はてなキーワード: ショートステイとは
すでに葬儀も終わっている。
心のどこかがぽっかりと穴があいた感じだ。
亡くなる一ヶ月間は怒涛の日々だった。
二回の救急搬送、退院後のショートステイの拒否、主に母と妹による介護。
自分はなにもできなかった。
調子の良い日と悪い日を繰り返し衰弱していくが、
その速度はほんとうにほんとうにゆっくりとしていた。
比較的容態は落ち着いていた。
そんな風に思ってた。
亡くなった日の朝。
少し駆けつけるのが遅くなった。
それが間に合わない結果になった。
泣いても泣いても後悔しかない。
ごめんな。間に合わなくて本当にごめんな。
親族や友だちに同じような状況の人たちがいるなら、
会える時に会いにいって、容態が悪くなったと連絡があったら、
なるだけ早く駆けつけてあげてほしい。
俺みたいな後悔は残さないでほしい。
誹謗中傷書かれるのかな?
今は本当に心折れかけてるから。
ただそれだけ。
「児童養護施設」に預ける
しばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
下記は武蔵野市ですがほとんどの自治体は似たようなことやっています
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html
そのままそう伝えたらおそらくそうなるかと思います(思いたい)
救える虐待が救えなかったと騒がれたので
しばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
下記は武蔵野市ですがほとんどの自治体以外は似たようなことやっています
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html
「児童養護施設」に預ける
ガチでしばらく施設にお預けをお願いするとか、完全に子育てをギブアップ以外にも
これは武蔵野だけどよほど金のない自治体以外は似たようなことやってるはずだよ
市では、市内に住所がある満1歳から小学校6年生までのお子さんを対象に、子育てショートステイを実施しています。
- 利用理由
保護者のかたが病気、出産、家族の介護、育児疲れ、仕事の出張、冠婚葬祭等
- 利用泊数
7泊以内
1泊2,000円(2歳以上 減免有)、3,000円(2歳未満 減免有)、1食400円、通学等に係る費用は実費
- 施設名
社会福祉法人 のぞみの家(児童養護施設) 武蔵野市境南町5-6-21
赤十字子供の家(児童養護施設) 武蔵野市境南町1-26-27
0歳から18歳未満までのお子さんについては、東京都杉並児童相談所でも相談を受け付けています。
東京都杉並児童相談所 (リンク) 新しいウィンドウで開きます
https://www.fukushihoken.metro.tokyo.lg.jp/jicen/info/jisou_info/suginami.html
テレビをあまり見ない僕が、たまたま「爆報! THE フライデー」という番組を見た。
酒を飲みつつ見ていると、芦屋小雁さんが認知症になったということらしい。
うん、確かに認知症だけれど、ごくごく初期の非常に軽いものだ。
これは適切な医療にかかって、変化を見ていくべきだね、これからが大変だね、と。
TV番組?等で演出をなさっている奥様の仕事の都合で自宅を空けるので、ショートステイを利用することになったと。
あるグループーホームのショートステイ(数年前に規制緩和でグループホームでもショートステイが可能になった)をするとのこと。
そこまでは特に問題ないのだけど、グループホームの対応がひどい。
まず迎え入れの歳、いきなり嘘をつく。
これ、逆に落ち着かなくなりますよ?
大きなミスなのに、番組は素晴らしい対応をとったかのような解説。アホかと。
もちろんご本人は慣れない場所で、一晩寝ることもできずに過ごされます。
そして「本人の体調を考えて、二泊を一泊に短縮」
もうアホかと。
「帰らせなさいよ!」とヒステリックに怒鳴られているといつも頭の中に浮かんでしまう。デイサービスとかショートステイなんかだとまだ家に帰れるという救いがあるけど、家に帰らせることのできない施設で働いてると、結局ここはボケてしまった人たちが他人に迷惑をかけないように、事故を起こさないように、ある程度の健康を保たせながら、死ぬまで見守る牢屋なんだという結論にどうしてもなってしまう。
油断すると他人のものを盗んだり果ては他人のものに自分の名前を書いて自分のものだと言い張る老人とか、歩行が不安定で歩けないのに自分で歩こうとする老人とか、暴れながら便を撒き散らしたりとか、挙げればきりがないくらいに、すごい老人はいくらでもいる。
今まで人なんて殴ったことはなかったけど、働きはじめてから、「ここでこいつを思いっきりぶん殴れたら気持ちいいんだろうなぁ」という場面が何度もあった。
「私はキチガイじゃないし、ボケてないでしょ!!!!!」と怒鳴り続ける老人に、「あなたは間違いなくキチガイだし、その上ボケてるからタチが悪い」と喉まで出かけて「そうですね」と無表情で答え続けた。
この仕事をするなんてまだ考えてもなかった頃にテレビでスーパー介護士として取り上げられている人がいた。その人は徘徊している利用者の話を夜通し聞いてあげたりしていて、熱心だなぁとその時は感心していたけど、今考えると周りのスタッフは大変だったんじゃないかと思う。
素晴らしい介護士として取り上げられる人たちは大体が薬を使って寝かせたり落ち着かせることに反対の立場で、「その人の尊厳を守りましょう。その人の行動を制限してはいけない」と言うしそれは正しいことだと思うけど、絶対に無理だと思う。
過剰に前向きな素晴らしい人じゃない限り、誰も耐えられない。
介護の仕事に「治る」という判断基準がない以上、家に帰らせることのできない老人は人権を奪って牢屋に入れ続けるしかないんだろうなぁ。
↓
(おりるまで2ヶ月かかるから)
↓
相続の話を進める
↓
(認知が進んでホームに入れたくともまずはそういうので慣れてないと、なかなか受け入れてもらえない、慣れてない人が入所すると体調を崩すこともあるそうで)
↓
徘徊などを防ぐ
徘徊や万引きなどで半年の間に4回も警察のお世話になった俺が言うよ。
ほんと、認知症は怖いし、面倒だよ。本人元気で、でも薬飲んでくれない、暴力もある。
とにかくいろいろ面倒だから、がんばれ俺。
追記:徘徊しないだろーというツッコミがあったのだが、これ、介護者の理解度にほんとよる。うちの場合、介護者が「ちょっとなら大丈夫だろう」とか、全然、認知症に対して本気になってくれなかったので、捜査では2回も警察にお世話になったよ。元気なときの認知症ほど、本気で考えられないと思う。
http://www.kobayakawa-dm.com/blog/2014/12/post-239-406176.html
薬は、認知症を遅らせる薬ね。もう介護度4で意味ないと思うけど。
★アルツハイマー病の進行を遅らせる薬には 2つのタイプ | NHK健康チャンネル
https://www.nhk.or.jp/kenko/atc_360.html
返納はもうした、けれど義母さんの運転が荒いのが最近は気になってる。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotsu/jikoboshi/koreisha/shomeisho/henno.html
返納させるには、やっぱり代替手段のほうが便利って思わせるのが一番なんだけどね。
★高齢運転者免許返納:失う移動手段、課題 交通機関に協力要請 県警 /鳥取 - 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20170208/ddl/k31/040/466000c
介護休業法みたいなのがあるのね、知らなかった。取れるかどうかわからんけど。
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000130583.html
※追記3
>>日用品を覚えておく
これは同意。私は会話にならないとき、彼が発しているキーワードに絡めるかたちで、前職のワードを含めてあげる。そうすると嬉しそうに会話をしてくれる。
※追記4
>>薬
認知症は治らないけど、遅らせる ドネペジル という薬。
※追記5
>>鍵
90年代にTBS系列で世界ウルルン滞在記という番組があった。
芸能人が海外のまちや村でショートステイを行い、日本の常識とは異なる世界各国の文化と触れ合うことで、そのまちに滞在した芸能人の中にも変化が生まれ、最後には感動的な別れのシーンとなる番組であった。
真面目なノリの番組であったが、後期ではそのワンパターンさによるお涙頂戴感が前に出過ぎてしまい、いつのまにか番組は終わっていた。
昨日のイッテQはチャラい代名詞である手越がカンボジアで無一文で数日間生活をさせることでチャラさを改善させるという企画があった。
この企画の中には、「芸能人が、貧しいが故に純粋である(とテレビ的にされている)まちや村で滞在することで、うるるん的な変化が起こる」という前提をもとに、
手越がそのような素振りを見せるたびにナレーションで茶々を入れるというスタイルである。
会社に行けなくなった。
就職先は実習でお世話になった施設、介護長の方針に感銘を受けて、この人の下で働きたいと思った。
働き始めて1年目は今になって思い返せばがむしゃらに働いた。
でも二年目になって、行きたくないなぁと思う日が多くなった。
ついに家から出られなくなった。
ああー、駄目だ。
そう思ったら行けなくなっていた。
迷惑がかかることは分かっていた、でも小心者の私は怒られる事が怖くて会社に電話連絡さえ入れられなかった。
心配してくれた上司が、かけてくれた電話にすら出られなかった。
分かってる、分かっているんだ、
無闇に怒るような人達では無いということは分かっていた、
個性はあれど、
いい人たちばかりだった。
だから、尚更その人たちに迷惑をかけてしまうことに罪悪感が募った。
1人でも休むと大きな影響が出るということは、自分も働いていたから重々理解していた。
職員さんが困るということは
職員さん達にも、更には利用者さん達にもご迷惑をかけてしまう。
その罪悪感が更に自分を追い詰めた。
復帰しようと自分なりに頑張った。
いつもより家事を頑張ってみたり、気分転換にとお菓子を作ってみたり、上司と直接話しをしたり、
それで、復帰のプランをたてて、復帰する予定になっていたのが今日。
行けると思った、行かないといけないと分かってる、
利用者さん達が待ってる、
お風呂のセットをしておかないと、
お薬のチェックと目薬のチェックしないと、
残業は1時間までしかつけちゃいけないからもっともっと速く終わらせないと、
子持ちの人が頑張ってるんだから独身の私が頑張らないでどうするの、
利用者さんみんなが好き、元気にしてるかな、
また笑顔で頑張らないと。
何で休んでるの?って言いたいくらいだよ、
って半笑いで言われた、
うつ病でもない、
性根が腐ってるだけ、
周りに甘えてるだけ、
状況に甘えてるだけ、
だから私は行かなくちゃ。
あー、駄目だ。
先日、独居状態の高齢者である統合失調症の母をついに入院させた。
ここ1年程で近隣とのトラブルが増え、ここ数カ月は週に一度のペースで警察からトラブル報告の電話が来て謝罪に行く日々だった。
そこで「医療保護入院」という形で、本人の了解なしに家族の同意により強制的な入院を行った。
「こんな長い期間なんで放っておいたんだ」「お前の責任でもあるだろう」という声もあるだろうが、
母は兼ねてより気性の激しい性格で、自分の行動が間違っていると思う事がなく、謝罪したことを見たことがない。
興奮すると激しく怒鳴り散らし、強い言葉で他人を攻撃する人であった。
日常的に暴力を振る事はあまりなかったが、私は10歳になるまではかなり厳しく躾をされ、
一時間以上正座状態で延々怒鳴りつけられ、時に激しく叩かれて育った記憶がある。
母は父方が信仰している宗教を激しく嫌っていた。
父が私と弟を連れ、父方の実家や親戚宅に遊びに行く際に、母がついて行くことは殆ど無く、
「もし宗教の勧誘があっても絶対に断れ!」「あれは怖い宗教だ!」と念押しをされていた。
たまに母も父方の実家に来たことがあるが、その際は私も母の影響で、事件が起こることを恐れずっと緊張していた。
夏休みの子どもだけの楽しい父方の親戚宅の滞在は、いつも怖い出来事が起こるのではないかという思いとセットだったが、
母が懸念するような出来事は一度も起きた事が無かった。
そのうち父の浮気を母が疑う様になり、夫婦喧嘩が絶えなくなり、別居となったのが私が10歳の頃
別居寸前の激しい言い争いの末、兄弟二人に「お前らは父と母、どっちに付いて行くのか」と問われた際、
「両親が分かれて暮らすことが嫌だ」と泣きながら主張した事を覚えている。
しかしその頃、私は母の影響を強く受け、父を慕いつつも、母の想像上の悪人である父を恐れていた事もあり、
母方の祖母宅傍に、母と二人で移り住む事となった。そして弟は父に付き、これまでの家に残る事になる。
専業主婦だった母は別居後、販売員の仕事を始め親子二人の生活が数年続いた。
そして事あるごとに父の悪口とありもしない怖さを母から聞かされて育った。
余談だが、私は小学1年生から激しいいじめを受けており、別居で引っ越した後もいじめは続き、当時はかなりつらい人生だった。
ある日、私の学校の開校記念日と、母の休日が重なった日に、思いつきで弟に会いに行こうか?
という話になり、離婚調停の最中に、小学校の校門から出てきた弟をそのまま家に連れてきてしまった事がある。
再開を喜んだ夜になって慌てて父が家にやってきたが、母は玄関の鍵を開ける事なく、父を激しく責め
自分の非は一切認めずそのまま追い返してしまった。結局、その日から狭い借家に母と弟で3人で住むことになり後に離婚が決定する。
中学生の頃、私に激しい反抗期が起こる。これまで母の言いなりであった状態から、徐々に物事を相対的に見れる様に
なってきてから、今までの反動もあり様々な出来事から私は母を強く嫌う様になった。そしてこの感情はいまだに消えることが無い。
対照的に母は会えない期間のあった弟へ強く愛情を注ぐようになる。
私の事には無関心ながらも「高校を出たら最低限の勉強だけして就職して早く家に金を入れる様にしろ。」と言われていた。
しかし弟はスポーツに才能を見出し、なんとか母が体育系の大学に行かせていた。私は母を恨み、弟を羨んでいた。
母が徐々におかしくなっていったのはこの頃だったろうか。
仕事上での人間関係のトラブルの話は祖母としょっちゅうしていたが、相変わらず対立する相手を悪くいう事がほとんどだった。
その内、「誰かと話をしている際に、嫌な同僚が盗み聞きをして事情を知っているのでは?」と言い出し、
次第に「盗聴しているんじゃないか?」と言い始めた。そして話の中で彼女の敵になる人間が徐々に増えて行った。
しかし私は「元々の激しい性格と強い猜疑心が招いたいつもの奴だろう」位にうんざりする程度で聞いており、
しばらくは家族や親族の誰もが病気の可能性であることを疑う事はなかった。
就職してしばらくは生活費を払っていたが、とにかくそんな母と一緒に生活をしたくなかったので、
近所に一人暮らしをする事になった。母は「今の仕事がどうなるかわからないから一人暮らしはしないでくれ」と言っていたが
自分の性格が招いた結果だと思い、無視して家を出た。そして私は実家に生活費を払う事をしなくなった。
近所ではあるが、母と弟と会う事や話すことを極力避けた生活が続く。
母は仕事を辞めパートをするようになった、この頃から私は近所に住んでいた弟や祖母や親戚とも疎遠になる。
しばらくしてカートを引いて歩く母と会う事たまにがあったが、嫌っていたこともあり
あまり会話をすることもなかった。
しかし、あれは確実に症状が進行し言動がおかしくなり、徘徊をする様になった異常な母だった。
私が母の異常性を指摘すると激高して怒り、頑なに否定した。また、私自身も子供の頃からの嫌いな母と向き合う事になり、
落ち着いて説得することができず感情的にしか対応できなかった。
その様な事実に気付きながら、私は再就職先が通勤で遠かった事もあり、実家の傍を離れる事となる。
弟や親戚が母をなんとかしてくれる。自分はあの家族とは関わりたく無い、という思いがあった。
おそらくこの頃の弟の絶望感は想像をするに余りある。体の故障で体育大学を中退した彼は、徐々に壊れて行く母と二人暮らしを続け、
兄や父には頼れない、母の兄弟である親戚の中でも、母は鬼の子の様な扱いだった為か、親戚にも相談できなかったのだろうと思う。
そして次第に彼も家に帰る事を避ける様になったという。 昼夜の境無しに恨み事と自分が狙われている妄想を、
弟が寝ていようがお構いなしに呪詛の様に話し続けるのに耐えられなかったのだろう。
彼は一時はカルト宗教に通った事もあったそうだ。
その頃私は都内の仕事が好調で彼女もできたが、人間関係の立ち回りで失敗し、今思えば鬱の症状を発症し、結果解雇される事になる。
その後も自営業や再就職をするが、運が悪いのか、決定的に欠けた何かがあるのか。最初は順調に勤めても何故か数年すると
上手く行かない状態が何度も続き今に至っている。
幼少期から自己肯定感は低い方だったが、今では自己肯定できる理由がさらに少ない人間になってしまい、死を考える日も増える様になった。
しかしこんな私を慕ってくれるパートナーをこれ以上悲しませたく無いというのが、生きる理由になりつつある。
この頃は母の症状もかなり進行しており、必要のないものを買い込み家が物で溢れ、荒れ放題であった。
何年かすると賃貸住宅を出ないといけない状況が何度か続く、弟に頼まれ引っ越しの手伝いをしたこともあった。
普段弟は殆ど家に寄り付かず、母は近所では有名人であった様だ。
しかし何故か日常生活を一人で行うことには支障がなく、買い物や家事などは全て一人でこなせる状態で、
支給された年金と弟の援助で生活を続けていた。風変りな半独居老人でしかなかった。
徘徊を行い細かなトラブルはあったではあろうが、周囲に大きな迷惑をかけることはなかったらしい。
ただし、自分が襲われ被害に遭う妄想は常にある為、頻繁な110番通報や派出所に入り浸り被害妄想を延々しゃべり続ける事は
しょっちゅうだった様だ。たぶん地域の警察官の中でもやっかいな有名人であったと思う。
その点では心あたりのある警察官の方には大変申し訳なく思ってる。
仕事とはいえ私たち同様、制度の穴で苦労を強いられる人々であることに変わりはない。
バラバラの家族に転機が訪れたのは、今から数年前に弟に彼女が出来た事がきっかけだった。
母の住む家に通える距離にある、彼女の家で生活を始め、近く家庭を持つ事を報告してくれた。
彼女は大きな困難を乗り越え成功を収めた家で育ち、弟にはもったいない程の素敵な相手だった。
そして彼の子どもが授かった事をきっかけに、母を何とかしなければ、という兄弟での協力体制が築かれる事になった。
これより以前に、弟が役所や医師に相談したこともあったそうだが、散々たらい回しにされ出てきた結論は、
本人に自分が病気だという意識(病識)が無いと、精神科への通院もできないし治療もできないとの事だった。
そして母の症状は強い猜疑心が伴う為「薬に毒が混入している」「過去に薬で体をおかしくされている」
という妄想を持っており、通院・投薬が難しい状態だった。
入院させるにも費用が高額な為、ワーキングプア状態では結局どうにもならなく何もできない、という結論に達していたようだ。
私も色々調べたが、実際、統合失調症がある程度進行した状態で、病識は無いが日常生活は可能、しかし治療を拒む状態だと、
いわゆるグレーソーンとなり、周囲の人間にお金が無いとどうにもならない状態だった。
そしてこの結論はここ数年、兄弟二人で対処した際にも全く同じ結論にしかならなかった。
いくつかの精神科を兄弟で相談に回ったが、どこもまず本人を連れてこないと話にならない、という結論だった。
また、症状が出てから経過年数が長く比較的症状が重い為、どこも受診を嫌がる兆候があった。
そこで「健康診断に行こう」と言いつつ近くの総合病院に連れて行き、そこにあった精神科も同時に始めての受診をさせた。
はらはらしながらの受診だったが、精神科医に統合失調症と病名を告げられても理解が出来ていない様子だった。
母無しで医師に相談した際、入院相談等もしたが、否定的な答えしか戻って来ず、投薬しても発症から長期経過している為、
回復はほとんど見込めない旨。どこも満床でベットが空くまで場合によって半年以上待つことになる旨。
入院には大変お金がかかる。月30万位は行く、生活が苦しいと難しいよねという旨を伝えられ。まるで軽くあしらわれているかの様だった。
今ならわかるが、この医師からはケースワーカーの存在を紹介されることもなく、国立や県立病院の可能性を教えてもらう事もなかった。
自分の事を棚に上げてあえて言うが、面倒事を何とか避けようとしかしなった、この医師の仕事に対する姿勢を私はいまだに腹立たしく思っている。
それでもこちらから持ち掛けた話で、弟が与える健康ドリンクに密かに混ぜて飲ませるという事で薬を出してもらった。
薬は数週間飲ませ続ける事が出来た、その期間は明らかに普段と変わった状態になり、何らかの良い作用が出ている様だった。
僅かに希望が見えたが、次第に蓋が空いた状態で渡される健康ドリンクを疑い出した。
飲むと頭がぼーっとしてだるくなると言い、健康ドリンクを飲む事を拒否し始めた、
毎日離れた母の家まで通う弟の負担もあり、 投薬はそこで終了となった。
同時に[精神障害者保健福祉手帳]の取得を検討したが、結論としては現状で必要が無いものであった。
取得しても得られるメリットは通院をすることで受けられる医療費が対象であること。
医療費負担が3割→1割だが、既に母は年金生活者で、医療費1割負担の対象者であること。
今後母がトラブルを起こした際、持っておいた方が無いよりもマシでしょう。
また、通院と同時に市役所への相談で介護申請を行い、定期的に家に来てくれるヘルパーさんと信頼関係を築き、
ゆくゆくは薬を飲ませてもらう事も計画したがこれも実現できなかった。
まず、加齢により体の不調があることも理由に介護申請を行ったが、統合失調症等の精神疾患は介護認定の判定要素に
大きく加味されることが無く、介護度2となった。
ヘルパーさんが定期的に母の自宅に訪れて買い物の連れ添いや、身の回りの世話等をしてくれることになった。
母も最初は喜んでいたが、次第にヘルパーさんが物を盗んでゆくと言い出し、やはり疑う様になった。
そしてヘルパーさんを避ける為か、ヘルパーさんの訪問予定時間に外出することが増えた。
そうなると、介護サービスを受けた事にならなくなる。介護事務所も国にに介護をした事実の申請が出来なくなる為、
実費の人件費が発生するようになる。その費用がは当然私が持つ事になる。(1時間約3000円程度だったろうか?)
そしてヘルパーを家に寄こさないでくれ、と強く言い出し、これも結局お手上げとなった。
結局この時も出てきた結論は、もうちょっと病気が進行しないとどうにもならないね。ということだった。
そして、去年あたりになってから、私の元に警察から頻繁に電話がかかるようになる。
過去にも真面目な新人と思われる警官から、母の妄言を真に受け私の元に安否確認の電話がかかることがあったが、
今回はついに近所の方とトラブルを起こし始めた。アパート近隣の住民に迷惑をかけ遂に警察沙汰となった。
どうも明らかな幻聴が聞こえる様になり、彼女の人生で登場した嫌な奴をののしったり、
幻聴で助けを求める困った人を助けようとしたり、私たち子供の危機を救おうとしたりした結果、大きなトラブルに発展している様だった。
以前より持たせて携帯電話も、しょっちゅう警察に通報したり、私たちに電話をし、
一方的にしゃべり続けたりする大事な必須アイテムだったが、いつしか持ち歩かなくなり、荷物だらけの部屋に紛れてしまった。
近隣のトラブルはついにアパートの不動産屋に伝わり、大家が嫌がり、アパートの契約更新を一方的に拒否され、退去を迫られた。
ヤクザの様な不動産屋に電話口で恫喝され、あなたが面倒を見ないと駄目だろ、引っ越すにしても老人一人を
入れてくれる所なんてどこにもないよ。とまったくもって他人の家庭事情に土足で踏み入る様な事を言われる。
要は親を引き取って面倒を観るなり施設に入れるなりしろ、という訳である。それが出来ればこんな苦労はしていない。
親を引き取って一緒に生活することになったら、私の気が狂うか、母を殺めてしまいかねない。と思ってる。
さらに警察や近隣住民からの電話が続く様になる。その都度、謝罪の電話や訪問に向かう事が短い期間に連続するようになった。
これまで半世紀近く、おそらく二番目に被害を受けた人間が、その加害者のしでかした事の為に謝罪に回るという罰ゲームである。
しかし、このトラブルの増加あたりから、状況は徐々に好転を見せ始める。
トラブル頻発の経緯からか、独居老人を見て回ってくれる地域の高齢者支援センターの方がたまに母の様子を見てくれていたそうなのだ。
この頃になると母の症状もだいぶ進み、自分の事を自分ですることが出来なくなりつつあり、言動が破たんしている頻度や時間も
長くなってきた。支援センターの方は、そんな母を外部に連れ出し入浴をさせてくれたり、
家の手伝いや話相手になってくれることがあったそうだ。
長く孤独だった母に対し、支援センターの方が母との信頼関係を築いてくれた。
母が病気になってから知り合った人間の名前を覚えて良い人物として会話に登場することになった。
そこに私も同行し、その流れで精神科のクリニック紹介してもらい、再度精神科の受診させることもできた。
しかし、入院施設もなく、通院投薬が前提のクリニックで紹介された入院施設のある病院は、
かつて散々嫌な思いをした地元の総合病院だった。ウェブサイトで調べた所、当時の担当医師は既にいなかったが、
入院をさせても高額になり、治療をするにも、これまでと同じ結論にたどり着くのは明らかだった。
でも、これ以上トラブルを抱えた状態ではどうにもならない、そこでセンター長さんは老人ホームへのショートステイを提案してくれた。
何度かショートステイを行って次第に慣れてもらい将来的にはそこで生活を、というニュアンスだったと思う。
まず2泊3日で滞在させることになった。滞在時には私も同行し、旅行にでも来たと思って楽しんでくれと言って置いていった。
けっこう喜んでいた様子だったが、結局、最後は自ら老人ホームを抜け出そうとしたそうだ。
怖い何かがいてここにはいられないとの事。母は予定滞在期間より少し早く、自宅に送り戻された。
老人ホームの事も調べた。経済的には何とかなる様になっているが、それにはアパートを引き払い、完全にホームで暮らすことが前提になる。
しかしホームでは看護サービスは受けられるものの、やはり薬を強制的に飲ませる事は出来ないそうだ。
また、本人の意思を尊重することが前提なので、無理矢理家に帰ろうとする母を拘束することはできない。
また周囲とトラブルを起こした際はやはり退去を求められる可能性がある為、現状での長期滞在は難しいという結論だった。
ここで進退窮まった。引っ越しは迫られる、トラブルは頻発する、治療には金がかかる。同居は実質不可能。
しかし殺人の容疑者比率で最も多いのは家族や近親者という事を知って、実現不可能であることを認識した。
こうなったら、母と絶縁状態の親戚を頼りにするしかない。という事になり、自らの恥を含め事情を話し、
その際、医療関連の仕事をかつてしていた母の弟にあたる叔父から、
県立の精神病院の存在を教えてもらう。あそこなら比較的安くすむかもしれない。ということだった。
アパートの引っ越し先を何とか見つけ、ゴミ屋敷の引っ越しを済ませ、恫喝をされた不動産にアパートの引き渡しを済ませた。
殴りたかったし文句の一つも言いたかったが、こちらは加害者なので、なにも言える状況ではなかった。
翌日、筋肉痛で疲労困憊の状態で県立の精神病院に電話をかけた。
事情を話し、入院費について尋ねると、これまで問い合わせた病院のどこよりも費用が安く入院できるとのことだった。
状況で費用も変わるが、約8万程度だという。さらにこれまで受診した病院と連絡を取ってもらい、事情を把握してもらった。
そして遅くとも2週間位で入院ができるとの事だった。
電話した日の夕方、再び病院から電話があり、明日の入院がキャンセルになった関係で、
母を連れてくれば、明日そのまま入院できる。と連絡があったのが、つい一昨日の事だ。
正直、すこし拍子抜けをした、これまでの苦労は何だったのかと。
最初に誰かが県立の精神病院の存在や制度や費用についてしっかり教えてくれれば、自分自身できちんと全て調べていれば、
こんな苦労はしなかった。私自身、最初は問題から逃げようとしていたし、問題に向き合ってからも苦労の方向性が
間違っている事に気付けなかった、しかし、役所、介護、福祉、医療、警察、の現場であった人も親類も、
これまで誰もそのアドバイスをくれなかった。いや、耳を傾けようとしなかった部分も多分にあるだろう。
正直、母の病気は隠したい恥という部分もあり、これまで親しい関係の人にしか、打ち明けた事が無かったが、
自分の不甲斐なさと共に、制度の穴に対しても恨み言の一つは言いたいと思ってこれを書いている。
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あと少しだけ以下に続きます。
いきなり同棲ではなくて、1ヵ月のショートステイから始めるのは良い試みだと思う。
一緒に暮らして初めてわかる妥協できない生活慣習の違いとかもあるだろうからね。
いびきがうるさいとか、おならが死ぬほどくさいとか、食べ物の好みが合わないとか、まぁいろいろ。
さて、初めて男性の部屋にステイするということですが、ご存じのとおり男性は性欲の塊りみたいなもので
当然、30代と言えどもエロ漫画やエロビデオ、オナホール等々、夜のおかずセットが部屋のどこかに隠されていると思った方が良いデス。
部屋の掃除の際に、そういうものを見つけてしまっても、気づかなかったフリをしてあげてください。
それが淑女のたしなみというものです。
こちら30女、独身です。
ここ数年のウェブ婚活がようやく実を結び始め、彼氏と呼べる男性ができました。
先日彼に3日ほどの連休を取ってもらって始めて実際に会って一緒にすごしました。
正直とてもとても好ましく、かつ私にはもったいない男性だと思いました。
勤め先も年齢も申し分なく、ちょっと女性に対して今まで奥手だったことをひけめに思っているようですが
その分紳士的で、かつ男性としてのかわいらしさのようなものも持っています。たぶん、自分に自信が出来たらとんでもなくモテるタイプです。
私は完全にひけめを感じています。
嬉しいことに彼の方はかなり積極的で、もうこっちに来て1か月くらいショートステイしてほしいと言っています。
幸いなことに丁度私は職探し中というか、無職でして…本当なんでこんなの家に呼びたいのかわかりません。
ワンルームもしくは1Kのマンションに居候させてもらう場合、気を付けてほしいことはなんでしょうか。
個人的な意見でまったく構いませんので教えていただけませんか。
何か致命的な失敗をしたくないのです。
今考えていることは
・彼の仕事中はおとなしく動かず待つ
・みすぼらしくない部屋着を購入、持参
・朝、寝坊しない
このあたりです。
独身男性とタイトルに入れましたが既婚女性男性の方々からもアドバイスいただけるなら幸いです。
※追記
ブコメで答えてくださった方ありがとうございます
>奥手な彼だから、あなたの「過去」を匂わす言動だろうなあ。1ヶ月もいっしょに暮らすとボロがでがちだもんね。かといって尊重しすぎるのも難しいし。元カレが「**だった」エピソードは父親に切り替える配慮かな。
父親に切り替える…!今までも過去の経験をそれとなく聞かれることがあって、こちらも意識して何でもないことのように答えていたのですがもしかすると落ち込んでいるかなと感じることがありました。
生活の中でそれが予期せずポンポン出てきたら彼にとっても私にとってもいたたまれないです。うっかりやらないようにしつつも、「父親がね…」で乗り切ろうと思います。
> 胃袋と身体をつかんで「結婚したい」と思わせる、1Kで一日中一緒だとストレスもたまりやすいからたまにはお互いひとりの時間をもつとかでしょうか。
お礼が遅くなってすみません。日中彼は仕事なので、その辺は大丈夫そうです。最近の話し合いで、私が退屈しないようにPCとかPSのゲームを自由に使っていいとまで言ってくれていてちょっとほんとに惚れなおしました
胃袋と身体ですね…!そのあたりは事前調査をさりげなくしつつ、あとは私が積極的に提案していこうと思っています!本当大事ですよね。ありがとうございます。
また、子を通じて支援学級に関わり、発達障害の子を多く見てきました。
今、妻を横にしてこれを書いています。
また、児童相談所に通う他の親達からも同様の話を聞いたこともあります。
それら踏まえて以下。
まず、日本の社会において、自分達の置かれている境遇を周囲に伝える際に、
本音ではなく愚痴のようにいうことが美徳とする向きがあります。
しかし、この考え方は捨ててください。
児童相談所にしても周囲の人も、
愚痴では本当に必要としている支援が何なのか判断がつきません。
困っていること、どういう支援が欲しいのかを話してみてください。
本当に困っていると伝えてください。
明らかに支援を必要としていると判断できれば児相も動いてくれると思います。
愚痴の場合、支援を必要としているのかただ話を聞いて欲しいのか、
後者の場合、支援に乗り出すと逆に親が怒って児相へ来なくなることもあり、
容易に支援に乗り出せないそうです。
取り得るあらゆる手を使って支援に最善を尽くしてくれるはずです。
本音を話すのに抵抗があるかもしれません。
ここだけほんの少しの勇気を振り絞って本音を話してみてください。
また、これは近所も含めた周囲の人も同じです。
何らかの障害を持っていると周りの人が気付いていても
動きたくても動けないのです。
実際、「何か助けてあげたいけどどうしたら良いのかわからなかったけど
ちょっと思い出してみてください。
電車で座っている時に、
席を譲るべきなのかどうか
迷ったことはありませんか?
譲ろうか、譲ったら逆に何か言われないだろうか、
そう考えたことはありませんか?
児相も周囲の方々もそういう状況になっているんじゃないかと思います。
最後に。
お子さんが大きくなるにつれ、また色々あると思います。
ただ、今回のことでも今後起こりうることでも、
でも、後でそれを思い出して後悔することはないですよ。
障害のあるなしに関わらずどの親でも感じることです。
http://anond.hatelabo.jp/20161215103020
その通りですね。
酔っ払って寝る直前に元増田を読み始め、
急いで返信しないといけないと思い
日本には徐々に浸透しているところです。
このため、今は用語が混乱しているので
あと、前述済みですが、"父親がきちんと動く"ことは
少なくとも私は未就学の時は実践できていませんでした。
どちらかの親が子供の障害に関わらない関われない理由は様々です。
どちらにせよ、片方の親しか育児・療育に関われなかったとしても
それなりに整っていると思います。
離別・死別等が理由で片親だけの家庭をいくつか知っていますが、
(片親だけの経験がないため、その苦労について私は想像することしかできませんが)
苦労しつつも支援や各種制度を利用して生活を回せているようです。
自治体によりADHDの判定そのものが変わるというのは知りませんでした。
確かに自治体により支援にムラがあるのでそういうことはあるでしょうね。
ADHD自体が比較的新しい概念のため児相にもまだ浸透していないのかもしれません。
蛇足になるかもしれませんが補足すると、ADHDの存在はまだ浸透していないため、知らない親も多数です。
このような場合、片方の親が児相に療育手帳の取得を勧められ取得をしようとしても、
(これはADHDに限りませんが)
もう片方の親の反対で療育手帳の取得ができないことがかなりあります。
療育手帳を取得しないまま
このような事例があるため、障害年金が出ない療育手帳が発行されない場合でも
私達は外出の時は常に手を繋ぐようにしていました。
本人がこだわるもの(すいません、誰だかわかってしまう可能性があるためボカさせてください)を見つけると
全力・全体重をかけてそれに触れようとしたため、肩を脱臼してしまいました。
元増田様
追記4ここから
裏を返せば禁止だと現場が勝手に判断してしまう可能性があります。
追記4ここまで
お子様のことで思い悩み大変辛い日々を過ごしているかと思います。
24時間緊張の糸の張りっぱなしで体力・精神共に擦り切れているのではないかと心配しています。
提案なのですが、とりあえず一回休憩してみてはどうでしょうか。
私達の場合も、両親(子にとっての祖父母)や親戚は遠方にいるため、
ヘルパーさんには何か家事を手伝ってもらわないといけないと思う方もいますが、
ご自身の睡眠をとるために外で子供と遊んでもらうということもできます。
また、他の方も書かれているようにショートステイというものもあります。
「寝ること」が理由では支援を頼めないと思ってしまうかもしれませんが、
寝ることも立派な理由です。
睡眠をとることで元増田様とご家族の状況が改善される可能性があるのであれば
元増田への返信を追記したのですが
もしこの方法では駄目なのであれば
方法を教えてもらえないでしょうか。
喘息持ちの主人公の少女が、療養のために環境のいいところに夏休みだけショートステイする。
でも原作つきのおかげか、アリエッティよりかはお話としてそこそこ面白かった。
映画館の広いスクリーンでこのきれいな自然を見れば、それは多分テレビで見るよりももっと満足感あったんだろうなって気はする。
なんかしらんけど時空を超えて夢の中とかで出てきてたっぽい
マーニーの謎が解けるのと同時に、主人公も周囲から浮きがちだったけど、なんとかうまくやっていけそうだわ!ってなって、
一皮向けて地元に帰る
ココチンならぬココマンがグチョグチョになりましたわ
頬染めるなwwwって何度突っ込んだかわからん
何度もああ^~となった
マーニーも結局ノンケかってがっかりしたけど、もうそれは百合男子読んで克服した問題。
肩があいてるところからタンクトップが見えてるのがなんかやたらセクシーに見えた
胸のふくらみはまったくなかった
マーニーの幼なじみだった女性との年の差百合もあるのかと思ったり。
一般受けもしなさそうだなあとは思った
でも俺は好きだよ
天下のジブリ公式で百合が見られてめちゃくちゃ夢みたいだったよ
自分が利用するときに、検討/実践した内容なので誤りやより有益な情報がありましたらご教示ください。
厚生労働省の助成事業にあたる公益社団法人全国保育サービス協会、
財団法人こども未来財団からシッターや一時保育を選ぶのをおすすめします。
会社で配布される、ベビーシッター育児支援割引券を利用する場合は、
財団法人こども未来財団の割引券取扱事業者一覧から探してください。
お住まいの地区によってシッター券などが配布される場合がありますが、
区の助成券に対応するにも免許、資格を証明する、保育士認定書の写しなどさまざまな書類の提出などが必要だからです。
ベビーシッターは紹介サイトで個人間で契約を交わすよりも幾分安心です。
助成券/ベビーシッター育児支援割引券に対応しているシッターかつ、
シッターが対応している区を調べます。だいたい、50くらいは見つかると思います。
50のシッターサービスに登録するのはありえないので2つくらいに絞り込みます。
私が利用しているシッターサービスは、下記のものを提出しています。
こんな感じです。預けるのが面倒になるくら準備が大変・・・
たまに今回の事件になったような紹介サイトの有人版みたいなのもあります。
人を調整して派遣します系の。それよりは、保育園運営しているところのほうがいいなとは思います。
そしてある程度、運営期間(実績)があるほうがいいかなと、思います。
>できれば2011年の災害時を経験しているところがいいです。
と書きましたが、災害時の対応はどうしますか?など質問を投げて、
調べてから折り返しますなどいくつか反応が遅いところがあります。
まずは”【1】提出物がしっかりしているところ”で書いたものを一式用意します。
相手が訪問してきたら名前を確認して、一通り子供や荷物の情報共有する時間を設けます。
こっそりですけど・・・室内をリアルタイム配信するのもいいでしょう。
子供も見知らぬ人に部屋で2人きりというシチュエーションがはじめてになるので
今後の参考にするためです。(お気に入りのおもちゃを増やすとか、食欲の様子とか)
リアルタイム配信の方法は、なんだっていいんですけど世界中に公開するわけにはいかないので
skypeのアカウント2つとってビデオ通話状態のままにしてみました。
鍵が掛かってる&チェーンもつけているので電話またはチャイムをならして帰宅をお知らせします。
※シッター中はヤマトが来ようが勧誘が来ようが絶対あけないです。
だいたい、2500/h*9時間(日中価格)=22500円です(ドドーン!)
助成券をフル活用すれば1.7万くらいには収まりまると思います。
まぁ、ちょっと目を離すと怪我する/死ぬ子供をみてるわけですからこれくらいの料金になりますよね。
預け先を自宅ではなく、一時保育所にすればもう少し安くなると思いますが宿泊・日/祝日はやっていないところが多いですね。
※区の乳児院(ショートステイ)だと、1泊5250円というのがありますが親の病気が理由などではないと利用は不可能です。
個人間で2人の幼児を16時~翌日10時で4000円の依頼をしていました、格安ですね。
(ニュースでは無職とありますが、依頼内容やプロフをみると夜間のお仕事のためのようです。
シングルマザーだから認可保育園は優先的に入れるんだけど夜間はやってないですよね・・・)
まともなところにお願いすると2時間分の費用にしかなりません。
さらに深夜料金や宿泊保育をすると費用がかかるし、兄弟2人だと料金は割り増しです・・・
だいたいは1日預けた分の費用>稼ぐ費用となってしまうわけですね。
相手の連絡先を電話と名前のみしかしらないのに預けるというのも危機感が足りなかったと思います。
利用者としては、怪しいところは絶対に利用しないのを徹底しなければならないし、
そもそも怪しいものをそこらへんに湧かしておくなよと思うわけで。
自治体でも国でも率先して制度・資格・指導をしっかりしてほしいものです。
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タイトルに上げたんだけどさ、今高齢要介護者向けに「介護保険」ってあるじゃん。
これと同じ仕組みで「子育保険」って出来ないのかなって妄想したんでぐだぐだ書く。識者の方できたら突っ込んでくれ。
介護保険って
常々、介護と育児は中身は年齢が違うだけで中身は結構似ているような気がするんで、これを元に
ってすればどうだろう。
これだけじゃ無理がある部分もあるので…
どうよ(ドヤッ
介護保険を使う事になっていろいろと調べたり利用申請したりしたのだが、介護が必要な人間を抱える家族って、育児をしている家族と構造はすごく似ているって思った。ただ将来への展望が違うだけで。
介護保険のコンセプトは「介護が必要な人を社会全体で支える」という事だったと思うけれど、育児も「子どもは社会全体で育てる」という感覚があっていいと思うんだ。
また、介護は、介護保険があるおかげで介護が産業化していて民間企業が参入し、使い易い介護用品が出てきたり、従来より足りないと言われてきた有料老人介護施設の増加を促したり、介護業者も競争が増えて対応の質が上がったりしている。
一方ケアマネージャという有資格者が必ず関わることによっておかしな業者に引っかかって被害を受けると言った事を防止し、過剰請求なども防ぐ仕組みが出来ている。
いろいろあるけど介護保険はこの点で成功している精度だと思うんだよ。
だからこれを見本に、育児・教育を保険として作れば、いくつかの諸問題は(多少時間がかかるにせよ)解決に向かっていくんじゃないかと思う。
これで介護保険並の保険料で済むなら、十分に考える価値はあると思うんだけどどうだろう。
いやまぁ、こんな事ここで言ってもしょうが無いんだけどさ。
識者の方突っ込んでください。
男性は本音がどこにあろうと「社会に貢献する」という根本的な部分を持っているので、話のもっていきかたに苦労することがない。
実は今、父に女性のケアマネさん、母に男性のケアマネさんが付いている。2人とも、もちろん、我が家の状況を理解している。父は認知症なのだが診断が難しい珍しいタイプで、ある医師は「認知症」だと言い、ある医師は「ぼくは認知症と取りません」と言うような状態だ。正直、認知症かどうかはどうでもいい。問題は私が父に対して、どのくらい保護責任があるかということだ。認知症で無ければ、保護する必要はもちろん無い。自分の身の回りのことはしているからだ。認知症であれば、何か重要な判断を必要とする場には立ち会わなくてはならない。例えば、見当識の無い要介護3の母を父一人にみさせておくなど社会的に許されないだろう。ところが、ここのところを父のケアマネさんが理解してくれない。
「私は週35時間は休みが欲しいんです。でないと精神的に潰れます。だから、その間、ヘルパーさんとか出来るだけ人に入って欲しいんです」と言ったら笑い飛ばされた。「お父さんは自立して生活できるのだし、奥さんと同居しているし、娘さんも近居なんだから、ヘルパーなんて入れられませんよ。介護保険では出来ないこともあるんです」だそうだ。「いや、父には母の世話は出来ないと思いますけど」「認知症じゃないって言われたんだし、本人がやると言っているのだから、やればいいじゃないですか」って。
一方、母のケアマネさんは、母をショートステイに預けるように、しきりとアプローチしてくれる。母の世話するのが父には無理だということを理解してくれているのだ。父は頑として受け付けないが、本当に有り難い。
父のケアマネさんに「父に母を預けるのは無理だ」ということを理解してもらうには、どう話せばいいのだろう。
その1、母親に認知障害があり(認知症ではないので進行はしない)24時間見守りが必要。
その2、見守っていればいいだけで、実際に介護しなければならないことはほとんどない。例えば、布団をめくることが出来ず一緒に起き上がろうとするので布団をはぐとか、トイレに行ってもパンツを下ろしたり上げたり出来ないので支度するとか。
その3、それゆえに、娘である私の拘束時間は果てし無く長く(24時間中23時間)、でも、作業を凝縮して時間にしてみれば2時間にも満たない。
その5、私と父親の間で「介護」に対する認識がまったく違っている。
こうして、ますだに書き込んでいる時間があるのだから、ラクな介護であることは否定しない。今も両親は隣の部屋でテレビを観ており、今の状態だけを見れば、2人とも病気療養中とはとても思えない。特に母親。普通に父親と日常会話を交わしているので、まったく正常としか思えない。
それでも、私には自由時間が必要なのだ。1週間は168時間である。睡眠時間に49時間使う。自分の家のことをするために7時間使う。残り112時間のうち、27時間休ませて欲しいのだ。週85時間介護なのは耐えられる。
去年までは、叔母が泊まり掛けで介護に来てくれたので、27時間を確保することが出来た。
お正月、母の介護に対して同じ立場の兄たち兄妻たち叔父叔母たちが集まってきたが、結局のところ、泊まりで介護をする気があるのは私といつも来る叔母だけと判明した。仕方ない。こんなことは強制してもしょうがないし……と思っていた矢先、叔母が超多忙になった。詳しい事情は書かないが、私にとってはとても納得のいく理由であり、来られるだけ来るという叔母にうちの母の介護をしている場合では無いだろうと、私のほうから進言したくらいの理由だ。
まずは叔母の穴を介護保険のサービスで埋められないかと考えた。ショートステイも短期入院も「毎週」といった対応はしていないそうだ。では、ヘルパーさんと考えたが父親が反対する。「家に他人を入れたくない」のだそうだ。
しかし、私が居ない27時間プラス睡眠時間7時間、合計34時間を、なんとかして埋めないと、母親は事故に遭う可能性がある。
だって、お前、と父親は言う。朝・昼・晩と、ご飯の前後だけ入ってくれるとして、そんなに人の出入りがあったら、かえって疲れてしまう。誰も来ないほうがいい。
ぷつん、と音を立てて、私の緊張の糸が切れた。
誰も居なくていいのなら、何故、私は1日23時間実家に張りついてるんだ? 私だってやりたいことは山のようにある。介護したくてしているわけじゃない。父親が母親を施設に入れるのは嫌だ。在宅で介護するというから付き合ってるんだ。
さらに父親が言う。母親の介護をしたくないのなら休めばいい。お前が居なければ俺がやるんだ。
要支援2の85歳の認知症の父親が、要介護3の84歳の認知障害のある母親をみている。
そんな状態を放っておいて、社会的責任が果たせるか?
わかってる。父親の暴言は、単に現状認識出来ていないから出てくるだけだ。
わかってる。
昨日から、朝起き上がるのに時間がかかるようになった。身体全体がずしっと重い。何もしたくない。
20110111追記
私自身が「介護をしている自分」にしがみついているんだと、そういう視点に立てました。もっと離れて冷静に必要なことを見極めていこうと思います。
20110114追記
母親をデイサービスに週3日行かせることになりました。これで気を抜く時間が出来るので、一息つけます。気力が無くなってしまわないうちに、なんらかの手を打ちながら進めて行きます。