか、それはマイカが敵のスパイで情報を流しているからだった
アーサーはをマイカが裏切り者だと告発するも、ダッチは最近能力を疑い冷たくなっていたアーサーよりもマイカを信じて寝取られる
それから8年、ジョンはサークルクラッシャーのマイカの居場所を突き止め山の頂上に隠れた小屋へと辿り着いた
そこにはマイカだけでなくダッチもいた
かつての輝きを失い枯れたじいさんになったダッチは、サークル崩壊後気力を失い
マイカに手籠にされ山奥で8年も二人きりの生活を強いられていた
俺のことを信じず見捨てたお前らよりマイカを取ったのだと言い、ジョンはショックを受ける
ジョンがマイカに銃を向け、ダッチがジョンに銃を向けるという緊迫した状況
ジョンはアーサーが死んだことを告げ、サークルを壊したのは裏切り者のマイカだ、マイカを信じるなと説得する
ダッチは正気に戻りマイカを殺害し、それでもジョンとよりを戻すことはできず孤独にその場を去っていった
最初はホモだと思わなかったが、激狭山小屋で二人が暮らしているのを見た瞬間こいつらはホモでホモサークルの話だったのだと全てに納得が行った
マイカの裏切りについては「明確な証拠はなく、冤罪だ」という説もある
裏切って場所教える→銃撃戦を何度もやっていたとしたら、マイカだってリスクが高く死と隣り合わせだ
金のためにそんなことできるか怪しいが、愛のためだったらできるかもしれない
内容はようわからん
ノリとか絵が良いから見てる
VTuberの人ってこんなこと毎回してるの?おれオッサンだからわかんねぇ
その人(VTuber)のことがよほどお気に入りじゃないとみてられないよね、という物珍しさがある
ほんわか風に見えてモンスターの首や腕がちぎれ飛ぶ
ヤベェ女の小佐内さん
チアリーディングの動きがすごい
負傷療養中の子が復帰するのかが一番気になる
3話あたりまで爆笑
3話めくらいまであった主演声優による本編全部コメンタリーはもうやらない?
見てるとあっという間に時間が過ぎる
キャラ絵が可愛らしい
色合いもきれい
箸休め的
もう惰性で見てる
新キャラが良い感じ
どうせ最後はやるんだろうと思いながらみてる
正直、早見さんの演技見るためだけにみてる
内容は関係ない
主人公がハイスペでありながらあたりの優しい感じに好感が持てる
冒頭の「過労死の後転生」って設定、わざわざいる?その後も一切触れられることないし
硬派・ハードボイルド
とりあえず「第17話 成長」だけで2000円くらい課金してもいい
今期は出だしおとなしい感じだったのに急にアクセル全開
を見て買って、今日読み終えた。小並感を簡潔に述べる。ネタバレ注意
侵入鞘とかSWDとかの描写が良い。「これ映像化されたらどうなるんだろう」というワクワクがあった。(アニメ化されてるの知らんかった)
光学迷彩チックな装備とかSFではお馴染みなのかもしれないけど攻殻機動隊っぽいなという感じ
主人公の影が薄い。というか、葛藤の描写に興味が湧かなくてダルかった。それ以外はテンポ良く話が進んで読みやすかった
ウィリアムズの最期に納得がいっていない。どうせならコイツが内通者であって欲しかった。その方がスッキリするし。
肝心の「虐殺の文法」にどうにも説得力を感じられなくて、なんだかなぁと残念だった。
最後までロランは成長なんてなくって徹頭徹尾駄目なやつじゃあないか。
どこがMoralやねんって思う感じだった。
海が無い世界なんだろうか。
岩塩が知られてないのも嘘だろって思う。誰も見付けられないなんてあるものかと。
バトルは弓兵がとても強かった。
ヒューイット、ルドルフで遠距離から敵の行動を止められるのがとても強かった。
魔法も強力で切り札と合わせて使って連発して敵をまとめて倒すのが気持ちよかった。
後衛は良いんだけど、前衛は主人公以外微妙でロランは火力不足を感じるし、エラドールは足が遅いし魔法に弱すぎる。
難易度はNormalでやった。苦戦したのはアヴローラ迎撃戦ぐらい。
この時点だと敵の後衛を止める手段に乏しいのとアヴローラの火力が高いのとでガンガン味方落ちた。
それ以降はそこまできつくはなかった。
仲間を増やさず9人でやってたけど、最後の方ちょっときつくなってナルヴだけ仲間にした。魔法があると楽だわ。
攻撃は味方巻き込まないし、味方を攻撃することもできない。魔法に詠唱もない。
使える技はレベルが上がると僅かに増えるけど、レベルを上げるためにはストーリーを進めないときつい。
他はアイテムを使って強化することだけど、これもストーリーをすすめないと手に入らない。
世界観が暗めの方が好きかも
◆好きな漫画
ベルセルク(世界観では一番好き。先生亡くなった時マジで落ち込んだ)
新九郎奔る(時代考証とかキャラ設定とかさすがベテランって感じで好き)
◆好きなゲーム
タクティクスオウガ(これのせいで民族紛争とか宗教とかの歴史に興味出た)
FFT(粗はあるけど「家畜に神などいない!」ってセリフに衝撃受けた)
今、興味あるのはサイバーパンク2077なんだけど買っても後悔しないかな?
【追記】
デーモンズソウル1(ストーリーあるの?これ・・・って思った)
スカイリム(序盤でピンと来なくて終了)
PS4版ゴッドオブウォー(世界観は好きなんだけど親子の会話がなんかいまいちなのと武器強化とかスキルとか多すぎて面倒に感じてしまった・・・)
SEKIRO(下手すぎ&死にすぎて無理)
ウィッチャー3(世界観はいいと思ったけど操作方法ムズ!ってなった)
Ghost of Tsushima(仁の人格を好きになれず・・・頭かて~なぁ!おい!ってなった)
書いた後自分でも考えてみたけど、好きなシーンがガッツとガンビーノのやり取りとかそれをキャスカに告白するシーン、アーサーが雨の到来と薬草探しながら自分の子供のこと話してるシーンとか
エドとアルがキメラになってしまった女の子に気づいたりその後も都度都度思い返すシーンとか、
クライブがジョシュアを殺した相手を探してたのに・・・みたいな主人公のトラウマ描写だったり、それを克服(昇華?)していくストーリーが好きなのかもしれん
本書は、3年毎日に連載されている「これはあれだな」の中から選ばれた文章を集め、過失したエッセイです。
「これはあれだな」とはどのようなコンセプトのコラムでしょうか。
何か気になった事件や本、作品などがあったら、それについて書くのが普通ですよね。それだけじゃ面白くないので、過去に同じようなことがなかったかと探し当て、その二つを比べて何が変わって何が変わっていないかを考えるというのがコンセプトです。
つまり、例えば文学作品であれば、文学作品と何かの映画とか、100年前に同じようなことがあったとか、こういう事件があったけど、50年前に全く同じようなことがあったよね、といったことです。だから、ジャンルが違う場合もあって、例えば映画と最新作のアニメでは、これどこかで見たことあるなと思ったら、80年前のあの映画と同じことをやってない?ということです。
パッと5、6個思いついて「これならできそう」と思って始めたんですが、途中で「大変だ」ということに気づきました。少なくとも二つは見つけなければならない作業であることに10回目くらいで気づいたんです。普通は一つの話題で済むところを、必ず二つ見つける必要がある。多ければ多いほどいいんですよ。例えば今と大正と明治で同じようなことがあった、とか。
時代は変わらないね、というのは面白いんだけど、めちゃくちゃ手間がかかる。読み直しを結構確認しなければならないですからね。一応記憶に頼って「こんなことあったな」と思い出しても、記憶も曖昧になってきます。でも、本当にこれ面白いんだと。途中からは大体ストックがあって、これは似てる、逆に今のこれがあれだけど、あれから発想する場合もあるんです。昔こんなのあって、こんな面白いものって今にはないかな、と。
そうやって見ていくと、最近の若い人の旅に出た記録が1000年前の元神尚の記録に似てるとか、1500年前のものとそっくりだ、とか。そういうふうにしていくと、結構いろんな時代に似たものがある。特徴性が被るものがある。だから、時代にそういうものを生み出す必然性があるっていうことを考えると、話としては面白いんで、ただ手間がかかる。
今回本にまとめられたのも、別に今回が初めてではないです。これで3冊目です。毎週締め切りがあると憂鬱になっちゃう。まずこれを見つけるでしょ?で、あれがなきゃダメなので、どんなに面白くても「これ面白いんだけど、ペアになるものがいないよね」ってなると、できない。
そもそも、ご自身の文学作品を作るっていうのも、アイデアを出さなきゃいけない。アイデアはひねり出すんですけど、あれを見つけるっていうのはなかなか難しい。でもやっぱりコンセプトが光ってますね。やっててうまくいったときは「これ、よく見つけたな、自分でも」って思います。
あの、本書の前半では、2022年9月13日のフランスの映画監督ゴダールの死について書かれています。高橋さんにとってゴダールはなぜこれほど特別な存在なんでしょうか?
これは世代的なもので、僕の世代で芸術、音楽、映画、文学が好きな人でゴダールに影響を受けていない人はいないと思います。
当時はSNSもないし、情報だって今ほどは入ってこなかったから、例えば映画のニュースもなかった。テレビのニュースもやらないから、どこで知ったかというと、映画雑誌とか、映画芸術とか、そういうところにちょこっと載っていて、新作が出たって今だったら全部SNSでお知らせが来るんでしょうが、そういうのがなかった。だから新作が出たって言っても、日本公開がいつかはわからなかった。
僕は映画だと、アートシアターというのに入っていました。60年代、相当幼い時から、そういう会の会員になって、中学入ってすぐそういう会に入った。だから映画もクレイジーキャッツからゴダールまで一緒に見ていました。そもそもそれを分けて考えるのはダサいって感じだった。
しかも極端なことを言うと、芸術ばかり見ていると馬鹿にされるから、逆にクレイジーキャッツとかGSの映画を見ないと恥ずかしいって感じだった。そういう背景の中で、ゴダールの作品はかっこいいと思ってましたね。彼の即興スタイルが特に印象的で、シナリオを書いていかないんですよね。当日、その場でセリフを持っていく。そして基本的に編集で映画を作るというスタイル。
引用が多い。ゴダールの作品は、引用が多くて、ただ引用しているだけのものもある。それはオリジナリティに対する嫌悪なんだと思うんです。オリジナリティではなく引用で作品を作る。だから、過去の世代を否定する度合が一番強いのが彼で、その影響を受けていると思います。
最後の作品についても書かれていますが、イメージばかりが連続してくる、写真がバンバンバンと順番に来るような映画で、画質は必ずしも良くないのに、なんだか異様に綺麗な映像が印象的でした。
どうでしたか?その最終作に対する感想は?というと、ゴダールの作品が好きだなって感じですね。もういい悪いじゃなくて、好きだって感じですね。ゴダールはずっと「映画はテーマがどうとかじゃなくて、90分なら90分、じっとその映画館に座って見ていればそれでいい」と言っていて、ただ画面を見ていれば幸せ、映画ってそれでいいんだ、という考え方を持っていました。
ゴダールは、自分の映画が自殺の映画だと言っていて、主人公が死ぬ映画が多いんです。「気狂いピエロ」もそうだし、「勝手にしやがれ」もそうだし、最後に主人公が自分で目を閉じて死ぬ。あれはすごいなと思う。しかも、あれがデビュー作なんですよ。最後に自分の意思を表現する映画を撮るという意味で、彼の作品は一貫してそのテーマを持っているんです。
「映画史」という映画も撮っていますが、ゴダールという監督は、常に作品と現実の境界を取り払うことを考えていたんです。作品と現実が別々のものではなく、その境界を取っ払って、映画館で観ている観客に語りかけるという姿勢がありました。
映画の中で、主人公が観客に話しかけるというのは珍しいことではないですが、それを堂々とやったのがゴダール。アメリカでも10年くらい前に「ハウス・オブ・カード」とかで流行りましたけど、ゴダールはもっと前からそれをやっていた。それがかっこよかったんです。
また、魚くんの電気映画「魚の子」や、中村喜子の「女と刀」、植物学者牧野富太郎の「牧野富太郎自伝」などについて書かれた箇所を読むと、一つの観念や興味に取り憑かれて、非論理的であろうが、非経済的であろうが、自分の道を進む人が高橋さんの好きなタイプなのではないかと思いました。そういう方にどんな魅力を感じるのですか?
いや、面白いですよ。単純に普通に面白くないですか?ちょっと病的な感じさえありますが、頭おかしいんですよね。でも、そういう人は見ていて面白いですね。付き合いたいとは思わないけど。
でも例えば、魚くんだと、そこに書きましたけど、魚くんも面白いけど、お母さんがすごいですよね。僕も読んで「あ、そうなんだ」と思いました。魚くんの主人公はお母さんなんですよね。つまり、こういう人はいるんですよ、きっと。街を歩いても変な人はいます。変な人はいるけど、大体は困るんですよね。それが普通で、生きる人の知恵です。普通に生きてるとそうなるんですよ。
でも、時々そうは思わない人が出てくる。だから、変な人も大事なんだけど、その変な人を受け入れる人の方が自由だと思っています。お母さんがそうですね。お母さんは自分の息子だけど、そのおかしさを全面的に抱きしめる。
普通、おかしいって言っても結局排除されるか、直されちゃう。「お前、おかしいから普通にしなさい」と。でも、そのおかしさを育てるというのがすごいなと思います。それは他者とか異業のものを尊重するってことなんですよね。つまり、おかしくても存在意義がある。
これは結局、すべての人に存在意義があることにつながるんですけど、普通の人は存在意義があると認められている。でも、おかしな人とか、魚くんならいいけど、例えば身体障害者とか、知的障害者の人たちは見たくないと思うこともある。でも、それでも家族でも受け入れられない人もいる。
僕も色々調べました。障害がある子供が生まれると、受け入れられる家族と受け入れられない家族がいます。時間をかけて受け入れられるようになる家族もいます。特に父親は最初は受け入れないんですよ。でも、母親はすごいなと思います。お母さんは何でも受け入れるんですよね。
魚くんも牧野富太郎も色んな人が出てきますけど、その面白さとは別に、それを誰が受け入れたのかが重要なんです。牧野富太郎も変人だけど、奥さんが受け入れたんですよね。牧野富太郎は植物愛に没頭する変人ですが、それを受け入れるのは大変なことですよね。
でも、それを受け入れたからこそ、彼の生存が保証されたんです。だから、僕が書いた美方ククスとかも超天才だけど、あれ夫だったら困るよ。でも、受け入れた人がいたから、その生存が保証された。
でも、どうですかね。例えば、牧野さんとか魚くんとか、みんな著名になって仕事に繋がって成功しているけど、そこまでお母さんが考えていたか奥さんが考えていたかは分からないけど、魚くんになれなかった魚くんや、牧野富太郎失敗版みたいな人も絶対たくさんいたはずです。
結局、成功者の影には1000人の失敗者がいると思います。きっとそういう人たちのところにも、お母さんがいたんですよ。でも成功しなかったけど、いいんじゃない、それで。
これでも、親もすごいけど、1000人の失敗した人を見守ってた親がいて、その人たちが不幸だったかっていうと、そうでもない。そういう人たちは必要なんですよ、ということをよく考えますね。
セコさんの漫画「マダムたちのルームシェア」とか、信友直子監督の「ボケますから、よろしくお願いします」、早川知恵監督の「プラン75」など、老いと向き合った作品が多数言及されています。今、世界で最も高齢化の進む国と言われる日本で、高橋さんは何を感じていますか?
自分が年取ってきましたからね。今年で73歳です。もうやばいです。あと2年で後期高齢者です。やっぱり、身体的な衰えを感じます。確実に老いていくのがわかります。それに対して色々と体に気をつけています。
一つは、老いを新しい経験だと捉える感覚です。確かにそうですよね、経験したことないことですから、新鮮です。僕もそうですよ。ちょっと年を取ってきて体が辛くなってくると「こんなの今までなかった」と思うことがあります。
例えば、鶴見俊輔さんという哲学者の方が「限界芸術論」を書かれたんですが、90歳を過ぎて、「今日1日転ばないことを目標に生きよ」と書かれていました。「あ、そういうもんなのか」と思って、わかりました。
転びそうになるんです。僕、スクワットして足腰を鍛えているから平気だと思っていたら、筋肉じゃないんですね。バランスが悪くなっている。神経が悪くなっていて、神経は鍛えようがないから転ぶ。僕は筋力鍛えれば大丈夫だと思っていたけど、そうじゃなかったという新しい発見がありました。
そんな老いを新しい経験だと思って、余裕を持って受け入れることが大事なんです。実際、この国、これは日本だけじゃないと思いますが、68歳、70歳、72歳になると社会の窓が次々と閉まっていく。つまり、色々なことができなくなってくるんです。
例えば、家を借りようと思ってインターネットを引こうとしたら「72歳ですか、ではご家族と契約になります」と言われたんです。「70歳とインターネット契約ができないってどういうこと?」と聞いたら、「こういう決まりなので」と言われて、「おかしいでしょ」と思いました。これってちょっと差別的ですよね。
プラン75もそうですが、年寄りが不要だという考え方があるんですよね。これが寂しいです。今「シルバーデモクラシー」と言われて、年寄りが恵まれていると言われていますが、それは嘘だと思います。年を取ってみたら、社会の窓が閉じていく。シルバーデモクラシーという言い方で、年寄りが恵まれていると若い人に思わせようとしているんです。
でも実際には、全世代がそれぞれ抑圧を受けている。70代以上はこういう抑圧があるけど、20代30代も年金の支払いなど、みんなそれぞれ抑圧されているんです。だから、全世代が連帯しなきゃいけないと思うんです。分断が一番都合がいいから、それをやめるべきです。
僕は政治テーマとして、全世代が連帯すべきだと考えています。知らないかもしれませんが、70歳になったらインターネット引けないんですよ。72歳になったらローンもできないんです。なのに恵まれているなんて、ふざけているとしか思えません。
これは、土線(映画)とかでテーマになってもいい話ですよね。でもそれはなかなか声になりにくいんですよね。40代50代の時には知らなかったけど、68歳70歳72歳で新しい抑圧が出てくるんだな、と気づくんです。
社会ってさ、普通のことは知らせないようにしているんですよね。それぞれの世代とかジェンダーで、社会から抑圧されていることをお互いに調べ合って、連帯しなきゃだめです。
ジャニーズ問題と玉音放送について、高橋さんがテレビ局の幹部たちに「ジャニーズ問題を無視するのか」と質問した時のエピソードについて書かれています。昨年末にジャニーズの性加害問題が巨大なテーマになりましたが、この間、どう感じていましたか?
あそこにも書きましたけど、僕がちょうどBBCが放送した直後に番組審査員を辞めて、最後の番組で「これはダメだよ」と言ったんですが、沈黙がありました。その後、某テレビ局が漫画問題で騒ぎになって、それを良かったと思って続けました。
でも、やっぱりテレビ局は商業放送だから、視聴率が下がることが怖いんですよね。だから、視聴率が下がる可能性があることはなるべく避けたい。僕は怯えすぎだと思うんですけどね。もうそんなに怖がらなくても、普通の常識でやればいいのに、忖度している。忖度しない方が視聴者の指示を得るんじゃないかと思いますが、なかなかそうはならないんですよね。
今と昔を比較して、昔の方が保守的だったかというと、そんなことはなく、テレビ全体は進化している。ただ、メディアが動画サイトやSNSに壊れていく時にどうするかを同時に考えなきゃいけなくなっているので、やることも多いんです。
だから、僕も言ったんですが、面白い動画サイトの番組はテレビより面白いですよ。テレビのバラエティなんてやめたらいいと思います。個人で作っているものでも、ものすごくよくできた動画番組があるんです。それを見たら、テレビはお金も人もあるんだから、もっとできることがあるはずなんですよね。
Netflixのドラマなんかも面白いですよ。コンテンツの中身も含めて、やれることがあるのにやっていない。同じようなラブコメばかり作って、誰が見るんだろうって思います。
江戸川乱歩の「芋虫」を現代では取り上げることがかなり難しいということについて書かれていますが、以前、マルキ・ド・サドの作品を絶賛されていた話もあります。今の時代の言論の空気感についてどう感じていますか?
メディア、テレビ、ラジオだけじゃなくて、小説も含めて、僕がデビューした頃に比べると、だいぶ書きにくくなっています。例えば「ピエロ」って言えないじゃないですか。今では「ピエロレフ」って言われることがありますが、検索しても出てこない。
一番怖いのはこれですよね。こういう名詞ごと削除されること。ポリティカル・コレクトネスで、こういう言葉を使いなさいというのは一つの考え方としてあるかもしれませんが、元々あった言葉が使えないというのは、歴史の捏造じゃないですか。
今、「ジプシー」って言葉も使えないんです。「ロマ」とか言いますが、これは歴史の捏造であり、存在させないという方向に進んでいるんです。例えば、ゴダールの「気狂いピエロ」も、僕はそれを見ましたからね。でも、「ピエロレフ」って言われてもわからない。
ポリティカル・コレクトネスについては、理解できるところもありますが、理解できないところも多いです。多分、それを推進している人も、やっていて変だと思っているんじゃないかと思います。定義や限度が確定していないのが問題で、空気みたいなものだから。
ポリティカル・コレクトネスの一つの問題点は、日本が元々空気社会だから、空気で決めるというのはやばい。ポリティカル・コレクトネスが空気で決められるようになっているのが、日本の事情なんですよ。
上辺だけの議論が多く、社会的な不正義の問題は見ないで、言葉だけで物事を判断する。ポリティカル・コレクトネスは、社会的な問題を言葉だけで覆い隠そうとしているだけです。
その辺が、日本という国は忖度する社会だから、空気を読めということがずっと言われてきて、変わらなかった。変わるかと思ったら、ずっと空気を読んでいる。片方では多様性を唱えているけど、それは言っているだけで、実際には何も変わっていない。
大杉栄についても言及が複数見られます。思想、生き方、性格、私には高橋さんと似ている印象を受けましたが、大杉栄をどのように見ていますか?
大杉栄は、日本でも代表するアナキストですが、やっぱり感じがいいですね。友達になりたいなと思う。問題はいっぱいありますが、女癖が悪いとか、迷惑な部分も多いけど、その一方で愛すべき点がある。だから、あの人は人たらしなんです。
例えば、子育てをしていたんです。普通、政治的な人は政治活動はするけど、家のことは見ない。でも、大杉栄は、伊東のと結婚して子供が生まれたら、赤ん坊の選択をしたり、オムツを変えたりしていた。嫌じゃなくて、それが好きだったんです。
彼の中では、夫婦や男女の形は形式じゃなくて、対等であって、子供だから自分が Permalink | 記事への反応(1) | 08:25