はてなキーワード: サントラとは
つまり、画面にはCMを映しながらも、音声はサントラやクラシックなどのBGMを流す(歌謡曲でもアニソンでもいいが)。それを1時間か2時間、まとまった時間で放映する。
動画サイトには「作業用BGM」というタグが付いた動画がたくさんあるが、まさにそのイメージ。その画面上には何が映っていても問題は無い(そういう動画の画面は大抵静止画だ)ので、それだったらCMを流せばいいよね、っていう発想。
そして、放送局はJASRACかなんかと一括契約してるはずだから、BGMだろうが歌謡曲だろうがローコストで流したい放題。その1時間ないし2時間はCMを常に流せるので、CM収入もガッポガッポ。
(もちろん、その番組は「見る」というより「聞く」ために存在するので、映像での広告効果は薄い。なので、広告料は安くすべきかもしれない。しかし、何しろ枠全部がCMなので、それでも十分ペイできるだろう。)
もう、お笑い芸人が何かするだとかの、ちゃんと構成された「番組」なんて必要とされなくなってきてるわけで、そういったローコストなCM専用番組を本格的に流してみてもいいと思う。
まあ実際に、旧U局ではそういう番組やってるわけだし(画面はCMじゃないけど)。
少なくとも、私はそっちの方を見る(正しくは「聞く。たまに画面を見る」くらいだけど)。
今回のオリンピックの開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否は重要である。誰もが絶賛するような作品は存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品の批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。
これは作品の批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れの認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。
(そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)
何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲームは映画に負けず劣らず文化性がある。
例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。
また、ゲーム談義。これも映画を評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、ときに罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。
また、社会を風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治を皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。
他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームのモデルに俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者が映画の演出を担当したり、逆に映画関係者がゲームのプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界は対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。
文化には経済という側面も重要である。寄付にしろ収益にしろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。
歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年にアバターが中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。
さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。
もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザーが継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。
しかし、単純な収益で見れば、ゲームは映画とガチンコで戦えるレベルの経済性も有していることが証明されたわけである。
さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。
マイクロソフトがゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleやAmazon、Appleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。
このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れであると理解し、そろそろ「価値観をアップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。
そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画は低俗」「小説は下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである。
時は90年代。小室ブームまっただ中、オリコンランキングや音楽番組がクラスの話題として幅を効かせていた。
CDショップではゲームサントラは奥の隅の方にひっそりと置かれ、流通量も少なく、まさにマニア向けの商品だった。
「好きな音楽は何?」なんて問いに「ゲーム音楽」なんて言ったら鼻で笑われる。そんな時代だった。
たまにリリースされるアレンジバージョンだったり、メディアがCD-ROM媒体に変わることで、生演奏が取り入れられるようになっても、
まだミュージシャンからは音楽と思われていなかったり、馬鹿にされて悔しい思いをした、なんてクリエイターインタビューを目にしたこともあった。
インターネットが発達し、ニコニコ動画あたりでゲーム音楽を身近に楽しむようになってきたぐらいから、風向きが変わってきたように思う。
オーケストラのコンサートも多く開かれるようになってきた。聴きに来る人、そして音楽家が「ゲーム音楽が好き」という人が増えていった。
そして今回の開会式で、20曲近くの曲が入場BGMとして採用された。
安易だ、なんて批判的な意見もあると思うが、開会式を見た多くのゲームクリエイター、特に作曲者自身が、心から喜びの書き込みをしているのが全てだと思う。
ダイナゼノンのキャラクターソング、出ましたね。アマゾンから来たメガジャケがマジででかくでびっくりした。
ガウマ隊のキャラソンは言わずもがなほんとマジ最高で、特に夢芽のキャラソンは既に擦り切れるほど聴いているし、涙腺がガチで緩む。この前なんか「ユメエッしあわぜになっでなぁ!!!」と口走り後輩に「頭大丈夫ですか?」と心配された。大丈夫大丈夫と目元を拭いながらまた泣いた。ヤバい人である。
しかし今回話題にしたいのは怪獣優生思想の方のキャラクターソングである。
爽やかで明るいナンバーとなっているが、タイムラインではこの曲の解釈の仕方に納得できない声も多かった。
というのも製作側の話を伺う限り怪獣優生思想は一枚岩ではなく絆もガウマ隊ほどではないのだという。
「それを絆だなんちゃら歌うのは流石に原作を見てないんじゃないか?」
と原作重視のファンからしてみれば不満な気持ちはあるだろう。実際そういう声も多かった。
自分もこれを聞いた時待て待てどうしてこうなった?急にアイドルグループみたいになったぞ!と思いしばらくネタにしていた。
ところでダイナゼノンは素晴らしい作品だったと思う。みんな知ってるよね。
俺はもうなんか最終回では涙がボロボロになって画面見えなくなってよもゆめぇ!ちせえ!暦就職したんか!ガウマさんを姫とあわせてやれよ!とかそんな言葉を嗚咽と共に吐き出したことを覚えている。目が冴えて全然眠れず気づけば朝だった。
よくある倒される敵集団という感じである。ジュウガの告白をネタにしたくらいであとはムジナのグッズたくさん出るといいなあ、くらいの気待ちしかなかった。
怪獣優生思想も被害者だ!という意見が流れてくることもあったがまあなんだかんだであいつら好きにやったし良かったんでない?という感じであまり気にしてはなかった。
怪獣優生思想のファンも、俺たちとおなじように嗚咽と共によもゆめぇ、したかったのではないだろうか?
いや本当によもゆめぇ!なわけではない、俺たちにとっては怪獣優生思想はわりとどうでもいい存在だ。しかしファンにとっては違う。
怪獣優生思想は救いを求めていないかもしれないが、ファンには救いが必要なのだ。
男女比率3対1。
ムジナが圧倒的人気を誇っているとは言えポジションとしては前作の新世紀中学生に近いだろう。つまり怪獣優生思想はどちらかといえば女性向けのキャラクター集団だ。
最終回当時のあの展開はわりと怪獣優生思想ファンをやっていたお姉様方にとっちゃショッキングな出来事だったようでだいぶタイムラインが荒れていたことも覚えている。回ってくるツイートをマジで女って怖えな…と思いながら目を細めて眺めていた。
しかし女性特有の閉鎖感のあるファンコミュニティで、顔しか見ていないメンヘラというレッテルを貼られるとなればどうだろうか?
だがそのキャラ設定を今更覆すわけにはいかない。彼らは犯罪者だし、大量殺戮をしているのだから、そこは受け入れるしかない。
そこでつけ入る余地となったのが絆だろう。
犯罪者同士の間にも絆は生まれるし、そういったキャラがウケやすいことも経験上よくわかる。
言っちゃなんだが怪獣優生思想に悪役としての魅力はあんまりない。
イモータンジョーのように目的意識はなくジョーカーのようなカリスマ性もない、レクター博士のようにぶっ飛んでもいない。流されるままというキャラの特徴は魅力からはかけ離れている。
しかし絆は別だ。
目的意識がなくとも、カリスマ性がなくとも、絆はそれに拮抗しうるくらいに強い属性になりうる。
六アカのクソデカ百合感情という奴だ。さらに絆は売れる。六アカがどれほど売り上げに貢献してきただろうか?
女性界隈では布教という文化がある。詳しくは知らないが布教と言うからにはそれにもある程度の説得力がなければ困るのではなかろうか?
男性向けの同人誌が実用第一の一方女性向けの同人誌が関係性を描くと言われていることはよく知っているが、そうなるとないないづくしの彼ら彼女らを布教するにあたっては絆のようなものがないとかなり難しくなるのではないだろうか?
ただでさえ犯罪者を推しているとならば自分の人格まで疑われる可能性があるのだ。
ちょうどルックバックが公開されてそう思った。
アニメーション会社が襲撃されたという点もあって統合失調症の殺人鬼に対する当たりは強い。もちろん犯罪はあってはならないことだがあの一件で犯罪者というものがよりオタク界隈でリアルな敵となったように思う。
昨今女性の自立が叫ばれる空気感の中、そう言った人格上の弱点と疑われるようなことがあっては、そのコミュニティで不利になるのではないだろうか?
本当に倫理観のある人間ならそんなキャラは好きにならないはずだ、と侮られるかもしれない。
言い過ぎかと思うのならばダイナゼノン本編を見て欲しい。イジられキャラであった夢芽の姉は、平気そうに見えただろうか?
これはおそらく怪獣優生思想のファンである人間達に向けたせめてもの慰めなのだと思う。
怪獣優生思想に絆がないにせよサイコパス集団であるにせよ、それが示されたのは終盤も終盤で、それまで彼ら彼女らを追っかけてきた層に取っては彼らは人間的であって欲しいし、絆があって欲しいし、周りの人間にも彼ら自身を尊重してもらいたい。
キャラを、アイドルを推している自分たちに対し、でも犯罪者じゃん、でも大して仲良くないじゃん、などという冷めたマジレスを送ってほしくはないのだろう。
「それは現実逃避だろ…女ってそんなんばっかかよ…」と思われる向きはよくわかる。
既に怪獣優生思想はグッズも多数出ている。製作側としては人気がでないよか人気が出た方が助かるという気持ちはあるだろう。在庫の山を抱えたままでは次回作を作ることもままならない。
キャラソンという媒体を買う人は少ない。ただの歌である。リーズナブルな値段とは言え本編のファンでもない限り、サントラでもあるまいし手を出す人間は多くはない。
ゆえに少なくともキャラに入れ込んでない層はキャラクターソングの複数購入などしないだろうし、待ちきれなくて配信で買うなんて真似もしない。
大抵の人はガウマ隊のグッズに手は出すが、という感じだろう。それでは商売上困るのだ。搾り取れるだけ搾り取らなければ社員を食わせていけない。次回作の質も上がらない。
とは言え傷の舐め合いには限界がある。
そしてそれに対して彼らは実はこうなんだよね、と外野が口出しするのも悪手だ。
対岸の火事に対して講釈垂れてるオッサンのレッテルを貼られてしまう。ファンたちは現在進行形で辛いのだ。
そしてそのファンたちの心を救う上で大事なのは、やはり公式からの言及だろう。
今回のキャラソンはそう言った視聴者に対するいわば手当て、治療薬、心の包帯のような面もあるのではないだろうか。
そんな奴はさっさとファンを辞めろ!という意見もあるにはあるだろう。俺だって一部の強いファンによって公式が歪められるのは本意ではない。
この曲の絆の部分のオーダーがトリガー側から来たのかそれとも作曲者側がそう言った視聴者側、というかファン心理を汲み取ったのかはわからないが、下手に解釈を深めるよりいい結果になったのではないかと思う。
字面通りにコンテンツを受け取りがちでそのコンテンツの受け取り方はディープな層からの受け売りであることが多い。
多数の意見に流されがちな無垢な視聴者は「良い」と言われたものにはそう言ったバイアスをかけがちだし、逆も然りだ。
実際検索をかける限り厳しめな意見が多かった怪獣優生思想へのツイートはキャラソンの発売によって曲自体の評価とその歌詞の明るさから好意的な方にスライドしたように思う。
こういう誤謬が広がることによって少しでもファンをとどまらせる目的もあったのではないか?
次から次へとコンテンツが現れるこの時代、都合が悪いことが起こったらやーめよ、と他のコンテンツを楽しめてしまうのがこの世界だ。
そしてその数はSNS上で見るよりも遥かに多い。アカウントを取得したとしても実際に積極的に発言する層はそこまで多くはないし、そもそもツイッターをやらずにアニメだけ見る人間も多い。そんな人間でもキャラグッズを買うのは珍しいことではないらしい。
自分の立ち位置を意識し、攻撃されないように流されるまま生きる。
そしてそれに向き合った夢芽は傷つき追い込まれ、だんだんおかしくなっていった。
そんな彼女を傍観者だった蓬が救う世界を、ダイナゼノンは描いた。
キャラクターのファンの心を救い、作品も汚さない。そう言った狙いがキャラクターソングには託されたのではないのだろうか?
もちろんただの製作側の一発ネタが良いように動いたという可能性も否定できなくはない。
けれど少なくとも作曲者側は売れるように書かないと次の依頼も望めないわけで、視聴者目線については意識するであろう。
どんな曲を顧客は求めているのか、そしてどんな曲ならば視聴者が受け入れ、話題にしてもらえるだろうか。プロである以上そこら辺は当然意識する。この解釈は受け入れられるだろうか?という問題も考慮しないはずはない。
その結果生み出されたのがこの曲ならば、それにも意味があるはずだ。
作曲家が魂を込めたこの歌を軽んじたくはないと推しの子を読んで思った。GOAさんがんばれ。
もう次回作にはマジでマジで期待している。前作の期待を遥かに上回るダイナゼノンがお出しされた今ハードルは上がるばかりである。
しかし市場至上主義の荒波にいる中、純粋に作品を愛しているファンだけに接してはいられないだろう。今回獲得した新規客層がお金を落としてくれるよう、そして次回作がより良いクオリティになるようにその客層の目線に立って考えなければいけない。
そのためにも俺たちにはいくらかそういった媚びをゆるす鷹揚さが必要なのだと思う。
それは間違いなのだと断罪するのではなく、たとえ嘘や誤謬でも受け入れる鷹揚さが。それくらいでダイナゼノンという作品の輝きは消えはしない。
監督は人気のために作品を歪めるほど、作品に対して真摯さを欠いていないはずだ。
六アカを出せなくてもやってやると言ってくれた監督だからこそ、そしてこの素晴らしい物語を作り上げてくれた監督だからこそ、信用できる。
怪獣優生思想のファンが離れず、次のグリッドマンユニバースを楽しんでくれるよう、そのためにアニメーターを応援してくれる気持ちが萎えないように祈るばかりである。
ドラクエ最近やらなくなったけど、今日の映像見てやっぱり俺の思うドラクエとはもう違うなってなったのでしばらく引退する
まずさ、すぎやんはもう引退させようよ。枯れちゃってるじゃん、完全に。これは9ではっきりと感じ取れたし、スクエニもそう思ってるはずなんだけどさ。
そこで後継者育成を放置した(させてきた)スクエニが全部悪い。反省してほしい。
よく「堀井、鳥山、すぎやまの3人誰かが欠けたらもうドラクエじゃない」なんてガキの反論があるんだけど。
すぎやんは枯れてるじゃん、完全に。使いまわしじゃん、音楽。
堀井の方針はよくわからないじゃん。もうシナリオも書いてないだろうし。
この三人を抜きにしてドラクエを成立させることがスクエニの企業としての使命だと思うんだけど、小銭稼ぎで忙しいのか知らんけど刹那に生きてるのかな、この会社。
いや、これね、グラは良いんです。UIもたぶん悪くないんですよ。ドラクエだから。情けない手抜き移植するぐらいなら思い切ったリメイクは大歓迎。
ぶっちゃけると私がドラクエをしばらく引退しようと思っている理由の8割が音楽のやる気のなさ。
まさかあのムービーで東京都交響楽団の演奏流すなんて言わないよね。まさかね。
都響には悪いんだけど、あのグラでフルオケはない。ゲームにフィットしてない。
SFCの6をプレイした人ならよく分かってくれると思うんだけど、あのグラでフルオケ流されても困るじゃん?そういう感じ。
グラにはそれにあった音楽が当てられるべきで、そこを手抜きされそうな不安がある。
というか制作側が音楽で手抜いてるよね。「生演奏!」ってスゴそうなこと言ってるけど、実は手抜きの手法なんだよアレ。上手い手抜きの仕方だから文句は少ないけどさ。
とにかくグラが良い。あのグラなら4のリメイクも映える。ただし、ゲームって五感で楽しむ総合芸術なので、他の要素で台無しにされる可能性が大いにあり、そこだけが本当に不安。
12はよく分からん。はいはいって言いたくなるムービーとよく分からんボイスだけ見せられてもね。
==================以下 追記============================
いくつかのブコメに返信。
いってらっしゃい。ドラクエに限った話じゃないが、音楽は生が一番。CDとかMP3とかFLACとかに拘るよりも大事なところ。
ohchidani 個人的には、ドラクエはオープンワールド化するのが一番いいと以前から思ってて、ドラクエビルダーズでその可能性を示してくれた事はオールドファンとして涙が出るぐらい嬉しかった。ドラクエ、やるじゃんと。
それめっちゃ分かる。私はビルダーズ路線は当初否定的だったんだけど、実際プレイしてみて脱帽した。
これ近い例としてゼルダBotwがあるんだけど、こういう上手いリライトというか、既存の「らしさ」に寄り添ってなお昇華する作品は進歩的でありながらも過去との連続性を残せていていいもの。
KAN3 11はドラクエシリーズの集大成で、エンディングはドラクエシリーズ第一部完!って感じだったから12は色々と変えてくると思う。
ダークであるとか大人向けであるとかいう声明はあったわけだけど、それがすなわち成功に結びつくかっていうのとはちょっと違うよね。
例えば仮面ライダーアマゾンズっていう作品があったんだけど、あれ「今の平成ライダーじゃ表現できない過激なものも取り入れた」っていうことで楽しみにしていたんだけど、
実際視聴してみたら「いや、方向性はわかるけどそれ初期平成ライダーもやってなかったよね?というか仮面ライダーじゃなくても良くない?」みたいな感想になって。
確かにあの表現で仮面ライダーを見るのは新鮮だったけど、ファンが求めてた表現ってああいうのだったの?みたいな。
個人的にはもっとドロドロした感じなのかなあと。良くも悪くもスプラッシュだよね、アマゾンズは。その場の興奮優位で、後世まで語られるような持続性に欠けるな、と。
こういう視聴体験があるので、ダークすなわち手放し称賛というほどでもないんだよね。
これからFFと差別化していくにあたってドラクエには克服していく課題が多いし、その模索としては評価できる。
luege_traum 既に移植作では2Dにフルオケやってるので、むしろここまでリッチな2Dになるなら合ってると感じるけどな。つーか最近やらなくなってるなら既に引退してるじゃん。こういうのも引退詐欺というのだろうか。
carl_s リメイクDQ4の不満点の一つが『海図を広げて』(船の曲)にイントロ追加されて曲本体部分に到達するのに40秒くらい必要になっちゃった点(4章終盤の演出も変更)なので、「ゲームにフィット」の不満はちょっとわかる。
あれはヒドかった。ちょうどあの頃からフルオケ垂れ流しとゲーム音楽の境界が曖昧になってきたかなと。
補足しておくと、フルオケが悪いわけではなく、あくまで「フルオケならお前ら満足だろ?(垂れ流し)」みたいなやり口がクソだって話ね。
もちろんこれを解決するには相応のコストかかるから、判断として垂れ流しにしたい気持ちはよく分かる。
枯れてんだよ、残念ながらな。
人は老いる。老いては枯れる。この当たり前から目を逸らさずに、お前もやりたいことあるんなら若いうちにやっときな。若くないなら受け入れろ。
klaps ぱふぱふとか寒すぎるんで本当に辞めてほしい
あれが寒いのは、「ぱふぱふかと思った?残念!実は違いました~、いかがでしたか?」みたいなのを面白いと思って実装してしまうのが寒いのであって本当のぱふぱふは温かいぞ(真顔)
c_shiika 12の発売と同時に復帰しそう
できればしたい
知ってるけど、彼にドラクエの後継が勤まるかはよくわからない。ドラクエの音楽にはドラクエらしさである以前に「すぎやん節」と呼ばれるすぎやんの「様式」があるの。
ただ場面場面に合わせた曲が作れれば良いわけじゃない。
言っちゃ悪いけど、オケなら「ドラクエっぽい」とか思われちゃうなら、作曲家のネームバリューに拘る理由もなく、そこらへんの音大出た新卒に曲書かせりゃいいと思うよ。(一定のクオリティさえ保証できていれば誰でもいいって意味ね)
そういう個人の「様式」を他の作曲家が模倣できたとしても、それを馴染ませずに放置させてきたことに不満があるの。
すぎやんって割とクセの強い、個性の隠せない作曲家で、そういうところが余人を持って代えがたいところがあったの。
だからこそ後継者は誰でもいいわけではなく、次に繋ぐ襲名披露をしなければならなかった。
他にやり方があったとしても、ここまで放置したスクエニは自身の企業価値とIPの価値を損ねている。
lady_joker 私はドラクエほとんどやってないのだが「ドラクエ11 名曲」で検索するといい曲がヒットし、これを名曲だと評価するコメントも山ほどあるからすぎやまさんが枯れたというのは増田の勘違いだろう
33件で山ほどのコメントって言って良いのかは知らんが、枯れたっていうのはそういう話じゃないんだよ。
巻き込んでないし。自分から巻き込まれてきておきながらこういうバカバカしいブコメつけるバカを見るにつけ匿名って素晴らしいなって思うわ。
はあ?おばけなめくじみたいな人生送ってるお前に言われたくはないわw
このブコメに無料星つけるおばけなめくじフォロワーのidやばwえ、おばけなめくじのワナビーだったりする?w
こういうおばけなめくじのこうげきみたいなコメントが人気になっちゃうあたりがはてブのオワコンっぷりを物語ってるよね。
ちなみに「留保の可能性残してる」んじゃなくて現に留保してるんですよ。活動休止って言えば納得するか?そう書かないと納得できないか?可能性の話ですらありませんね。人の話も読み取れないのにクソダサコメント。ダッサ。鳥肌立つわ。
後継作品が気に入れば再開するし気に入らなければ再開しない。
そういう話にダサいダサくないとかいう基準を持ち出すところが最高にダサい。メンツ重視なくせにリアルでは職場にも家庭にも居場所のない趣味に生きる()中年男性みたい。
"ゲニメとアーム"との一致はありません。
"ゲニメとアーム"との一致はありません。
検索条件と十分に一致する結果が見つかりません。
ヒント: 探しているページに表示されている可能性がある言葉で検索してみてください。たとえば、「ケーキの作り方」ではなく、「ケーキのレシピ」でお試しください。
想像を超えての ミュージックファイルシリーズ 東宝映画サントラ ...
https://va-pizzeria.se › plugins › widget-logic › mini › f...
[2] 〈'70年代怪獣映画の世界Part-1〉〈ゲゾラ・ゲニメ・カメーバ〜決戦!南海の大怪獣〉 (1) メインタトル(M1T2) (2) ヘリオス発射(M2) (3) ヘリオス宇宙へ(M3)
そんなものが
なんだ誤記か
そういうときは自分が遊んで面白かったゲームを紹介してくれたらおすすめしやすいゾ
https://store.steampowered.com/app/1122720/Sayonara_Wild_Hearts/
https://store.steampowered.com/app/1102130/Florence/
同上
https://store.steampowered.com/app/247080/Crypt_of_the_NecroDancer/
セールだと本体のみ298円くらいになる。DLC(AMPLIFIED)+サントラセットがおすすめ(これでもセールなら600円くらい)。旧作だからちょくちょく安くなる
近年、俺が良く遊んだ、面白かったゲームを並べてみると見事にMade In Japanがない。
俺はストラテジーゲーム、シミュレーション好きなので、現在の他のジャンルの事は良く分からない。
それでもAPEXだとか、Ghost of Tsushimaだとか、 最近でも面白いと聞くゲームには海外ゲームが多い。任天堂のタイトルを除くと。
だけど、日本製のゲームにストラテジーゲームには、PC、PS4他のコンシューマ機を問わず、心惹かれたタイトルは全くない。ただ、日本のゲームを遊んでない訳でも買ってない訳でもない。
信長の野望や三国志の最新版は買ったし、スパロボも、ファイアーエムブレムも、かつて好きだったシリーズなら、新しいのが出ればやってみているし、買ってるからこそ不満がある。
しかし、かつては違ったと思う。
子供頃は、FFT、サカつく、ダービースタリオン、カルチョビット、ファイアーエムブレム、スパロボなんかは楽しめていたし、好きなゲームジャンルを決めたくらいには好きだった。
古いゲームも遅れて遊んだけれど、遥かに昔の作品ですらタクティクスオウガ、フロントミッション、風来のシレンとか、今でもいいゲームだったなぁと思える作品も沢山あった。
でも、今はどうだろう。面白かったはずのシリーズも、面白くなくなってるんじゃないかと思う。
スパロボなんか、今でもシステムには全く進化もないし、戦闘難易度はかつてのシリーズ作品と比べてすら話にならない程簡単になった。
かつてであれば、1ミスで全てが台無しになって絶望していた風来のシレンも、シリーズを重ねて風来のシレン5にもなると、やりなおし草なんて糞アイテムのおかげでノーリスクでリセット出来る始末。
かつて好きだった日本の作品が、シリーズを重ねるごとに簡単になり、面白くなくなってるって例は他にもある。というか、自分が好きだったほぼ全シリーズがそうなっている。
ゲーム好きの印象としても、日本のゲームは全体的に、難易度が大きく下がってしまっているのではないかと思うがどうだろう?
それが、日本のゲームがつまらない理由なのではないかと思うんだわ。
それって結局は、ゲームでも苦労して頭を使う事を嫌うようになったからなんだろうか?
いや、高難易度で知られたゲームは、今でも一部の日本人には根強い人気がある。RimWorldの5chの攻略スレッドは、発売後何年も経った今も盛況だ。
日本のゲーム会社が開発力を失って、システムのアップデートを怠ってるんだろうか?
いや、ダークソウルシリーズなど、今でも世界的にも人気のある高難易度のゲームは出ている。その気になればいくらだって作れるはずだ。
供給する力もある、需要もある、そのはずなのに日本の戦略ゲームの代表格と言えば、鬼の様につまらないし、低難易度だし、
システムに全く進化がない信長の野望や三国志、スパロボで、今や、高難易度で緻密なシステムを持った戦略ゲームを作るのは海外の開発会社だ。
まぁ、その高難易度ゲームを求める国内需要が小さくて、初めから海外をメインにということが考えられないってのが答えなのだとは思う。難しいゲームを作っても売れないのでは作るはずもない。
それってつまり、多くの日本人はゲームですら苦労するのは嫌だ、ヌルく生きたいって思ってるって事なのかもな。
なろう系小説が良く売れてるのも同根な気がするよ。
なろうで育ってきた様な人が、今後もゲームを作る訳だから、日本のゲームはどんどん面白くなくなるんだろうか?ヌルくて萌え要素満載のゲーム(ウマ娘みたいな)が喜ばれる様になるんだろうか?
だけど、一方では海外のストラテジーゲームは高難易度で面白いが、XCOMなんかはストーリーは驚くほど薄っぺらくて、感動の欠片もない。
だから、俺個人は今でもタクティクスオウガの様な世界観とストーリー、個性的で魅力的なキャラクターを持った、高難易度のゲームを期待してるし
アニメや漫画を見ても日本からは素晴らしい作品が出てくる土壌はあるはずと信じてもいるんだけどね
(追記)
ブコメ見ても、読んでコメントしてるとは思えないブコメも散見されるし、こんなところにも頭使うのを嫌う日本人が増えてる傾向が見えるように感じた。
(追記2)
susuharai そんなことよりGWにはOxygen Not IncludedかEndzoneやろうぜ、きっと気に入るよ。自分はRimWorldの最高難易度ランディをクリアが目標!
バニラのカサンドラの最高難易度を、コミットメントモードで、一人も死者を出さずに宇宙船飛ばせるけど、プレイは最適化の極致になるのでAIの行動パターンとか挙動を見極めて
各種の襲撃や生産活動込みで拠点を動線含めて完全に最適化しつくすくらい考えて行けばいけると思う。降下やトンネルをどうやってキルゾーンで受ける確率を上げるかとか
過剰な食料生産をしない様に在庫と資産管理を徹底するとか。Oxyはそのうちやりたいと思ってた。
(追記3)
主語がでかいだの、SLGは~なんていうが、アクションゲームでも同じだよ。
今よりもゲームへの慣れも早くて操作も上手かったはずの、もっと若いころにやった三国無双は、味方もバタバタ死ぬし呂布やら張遼やらに苦労してステージクリアしてたが
最近の三国無双なんて、呂布ですら弱くて微塵も苦労する要素なかったよ。バイオも最近のよりも2の方が大変だったし、シリーズものは全体的に易化してると思うわ。
JRPGなんて、そもそもかつても今も戦うコマンド連打で終わる脳死ゲーだろ。
ペルソナ4とか、古いファイナルファンタジーシリーズが、ストーリーとして良いとかBGMが素晴らしいとか、それは同意するし、ゲーム性以外の要素を好きな人がいることは分かる。
ペルソナやらクロノトリガーのサントラは、今でもよく聞いてる位好きだしな。
ただし、子供向けに子供が満足するレベルのトリックをふんだんに入れてるゼルダは別ってか、そもそも住んでる世界が違う。任天堂のゲームは、大人が遊んでも面白いが、大人の為には作られてない。
だがソシャゲなんかは極端な例だけど、課金する大人の為に作られているが、完全な脳死ゲーだ。日本人があれを有難がるのは、脳みそ死んでる証拠の一つだろ。
自分はクロノはトリガーもクロスも好きだがどちらかと言うとクロス派。
クロスは周回したしアルティマニアは何回も読んだし、サントラもかなり聞いた。PSアーカイブスはまっさきに落とした。ラジカルドリーマーズはピアノで練習する位大好き。
当時はSFCを持っていなかったので後に出るDSのリメイク版をプレイしたのだが正直クロスをやっていなかったら手を出さなかったと思う。
ただ鳥山明の絵は好きだし、トリガーのイメージイラストは見るだけでワクワクする。でもそれらではゲームをプレイしたい気持ちにはならなかった。
小説の表紙なら真っ先に読んだと思うが。
一重に鳥山絵に対してドラクエやドラゴンボールの印象が強すぎて敬遠していたのだと思う。クロスに比べると子供っぽい印象だった(もちろん実際の中身は違うけど)。
そもそもクロスはジャケ買いだった。あの青いパッケージにひと目でやられた。裏面のあらすじや、表面がどういう状況なのかが知りたい一心で起動前からワクワクしていた。今でも最高のデザインだと思う。
トリガーのパッケージも素敵だと思うがそれを感じられなかった。キャラクター1体1体はかわいいし格好いいと思うが、そこから彼らの物語を知りたいと思わせるようなフックがなかった。
なのでPSにリメイクがあるにも関わらずDSまで手を出さなかった。
結局やってみたらどっちも凄い面白いし、どっちにも駄目な部分はある。
ただ個人的には物理的なファーストコンタクトが印象的だったクロスの方に軍配が上がる。
まあ、あのOPを見たらノックダウンするよ。最高に格好いいもの。OPの余韻を残しつつタイトル画面で流れる神の庭も神秘的だし、その後の時の見る夢(デモシーンになる?)も格好いいセリフのオンパレードだし、初見で惚れるなという方が無理だよ。
背景はどこも綺麗だし、音楽は最高だし(航海アナザーワールドが本当に素晴らしい)、話は難解だったけど面白かった。最後のクロノクロス発動もドラマチックで凄い良かった。自分にとって攻撃以外の手段で決着がつくラスボスが初だったからとても衝撃だった。
あとセルジュの武器のSEが好き!スラッシュの攻撃方法には笑った。
トリガーも時計の音からゲームが始まるのはワクワクする。イベントも1シーン1シーンが熱いし、連携技が楽しい。カエルフレアが好きでよく使っていた。
まあ正確に言えば潰れるというより凹むんだが。中央付近は薄いから横置き縦積みだと凹んでくる
所謂抜きゲーに分類されるのはサクッと終わらせることもできるが
ストーリーが評価されてるADVタイプなんかはのんびり遊ぶから時間かかるな。俺はエロゲ以外にCS、PCゲームに手を出してるから余計に積みゲーが増える
あと、そんなに抱えてどうすんの?と聞かれても、遊ぶために買ってるとしか言えない
俺は去年、6年前の発売日に買ったゲーム(サントラも発売日買いした)を開封して100時間遊んだ。普通に楽しかったよ
積みゲーの存在意義を聞かれてもプラモデル好きなやつに「プラモデルって何に使うの?金の無駄じゃね?」って聞いてるようなものなので、理解できない人間には理解できない
読む限りだと、
であってるよな?
昆虫図鑑しか手元になくて、「僕昆虫博士になりたい!」っていう子と、
昆虫図鑑と魚図鑑が手元にあって、「僕昆虫博士か魚博士になりたい!」っていう子がいたとき、
というような。
この前提で間違いないよな?
その前提で話すと、
確かに、将来の身の振り方を決めるに至る程の、価値観を変える劇的な出来事は、田舎には全然なかったな。
あのときの〇〇さんとの出来事が人生変えました!っていう出来事は田舎にはほとんど起こり得ない。
起こり得たとしても、田舎にいる人々、即ち、先生とか医療職の方々との間でしか起きないな。
人としての輝き方の種類が少ないというか。目に入る輝いてる?人たちが公務員か医療職以外にまじでない。だから、それ以外になりたい!という大志を抱く機会が、田舎で過ごすとまじで少ないと思う。
で、そんな中で育ったおれが文化資本(キャリアの幅を広げるキッカケ)にどうやってアクセスしてきたか?って話を今からする。
おれは2つ幼少の頃なりたいと思ってたものがあった。いわゆる、「こういうキャリアを歩みたい」と思える文化資本と触れ合う機会が2つだけあった。
で、
1.「ポケットモンスタールビー」
2. 「遊戯王」
っていう話。
ポケットモンスタールビーはコロコロコミックで見て欲しいと思ったんだけど、コロコロコミックは母親がある日唐突に買って来てくれて、そこからハマった。
だから、
1.雑誌とかYou Tubeとか、文化資本に繋がりやすい媒体 or 文化資本そのもの(図鑑とか、解体できる四駆とか)を手が届くところに置いておいてあげる
2. 本人が興味がある分野が出てきたら、金積んで何でも体験させる
とかだな。
キャリアを広げるという意味の文化資本は、モノベースであれば、田舎には住んでいても割と金で買い与えられると思う。いわゆる図鑑とか雑誌の類だな。
スケートリンクに連れてって、子供にスケーターになる将来を連想させたり、サーカスに連れてって、パフォーマーになる機会を連想させたり。
だから、意識すべきは、金積めば与えられるモノ由来の文化資本と並行して、体験に依存する文化資本も意識的に与えることだな。
あと、中段に、
「田舎で育てられた自分は文化資本が与えられなかった」と落ち込んでほしくない
とあるな。
これはハッキリ言う。増田が定義する文化資本に限っていえば、それは思ったことはない。
東京に出て来て初めて見た職業はたくさんあるが、別に今からでも成れるものが多いので、
「あー、昔自分も魚図鑑買ってもらってたら、今頃魚博士だったのになーーー」
なんて言うことは全く思わない。
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ただ、田舎で育って損だったと思うのは、世の中に学歴フィルターなるものが存在することを知らなかったってことだな。
東京来てみて、商社マンとか、外銀とか、そういう職業を知った。
こういう職業だけは、今から努力してもなれないよな?(中途とかは抜きにしてだぞ)
こういう機会に直面したとき、
「あーーー、高校時代、いや中学時代に学歴フィルターのこと教えてくれよなーーー、そしたらめっちゃ頑張ってたのにーーー」
ってのは思った。
なんでみんな東大を囃し立てるのか分かんなかったし、恐らく田舎の高校生はMARCHとかすら微塵も知らない。俺も知らなかった。
これだけは今もめっちゃ思ってるな。
「選択肢が削られた!田舎に住んでたせいで!」と思うのはここくらいかな。
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とか。
要は趣味を共有できる友達が居なかったことと、趣味までの物理的な距離が一番しんどかったかも。
文化資本与えられたあとで、それに勤しむ機会がないのはしんどかったな!
文化資本も担保してあげつつ、こういうところも気にかけてくれ。
趣味があるようだったら自分も同じものを買ってライバルになってあげるとか、東京までの物理的な距離を金で解決してあげるとかそういうやつ。
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で、ここから話変わるんだけど、おれの文化資本の定義を話すぞ。
おれは「文化資本」を、走馬灯で見ることので切る、人生最後の映画の厚みだと捉えてる。
俺に言わせれば、ロックしか聞かないやつより、ロックとクラシックを聞くヤツのほうが、人生最後の映画のサントラは充実してると思う。
田舎だと、
船釣りとか、海だとか、庭で焚き火したりとか、近所の畑の仕事手伝ったりとか、畜産農家の牛とか鶏見に行ったりとか。ボロいトタン集めて秘密基地作ったりとか。死ぬ前の走馬灯は、間違いなく都会育ちの人よりは長い(分厚い?知らんけど)と思うな。それはホントに親に感謝してる。
個人的には、後者の定義で文化資本を捉えるなら、都会の文化資本は大人になってからいつでも回収できるけど、田舎の文化資本は大人で回収するのはむずいな。仕事の都合で大概都会に住んじゃうし、成熟した脳みそじゃあ、釣りよりネットサーフィンのほうが楽しいだろうし。
とりあえず益田に言いたいことは、文化資本を前者の定義と捉えてるなら、それなりに努力は必要だな。ただ、後者の定義で捉えるなら、田舎への移住はポジティブにとらえていいとおもうぞ。
俺もする
俺が好きなのは4系。他シリーズの信者からは、まーた4系かって言われそうだけど4系が世界で一番すき
何が好きって機体が好き。ミーハーだけどfaのホワイトグリントが一番すき。4のホワイトグリントもすき。次点で水没王子の機体。名前は忘れた
パイロットは僚機として雇えるメイ・グリンフィールドとか、マクシミリアン・テルミドールとか、まだまだいけるぜ!メルツェェェェル!!の人がすき。パイロット名は知らない
一方で古王はあんまり覚えてない。気がついたら最終決戦で勝手に沈められてたぐらいの印象しかない。ていうか人類種の天敵ルートはセレン姐さんの印象が強すぎる
4はオペレーターのフィオナとジョシュアがすき。フィオナの横?に居た間男みたいな語り部のやつはそこまで好きでもない
4の最終決戦のハードモードで、ジョシュア倒した後に割り込んでくるあの変なネクストは嫌い。余韻もへったくれもないうえに大して強くないし、何のために出てきたんだ
あとBGMがとにかく好き。4系といえばThinkerがクッソ有名だけど、個人的にはゲーム内で使われてなくてサントラにしか収録されてないDragon Diveもお気に入り
任務中に聞けるthe bloody honey cannot stopがすき。繰り返し聞きすぎたせいか、一番耳に残ってるBGM
そして肝心のゲーム性も好き。QBでドヒャアドヒャアするのもすきだし、追加ブースター付けて月光でぶった斬るのもすき
ハードモードのホワイトグリント戦で、水没王子と逆流王子を始末したあとにホワイトグリントと一騎打ちで撃ち合うのもすき
倒したと思ったら再起動してくるのもすき。とにかくホワイトグリントがすき。OBすると胴の一部が展開するギミック狂おしいほどすき
そもそも4系は空中戦を長いことできるのがすき。空中でドヒャアドヒャアしながら撃ち合ったり、たまに遮蔽物で身を隠すあの感じが最高に良い