はてなキーワード: Say Noとは
入れ代わりは24タイトルなので厳選と言うなら絞るより入れ替えに力を入れて欲しい
バズった夏冬で比較した(春だけなぜかハネてない)がブクマカも大量に集ってもう英語学習法みたいなジャンルだと思ってないか?
200円以下
『シロナガス島への帰還 -Return to Shironagasu Island-』
『AKANE』
『Ninja Striker!』
『PatoBox』
『Raindrop Sprinters』
『Shatter Remastered Deluxe』
『Wacky Burgers』
『NeverAwake』
『Hazelnut Hex』
『The Cosmic Wheel Sisterhood』
『イハナシの魔女』
『ふりかけスペイシー』
『Behind the Frame 〜とっておきの景色を〜』
『ドラゴンボールZ KAKAROT』
200円以下
『ま~るい地球が四角くなった!? デジボク地球防衛軍 EARTH DEFENSE FORCE: WORLD BROTHERS』
『Titanfall® 2』
『Stray』
『Donut Dodo』
『溶鉄のマルフーシャ』
『PatoBox』
『TOMOMI』
『夢核(YumeCore)』
『鉄者』
『ソルクレスタ』
『メグとばけもの』
『シロナガス島への帰還 -Return to Shironagasu Island-』
『鬼滅の刃 ヒノカミ血風譚』
200円以下
『Downwell』
『スーパーメットボーイ!』
『Dig Dog』
『BulletGarden』
『ナユの冒険』
『Destropolis』
『地球防衛軍5』
『ストリートファイター6』
『HUNTDOWN』
『Broforce』
『Jitsu Squad』
『爆裂!スイーツランド - PANIC IN SWEETS LAND -』
『デコピンズ』
『Slay the Spire』
『モン娘ぐらでぃえーた』
『Going Under』
『HAZAMA_QUEEN』
『虫姫さま』
『Graze Counter GM』
『ムラサキ劍』
『Project Starship X』
『ライクドリーマー』
『たわし』
『ElecHead』
『Blocky Dungeon』
『HARVESTELLA』
『両手いっぱいに芋の花を』
『箱庭えくすぷろーらもあ』
『ghostpia シーズンワン』
『グノーシア』
『OU』
『A Short Hike』
『A Space for the Unbound 心に咲く花』
『1f y0u're a gh0st ca11 me here! 』
『ZONE OF THE ENDERS THE 2nd RUNNER : M∀RS / アヌビス ゾーン・オブ・エンダーズ : マーズ』
結局その「政治的」か否かを判断するのは誰なんだって話なんじゃないかね。
「何事も政治と無縁ではない」は政治厨の偉そうなお題目だがことFIFA関係では一蹴できるものでもないと思うわ。
正直なところ今のタイミングの「スポーツに政治を持ち込むな」は「FIFAが許さない政治的パフォーマンスがダメだ」にしかならんのよ。
2020年アフリカ系アメリカ人のフロイドが警察に殺された事件に対してドイツのブンデスリーガで抗議パフォーマンスが行われた時、
FIFA President Gianni Infantino adds: "For the avoidance of doubt, in a FIFA competition the recent demonstrations of players in Bundesliga matches would deserve an applause and not a punishment.
(訳)FIFA会長のジャンニ・インファンティーノはこう付け加えた。「疑義を避けるために言えば、FIFAの大会においては、ブンデスリーガの試合での選手による最近のデモンストレーションは罰ではなく賞賛に値するでしょう」
全文を見るとこの直前に競技規則の適用は競技主催者に委ねられていると言った上でこう付け加えているので、つまるところ規則の罰則を与えないようにとFIFAが直々に示唆したわけね。
それでこれは「政治的」ではないんですかね?この会長、賞賛(applause)に値するとか言っちゃってますけど。
FIFAはSTATUESで人権の尊重(第3条)を掲げ、あらゆる種類の差別は固く禁じられ(strictly prohibited)る(第4条1項)としている一方で、
FIFAの目的に影響を与えるものを除い(matters affected by FIFA’s statutory objectives)て政治や宗教には中立を維持する(第4条2項)としている(FIFA STATUES 2022)。
これ自体は2020年時点でも存在しているのでフロイド事件の抗議についても政治的中立性を守らなければならないはずで、
適用除外に言う目的(statutory objectives)とは同第2条に制定されている目的が具体例だと思うが基本的にはサッカー関係の運用についてでありこの件で関係あるとも思えない。
これをFIFAが「政治的/非政治的」または「許される/許されない政治性」だと判断できるというなら何と傲慢な価値観だろう。
そもそもFIFAという組織が公式サイトに"SOCIAL IMPACT"という項目を作って、そこで政治団体のように"Sustainability"(持続可能性)"Safeguarding and Child Protection"(児童保護)"Human Rights & Anti-Discrimination"(人権と反差別)などと高邁な政治的理念を掲げている有様である。
あくまでサッカー競技の運営上必要だからだと言うならそれ以外の「政治をスポーツに持ち込むな」という理屈も分からんでもない。
「加盟団体や試合上の差別は競技の発展という目的上許さない。しかしそれに関係ない差別には何も言わない」のならそれはそれで一貫してもいる。
しかしFIFAときたら"SOCIAL IMPACT"などと言い出すのだからその理屈は罷り通らんってわけ。
会長は「西欧はカタールに道徳を説く前に3000年を反省しろ」と言うがよくもまあこんな状態のFIFAの人間がこんなことを言えるものだと感心したよね。
フロイド事件への抗議が許されるのはFIFAが大会中に行っている反差別デーとかいう政治的キャンペーンに合ってるからなんかね?
FIFAが掲げている政治的な綺麗ごとは正しくてFIFAに都合の悪い話は大会の場で排除されるべき「政治」なのか?
政治がそんなに嫌なら一々そんな高尚な政治的理念を掲げるなよ。なーにが"SAY NO TO RACISM"、"SHOW RACISM THE RED CARD"だよ。
それともこの明らかな西欧由来の「アタラシイカチカン」は非政治的で正しく中立的で普遍的な価値観なんですか?そりゃポリコレ超えてんな。
普段リベラルのダブスタや傲慢性を糾弾する人までもが、FIFAの欺瞞を無視して「FIFAも正しい」ってブコメに賛同してる様はあまりに滑稽だわ。
Måneskin, who played with his upper body naked, and King Gnu, who imitated him, disgraced Summer Sonic. What they did was simply body-exposing pornography.
Måneskin must have decided that yellow monkeys like the Japanese were not culturally literate enough to listen to music.
King Gnu wanted to show that we are conscious people with our eyes on the world.
As a result, the Japanese audience was presented with only two types of pornography: vile foreign pornography and Japanese imitation pornography.
This is what you can do when you don't know what you're doing at Summer Sonny's.
今回のオリンピックの開会式では、賛否両論があるらしい。もちろん、「表現」において賛否は重要である。誰もが絶賛するような作品は存在しないし、存在してはいけない。ただ、作品の批評を超えて、ゲームを「メインカルチャーではなくサブカルチャー」と見下したり、「ゲーム音楽程度」という表現を使う者が散見された。
これは作品の批評とはかけ離れた評価であり、差別的であるとすら言える。そして、さらに悪いことに時代遅れの認識でもある。ここではそれを書き留めて、指摘していきたい。
(そもそも文化に「サブ」と「メイン」という区分けを設けること自体が異様にも思うが、ここではそれに言及しない)
何を持って「文化」というのかは不明であるが、ゲームは映画に負けず劣らず文化性がある。
例えば、社会性。オンラインゲームは、良くも悪くもコミュニケーションを促進する。これは社会性と言える。
また、ゲーム談義。これも映画を評論し、議論し合うのと同じだろう。もちろん、ときに罵倒や難癖、アンチなどを生み出し、建設的な議論など難しい場合も多いが、それは映画もさほど変わらない。映画ファンが、お高く止まってゲームを見下す理由にはならない。
また、社会を風刺するゲームだっていくらでもある。「Say No! More」や「還願 Devotion」、「Not Tonight」など。他にも様々なディストピアを描いたゲームや、政治を皮肉った表現など、ゲームには珍しくない。
他にも、「BEYOND」や「James Bond 007:NightFire」、「Until Dawn」など、古くからゲームのモデルに俳優を起用する例も多い。また、ゲーム関係者が映画の演出を担当したり、逆に映画関係者がゲームのプロデュースになったりなど、そもそもこれらの業界は対立関係にない。これらを差し置いて、ファンが「ゲームは俺の趣味より低俗」と見下すのは、なかなかに滑稽で、わりと風刺的でもある。
文化には経済という側面も重要である。寄付にしろ収益にしろ、何らかのお金がないと芸術は先に進まない。
歴代で最も集積を上げた映画は、「アバター」の3146億円らしい(2019年に「アベンジャーズ」がトップになったが、2021年にアバターが中国などで再上映されたため、トップに返り咲いた)。
さて、これに対抗できるゲームタイトルはあるだろうか。もちろん、存在する。ポケモンgoは、サービス開始以来の5年で5500億円の収益を出したという(2021年7月時点)。
もちろん、映画は上映以外にも、サントラやグッズ、DVDなども売上になる。だから、これらがプラスされれば、ひょっとしたらアバターのほうが上になるかもしれない。また、基本的に1度の上映で客が満足する映画と、5年もユーザーが継続するゲームでは、比較することがナンセンスかもしれない。
しかし、単純な収益で見れば、ゲームは映画とガチンコで戦えるレベルの経済性も有していることが証明されたわけである。
さて、これらをもって、どうして「ゲームはサブだ」と見下せるのか。
マイクロソフトがゲーム業界に殴り込みをかけて久しいし、昨今ではGoogleやAmazon、Appleなどが、独自ゲームを作ろうと躍起にすらなっている。
このように、もはやゲームは、文化の面でも経済の面でも「サブ」とは到底言えない存在感を有している。その事に気づかないのは時代遅れであると理解し、そろそろ「価値観をアップデート」すべき時期に来ているのではないだろうか。
そもそも、(言い尽くされた話でもあるが)100年くらい前には「映画は低俗」「小説は下劣」という時代があった訳だ。そんな価値観を「古臭い」と笑いながら、その古臭い人々と同じ価値観でいることなど、本当の文化人なら耐えられないはずである。
小説の書き出しを愛でる、という趣向がある。例えば、フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』の書き出し、
「ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に、悲しみという重々しい、りっぱな名をつけようか、私は迷う。 」
であれば、楽曲の歌い出しを愛でる風潮があってもいいじゃないか。というわけで、いくつかいろいろな意味で気に入っている歌い出しを挙げていく。
平易な文だが、わけがわからない。「バスの揺れ方で」「人生の意味がわかった」「日曜日」。それぞれの繋がりに全く論理性がない。飛躍も飛躍。猛スピードで爆走するバスが聴き手を置いてけぼりにしている。行間を読む力が試される。
さらに難解なのは、次段である。「でもさ」と逆説になっている。そこにいるのは「運命の人」である。運命に対して逆説で語るかね。ちょっとした諦めみたいなものさえ感じられる。果たしてこれはラブソングなのか?
だいたいにして、歌詞の序盤で唐突に出てくる「運命の人」という重要且つ雑なフレーズについて、以降の歌詞で全く説明されない。繊細な歌詞を書くスピッツのことだから、これは意図的にやっているとしか思えないのだけれど、だとすればますます謎は深まるばかりだ。
スピッツ屈指のポップな名曲だが、歌い出しからしてわけがわからない。それを含めて名曲たる所以なのかもしれない。
「あたしの髪が伸びて驚くほど久しぶりになってしまわぬ様に
昨日より少しだけ多めにあたしのことを考えてほしい」
aikoは曲も素晴らしいが、歌詞も素晴らしい。一番好きなのがこの曲である。
歌い出しの部分、要するに「ずっと好きでいて」ということを言っている。西野カナならそのまま「ずっと好きでいて」と歌うか会いたくて震えるだろう。だが、aikoはたったそれだけのことを、これだけの文量で詩的に語っている。胸に迫る。
その続き、
「初めて逢った日にもう一度逢いに行って そしてまた同じ様に
ぎこちなく合った目の奥にいるあたしを愛して欲しい」
これは要するに「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」ということを言っている。実際に西野カナは「トリセツ」で「ふたりが初めて出逢ったあの日を思い出してね」と歌っている。しかしaikoはたったそれだけのことについて、何でこんな奥行きのある言葉が思いつくのだろう。
ちなみに、私は西野カナのことが嫌いなわけではない。西野カナはメロディーにいい感じの歌詞を乗せる技術に関しては天才的だ。BGMとして心地よく聴ける。
「酒、飲ます」
アルバム『GO』の一曲目の歌い出しでいきなりこれである。聴きながら「おや、歌い出しが『酒、飲ます』って聞こえるな」と空耳かと思って歌詞カードを確認したところ、紛れもなく「酒、飲ます」であった。助走もなくいきなり飲んでる。
ついでに言えば歌詞の続きは「学校は最近どう?」であり、誰に酒を飲ませているんだ。
もう食べられるところはないんだ」
最近一番インパクトがあったのはこれである。爆笑した。巨大生物って何だね。メロウでバラードと言ってもいいほどの楽曲で、タイトルに「Confession」とか仰々しく付けられているにも関わらず、歌い出しでこれ。
ももすももすという人は、メランコリック写楽というバンドの元ボーカルももすのソロ名義である。メランコリック写楽時代を含めてほぼ全ての楽曲で作詞作曲編曲をこなしている。それにしたってメランコリック写楽とは何だ。ももすももすってなんだ。ロンゴロンゴかよ。
余談だが、相対性理論以降、ポップな楽曲にかわいい系のボーカルが意味不明な歌詞を乗せることを特徴とするアーティストが散見される。最近だとネクライトーキーとか。もしや遡れば椎名林檎「丸の内サディスティック」に行き着くのかもしれない。何だ歌い出しの「報酬は入社後」って。
こういうジャンルにそろそろ名前が欲しいと思うものの、名前をつけてしまったら陳腐だなとも思う。
You say stop and I say go go go.」
ポール・マッカートニーの作品である。甘くポップな曲調に、上記のような特に意味のないような平易な歌詞が乗せられる。
この曲に対してジョン・レノンが「君の曲には主義主張ってものがないからだめなんだ」みたいなことを言ったらしいけれど、個人的に、音楽は主義主張を抜きにしてポップであればあるほど好ましいと思っているので、この曲は私の中でポップ賛歌みたいな位置づけとなっている。
歌詞も気が抜けていていいじゃないか。ゴーゴーゴー。何も考えずに聴けて幸せになれる珠玉の一曲である。
※
この歌い出しが好き、意味わかんない、笑える、などあれば教えてほしいです。
大阪W選挙、どう考えても維新の勝利は目に見えてたんだけどね。
圧勝かどうかは分かんないけど、まあ負けたら大阪の庶民の選挙じゃ無いよな、程度の認識はあった。
でまあ、大阪以外の人が「わけわからん」という理由もまあ、わからんでもないから、チョット聞いてくれよ。
「大阪府民」って個人は居ないから。そういう人間みたいな人格想像するのが間違い。
大阪の二重行政とか、公務員の腐敗とか、なんかずっと変わんない現状とか、もうウンザリなのは全員一致してんの。
で、半年たってもなんにも変わんないし、なんかこう、なんにもしないじゃん?
だから、「反維新にガッカリして賛成派に回った人が多く」「維新にガッカリして反対派に回った人は少なく」で、圧勝。
ね、簡単でしょ?
こういう「何度も続けてればいつか烏合の衆が解散して意見が通せる」は、体制側が得意技だと思ってたんだけどな。
大阪市特別区設置住民投票は、賛成69万5千票、反対70万5千票で、否決された。
投票率66%。賛成した人が69万人居て、反対した人が70万人居た。
でも、あの時も散々言われたけど、周りの話を聞いてても実際にはこんな感じだった。
一番多いのは選挙行かない派。むしろ5月の住民投票に6割超えて行ったの驚異的だと思う。
1~4番の人たちは、概ね「二重行政に無駄があるのは判る。なんとかして欲しいことも多い」までは一致してんだよね。
みんな忘れてると思うけどさ、2008年に橋下が大阪府知事になったとき、最年少だぜ?
2011年には、大阪府知事から大阪市長っていう、「えなにそれ逆じゃね?」みたいな選挙やって20万票差で圧勝。
(2014年に出直し選挙やって30万票差ってのは余録だな。流石に覚えてるだろ)
んで、ノットイコールではあるんだけど、圧倒的に橋下は人気あるんだよ。
大阪都構想の時のキャッチコピーがまんますぎて笑うから思い出しといてくれ。
「大阪を変える」って、単純で簡単で解りやすいキャッチコピーで煽るのうまいんだよ。
今回のW選挙は、「大阪都構想」の一点突破だって言われてるらしいけど、違うと思うんだよね。
大阪に住み、大阪でメシを食ってる人間の肌感覚では、「現状維持はウンザリ派」の圧勝なんだよね。
色々やって失敗するのは、まあ良い。ホントは失敗しない方が良いけど。
「なんにもやらないから失敗してません!相手はいろいろ手を出して失敗してます!」は、もう勝てないよ。大阪では。
橋下のやった施策で、失敗だ責任とってない無茶苦茶だって言うのを読んだり聞いたりすると、もっともだなと思う。
そりゃねえわという失敗も多い。なにしてんの、と思うことも多い。でもな、動いてんじゃん。
「石橋叩いて渡る」を「チャレンジ」とは言わないだろ。失敗するとこもコミで任せてんだよ。
大阪都構想で、1万票差で否決されたの、もう忘れたの?たったの半年前だぜ?
橋下の市長としての得票数、橋下の率いた政治団体の議席獲得結果見て、どうして橋下の人気がなくなったと思うの?
賛否拮抗してて、反対に投じたうち「潜在的には賛成だけど、いきなり住民投票で決めんなや」組がどれだけ居たと思ってんの?
(とはいえ、今回も大阪都構想の住民投票だったら、たぶん賛否割れてて圧勝にはならないと思うけどな)