はてなキーワード: リオネル・メッシとは
例えばメッシって聞いたらリオネル・メッシ以外思い浮かばないじゃん?
アルゼンチンには彼の親族以外にもメッシさんが何人もいるはずなのに。
他にもエジプトにはファイルーズさんはいっぱいいるはずなのに、ファイルーズあいしか思い浮かばない。
現実の有名人のイメージに引っ張られてしまうから、こういう名前って創作でめちゃくちゃ使いにくいよね。
内容が野球に関係あろうがなかろうが、主人公の名前が「ダルビッシュたかし」の漫画があったらもうギャグじゃん。
人の名前でどうこう言うのが物凄く差別的なのはわかってるけど、でもハッキリ言わなくてもみんなギャグとしか認識しないでしょ。
それでさ、今日発表されたにじさんじの新人に渚トラウトって人がいて、早速マイク・トラウトに絡めて色々言われてんのね。
負傷離脱中の暇な時間を利用してVTuberデビューとか、ついにエンゼルスからの脱出に成功とか。
これで初配信の時に「おつナイトメア〜」とか「低めの変化球打ちなら任せろ!」とか言えるならいいけど、全然知らない実在人物に絡めたキャラ付けされるとか面倒臭いだけだよな〜。
小学生のとき、日韓ワールドカップでサッカーというスポーツを知る。この頃はサッカーといえば代表戦だった。どこの国が好きか。ブラジルが強豪国のイメージそのままに優勝した。
中学生のとき、ロナウジーニョという特別な選手を知り、バルセロナというクラブチームで毎週のように特別なプレーをしていることを知る。初めてクラブチームというものを意識した瞬間だった。ドイツワールドカップではロナウジーニョのいるブラジルが敗退してしまい、とてもショックだった。
高校生のとき、バルセロナでは確固たる監督哲学と卓越した選手技術の融合した革命的なサッカーが誕生していた。それはどう見ても毎日の練習の中で選手の頭と体に浸透し、育まれたものだった。クラブのサッカーの魅力と、サッカーにおける監督の役割を初めて理解した。ちなみに規律に従うのが苦手なロナウジーニョはクラブから追い出されていた。
代表チーム頂上決戦のワールドカップは四年に一度。それに対し、クラブチーム頂上決戦と言えるチャンピオンズリーグは毎年開催される。初めは毎年開催なんて薄まる感じがして懐疑的だったけど、毎年毎年信じられないくらいの激戦が繰り広げられる。一年でクラブのカラーががらっと変わることもあり、毎年開催の意味もよくわかるようになった。何より、シーズンを通して、もしくは何シーズンかかけて練度を高めていくクラブサッカーの魅力に取り憑かれていくようになった。
それから2010年、2014年、2018年、と3度のワールドカップがあった。日本代表は浮き沈みはありながらも躍進を続け、実力と地位を向上させた。自分含め、国民のサッカー熱は上昇の一途だったのではないか。
一方で、自分の中でサッカーにおける代表チームというものへの熱は次第に下がり、クラブチームについては上昇を続けた。クラブのサッカーは毎日の練習の積み重ねの賜物だ。しかし、代表チームはたまたま同じ国に生まれた者の寄せ集めの場当たり的サッカーでしかない。そんなものに価値はあるのか。いつしか自分の中で、代表チームはサイドコンテンツという認識に変わっていった。
リオネル・メッシは初めて見たときからいつもマラドーナと比較されていた。輝かしいクラブ・個人タイトルを手にしたキャリア晩年の近年もなお、ワールドカップを獲れていないという理由でマラドーナに劣るという声があった。寄せ集め代表サッカーのお祭りよりもクラブでの活躍やタイトルの方が価値があるのに何を言っているのかと思っていたが、それでもなおマラドーナ派には無視できない熱気のようなものを感じていた。
先日終わった2022年ワールドカップ。そのメッシがついにワールドカップを獲得した。エース兼キャプテンとしてアルゼンチンを引っ張り、決勝で感動の3点目をあげ、見たことないほど守備に走ったメッシ。彼は、誰の目から見ても明らかに、ワールドカップを獲るためにあそこに来ていた。
表彰台で優しい目をしながらトロフィーに二度キスをしたメッシ。その表情からは、彼がいかにそれを望んでいたのか、その悠久の時間を想像させた。
メッシだけじゃない。モドリッチもネイマールもロナウドも、誰もが認める偉大な選手達がこぞって本気になり、涙を流す。「代表チームなんて負けても仕方なくない?だって練習してないのだから。」なんて思っている選手は一人もいない。皆が渇望し、それがまたワールドカップの価値を肥大化させていくのを感じた。それは決してサイドコンテンツなどではなかった。ワールドカップはただのお祭り、などと蔑んでいた自分は今大会で打ちのめされることになった。
でも、なぜ特別なのかがわからない。誰かわかる人は教えくれ。国のためだから?四年に一度だから?いつからこんなに特別だったのか。
http://www.espn.com/espn/feature/story/_/id/26113613/espn-world-fame-100-2019
1位:Cristiano Ronaldo(クリスティアーノ・ロナウド)/サッカー
2位:LeBron James(レブロン・ジェームズ)/バスケットボール
3位:Lionel Messi(リオネル・メッシ)/サッカー
5位:Conor McGregor(コナー・マクレガー)/総合格闘家
6位:Roger Federer(ロジャー・フェデラー)/テニス
7位:Virat Kohli(ビラット・コーリ)/クリケット
8位:Rafael Nadal(ラファエル・ナダル)/テニス
9位:Stephen Curry(ステフィン・カリー)/バスケットボール
クリケットの奴だけ知らんわ。
ヴィラット・コーリ(ヒンディー語: विराट कोहली、英語: Virat Kohli、1988年11月5日 - )は、インド・デリー出身のプロクリケット選手(バッツマン、フィールダー、右投右打)。インド代表主将。IPL・ロイヤル・チャレンジャーズ・バンガロール所属。
世界最高の選手の一人であり、バッツマンとしてテスト形式とODI形式で世界ランキング1位。国際クリケット評議会(ICC)から世界年間最優秀選手に贈られるサー・ガーフィールド・ソバーズ・トロフィーを2度受賞。実業家でもあり、プロサッカークラブ・FCゴアの共同オーナー。インドで最も影響力のある人物の一人であり、妻はボリウッド女優のアヌシュカ・シャルマ。
インドでスポーツ界を越えたスーパースターであり、アクシャイ・クマールなどインド映画のトップスターを抑え、最もブランド価値の高いセレブリティに選出された。ソーシャルメディアでも高い人気を有しており、Facebook、Instagram、Twitterのフォロワー数は合計1億を越えている。2017年にインド政府より民間人に贈られる4番目に格式の高い勲章のパドマ・シュリー勲章を受賞。2018年にインド政府よりスポーツ界における最高栄誉賞のラジーヴ・ガンディー・ケール・ラトナ賞を受賞。2018年にタイム誌によって世界で最も影響力のある100人に選出された。
へー。
だからですね。外的な評価として絶対的に得意であるということと、内的な比較において相対的に得意であるということをごっちゃにされてませんかね。
例えば日本代表の常連の遠藤保仁はパスを出すのが得意な選手だが、それがイタリア代表のアンドレア・ピルロぐらいに上手いかと言うと、おそらくそうではない。ただ、例えば彼はマンマークや対人守備はJリーグでも怪しいぐらいに苦手だったり、ドリブルで持ち上がるというプレイはあまりしない中で、彼の中ではパスは得意なプレーなんだ。
レベルを変えて、高校サッカーで一昨年から俺が注目してる京都橘の中野克哉という選手がいて、彼はドリブルが非常に得意なんだけど、それが例えば日本代表に選ばれた斉藤学や世界的に有名なドリブラーのリオネル・メッシほど上手いかと言われると、決してそうではない。でも、中野くん個人で見た場合、彼はドリブルは得意なプレーなんだ。
もっと分かり易く、お前が大好きな俺の体育の成績が2だとか4だとか。体育の成績が平常3の人間でも、手を使う球技は苦手で、道具を使う球技はそれに比べればやりやすく感じ、それによって成績が上下する。それを指して、個人の中での比較の問題として、得意不得意があると言っている。
それが、平常5を取るような奴でも、競技に関して何となく「野球は得意だがサッカーは苦手だ」とか「剣道は得意だがテニスは苦手だ」とか、個人の内的な比較として、個々人のレベルに関わらず得手不得手は存在しているんだ、と言っている。
お前は常に絶対的な尺度で測って、何か一つの競技に長けた人間は万能にある程度何でもこなせる、と言っている。それは、一定のレベルではそうだろう。確かに日本代表に選ばれるようなサッカー選手で、100mに20秒もかかるような奴がいるとは思わない。
ただ、俺はある程度の運動神経があって仮に万能に何でもこなせたとしても、個人の中には比較の問題として得手不得手が存在する、と言っている。
遠藤保仁はパス出しが非常に上手い選手で、戦術(誤字のため訂正)先述の通りパスは非常に得意な選手だが、マンマークは非常に苦手としていて、ギリシャ戦でも後半たしか5回あったコーナーキックで3回は選手のマークを遂行できていなかった。遠藤は日本でも一流の選手だが、個人の内的な比較として、パス出しは得意でマークは苦手である、と言える。そのマークが苦手な遠藤でも、高校選手権に一人放り込んだらコーナーキックのマークはちゃんとやってのけるだろう。だが、遠藤個人の中で見た場合、やはりマークは苦手だと言わざるを得ない。
中野克也は高校レベルではかなり有力なドリブラーだし、彼のプレーの中ではドリブルが一番得意だということが出来る。しかし、これをいきなりドイツやスペインの1部リーグに放り込んで通用するほど得意と言えるとは考えていない。
他人の技術との比較や成績や世間の評価のような外的な基準ではなく、個人の行為の中における内的な基準として、得意不得意は常に存在し、そこには球を使うか使わないかや球の使い方のような要因が想定されても良いだろう、と言っている。