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2024-09-11

2021-07-24

オリンピックが曝け出したゲームに対する差別意識時代遅れ認識

今回のオリンピック開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否重要である。誰もが絶賛するような作品存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。

これは作品批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れ認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。

そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)

ゲーム文化

何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲーム映画に負けず劣らず文化性がある。

例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。

また、ゲーム談義。これも映画評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、とき罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。

また、社会風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。

他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームモデル俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者映画演出担当したり、逆に映画関係者ゲームプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。

ゲーム経済

文化には経済という側面も重要である寄付しろ収益しろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。

これでも、ゲームは「文化」の中で最先端を突っ走っている。

歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年アバター中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。

さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。

もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザー継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。

しかし、単純な収益で見れば、ゲーム映画ガチンコで戦えるレベル経済性も有していることが証明されたわけである

結論

さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。

マイクロソフトゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleAmazonAppleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。

このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れである理解し、そろそろ「価値観アップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。

そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画低俗」「小説下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである

 
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